fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

第佰貮拾 枚開神社 鹿児島県指宿市鎮座

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a0057057_21502211.pnga0057057_21580472.pngひらきき じんじゃ

鎮座地:
鹿児島県指宿市開聞十町1366
主祭神:
大日孁貴命(おおひるめのむちのみこと)
配祀神:
五男三女神を配祀。
明治時代以後は近隣の神社を合祀している。祭神については海神(わたつみのかみ)説もある。
社格等:
式内社(小)、薩摩國一宮、旧國幣小社、神社本庁別表神社
本殿様式:入母屋造銅板葺

歴史:
a0057057_22053769.png創始の年月日は社伝でも不明であり、かなり古くからあった神社と考えられている。元々は開聞岳を神体とする山岳信仰に根ざした神社であったと考えられる(右写真:神社横、県道から見える開聞岳)。
信頼できる史料での初出は『日本參代實録』貞観2年(860年)3月20日庚午条の神階昇叙記事で、この日に薩摩國従伍位上開聞神が従四位下を加えられた。
開聞神は、貞観8年(866年)4月7日に従四位上を授けられ、元慶6年(882年)10月9日に正四位下を授けられた。延長5年(927年)の『延喜式神名帖』には「薩摩國穎娃郡 枚聞神社」として記載され、式内社に列している。
鎌倉時代以降は新田神社(現 薩摩川内市)と薩摩國一宮の地位を巡って激しい争いを繰り広げるようになる。
戦国時代は嶋津氏の有力家臣であった頴娃氏の庇護下にあったが、元亀2年(1571年)に「証恩寺崩れ」と言われるお家騒動が起こり、その巻き添えとなって社殿を失った。
しかし、すぐに島津氏の庇護を受けて再興、同氏は当神社の籤により作戦を決めたという。
現在の社殿は慶長15年(1610年)に嶋津義弘が寄進したものを天明7年(1787年)に嶋津重豪が改築した物である。
外洋に面した立地から古くから「航海神」としても崇められ、江戸時代以降は琉球からの使節の崇敬も集めるようになった。
a0057057_22145102.pngしかし、江戸時代になると、宇佐八幡宮の五社別宮ともされていた新田神社の方が次第に重く扱われるようになったらしく、明治4年(1871年)5月に國幣小社に列したが、対して新田神社は同18年(1885年)に上位の國幣中社に列している。
第二次世界大戦後に近代社格制度が廃止されると、当社は神社本庁に参加、その別表神社に定められた。

神階:
貞観2年(860年)3月20日、従伍位上から従四位下 (『日本參代實録』)
貞観8年(866年)4月7日、従四位上 (『日本參代實録』)
元慶6年(882年)10月9日、正四位下 (『日本參代實録』)

境内:
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本殿方3間の入母屋造妻入で、屋根銅板葺、千木・鰹木を置き、正面に縋破風で1間の向拝を付ける。
平成2年(1990年)3月23日に鹿児島県の有形文化財に指定された。参道から本殿の方を向くと、本殿の屋根の上に開聞岳が位置する構造になっているが、現在は背後の樹木が繁茂して見通すことはできなくなっている。

この神社最寄の駅・バス停:
JR九州・指宿枕崎線 開聞駅・・徒歩約12分
鹿児島交通バス 神社前(停)・・開聞駅からの途中には開聞口(停)もある。

参考資料:Wikipedia「枚聞神社」(最終更新:2018年5月2日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9A%E8%81%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
閲覧:30.5.-3

現地参拝:30.3.13
記事投稿:30.5.-3
  調整:30.5.-6

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# by fbox12 | 2018-05-06 08:54 | 神社

265 弘前駅 (JR東日本/JR貨物/弘南鉄道)

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ひろさき

所在地:青森県弘前市大字表町
所属事業者:東日本旅客鉄道(JR東日本)
      日本貨物鉄道(JR貨物)
      弘南鉄道
乗り入れ路線:
JR東日本・JR貨物の奥羽本線(JR東日本が第一種鉄道事業者、JR貨物が第二種鉄道事業者)と、弘南鉄道の弘南線が乗り入れる。弘南線は当駅が起点である。JR東日本については、奥羽本線川部駅を起点とする五能線の全列車が当駅発着で運行されており、事実上2路線3方向の列車が利用できる。

