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262 梅田駅 (阪急/阪神/Osaka Metro)

うめだ


概要:
各鉄道事業者の梅田駅および大阪駅・北新地駅・東梅田駅・西梅田駅は、それぞれ離れた場所に別々の駅舎を持つ独立した駅であるが、地下街などを介して相互に乗換え可能で、キタ・梅田のターミナルを形成している。
かつては日本貨物鉄道(JR貨物)の梅田駅(通称: 梅田貨物駅、現在の梅田信号場)も近隣を通る梅田貨物線上に設けられていた。
各梅田駅は、大阪駅を中心とすると、北東に阪急の梅田駅、東に地下鉄の梅田駅、南に阪神の梅田駅が位置し、そして北西にJR貨物の梅田駅が存在していた。また、地下鉄梅田駅の東に東梅田駅、阪神梅田駅の西に西梅田駅、阪神梅田駅の南に北新地駅がある。

乗り入れ路線:
-01 阪神電気鉄道 - 駅番号は HS 01 本線 - 当駅が起点。
-02 阪急電鉄 - 駅番号は HK-01 神戸本線 - 当駅が起点。
   宝塚本線 - 当駅が起点。
   京都本線 - 戸籍上の起点は十三駅だが、十三駅を発着する全列車が乗り入れる。
-03 Osaka Metro 御堂筋線 - 駅番号は M16

その他、以下の駅とも乗り換えが可能である。
西日本旅客鉄道(JR西日本)
 大阪環状線、JR京都線・JR神戸線(東海道本線)、JR宝塚線(福知山線)- 以上、大阪駅
 JR東西線 - 北新地駅・・阪急との乗り換えには12分程度の時間を要する。
Osaka Metro
 谷町線 - 東梅田駅(駅番号:T20)
 四つ橋線 - 西梅田駅 (駅番号:Y11)・・阪急との乗り換えには10分程度の時間を要する。

阪神や阪急では大阪側のターミナル駅であることを強調するため、「大阪」と並列して呼称することがある。
阪神の車内アナウンスは「次は、大阪梅田、梅田、終点です」となっており、阪急では行先表示板を使用していた1980年代までは電車の行先案内は「大阪⇔京都」のように記載され、かつては「大阪梅田駅」と呼んでいたこともあった。
これは他社のターミナル駅である天満橋駅などでも見られ、中には大阪阿部野橋駅や大阪上本町駅のように正式駅名に「大阪」を含んだ例も存在する。
これらは、戦前の各私鉄の路線敷設期に当時の大阪市内中心部である北浜や本町付近にターミナル駅を設けられなかったことに起因する。
当時、大阪市は市電を始め地下鉄網の路線拡充、建設を図っていたために、私鉄線の市内中心部への乗り入れには大反対で、当時の鐵道省に路線免許を認めさせないように強硬に働きかけていた(市営モンロー主義)。
この為に当時の市内周辺部にしかターミナル駅を設けられなかったことから、現在の私鉄線各ターミナル駅名の頭に「大阪」が付くようになったのである。
その後、現在に至って Osaka Metro(旧 大阪市交通局の地下鉄)がその各ターミナル間を結ぶことになっているのは一種の皮肉とも言える。
会社ごと、あるいは位置ごとに分ける意味で「阪神梅田駅」「阪急梅田駅」と呼ぶこともある。同様にして阪神と阪急に同一の駅名がある神戸三宮駅、春日野道駅、御影駅、も「阪神○○」「阪急○○」と案内されることが多い。
これは神戸高速鉄道を介して阪急電鉄、阪神電気鉄道、山陽電気鉄道の3社が相互乗り入れしているためである。高速神戸駅以西を始発としている列車が同一ホームから発車することから、ことさらに強調されてアナウンスされたためである。
これに関連して、山陽電気鉄道の5000系車両の行先表示では「梅田」ではなく「阪神梅田」と表示される。また、阪神の直通特急対応車両には「梅田」「阪神梅田」両方の行先表示が入っている。山陽電車の車内アナウンスは「阪神、大阪梅田行…」である(駅構内アナウンスでは「大阪」をつけず単に「阪神梅田」と呼ぶ)。
阪神なんば線から近鉄奈良線に直通する電車の尼崎駅到着時のアナウンスでは、大阪難波駅があるにもかかわらず、「大阪方面へお越しの方は…」と梅田を省略する場合がある。また、武庫川駅以西での快速急行の停車駅の自動放送による案内では、大阪難波駅も大阪上本町駅も大阪を省略する一方で、「野田、大阪梅田終点にお越しの方は…」と梅田には頭に必ず大阪を付けている。
また、新大阪駅の在来線コンコースには「大阪駅(梅田)へは15・16番のりば…」という掲示がある。
北梅田駅大阪駅付近で梅田貨物線を通過する特急「はるか」・「くろしお」などに梅田界隈から乗降できるようにするため、現在の梅田貨物線を地下線にした上で、より大阪駅に近接した位置に「北梅田駅」(仮称)を開設する計画がある。
地下線にする理由は、現在梅田貨物線となにわ筋の交点に設置された踏切などで渋滞が発生しやすいため、それを解消する目的も兼ねている。
なお、おおさか東線の列車も北梅田駅まで乗り入れる予定。
JR貨物の梅田駅跡地(うめきた2期開発区域)が2014(平成26)年度中に更地化されるのを受けて、2015(平成27)年頃に梅田貨物線地下新線建設工事に着手し、併せて新駅を設置して2023年頃の開業を目指すことになった。
(以上、参考資料:Wikipedia「梅田駅」最終更新 2018年4月2日)

-03 Osaka Metro
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所在地:大阪府大阪市北区角田町8-6
所属・路線:大阪市高速電気軌道株式会社・御堂筋線
駅番号:M16キロ程:6.4km(江坂起点)

概要:
かつては、終電の1本前を中津駅、終電を新大阪駅までそれぞれ回送夜間留置するため2本が当駅止まりとなっていたが、2013(平成25)年3月23日のダイヤ改正で回送列車をそのまま営業列車として運行するようになったため、現在当駅止まりの列車は設定されていない。また江坂方面への始発電車の設定もされていた(のちに天王寺駅発に変更)。
谷町線東梅田駅、四つ橋線西梅田駅とは同一駅扱いであり、以下のような乗り継ぎ制度がある。
乗車券は西梅田駅、東梅田駅とも相互に使用でき、定期券はいずれの方向に乗車しても区間外となる場合を含めて3駅とも入出場することができる。
乗車する駅以外で普通乗車券を購入した場合も自動改札機を通過することが可能。たとえば、御堂筋線に乗車するのに誤って西梅田駅で乗車券を購入した場合は、その乗車券を梅田駅の自動改札機に通して通過できる。乗り換えが30分以内ならば乗り継ぎ乗車料金で乗車可能である。30分を越えると適用外となり、改めて初乗り乗車料金からの計算となる。
梅田駅までの運賃と同一の普通乗車券で乗り継ぎをする場合は、淀屋橋寄りの改札口にある緑色の自動改札機に限り通過することができる。それ以外の機械を通過する場合はあらかじめ精算機で『乗継乗車券』に引き換えなければならない。また、梅田駅までの乗車料金よりも少ない普通乗車券の場合は精算機で梅田駅までの乗車料金を一旦精算することで『乗継乗車券』に引き換えなければならない。ただし、この乗継乗車券は最終降車駅では差額精算することができる。阪急との連絡乗車券(天神橋筋六丁目駅経由指定)を利用する場合は、梅田駅での乗り継ぎはできない。

歴史:
1933年(昭和8年)に仮駅で開業、1935年(昭和10年)に本駅が完成した。開業当初は1両での運行だったが、将来の輸送量増加を見込み、ホームの有効長は189m、幅は9.1mの島式ホームが建設された。これは、開業当初の車両の大きさで12両編成に対応できる有効長であった。しかし、戦後はそのような巨大なホームをもってしても急激な輸送人員の増加に対応できず、ラッシュ時には改札制限が常態化するなど、当駅は終日激しい混雑に見舞われるようになった。そこで、混雑の解消と乗降人員の増加に対応するため、1988年(昭和63年)から改造工事に着手した。太平洋戦争前から2号線(谷町線)用に準備されていたものの同線の建設ルート変更に伴い放置されていたトンネルを転用して、幅12mのなかもず方面行き新ホームが造られることになり、1989年(平成元年)に完成した。従来のなかもず方面の線路もホームに改造された結果、ホームの幅は9.1mから24.5mまで拡幅された。1番線ホームと2番線ホームの間に壁があるのはこのためである。改良工事は1991(平成3)年に完成し、コンコースも拡幅された。千里中央方面行きのホームに立つと旧なかもず方面行きの位置が現在でも分かる構造になっており、千里中央方面行き列車の梅田到着直前に右側の窓を眺めると僅かながら蛍光灯に照らされた旧なかもず方面行きの線路跡を確認することができる。

1933(昭和8)年5月20日 - 仮駅開業
1935(昭和10)年10月6日 - 本駅開業。仮駅廃止
1980(昭和55)年10月 - 自動改札機導入
1988(昭和63)年3月 - 改造工事に着手
1989(平成元)年11月5日 - なかもず方面行き新ホーム供用開始。ホーム幅が9.1mから24.5mに拡幅し、有効長197mに延長
1991(平成3)年3月 - 改造工事完成
2003(平成15)年 - 第4回近畿の駅百選に選定
2012(平成24)年2月22日 - 午前9時頃、F階段下倉庫内で火災が発生。午前10時40分頃まで御堂筋線全線で運転を見合わせる。その後運転を再開したが、当駅構内は一時閉鎖され、閉鎖が解除されるまで御堂筋線の全列車が当駅を通過した。乗客は全員無事であったが、駅員ら17人が煙を吸引し軽症を負った。
2014(平成26)年4月4日 - 駅ナカ商業施設「ekimo梅田」開業
2015(平成27)年10月6日 ‐ 2番線南側のアーチ天井の大改修完了。各調光設備をLED照明に変更し、さらにホーム中央部にはデジタルサイネージが4カ所12面設置された。
2018(平成30)年4月1日 - 大阪市交通局の民営化により、所属事業者・管轄が大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)に変更

駅構造:
島式ホーム1面2線を有する地下駅である。ホームの幅は、1番線が12m、2番線が12.5mであり、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の駅では最大の24.5mが確保されている。1番線と2番線の間は壁で仕切られているが、壁に開いた出入口によって往来が可能。改札口はホーム新大阪寄りの「北改札」、ホーム中程付近の「中改札」、ホーム難波寄りの「南改札」がある。中改札と南改札の間には、駅ナカ商業施設である ekimo梅田があり、14の店舗が並んでいる。
当駅は梅田管区駅に所属し、同管区駅長(副駅長駐在)が当駅のみの単駅管理となっている。

のりば:
1番線 御堂筋線 なんば・天王寺・あびこ・なかもず方面
2番線 御堂筋線 新大阪・江坂・千里中央方面

駅北側中津方には上下線を繋ぐ片渡り線が設置されている。

本稿、阪急、阪神の梅田駅については準備中

参考資料:Wikipedia「梅田駅(大阪市交通局)」(最終更新:2018年4月17日)・・2018年4月28日閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%94%B0%E9%A7%85_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E5%96%B6%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84)
Wikipedia「梅田駅」(最終更新:2018年4月2日)・・2018年4月28日閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%94%B0%E9%A7%85

