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鉄3 弁慶号機関車

鉄道記念物

整理番号:鉄3
所蔵:鉄道博物館
指定:鉄道記念物 1958年(昭和33年)指定第3号
   
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基本情報:
運用者 日本国鉄(官営幌内鐵道→北海道炭礦鐵道→鐵道院・鐵道省)
製造所 H. K. ポーター(米)
製造番号 369
製造年 1880年
運用開始 1880年(明治13年)11月28日
引退 1924年(大正13年)


国鉄7100形蒸気機関車(⁺この場合の国鉄は国有鉄道の意)
製造数 8両

主要諸元:
分類 飽和式テンダー式蒸気機関車
 軸配置 2-6-0 (1C)
 軌間 1,067 mm
 全長 12,173 mm
 全高 3,394 mm
 運転整備重量 16.37 t
 動輪上重量 13.84 t (運転整備時)
 炭水車重量 10.59 t (運転整備時)
 固定軸距
 動輪径 914 mm(3フィート))
 軸重 4.84 t (第1動輪上)
 シリンダ数 単式2気筒シリンダ
 (直径×行程) 305 mm × 406 mm
 弁装置 スチーブンソン式アメリカ形
 基本型ボイラー圧力 7.7 kg/cm2 
 ボイラー水容量 1.8m3 小煙管(直径×長さ×数)45 mm × 2,404 mm × 119本
 火格子面積 0.93 m2
 煙管蒸発全伝熱面積 30.6 m2
 火室蒸発伝熱面積 10.0 m2
 燃料搭載量
 水タンク容量 3.64 m3
 制動装置 手ブレーキ(炭水車のみ)、空気ブレーキ、カムドライバブレーキ
 シリンダ引張力 2,700 kg

概要:
辨慶(弁慶)号機関車 7100 形は、かつて日本国有鉄道の前身である鐵道院に在籍した蒸気機関車である。
1880年(明治13年)、北海道初の鉄道(官営幌内鐵道)の開業にあたり、アメリカ合衆国から輸入されたテンダー式蒸気機関車で 1889 年(明治32)までに同形機が合計8両が輸入された。当初輸入された順に番号( - )が附番され、さらに歴史上の人物(北海道絡みが多い傾向)にちなんだ愛称が付され(1889年(明治22年)製の2両は無名)、そのうちの 番が、「辨慶(弁慶/べんけい)」である。鉄道記念物に指定されている。

構造:
前端梁に取り付けられたカウキャッチャー(牛よけ = 排障器)や大型のダイヤモンドスタック(火の粉止め)を取り付けた煙突、大型の油灯式前照灯、第1缶胴上に設けられたベル、木製の運転室など、西部劇から抜け出てきたような、アメリカの古典的スタイルが特徴的である。1880年(明治13年)に輸入された (義經(義経/よしつね)号と辨慶号の2両には、ウェスティングハウス・エア・ブレーキ製空気ブレーキが装備されており、客車とともに貫通制動ができるようになっていた。標準装備されていた自動連結器とともに、本形の先進的な部分である。当時、北海道以外の国内の鉄道では、真空ブレーキとリンク式連結器が用いられていた。

運転・経歴:
1880年(明治13)11月28日、手宮 - 札幌間が開業し、「義經」と 「辨慶」の使用が開始された。
1889年(明治22)12月10日、幌内鐵道は北海道炭礦鐵道に払下げられ、本形8両すべてが同社に引き継がれた。北海道炭礦鐵鉄道ではA形(1 - 8)、後にイ形とした。北海道炭礦鉄道では、本形に対し煙室の延長やダイヤモンド形煙突のパイプ形への交換、カウキャッチャーの撤去などの改造が行なわれ、原形が損なわれていった。1906年(明治39年)10月1日、北海道炭礦鐵道は買収・国有化され、このときも8両全てが官設鉄道に引き継がれた。1909年(明治42年)には、鐵道院の車両称号規程が制定され、8両は 7100形(7100 - 7107)に改められたが、このときから、実際の番号と現車の製造番号の間の関係に相当の乱れが生じている。
これは、製造銘板がボイラーに取り付けられていたことと、北海道炭礦鐵道では修繕の効率化のため、足回りとボイラーを別々に管理しており、相互の振替えが頻繁に行なわれていたために生じたもので、本形が3両も保存されることとなる遠因となっている。

