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特急「はやとの風」(JR九州)

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はやとのかぜ

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概要:
はやとの風(はやとのかぜ)は、九州旅客鉄道(JR九州)が吉松駅 - 鹿児島中央駅間を肥薩線・日豊本線・鹿児島本線経由で運行する臨時特急列車で、2004(平成16)年3月13日に九州新幹線鹿児島ルートが部分開業した際、九州新幹線に接続する霧島方面への観光列車として運行を開始した。
当初は専用車に予備がなかったため臨時列車として運転されていたが、2006(平成18)年3月からは、予備車が1両確保されたことで定期列車となったのち、2018(平成30)年3月17日のダイヤ改正で定期運行が廃止され、再び臨時列車となった。
近年、JR九州は南九州に多くの観光列車を走らせているが、その端緒となった列車である。
肥薩線全体でみると、八代駅~吉松駅間では、2000(平成12)年まで、吉松から吉都線を走る急行「えびの」が運行されていた。またそれ以降も八代駅~人吉駅間では、2016(平成28)年3月に廃止・運行区間縮小されるまで、特急「くまがわ」「九州横断特急」が運行されていた。しかし、吉松駅よりも南の区間では、1978(昭和53)年に急行「やたけ」が快速に格下げされて以来優等列車の運行がなかった。
そのような経緯から、「はやとの風」は肥薩線の吉松よりも南の区間には、26年ぶりの優等列車運行となった。
また、2006(平成18)年12月13日からは、人吉駅~ 鹿児島中央駅間を直通する「人吉はやとの風」も運行された。これは2006(平成18)年10月 - 2007(平成19)年3月に行われた「長崎 vs 熊本キャンペーン」に伴うものだった。
「人吉はやとの風」のダイヤは2日で1往復するようになっていて、1日目に人吉駅行き、2日目に鹿児島中央駅行きが運行されていて、吉松駅 - 鹿児島中央駅間は定期列車の「はやとの風」に併結して運行していた。
先述のキャンペーン終了後も、時折運行されていたが、2007(平成19)年11月に運行予定だった列車が、定期の「はやとの風」が踏切事故を起こした影響で運行中止となり、それ以降は設定がない。

運行概況:
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吉松駅 - 鹿児島中央駅間で土曜・休日および長期休暇期間中に1日2往復が運行されている(2018(平成30)年3月17日以降)。
特急列車ながらワンマン運転を行っている。車内改札のため車掌が乗務することもあるが、車掌が乗務しない時は、客室乗務員が車内改札を行うこともある。
(注、「はやとの風」は特急列車のため「青春18きっぷ」では乗れない。:上右側の車内補充券は、他列車内で発券されたもの)。
「吉松駅発鹿児島中央駅行きの列車が下り列車で、列車番号は6021D - 6024Dとなっている。
運行ダイヤは、速達性よりも観光面をより重視したものとなっていて、1903(明治36)年の肥薩線開業当時に建築された木造駅舎の残っている大隅横川駅・嘉例川駅で、全列車が約5分間停車する。
竜ケ水駅から鹿児島駅間の車窓から桜島が一望できる区間では徐行で運転する。
日豊本線では隼人駅と鹿児島駅のみ停車し、その他の駅では、列車行き違いのための運転停車を行う場合がある。なお「人吉はやとの風」は「はやとの風2・3号」に連結して運行されていた。

停車駅:
吉松駅 - 栗野駅 - 大隅横川駅 - 霧島温泉駅 - 嘉例川駅 - 隼人駅 - 鹿児島駅 - 鹿児島中央駅
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「人吉はやとの風」の人吉駅 - 吉松駅間は特急列車扱いながら各駅に停車していた。

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使用車両・編成:
普通列車用のキハ40形気動車を特急仕様に改造したキハ147 1045・キハ47 8092の2両が専用車両で、通常はキハ47 8092を1号車(鹿児島中央向き)、キハ147 1045を2号車(吉松向き:タイトル下左写真)としている。車両の検査時には1両を検査に出し、残った1両と指宿枕崎線の特急「指宿のたまて箱」仕様のキハ140 2066(タイトル下右写真)を連結して運転している。車両は全て普通車である。
改造にあたり内燃機関や台車などは変更されておらず、最高運転速度も95km/hのままだが、種車には高出力エンジン装備車両が選定されている。その後、指宿のたまて箱で使用されているキハ47の改造車と同じく、上下振動を低減するため、加速度センサーにより検知された上下振動加速度を元に制御装置が減衰力指令値を計算して、可変減衰上下動ダンパにその指令値を送り、減衰力を可変させて上下振動を抑制する、減衰力制御弁付きの可変減衰上下動ダンパを台車の枕ばね(コイルばね)に装備され、車体には4つの加速度センサーと制御装置が搭載された。
運行開始当初はキハ147 1045(1号車)・キハ140 2066(2号車)の2両編成で、予備車両がなかったため検査や故障時は運休となっていたこともある。
ほぼ毎日運転していたが臨時列車の扱いであった。
a0057057_23353898.png2006(平成18)年にキハ47 8092が加わるとこれを1号車とし、従来1号車だったキハ147 1045は方向転換の上で2号車に変更。2号車だったキハ140 2066は予備車となったため「はやとの風」の臨時列車扱いは解除され、多客時には3両で運行するようになった。
キハ140 2066は両運転台車で単行運転が可能のため「人吉はやとの風」にも用いられた(写真右・・両運転台のため、編成中間にも運転台がある)。「人吉はやとの風」が運休になった事故の際には「はやとの風」の専用車両が1両しか運行できなくなったため、2号車(当時は全車自由席)に普通列車用のキハ40系を充当し、2号車には乗車券のみで乗車可能とする措置を取っていたこともある。2011(平成23)年3月12日のダイヤ改正で「指宿のたまて箱」が運行を開始すると、キハ140 2066は「はやとの風」「指宿のたまて箱」の共通予備車の形となった。2012(平成24)年3月には「指宿のたまて箱」仕様に改装されたため、「はやとの風」仕様の車両は運行開始当初の2両に戻っている。なお、運行開始以来1号車を座席指定席、2号車を自由席として運行していたが、2015(平成27)年3月14日のダイヤ改正に伴い2号車の大半も指定席に変更され、自由席は2号車の8席および1・2号車のフリースペースのみとなった。a0057057_23234224.png外観・内装:旅客用車両としては珍しくロイヤルブラック一色に塗装されている。キハ40系気動車の暖地型の改造であるため、デッキはなく、ほかの近郊形気動車同様に、窓は開閉可能である。内装は難燃木材を使用していて暖かみのある内装となっている。のちに追加で改造されたキハ47 8092の内装は、登場時から運用されている車両に比べ明るい材質を使用している。車内は、既存の座席をすべて撤去しリクライニングシートを設置。トイレの新設、エアコンの変更(独立型のバス用クーラーから、屋上集中型への変更)なども行われている。コモンスペースとして車両中央に展望席を設置している。(「いさぶろう・しんぺい」にも、同様の設備を持つ車両がある。)1号車にはサービスコーナーもあり、オリジナル記念品や沿線の名産品などが車内で販売されている。またこの特急列車の誕生を記念して発売開始された駅弁「百年の旅物語かれい川」も販売されている(あらかじめ予約が必要)。

