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第佰六 北海道神宮 北海道札幌市中央区鎮座

a0057057_22593110.pngほっかいどうじんぐう

鎮座地:北海道札幌市中央区宮ヶ丘474
祭神:大国魂神(おおくにたまのかみ)
   大那牟遅神(おおなむちのかみ)
   少彦名神(すくなひこなのかみ)
   明治天皇(めいじてんのう)
社格等:札幌神社、旧国幣小社、旧官幣小社、旧官幣中社、旧官幣大社、神社本庁別表神社、蝦夷国新一宮
本殿様式:神明造
由緒:(神社由緒書き)
 明治2年、当時「蝦夷地」等と呼ばれていた北海道は、日本の国土としてより明確にする為に、「北海道」と名づけられました。そして同じ年の9月1日に、明治天皇の詔(みことのり)(天皇のおことば)により、東京で「北海道鎮座神祭(ほっかいどうちんざしんさい)」を斎行(お祭を行う事)して、北海道の開拓・発展の守護神として、大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の三柱の神々(開拓三神(かいたくさんじん)といいます)が鎮斎(ちんさい)されました。
 その御霊代(みたましろ)(神様が宿った依代。鏡や剣等々…)は東京から函館へ、そして札幌へと移されました。明治3年5月には仮社殿が建てられましたが、それは現在の鎮座地(神様の住まれる神社の建っている所)ではありませんでした。現在の位置に社殿が建てられたのは、明治4年のことで、この年に「札幌神社」と社名が決まりました。
 そして開国を決断され、西洋の文明を取り入れて現在に至る日本の礎を築かれた明治天皇を昭和39年増祀(ぞうし)(その神社にお祀りする神様が増えること)し、社名も「北海道神宮」と改称しました。
 約18万平方メートルの境内地は、桜の名所としても知られ、市民に親しまれていますが、現在の北海道神宮の社殿は、昭和49年放火に遭い、昭和53年に復興されたものです。

境内社:(由緒は、いずれも「神社案内」から)
開拓神社 かいたくじんじゃ
由緒:昭和十三年は北海道開拓七十年にあたり、北海道庁長官・石黒英彦は、記念事業として物故開拓功労者を祭祀するため開拓奉斎殿を建立し、同年八月十五日、開拓功労慰霊祭を執行しました。 続いて全道から奉斎神の申請を求め三十六柱が選考され、同年十二月三日に開拓奉斎殿の社殿を以って開拓神社として鎮座祭がおこなわれました。その後、昭和十五年九月六日に末社に指定され、昭和二十九年九月二十二日には帯広市長・佐藤亀太郎外の請願により、帯広の農聖といわれた依田勉三を合祀して三十七柱の祭神となりました。

札幌鉱霊神社 さっぽろこうれいじんじゃ
由緒:鉱山殉職者を慰霊する神社です。
 昭和十八年、札幌鉱山監督局五十周年記念事業として当時の局長・久保喜八の提唱によって同局の前庭に建立されたのが始まりです。戦後昭和二十四年、北海道神宮の境内に遷座しました。

穂多木神社 ほたきじんじゃ
昭和十三年、北海道拓殖銀行本店の屋上に同行の守護神として札幌神社の祭神を奉斎する神社です。併せて、北海道拓殖銀行の物故功労者の御霊を奉斎しました。昭和二十五年北海道神宮境内に遷座しました。
(「穂多木」とは「ほっかいどう・たくしょく・ぎんこう」の頭文字を清音化して字を当てたもの)。

境外末社:
北海道神宮頓宮 ほっかいどうじんぐうとんぐう
開拓三神を祀る。

この神社最寄りの駅・バス停:
札幌市営地下鉄東西線 円山公園(徒歩15分)
札幌ばんけい(ばんけい観光バス)もしくはジェイ・アール北海道バス 神宮前(停)

参考資料:
北海道神宮ホームページ
 http://www.hokkaidojingu.or.jp/
Wikipedia「北海道神宮」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E7%A5%9E%E5%AE%AE

現地参拝:11.3.13
記事投稿:29.7.23

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by fbox12 | 2017-07-23 23:01 | 神社