保存
東京へ送られた 7101
1922年(大正11年)、北海道の1号機関車である「義經」を東京に新設される鐵道博物舘(のちの交通博物館)に保存することとなり、7101 が「義經」の後身であると推定され、1923年(大正12年)8月に同館に送られた。しかし、同年9月1日に発生した関東大震災により東京入りできず、同機は黒磯驛構内の機関庫に10年以上も保管(放置)されることとなった。
1936年(昭和11年)、7101 は大宮工場(現在の大宮総合車両センター)で「義經」として復元されることとなった。しかし同年、鉄道ファンである島崎英一と川上幸義が『7101 が「辨慶」、7105 が「義經」である』との調査結果を大宮工場に報告し、7101 は一転「辨慶」として復元されることとなった。
1940年(昭和15年)、同機の復元が完成し、鉄道博物館に収蔵、静態保存された。
1958年(昭和33年)には鉄道記念物に指定されている。交通博物館閉館後は、2007年(平成19年)10月14日にさいたま市大宮区に開館した鉄道博物館に移され、展示されている。

出典・参考:
Wikipedia「国鉄7100形蒸気機関車」(2018.9.17閲覧)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%847100%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
写真:弁慶号機関車 2017.10.17 鉄道博物館

記事:2018.9.17 初稿

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by fbox12 | 2018-09-17 17:56 | 近代化産業遺産

エスカップ

整理番号:D-200/D-200-900/D-201/D-201-900/D-206

a0057057_15313090.pngD-200/D-200-900

品名:指定医薬部外品
原材料:タウリン・ビタミンB6・ビタミンB1硝酸塩・ニコチン酸アミド・ビタミンB2リン酸エステル・カルニチン塩化物・無水カフェイン他添加物
a0057057_15465993.pnga0057057_13214213.png容量:100ml
製造販売元:エスエス製薬株式会社(東京都中央区日本橋浜町2-12-4)

エスカップ試供品(D-200-900)
通常品のバーコード部分に[試供品]の表示。(右写真)
a0057057_11381418.pngD-201/D-201-900

ラベル表面に「指定医薬部外品」の標記を追加。

品名等、D-200に同じ。
a0057057_16095039.png
バーコードの位置が D-200 とまったく反対側になったため、「試供品」の表示位置も変更となった。


D-206 西新宿バージョン

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by fbox12 | 2018-09-16 21:53 | コレクション

リポビタンD

a0057057_21510421.pnga0057057_22043460.pngミニチュアボトルコレクション D-100・101

販売名:リポビタンD
品名:指定医薬部外品
原材料:タウリン・イノシトール・ニコチン酸アミド・チアミン硝化物(ビタミンB1)・リボフラビンリン酸エステルナトリウム(ビタミンB2)・ピリドキシン塩酸塩(ビタミンB6)・無水カフェイン他添加物
容量:100ml

製造販売元:大正製薬株式会社(東京都豊島区高田3丁目24番1号)

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D-101-1
RUGGBY WORLD CUP 2019 + OFFCIAL SPONSER

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by fbox12 | 2018-09-14 22:00 | コレクション

141 土樽駅 (JR東日本)

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a0057057_2302231.pnga0057057_21504495.png
つちたる

所在地:新潟県南魚沼郡湯沢町大字土樽
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・上越線
電報略号/事務管コード:タル/301206

概要:

a0057057_22185848.pnga0057057_22504326.png
土樽の名前を持つが、旧土樽村の中心部は現在の越後中里駅付近に当たり、駅周辺に人家はない。付近にある東京発電の水力発電所・土樽発電所(7,000キロワット)は昭和49(1974)年に無人化されている。上り線ホームの横を関越自動車道が通っており、当駅の東に土樽パーキングエリアが置かれているが、駅周辺の一般道は関越自動車道の東隣に、中央線(センターライン)も引かれていない農道のような道があるのみ(ただし路線バスが通っている)で、そこから駅に入る枝線にも「土樽駅入り口」などの掲示さえなされていない。
当駅は、東京側から望むと、清水トンネルを出てすぐの位置にあり、川端康成の『雪国』でもトンネルを出た後はじめに汽車が停車する「信号場」として登場する。実際に作品の書かれた当時は信号場であったが、冬季にはスキー客の利用を見込んで仮乗降場扱いで客扱いをしていた。
上越線は当駅(正確には上り線の清水トンネル高崎側出口付近)から宮内駅(信越本線と接続)までが新潟支社管轄である。
かつて、上越線の敷設工事が行われた際は、この付近の難所(清水トンネル、松川ループ線)に備え、現在の当駅の近くまで湯沢から延長約16kmの軽便鉄道線が敷設されていた。