沿革:
2004(平成16)年3月13日:九州新幹線鹿児島ルート全線開業に合わせて運行開始。この時点では専用編成が2両(キハ147 1045・キハ140 2066)のみのため、ほぼ毎日運転していたが、臨時列車の扱いだった。
2006(平成18)年1月21日:キハ47 8092が専用車両に加わり、それまで使用されていたキハ140 2066は予備車・臨時列車用とされる。
 3月18日:定期列車に格上げ。
 12月13日:「人吉はやとの風」運行開始。「人吉はやとの風」には予備車のキハ140 2066が充当された。
2007(平成19)年10月29日:肥薩線での踏切事故の影響により専用車両が1両しか走行できなくなったため、11月に運行予定だった「人吉はやとの風」は運行中止。以降「人吉はやとの風」の設定はない。また定期列車の「はやとの風」は車両の修理が完了するまで、残った専用車1両を1号車(指定席)、普通列車用の車両を2号車(自由席)とし、2号車には乗車券のみで乗車可能の措置が取られた。
2012(平成24)年3月19日:キハ140 2066は「指宿のたまて箱」用に再改造され、2両体制に戻る。
2015(平成27)年3月14日:2号車の大半の座席を指定席に変更。
2018(平成30)年3月17日:定期運行を廃止し、土曜・休日および多客期運転の臨時列車となる。(注、写真は、乗車日が2018(平成30)年3月14日のため、定期運行されていた頃、平日のもの)

参考資料:Wikipedia「はやとの風」(最終更新:2018年4月9日)・・閲覧:2018年4月27日
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%A2%A8

現地取材:2018.3.14
記事投稿:2018:4.27

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# by fbox12 | 2018-04-27 23:56 | 鉄道・バス

第佰拾八 駒形神社 岩手県奥州市鎮座

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こまがたじんじゃ

a0057057_17262279.png鎮座地:岩手県奥州市水沢中上野町1-83(本社)
  岩手県胆沢郡金ケ崎町西根字駒ヶ岳(奥宮)
  岩手県胆沢郡金ケ崎町西根雛子沢13(里宮)

祭神:
駒形大神(主祭神:天照大御神・天常立尊・国狭立尊・吾勝尊・置瀬尊・彦火尊の6柱の総称)
神体:駒ヶ岳(神体山)
社格等:式内社(小)、旧国幣小社、神社本庁別表神社、陸中國一宮(新一宮)
本殿様式:三間社流造

概要:a0057057_10434581.pnga0057057_10401194.png
当社は駒ヶ岳の神霊を祀ったものとされるが、古くよりその神霊を人格神に比定する諸説が挙げられている。現在の6柱とする説は、雛子沢里宮の寛政9年(1797年)棟札や、仙台藩編纂の『安永風土記』に記載が見られる。これらは、中近世の神仏混交(*混淆)期において駒ヶ岳外輪山を各天神地祇に擬したことに由来すると見られている(最高峰の大日岳に天照大神、第2の駒ヶ岳に天照大神の子の吾勝尊、など)。
以上のほか、人格神を宇賀御魂大神・天照大神・天忍穂耳尊とする説、毛野氏の祖神とする説等がある。
a0057057_11010811.png祭神の駒形神は馬の守護神とされ、馬頭観音や大日如来と習合し、東日本の各地に勧請されて信仰されている。馬の守護神とされた背景は、古代に付近一帯が軍馬の産地であったことが考えられている。
境内と水沢公園(右写真)はヒガンザクラ系の桜の名所として知られ、老木の樹齢は250年から300年にも及ぶ。一帯は「駒形神社及び水沢公園のヒガン系桜群」として岩手県指定天然記念物に指定されている。