現地取材:2018.3.-2他
記事投稿:2018.4.28

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by fbox12 | 2018-04-28 21:32 | 鉄道・バス

特急「はやとの風」(JR九州)

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はやとのかぜ

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概要:
はやとの風(はやとのかぜ)は、九州旅客鉄道(JR九州)が吉松駅 - 鹿児島中央駅間を肥薩線・日豊本線・鹿児島本線経由で運行する臨時特急列車で、2004(平成16)年3月13日に九州新幹線鹿児島ルートが部分開業した際、九州新幹線に接続する霧島方面への観光列車として運行を開始した。
当初は専用車に予備がなかったため臨時列車として運転されていたが、2006(平成18)年3月からは、予備車が1両確保されたことで定期列車となったのち、2018(平成30)年3月17日のダイヤ改正で定期運行が廃止され、再び臨時列車となった。
近年、JR九州は南九州に多くの観光列車を走らせているが、その端緒となった列車である。
肥薩線全体でみると、八代駅~吉松駅間では、2000(平成12)年まで、吉松から吉都線を走る急行「えびの」が運行されていた。またそれ以降も八代駅~人吉駅間では、2016(平成28)年3月に廃止・運行区間縮小されるまで、特急「くまがわ」「九州横断特急」が運行されていた。しかし、吉松駅よりも南の区間では、1978(昭和53)年に急行「やたけ」が快速に格下げされて以来優等列車の運行がなかった。
そのような経緯から、「はやとの風」は肥薩線の吉松よりも南の区間には、26年ぶりの優等列車運行となった。
また、2006(平成18)年12月13日からは、人吉駅~ 鹿児島中央駅間を直通する「人吉はやとの風」も運行された。これは2006(平成18)年10月 - 2007(平成19)年3月に行われた「長崎 vs 熊本キャンペーン」に伴うものだった。
「人吉はやとの風」のダイヤは2日で1往復するようになっていて、1日目に人吉駅行き、2日目に鹿児島中央駅行きが運行されていて、吉松駅 - 鹿児島中央駅間は定期列車の「はやとの風」に併結して運行していた。
先述のキャンペーン終了後も、時折運行されていたが、2007(平成19)年11月に運行予定だった列車が、定期の「はやとの風」が踏切事故を起こした影響で運行中止となり、それ以降は設定がない。

運行概況:
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吉松駅 - 鹿児島中央駅間で土曜・休日および長期休暇期間中に1日2往復が運行されている(2018(平成30)年3月17日以降)。
特急列車ながらワンマン運転を行っている。車内改札のため車掌が乗務することもあるが、車掌が乗務しない時は、客室乗務員が車内改札を行うこともある。
(注、「はやとの風」は特急列車のため「青春18きっぷ」では乗れない。:上右側の車内補充券は、他列車内で発券されたもの)。
「吉松駅発鹿児島中央駅行きの列車が下り列車で、列車番号は6021D - 6024Dとなっている。
運行ダイヤは、速達性よりも観光面をより重視したものとなっていて、1903(明治36)年の肥薩線開業当時に建築された木造駅舎の残っている大隅横川駅・嘉例川駅で、全列車が約5分間停車する。
竜ケ水駅から鹿児島駅間の車窓から桜島が一望できる区間では徐行で運転する。
日豊本線では隼人駅と鹿児島駅のみ停車し、その他の駅では、列車行き違いのための運転停車を行う場合がある。なお「人吉はやとの風」は「はやとの風2・3号」に連結して運行されていた。

停車駅:
吉松駅 - 栗野駅 - 大隅横川駅 - 霧島温泉駅 - 嘉例川駅 - 隼人駅 - 鹿児島駅 - 鹿児島中央駅
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「人吉はやとの風」の人吉駅 - 吉松駅間は特急列車扱いながら各駅に停車していた。

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使用車両・編成:
普通列車用のキハ40形気動車を特急仕様に改造したキハ147 1045・キハ47 8092の2両が専用車両で、通常はキハ47 8092を1号車(鹿児島中央向き)、キハ147 1045を2号車(吉松向き:タイトル下左写真)としている。車両の検査時には1両を検査に出し、残った1両と指宿枕崎線の特急「指宿のたまて箱」仕様のキハ140 2066(タイトル下右写真)を連結して運転している。車両は全て普通車である。
改造にあたり内燃機関や台車などは変更されておらず、最高運転速度も95km/hのままだが、種車には高出力エンジン装備車両が選定されている。その後、指宿のたまて箱で使用されているキハ47の改造車と同じく、上下振動を低減するため、加速度センサーにより検知された上下振動加速度を元に制御装置が減衰力指令値を計算して、可変減衰上下動ダンパにその指令値を送り、減衰力を可変させて上下振動を抑制する、減衰力制御弁付きの可変減衰上下動ダンパを台車の枕ばね(コイルばね)に装備され、車体には4つの加速度センサーと制御装置が搭載された。
運行開始当初はキハ147 1045(1号車)・キハ140 2066(2号車)の2両編成で、予備車両がなかったため検査や故障時は運休となっていたこともある。
ほぼ毎日運転していたが臨時列車の扱いであった。
a0057057_23353898.png2006(平成18)年にキハ47 8092が加わるとこれを1号車とし、従来1号車だったキハ147 1045は方向転換の上で2号車に変更。2号車だったキハ140 2066は予備車となったため「はやとの風」の臨時列車扱いは解除され、多客時には3両で運行するようになった。
キハ140 2066は両運転台車で単行運転が可能のため「人吉はやとの風」にも用いられた(写真右・・両運転台のため、編成中間にも運転台がある)。「人吉はやとの風」が運休になった事故の際には「はやとの風」の専用車両が1両しか運行できなくなったため、2号車(当時は全車自由席)に普通列車用のキハ40系を充当し、2号車には乗車券のみで乗車可能とする措置を取っていたこともある。2011(平成23)年3月12日のダイヤ改正で「指宿のたまて箱」が運行を開始すると、キハ140 2066は「はやとの風」「指宿のたまて箱」の共通予備車の形となった。2012(平成24)年3月には「指宿のたまて箱」仕様に改装されたため、「はやとの風」仕様の車両は運行開始当初の2両に戻っている。なお、運行開始以来1号車を座席指定席、2号車を自由席として運行していたが、2015(平成27)年3月14日のダイヤ改正に伴い2号車の大半も指定席に変更され、自由席は2号車の8席および1・2号車のフリースペースのみとなった。a0057057_23234224.png外観・内装:旅客用車両としては珍しくロイヤルブラック一色に塗装されている。キハ40系気動車の暖地型の改造であるため、デッキはなく、ほかの近郊形気動車同様に、窓は開閉可能である。内装は難燃木材を使用していて暖かみのある内装となっている。のちに追加で改造されたキハ47 8092の内装は、登場時から運用されている車両に比べ明るい材質を使用している。車内は、既存の座席をすべて撤去しリクライニングシートを設置。トイレの新設、エアコンの変更(独立型のバス用クーラーから、屋上集中型への変更)なども行われている。コモンスペースとして車両中央に展望席を設置している。(「いさぶろう・しんぺい」にも、同様の設備を持つ車両がある。)1号車にはサービスコーナーもあり、オリジナル記念品や沿線の名産品などが車内で販売されている。またこの特急列車の誕生を記念して発売開始された駅弁「百年の旅物語かれい川」も販売されている(あらかじめ予約が必要)。

沿革:
2004(平成16)年3月13日:九州新幹線鹿児島ルート全線開業に合わせて運行開始。この時点では専用編成が2両(キハ147 1045・キハ140 2066)のみのため、ほぼ毎日運転していたが、臨時列車の扱いだった。
2006(平成18)年1月21日:キハ47 8092が専用車両に加わり、それまで使用されていたキハ140 2066は予備車・臨時列車用とされる。
 3月18日:定期列車に格上げ。
 12月13日:「人吉はやとの風」運行開始。「人吉はやとの風」には予備車のキハ140 2066が充当された。
2007(平成19)年10月29日:肥薩線での踏切事故の影響により専用車両が1両しか走行できなくなったため、11月に運行予定だった「人吉はやとの風」は運行中止。以降「人吉はやとの風」の設定はない。また定期列車の「はやとの風」は車両の修理が完了するまで、残った専用車1両を1号車(指定席)、普通列車用の車両を2号車(自由席)とし、2号車には乗車券のみで乗車可能の措置が取られた。
2012(平成24)年3月19日:キハ140 2066は「指宿のたまて箱」用に再改造され、2両体制に戻る。
2015(平成27)年3月14日:2号車の大半の座席を指定席に変更。
2018(平成30)年3月17日:定期運行を廃止し、土曜・休日および多客期運転の臨時列車となる。(注、写真は、乗車日が2018(平成30)年3月14日のため、定期運行されていた頃、平日のもの)

参考資料:Wikipedia「はやとの風」(最終更新:2018年4月9日)・・閲覧:2018年4月27日
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%A2%A8

現地取材:2018.3.14
記事投稿:2018:4.27

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by fbox12 | 2018-04-27 23:56 | 鉄道・バス

第佰拾八 駒形神社 岩手県奥州市鎮座

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こまがたじんじゃ

a0057057_17262279.png鎮座地:岩手県奥州市水沢中上野町1-83(本社)
  岩手県胆沢郡金ケ崎町西根字駒ヶ岳(奥宮)
  岩手県胆沢郡金ケ崎町西根雛子沢13(里宮)

祭神:
駒形大神(主祭神:天照大御神・天常立尊・国狭立尊・吾勝尊・置瀬尊・彦火尊の6柱の総称)
神体:駒ヶ岳(神体山)
社格等:式内社(小)、旧国幣小社、神社本庁別表神社、陸中國一宮(新一宮)
本殿様式:三間社流造

概要:a0057057_10434581.pnga0057057_10401194.png
当社は駒ヶ岳の神霊を祀ったものとされるが、古くよりその神霊を人格神に比定する諸説が挙げられている。現在の6柱とする説は、雛子沢里宮の寛政9年(1797年)棟札や、仙台藩編纂の『安永風土記』に記載が見られる。これらは、中近世の神仏混交(*混淆)期において駒ヶ岳外輪山を各天神地祇に擬したことに由来すると見られている(最高峰の大日岳に天照大神、第2の駒ヶ岳に天照大神の子の吾勝尊、など)。
以上のほか、人格神を宇賀御魂大神・天照大神・天忍穂耳尊とする説、毛野氏の祖神とする説等がある。
a0057057_11010811.png祭神の駒形神は馬の守護神とされ、馬頭観音や大日如来と習合し、東日本の各地に勧請されて信仰されている。馬の守護神とされた背景は、古代に付近一帯が軍馬の産地であったことが考えられている。
境内と水沢公園(右写真)はヒガンザクラ系の桜の名所として知られ、老木の樹齢は250年から300年にも及ぶ。一帯は「駒形神社及び水沢公園のヒガン系桜群」として岩手県指定天然記念物に指定されている。