歴史:
a0057057_16592612.png昭和6(1931)年9月1日 - 鐵道省上越線 水上 - 越後湯沢間開通時に、土樽信号場として開業。
昭和8(1933)年12月8日 - スキー季節中に限り、旅客営業を開始。
昭和16(1941)年1月10日 - 駅に昇格、土樽駅となる。旅客駅。
昭和20(1945)年12月15日 - 貨物の取扱を開始(一般駅となる)。
昭和36(1961)年10月1日 - 貨物の取扱を廃止(旅客駅に戻る)。
昭和59(1984)年2月1日 - 荷物の取扱を廃止。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
駅構造:

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丘陵地の東斜面に位置する地上駅。相対式ホーム2面2線を持つ。駅舎は上り線側にあり、両ホームは跨線橋で連絡している。越後湯沢駅管理の無人駅。
かつては、相対式ホーム(副本線)および通過線(本線)を持つ2面4線の構造であったが、平成20(2008)年6月3日から26日までホームの改築が行われた際に副本線が廃止となり、本線上にホームが設置された現在の構造となった。工事期間中は全列車が通過し、越後中里駅と当駅の間でバスやタクシーによる代行輸送が行われた。

のりば:

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 駅舎側ホーム(上写真右) 上越線 上り 水上・高崎方面
 反対側ホーム(上写真左) 上越線 下り 越後湯沢・小出・長岡方面
 ※案内上の番線番号は設定されていない。

バス路線:
徒歩数分で南越後観光バス「蓬橋」停留所があり、越後湯沢駅までのバスが1日数本出ている。
土樽」バス停もあるが、駅からは1km近く離れている。
バスで群馬県方面へ行くことはできない。


出典・参考:Wikipedia「土樽駅」(2016年9月12日最終更新)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%A8%BD%E9%A7%85
 閲覧:2017.9.-8
参考:「停車場一覧 日本国有鉄道編(昭和41年3月1日現在)」停車場一覧刊行会

現地取材:2007.8.14/2016.8.27
記事投稿:2017.9.-8
  調整:2017.9.-9/2018.9.10

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by fbox12 | 2018-09-10 21:22 | 鉄道・バス

エスカップ・V

整理番号:D-202 / D-205a0057057_21443263.png

販売名:SCドリンクD
品名:指定医薬部外品
原材料:タウリン・ビタミンB6・ビタミンB1硝酸塩・ニコチン酸アミド・ビタミンB2リン酸エステル・L-アルギニン塩酸塩・ジクロロ酢酸ジイソプロピルアミン・無水カフェイン他添加物
容量:100ml

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a0057057_21453484.png
エスエス製薬とダイドードリンコのコラボレーションで実現したエスカップブランドのダイドードリンコ専用商品。これまでの「エスカップ」と同様、タウリン1000mgはそのままに、L-アルギニン塩酸塩30mg、ジクロロ酢酸ジイソプロピルアミン6mgを配合した。容量は通常の「エスカップ」と同じだが、自販機での販売(一部、コンビニでも販売)ためいくらか瓶が長め。

記事参考:ダイドードリンコ HP
https://www.dydo.co.jp/products/detail/701

D-205 発売元の所在地変更(ラベル等変更なし)。
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by fbox12 | 2018-09-09 21:47 | コレクション

近2 日光金谷ホテルと日光観光関連遺産

近代化産業遺産

5.外貨獲得と近代日本の国際化に貢献した観光産業草創期の歩みを物語る近代化産業遺産群

整理番号:近2 日光金谷ホテルと日光観光関連遺産(JR日光駅)
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a0057057_14142545.pnga0057057_22234427.pnga0057057_21183252.pnga0057057_21594344.pnga0057057_22171529.pnga0057057_14231013.pnga0057057_14251482.pnga0057057_14273500.pnga0057057_14293247.png

現地取材:2017.9.-4
記事投稿:2018.9.-9

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by fbox12 | 2018-09-09 17:32 | 近代化産業遺産

近1 東京都千代田区の赤煉瓦建造物

近代化産業遺産

4.建造物の近代化に貢献した赤煉瓦生産などの歩みを物語る近代化産業遺産群

整理番号:近1 東京都千代田区の赤煉瓦建造物(東京駅)
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a0057057_16455070.pnga0057057_19365416.pnga0057057_10445392.pnga0057057_21192481.png