歴史:
a0057057_19513354.png当社は駒ヶ岳(焼石駒ヶ岳/駒形山)を祀る神社として、明治以前は駒ヶ岳山頂の本宮(奥宮)、北上市和賀町岩崎と金ケ崎町西根雛小沢の各里宮をして奉斎された。水沢の現在社(水沢本社)は明治36年(1903年)の新設である。それ以前の水沢本社の地は鹽竈神社(現 別境内別宮)の境内地であった。以下、駒形神社一般の歴史について概説する。
創建創建は不詳で、様々な伝承が現在に伝えられている。
社伝の1つでは、雄略天皇(第21代)21年に、籠神社(京都府宮津市)から宇賀御魂大神を勧請して山頂に祀り、里宮に大宜津比売神と事代主神を配祀したが、のちに前記6柱となったという。
別伝では、景行天皇(第12代)40年に日本武尊が東征に際し、蝦夷平定のために前記6柱を勧請・創建したという。また、坂上田村麻呂が当地で倒れた愛馬を祀ったが、のちに慈覚大師(円仁)が廻国した際にその駒形神を駒ヶ岳山頂に移して本宮を造営、さらに源義家が前九年の役の際に戦勝祈願をしたともいう。
別説として、上毛野(のちの上野国、現 群馬県)を根拠とする上毛野氏一族が当地に来住するにあたり、駒ヶ岳を上毛野氏氏神の赤城山(赤城神社)に擬して奉斎したとする説もある。その中で、休火山である赤城山の外輪山に「駒形山」が存在することから、毛野氏が上毛野氏と下毛野氏に分かれた後にそれぞれ勢力を北に伸ばし、外輪山を持つ山の中で二番目の高峰を赤城山になぞらえて「駒ヶ岳」または「駒形山」と名付け、駒形大神を祀ったとする。そして雄略天皇の時代に、上毛野氏が奥州において現在の「駒ヶ岳」を見出して名づけ、山頂に駒形大神を勧請したのが始まりであるとするものである。この説に従えば、駒形神社の祭神は赤城山の神と同一か、深い関連を持つ存在ということになる。
関連して、『続日本後紀』承和8年(841年)3月2日条には江刺郡擬大領として「上毛野胆沢公毛人」の名が見え、上毛野氏と胆沢との関わりが指摘される。
さらに赤城神社との関連では、源実朝が『金塊和歌集』において赤城神社を「からやしろ」と詠んでいることから、赤城神社は「から」すなわち中国や韓国に由来するともされるが、当時の朝鮮にあった高麗が「コマ」と呼ばれたことから、駒形という名称は、「高麗唐」すなわち「コマカラ」が「こまかた」のち「こまがた」に転訛したともいう。
関連して箱根神社の摂社である駒形神社では、朝鮮から高麗大神が勧請されたとしている。
なお奥宮は現在駒ヶ岳に鎮座するが、元々は駒ヶ岳南方で最高峰の大日岳(経塚山)山頂にあったとする伝承がある。

概史:
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国史では仁寿元年(851年)に「駒形神」の神階が正五位下に、貞観4年(862年)に従四位下に昇叙された旨の記事が見える。従四位下の神階は陸奥国内で最高位になる(陸奥国内で従四位下は計9社。駒形神社側ではこの神階について、駒形神社への坂上田村麻呂の崇敬が篤かった関係で、胆沢の鎮守府から神階を高くすべきとの申し出が何度もあったためと説明している。
また、延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では陸奥国胆沢郡に「駒形神社」と記載され、式内社に列している。駒形神社側の見解では、全国の駒形神社の中で当社と宮城県栗原郡の駒形根神社の2社のみが神名帳に記載があるという。
平安時代頃には、上記の坂上田村麻呂のほか、源頼義・義家や平泉の藤原氏の崇敬も篤かったと伝える。箱根神社の縁起には、藤原秀衡が銅を鋳て駒形の神の像を作り祀るなど、藤原氏の駒形大神への信仰の篤さが読み取れる記載があるという。
江戸時代の時点では、駒ヶ岳は仙台藩と盛岡藩の境界であり、里宮はそれぞれの藩内に1社ずつがあった。また、山頂の本宮(奥宮)は両藩によって20年目ごとに交互に建て替えがなされていた。
明治4年(1871年)、山頂の本宮(奥宮)が近代社格制度において国幣小社に列するにあたり、本宮・里宮とも参拝に不便であるとして、当時の水沢県県庁に近い鹽竈神社の本殿が仮遥拝所となされた(鹽竈神社は境内社の春日神社に遷座)。そして明治7年(1874年)、社殿が改修されて正式な遥拝所とされた。明治36年(1903年)に山頂の神霊が遥拝所に遷され、元は鹽竈神社のものであった社殿等一切は駒形神社に編入された。鹽竈神社は境内別宮であった春日神社に合祀され、社名が「春日神社」から「鹽竈神社」に改称されることとなった。
戦後は神社本庁の別表神社に列し、近年では陸中国一宮とも称されている。2010年(平成22年)8月1日、山頂の奥宮にある老朽化した社殿を解体し、新しく社殿を造営した。

神階:
仁寿元年(851年)9月2日、正五位下 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「駒形神」。
貞観4年(862年)6月18日、正五位下から従四位下 (『日本三代実録』) - 表記は「駒形神」。

摂末社:以下はいずれも本社境内社。
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別宮
鹽竈神社
祭神:鹽竈神(塩土老翁神・武甕槌神・経津主神)
 相殿に春日神(天児屋根神・比賣神・藤原鎌足朝臣)