歴史:
a0057057_19513354.png当社は駒ヶ岳(焼石駒ヶ岳/駒形山)を祀る神社として、明治以前は駒ヶ岳山頂の本宮(奥宮)、北上市和賀町岩崎と金ケ崎町西根雛小沢の各里宮をして奉斎された。水沢の現在社(水沢本社)は明治36年(1903年)の新設である。それ以前の水沢本社の地は鹽竈神社(現 別境内別宮)の境内地であった。以下、駒形神社一般の歴史について概説する。
創建創建は不詳で、様々な伝承が現在に伝えられている。
社伝の1つでは、雄略天皇(第21代)21年に、籠神社(京都府宮津市)から宇賀御魂大神を勧請して山頂に祀り、里宮に大宜津比売神と事代主神を配祀したが、のちに前記6柱となったという。
別伝では、景行天皇(第12代)40年に日本武尊が東征に際し、蝦夷平定のために前記6柱を勧請・創建したという。また、坂上田村麻呂が当地で倒れた愛馬を祀ったが、のちに慈覚大師(円仁)が廻国した際にその駒形神を駒ヶ岳山頂に移して本宮を造営、さらに源義家が前九年の役の際に戦勝祈願をしたともいう。
別説として、上毛野(のちの上野国、現 群馬県)を根拠とする上毛野氏一族が当地に来住するにあたり、駒ヶ岳を上毛野氏氏神の赤城山(赤城神社)に擬して奉斎したとする説もある。その中で、休火山である赤城山の外輪山に「駒形山」が存在することから、毛野氏が上毛野氏と下毛野氏に分かれた後にそれぞれ勢力を北に伸ばし、外輪山を持つ山の中で二番目の高峰を赤城山になぞらえて「駒ヶ岳」または「駒形山」と名付け、駒形大神を祀ったとする。そして雄略天皇の時代に、上毛野氏が奥州において現在の「駒ヶ岳」を見出して名づけ、山頂に駒形大神を勧請したのが始まりであるとするものである。この説に従えば、駒形神社の祭神は赤城山の神と同一か、深い関連を持つ存在ということになる。
関連して、『続日本後紀』承和8年(841年)3月2日条には江刺郡擬大領として「上毛野胆沢公毛人」の名が見え、上毛野氏と胆沢との関わりが指摘される。
さらに赤城神社との関連では、源実朝が『金塊和歌集』において赤城神社を「からやしろ」と詠んでいることから、赤城神社は「から」すなわち中国や韓国に由来するともされるが、当時の朝鮮にあった高麗が「コマ」と呼ばれたことから、駒形という名称は、「高麗唐」すなわち「コマカラ」が「こまかた」のち「こまがた」に転訛したともいう。
関連して箱根神社の摂社である駒形神社では、朝鮮から高麗大神が勧請されたとしている。
なお奥宮は現在駒ヶ岳に鎮座するが、元々は駒ヶ岳南方で最高峰の大日岳(経塚山)山頂にあったとする伝承がある。

概史:
a0057057_17163089.png
国史では仁寿元年(851年)に「駒形神」の神階が正五位下に、貞観4年(862年)に従四位下に昇叙された旨の記事が見える。従四位下の神階は陸奥国内で最高位になる(陸奥国内で従四位下は計9社。駒形神社側ではこの神階について、駒形神社への坂上田村麻呂の崇敬が篤かった関係で、胆沢の鎮守府から神階を高くすべきとの申し出が何度もあったためと説明している。
また、延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では陸奥国胆沢郡に「駒形神社」と記載され、式内社に列している。駒形神社側の見解では、全国の駒形神社の中で当社と宮城県栗原郡の駒形根神社の2社のみが神名帳に記載があるという。
平安時代頃には、上記の坂上田村麻呂のほか、源頼義・義家や平泉の藤原氏の崇敬も篤かったと伝える。箱根神社の縁起には、藤原秀衡が銅を鋳て駒形の神の像を作り祀るなど、藤原氏の駒形大神への信仰の篤さが読み取れる記載があるという。
江戸時代の時点では、駒ヶ岳は仙台藩と盛岡藩の境界であり、里宮はそれぞれの藩内に1社ずつがあった。また、山頂の本宮(奥宮)は両藩によって20年目ごとに交互に建て替えがなされていた。
明治4年(1871年)、山頂の本宮(奥宮)が近代社格制度において国幣小社に列するにあたり、本宮・里宮とも参拝に不便であるとして、当時の水沢県県庁に近い鹽竈神社の本殿が仮遥拝所となされた(鹽竈神社は境内社の春日神社に遷座)。そして明治7年(1874年)、社殿が改修されて正式な遥拝所とされた。明治36年(1903年)に山頂の神霊が遥拝所に遷され、元は鹽竈神社のものであった社殿等一切は駒形神社に編入された。鹽竈神社は境内別宮であった春日神社に合祀され、社名が「春日神社」から「鹽竈神社」に改称されることとなった。
戦後は神社本庁の別表神社に列し、近年では陸中国一宮とも称されている。2010年(平成22年)8月1日、山頂の奥宮にある老朽化した社殿を解体し、新しく社殿を造営した。

神階:
仁寿元年(851年)9月2日、正五位下 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「駒形神」。
貞観4年(862年)6月18日、正五位下から従四位下 (『日本三代実録』) - 表記は「駒形神」。

摂末社:以下はいずれも本社境内社。
a0057057_19592783.pnga0057057_10550277.png
別宮
鹽竈神社
祭神:鹽竈神(塩土老翁神・武甕槌神・経津主神)
 相殿に春日神(天児屋根神・比賣神・藤原鎌足朝臣)

駒形神社本社の新設以前より、当地に鎮座した神社である。
創建は不詳ながら、元々は石田・大明神の地にあったといい、一伝では康平5年(1062年)に源頼義・義家父子が石田・大明神の屋敷に社殿を造営し塩竈神を勧請したことに始まるという。
勧請元の鹽竈神社(宮城県塩竈市)は中世に留守氏の支配下にあったため、実際には寛文6年(1666年)に水沢城に入った留守宗利が勧請したことに始まると推測されている。
一伝では、留守宗利が再興、明和3年(1766年)に現在地に遷座したという。安政6年(1859年)の水沢大火で社殿は焼失したが、文久2年(1862年)に再興。のち当地に駒形神社が移るにあたって社殿を譲り、境内摂社の春日神社に遷座した。明治の一時期は駒形神社とは分割される独立社であったが、その後は駒形神社の境内別宮として推移している。

末社
a0057057_11450499.png山神社
祭神:木花開耶姫神・大山祇神
その他
a0057057_17561455.png水沢招魂社
祭神:
郷土出身の国事殉難者1099柱

かつては水沢公園内に鎮座した。明治11年(1878年)の伊勢神宮分霊の巡行に際して、水沢公園内にあった愛宕神社(安政6年(1859年)の水沢大火で焼失)の跡地上に行在所が建てられたことに始まる。
この行在所は明治42年(1909年)に招魂社に改められたが、その後荒廃し、駒形神社境内に遷座して現在に至っている。

この神社最寄りの駅・バス停:
JR東北新幹線・水沢江刺駅からタクシー
または、JR東北本線水沢駅から徒歩またはタクシー(バスは1日数本程度)

出典・参考:Wikipedia「駒形神社」(最終更新 2018年4月7日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%92%E5%BD%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE

現地参拝:29.6.25
記事投稿:30.4.24
  調整:30.4.27

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by fbox12 | 2018-04-27 17:46 | 神社

261 中津駅 (大阪メトロ)

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a0057057_22390815.pnga0057057_22394879.png
a0057057_22434903.pngなかつ

所在地:大阪府大阪市北区中津一丁目13-19
所属・路線:大阪市高速電気軌道株式会社・御堂筋線
駅番号:M15
キロ程:5.4km(江坂起点)

概要:
阪急電鉄の中津駅とは約300m離れているため、乗り換えの案内はない。過去には阪神電気鉄道北大阪線も付近を通り、同線にも中津駅があったが(阪急の中津駅に近かった)、廃止され現存しない。
車内放送を含め、発音の際は「かつ」と、「な」を強調する京阪式アクセントを用いる。中津駅(日豊本線)のように「なかつ」ではない。

歴史:
1964年(昭和39年)9月24日 - 1号線(御堂筋線)梅田 - 新大阪間延伸開通と同時に開業。
1989年(平成元年)2月13日 - 合区により駅の所在地が大淀区から北区に変更となる。
2018年(平成30年)4月1日 - 大阪市交通局の民営化により、所属事業者・管轄が大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)に変更。

駅構造:
島式ホーム1面2線を有する地下駅である。構想当初は、天王寺駅と同じように2面3線のホーム計画であった。
ホームの幅員は7mで10両編成に対応しており、千里中央寄りにY字形の折り返し線がある。
改札口は新大阪寄りに北北改札および北南改札が、梅田寄りに南改札が設けられている。
昇降設備は、ホームから改札へは北南改札内にエレベーターがあり、南改札内に上りエスカレーターがある。改札から地上へは2番と5番出入口にエレベーターがあり、エスカレーターはない。
トイレは北北改札外横に女性用、北南改札内に男性用となっており、オストメイトに対応した多機能トイレがある。
南改札外にもトイレがある。
当駅は、梅田管区駅に所属し、駅長が配置され、西中島南方駅を管轄している。

のりば:a0057057_22585729.png
1番線 御堂筋線 梅田・なんば・天王寺・あびこ・なかもず方面(写真)
2番線 御堂筋線 新大阪・江坂・千里中央方面
天王寺方面からの列車のうち、朝夕時間帯の列車の約4分の1、21時以降の列車の約半数が当駅で折り返す。

バス路線:

a0057057_22580381.png大阪シティバス 地下鉄中津停留所34号系統:大阪駅前行き/守口車庫前行き

出典・参考:Wikipedia「中津駅(大阪市営地下鉄)」(最終更新 2018年4月17日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E9%A7%85_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E5%96%B6%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84)

現地取材:2018.3.-2
記事投稿:2018.4.23

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by fbox12 | 2018-04-23 23:10 | 鉄道・バス

260 南方駅 (阪急)

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みなみかた

所在地:大阪市淀川区西中島三丁目17番3号
所属・路線:阪急電鉄株式会社・京都本線
駅番号:HK-61
キロ程:1.9km(十三起点)
乗換:西中島南方駅(大阪メトロ・御堂筋線)

概要:
すぐそばに大阪メトロ・御堂筋線の西中島南方駅があり(タイトル写真の高架が御堂筋線)、乗り換えが可能である。なお、地下鉄の駅名は「にしなかじま みなみがた」、阪急は「みなみかた」と、濁音・清音の違いがある。
歴史:
1921(大正10)年4月1日 - 北大阪電氣鐵道の十三驛 - 淡路驛 - 豊津驛間開通と同時に開業
1923(大正12)年4月1日 - 路線譲渡により新京阪鐵道の駅となる。
1930(昭和5)年9月15日 - 会社合併により京阪電氣鐵道十三線の駅となる。
1943(昭和18)年10月1日 - 阪神急行電鉄との会社合併により京阪神急行電鉄(1973(昭和48)年に阪急電鉄に社名変更)の駅となる。
1959(昭和34)年2月18日 - 十三線が京都本線に編入され、当駅もその所属となる。
1982(昭和57)年11月27日 - ダイヤ改正により、平日朝ラッシュ時に準急の運転を開始(下りのみ)、準急停車駅となる(当時の準急の停車駅は、
2007(平成19)年以降の準急の停車駅とは異なる)。
2001(平成13)年3月24日 - ダイヤ改正により準急が廃止され、普通のみの停車駅となる。
2007(平成19)年3月17日 - ダイヤ改正により準急停車駅となる。これに合わせて上り線ホームにLED式発車案内表示器を新設。
2010(平成22)年3月14日 - ダイヤ改正で新設された快速の停車駅となる。

