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鉄8 6号御料車

鉄道記念物

a0057057_21344993.png整理番号:鉄8
所在:博物館明治村
 愛知県犬山市字内山1
指定:鉄道記念物 1959年(昭和34年)指定第8号

基本情報:
運用者 内閣鐵道院 → 国鉄
製造所:内閣鐵道院新𣘺工場

6号御料車は、明治天皇の御乗用として1910年(明治43年)10月29日に内閣鐵道院新𣘺工場で製造されたものである。
モニター屋根の木造車で、台車は3軸ボギー台車を装着している。全長は20.728m、最大幅は2.642m、車体幅は2.59m、自重は35.6t(改造後は33.01t)で、当時としては最大級の大きさである。また台枠の側梁は、中央部がふくらんだ魚腹形で、外観上の特徴となっている。

a0057057_21361627.png外装は、チーク材を張り深紅色の漆塗りとしており、御座所の中央部には菊の御紋章を配して、その両側に桐の紋章を取り付け、周囲に菊や桐の小紋を描き、御座所の窓の上には、桐の紋を中央に鳳凰が向い合った浮き彫りが取り付けられている。また軒部には歯形の軒飾りが取り付けられ、金粉で飾られている。車体は、魚腹形の台枠部を含めて多数の金線で装飾されている。
車内は、前位側から大膳室、侍従室、御座所、侍従室、寝室、厠となっており、その前後に出入り台、侍従室に天皇が乗降車するための出入口、御座所の背後には侍従室同士を繋ぐ側通路が設けられている。御座所は、長さ5.424m、幅は1.889mで、それまでに製造された御料車中最大の広さである。天井は格天井式で、菊花を亀甲形に配した蜀江錦張りで、妻の櫛形には、菊の御紋章を挟んで両側に鳳凰の飾りを配した七宝の飾りがつけられている。腰部には深紅色のビロードを用い、前後の引戸には黄色、薄臙脂色の漆塗りに桐と鳳凰と蝶の図を螺鈿と高蒔絵で描いており、まさに美術工芸の極致といった感がある。
このように本車は、内装、外装とも御料車中最も壮麗なものとして評価が高く、7号御料車落成後も、同車に大膳室がないこともあって大正天皇が頻繁に御乗用とした。
昭和となってからは使用されず、大井工場の御料車庫に保管された。太平洋戦争中の1945年(昭和20年)5月24日、空襲により同庫に焼夷弾が命中した際、後部侍従室(側廊下側)外板の一部を少し焦がしたが、内部に被害はなかった。1959年(昭和34年)10月に廃車され、鉄道記念物に指定されたが、1966年(昭和41年)、5号御料車とともに博物館明治村で展示することとなり、大井工場で外装の再整備が行われた。このとき、外板は漆塗りからカシウ塗りとなったが、車体の金線は製造時のままに再現されている。本車は同年7月10日夜、大崎駅から臨時列車で明治村に送られた。
以上、出典:Wikipedia「皇室用客車#6号御料車」(一部加筆)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E7%94%A8%E5%AE%A2%E8%BB%8A#6%E5%8F%B7%E5%BE%A1%E6%96%99%E8%BB%8A

筆者レポート「明治村展示、御料車の矛盾」(5号御料車に掲載記事を一部訂正し再掲)
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明治村の展示は、「復元」(現在の材料などで当時の姿を再現する。すなわち、建築物ならば「新築」)ではなくて、「復原」(修理・修繕を施し、改造されていれば改造前の姿に戻して、当時の姿を再現する)がコンセプトである。
建物などではかなり忠実にそのことを貫いているいるように思えるが、5号御料車とこの御料車についていえば、あえて「復原」された、とは言い難いのである。
というのも、車端に付いている連結器は「自動連結器」という名のものである。(上左写真)
この連結器はそれまでの「ネジ式の緩衝連結器」(上右写真・・1号機関車に付いている連結器)に代わり 1925年(昭和10年)、全国一斉に交換されたもので、現在でも貨車など一部で使用されているが、明治・大正の頃にはアメリカ製の車両など位置を除いて存在しない。
加えて、連結器横のブレーキホースも現代のものである。
なぜ明治の車輛に現代のものが付いているのかと言えば、実はこの2輌の車両、1966年(昭和41年)に東京の国鉄大井工場で外装の再整備が行われ、工場に近い山手線の大崎駅から臨時列車として明治村へ送られた経緯がある。
すなわち、自動連結器とブレーキホースなどはその移送の際に機関車にけん引されるため取り付けられたもの(どちらの車輛も大正時代に休車となり、大井工場内の御料車庫に保管されていて、この移送のとき以外、自動連結器などを装着した状態で線路上を走行したことはない)で、外装も明治の頃の漆塗りから*カシュウ塗りにより修復されに明治の頃の姿ではないのである。
(もともと、6号御料車は落成が 1910年(明治43年)10月29日で、明治の時代は2年程度しか在籍していない)。