歴史:
1894年(明治27年)12月1日 - 官設鉄道(逓信省鐵道局)の弘前驛(旅客駅)が中津軽郡和徳村に開業。
 12月11日 - 貨物の取扱を開始(一般駅となる)。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定、奥羽本線所属駅となる。
1927年(昭和2年)9月7日 - 弘南鐵道の弘南弘前驛開業。
1929年(昭和4年)12月- 2代目駅舎供用開始。
1949年(昭和24年)4月1日 - 鉄道公安室設置。
1971年(昭和46年)12月20日 - 弘前駅旅行センター開業。
1973年(昭和48年)6月13日 - 弘南弘前駅に自動券売機を2台設置。
1980年(昭和55年)11月1日 - 弘南弘前駅の出改札業務を委託化。
1981年(昭和56年)4月24日 - 3代目駅舎供用開始。
1982年(昭和57年)4月23日 - 駅ビル「アプリーズ」開業。
1986年(昭和61年)4月1日 - 弘南弘前駅が弘前駅に改称。
 11月1日 - 国鉄駅での荷物の取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄の駅は東日本旅客鉄道・日本貨物鉄道の駅となる。
1993年(平成5年)4月1日 - 「びゅうプラザ弘前」開業。
2002年(平成14年) - 東北の駅百選に選定される。
2004年(平成16年)12月12日 - 4代目駅舎供用開始、東西自由通路開通。発車メロディーに「津軽じょんから節」を採用。
2006年(平成18年) - JR弘前駅2番線・3番線の大鰐寄りホーム上にエアコン付待合室設置。
2008年(平成20年)3月22日 - JR弘前駅に自動改札機と指定席券売機設置。
2010年(平成22年)4月1日 - 大釈迦駅 - 津軽新城駅間各駅の管理が浪岡駅から当駅に変更となる。
2017年(平成29年)4月1日 - 浪岡駅の業務委託化に伴い同駅が管理下になる。

JR東日本

a0057057_23115118.pnga0057057_23124576.png
a0057057_23133594.png所在地:青森県弘前市大字表町1-1
所属路線:奥羽本線
キロ程:447.1km(福島起点)
電報略号/事務管コード:ヒロ/220884
駅形態:直営駅(管理駅)


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駅構造:
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単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを有する地上駅。構内西側にある単式ホームが1番線(上写真左:列車停車中)、構内東側にある島式ホームの内側が2番線(上写真右:列車停車中)、島式ホーム外側が3番線である。1番線と2番線の間にホームのない線路(下り本線)がある。上り本線は3番線(右写真:列車停車中)で、1番線は下り1番線、2番線は中線となっている。また、多数の側線がある。
橋上駅舎を有する(上写真に見える)。改札口は2階にあり、駅の東西を結ぶ自由通路「あずましろ〜ど」に面している。
駅舎内には駅事務室、みどりの窓口(営業時間:5時30分-22時00分)、びゅうプラザ(営業時間:平日10時30分-18時00分、土休日10時30分-17時00分)、タッチパネル式自動券売機3台、指定席券売機2台、待合所、売店(キオスク)自動改札機がある。
直営駅である。管理駅として、奥羽本線の津軽湯の沢駅 - 津軽新城駅間の各駅を管理している。
津軽地方の中心駅であり、青森県内の秋田支社管内駅を統括している。
中央口側1階には弘前市観光案内所・そば屋(キオスク)がある。2代目駅舎時代までは1番線ホーム上にそば屋(キオスク)・売店(キオスク)が、3代目駅舎時代までは2・3番線ホーム上にそば屋(伯養軒)・売店(伯養軒・旧キヨスク)があったが、現在はいずれのホームにも無い。また、3代目駅舎時代の待合室内では伯養軒が軽食コーナーや和食処を営業していた。
発車メロディは2004年12月12日より『津軽じょんから節』になった。なお、発車メロディは車掌操作となるため、ワンマン列車の場合は鳴らない。
接近放送は4点チャイムの後に接近案内放送が入る。列車到着時の駅名連呼は女性声で放送される。
電光掲示板はATOSエリアで使用されているものと同型のものが取り付けられているが、フォントはゴシック体である。

のりば:1・2・3番線 奥羽本線 下り 浪岡・新青森方面
                上り 大館・秋田方面
           五能線 五所川原・鰺ケ沢方面
1番線は奥羽本線下り列車、2番線は折り返し列車と五能線、3番線は奥羽本線上り列車が主に発着する。特急列車は青森方面行が1番線、秋田方面行が3番線となっている。
(写真参照:写真はすべて青森方から秋田方を捉えたもの)

弘南鉄道
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所在地:
青森県弘前市大字表町2-68
所属路線:弘南線
キロ程:0.0km(弘前起点)

駅構造:
頭端式ホーム1面2線を有する地上駅。ホームは1番線と2番線があるが、列車は主に1番線から発車する。
また、1番線には奥羽線からの非電化の渡り線があるため、購入した車両を搬入する際に使用される。
城東口側1階に自動券売機2台、出札窓口、改札口(有人)、事務室がある。
窓口では定期券・回数券・往復乗車券・硬券入場券を発売している。
改札は上り電車の到着後、乗客の降車が終了次第開始する。
3代目駅舎時代までは改札口は独立していたが跨線橋はJRと共用で、ホームの名称も4・5番線とJRからの続き番号だった。なお、以前は常時改札を行っており、ホーム上には待合室と売店・立ち食いそばおよび汲み取り式のトイレがあった。