記事投稿:2018.9.-2
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by fbox12 | 2018-09-02 22:03 | 近代化産業遺産

鉄1 1号機関車

鉄道記念物

整理番号:鉄1
a0057057_22093304.png所蔵:鉄道博物館
指定:鉄道記念物 1958年(昭和33年)指定第1号
   重要文化財 1997年(平成9年)6月30日 指定番号 00088
    名称:一号機関車
    種別:歴史資料
    所在:埼玉県さいたま市大宮区 鉄道博物館
    所有者:東日本旅客鉄道株式会社
    この項のみ出典:文化庁 国指定文化財等データベース(閲覧:2018.8.26)
     https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.html 「一号機関車」で検索 

国鉄150形蒸気機関車(⁺この場合の国鉄は国有鉄道の意)

基本情報:
運用者 日本国鉄(工部省→鐵道院) 島原鐵道
製造所 バルカン・ファウンドリー(英)
製造番号 614
製造年 1871年
製造数 1両
運用開始 1872年(明治5年)
引退 1930年(昭和5年)

主要諸元:
分類 飽和式タンク式蒸気機関車
 軸配置 2-4-0 (1B)
 軌間 1,067 mm
 全長 7,417 mm
 全高 3,569 mm
 運転整備重量 23.45 t
 動輪上重量 17.58 t (運転整備時)
 固定軸距 2,134 mm
 動輪径 1,321 mm(動輪直径 1,295 mm(4フィート3インチ))
 軸重 9.09 t (第1動輪上)
 シリンダ数 単式2気筒シリンダ
 (直径×行程) 305 mm × 457 mm
 弁装置 スチーブンソン式(安全弁 サルター式)
 基本型ボイラー圧力 9.84 kg/cm2 
 火格子面積 0.81 m2
 全伝熱面積 52.2 m2
 燃料搭載量 0.51 t
 水タンク容量 2.05 m3
 制動装置 手ブレーキ、反圧ブレーキ
 シリンダ引張力 2,690 kg (0.85P)
以上、改装後の(1909年(明治42年)形式図による)諸元を示す。

概要:
1号機関車(原形)150形は、かつて日本国有鉄道の前身である鐵道院に所属した蒸気機関車である。
1872年(明治5年)、日本で最初の鉄道開業に際してイギリスから輸入された蒸気機関車5形式10両中の1形式で、1両のみが輸入された。1号機関車と呼ばれている。1871年(明治4年)、バルカン・ファウンドリー社 (Vulcan Foundry Co., Ltd.) 製(製造番号614)である。国の重要文化財に指定されている。

構造:
長年にわたる使用期間中、随所に改造が加えられており、製造時の形態からは相当な変化が生じている。当初かなりオープンな構造だった運転台には外覆が整備され、ボイラー位置も209mm (8 1/4in) 高くされた。運転台直前にあった蒸気ドームはボイラー中央部に移設され、元のドーム位置には汽笛が設けられている。この改造は、1884年(明治17年)7月から翌年6月にかけ、神戸工場で実施されている。後述の神戸地区への転用は、この改造を見越してのものであったと思われる。

運転・経歴:
同時に発注された10両のうち、最も早く日本に到着した本機は「1」と付番され、1872年(明治5年)10月14日(新暦)の新𣘺 - 横濱間鉄道開業後は、客貨問わずに使用された。しかし、使用成績は思わしくなく、現場ではその改善に腐心したようである。
1872年(明治5年)8月から1885年(明治18年)6月までの走行距離は104,641哩⁺(マイル)で、2 - 9(のちの160形、190形など)の半分弱、最も使用成績の良くなかったとされる10(のちの110形)の2倍程度であったという。
京浜間で約8年使用された後、1880年(明治13年)11月には東海道線神戸地区へ転用された。1885年(明治18年)には前述の大改造後、半田に送られ、中山道幹線の建設資材輸送用に使用された。1905年(明治38年)には、大阪地区で入換専用になっているのが確認されている。
本機の番号は、1909年(明治42年)の鐵道作業局の終わりまでは一貫して「1」であり、1894(明治27年)年の分類ではE形、1898年(明治31年)の鐵道作業局の分類ではA1形となった。1906年(明治39年)の鐵道國有法施行を受けて1909年(明治42年)に実施された鐵道院の車輛稱號規程では、150形 (150) と定められた。
本機は、1911年(明治44年)4月1日付けで島原鐵道の開業用に譲渡され、同社の「1」となって客貨牽引に用いられた。同社では、正面の煙室戸にアメリカ製機関車のようなクランプ金具(クリート)が取付けられ、蒸気ドーム覆いは、円筒形の不細工なものに交換された。ドームと汽笛の間には同じく鉄道院から払い下げを受けた元九州鐵道のクラウス製蒸気機関車から流用されたと思われるドイツ風の砂箱が設置され、オリジナルでは側水槽の前方と踏段の裏側にあった角形の砂箱は撤去されている。
昭和の初めごろ、元鉄道記者の青木槐三が貴重な1号機関車として当時の鐵道省への返還・保存のための運動を始めた。その甲斐あって、1930年(昭和5年)、600形656号機との交換で鐵道省に戻ることになった。島原鐵道ではまだ十分に活用できると考えていたために、このような交換となったのである。同年7月3日、本機は諫早驛で盛大な惜別式を行ない、『送國宝一号機関車』と書かれた幟を飾って鐵道省に引き渡された。その際、創業者で時の社長・植木元太郎は、創業期に功績のあった機関車への感謝の念を込め『惜別感無量』と記した自筆のプレートをあつらえて、側水槽に装着させた。このプレートは現在でも本機に装着されている。

