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286 大畑駅 (JR九州)

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a0057057_21163715.pnga0057057_21201360.png
a0057057_21244286.pngおこば

所在地:熊本県人吉市大野町
所属・路線:九州旅客鉄道株式会社(JR九州)・肥薩線
キロ程:62.2km(八代起点)
電報略号/事務管コード:オコ / 930215
駅形態:無人駅・スイッチバック駅

概要:
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肥薩線の山線と呼ばれる険しい区間にある駅。また日本で唯一、ループ線の中にスイッチバックを併せ持つ駅としても知られる。
「こば」とは焼畑を意味した言葉で、その昔大きな焼畑があったことからこの地名が付けられたという説がある。
開業当時に走っていた蒸気機関車のために設けられた、信号所と給水所としての役割が大きかった駅で、現在でも駅の周りには人家がなく、大畑の集落に出るには徒歩1時間近くかかる。
人吉駅から連続した勾配を登ってきた蒸気機関車は、この駅で給水をする必要があった。また機関士たちのみならず、トンネルの連続で乗客達も煤で顔や手が汚れるため、駅のホームにある湧水の洗顔場で洗っていたという。
人吉駅から大畑駅まで、D51形蒸気機関車で1トンもの石炭を消費し、1分間に250リットルもの水をボイラーに送り続けていたという。特に、1927年(昭和2年)まではこのルートが鹿児嶋本線とされ、多くの重量貨物列車が往来していた。
当駅で一休みした列車は、さらに険しい矢岳駅への勾配へ挑んでいった。
スイッチバックを併せ持ったのは勾配途中に平坦な場所を設け、そこに停車場を建設するためだった。
2000年(平成12年)3月11日まで、急行えびのが停車していた。

歴史年表:
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1909年(明治42年)12月26日 - 鹿児嶋本線所属駅として内閣鐵道院が開設。
1927年(昭和2年)10月17日 - 海岸ルート(川内本線)全通に伴い肥薩線所属に変更。
1986年(昭和61年)11月1日 - 電子閉塞装置導入により無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2007年(平成19年)11月30日 - 大畑駅、周辺の鉄道施設遺産、石造りの給水塔(右写真)、および朝顔型噴水が南九州近代化産業遺産群の物資輸送関連遺産の1つとして選ばれる。
2018年(平成30年)9月8日 - 駅構内の旧保線詰所跡を改装したレストランが開業。駅構造:a0057057_21125170.png通過不可能なスイッチバック構造で、かつて運転されていた優等列車も必ず停車しなければならなかった。ただし、特急「おおよど」は運転停車のため、客扱いは行わなかった。
a0057057_21142126.png駅は島式ホーム1面2線を持ち、ホームから構内踏切を渡って駅舎に行くことができる。木造の駅舎(上2段目の写真)は開業当時のもので、周りの駅とよく似ているが、当駅のみ観光列車「いさぶろう・しんぺい」のリニューアルにあわせて窓枠を木造に戻すなど、開業当初の雰囲気を再現する改装が行われた。現在は無人駅である(入場券は有人駅時代のもの)。

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のりば:
1番のりば 肥薩線 下り 吉松・鹿児島方面・・鹿児島方面は吉松にて乗換(「しんぺい号」が停車中)
2番のりば 肥薩線 上り 人吉・熊本方面
近年では人吉駅以北へ直通する列車の設定がなかったが、2016年(平成28年)3月のダイヤ改正より、「いさぶろう1号」及び「しんぺい4号」が熊本駅まで、普通列車上下各1本が八代駅まで直通する。

出典・参考:Wikipedia「大畑駅」(最終更新 2018年10月8日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%95%91%E9%A7%85
閲覧:2018.10.26