のりば:
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1・2番線 弘南線 平賀・黒石方面
同じ弘南鉄道の路線である大鰐線中央弘前駅とは1km強離れており、バスや徒歩などでの連絡が必要となる。
また、上記駅名標はJR仕様のものだが、隣駅表示が「黒石」になっている。これは、「黒石方面」の意で、隣の駅は「弘前東高前」である。

貨物駅
JR貨物の駅は、旅客駅中央口北側にある。1面2線のコンテナホーム(ヤード)が設置されているほか、数本の留置線が敷設されている。
荷役線は、駅の着発線からいったん青森駅方面の西側へ伸びる引上げ線に入り、駅方向へ戻るように分岐している。
営業窓口のJR貨物弘前営業所が置かれている。なお駅業務・構内入換作業は八戸臨海鉄道に委託されている。
貨物列車は、1日1往復の高速貨物列車が青森信号場方面との間で運行されている。大館駅方面へ向かう列車や、専用貨物列車の発着はない。

取扱う貨物の種類:
コンテナ貨物 - 12ftコンテナのみを取り扱う。産業廃棄物・特別管理産業廃棄物の取扱許可を得ている。
1995年12月8日のダイヤ改正以前は車扱貨物も取り扱っていた。

参考資料:Wikipedia「弘前駅」(最終更新:2018年4月7日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%98%E5%89%8D%E9%A7%85閲覧:2018.5.-5現地取材:2017.6.25記事投稿:2018.5-5


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# by fbox12 | 2018-05-05 22:22 | 鉄道・バス

モアビタンDX5000

a0057057_22050937.pngミニチュアボトルコレクション D-005

販売名:モアビタンDX5000
品名:指定医薬部外品
原材料:
ローヤルゼリーエキス・リボフラビンリン酸エステルナトリウム・ピリドキシン塩酸塩・ニコチン酸アミド・タウリン・アスパラギン酸カリウム・マグネシュウム等量混合物・カルニチン塩化物・グリシン・L-リシン塩酸塩・L-アルギニン塩酸塩グルコン酸カルシウム水和物・無水カフェイン他添加物
容量:100ml

製造販売元:株式会社 廣貫堂(富山県富山市梅沢町2丁目9-1)

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# by fbox12 | 2018-05-02 22:05 | コレクション

第佰拾九 岩木山神社 青森県弘前市鎮座

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a0057057_10180674.pnga0057057_10484559.pnga0057057_10281599.pnga0057057_13431134.pnga0057057_10323755.pnga0057057_13283384.png
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いわきやま じんじゃ

鎮座地:青森県弘前市百沢字寺沢27
主祭神:顕国魂神(うつしくにたまのかみ)-大国主神
    多都比姫神(たつびひめのかみ)
    宇賀能売神(うかのめのかみ)
    大山祇神(おおやまつみのかみ)
    坂上刈田麿命(さかのうえのかりたまろのみこと)
 以上をまとめて岩木山大神(いわきやまおおかみ)と称する。

社格等:旧国幣小社、神社本庁別表神社、津軽国一宮(新一宮)
本殿様式:三間社流造銅瓦葺
別称:「お岩木さま」、「お山」、「奥日光」

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概要:
昔から農漁業の守護神として、津軽の開拓の神として、地元の人々の祖霊の鎮まるところとして、親しまれてきた。なお神社の参道は岩木山の登山道の一つとなっていることでも知られており、この神社の奥宮は岩木山の山頂付近にある。
社殿は、神仏習合の時代の名残りをとどめ、鎌倉時代以後の密教寺院の構造がみられる中に、桃山時代の様式を思わせる色とりどりの絵様彫刻がみられ、そうした外観が日光の東照宮を思わせるとして、「奥日光」と呼ばれるに至った。


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歴史:
創建については諸説があるが、最も古い説では、宝亀11年(780年)、岩木山の山頂に社殿を造営したのが起源とされる。延暦19年(800年)、岩木山大神の加護によって東北平定を為し得たとして、坂上田村麻呂が山頂に社殿を再建し、その後、十腰内地区に下居宮(おりいのみや=麓宮、現在の厳鬼山神社)が建立され、山頂の社は奥宮とされた。
また、田村麻呂は、父の刈田麿も合祀したとされる。寛治5年(1091年)、神宣により、下居宮を十腰内地区から岩木山東南麓の百沢地区に遷座し、百沢寺(ひゃくたくじ)と称したのが現在の岩木山神社となっている。
岩木山の山頂に阿弥陀・薬師・観音の3つの堂があり、真言宗百沢寺岩木山三所大権現と称して、付近の地頭や領主らに広く信仰された。
a0057057_10250918.png天正17年(1589年)、岩木山の噴火により、当時の百沢寺は全焼することとなり、以後、再建が進められることとなった。
江戸時代には津軽藩の総鎮守とされ、津軽為信・信牧・信義・信政らの寄進により社殿等の造営が進んだ。
特に、信義、信政のときに、現在の拝殿(当時は百沢寺の本堂とされた)や本殿(当時の下居宮)が再建された。
明治の神仏分離により寺院を廃止、津軽総鎮守・岩木山神社とされ、明治6年(1873年)、国幣小社に列格された。