保存:
国鉄返還後大宮工場で整備され、工場内にあった「鐵道參考品陳列所」で仮展示されていたが、1936年(昭和11年)に東京・万世橋の交通博物館に移され、同館で静態保存された。一時期、5000形から取り外した蒸気ドーム覆いをつけていたこともあったが、現在は外されている。また、島原鐵道時代に取付けられた砂箱なども、取り外され原型に復している。塗色についても収蔵当初は黒色であったが、1971年(昭和46年)からは鉄道創業期を想定した緑地に黄色のライニングを施した塗色となり、1984年 (昭和59年) になって再び黒色とされている。交通博物館閉館後は、2007年(平成19年)10月14日、さいたま市大宮区に開館した鉄道博物館に展示されている。現在の塗装については「明治30年頃の姿を再現した」と説明板に記載がある。
本機は1958年(昭和33年)に第1回1号の鉄道記念物に指定され、1997年(平成9年)4月18日(*上記文化庁のデータベースとは日付が異なる)に**国の重要文化財(歴史資料)に指定されている(重要文化財指定名称は「一号機関車」)。
また、絵本『きかんしゃ やえもん』(阿川弘之文・岡部冬彦画)は、この機関車をモチーフにした物語である(火の粉による火災に業を煮やした沿線住民が蒸機の廃止と気動機化を要求、スクラップにされるため工場へ向けて電気機関車に牽引されていた「やえもん」が交通博物館学芸員の目に留まり保存へ、というシンデレラ・ストーリー型の話)。

**「重要文化財」とは、文化財保護法第27条に規定する国(文部大臣:現 文部科学大臣)が指定のもののみのことで、都道府県や市町村が指定するものは「〇〇県重要文化財」などと表記する。

本文は、以下の参考文献に元号表記や注釈を適宜加筆、1925年(昭和20年)以前に存在したものの(固有名詞の)漢字表記は旧漢字を使用している。ただし、独自の判断に基づき変更をしているため、必ずしも当時において旧漢字で表記されていたかは定かでない。


出典・参考:
Wikipedia「国鉄150形蒸気機関車」(2018.8.26閲覧)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84150%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A

Wikipedia「重要文化財」(2018.8.26閲覧)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E8%A6%81%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1

写真:1号機関車 2017.10.17 鉄道博物館

記事:2018.8.26 初稿
   2018.8.27 調整

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by fbox12 | 2018-09-02 21:43 | 近代化産業遺産

エスカップ NEXT

a0057057_22032944.pnga0057057_17162747.png整理番号:D-203(通常品)/ D-204-900(試供品)

販売名:ゲインタイム
品名:指定医薬部外品
原材料:
タウリン・L-アルギニン塩酸塩・ジクロロ酢酸ジイソプロピルアミン・ビタミンB1硝酸塩・ビタミンB2リン酸エステル・ビタミンB6・ニコチン酸アミド・無水カフェイン他添加物
容量:100ml
販売開始:2018.3.-1

製造販売元:大同薬品工業株式会社(奈良県葛城市新村214-1)
発売元:エスエス製薬株式会社(東京都中央区日本橋浜町2-12-4)・・D-203 / (東京都新宿区西新宿3-20-2)・・D-204-900

エスエス製薬の所在地変更
    


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by fbox12 | 2018-09-02 17:17 | コレクション