リポビタンローヤル11

a0057057_21503959.pngミニチュアボトルコレクション1018

販売名:リポビタンローヤル11
品名:指定医薬部外品
原材料:
タウリン・ローヤルゼリー・シゴカ流エキス・クコシ流エキス・塩化カルニチン・イシリトール・ニコチン酸アミド・チアミン硝化物(ビタミンB1)・リポフラビン酸エステルナトリウム(ビタミンB2)・ピリドキシン塩酸塩(ビタミンB6)・無水カフェイン他添加物
容量:50ml
製造販売元:大正製薬株式会社(東京都豊島区高田三丁目24番1号)

記事投稿:29.7.19

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by fbox12 | 2017-07-19 22:00 | コレクション

第佰伍 櫻山八幡宮 岐阜県高山市鎮座 

a0057057_23353859.pngさくらやまはちまんぐう

鎮座地:岐阜県高山市桜町178
祭神:八幡大神(応神天皇)
相殿:熱田大神(日本武尊命)
   香椎大神(仲哀天皇・神功皇后)
社格等:八幡神社、旧県社、神社本庁別表神社

概要:
秋の例祭は、春の日枝神社の例祭とともに高山祭として知られ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

歴史:
仁徳天皇65年、飛驒國に二つの顔を持つ宿儺(すくな)という賊が現れ、それを討伐するために派遣された難波根子武振熊命が戦勝祈願のために先代の応神天皇を祀ったのに始まると伝える。また、聖武天皇が諸国に設けた護国八幡だという説もある。江戸時代に金森氏が当地の領主となったとき氏神として当社を保護し、宮川以北の住民を氏子とした。明治時代に八幡神社に改称し、昭和7(1932)年に県社になる。櫻山八幡宮の名は戦後からという。境内に高山屋台会館があり、秋の高山祭に実際に曳き出される屋台が通年展示されている。近年、高山祭屋台会館と館名変更がなされている。
a0057057_23512439.png

参考資料:Wikipedia「桜山八幡宮」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E5%B1%B1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE

現地参拝:-8.6.-8
記事投稿:29.7.18


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by fbox12 | 2017-07-18 23:54 | 神社

004 新日本橋駅(JR東日本)

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a0057057_1753452.pnga0057057_17112956.png

a0057057_1844368.pngしんにほんばし

所在地:東京都中央区日本橋室町四丁目4
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・総武本線
(タイトル写真:4番出口/タイトル右下写真:3番出口)

概要:
当駅は総武本線の地下区間に設置されており、運転系統としては総武快速線の列車が停車する。
当駅に乗り入れているのはJR東日本のみであるが、当駅からの連絡通路を経由して、三越前駅に乗り入れる東京地下鉄(東京メトロ)の銀座線と半蔵門線との乗り換えが可能となっている。開業時から地下鉄の三越前駅との乗り換え駅だが、当駅開業当初の国鉄に「新駅を開設する際、駅名に私企業(名)を入れてはならない」旨の規約があり、そのため「三越」が使えず、なおかつ日本橋に近い事から、「新日本橋駅」の名称がつけられた。市販の地図に掲載されている路線図では、新日本橋・三越前両駅が乗り換え扱いになっていないものもいくつかある。なお、JR横須賀・総武快速線の電車内に掲出してある停車駅案内でも、当駅は銀座線・半蔵門線の乗り換え表示が省略されているが、自動放送では乗り換えのアナウンスが行われている。
建設時の仮称は「本町駅」と称していた。

歴史:
昭和47(1972)年7月15日 - 開業
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる。
平成13(2001)年11月18日 - ICカードSuica供用開始
平成22(2010)年10月31日 - みどりの窓口営業終了

a0057057_193798.png駅構造:
島式ホーム1面2線を有する地下駅である。隣駅の馬喰町駅と同じ発車ベルが用いられている。エレベーターはホームと改札を結ぶものが設置されている。
かつては、切符売り場の横にみどりの窓口が設置されていたが、平成22(2010)年10月31日で営業を終了した。

入場券:
右上の入場券は、開業半年後のものである(料金30円)が、当時他の駅では硬券(硬いボール紙の切符)で発売されていた。
新しく出来たこの駅には新型の印刷発行(券)機が導入されたため、硬券の発売はなかった。