境内:
現存する社殿や楼門は江戸時代初期から元禄時代にかけて代々の弘前藩主が造営・寄進したもので、本殿・拝殿・奥門・楼門等が重要文化財に指定されている。

a0057057_14034973.png本殿 - 三間社流造銅瓦葺。全面黒漆塗とする。元禄7年(1694年)建立。(写真:タイトルを含め5段目)
拝殿 - 桁行5間、梁間5間、入母屋造平入、とち葺形銅板葺。寛永17年(1640年)、神仏習合の時代に、百沢寺の本堂として建立された。(写真:タイトルを含め4段目右)
 天正17年(1589年)の岩木山の噴火により焼失したが、慶長8年(1603年)に津軽為信により再建が始まり、寛永17年(1640年)、津軽信義のときに現在のものが完成した。
楼門 - 寛永5年(1628年)、津軽信枚(のぶひら)により、百沢寺の山門として建立された。上層に十一面観音、五百羅漢像が祀られていたが、神仏分離による廃寺の際にそれらは姿を消し、階下に随神像を祀ることとなった。(写真:タイトルを含め2段目右)

摂社・末社:

白雲大龍神社
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a0057057_13474740.png稲荷社

a0057057_10362498.png出雲神社

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白龍神a0057057_10414341.png

この神社最寄りの駅・バス停:
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JR東日本・奥羽本線弘前駅(中央口)、弘南バス弘前バスターミナルより弘南バス枯木平行にて約40分、岩木山神社バス停下車。

参考資料:Wikipedia「岩木山神社」(最終更新:2018年3月3日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%9C%A8%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
  閲覧:2018.5.-2

現地参拝:29.6.25
記事投稿:30.5.-2



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# by fbox12 | 2018-05-02 15:00 | 神社

264 県庁前駅 (ゆいレール)

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けんちょうまえ

所在地:沖縄県那覇市久茂地一丁目103
所属・路線:沖縄都市モノレール株式会社・沖縄都市モノレール線
キロ程:5.91km(那覇空港起点)
駅番号:7

概要:
沖縄県庁および那覇市役所の最寄り駅である。計画当時の仮称は「御成橋駅(おなりばしえき)」であった。駅進入時の車内チャイムは、琉球民謡の「てぃんさぐぬ花」を編曲したもの。
ゆいレール開業当時の1日乗車券の券面の写真は当駅付近を撮影したものである。ただし、沖縄銀行の屋上に設置された看板や國場ビルの屋上看板にある「國場組」「日本航空」の文字やロゴ等は消されていた。後にゆいレールのイメージイラストを経て現在はQRコードつきの通常の切符のレイアウトに準じたものになっている。

歴史:
2003年(平成15年)8月10日 - 開業。

駅構造:島式ホーム1面2線。エスカレーター・エレベーターあり。パレットくもじに直結している。

のりば:
ホーム1 沖縄都市モノレール線 牧志・おもろまち・首里方面
ホーム2 沖縄都市モノレール線 小禄・那覇空港方面

参考資料:Wikipedia「県庁前駅(沖縄県)」(最終更新:2017年11月10日 )https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%8C%E5%BA%81%E5%89%8D%E9%A7%85_(%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C
閲覧:2018.5.-1現地取材:2017.5.16記事投稿:2018.5.-1
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263 吉松駅 (JR九州)

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よしまつ

所在地:鹿児島県姶良郡湧水町川西968
所属路線:九州旅客鉄道株式会社・肥薩線
電報略号/事務管コード:ヨマ/940201
キロ程:86.8km(八代起点)
駅形態:業務委託駅

概要:
JR九州・肥薩線に所属し、当駅を起点とする吉都線を加えた2路線が乗り入れる。かつて両線は鹿児島本線と日豊本線であり、この駅は幹線の分岐駅として賑わった。特急「はやとの風」の始発・終着駅であるとともに、人吉駅・熊本駅まで走る観光列車「いさぶろう・しんぺい」号の始発・終着駅でもある。