駅構造:
相対式ホーム2面2線のホームを有する地上駅。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。改札口は上下線別で、各ホームに対して西端と中央付近の2か所に設けられている。改札内で両ホームを連絡する通路はない(上写真は上り改札口)。
売店(Lagare SHOP)は両ホームに設置されている。開業当初から長らくトイレは1号線ホームにしかなかったため、2号線ホームの乗客がトイレを利用する際は駅員の許可を得て、一旦改札を出て1号線ホームへ行く必要があり不便であったが、2009(平成21)年10月以降2号線ホームにもトイレが設置された。
両ホームとも、中央付近の改札は平日のラッシュ時間帯に使用される臨時改札(出口専用)であったが、バリアフリー対応のため、2008(平成20)年にエレベーターが設置された常設の改札口に改良された。
比較的狭い駅だが、新大阪駅近辺の開発が進み、オフィス街が構成された1970年代以降、駅の重要度は年々高まっている。2007(平成19)年のダイヤ改正で準急が停車することとなったが、これは、一日を通して運転される基幹的な優等列車としては初めての停車である。

のりば:
1号線 京都本線 上り 京都(河原町)・烏丸・北千里・嵐山方面
2号線 京都本線 下り 大阪(梅田)・十三・神戸・宝塚方面
※長らくのりば番号が設定されていなかったが、2007(平成19)3月17日のダイヤ改正に伴い割り当てられた。

踏切
新御堂筋の側道との交差場所に踏切がある(タイトル写真)。いわゆる開かずの踏切である。線路の真上に地下鉄御堂筋線と新御堂筋本線の高架橋があり、さらに駅から東400メートル先には東海道本線(JR京都線)の高架もあるため高架化は困難である。

乗車券払戻しの特例
大阪メトロへの連絡きっぷは天六(天神橋筋六丁目駅)経由で固定されており、梅田駅や南方駅での乗り換えはできないことが各駅に明記されているが、誤乗した利用客に対応するための特例として、天六経由の地下鉄連絡切符を南方駅2号線の自動精算機に投入すると、収受額から阪急線内の運賃を差し引いた残額が払い戻される。この時に発券される出場券には、「払戻額」が明記される。この場合、当然であるが隣接する大阪市営地下鉄西中島南方駅から目的駅までの乗車料金よりも前述の払戻額のほうが低額であったとしても、その差額は追加負担となる。なお、この特例は公式に知らされていないものの、かつては精算機付近にその旨が記述されていた。

出典参考:Wikipedia「南方駅」(最終更新:2018年4月17日)

現地取材:2018.3.-2
記事投稿:2018.4.21

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by fbox12 | 2018-04-21 22:15 | 鉄道・バス

041 熱海駅 (JR東日本/JR東海)

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a0057057_22192376.pnga0057057_1336977.png

a0057057_21460027.pngあたみ

所在地:静岡県熱海市田原本町11-1
所属・路線:(在来線)東日本旅客鉄道株式会社・東海道本線/(新幹線)東海旅客鉄道株式会社・東海道新幹線
電報略号/事務管コード:アタ/460131

概要:
当駅は、静岡県東部に位置する温泉街熱海市の代表駅である。東海道新幹線と、在来線の東海道本線、伊東線の合計3線が乗り入れる。在来線における当駅の所属線は東海道本線である。
東京方面から見た場合、静岡県に入って最初の駅である(新幹線・在来線とも)。JR東日本とJR東海の共同使用駅であり、新幹線構内はJR東海新幹線鉄道事業本部が管理し、在来線構内はJR東日本横浜支社が管理・駅業務を行っている。
駅の開業は大正14(1925)年3月である。開業当初は國府津驛を起点とする熱海線の終着駅であったが、昭和9(1934)年12月に当駅西側の熱海 - 沼津間が開業し、東海道本線の中間駅となった。伊東線は翌年の昭和10(1935)年3月から乗り入れている。東海道新幹線の熱海駅は、新幹線が開業した昭和39(1964)年10月から存在する12駅のうちの一つである。
昭和62(1987)年3月まで、これらの路線はすべて日本国有鉄道(国鉄)の路線であったが、同年4月の国鉄分割民営化によって、在来線は当駅が旅客営業上のJR東日本とJR東海の会社境界駅となり、東海道本線の当駅以東(東京方面)と伊東線はJR東日本、東海道本線の当駅以西(静岡方面)はJR東海の管轄となった。ここで旅客営業上と断っているのは、鉄道資産の境界は当駅構内ではなく丹那トンネル東側坑口付近にある来宮駅上り場内信号機(来宮駅北西)のためであり、すなわち、東海道線上り列車を例としていえば、来宮駅-当駅間はJR東海の列車(車両は東日本の場合もある)がJR東日本の線に乗り入れているのである。依って、上記の共同使用駅の定義は、東海道新幹線と在来線の会社の違いによるもので、在来線熱海駅はあくまでもJR東日本の駅なのである。ちなみに、熱海止まり(来宮回送留置)の列車及び東海道本線熱海-函南間を運行する列車の乗務員時刻表には「来宮」の駅名(旧 信号所)が記載されている(こちらは、来宮駅に東海道線のホームがなく旅客扱いはできないため、あくまでも列車運転上の表示)。
在来線ではJR東日本の熱海運輸区が構内に存在するなど運行上の拠点でもあるため、当駅を経由するすべての旅客列車が客扱い停車していたが、平成21(2009)年3月14日のダイヤ改正で臨時列車とされた「ムーンライトながら」は運転停車扱いとなった。特急列車や一部普通列車(朝夕の沼津駅発着列車など)を除く大半の列車が当駅で系統が分離されている。
JR東海の管轄となっている新幹線は、各駅停車の「こだま」と、「ひかり」のうち、東京 - 岡山間の2往復と、上り広島発東京着の列車1本、下り東京発新大阪止まりの列車1本が停車している。
東海道本線は当駅を境に管轄会社が異なっているが、当駅では両方向とも「東海道線」(上り・下りの表記もあり)と案内されている。本稿でも必要に応じて、その案内方式に準じた表記も用いる。
IC乗車券「Suica」対応自動改札機も設置されているが、当駅で乗車・下車する場合は東海道本線の湯河原方か伊東線からのみ利用可能である。また、当駅から東海道本線の函南方に関しては、平成20(2008)3月1日よりSuicaとの相互利用が可能なIC乗車券「TOICA」が導入されたが、その利用エリアは当駅までではなく西隣の函南駅以西となっており、当駅と函南駅間(を含む経路の場合)は両方向ともIC乗車券のサービスエリア外となる(いわゆる「エリアまたぎ」)。
「エリアまたぎ」の区間では乗車券を購入する必要があり、ICカードの定期券も発売はされない。
*Suicaグリーン券は、小田原方面及び伊東方面のみ対応で、グリーン券発券機(自動券売機)の表示も同方面のみ表示される。
*注、運賃計算の特例として、列車の運行上同じ区間を往復する場合、その区間分の距離数は運賃計算に反映されないが、函南駅方面と伊豆多賀駅方面へ相互に直通する列車がなく、かつ、来宮駅は東海道線の駅としては定義されないため、必ず当駅経由(発駅-当駅-着駅)の運賃計算となる(来宮-熱海間の片道1.2kmが必ず上乗せになる・・例として、函南駅以西から来宮駅から先の駅まで乗車運賃など)。

歴史:
東海道本線は当初、小田原 - 熱海 - 三島の山岳地帯にトンネルを開削する技術がなかったこともあり、今の御殿場線ルートで建設された。そのルートから外れた小田原・熱海では、國府津驛より小田原電氣鐵道という路面電車で小田原市街へ、さらに豆相人車鐵道→熱海鐵道→大日本軌道→熱海軌道組合の人車軌道・軽便鉄道により熱海まで連絡を図った。
その後、御殿場経由は急勾配が存在し輸送力増強の障壁になることや、トンネル掘削の技術が進展したことなどから、当初見送られた熱海経由での路線整備が決定する。そして大正14(1925)年、熱海線として、熱海駅まで鉄道路線が開業して路面電車や軽便鉄道は全廃。昭和9(1934)年、丹那トンネルが開通すると熱海線は東海道本線となった。

年表:
a0057057_21574171.png明治27(1895)年 - 吉濱(現湯河原町内)まで豆相人車鐵道開通(翌年小田原延伸)
明治40(1907)年 - 豆相人車鐵道改め熱海鐵道により、小田原 - 熱海で蒸気機関車運転開始
大正12(1923)年9月1日 - 関東大震災のため、熱海鐵道より改めた熱海軌道組合線休止(後に廃止)
大正14(1925)年3月25日 - 鐵道省(日本国有鉄道の前身組織)により、熱海驛が開業(熱海線 湯河原 - 熱海間の開通と同時)。旅客・貨物営業開始
a0057057_227298.png昭和9(1934)年12月1日 - 熱海 - 沼津間の開通に伴い、熱海線は東海道本線に編入される。
昭和10(1935)年3月30日 - 伊東線 熱海 - 網代間開通
a0057057_16305120.png昭和39(1964)年10月1日 - 東海道新幹線開業、停車駅となる。
昭和41(1966)年9月1日 - 貨物取扱廃止
昭和49(1974)年 - 新幹線ホームに可動柵設置(新幹線で初)
昭和61(1986)年11月1日 - 荷物取扱廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、当駅を境に東海道本線(東京方面)・伊東線はJR東日本、東海道本線(静岡方面)・東海道新幹線はJR東海が継承。駅業務は在来線が東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海道新幹線は東海旅客鉄道(JR東海)が継承
平成13(2001)年11月18日 - JR東日本でICカード「Suica」の利用が可能となる。
平成18(2006)年 - 伊東線のCTC装置が当駅構内の進路制御も可能な装置に更新され、CTCセンターが来宮駅構内より当駅に移転
平成22(2010)年3月31日 - 熱海ラスカ(熱海駅デパート)閉鎖。12月下旬に解体工事完了
平成23(2011)年4月 - 9月 - 熱海駅バスターミナルにおいて、仮バス停の使用開始(4月1日から)。解体工事
 11月 - 仮駅舎完成、11月10日に一部使用開始。(NEWDAYSミニ熱海・BECK'S COFFEE SHOP熱海店)
 12月1日 - ドトールコーヒー熱海店閉店。熱海観光案内所移動開設
平成24(2012)年1月10日 - 旧ドトールコーヒー熱海店横にあった旅客トイレが1番線ホーム東京方へ移動。これに伴い静岡県警鉄道警察隊熱海分駐所も移動
 2月15日 - 駅前広場改良工事再開
 8月25日 - 足湯裏のコインロッカー使用停止。後日撤去された。
平成25(2013)年3月15日 - バス乗り場とタクシープール完成、使用開始
 12月12日 ‐ 熱海軽便鐵道7号機関車の移送作業が行われる。
平成26(2014)年10月26日 - 熱海駅新駅舎・駅ビル建て替え工事起工式が行われる。
平成27(2015)年3月25日 - 開業90周年。記念イベントが熱海駅仮駅舎前で行われた。
 11月29日 - 新駅舎(駅ビルを除く)使用開始
平成28(2016)年11月25日 - ラスカ熱海オープン