駒形神社本社の新設以前より、当地に鎮座した神社である。
創建は不詳ながら、元々は石田・大明神の地にあったといい、一伝では康平5年(1062年)に源頼義・義家父子が石田・大明神の屋敷に社殿を造営し塩竈神を勧請したことに始まるという。
勧請元の鹽竈神社(宮城県塩竈市)は中世に留守氏の支配下にあったため、実際には寛文6年(1666年)に水沢城に入った留守宗利が勧請したことに始まると推測されている。
一伝では、留守宗利が再興、明和3年(1766年)に現在地に遷座したという。安政6年(1859年)の水沢大火で社殿は焼失したが、文久2年(1862年)に再興。のち当地に駒形神社が移るにあたって社殿を譲り、境内摂社の春日神社に遷座した。明治の一時期は駒形神社とは分割される独立社であったが、その後は駒形神社の境内別宮として推移している。

末社
a0057057_11450499.png山神社
祭神:木花開耶姫神・大山祇神
その他
a0057057_17561455.png水沢招魂社
祭神:
郷土出身の国事殉難者1099柱

かつては水沢公園内に鎮座した。明治11年(1878年)の伊勢神宮分霊の巡行に際して、水沢公園内にあった愛宕神社(安政6年(1859年)の水沢大火で焼失)の跡地上に行在所が建てられたことに始まる。
この行在所は明治42年(1909年)に招魂社に改められたが、その後荒廃し、駒形神社境内に遷座して現在に至っている。

この神社最寄りの駅・バス停:
JR東北新幹線・水沢江刺駅からタクシー
または、JR東北本線水沢駅から徒歩またはタクシー(バスは1日数本程度)

出典・参考:Wikipedia「駒形神社」(最終更新 2018年4月7日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%92%E5%BD%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE

現地参拝:29.6.25
記事投稿:30.4.24
  調整:30.4.27

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# by fbox12 | 2018-04-27 17:46 | 神社

Q&P KOWA i(キューピーコーワiドリンク)

a0057057_23122540.pngミニチュアボトルコレクション D-004

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# by fbox12 | 2018-04-26 23:13 | コレクション

261 中津駅 (大阪メトロ)

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a0057057_22390815.pnga0057057_22394879.png
a0057057_22434903.pngなかつ

所在地:大阪府大阪市北区中津一丁目13-19
所属・路線:大阪市高速電気軌道株式会社・御堂筋線
駅番号:M15
キロ程:5.4km(江坂起点)

概要:
阪急電鉄の中津駅とは約300m離れているため、乗り換えの案内はない。過去には阪神電気鉄道北大阪線も付近を通り、同線にも中津駅があったが(阪急の中津駅に近かった)、廃止され現存しない。
車内放送を含め、発音の際は「かつ」と、「な」を強調する京阪式アクセントを用いる。中津駅(日豊本線)のように「なかつ」ではない。

歴史:
1964年(昭和39年)9月24日 - 1号線(御堂筋線)梅田 - 新大阪間延伸開通と同時に開業。
1989年(平成元年)2月13日 - 合区により駅の所在地が大淀区から北区に変更となる。
2018年(平成30年)4月1日 - 大阪市交通局の民営化により、所属事業者・管轄が大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)に変更。

駅構造:
島式ホーム1面2線を有する地下駅である。構想当初は、天王寺駅と同じように2面3線のホーム計画であった。
ホームの幅員は7mで10両編成に対応しており、千里中央寄りにY字形の折り返し線がある。
改札口は新大阪寄りに北北改札および北南改札が、梅田寄りに南改札が設けられている。
昇降設備は、ホームから改札へは北南改札内にエレベーターがあり、南改札内に上りエスカレーターがある。改札から地上へは2番と5番出入口にエレベーターがあり、エスカレーターはない。
トイレは北北改札外横に女性用、北南改札内に男性用となっており、オストメイトに対応した多機能トイレがある。
南改札外にもトイレがある。
当駅は、梅田管区駅に所属し、駅長が配置され、西中島南方駅を管轄している。

のりば:a0057057_22585729.png
1番線 御堂筋線 梅田・なんば・天王寺・あびこ・なかもず方面(写真)
2番線 御堂筋線 新大阪・江坂・千里中央方面
天王寺方面からの列車のうち、朝夕時間帯の列車の約4分の1、21時以降の列車の約半数が当駅で折り返す。

バス路線:

a0057057_22580381.png大阪シティバス 地下鉄中津停留所34号系統:大阪駅前行き/守口車庫前行き

出典・参考:Wikipedia「中津駅(大阪市営地下鉄)」(最終更新 2018年4月17日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E9%A7%85_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E5%96%B6%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84)

現地取材:2018.3.-2
記事投稿:2018.4.23

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260 南方駅 (阪急)

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みなみかた

所在地:大阪市淀川区西中島三丁目17番3号
所属・路線:阪急電鉄株式会社・京都本線
駅番号:HK-61
キロ程:1.9km(十三起点)
乗換:西中島南方駅(大阪メトロ・御堂筋線)