ただ、明治村側の擁護をすれば、この展示物をはじめとする展示物の多くは、あえて明治村側が要望したものではなく、特に国鉄から来た展示物は当時、東京オリンピック(1964年(昭和39年))を控え新幹線などのため多額の借金をして、その財政がひっ迫し始めた国鉄がある意味持て余していたものをトップダウンによって、半ば押し付け気味に明治村へ持って来られた。
時の総理大臣は運輸官僚(元は国鉄職員)出身の佐藤栄作であり、国鉄側の車輛事情としては、このときすでに昭和天皇ご乗車用として1号御料車(3代目)編成が落成(1960年(昭和35年))運行を開始しており、正直、これ以前の歴史的車輛は廃車にするにはしのびないが、自社にて保存をする余裕がなかったのである。

*カシュウ塗り・・カシュウナッツの殻から絞り出した油を塗料とした塗装。一見して漆塗りと見分けがつかない。

引用:2018.2 筆者某大学でのレポート(一部改訂)

by fbox12 | 2018-11-17 21:58 | 文化産業遺産

近8 肥薩線矢岳駅

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指定:近代化産業遺産 2007年(平成19年)11月30日
近代化産業遺産群32.九州南部における産業創出とこれを支えた電源開発・物資輸送の歩みを物語る近代化産業遺産群

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整理番号:近8 物資輸送関連遺産・肥薩線(矢岳駅)
矢岳駅「SL展示館」保存蒸気機関車D51170号

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by fbox12 | 2018-11-16 21:40 | 文化産業遺産

287 矢岳駅 (JR九州)

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やたけ

所在地:熊本県人吉市矢岳町4706
所属・路線:九州旅客鉄道株式会社(JR九州)・肥薩線
キロ程:71.7km(八代起点)
電報略号/事務管コード:ヤケ / 930216
駅形態:無人駅

概要:
a0057057_21171213.png矢岳駅は、JR肥薩線の山線と呼ばれる険しい区間にある駅の一つで、肥薩線で最も高く標高約536.9mの地点に位置する。2000年3月12日のダイヤ改正で急行「えびの」が廃止されるまでは急行停車駅であった。
歴史:
a0057057_21204819.png1909年(明治42年)11月21日 - 鹿児嶋本線の一部として内閣鐵道院が開設。
1927年(昭和2年)10月17日 - 海岸ルート(川内本線)全通に伴い肥薩線所属駅となる。
1972年(昭和47年) - 構内にSL展示館開設。(写真)
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR九州が継承。
2007年(平成19年)11月30日 - 矢岳駅とSL展示館の保存車(蒸気機関車D51 170)が南九州近代化産業遺産群の物資輸送関連遺産の1つとして選ばれる。
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駅構造:
単式ホーム1面1線のみの地上駅。かつては列車同士の行き違いも可能な設備を有していた。無人駅だが、日本三大車窓に数えられる観光区間に位置するため、駅舎の待合室には駅ノートが設置されている。また汲み取り式便所が設置されている。
駅構内には蒸気機関車(SL)の展示館があり、D51 170が展示されている。並べて展示されていた58654(8620形)は、1988年(昭和63年)に現役復帰した。
開業当時の旧駅長官舎が現存しており、JR九州は改修して2019年(平成31年)3月より宿泊施設として営業する計画である。

出典・参考:Wikipedia「矢岳駅」(最終更新 2018年10月20日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%B2%B3%E9%A7%85