駅構造:
JR東日本が管轄する在来線駅(東海道本線・伊東線)は地上駅、JR東海が管轄する新幹線駅は高架駅である。

在来線
a0057057_17281084.pnga0057057_2232494.png

乗降設備は単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、合計3面5線のホームが設けられている。
構内の南側にかつて貨物線だった単式ホームがあり、その北側に島式ホームが並ぶ。ホームの番号は、単式ホーム側から1番線・2番線…の順で、5番線まである。そのうち、2番線が下り本線、5番線が上り本線となっている(単式ホームがなかった頃は、現在の中線(現在の3・4番線)が本線だった)。5番線北側には上りの副本線及び有効長5両編成2本程度の留置線(副本線横に1線、東京方トンネル前に1線)がある。
現在の配線・信号の関係は、
 1番線 - 入線は東京方、伊東線方双方から可能。出発は、伊東線方へ可能(上左写真左側)。
 2番線 - 東京方から入線。東海道下り及び伊東線方へ出発(上左写真右側)。
 3番線(中1番) - 入線・出発共いずれの方向から(へ)も可能(上右写真右側)。
 4番線(中2番) - 同上(通常、伊東線へ出発となる列車はないが、ダイヤ混乱のおり、伊東行きを入線させたことがある)(上右写真左側)。
 5番線 - 東海道線上り列車のみ。
なお、JR東日本の管理駅である都合上、JR東海が利用できるのは(上記3番線または4番線のいずれか)1線のみである。そのため事故・トラブルや大雨・落雷などでダイヤが乱れた場合、沼津方面からの列車がホームに入線できないため沼津駅や東田子の浦駅で打ち切りになることも発生する。
*以前、来宮駅の手前まで東海道線・伊東線が線路を共用していたころは、伊東線の列車も東海道上り線を走行していたため、現在の5番線へ入線することができた。

駅舎は1番線に隣接する場所に設置されている。平成22(2010)年3月31日までは駅ビルの「熱海駅デパート」が併設されていた。改札口は駅舎内の1か所のみで、改札口から各ホームに直結する地下道が存在する。
改札外にはJR東日本が営業するみどりの窓口に加え、コインロッカーと静岡銀行のATMが設置されている。観光案内所とエフエム熱海湯河原(Ciao)のサテライトスタジオも併設されていたが、一旦、仮駅舎に移動した後、新たにオープンしたラスカ熱海1階に再設置された。
構内に熱海CTCセンター(熱海運輸区の管理下)がある。JR東日本東海道本線の東京駅 - 湯河原駅間では東京圏輸送管理システム (ATOS) が導入されているが、当駅・来宮駅ならびに伊東線の運行管理・進路制御は熱海CTCセンターで行っている。
また、1番線ホーム上には、JR東海の乗務員詰め所が設置されている。
長らく、駅自動放送は平成4(1992)年から使用されている古いタイプ(東海道型)が使用されていたが、平成27(2015)年2月17日に新しいタイプ(旭型)に更新された。

のりば:
a0057057_14574392.png1番線 JR東日本 伊東線 伊東・伊豆急下田方面普通(当駅始発は1本を除きこのホーム)
2・3番線 JR東海 東海道線 下り 三島・沼津・静岡・浜松方面(一部は4番線から発車)
 JR東日本 伊東線 伊東・伊豆急下田方面特急と一部の普通
4・5番線 東海道線 上り 小田原・横浜・品川・東京・上野方面
a0057057_22185551.png (上野東京ライン含む、一部は3番線から発車(湯河原・平塚・大船・川崎方面)
在来線は旅客営業上JR東日本とJR東海の境界駅である。会社相互間を直通する普通列車は平成16(2004)年10月16日のダイヤ改正で大幅に削減され、朝夕の通勤時間帯と夜間を除いて当駅で乗り換えが必要となっている。乗り換え時間が短い場合でも、階段連絡でホーム間の移動が必要なことが多い。当駅始発の列車の中には、上野東京ライン・宇都宮線(東北本線)に直通し、宇都宮経由黒磯行きの直通列車も数本設定されている。

新幹線
a0057057_16532062.png新幹線乗降設備は待避線のない相対式ホーム2面2線の構造。ホーム上の乗り場番号は南側(在来線ホーム側)から6番線・7番線の順で付番されている。山肌に沿った高い位置にホームがあり、列車通過の際に危険がないようにホーム可動柵が設置されている。可動柵は昭和49(1974)年に新幹線初のものとして設置されたが、老朽化のため、上りホームは平成23(2011)年12月、下りホームは同24(2012)年7月に取り替えられ、開口幅や扉の位置も変更された。
当駅はスペースの都合で待避線が設置されなかったため、ダイヤ作成上のネックとなっている。その上、当駅付近から新丹那トンネルまでの区間内には最小曲線半径1500mという新幹線有数の急カーブが控えており、この影響で「のぞみ」を初めとする通過列車は最高速度185km/hに制限されている。この速度は、東海道新幹線の駅通過速度としては最も遅い。
JR東日本の地下道とJR東海新幹線コンコースの間には、乗換改札が設置されている。乗換改札口はかつて2か所あり、東京方は入口・出口兼用、新大阪方は出口専用だったが、平成9(1997)年のリニューアル工事で改札口が1か所に集約された。新幹線乗換口の在来線側にはJR東海が営業するみどりの窓口がある。
地形の関係上、新幹線独自の改札口は設けられておらず、JR東海の新幹線改札内へはJR東日本の在来線駅構内を経由しなければならない構造となっているため、JR東海のみが扱う乗車券・サービスを受ける旅客はJR東日本の改札口で「熱海駅構内通過票」の交付を受けた上で、JR東海のみどりの窓口まで出向く必要がある。EX-ICカードやプラスEXカードを所持している場合は、Suicaなどの都市圏のICカードをJR東日本の自動改札機にタッチさせた上で、新幹線の自動改札機に都市圏のICカードとEX-ICカードまたはプラスEXカードを2枚重ねてタッチすることで、新幹線ホームへの入出場が可能となっている。

のりば:
a0057057_16452677.png6番線 東海道新幹線 下り 名古屋・新大阪方面
7番線 東海道新幹線 上り 新横浜・東京方面


駅舎の建替え:
a0057057_15113967.png駅舎は老朽化が著しいことから、建替え工事がされ、平成28(2016)年11月25日にラスカ熱海が営業を開始した(この時点で、熱海市の駅前整備計画は完了していない)。
旧駅ビルラスカ(注、「ラスカ」の名称は関係者のみが使用していたもので、地元では「熱海駅デパート」と呼んでいた)は平成22(2010)年3月31日をもって店舗を閉鎖し、同年7月から建物の取り壊し工事を行い、11月まで行われた。これに伴い、熱海市では駅前の整備事業を行い、バスターミナルは2層化され、1階がたタクシープール、2階がバスターミナルとなった。旧タクシーのりばは旅館・ホテルの送迎車及び一般車の駐車場となった。また、JR東日本の保養所「いでゆ荘」も取り壊され、「ラスカ熱海」の駐車場となったほか、入口にあった熱海駅前交番も春日町バス停側に移設されている。
桃山方面へ向かう桃山ガードの連絡道も伊東線沿いに付け替えられ、一旦、バスターミナル横を通る形になった。


参考資料:Wikipedia(記事に古いものと新しいものが混在するため、確定部分のみに修正)
記事:
 取材:
 投稿:29.1.15
 調整:29.1.16/29.6.-5/30.4.20

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by fbox12 | 2018-04-20 22:43 | 鉄道・バス

259 栗野駅 (JR九州)

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くりの

所在地:鹿児島県姶良郡湧水町木場667
所属・路線:九州旅客鉄道株式会社・肥薩線
キロ程:94.3km(八代起点)
電報略号/事務管コード:クリ/940202

概要:
1980年代当時、使用されなくなった貨物側線に米軍機による機銃掃射の弾痕があるレールが残っていた。肥薩線では、大隅横川駅に機銃掃射の弾痕のある柱が現存する。

歴史:
1903年(明治36年)9月5日 - 鹿児島線の横川驛(現在の大隅横川駅)から当駅までの延伸にともない開設
1908年(明治41年) - 飯野村白鳥まで森林軌道が敷設される。
1921年(大正10年)9月11日 - 山野軽便線が当駅から山野まで開業し分岐駅となる。
1922年(大正11年)9月2日 - 山野軽便線が山野線に改称
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により九州旅客鉄道が継承
1988年(昭和63年)2月1日 - 山野線が全線廃止となる。

駅構造:
a0057057_21592688.png島式ホーム1面2線を有する地上駅。駅舎に接している単式ホーム(1番線)はかつての山野線用で、現在は使われていない(写真「栗太郎館」の看板側)。
駅舎から島式ホームには跨線橋で連絡している(写真左側)。
のりばは駅舎側からそれぞれ2番線、3番線である。さらに跨線橋で駅のすぐ裏にある、丸池(名水百選:タイトル写真・・列車内から撮影のため、照明が写っている。・・線路の横に位置する)にも渡れるようになっている。
ホームには真幸駅と同じような、発車の合図の鐘が残っている。
駅舎はコンクリート造り平屋である。駅舎内部には待合所や出札口などがある。
簡易委託駅となっている。自動券売機は設置されておらず、早朝・夜間は車内精算となる。

のりば:
2番 肥薩線 上り 吉松・都城方面
3番 肥薩線 下り 隼人・鹿児島中央方面

出典:参考:Wikipedia「栗野駅」(最終更新:2018年2月9日)

現地取材:2018.3.14
記事投稿:2018.4.19
  調整:2018.4.20
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by fbox12 | 2018-04-20 20:54 | 鉄道・バス

258 西中島南方駅 (大阪メトロ)

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a0057057_22472005.pnga0057057_23000917.pnga0057057_23063565.png
にしなかじまみなみがた

所在地:大阪市淀川区西中島一丁目12-10
所属・路線:大阪市高速電気軌道株式会社・御堂筋線
キロ程:3.6km(江坂起点)
接続する鉄道路線:
阪急電鉄・阪急京都本線(南方駅)
※注 - 地下鉄堺筋線と阪急千里線(相互直通運転)の連絡乗車券は天神橋筋六丁目駅経由指定であり、双方の駅の直接乗り継ぎはできない。