のりば:
1番線 総武(快速)・横須賀線 上り 東京・品川・横浜・横須賀方面
2番線 総武線(快速) 下り 津田沼・千葉・成田空港・大原・木更津方面

バス路線:
室町三丁目
(都営バス)
 <東42甲> 南千住駅西口・南千住車庫行き(浅草橋駅・東武浅草駅経由) / 東京駅八重洲口行き
 平成12(2000)年12月11日までは、<茶51>の駒込駅南口~東京駅丸の内北口線も発着していた。
JR新日本橋駅
(日の丸自動車興業)
 <メトロリンク日本橋> 日本橋二丁目・地下鉄京橋・宝町駅方面
 <スカイホップバス 浅草・東京スカイツリーコース> 東京駅丸ノ内三菱ビル方面
新日本橋駅
(日立自動車交通)
 <江戸バス(中央区コミュニティバス) 北循環> 中央区役所行(馬喰横山駅・浜町駅・水天宮前駅経由)


(参考資料:Wikipedia 平成27(2015)年9月16日更新)
記事投稿:27.10.26
  調整:29.7.14

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by fbox12 | 2017-07-14 16:54 | 鉄道・バス

213 中部天竜駅(JR東海)

a0057057_227079.pngちゅうぶてんりゅう

所在地:浜松市天竜区佐久間町半場15-3
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・飯田線
電報略号/事務管コード:チウ/521732

概要:
飯田線の要所となる駅であり、飯田線の静岡県内にある駅では唯一の有人駅である。
普通列車は朝を中心に当駅始発の列車が数多く設定されており、特急「伊那路」、快速列車も停車する。かつて運転されていた臨時列車「トロッコファミリー号」の終着駅でもあった。また、二俣線遠江二俣駅(現 天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線天竜二俣駅)から乗り入れる「佐久間線」(未成線)の終点に予定されていた。
かつては駅構内に鉄道車両を展示する「佐久間レールパーク」が併設されていたが、平成21(2009)年に閉園した。
平成24(2012)年3月17日より、当駅以南(豊橋方面)を走る一部の列車がワンマン化された。ただし当駅以北(飯田方面)へ直通する列車は当駅から車掌が乗務することもある。

歴史:
駅名は、天竜川を挟んだ対岸の地名、中部(なかっぺ)に由来し、現在でも浜松市天竜区佐久間町中部(なかべ)と言う読みで地名が残っている。当初は「なかっぺてんりゅう」という読みであったが途中で現在の読みに変更されている。
昭和9(1934)年11月11日 - 三信鐵道が三信三輪驛(現 東栄駅)から延伸した際の終着駅である佐久間驛(さくまえき、初代)として開業。旅客と貨物をともに扱う一般駅であった。
昭和10(1935)年5月24日 - 中部天龍驛(なかっぺてんりゅうえき)への改称を届出
昭和11(1936)年11月10日 - 三信鐵道線が佐久間水窪口停留場(現 佐久間駅)を経て天龍山室驛まで延伸し、途中駅となる(ただし佐久間水窪口停留場から先は昭和30(1955)年のルート切り替え時に廃止)。
昭和17(1942)年3月24日 - 中部天龍驛(ちゅうぶてんりゅうえき)への(読み替え)改称を届出
昭和18(1943)年8月1日 - 三信鐵道線が飯田線の一部として国有化され、鐵道省の駅となる。
a0057057_2149459.png昭和55(1980)年10月1日 - 専用線発着を除く車扱貨物取り扱い廃止
昭和57(1982)年3月31日 - 車扱貨物取り扱い全廃
昭和59(1984)年2月1日 - 荷物取扱廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東海が継承
平成3(1991)年4月21日 - 構内に「佐久間レールパーク」開設
平成8(1996)年3月16日 - 定期特急「(ワイドビュー)伊那路」運転開始。停車駅となる。
平成21(2009)年11月1日 - 「佐久間レールパーク」閉園