歴史:
明治30年代ごろにおいては、鹿児嶋懸と、既に鉄道が敷設されている九州北部とを結ぶことが必須の課題となっていた。そこで九州鐵道の路線が八代驛まで開通を見ていたため、この八代と鹿児嶋懸を結ぶ計画が立てられた。八代と鹿児嶋をどう結ぶかについては、海岸線周りの案と山中を進む案とがあったが、結局最初にとられたのは山中を進む案であった。これには「海岸線に線路を敷設しては危険」との、軍の意向が関係したともいわれている。
まず明治34年(1901年)6月10日に鹿児嶋線として鹿児嶋驛から國分驛(現在の隼人駅)までが開通した。これは九州で初めての官設鉄道である。ついで明治36年(1903年)1月15日には國分驛からさらに橫川驛(現在の大隅横川駅)までの延伸が成った。そして同じ明治36年(1903年)の9月5日に、橫川驛からこの𠮷松驛までさらに延伸となって、このとき当駅は開業する。
一方の八代側では明治41年(1908年)6月1日に八代驛から人𠮷驛までが開業したが、問題は南九州中央部の山岳地帯を貫く、人𠮷驛からこの𠮷松驛までの間であった。ここに線路を敷くのは困難を極めたが、それでもスイッチバックやループ線等をいくつも取り入れた線路の敷き方によって、明治42年(1909年)11月21日、遂に人𠮷驛からこの𠮷松驛までの間が開業し、この開通を以って鹿児嶋から福岡(博多驛)、門司(現 門司港駅)までが一本の線路でつながり、さらに關門連絡船を経由して大阪、東京にもつながることとなった。今でも吉松駅前にはこれを記念する「肥薩鐵道開通記念碑」が機関車の動輪とともに設けられている。
門司から八代、人𠮷、𠮷松をへて鹿児嶋までは人𠮷から𠮷松までの開通とともに鹿児嶋本線となった。
大正元年(1912年)10月1日には、同じく鉄道網から外れていた宮崎懸とこの𠮷松驛を結ぶために宮崎線が小林町驛(現在の小林駅)まで開通する。
宮崎線はその後大正2年(1913年)5月11日に谷頭驛まで、同じ年の10月8日に都城驛まで延伸を果たした。
その後も少しずつ線路を伸ばして行き、大正5年(1916年)の10月25日には宮崎驛まで全通し、その後宮崎本線とされたのち、小倉驛から𠮷松驛までが日豐本線とされたため、その一部となった。
このころ𠮷松は熊本方面・宮崎方面・鹿児嶋方面からの線路が一つに集まる交通の要衝として繁栄を見せていた。
人だけではなく物資の流れの中心地ともなって、駅附近にはさまざまなこれらの人々、物たちを対象とする商売が盛んに行われた。
また吉松は附近の路線の管理を一手に引き受ける駅となっており𠮷松機関区もおかれていたので、鉄道関係の職員もこの町には多く住んでいたという。
しかし鹿児嶋本線においては、人𠮷と𠮷松の間の急勾配を避けるため海岸回りの路線の工事が着々と進み、昭和2年(1927年)10月17日の湯浦驛から水俣驛までの開通を以って、海岸線周りの八代驛から鹿児嶋驛までが全通、こちらが鹿児嶋本線の一部となって、同時に八代驛から鹿児嶋驛までの従来の鹿児嶋本線は肥薩線という一支線に格下げとなった。
また日豐本線においても、都城驛から現在の隼人駅までを海岸回りで通す路線の建設が行われ、昭和7年(1932年)の12月6日に大隅大川原驛から霧島神宮驛までの開通によってこちらも全通、日豐本線の一部となり、𠮷松から都城まではこれも一つの支線たる𠮷都線に格下げとなってしまった。
それからのこの駅は𠮷都線と肥薩線、二つの小さなローカル線の接続駅としての役目を持つに過ぎない。
この駅は昭和62年(1987年)の4月1日に国鉄の分割民営化により九州旅客鉄道の駅となり、その後平成4年(1992年)6月1日には構内に霧島高原鉄道事業部が発足したが、平成20年(2008年)4月1日に鹿児島鉄道事業部と統合し霧島高原鉄道事業部は廃止となった。

年表:
1903年(明治36年)9月5日 - 鹿児嶋線の橫川驛(現在の大隅横川駅)から当駅までの延伸にともない𠮷松驛として開業する。
1909年(明治42年)11月21日 - 当駅から人𠮷驛までが開通する。同時に門司驛から当駅を経て鹿児嶋驛までが鹿児嶋本線とされる。
1912年(大正元年)10月1日 - 宮崎線が当駅から小林町驛(現在の小林駅)まで開通し接続駅となる。
1917年(大正6年)9月21日 - 宮崎懸営鐵道の国有化により当駅から宮崎驛をへて広瀨驛(現在の佐土原駅)までが宮崎本線とされる。
1923年(大正12年)12月15日 - 市棚驛から重岡驛までの開通により豐州本線と宮崎本線の小倉驛から宮崎驛を経て当駅までが日豐本線とされる。
1927年(昭和2年)10月17日 - 鹿児嶋本線の八代驛から当駅を経て隼人驛までが肥薩線として分離される。
1932年(昭和7年)12月6日 - 日豐本線の当駅から都城驛までが𠮷都線として分離される。
1968年(昭和43年)4月13日 - 現在の鉄筋コンクリート二階建ての駅舎が落成。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化に伴い九州旅客鉄道に継承される。
1992年(平成4年)6月1日 - 構内に霧島高原鉄道事業部が発足。
1996年(平成8年)3月16日 - 肥薩線の当駅から人吉駅までの列車のうち1往復を観光列車「いさぶろう・しんぺい」として運行開始。
2000年(平成12年)3月11日 - 急行「えびの」運行廃止。
2004年(平成16年)3月13日 - 特急「はやとの風」運転開始。
2007年(平成19年)11月30日 - 吉松駅横の石倉(燃料庫)と駅前の保存車両(蒸気機関車「C5552号」)が南九州近代化産業遺産群の物資輸送関連遺産の1つとして選ばれる。
2008年(平成20年)4月1日 - 霧島高原鉄道事業部を廃止(鹿児島鉄道事業部に統合)。