概要:
全国で初めて2つの地名を合体させた駅名と言われている。駅名の決定にあたっては、周辺住民から旧自治体名(西成郡西中島町)に由来する広域地名である「西中島」と、西中島町の9大字のひとつで、阪急の駅と同名である「南方」の2つの案が提示されていたが、両案を合体させる形で決着した経緯がある。ただし、阪急の駅は「みなみかた」と清音であるのに対し、当駅は「にしなかじまみなみがた」と濁音である。異なる地名が合体する例は大阪市営地下鉄の駅名ではよく見られ、特に谷町線に多い。
また、余談となるが、当駅南側にある「西中島南方駅前」交差点の読み方は、「にしなかじまみなみがたえきまえ」ではなく、「か」の濁点がない「にしなかじまみなみかたえきまえ」である。

歴史:
1964年(昭和39年)9月24日 - 1号線(現在の御堂筋線)の梅田 - 新大阪間開通とともに開業
1974年(昭和49年)7月22日 - 分区により駅の所在地が東淀川区から淀川区に変更となる。
2018年(平成30年)4月1日 - 大阪市交通局の民営化により、所属事業者・管轄が大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)に変更

駅構造:
幅4.2mの相対式ホーム2面2線を有する高架駅。
軌道およびホームは国道423号(新御堂筋)の双方車線に挟まれる位置にあり、地上を走行する阪急京都本線を高架でまたいでいる(高さ地上約5m)。改札口は駅の南北両端の地上部にある。
他の御堂筋線の高架駅は島式ホームなのに対して、当駅は唯一相対式ホームとなっている。当初、他駅と同様に島式ホームにする予定だったが、周辺の区画整理事業の遅れにより、御堂筋線の建設が新御堂筋との同時施工から通常の用地買収方式での御堂筋線のみの単独施工に変更されたため、相対式ホームに設計が変更されたことによる。
昇降設備は、北改札内、南改札内ともに各ホームに上りエスカレーターとエレベーターがある。トイレは北改札内、南改札内のそれぞれにあり、どちらもオストメイトに対応した多機能トイレがある。
当駅は梅田管区駅に所属し、中津駅が管轄している。

のりば:

a0057057_22391555.pnga0057057_22400595.png
1番線 御堂筋線 梅田・なんば・天王寺・あびこ・なかもず方面(左写真)
2番線 御堂筋線 新大阪・江坂・千里中央方面(右写真)

出典参考:Wikipedia「西中島南方駅」(最終更新:2018年4月1日)

現地取材:2018.3.-2
記事投稿:2018.4.16

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by fbox12 | 2018-04-16 22:44 | 鉄道・バス

第佰拾七 波上宮 沖縄県那覇市鎮座

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a0057057_22481619.pnga0057057_22212245.png
a0057057_22201005.pngなみのうえぐう

鎮座地:沖縄県那覇市若狭一丁目25番11号
祭神:
主祭神
 伊弉冊尊(いざなみのみこと)
 速玉男尊(はやたまをのみこと) 左神座
 事解男尊(ことさかをのみこと) 右神座
相殿神
 竈神(火神)
 産土大神
 少彦名神 (薬祖神)
社格等:旧官幣小社、神社本庁別表神社、琉球国新一の宮
本殿様式:流造
別名:沖縄総鎮守、「なんみんさん」

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概要:
沖縄県那覇市の那覇港を望む高台の上に位置し、「なんみんさん」「ナンミン」として親しまれてきた神社。

歴史:
a0057057_00054749.png当宮創建の年代は不詳である。しかし『琉球宗教史の研究』では、琉球八社は真言宗寺院に併置され、その創建の由緒を見ると多くは社寺同時に創建されたものと考えられることから、当宮は察度王の御代、護国寺(右写真)が開山した時期(貞治7年、1368年)に創建されたのではないかと推測している。
『波上宮 略記』では、遥か昔、人々が海の彼方の海神の国(ニライカナイ)の神々に豊穣や平穏を祈った聖地が当社の鎮座する波の上の崖端で、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まると述べている。当地での遥拝に関して『海上の道』では、波の上の丘陵の高みにおいて、毎年、日を定めてこの付近の居留者が各々の故郷の方角に向けて香炉を置き、自身の本国に向かって遥拝する「ネグミ拝み」と言う祭りが近代まで行われていたことを紹介している。
a0057057_22540326.png天啓3年(1623年、和暦では元和9年)完成の『おもろさうし 第十』には「国王様よ、今日の良き輝かしい日に聞得大君を敬って、国中の人々の心を集め揃え、石鎚金槌を準備して石を積み上げ、波の上、端ぐすくを造り聖地へ参詣し給えば、神も権現も喜び給う。」と言う意味の“おもろ”がある。『おもろさうし 上』はこの中に詠われる「波の上、端ぐすく」が当宮鎮座地であると解説し、『日本の神々 -神社と聖地- 13 南西諸島』では当宮創建を詠った“おもろ”ではないかと紹介している。
『神と村』では、グスクは古代祖先達の共同葬所(風葬所)であり、納骨洞穴が拝所になった場所は「テラ」と称される場合があると述べたうえで、上記“おもろ”に記された「なみのうへ は げらへて はなぐすく げらへて ものまいり しよわちへ てらまいり しよわちへ」の「てら」が、古代「鼻(はな)ぐすく」と呼ばれた当宮鎮座地にある「波上洞穴遺跡」を指しており、この地が祖先達の葬所を根源とする「神の居所」であることが覗われると述べている。
a0057057_00285647.png慶長10年(1605年)に倭僧・袋中良定が著した『琉球神道記 巻第五』の「波上権現事」では当宮を琉球国第一大霊現と述べ、さらに以下のような当宮の創設伝承を記している。
南風原の里主という者が釣りをしていると、ある日浜辺で「光り、ものを言う」霊石を見つけた。この石に祈るたびに豊漁となるので、諸神がこの霊石を奪おうとした。そこで里主が当地へ逃れると「吾は熊野権現也、この地に社を建て祀れ、然らば国家を鎮護すべし」との神託があった。里主は琉球王府にこれを奏上し、社殿が創建された。
上記の伝承は、琉球の固有信仰として古くからあった石体信仰と熊野信仰が結合したものであろうと『古代文学講座11 霊異記・氏文・縁起』では考察している。また、上記と同様の伝承が康熙52年(1713年、和暦では正徳3年)に国王へ上覧された琉球王府編纂の地誌『琉球国由来記 巻11』にも記されている。
正平23年(1368年)、頼重法印が当宮の別当寺として護国寺を建立したが、その後一時衰微し、紀伊國熊野から補陀落渡海の果てに琉球へ漂着した真言宗の僧侶日秀上人により大永2年(1522年)再興されている。再興にあたり日秀は熊野三所大権現の本地仏である阿弥陀如来・薬師如来・千手観音を刻して安置している。
寛永10年(1633年)に社殿が焼失したが、本地三尊像は護国寺に移されていて難を逃れた。焼失した社殿は同12年(1635年)に再建されている。さらに享和3年(1803年)社殿が大破したため、それまでの本地三尊像を3殿に分けて安置する形式から1殿に安置する三戸前として改築した。
明治に入り近代社格制度によって官幣小社へ列格され、明治23年(1890年)5月17日に御鎮座告祭式を行った。この御鎮座告祭式の日が、明治26年(1893年)から例大祭の日となっている。『琉球宗教史の研究』によれば、官幣小社へ列格される前年(1889年)に沖縄県が国幣中社の認定を申請していたが、皇室の祖神である伊弉冊尊を祀っていたことを理由として格上げのうえ列格されたのだと言う。昭和10年(1935年)には御再興三百年祭を催行。さらに昭和13年(1938年)頃にかけて神苑を整備している。
太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)、戦火が迫ったことから宮司がご神体を奉じて摩文仁村へ避難した。しかし境内は激しい沖縄戦の中で鳥居を残し全てが灰燼に帰してしまった。沖縄戦で壊滅的な損害を被った当宮であったが、昭和23年(1948年)には別表神社へと指定された。昭和27年(1952年)宮司が復興に着手。翌28年(1953年)ハワイ移民の寄進により本殿と社務所を再建、本土へも呼びかけ昭和36年(1961年)には拝殿が再建された。昭和47年(1972年)本土復帰を迎えて沖縄復帰奉告祭が行われ、皇室より幣帛料を賜っている。昭和62年(1987年)旧社務所並びに参集所を撤去し、新しい社務所が新築された。
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平成2年(1990年)御大典を記念して一の鳥居を改築した。さらに平成の御造営により本殿と拝殿を再建、平成5年(1993年)に完成して正遷座祭が催行された。翌6年(1994年)5月に全整備事業の終了により竣功奉告祭が催されている。平成15年(2003年)には第二社務所を新築、平成18年(2006年)長年に亘り信仰の場・景勝地として親しまれてきたことを理由に、当宮敷地一帯が「波上(なんみん)」として那覇市より史跡・名勝文化財へ指定された。
現在、宮内には沖縄県神社庁の事務所が置かれ、沖縄における神道の活動拠点の一つとなっている。

この神社最寄の駅・バス停:
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沖縄都市モノレール(ゆいレール)県庁前駅より西へ1km。
駅前のパレットくもじ前バス停から那覇バス乗車、西武門(にしんじょう)バス停下車。
那覇バス1番(首里牧志線)・2番(識名開南線)・3番(松川新都心線)・5番(識名牧志線)・15番(寒川線)・45番(与根線)で西武門(にしんじょう)バス停下車。

出典参考:Wikipedia「波上宮」(最終更新:2018年3月22日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E4%B8%8A%E5%AE%AE

現地取材:2017.5.16
記事投稿:2018.4.15

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by fbox12 | 2018-04-15 23:11 | 神社

253 新大阪駅 (JR東海/JR西日本/大阪メトロ)

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しんおおさか

概要:
大阪における新幹線の広範囲連絡の代表駅である。東海道新幹線の終点および山陽新幹線の起点となっており、当駅を営業区間に含む全列車が停車するほか、当駅を始終着とする列車が数多く設定されている。
大阪市の北の中心地である梅田は当駅より南方へ約3kmの距離にあり、そこにあるJR大阪駅までは在来線の東海道本線(JR京都線)で1駅、地下鉄梅田駅までは地下鉄御堂筋線で3駅である。また、新幹線に接続して北陸や山陰・南紀・関西空港方面への在来線特急列車が発着し、北近畿ビッグXネットワークではその一端を担っている。

乗り入れ路線:
JRの駅には、新幹線の東海道新幹線・山陽新幹線と在来線の東海道本線が乗り入れている。大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の駅には御堂筋線が乗り入れている。JRの在来線の駅には「JR-A46」、大阪市営地下鉄の駅には「M13」の駅番号が付けられている。
前述のとおり、東海道新幹線は当駅が終点であり、山陽新幹線は当駅が起点となっている。この両新幹線の路線は当駅を介して相互直通運転が実施されており、総称として「東海道・山陽新幹線」の路線名称が使用されることがある。また2011(平成23)年3月12日からは、全線開業した九州新幹線からの列車が当駅まで乗り入れを開始した。
1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化以降、東海道新幹線はJR東海、山陽新幹線と東海道本線がJR西日本の管轄となっている。新幹線は当駅がJR東海・JR西日本の境界駅となっているが、新幹線構内はJR東海が全面的に駅を管轄している。また東海道本線の当駅を含む京都駅 - 大阪駅間には「JR京都線」の愛称が設定されており、JR西日本の旅客案内ではこの愛称が使用されている。このほか、大阪駅を通らずに東海道本線支線(梅田貨物線)を経由して大阪環状線・阪和線に直通する列車も発着している。
JR東海・JR西日本の駅は特定都区市内制度における「大阪市内」に属する。JR西日本(在来線)の駅はアーバンネットワークエリアに属しており、管理駅(駅長が配置された直営駅)として東淀川駅を管理している。将来は北陸新幹線や中央新幹線の終点となる予定(後述)。
乗車カード対応:JR西日本の駅はICOCA、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の駅はPiTaPaの各IC乗車カードの利用可能エリア内に含まれており、それぞれ相互利用可能なICカードにも対応している。JR東海(新幹線)ではこれらのカードは利用できないが、新幹線の磁気乗車券やEX-ICサービスのEX-ICカードを在来線用のICOCAなどと組み合わせて使用できる。