現地取材:2018.3.14
記事投稿:2018.11.13

by fbox12 | 2018-11-13 22:02 | 鉄道・バス

鉄7 5号御料車

鉄道記念物

a0057057_21091557.png整理番号:鉄7
所在:博物館明治村
 愛知県犬山市字内山1
指定:鉄道記念物 1959年(昭和34年)指定第7号

基本情報:運用者 鐵道作業局 → 国鉄
製造所:鐵道作業局新𣘺工場

5号御料車は、明治天皇の皇后(昭憲皇太后)の御乗用として1902年(明治35年)3月、鐵道作業局新𣘺工場で製造された。
計画自体は、3号御料車(初代)と同時に行われたものであるが、着工が3号御料車の完成後となったため、完成が遅れたものである。
二重屋根の木造車で、全長は16.129m、最大幅は2.654m、高さは3.337m、自重は19.13t(改造後は21.94t)で、3号御料車、4号御料車と同じである。
1912年(明治45年)の形式図によれば、本車は軸距4ft9inの3軸ボギー台車を装着しているが、大正時代に出入り台を開放式から密閉式に改造した際に、現在装着している2軸ボギー台車(明治45年度基本型)に交換したものと思われる。
騒音防止のため本車にはブレーキ装置は装備されていないが、3軸ボギー時代の形式図には「真空ブレーキ」と記されている。
車内は、前位から大膳室(調理室)、女官室、御座所、寝室、厠、供奉員室に分かれ、女官室の両側に皇后が乗降するための扉がある。御座所は車体の中央部に配置され、内装は欅材で、天井は桐柾板で構成されている。
中央部には、玉座用として桑材彫刻の大型ソファが置かれている。
外板は、製造当初は深紅色のペンキ塗りであったが、1915年(大正4年) - 1916年(大正5年)頃に同色の漆塗りに改められている。
1916年に8号御料車が完成すると休車となり、大井工場の御料車庫に保管されていたが、1959年(昭和34年)10月には、鉄道記念物(第7号)に指定された。
1966年(昭和41年)に国鉄大井工場で外装のみ再塗装し(塗料は、漆ではなくカシウが使われた)、6号御料車とともに愛知県犬山市に開設された博物館明治村に移され、同年7月から同村内に移築された「鉄道局新橋工場」内で一般公開されている。

ここまで、出典・参考:Wikipedia「皇室用客車#5号御料車}
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E7%94%A8%E5%AE%A2%E8%BB%8A#5%E5%8F%B7%E5%BE%A1%E6%96%99%E8%BB%8A
閲覧:2018.11.8

明治村展示、御料車の矛盾
明治村の展示は、「復元」(現在の材料などで当時の姿を再現する。すなわち、建築物ならば「新築」)ではなくて、「復原」(修理・修繕を施し、改造されていれば改造前の姿に戻して、当時の姿を再現する)がコンセプトである。
建物などではかなり忠実にそのことを貫いているいるように思えるが、6号御料車とこの御料車についていえば、あえて「復原」された、とは言い難いのである。
というのも、車端に付いている連結器は「自動連結器」という名のものである。
この連結器はそれまでの「ネジ式の緩衝連結器」(明治村「蒸気機関車12号」や客車に付いている連結器)に代わり 1925年(昭和10年)、全国一斉に交換されたもので、現在でも貨車など一部で使用されているが、明治・大正の頃にはアメリカ製の車両など位置を除いて存在しない。
加えて、連結器横のブレーキホースも現代のものである。
なぜ明治の車輛に現代のものが付いているのかと言えば、実はこの2輌の車両、1966年(昭和41年)に東京の国鉄大井工場で外装の再整備が行われ、工場に近い山手線の大崎駅から臨時列車として明治村へ送られた経緯がある。
すなわち、自動連結器とブレーキホースなどはその移送の際に機関車にけん引されるため取り付けられたもの(どちらの車輛も大正時代に休車となり、大井工場内の御料車庫に保管されていて、この移送のとき以外、自動連結器などを装着した状態で線路上を走行したことはない)で、外装も明治の頃の漆塗りから*カシュウ塗りにより修復されに明治の頃の姿ではないのである。
(もともと、6号御料車は落成が 1910年(明治43年)10月29日で、明治の時代は2年程度しか在籍していない)。

ただ、明治村側の擁護をすれば、この展示物をはじめとする展示物の多くは、あえて明治村側が要望したものではなく、特に国鉄から来た展示物は当時、東京オリンピック(1964年(昭和39年))を控え新幹線などのため多額の借金をして、その財政がひっ迫し始めた国鉄がある意味持て余していたものをトップダウンによって、半ば押し付け気味に明治村へ持って来られた。
時の総理大臣は運輸官僚(元は国鉄職員)出身の佐藤栄作であり、国鉄側の車輛事情としては、このときすでに昭和天皇ご乗車用として1号御料車(3代目)編成が落成(1960年(昭和35年))運行を開始しており、正直、これ以前の歴史的車輛は廃車にするにはしのびないが、自社にて保存をする余裕がなかったのである。

*カシュウ塗り・・カシュウナッツの殻から絞り出した油を塗料とした塗装。一見して漆塗りと見分けがつかない。

引用:2018.2 筆者某大学でのレポート(一部改訂)


by fbox12 | 2018-11-08 21:51 | 文化産業遺産