概要:
すぐそばに大阪メトロ・御堂筋線の西中島南方駅があり(タイトル写真の高架が御堂筋線)、乗り換えが可能である。なお、地下鉄の駅名は「にしなかじま みなみがた」、阪急は「みなみかた」と、濁音・清音の違いがある。
歴史:
1921(大正10)年4月1日 - 北大阪電氣鐵道の十三驛 - 淡路驛 - 豊津驛間開通と同時に開業
1923(大正12)年4月1日 - 路線譲渡により新京阪鐵道の駅となる。
1930(昭和5)年9月15日 - 会社合併により京阪電氣鐵道十三線の駅となる。
1943(昭和18)年10月1日 - 阪神急行電鉄との会社合併により京阪神急行電鉄(1973(昭和48)年に阪急電鉄に社名変更)の駅となる。
1959(昭和34)年2月18日 - 十三線が京都本線に編入され、当駅もその所属となる。
1982(昭和57)年11月27日 - ダイヤ改正により、平日朝ラッシュ時に準急の運転を開始(下りのみ)、準急停車駅となる(当時の準急の停車駅は、
2007(平成19)年以降の準急の停車駅とは異なる)。
2001(平成13)年3月24日 - ダイヤ改正により準急が廃止され、普通のみの停車駅となる。
2007(平成19)年3月17日 - ダイヤ改正により準急停車駅となる。これに合わせて上り線ホームにLED式発車案内表示器を新設。
2010(平成22)年3月14日 - ダイヤ改正で新設された快速の停車駅となる。

駅構造:
相対式ホーム2面2線のホームを有する地上駅。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。改札口は上下線別で、各ホームに対して西端と中央付近の2か所に設けられている。改札内で両ホームを連絡する通路はない(上写真は上り改札口)。
売店(Lagare SHOP)は両ホームに設置されている。開業当初から長らくトイレは1号線ホームにしかなかったため、2号線ホームの乗客がトイレを利用する際は駅員の許可を得て、一旦改札を出て1号線ホームへ行く必要があり不便であったが、2009(平成21)年10月以降2号線ホームにもトイレが設置された。
両ホームとも、中央付近の改札は平日のラッシュ時間帯に使用される臨時改札(出口専用)であったが、バリアフリー対応のため、2008(平成20)年にエレベーターが設置された常設の改札口に改良された。
比較的狭い駅だが、新大阪駅近辺の開発が進み、オフィス街が構成された1970年代以降、駅の重要度は年々高まっている。2007(平成19)年のダイヤ改正で準急が停車することとなったが、これは、一日を通して運転される基幹的な優等列車としては初めての停車である。

のりば:
1号線 京都本線 上り 京都(河原町)・烏丸・北千里・嵐山方面
2号線 京都本線 下り 大阪(梅田)・十三・神戸・宝塚方面
※長らくのりば番号が設定されていなかったが、2007(平成19)3月17日のダイヤ改正に伴い割り当てられた。

踏切
新御堂筋の側道との交差場所に踏切がある(タイトル写真)。いわゆる開かずの踏切である。線路の真上に地下鉄御堂筋線と新御堂筋本線の高架橋があり、さらに駅から東400メートル先には東海道本線(JR京都線)の高架もあるため高架化は困難である。

乗車券払戻しの特例
大阪メトロへの連絡きっぷは天六(天神橋筋六丁目駅)経由で固定されており、梅田駅や南方駅での乗り換えはできないことが各駅に明記されているが、誤乗した利用客に対応するための特例として、天六経由の地下鉄連絡切符を南方駅2号線の自動精算機に投入すると、収受額から阪急線内の運賃を差し引いた残額が払い戻される。この時に発券される出場券には、「払戻額」が明記される。この場合、当然であるが隣接する大阪市営地下鉄西中島南方駅から目的駅までの乗車料金よりも前述の払戻額のほうが低額であったとしても、その差額は追加負担となる。なお、この特例は公式に知らされていないものの、かつては精算機付近にその旨が記述されていた。

出典参考:Wikipedia「南方駅」(最終更新:2018年4月17日)

現地取材:2018.3.-2
記事投稿:2018.4.21

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# by fbox12 | 2018-04-21 22:15 | 鉄道・バス

041 熱海駅 (JR東日本/JR東海)

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a0057057_22192376.pnga0057057_1336977.png

a0057057_21460027.pngあたみ

所在地:静岡県熱海市田原本町11-1
所属・路線:(在来線)東日本旅客鉄道株式会社・東海道本線/(新幹線)東海旅客鉄道株式会社・東海道新幹線
電報略号/事務管コード:アタ/460131