歴史:
1964(昭和39)年10月1日の東海道新幹線の開業に先立ち、大阪市営地下鉄御堂筋線の駅が同年9月24日に開業した。
当時の駅は、用地買収の遅れから現在のホームの南半分(梅田側)のみ完成での開業で、さらに南側に木製の仮設ホームを継ぎ足してホーム長を確保していた。梅田側の上下線がホームの手前から大きく開いているのは、その仮設ホームがあった頃の名残である。
当駅 - 江坂駅間が延伸開業した1970(昭和45)年2月24日に、未完成だったホーム北半分が完成して仮設ホームを撤去し、現在の御堂筋線の駅が完成した。
国鉄(現 JR)の駅は、1964(昭和39)年の東京オリンピックの開催に合わせて建設された東海道新幹線の終点駅として、1963(昭和38)年10月に完成し、翌年の1964(昭和39)年10月1日に開業した。
新幹線の駅が大阪駅に併設されなかったのは、大阪駅(梅田地区)付近が阪急梅田駅や梅田貨物駅などの既存施設で埋め尽くされて再開発の余地がなかったことや、山陽方面への延伸が見込まれており、在来線(東海道本線)のように淀川を二度も渡る曲線経路を避けたためである。なお、戦前の新幹線計画である「弾丸列車計劃(画)」では、1940(昭和15)年4月1日に現在の同駅の隣に設置された東淀川驛が同路線開通後に「新大阪驛」と改称される予定であったが、戦後東海道新幹線が建設される際に、「山陽方面への延伸の際は、北方貨物線の直上に建設した方が用地買収の手間がなくてよい」といった理由で大阪付近のルートが一部変更されたため、現在の位置に当駅が設置された。これにより、当駅との統合という形で東淀川駅の廃止計画を発表したが、地元住民の要望により存続することになった。東淀川駅と当駅の間の営業キロが0.7kmと非常に短いのは、このような理由によるものである。
当駅におおさか東線が乗り入れ、同線の起点駅となる予定である。計画当初は2006(平成18)年開業を目指していたが、用地買収などで手間取り2009(平成21)年度着工、2019(平成30)年春全線開業を目指すことになった。

JR西日本・JR東海
a0057057_22512348.pnga0057057_22512340.png
1964(昭和39)年10月1日 - 東海道新幹線の東京駅 - 新大阪駅間開業。新幹線・東海道本線の駅開業
新幹線ホームは2面3線(現在の22 - 24番線)
a0057057_23501248.png1965(昭和40)年4月15日 - 新幹線ホーム1番線(現在の21番線)使用開始
1966(昭和41)年10月1日 - 新幹線の引上検修線が2線設置される。
1972(昭和47)年3月15日 - 山陽新幹線の当駅 - 岡山駅間開業
1974(昭和49)年7月22日 - 大阪市の分区に伴い、駅の所在地が東淀川区から淀川区となる。
 12月7日 - 新幹線ホーム5・6番線(現在の25・26番線)使用開始
1985(昭和60)年3月9日 - 新幹線ホーム20番線の使用開始。1 - 6番線を21 - 26番線に呼称変更
 3月14日 - 新快速の停車駅となる。
1987(昭和62)年4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、東海道新幹線と新幹線改札内は東海旅客鉄道(JR東海)の管轄に、山陽新幹線と在来線並びに在来線改札内は西日本旅客鉄道(JR西日本)の管轄になり、両社の境界駅となる。
1988(昭和63)年3月13日 - 路線愛称の制定により、東海道本線で「JR京都線」の愛称使用開始
1995(平成7)年1月17日 - 午前5時46分に阪神・淡路大震災発生。新幹線ホームでは駅名評と蛍光灯照明が落下、駅構内でもガラスが割れて散乱するなどの被害を受けた。近畿地方の在来線各線や新幹線は地震発生直後から運休となった。
 4月8日 - 山陽新幹線の当駅 - 姫路駅間運行再開
a0057057_08570496.png 8月6日 - 復旧工事および新幹線ホームのリニューアル工事と安全柵の設置工事完成。在来線に電光掲示板、自動改札機導入
1998(平成10)年3月10日 - 新幹線改札口に自動改札機導入
2002(平成14)年7月29日 - JR京都・神戸線運行管理システム導入
2003(平成15)年11月1日 - JR西日本でICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2005(平成17)年3月1日 - 在来線ホームにエレベーター、エスカレーター設置
2007(平成19)年3月18日 - 17・18番のりば(現在の15・16番のりば)のかさ上げ工事完成。在来線で駅自動放送更新
2011(平成23)年3月12日 - 九州新幹線の全線開業により、新設された「みずほ」・「さくら」の発着駅となる。
2012(平成24)年12月16日 - 在来線の新17・18番のりばが東側へ移設のうえ使用開始。旧17・18番のりばは使用停止
2013(平成25)年3月13日 - 在来線の東口の自動改札機をJR西日本テクシア製、AG50型に交換
 3月16日 - 新幹線の新ホーム27番線使用開始
 12月8日 - 在来線旧17・18番のりば改良工事終了し、新15・16番のりばとして使用開始。旧15・16番のりばは使用停止
2014(平成26)年1月26日 - 新幹線の引上線4線化により、27番線増設を含めた大規模改良工事完成
 2月26日 - 在来線地下鉄連絡口自動改札機をJR西日本テクシア製、AG50型に交換
2015(平成27)年1月18日 - 在来線旧15・16番のりば改良工事終了し、新13・14番のりばとして使用開始。旧13・14番のりばは使用停止
 3月4日 - 在来線コンコース内に駅ナカ施設「エキマルシェ新大阪」開業
 3月12日 - 在来線に接近メロディ導入
2016(平成28)年2月1日 - 在来線旧13・14番のりば改良工事終了し、新11・12番のりばとして使用開始。旧11・12番のりばは使用停止。11番のりばの線路は南側では東海道線上り列車線とは繋がらない構造となったため、事実上、11番のりばは梅田貨物線専用のりばとなった。
 2月16日 - 改札内に液晶ディスプレイの案内板設置
 3月26日 - ダイヤ改正に伴い、特急「しなの」の乗り入れ廃止
2017(平成29)年1月20日- 配線変更により、梅田貨物線の下り線が11番のりばに直接乗り入れる構造となり、11番のりばは完全に梅田貨物線専用となる。
 3月4日 - 当駅を始発・終着とする臨時「みずほ」の運転開始
2018(平成30)年3月17日 - 在来線に駅ナンバリングが導入され、使用開始
2019(平成31)年春 - おおさか東線の当駅 - 放出駅間開業予定。ただし、放出駅 - 久宝寺駅間は2008(平成20)年3月15日に先行部分が開業している。
在来線の旧11・12番のりばの改良工事終了し、のりば番号が改番され、おおさか東線用ホームとして使用を開始する予定

大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)
1964(昭和39)年9月24日 - 大阪市営地下鉄御堂筋線の梅田駅 - 当駅間が開通し、御堂筋線の駅開業
1970(昭和45)年2月24日 - 大阪市営地下鉄御堂筋線の当駅 - 江坂駅間開業
1974(昭和49)年7月22日 - 大阪市の分区に伴い、駅の所在地が東淀川区から淀川区となる。
1990(平成2)年6月 - 御堂筋線ホームの有効長を180mから200mに延長し、10両編成対応ホームとなる。
2006(平成18)年2月1日 - ICカード「PiTaPa」の利用が可能となる。
2013(平成25)年4月24日 - 中改札のトイレをリノベーション
2015(平成27)年9月4日 - 中改札のトイレが「日本トイレ大賞」国土交通大臣賞受賞
2016(平成28)年3月30日 - 駅ナカ施設「新なにわ大食堂」開業
2018(平成30)年4月1日 - 大阪市交通局の民営化により、所属事業者・管轄が大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)に変更

構想:
阪急や地下鉄の乗り入れ構想について、2018(平成30)年4月11日、国土交通省が採算性を試算した。その内容については、「乗りものニュース」に記事がある。
リニア中央新幹線の乗り入れ構想がある。2008(平成20)年11月7日に、JR東海会長葛西敬之が講演会のなかで「東京・名古屋・大阪では新幹線とリニアのどちらでも乗り換えが可能にしたい」とリニアの当駅乗り入れの意向を示したことがメディアにより報じられた。その後、2011(平成23)年5月27日に国土交通大臣によってリニアの建設指示がなされたが、その後の同年11月30日のJR東海の社長記者会見においても、新大阪駅に乗り入れる意向が示されている。
北陸新幹線の乗り入れ構想がある。大阪府知事の松井一郎やJR西日本社長の真鍋精志は「終着駅は新大阪駅でなければならない」と主張していたことにより、正式な終着駅になる予定。京都駅からのルートは東海道新幹線ではノンストップだが、北陸新幹線では京都府京田辺市に中間駅(松井山手駅)設置を決めている。