駅構造:
島式ホーム1面2線と側線を持ち、列車交換が可能な地上駅。駅舎とホームは、ホームの下川合駅側にある構内踏切で連絡している。
駅長配置駅(直営駅)である。管理駅として、飯田線の静岡県内にある各駅(出馬駅 - 小和田駅間)を管理している。みどりの窓口(営業時間9:10 - 17:25、一部休止する時間帯あり)があるが、早朝・夜間は無人となる。
駅舎内には土産物屋、駅構内には旧中部天竜機関区の施設と留置線を利用した佐久間レールパークがあった。

のりば:
1番線 飯田線 下り 天竜峡・飯田方面
2番線 飯田線 上り 豊橋方面
駅南西から天竜川を渡り国道473号に出る細い道路がある。これは、かつて当駅から分岐し佐久間周波数変換所へ向かっていた資材輸送用専用線の廃線跡である。

バス路線:
浜松市自主運行バス -「中部天竜駅」バス停
中部天竜駅から佐久間駅を経由して、遠鉄バス北遠本線と接続する「西渡」バス停に至るバス路線。一部の便は同路線の「間庄口」または「大輪」バス停まで向かう。
そのほか、かつては国鉄バスが佐久間ダムまでの路線を運行していたが昭和39(1964)年3月に廃止、廃止後の代替輸送機関として「共益バス」が、共益株式会社(電源開発(Jパワー)グループ、現 JPビジネスサービス)により昭和59(1984)年頃まで運行されていた。佐久間ダムまでの唯一の公共交通機関が消えたことにより、翌昭和60(1985)年に国鉄の一般周遊券における「周遊指定地」から佐久間ダムが削除されている。周遊指定地が削除となった第1号の事例である。

参考資料:Wikipedia(2017年4月20日)
記事:
 取材:29.4.-6他
 投稿:29.4.21
 調整:29.7.14

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by fbox12 | 2017-07-14 16:26 | 鉄道・バス

225 岩本駅(JR東日本)

a0057057_21412433.png
いわもとa0057057_21563176.png

所在地:群馬県沼田市岩本町173
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・上越線
電報略号/事務管コード:イモ/411208
キロ程:(高崎起点)36.3km

歴史:
a0057057_21440481.png大正13(1924)年3月31日 - 開業。
昭和60(1985)年8月10日 - 無人化(書類上の無人化は同年3月14日)。その後、特別改札で駅業務を継続。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道が承継。
平成16(2004)年5月1日 - 完全無人化。
平成21(2009)年3月14日 - Suica利用開始。
平成22(2010)年3月13日 - 新駅舎(現行)使用開始。

駅構造:
a0057057_22094971.png単式ホーム2面2線を有する地上駅。かつては駅舎の西側に接する形で単式ホーム1面1線、その西側に島式ホーム1面2線があり、あわせて2面3線を持つ構造であったが、島式ホームの駅舎側、真ん中に当たる一線が撤去されて、現在の構造となった。駅舎に近いホームに上野方面、遠いホームに長岡方面の列車が発着している。互いのホームは跨線橋で連絡している。なおホームは嵩上げされておらず、電車とホームの間の段差が大きくなる。かつては敷島駅(旧駅舎)、八木原駅、群馬総社駅とよく似た古い木造の駅舎があったが、平成24(2012)年に現在の駅舎に建て替えられた。旧駅舎は昭和57(1982)年、グリコセシルチョコレートのCMに使われたことがある(作中では「美里駅」の駅名)。沼田駅管理の無人駅。簡易自動券売機、簡易Suica改札機が駅舎内に設置されている。海抜はおよそ291m。(駅名標の足元に書かれている)。

のりば:
1番線(駅舎側)上越線 上り 渋川・高崎方面
3番線(反対側)上越線 下り 水上・長岡方面
*中線撤去後、案内上では上記の番線番号の表記がなくなっている。

バス路線:
岩本線 上野入口経由上野行き(上野入口にて渋川方面に接続)
 利根実業前、市役所前、国立病院前経由東下原団地行き
いずれも、沼田市バス(ジャンボタクシーで運転)の運行。土休日運休。

参考資料:Wikipedia「岩本駅」(2016年8月27日更新)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%9C%AC%E9%A7%85
現地取材:28.8.27/29.1.-5
記事投稿:29.7.-3

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by fbox12 | 2017-07-03 22:28 | 鉄道・バス