駅構造:
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北方より来た肥薩線に、東から吉都線が寄り添う形で構内に入る。地上駅で島式ホーム2面4線とかつての幹線の要衝らしい規模である。
駅舎とホームは真幸方(北側)の跨線橋により行き来できる。駅舎に接して、既に使われなくなった単式ホームがある(左写真「はやとの風」の左側)。
現在の駅舎(=2代目)は昭和43年(1968年)4月に落成したもので、鉄筋コンクリート2階建てで、1階部分に待合所や改札口・切符売り場などがある(上駅舎写真)。
なお以前(=初代)は木造駅舎であった。
a0057057_22380673.png改札上の運賃表には真幸駅・矢岳駅・大畑駅への運賃が書かれていないが、これは当駅との間を乗り降りする人がほとんどいないためである。
当駅の窓口では、真幸駅の記念入場券(右写真:裏側・・表側は「真幸駅」のページに表示予定)や「鶴丸 - 吉松 - 真幸」と縁起の良い駅名の並ぶ記念乗車券も発売されている。改札外に待合所がありここには囲炉裏の付いた座敷がある。
肥薩線および吉都線のCTCセンターが併設されている。
このCTCセンターでの列車の運行管理や駅構内の車両入換え・運転士労務管理などの運転関係業務はJR九州鹿児島鉄道事業部吉松運輸センター社員が行い、出改札業務のみ子会社であるJR九州鉄道営業へ委託となっている。
マルス(みどりの窓口)はないが感熱式POS端末が設置されている(上入場券、乗車券面参照)。なお、自動券売機は設置されておらず、早朝・夜間は車内精算となる(つまり、通常の切符は上記のPOS券のみ)。
1・2番のりばのホーム上には売店があり、特急「はやとの風」運転開始を機に駅弁(幕の内弁当)の販売を再開した。また全国的に珍しくなった駅弁の立ち売りが行われている。

のりば:
1~3番のりば 肥薩線上り 人吉・熊本方面
           下り 隼人・鹿児島中央方面
        吉都線 都城・宮崎方面
4番線は現在は留置線として扱われている。

参考資料:Wikipedia「吉松駅」(最終更新:2018.4.14)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9D%BE%E9%A7%85
  閲覧:2018.4.27

現地取材:2018.3.14
記事投稿:2018.4.30
  調整:2018.5.-1

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# by fbox12 | 2018-05-01 16:46 | 鉄道・バス

262 梅田駅 (阪急/阪神/Osaka Metro)

うめだ


概要:
各鉄道事業者の梅田駅および大阪駅・北新地駅・東梅田駅・西梅田駅は、それぞれ離れた場所に別々の駅舎を持つ独立した駅であるが、地下街などを介して相互に乗換え可能で、キタ・梅田のターミナルを形成している。
かつては日本貨物鉄道(JR貨物)の梅田駅(通称: 梅田貨物駅、現在の梅田信号場)も近隣を通る梅田貨物線上に設けられていた。
各梅田駅は、大阪駅を中心とすると、北東に阪急の梅田駅、東に地下鉄の梅田駅、南に阪神の梅田駅が位置し、そして北西にJR貨物の梅田駅が存在していた。また、地下鉄梅田駅の東に東梅田駅、阪神梅田駅の西に西梅田駅、阪神梅田駅の南に北新地駅がある。

乗り入れ路線:
-01 阪神電気鉄道 - 駅番号は HS 01 本線 - 当駅が起点。
-02 阪急電鉄 - 駅番号は HK-01 神戸本線 - 当駅が起点。
   宝塚本線 - 当駅が起点。
   京都本線 - 戸籍上の起点は十三駅だが、十三駅を発着する全列車が乗り入れる。
-03 Osaka Metro 御堂筋線 - 駅番号は M16

その他、以下の駅とも乗り換えが可能である。
西日本旅客鉄道(JR西日本)
 大阪環状線、JR京都線・JR神戸線(東海道本線)、JR宝塚線(福知山線)- 以上、大阪駅
 JR東西線 - 北新地駅・・阪急との乗り換えには12分程度の時間を要する。
Osaka Metro
 谷町線 - 東梅田駅(駅番号:T20)
 四つ橋線 - 西梅田駅 (駅番号:Y11)・・阪急との乗り換えには10分程度の時間を要する。