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a0057057_22512353.png駅構造:(JR西日本・JR東海)
所在地:大阪市淀川区西中島五丁目16-1
所属事業者:
西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)/東海旅客鉄道株式会社(JR東海)
電報略号/事務管コード:シオ/610155
乗入路線:
 東海道新幹線
  キロ程:552.6km(東京起点)
 山陽新幹線
  キロ程:0.0km(新大阪起点)
 東海道本線(JR京都線)
  駅番号:JR-A46
  キロ程:552.6km(東京起点)
 東海道本線貨物支線(梅田貨物線)
  キロ程:5.3km(吹田(タ)起点)
備考:
JR西日本:直営駅(管理駅)
JR東海:駅長配置駅(管理駅)
新幹線駅はJR東海、在来線駅はJR西日本管理ホームはJR西日本が管轄している部分は「のりば」、JR東海が管轄している部分は「番線」と表記・案内されるため、本項でもこれに従う。3階に改札口とコンコース、2階に商店街と地下鉄への連絡通路がある。
のりばは11 - 18番のりばが在来線ホーム(地平)、20 - 27番線が新幹線ホーム(4階)となっている。そのため1 - 10番のりば・19番のりばはない。ただし、新幹線ホームは1985(昭和60)年3月9日に20番線が設けられるまで1 - 6番線と称していた。 また、2013(平成25)年3月16日のダイヤ改正より、名古屋・東京方面行きの新ホーム「27番線」の使用が開始されている。
在来線ホームJR西日本の管轄で、島式ホーム4面8線(12両編成対応)を有する地上駅である。ホームはほぼ南北方向に延びており、新幹線ホームの東側と斜めに交差する。在来線と地下鉄とは距離があるため乗り換えの利便性はあまりよくない。「はるか」・「くろしお」は関西空港・南紀方面行も京都方面行も同じ11番のりばから発車するため、乗り間違えに注意する必要がある。
1964(昭和39)年10月1日の当駅の開業時から在来線の東部分には、おおさか東線の全線開業の際にホームを増設できるよう、広い用地が確保されていた。直上のコンコースにも階段等を設置するためのスペースがあらかじめ取られていた。だが、後におおさか東線は梅田貨物線に合流する計画に変更されたため、その用地には17・18番のりばのホームを新設し、さらに既存の線路を東へ順番に移設する工事が2018(平成30)年の完成を目途に、2012(平成24)年より始まった。
同年12月16日に新17・18番のりばの使用が開始された。これに伴い、使用が停止された旧17・18番のりばは約1年かけて改装され、2013(平成25)年12月8日に新15・16番のりばとして使用が開始された。旧15・16番のりばも1年以上かけて改装され、2015(平成27)年1月18日に新13・14番のりばとして使用が開始された。旧13・14番のりばも改装され、2016(平成28)年2月1日に新11・12番のりばとして使用が開始された。
最終的には旧11・12番のりばが(改番されて)おおさか東線、梅田貨物線(はるか、くろしお)用ホームとして使用が開始される予定。また改良工事によりコンコースには駅ナカ商業施設「エキマルシェ新大阪」が2015(平成27)年3月4日に開業している。
当駅の大阪方には網干総合車両所宮原支所への連絡線があり、大阪駅発着列車の送り込み・送り出し回送列車が通行するが、この連絡線自体も当駅の構内に含まれており、当該回送列車の運転取り扱い上でも当駅を通過駅かつ採時駅として扱っている。
a0057057_22023905.png11番のりば
 関西空港線 関空特急「はるか」 関西空港方面(梅田貨物線経由)
 きのくに線 特急 白浜・新宮方面
12番のりば
 高山本線 特急 高山方面
 北陸本線 特急「サンダーバード」 福井・金沢方面
(12番のりばの「サンダーバード」と11番のりばの「はるか」)
13・14番のりば
 JR京都線 茨木・高槻・京都方面(一部12番のりば)
15・16番のりば
 JR神戸線 大阪・尼崎・三ノ宮方面(一部17番のりば)
 JR宝塚線 宝塚方面(主に15番のりば)
17・18番のりば
 福知山線 特急 福知山・城崎温泉・天橋立方面
 東海道線・智頭急行線 特急 大阪・鳥取方面
上記路線名は当駅における旅客案内上の名称(愛称)で記載している。
当駅は「JR京都線」と呼ばれる区間の途中駅であるが、当駅では便宜上、京都方面行のみ「JR京都線」と案内され、大阪・尼崎方面は、直通先の路線愛称である「JR神戸線」「JR宝塚線」と案内されている。広島方からの新幹線到着時の車内放送もこの形に準拠している(名古屋方からの到着時の車内放送では「東海道線」と案内される)ほか、「JRおでかけネット」の駅構内図も同様である。運転取り扱い上の番線は西から、工事中のおおさか東線が1番線・2番線、11番のりばが3番線の順で、18番のりばが10番線である。原則として、上りは新快速・快速が13番のりば、普通が14番のりば、下りは普通が15番のりば、新快速・快速が16番のりばを使用する。ただし、平日朝ラッシュ時は、上りの新快速・快速が12番のりば、普通が14番のりば、下りの普通が16番のりば、下り新快速・快速が17番のりばを使用する。
サンライズ瀬戸・サンライズ出雲は当駅には停車しない。下り(高松・出雲市行き)は17番のりば、上り(東京行き)は12番のりばを通過していく。
新幹線ホームはJR東海の管轄で、島式ホーム3面6線と単式ホーム2面2線、合計5面8線を有する高架駅。ホームはほぼ東西方向に延びている。表示板はJR東海のデザインのものであるが、東海道・山陽新幹線の境界駅のため、「JR東海」の表示やオレンジ色のJRマークは入っていない。博多方には上下本線の間に引上線(大阪仕業検査車両所新大阪支所)があるほか、25・26番線の博多方には保線用の横取り線がある。東海道新幹線の開業当初の設計では島式ホーム3面6線のみ(開通時は2面3線のみで1974(昭和49)年12月7日に3面6線となった)で南北に1線ずつ留置線の路盤を準備していたが、その路盤に線路とホームを設置する形で1985(昭和60)年3月9日に20番線が、2013(平成25)年3月16日に27番線が増設された。なお、27番線のホームは阪急新大阪連絡線として阪急電鉄が確保していた用地を利用して設置された。山陽新幹線の「みずほ」・「さくら」・「ひかりレールスター」・「こだま」の多くは20番線に停車するため、東海道新幹線との乗り換えの便はあまりよくない。また、コンコースと20番線を直接行き来するエレベーターがなく、21・22番線用のエレベーターを利用して乗り換える必要がある。2011(平成23)年3月12日の山陽・九州新幹線直通運転にそなえ、20番線のエスカレーターの増設工事が行われた。
実際のJR東海とJR西日本の会社境界は駅西方2.8km先(東京起点518.2km)にある。ここにはATCの上り第1場内進路と地上信号機が設置されている。20番線(一部は21 - 23番線)に到着する上り列車はここから下り線を走行することになるため、山陽新幹線のダイヤ構成上の制約が生じるが、反面22番線から27番線までと引き上げ線との間の入換では交差支障が発生せず、東海道新幹線の新大阪折り返し列車と山陽新幹線の新大阪折り返し列車は独立にダイヤ設定が可能である。また東海道新幹線側では同駅では一部相互発着という手法で列車を入線・出発させている。2006(平成18)年2月22日のJR東海社長定例会見で、新幹線ホームの改良に伴い、阪急新大阪連絡線の用地の一部を転用して、現在の26番線の北側に27番線を新たに設けることと、博多方にある2本の引上線を4本に増設することを明らかにしていたが、27番線は2013(平成25)年3月16日のダイヤ改正より使用している。これにより、運転効率の向上ならびにさらなる本数増強が可能になった。続いて、引上線の増設が2014(平成26)年1月26日に完成した。残る阪急電鉄の所有地は、当駅北側の玄関口として活用するとともに、新大阪連絡線のうち免許が維持されている当駅 - 十三駅間を四つ橋線の十三延長(西梅田・十三連絡線(仮称))と合わせて一本の路線として、北ヤード・西梅田への接続路線として整備する意向であることを表明している。ただしこれらの計画についての着工・完成時期などは未定である。また、新幹線コンコースはこれまでの中央入口(入場のみ)・中央出口(出場のみ)が、両者ともに入出場可能となる改良工事が行われた。これに伴い、前者は「中央口」、後者は「南口」と改称されている。なお、2013(平成25)年7月10日より新幹線ホームが全面禁煙化され、新たにコンコース内に喫煙ルームが設けられた。新幹線ホームの直下の地上には北方貨物線が通る。ホーム部分は25・26番線ホームの直下、引上線部分は引上1・2番線(1966(昭和41)年10月1日に設置された当初からある引上線)の直下を通過している。

のりば:
20 - 22番線 山陽新幹線 岡山・博多・鹿児島中央方面(20番線は当駅始発のみ)
23 - 27番線 東海道新幹線 名古屋・東京方面(23・24・27番線は原則として当駅始発のみ)
配線上、22番線が下り本線、26番線が上り本線である。2016(平成28)年3月26日の改正現在、到着列車については、東海道新幹線方面からは21 - 27番線、山陽新幹線方面からは20 - 26番線に入線する。なお、構造的には全てのホームで両方向の到着・発車に対応している。27番線については、2013(平成25)年3月16日の開設時は山陽新幹線方面から直通する列車も使用していたが、2014(平成26)年3月15日の改正時より原則として当駅始発の東海道新幹線列車(2017(平成29)年3月4日改正前日まで、日中は「ひかり」・「こだま」が毎時1本ずつ、同改正以降は「のぞみ」2本(うち1本は臨時列車))が使用している。
臨時列車がある場合、山陽新幹線博多方面の列車が、本来東京方面のホームである23番線から発車することもある。20番線については、1985(昭和60)年3月9日の開設時から1990(平成2)年頃までは、少数ながら東海道新幹線列車の発着にも使用されていた。
a0057057_11155471.pnga0057057_11240189.png
a0057057_22512394.png大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)
所在地:大阪府大阪市淀川区西中島五丁目15-5
駅番号: M13
所属・路線:
大阪市高速電気軌道株式会社(Osaka Metro)・御堂筋線
キロ程:2.9km(江坂起点)

a0057057_16132781.png大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)御堂筋線は西側で東海道・山陽新幹線とほぼ直交し、新御堂筋の中央分離帯に位置する島式ホーム1面2線を有する高架駅となっている。高架駅ではあるが、線路を含めすべて屋根に覆われている。
江坂・千里中央方にY形折り返し線があり(右写真:折返し列車が入線中)、天王寺方面行きの始発列車が運転される。かつては夜間の留置にのみ使用されていたが、1990(平成2)年から中津行を延長する形で昼間にも多く運転されるようになった(当初は「国際花と緑の博覧会」期間中のみの予定であったが、好評だったため期間終了後もこの延長運転は続けられ、後に夜間時間帯にも拡大している)。
昇降設備は、北東・北西改札内にエスカレーターが上り1基・下り2基とエレベーターがあり、中改札内にエスカレーターが上り2基・下り1基とエレベーターがあり、南改札内に上りエスカレーター1基がある。トイレは北東・北西改札内、中改札内、南改札内のそれぞれにあり、北東・北西改札内と中改札内にオストメイトに対応した多機能トイレがある。自動改札機は東芝製が設置されている。
2010(平成22)年1月6日、中改札口にファミリーマート地下鉄新大阪駅ナカ店が開店したが、2015(平成27)年に閉店した(跡地に改札口南側にあった有人窓口を移設)。2016(平成28)年3月30日には駅北東・北西改札外に駅ナカ商業施設「新なにわ食堂街」がオープンした。
当駅は梅田管区駅に所属し、同副管区駅長が管轄している。

のりば:
a0057057_16361425.png1番のりば
 御堂筋線 梅田・なんば・天王寺・あびこ・なかもず方面
2番のりば
 江坂・千里中央方面(写真)


バス:

a0057057_22512368.png正面口(南口)・北口・東口の3箇所にバス停が設置されている。なお、東口にあるバス停は地下鉄駅からかなり離れている。また、地下鉄の駅では新大阪駅北口バス停付近に設置されている「宮原四丁目」バス停を最寄りバス停として案内している。
(路線等詳細は省略)
右の乗車券は、正面口(南口)1番のりばから発車する大阪空港交通 大阪空港 行のもので、タイトル写真(動輪・車輪)近くに券売機が設置されている。

出典参考:
Wikipedia「新大阪駅}(最終更新:2018年4月2日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%A4%A7%E9%98%AA%E9%A7%85
乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/80203
現地取材:2018.3.-2/2018.3.28他
記事投稿:2018.4.14

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by fbox12 | 2018-04-14 23:53 | 鉄道・バス