現地取材:2018.3.14
記事投稿:2018.10.28

by fbox12 | 2018-10-28 21:22 | 鉄道・バス

近5 JR鶴見線

近代化産業遺産

17.『重工業化のフロントランナー』京浜工業地帯発展の歩みを物語る近代化産業遺産群

京浜工業地帯のインフラ施設 JR鶴見線

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JR鶴見線は、東京地区の電車特定区間の路線の一つであり、鶴見から横浜・川崎市内の京浜工業地帯へ向かう短い路線である。3つの路線から構成されており、沿線は工場が多く、旅客列車はそれらの工場への通勤客が主に利用する。
また旅客列車のほか、貨物列車が日本貨物鉄道(JR貨物)によって運転されている。

参考:Wikipedia「鶴見線」(最終更新 2018年7月5日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E8%A6%8B%E7%B7%9A
閲覧:2018.10.-4

記事投稿:2018.10.-5
  調整:2018.10.13

by fbox12 | 2018-10-13 21:00 | 文化産業遺産

JR大社線 <路線廃止> / 912 大社駅 (JR西日本)

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大社線(たいしゃせん)は、かつて島根県出雲市の出雲市駅から同県簸川郡大社町(現在は出雲市)の大社駅までを結んでいた西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。

概要:
出雲大社への参詣路線として京都・大阪方面などからの直通列車も運行されていたが、国鉄分割民営化前の昭和60(1985)年からは線内折り返しの普通列車のみ運行されていた。国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継されたが、昭和62(1987)年に特定地方交通線第3次廃止対象線区として承認され、平成2(1990)年4月1日に廃止された。 廃線前の輸送密度は2,661人/日で、路線バスに転換された特定地方交通線の中ではもっとも高かった。

a0057057_15543648.png廃止後は一畑電気鉄道による代替バスに転換され、現在は一畑バスに引き継がれている。また、和風木造の大社駅舎(左)は、国の重要文化財・島根県有形文化財に指定され現在も保存されている。線路跡は出雲市駅 - 荒茅駅までの区間がサイクリングロードとなっており(途中、出雲高松駅跡の先からしばらくは通行不能)、出雲高松駅、荒茅駅ともにプラットホームが残されている。
平成6(1994)年12月3日より平成10(1998)年3月13日まで出雲市駅から1キロほどの廃線跡が、出雲市駅高架化工事のため仮線として使用されていた。




路線データ:
 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
 区間(営業キロ):出雲市駅 - 大社駅間 7.5km
 軌間:1067mm
 駅数:4駅(出雲市・出雲高松・荒茅・大社)
 複線区間:なし(全線単線)
 電化区間:なし(全線非電化)

運行形態:
廃止直前の時点で、線内折り返しの普通列車のみおおむね1時間毎の運転で、1日15往復の列車が設定されていた。
出雲大社への参詣路線という性格から、他線と直通する列車が開業直後から運行されていたが、地域輸送が中心となった実体を反映して、昭和60(1985)年3月に他線に直通する列車は廃止された。1980年代頃の主な直通列車として、名古屋駅 - 大社駅間の急行「大社」や大阪駅 - 大社駅間の急行「だいせん」などがある。

歴史:
明治45(1912)年6月1日:出雲今市驛(現在の出雲市駅) - 大社驛駅間(4.7M≒7.56km)開業。大社驛開業。
大正元(1912)年11月15日:朝山驛開業
昭和7(1932)年5月10日:朝山驛、出雲高松驛に改称
昭和32(1957)年4月1日:出雲今市駅、出雲市駅に改称
昭和33(1958)年4月1日:荒茅駅開業
昭和ア49(1974)年10月1日:貨物営業廃止
昭和62(1987)年2月3日:第3次特定地方交通線として廃止承認
 4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継
平成2(1990)年4月1日:全線廃止。一畑電気鉄道バスに転換

駅一覧:
(全駅島根県出雲市に所在。ただし、大社駅の所在は廃止時点では簸川郡大社町)。
 駅名  駅間キロ 営業キロ接続路線
 出雲市駅  西日本旅客鉄道:山陰本線/一畑電気鉄道:北松江線(電鉄出雲市駅)
 出雲高松駅 3.5  3.5
 荒茅駅   1.5  5.0
 大社駅   2.5  7.5