概要:
当駅は、静岡県東部に位置する温泉街熱海市の代表駅である。東海道新幹線と、在来線の東海道本線、伊東線の合計3線が乗り入れる。在来線における当駅の所属線は東海道本線である。
東京方面から見た場合、静岡県に入って最初の駅である(新幹線・在来線とも)。JR東日本とJR東海の共同使用駅であり、新幹線構内はJR東海新幹線鉄道事業本部が管理し、在来線構内はJR東日本横浜支社が管理・駅業務を行っている。
駅の開業は大正14(1925)年3月である。開業当初は國府津驛を起点とする熱海線の終着駅であったが、昭和9(1934)年12月に当駅西側の熱海 - 沼津間が開業し、東海道本線の中間駅となった。伊東線は翌年の昭和10(1935)年3月から乗り入れている。東海道新幹線の熱海駅は、新幹線が開業した昭和39(1964)年10月から存在する12駅のうちの一つである。
昭和62(1987)年3月まで、これらの路線はすべて日本国有鉄道(国鉄)の路線であったが、同年4月の国鉄分割民営化によって、在来線は当駅が旅客営業上のJR東日本とJR東海の会社境界駅となり、東海道本線の当駅以東(東京方面)と伊東線はJR東日本、東海道本線の当駅以西(静岡方面)はJR東海の管轄となった。ここで旅客営業上と断っているのは、鉄道資産の境界は当駅構内ではなく丹那トンネル東側坑口付近にある来宮駅上り場内信号機(来宮駅北西)のためであり、すなわち、東海道線上り列車を例としていえば、来宮駅-当駅間はJR東海の列車(車両は東日本の場合もある)がJR東日本の線に乗り入れているのである。依って、上記の共同使用駅の定義は、東海道新幹線と在来線の会社の違いによるもので、在来線熱海駅はあくまでもJR東日本の駅なのである。ちなみに、熱海止まり(来宮回送留置)の列車及び東海道本線熱海-函南間を運行する列車の乗務員時刻表には「来宮」の駅名(旧 信号所)が記載されている(こちらは、来宮駅に東海道線のホームがなく旅客扱いはできないため、あくまでも列車運転上の表示)。
在来線ではJR東日本の熱海運輸区が構内に存在するなど運行上の拠点でもあるため、当駅を経由するすべての旅客列車が客扱い停車していたが、平成21(2009)年3月14日のダイヤ改正で臨時列車とされた「ムーンライトながら」は運転停車扱いとなった。特急列車や一部普通列車(朝夕の沼津駅発着列車など)を除く大半の列車が当駅で系統が分離されている。
JR東海の管轄となっている新幹線は、各駅停車の「こだま」と、「ひかり」のうち、東京 - 岡山間の2往復と、上り広島発東京着の列車1本、下り東京発新大阪止まりの列車1本が停車している。
東海道本線は当駅を境に管轄会社が異なっているが、当駅では両方向とも「東海道線」(上り・下りの表記もあり)と案内されている。本稿でも必要に応じて、その案内方式に準じた表記も用いる。
IC乗車券「Suica」対応自動改札機も設置されているが、当駅で乗車・下車する場合は東海道本線の湯河原方か伊東線からのみ利用可能である。また、当駅から東海道本線の函南方に関しては、平成20(2008)3月1日よりSuicaとの相互利用が可能なIC乗車券「TOICA」が導入されたが、その利用エリアは当駅までではなく西隣の函南駅以西となっており、当駅と函南駅間(を含む経路の場合)は両方向ともIC乗車券のサービスエリア外となる(いわゆる「エリアまたぎ」)。
「エリアまたぎ」の区間では乗車券を購入する必要があり、ICカードの定期券も発売はされない。
*Suicaグリーン券は、小田原方面及び伊東方面のみ対応で、グリーン券発券機(自動券売機)の表示も同方面のみ表示される。
*注、運賃計算の特例として、列車の運行上同じ区間を往復する場合、その区間分の距離数は運賃計算に反映されないが、函南駅方面と伊豆多賀駅方面へ相互に直通する列車がなく、かつ、来宮駅は東海道線の駅としては定義されないため、必ず当駅経由(発駅-当駅-着駅)の運賃計算となる(来宮-熱海間の片道1.2kmが必ず上乗せになる・・例として、函南駅以西から来宮駅から先の駅まで乗車運賃など)。

歴史:
東海道本線は当初、小田原 - 熱海 - 三島の山岳地帯にトンネルを開削する技術がなかったこともあり、今の御殿場線ルートで建設された。そのルートから外れた小田原・熱海では、國府津驛より小田原電氣鐵道という路面電車で小田原市街へ、さらに豆相人車鐵道→熱海鐵道→大日本軌道→熱海軌道組合の人車軌道・軽便鉄道により熱海まで連絡を図った。
その後、御殿場経由は急勾配が存在し輸送力増強の障壁になることや、トンネル掘削の技術が進展したことなどから、当初見送られた熱海経由での路線整備が決定する。そして大正14(1925)年、熱海線として、熱海駅まで鉄道路線が開業して路面電車や軽便鉄道は全廃。昭和9(1934)年、丹那トンネルが開通すると熱海線は東海道本線となった。

年表:
a0057057_21574171.png明治27(1895)年 - 吉濱(現湯河原町内)まで豆相人車鐵道開通(翌年小田原延伸)
明治40(1907)年 - 豆相人車鐵道改め熱海鐵道により、小田原 - 熱海で蒸気機関車運転開始
大正12(1923)年9月1日 - 関東大震災のため、熱海鐵道より改めた熱海軌道組合線休止(後に廃止)
大正14(1925)年3月25日 - 鐵道省(日本国有鉄道の前身組織)により、熱海驛が開業(熱海線 湯河原 - 熱海間の開通と同時)。旅客・貨物営業開始
a0057057_227298.png昭和9(1934)年12月1日 - 熱海 - 沼津間の開通に伴い、熱海線は東海道本線に編入される。
昭和10(1935)年3月30日 - 伊東線 熱海 - 網代間開通
a0057057_16305120.png昭和39(1964)年10月1日 - 東海道新幹線開業、停車駅となる。
昭和41(1966)年9月1日 - 貨物取扱廃止
昭和49(1974)年 - 新幹線ホームに可動柵設置(新幹線で初)
昭和61(1986)年11月1日 - 荷物取扱廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、当駅を境に東海道本線(東京方面)・伊東線はJR東日本、東海道本線(静岡方面)・東海道新幹線はJR東海が継承。駅業務は在来線が東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海道新幹線は東海旅客鉄道(JR東海)が継承
平成13(2001)年11月18日 - JR東日本でICカード「Suica」の利用が可能となる。
平成18(2006)年 - 伊東線のCTC装置が当駅構内の進路制御も可能な装置に更新され、CTCセンターが来宮駅構内より当駅に移転
平成22(2010)年3月31日 - 熱海ラスカ(熱海駅デパート)閉鎖。12月下旬に解体工事完了
平成23(2011)年4月 - 9月 - 熱海駅バスターミナルにおいて、仮バス停の使用開始(4月1日から)。解体工事
 11月 - 仮駅舎完成、11月10日に一部使用開始。(NEWDAYSミニ熱海・BECK'S COFFEE SHOP熱海店)
 12月1日 - ドトールコーヒー熱海店閉店。熱海観光案内所移動開設
平成24(2012)年1月10日 - 旧ドトールコーヒー熱海店横にあった旅客トイレが1番線ホーム東京方へ移動。これに伴い静岡県警鉄道警察隊熱海分駐所も移動
 2月15日 - 駅前広場改良工事再開
 8月25日 - 足湯裏のコインロッカー使用停止。後日撤去された。
平成25(2013)年3月15日 - バス乗り場とタクシープール完成、使用開始
 12月12日 ‐ 熱海軽便鐵道7号機関車の移送作業が行われる。
平成26(2014)年10月26日 - 熱海駅新駅舎・駅ビル建て替え工事起工式が行われる。
平成27(2015)年3月25日 - 開業90周年。記念イベントが熱海駅仮駅舎前で行われた。
 11月29日 - 新駅舎(駅ビルを除く)使用開始
平成28(2016)年11月25日 - ラスカ熱海オープン