阪神や阪急では大阪側のターミナル駅であることを強調するため、「大阪」と並列して呼称することがある。
阪神の車内アナウンスは「次は、大阪梅田、梅田、終点です」となっており、阪急では行先表示板を使用していた1980年代までは電車の行先案内は「大阪⇔京都」のように記載され、かつては「大阪梅田駅」と呼んでいたこともあった。
これは他社のターミナル駅である天満橋駅などでも見られ、中には大阪阿部野橋駅や大阪上本町駅のように正式駅名に「大阪」を含んだ例も存在する。
これらは、戦前の各私鉄の路線敷設期に当時の大阪市内中心部である北浜や本町付近にターミナル駅を設けられなかったことに起因する。
当時、大阪市は市電を始め地下鉄網の路線拡充、建設を図っていたために、私鉄線の市内中心部への乗り入れには大反対で、当時の鐵道省に路線免許を認めさせないように強硬に働きかけていた(市営モンロー主義)。
この為に当時の市内周辺部にしかターミナル駅を設けられなかったことから、現在の私鉄線各ターミナル駅名の頭に「大阪」が付くようになったのである。
その後、現在に至って Osaka Metro(旧 大阪市交通局の地下鉄)がその各ターミナル間を結ぶことになっているのは一種の皮肉とも言える。
会社ごと、あるいは位置ごとに分ける意味で「阪神梅田駅」「阪急梅田駅」と呼ぶこともある。同様にして阪神と阪急に同一の駅名がある神戸三宮駅、春日野道駅、御影駅、も「阪神○○」「阪急○○」と案内されることが多い。
これは神戸高速鉄道を介して阪急電鉄、阪神電気鉄道、山陽電気鉄道の3社が相互乗り入れしているためである。高速神戸駅以西を始発としている列車が同一ホームから発車することから、ことさらに強調されてアナウンスされたためである。
これに関連して、山陽電気鉄道の5000系車両の行先表示では「梅田」ではなく「阪神梅田」と表示される。また、阪神の直通特急対応車両には「梅田」「阪神梅田」両方の行先表示が入っている。山陽電車の車内アナウンスは「阪神、大阪梅田行…」である(駅構内アナウンスでは「大阪」をつけず単に「阪神梅田」と呼ぶ)。
阪神なんば線から近鉄奈良線に直通する電車の尼崎駅到着時のアナウンスでは、大阪難波駅があるにもかかわらず、「大阪方面へお越しの方は…」と梅田を省略する場合がある。また、武庫川駅以西での快速急行の停車駅の自動放送による案内では、大阪難波駅も大阪上本町駅も大阪を省略する一方で、「野田、大阪梅田終点にお越しの方は…」と梅田には頭に必ず大阪を付けている。
また、新大阪駅の在来線コンコースには「大阪駅(梅田)へは15・16番のりば…」という掲示がある。
北梅田駅大阪駅付近で梅田貨物線を通過する特急「はるか」・「くろしお」などに梅田界隈から乗降できるようにするため、現在の梅田貨物線を地下線にした上で、より大阪駅に近接した位置に「北梅田駅」(仮称)を開設する計画がある。
地下線にする理由は、現在梅田貨物線となにわ筋の交点に設置された踏切などで渋滞が発生しやすいため、それを解消する目的も兼ねている。
なお、おおさか東線の列車も北梅田駅まで乗り入れる予定。
JR貨物の梅田駅跡地(うめきた2期開発区域)が2014(平成26)年度中に更地化されるのを受けて、2015(平成27)年頃に梅田貨物線地下新線建設工事に着手し、併せて新駅を設置して2023年頃の開業を目指すことになった。
(以上、参考資料:Wikipedia「梅田駅」最終更新 2018年4月2日)

-03 Osaka Metro
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所在地:大阪府大阪市北区角田町8-6
所属・路線:大阪市高速電気軌道株式会社・御堂筋線
駅番号:M16キロ程:6.4km(江坂起点)

概要:
かつては、終電の1本前を中津駅、終電を新大阪駅までそれぞれ回送夜間留置するため2本が当駅止まりとなっていたが、2013(平成25)年3月23日のダイヤ改正で回送列車をそのまま営業列車として運行するようになったため、現在当駅止まりの列車は設定されていない。また江坂方面への始発電車の設定もされていた(のちに天王寺駅発に変更)。
谷町線東梅田駅、四つ橋線西梅田駅とは同一駅扱いであり、以下のような乗り継ぎ制度がある。
乗車券は西梅田駅、東梅田駅とも相互に使用でき、定期券はいずれの方向に乗車しても区間外となる場合を含めて3駅とも入出場することができる。
乗車する駅以外で普通乗車券を購入した場合も自動改札機を通過することが可能。たとえば、御堂筋線に乗車するのに誤って西梅田駅で乗車券を購入した場合は、その乗車券を梅田駅の自動改札機に通して通過できる。乗り換えが30分以内ならば乗り継ぎ乗車料金で乗車可能である。30分を越えると適用外となり、改めて初乗り乗車料金からの計算となる。
梅田駅までの運賃と同一の普通乗車券で乗り継ぎをする場合は、淀屋橋寄りの改札口にある緑色の自動改札機に限り通過することができる。それ以外の機械を通過する場合はあらかじめ精算機で『乗継乗車券』に引き換えなければならない。また、梅田駅までの乗車料金よりも少ない普通乗車券の場合は精算機で梅田駅までの乗車料金を一旦精算することで『乗継乗車券』に引き換えなければならない。ただし、この乗継乗車券は最終降車駅では差額精算することができる。阪急との連絡乗車券(天神橋筋六丁目駅経由指定)を利用する場合は、梅田駅での乗り継ぎはできない。