(以上、出典:Wikipedia「大社線」(最終更新 2016年6月12日)


912 大社駅 (JR西日本) <路線廃止>
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たいしゃ

所在地:島根県簸川郡大社町北荒木(廃止時:現 出雲市)
所属・路線:西日本旅客鉄道株式会社・大社線 <路線廃止>
電報略号 / 事務管コード:タシ / 641903

歴史:
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明治45(1912)年6月1日 - 内閣鐵道院大社線 出雲今市驛(現 出雲市駅) - 当駅間の開通と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始
大正13(1924)年2月28日 - 二代目駅舎竣工
昭和49(1974)年10月1日 - 貨物取扱廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる。
平成2(1990)年4月1日 - 廃止
平成13(2001)年7月 - 旧大社町合併50周年を記念し、旧JR大社駅整備事業として出雲大社神苑内からD51形774号機関車を構内に移設展示(上右写真:大社線廃止時に旧大社町がJR西日本から教育用資料として無償貸与され、出雲大社神苑内に展示していたもの。昭和17(1942)年9月7日製造)。
平成16(2004)年(平成16年) - 駅舎、重要文化財に指定
平成21(2009)年2月6日 - 近代化産業遺産に認定

駅構造:
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廃止当時、島式・相対式ホーム2面3線を持つ地上駅であった。なお、これら3線はホームの末端で1線に収束した後、その先に車止めが設置されていたが、その引上げ線はかなり距離が長く、道路と交差する部分もあり、踏切も設置されていた。出雲大社の膝元であることから、昭和26(1951)年 - 昭和36(1961)年までの間は東京直通の急行列車「出雲」が運行されていた。その後も1980年代まで「大社」や「だいせん」といった急行列車や、参詣者の団体臨時列車などが乗り入れてきていたため、ホームは非常に長い。
a0057057_17412958.png駅舎は中央本線高尾駅の北口駅舎を設計した曽田甚蔵が設計したもので伊東忠太がお墨付きを与えたとも言われていた。しかし、大社線廃止後、駅舎の屋根裏調査で上棟式の棟板が発見されて設計者は、当時の神戸鐵道管理局の技手、丹羽三雄であったことが、判明した。大正13(1924)年2月28日に竣工した二代目駅舎で、木造平屋441平方メートル、出雲大社を模したつくりである。団体専用の改札口などもあったが、廃止後もホームや駅の掲示などもすべて当時のまま残されている。平成16(2004)年に国の重要文化財に指定された。また当駅とは対照的なモダンな西洋建築である一畑電車出雲大社前駅とともに近代化産業遺産(続33)にも認定されている。

この施設への交通:
一畑電車出雲大社前から徒歩または一畑バス(JR出雲市駅他から)旧JR大社駅

(以上、出典:Wikipedia「大社駅」(最終更新 2016年11月4日)

現地取材:2016.9.-7

記事投稿:2016.11.-8
  調整:2018.10.-3

by fbox12 | 2018-10-03 21:49 | 鉄道・バス

1006 土山サービスエリア (NEXCO中日本)

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所在地:滋賀県甲賀市土山町南土山1122-74
所属・路線:中日本高速道路株式会社・新名神高速道路
本線標識の表記(よみ):土山(つちやま)
位置:新四日市JCT起点 33.9km
   ◄[3]亀山西JCT(10.5km) - 土山SA - (3.0km)[4] 甲賀土山IC►