駅構造:
JR東日本が管轄する在来線駅(東海道本線・伊東線)は地上駅、JR東海が管轄する新幹線駅は高架駅である。

在来線
a0057057_17281084.pnga0057057_2232494.png

乗降設備は単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、合計3面5線のホームが設けられている。
構内の南側にかつて貨物線だった単式ホームがあり、その北側に島式ホームが並ぶ。ホームの番号は、単式ホーム側から1番線・2番線…の順で、5番線まである。そのうち、2番線が下り本線、5番線が上り本線となっている(単式ホームがなかった頃は、現在の中線(現在の3・4番線)が本線だった)。5番線北側には上りの副本線及び有効長5両編成2本程度の留置線(副本線横に1線、東京方トンネル前に1線)がある。
現在の配線・信号の関係は、
 1番線 - 入線は東京方、伊東線方双方から可能。出発は、伊東線方へ可能(上左写真左側)。
 2番線 - 東京方から入線。東海道下り及び伊東線方へ出発(上左写真右側)。
 3番線(中1番) - 入線・出発共いずれの方向から(へ)も可能(上右写真右側)。
 4番線(中2番) - 同上(通常、伊東線へ出発となる列車はないが、ダイヤ混乱のおり、伊東行きを入線させたことがある)(上右写真左側)。
 5番線 - 東海道線上り列車のみ。
なお、JR東日本の管理駅である都合上、JR東海が利用できるのは(上記3番線または4番線のいずれか)1線のみである。そのため事故・トラブルや大雨・落雷などでダイヤが乱れた場合、沼津方面からの列車がホームに入線できないため沼津駅や東田子の浦駅で打ち切りになることも発生する。
*以前、来宮駅の手前まで東海道線・伊東線が線路を共用していたころは、伊東線の列車も東海道上り線を走行していたため、現在の5番線へ入線することができた。

駅舎は1番線に隣接する場所に設置されている。平成22(2010)年3月31日までは駅ビルの「熱海駅デパート」が併設されていた。改札口は駅舎内の1か所のみで、改札口から各ホームに直結する地下道が存在する。
改札外にはJR東日本が営業するみどりの窓口に加え、コインロッカーと静岡銀行のATMが設置されている。観光案内所とエフエム熱海湯河原(Ciao)のサテライトスタジオも併設されていたが、一旦、仮駅舎に移動した後、新たにオープンしたラスカ熱海1階に再設置された。
構内に熱海CTCセンター(熱海運輸区の管理下)がある。JR東日本東海道本線の東京駅 - 湯河原駅間では東京圏輸送管理システム (ATOS) が導入されているが、当駅・来宮駅ならびに伊東線の運行管理・進路制御は熱海CTCセンターで行っている。
また、1番線ホーム上には、JR東海の乗務員詰め所が設置されている。
長らく、駅自動放送は平成4(1992)年から使用されている古いタイプ(東海道型)が使用されていたが、平成27(2015)年2月17日に新しいタイプ(旭型)に更新された。

のりば:
a0057057_14574392.png1番線 JR東日本 伊東線 伊東・伊豆急下田方面普通(当駅始発は1本を除きこのホーム)
2・3番線 JR東海 東海道線 下り 三島・沼津・静岡・浜松方面(一部は4番線から発車)
 JR東日本 伊東線 伊東・伊豆急下田方面特急と一部の普通
4・5番線 東海道線 上り 小田原・横浜・品川・東京・上野方面
a0057057_22185551.png (上野東京ライン含む、一部は3番線から発車(湯河原・平塚・大船・川崎方面)
在来線は旅客営業上JR東日本とJR東海の境界駅である。会社相互間を直通する普通列車は平成16(2004)年10月16日のダイヤ改正で大幅に削減され、朝夕の通勤時間帯と夜間を除いて当駅で乗り換えが必要となっている。乗り換え時間が短い場合でも、階段連絡でホーム間の移動が必要なことが多い。当駅始発の列車の中には、上野東京ライン・宇都宮線(東北本線)に直通し、宇都宮経由黒磯行きの直通列車も数本設定されている。