歴史:
1933年(昭和8年)に仮駅で開業、1935年(昭和10年)に本駅が完成した。開業当初は1両での運行だったが、将来の輸送量増加を見込み、ホームの有効長は189m、幅は9.1mの島式ホームが建設された。これは、開業当初の車両の大きさで12両編成に対応できる有効長であった。しかし、戦後はそのような巨大なホームをもってしても急激な輸送人員の増加に対応できず、ラッシュ時には改札制限が常態化するなど、当駅は終日激しい混雑に見舞われるようになった。そこで、混雑の解消と乗降人員の増加に対応するため、1988年(昭和63年)から改造工事に着手した。太平洋戦争前から2号線(谷町線)用に準備されていたものの同線の建設ルート変更に伴い放置されていたトンネルを転用して、幅12mのなかもず方面行き新ホームが造られることになり、1989年(平成元年)に完成した。従来のなかもず方面の線路もホームに改造された結果、ホームの幅は9.1mから24.5mまで拡幅された。1番線ホームと2番線ホームの間に壁があるのはこのためである。改良工事は1991(平成3)年に完成し、コンコースも拡幅された。千里中央方面行きのホームに立つと旧なかもず方面行きの位置が現在でも分かる構造になっており、千里中央方面行き列車の梅田到着直前に右側の窓を眺めると僅かながら蛍光灯に照らされた旧なかもず方面行きの線路跡を確認することができる。

1933(昭和8)年5月20日 - 仮駅開業
1935(昭和10)年10月6日 - 本駅開業。仮駅廃止
1980(昭和55)年10月 - 自動改札機導入
1988(昭和63)年3月 - 改造工事に着手
1989(平成元)年11月5日 - なかもず方面行き新ホーム供用開始。ホーム幅が9.1mから24.5mに拡幅し、有効長197mに延長
1991(平成3)年3月 - 改造工事完成
2003(平成15)年 - 第4回近畿の駅百選に選定
2012(平成24)年2月22日 - 午前9時頃、F階段下倉庫内で火災が発生。午前10時40分頃まで御堂筋線全線で運転を見合わせる。その後運転を再開したが、当駅構内は一時閉鎖され、閉鎖が解除されるまで御堂筋線の全列車が当駅を通過した。乗客は全員無事であったが、駅員ら17人が煙を吸引し軽症を負った。
2014(平成26)年4月4日 - 駅ナカ商業施設「ekimo梅田」開業
2015(平成27)年10月6日 ‐ 2番線南側のアーチ天井の大改修完了。各調光設備をLED照明に変更し、さらにホーム中央部にはデジタルサイネージが4カ所12面設置された。
2018(平成30)年4月1日 - 大阪市交通局の民営化により、所属事業者・管轄が大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)に変更

駅構造:
島式ホーム1面2線を有する地下駅である。ホームの幅は、1番線が12m、2番線が12.5mであり、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の駅では最大の24.5mが確保されている。1番線と2番線の間は壁で仕切られているが、壁に開いた出入口によって往来が可能。改札口はホーム新大阪寄りの「北改札」、ホーム中程付近の「中改札」、ホーム難波寄りの「南改札」がある。中改札と南改札の間には、駅ナカ商業施設である ekimo梅田があり、14の店舗が並んでいる。
当駅は梅田管区駅に所属し、同管区駅長(副駅長駐在)が当駅のみの単駅管理となっている。

のりば:
1番線 御堂筋線 なんば・天王寺・あびこ・なかもず方面
2番線 御堂筋線 新大阪・江坂・千里中央方面

駅北側中津方には上下線を繋ぐ片渡り線が設置されている。

本稿、阪急、阪神の梅田駅については準備中

参考資料:Wikipedia「梅田駅(大阪市交通局)」(最終更新:2018年4月17日)・・2018年4月28日閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%94%B0%E9%A7%85_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E5%96%B6%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84)
Wikipedia「梅田駅」(最終更新:2018年4月2日)・・2018年4月28日閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%94%B0%E9%A7%85

現地取材:2018.3.-2他
記事投稿:2018.4.28

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# by fbox12 | 2018-04-28 21:32 | 鉄道・バス