概要:
中日本高速道路(NEXCO中日本)管轄路線にあるサービスエリア・パーキングエリアはNEXCO中日本グループのグループ会社である中日本エクシスが管理・運営するが、当SAは甲賀市や近江鉄道(西武グループ)などが出資する第三セクターの「土山ハイウェイサービス株式会社」が管理・運営する。新名神高速道路亀山JCT-草津田上ICの開通に伴い、平成20(2008)年2月23日に開業した。
当SAは日本で2番目の規模になる予定であったが、国土開発幹線自動車道建設会議で新名神高速道路の建設コスト縮減が決定され当初の予定の半分の面積(上下線を併せた総面積は174,600㎡)に縮小されている。もともと下り線専用スペースとなる場所に上下線の駐車場と施設が配置され、上り線専用駐車場になる予定であった用地はアスファルトプラントなどの工事用施設が撤去された後は空き地のままとなった。
施設は東名高速道路浜名湖SA等と同種の上下線集約型の特殊構造となっており、高速道路本線の南側に位置する。下り線側のランプ部は一般的な上下線分離型のSA・PAとほぼ同一の構造であるが、上り線側本線流出ランプは本線から進行方向左側へ分岐したのち、本線と下り線流入ランプを跨道橋(土山ランプ橋)で越え、SA南側へ廻り込み東側から駐車場へ接続する。また、上り線の本線流入は駐車場西側から下り線流入ランプと本線をアンダーパスし上り本線に接続する。
一般道路側には施設利用者とパークアンドバスライド利用者のために来客用駐車場を完備しており、一般道路と施設間に連絡通路を設け歩行者と車椅子利用者の往来が可能となっている。国道1号の蟹が坂交差点には、当駐車場の案内看板が設置されている。
下り線方向に甲賀土山ICがあるためか、当SA名称を「甲賀土山SA」と誤表記される場合がある(また、甲賀土山ICのことを「土山IC」と誤表記される場合もある)。
SA内に設置されているガソリンスタンドは、上下線ともにセルフ式である。また、NEXCO3社管内の高速道路では初のコンビニエンスストアのセブン-イレブンが出店している。
ユニバーサルデザインを基調とした設計がされており、トイレ棟においては外国語案内表記、点字案内、多機能化等の配慮がされ、敷地内に遊歩道やドッグランを整備すると共に「ペット用水飲み場」や「ペット用トイレ」等を設けている。また、遊歩道に太陽光発電照明を導入し、夏季におけるトイレ屋上部の屋上緑化等多種の環境負荷軽減策を取り入れている。
NEXCO中日本が推進する完全分煙化対策に合わせ、トイレ棟西側に新たな喫煙室が平成21(2009)年8月10日に完成した。これにより、開業以来運用してきたセンター棟の喫煙室を同年11月3日に廃止し、廃止後の空きスペースに京都の和雑貨を取り扱う「京都くろちく土山サービスエリア店」が同年11月13日にオープンした。

歴史:
平成20(2008)年2月11日 : 竣工式挙行
 2月23日 : 新名神高速道路亀山JCT-草津田上ICの開通に伴い開業
 3月20日 : 土山バスストップ開設
 11月1日 : 当施設へのアクセスとなる甲賀市コミュニティバス(あいこうかデマンドバス)「土山サービスエリア口」停留所開設、当路線運行開始
平成21(2009)年6月29日 : ソフトバンクモバイルの基地局設置工事開始
 7月17日 : 外部電源式アイドリングストップ給電スタンドの完成式を13時30分より挙行し、15時より使用開始
 7月25日 : トイレ棟西側に館外喫煙室の新設工事開始
 8月10日 : 館外喫煙室完成
 8月12日 : コンシェルジュのカウンターに携帯電話充電器設置
 8月26日 : 郵便ポスト設置
 9月1日 : 郵便ポスト利用開始
 11月3日 : センター棟内喫煙室廃止
 11月13日 : センター棟内喫煙室廃止後の空きスペースに「京都くろちく」オープン
 12月21日 : ソフトバンクモバイル基地局開通
平成22(2010))年1月25日 : NTT基地局設置工事開始

a0057057_22443590.png1004-01 下り 草津・大津京都方面

 GS:昭和シェル(24時間)
 
a0057057_22473885.png1004-02 上り 亀山・伊勢・名古屋方面

 GS:昭和シェル(24時間)
 コンビニ:セブン-イレブン(24時間)

出典・参考:Wikipedia「土山サービスエリア」(最終更新 2016年8月6日)