新幹線
a0057057_16532062.png新幹線乗降設備は待避線のない相対式ホーム2面2線の構造。ホーム上の乗り場番号は南側(在来線ホーム側)から6番線・7番線の順で付番されている。山肌に沿った高い位置にホームがあり、列車通過の際に危険がないようにホーム可動柵が設置されている。可動柵は昭和49(1974)年に新幹線初のものとして設置されたが、老朽化のため、上りホームは平成23(2011)年12月、下りホームは同24(2012)年7月に取り替えられ、開口幅や扉の位置も変更された。
当駅はスペースの都合で待避線が設置されなかったため、ダイヤ作成上のネックとなっている。その上、当駅付近から新丹那トンネルまでの区間内には最小曲線半径1500mという新幹線有数の急カーブが控えており、この影響で「のぞみ」を初めとする通過列車は最高速度185km/hに制限されている。この速度は、東海道新幹線の駅通過速度としては最も遅い。
JR東日本の地下道とJR東海新幹線コンコースの間には、乗換改札が設置されている。乗換改札口はかつて2か所あり、東京方は入口・出口兼用、新大阪方は出口専用だったが、平成9(1997)年のリニューアル工事で改札口が1か所に集約された。新幹線乗換口の在来線側にはJR東海が営業するみどりの窓口がある。
地形の関係上、新幹線独自の改札口は設けられておらず、JR東海の新幹線改札内へはJR東日本の在来線駅構内を経由しなければならない構造となっているため、JR東海のみが扱う乗車券・サービスを受ける旅客はJR東日本の改札口で「熱海駅構内通過票」の交付を受けた上で、JR東海のみどりの窓口まで出向く必要がある。EX-ICカードやプラスEXカードを所持している場合は、Suicaなどの都市圏のICカードをJR東日本の自動改札機にタッチさせた上で、新幹線の自動改札機に都市圏のICカードとEX-ICカードまたはプラスEXカードを2枚重ねてタッチすることで、新幹線ホームへの入出場が可能となっている。

のりば:
a0057057_16452677.png6番線 東海道新幹線 下り 名古屋・新大阪方面
7番線 東海道新幹線 上り 新横浜・東京方面


駅舎の建替え:
a0057057_15113967.png駅舎は老朽化が著しいことから、建替え工事がされ、平成28(2016)年11月25日にラスカ熱海が営業を開始した(この時点で、熱海市の駅前整備計画は完了していない)。
旧駅ビルラスカ(注、「ラスカ」の名称は関係者のみが使用していたもので、地元では「熱海駅デパート」と呼んでいた)は平成22(2010)年3月31日をもって店舗を閉鎖し、同年7月から建物の取り壊し工事を行い、11月まで行われた。これに伴い、熱海市では駅前の整備事業を行い、バスターミナルは2層化され、1階がたタクシープール、2階がバスターミナルとなった。旧タクシーのりばは旅館・ホテルの送迎車及び一般車の駐車場となった。また、JR東日本の保養所「いでゆ荘」も取り壊され、「ラスカ熱海」の駐車場となったほか、入口にあった熱海駅前交番も春日町バス停側に移設されている。
桃山方面へ向かう桃山ガードの連絡道も伊東線沿いに付け替えられ、一旦、バスターミナル横を通る形になった。


参考資料:Wikipedia(記事に古いものと新しいものが混在するため、確定部分のみに修正)
記事:
 取材:
 投稿:29.1.15
 調整:29.1.16/29.6.-5/30.4.20

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# by fbox12 | 2018-04-20 22:43 | 鉄道・バス

259 栗野駅 (JR九州)

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くりの

所在地:鹿児島県姶良郡湧水町木場667
所属・路線:九州旅客鉄道株式会社・肥薩線
キロ程:94.3km(八代起点)
電報略号/事務管コード:クリ/940202

概要:
1980年代当時、使用されなくなった貨物側線に米軍機による機銃掃射の弾痕があるレールが残っていた。肥薩線では、大隅横川駅に機銃掃射の弾痕のある柱が現存する。

歴史:
1903年(明治36年)9月5日 - 鹿児島線の横川驛(現在の大隅横川駅)から当駅までの延伸にともない開設
1908年(明治41年) - 飯野村白鳥まで森林軌道が敷設される。
1921年(大正10年)9月11日 - 山野軽便線が当駅から山野まで開業し分岐駅となる。
1922年(大正11年)9月2日 - 山野軽便線が山野線に改称
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により九州旅客鉄道が継承
1988年(昭和63年)2月1日 - 山野線が全線廃止となる。

駅構造:
a0057057_21592688.png島式ホーム1面2線を有する地上駅。駅舎に接している単式ホーム(1番線)はかつての山野線用で、現在は使われていない(写真「栗太郎館」の看板側)。
駅舎から島式ホームには跨線橋で連絡している(写真左側)。
のりばは駅舎側からそれぞれ2番線、3番線である。さらに跨線橋で駅のすぐ裏にある、丸池(名水百選:タイトル写真・・列車内から撮影のため、照明が写っている。・・線路の横に位置する)にも渡れるようになっている。
ホームには真幸駅と同じような、発車の合図の鐘が残っている。
駅舎はコンクリート造り平屋である。駅舎内部には待合所や出札口などがある。
簡易委託駅となっている。自動券売機は設置されておらず、早朝・夜間は車内精算となる。

のりば:
2番 肥薩線 上り 吉松・都城方面
3番 肥薩線 下り 隼人・鹿児島中央方面

出典:参考:Wikipedia「栗野駅」(最終更新:2018年2月9日)

現地取材:2018.3.14
記事投稿:2018.4.19
  調整:2018.4.20
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