現地取材:2016.3.-6/2016.3.-7
取材以外利用:2016.8.16/2016.9.-7他
記事投稿:2016.11.29
  調整:2018.10.-3(同時整理番号調整)

by fbox12 | 2018-10-03 21:21 | 鉄道・バス

174 草薙駅 (静鉄)

a0057057_22291248.pnga0057057_22295433.pnga0057057_22305248.pnga0057057_22311877.png
a0057057_22320508.pngくさなぎ
所在地:静岡県静岡市清水区草薙一丁目
所属・路線:静岡鉄道株式会社・静岡清水線
駅番号:S10
キロ程:6.4km(新静岡起点)
乗換:JR東海道本線・草薙駅

概要:
JR東海道本線の草薙駅へは徒歩3分ほどの距離があるが、静岡清水線各駅でJR駅に最も至近な駅である。(ただし、JR・静鉄双方とも、乗換の案内は行っていない)。

駅構造:
上りホーム踏切脇にある男女別の水洗式便所は改札内からのみ利用できるが、駅係員に申し出る(早朝・夜間はインターホンを使用し、その指示に従う)ことで改札外からも利用可能(駅頭の自動券売機上部にピクトグラム掲示あり)。

a0057057_22470314.pngのりば:
1番線 静岡清水線(下り) 桜橋・新清水方面(写真:電車が発車した側)
2番線 静岡清水線(上り)長沼・新静岡方面(反対側)


出典・参考資料:Wikipedia「草薙駅(静岡鉄道)」(最終更新:2017年11月10日)

現地取材:1977.12.-4/1992.8.25/2006.2.19他
記事投稿:2018.2.27
  調整:2018.10.-3(同時整理番号変更 872→)

by fbox12 | 2018-10-03 18:09 | 鉄道・バス

911 汐留(しおどめ)驛(←新𣘺(初代)) (国鉄) <路線区間廃止>

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a0057057_23152612.png所在地:東京都港区東新橋一丁目
所属・路線:日本国有鉄道・東海道本線(廃止時)

概要:
旧暦、明治5年9月12日(新暦、1872年10月14日)に日本最初の鉄道路線の起点として開業した新𣘺驛(初代)がこの駅の始まりである。リチャード・ブリジェンスの設計による木造石張り2階建ての西洋建築の駅舎があり、長らく東京のターミナル駅として機能していた。また明治6(1873)年9月には、当駅と横濱驛(初代:現在の桜木町駅)との間で日本初の貨物列車の運行が開始された。1日1往復の運行で、イギリス製の有蓋車や無蓋車を使用していたという。
しかし、大正3(1914)年12月20日に旅客ターミナル駅の機能が新設の東京驛に移り、旅客営業が廃止された。駅構内が広大だった当駅は貨物駅として再使用されることになり、汐留驛と改称し、同時に、電車線の駅であった烏森驛が、新𣘺驛(二代目)と改称している。なお、駅名改称に反対した人もいた。また、歴史ある駅舎を利用して鉄道博物館を建設するという構想もあった。
大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災により開業時からの駅舎は焼失したが、昭和9(1934)年3月に鉄筋コンクリート2階建ての駅舎に建て替えられた。
昭和34(1959)年に当駅 - 梅田駅(現、JR西日本・梅田信号場)間で日本初のコンテナ専用貨物列車「たから号」が運転されるようになり、昭和39(1964)年には小荷物取扱を開始した。東海道・山陽方面へ向かう貨物列車・荷物列車のターミナル駅として君臨し続けたが、荷物輸送が宅配便の登場で衰退し、貨物輸送はコンテナ列車中心に変化していく。駅敷地が狭く増加するコンテナの取扱量に対応できず、やがて鉄道による荷物輸送が昭和61(1986)年11月1日に廃止されると、東京貨物ターミナル駅(昭和48(1973)年開業)に機能を譲り、汐留駅もその長い歴史に幕を閉じた。
なお、当駅からその東京貨物ターミナル駅までの区間には同駅がある大井埠頭と当駅の頭文字を取った大汐線(おおしおせん)という通称がある。また駅構内から芝浦駅、東京市場駅への線路が延びていた。芝浦駅への線路は、駅構内の一番東側の部分から、構内の線路で折り返す形態でつながっていた。東京市場駅へは、駅北東側でコンテナホームや混載ホームの間からそのまま線路が延びていた。
変わったところでは、昭和60(1985)年に運行を開始したカートレインは当駅と鹿児島本線東小倉駅間で運行しており、昭和61(1986)年の駅廃止直前まで同列車の東京方始発・終着駅として利用された。(その後恵比寿駅に、末期は浜松町駅に変更)

歴史:
明治5年9月12日(旧暦:新暦では1872年10月14日) - 新𣘺驛(初代)として開業。初日は式典と明治天皇御座乗特別列車の運行のみで営業は翌日から。
明治6年(1873)年9月15日 - 貨物取扱開始
大正3(1914)年12月20日 - 東京驛開業に伴い旅客営業廃止、汐留驛に改称
大正12(1923)年9月1日 - 関東大震災で被害を受ける。応急復旧でしばらく営業する。
昭和9(1934)年 - 応急復旧の仮施設の改築、本格的な復旧工事実施
昭和27(1952)年10月17日 - 当駅と東横浜駅の間に5500形蒸気機関車が牽引する国鉄80年記念列車「一声号」が運行される。
昭和29(1954)年9月1日 - 小荷物(特別扱雑誌に限る)取扱廃止
昭和34(1959)年11月5日 - コンテナ貨物の取扱を開始。汐留駅 - 梅田駅間でコンテナ専用貨物列車「たから号」運行開始。これに合わせてコンテナ積卸線と低床ホームの新設、配線変更が行われた。
昭和38(1963)年1月1日 - 営業範囲を
「貨物。ただし、散積の鉱石、石炭および野菜類ならびに活鮮魚(一塩のものを含む)の到着は取り扱わない。」から
「貨物。ただし、次の貨物は取り扱わない。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む)ならびに散積の石炭類、鉱石類および野菜類の到着貨物
 2.木材、薪炭類、砂利および砂の到着車扱貨物。」へ改正する。
昭和39(1964)年10月1日 - 営業範囲を
「手荷物、小荷物および貨物。ただし、次のものは取り扱わない。
 発送手荷物および小荷物(特別扱新聞紙および雑誌を除く)到着駅留手荷物および小荷物活鮮魚(一塩のものを含む。)ならびにばら積みの石炭類、鉱石類および野菜類の到着貨物木材薪炭類、砂利および砂の到着車扱貨物。」へ改正し、小荷物取扱開始
昭和40(1965)年3月 - 東海道新幹線建設に伴い、敷地の一部を新幹線用地に提供することになり、関連する配線工事が行われこの頃完成する。
 10月1日 - 営業範囲を
「手荷物、小荷物および貨物。ただし、手荷物および小荷物は次のものに限る。
 発送:特別扱新聞紙・雑誌、到着:配達扱のもの(駅渡しとなるものを含む)。
次の到着貨物は取り扱わない。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む)
 2.ばら積みの石炭類・鉱石類・野菜類・車扱の木材・薪炭類・砂利・砂。」へ改正する。
昭和43(1968)年10月1日 - 営業範囲を「手荷物、小荷物および貨物。ただし、次の到着貨物は取り扱わない。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む)
 2.ばら積みの石炭類・鉱石類・野菜類・車扱となる木材・薪炭類・砂利・砂。」へ改正する。
昭和47(1972)年10月14・15日 - 当駅と東横浜駅(桜木町駅に隣接)の間で、C57形蒸気機関車が牽引する記念列車「鉄道100年記念号」運行
昭和49(1974)年10月1日 - 営業範囲を「荷物、貨物。次の到着を除く。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む。)・ばら積の石炭類・鉱石類・野菜類
 2.車扱による木材・薪炭類・砂利・砂。」へ改正する。
昭和53(1978)年10月2日 - 営業範囲を「荷物、貨物。貨物は、次の到着を除く。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む)・ばら積の石炭類・鉱石類・野菜類
 2.車扱による木材・薪・炭類・砂利・砂。」へ改正する。
昭和59(1984)年2月1日 - 営業範囲を「貨物、車扱貨物。車扱貨物は、次の到着を除く。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む)、ただし、高速貨物列車による冷蔵車積みのものは除く。ばら積みの石炭類、鉱石類、野菜類
 2.車扱による木材、薪炭類、砂利、砂。」へ改正する。
昭和60(1985)年7月27日 - 汐留駅 - 東小倉駅間でカートレイン運行開始。営業範囲を「旅客、荷物、車扱貨物。ただし、旅客はカートレインに有効な乗車券類所持者に限る。車扱貨物は、次の到着を除く。ただし、高速貨物列車による冷蔵車積みのものは除く。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む。)、ばら積みの石炭類、鉱石類、野菜類
 2.車扱による木材、薪炭類、砂利、砂。」へ改正する。旅客営業再開
昭和61(1986)年11月1日 - 廃止

廃止後:
新橋駅0哩標識(鉄道記念物)
昭和62(1987)年4月1日にはここで、鉄道発祥の地であることから残った線路を使用して、蒸気機関車の汽笛で日本国有鉄道(国鉄)の終焉とJRの発足を告げる(国鉄分割民営化)イベントが行われた。
民営化後、旧汐留駅跡地は日本国有鉄道清算事業団へ移管され、国鉄の長期債務を返済するための売却対象地で最も注目された。また、その後の再開発では民活と呼ばれる民間資本の導入が検討され、中曽根康弘内閣の行政改革政策の象徴ともなったが、東京の都心部にある広大な敷地の売却はバブル景気による地価高騰が更に過熱するという理由でその実施は延期され、いわゆる塩漬け状態にされた。しかも、結局はバブル崩壊による地価暴落後に安値での売却という結果に終わり、政府による長期債務返済計画は大きく狂った。
実際の再開発工事は平成7(1995)年から開始され、その際に下記の旧新橋停車場跡などが発掘された。その後、平成14(2002)年以降には同跡地に汐留シオサイトとして事業者用の高層ビルが次々と竣工した。同年にはゆりかもめと都営大江戸線の汐留駅が開業し、汐留という駅名が引き継がれる事になった。

旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
跡地は、1965年(昭和40年)5月12日に「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の史跡に指定され、平成8(1996)12月10日に指定地域の一部解除・追加をし、「旧新橋停車場跡」へ名称変更した。発掘調査の後、風化を防ぐために埋め戻され、平成15(2003)にその上に開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」が建てられた、同年4月10日開館。調査では鋳物工場跡やトイレ遺構などを検出している。
内部は鉄道の歴史に関する「鉄道歴史展示室」(運営は東日本鉄道文化財団)になっており、以前は三國清三監修によるフランス料理店の「GRAND CAFE SHIMBASHI MIKUNI」(運営はジェイアール東日本フードビジネス)もあったが閉店した。
旧新橋停車場の裏手には、鉄道の起点であった「0哩(マイル)標」が当時と全く同じ位置に再現されており、当時のレールが数メートルだけ敷設されている。

出典・参考:Wikipedia「汐留駅」(最終更新 2018年6月6日)

記事投稿:2016.8.11
  調整:2018.10.-3(同時整理番号変更 174-91→)

by fbox12 | 2018-10-03 16:50 | 鉄道・バス

近4 奈良ホテルと奈良観光関連遺産Ⅱ

近代化産業遺産

5.外貨獲得と近代日本の国際化に貢献した観光産業草創期の歩みを物語る近代化産業遺産群

整理番号:近4 奈良ホテルと奈良観光関連遺産(旧JR奈良駅舎)

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記事投稿:2018.9.27
  調整:2018.10.-1
by fbox12 | 2018-10-01 22:47 | 文化産業遺産