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カテゴリ:鉄道・バス( 425 )

287 矢岳駅 (JR九州)

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a0057057_20560163.pnga0057057_20580479.png
やたけ

所在地:熊本県人吉市矢岳町4706
所属・路線:九州旅客鉄道株式会社(JR九州)・肥薩線
キロ程:71.7km(八代起点)
電報略号/事務管コード:ヤケ / 930216
駅形態:無人駅

概要:
a0057057_21171213.png矢岳駅は、JR肥薩線の山線と呼ばれる険しい区間にある駅の一つで、肥薩線で最も高く標高約536.9mの地点に位置する。2000年3月12日のダイヤ改正で急行「えびの」が廃止されるまでは急行停車駅であった。
歴史:
a0057057_21204819.png1909年(明治42年)11月21日 - 鹿児嶋本線の一部として内閣鐵道院が開設。
1927年(昭和2年)10月17日 - 海岸ルート(川内本線)全通に伴い肥薩線所属駅となる。
1972年(昭和47年) - 構内にSL展示館開設。(写真)
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR九州が継承。
2007年(平成19年)11月30日 - 矢岳駅とSL展示館の保存車(蒸気機関車D51 170)が南九州近代化産業遺産群の物資輸送関連遺産の1つとして選ばれる。
a0057057_21302924.pnga0057057_21322702.png
駅構造:
単式ホーム1面1線のみの地上駅。かつては列車同士の行き違いも可能な設備を有していた。無人駅だが、日本三大車窓に数えられる観光区間に位置するため、駅舎の待合室には駅ノートが設置されている。また汲み取り式便所が設置されている。
駅構内には蒸気機関車(SL)の展示館があり、D51 170が展示されている。並べて展示されていた58654(8620形)は、1988年(昭和63年)に現役復帰した。
開業当時の旧駅長官舎が現存しており、JR九州は改修して2019年(平成31年)3月より宿泊施設として営業する計画である。

出典・参考:Wikipedia「矢岳駅」(最終更新 2018年10月20日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%B2%B3%E9%A7%85

現地取材:2018.3.14
記事投稿:2018.11.13

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by fbox12 | 2018-11-13 22:02 | 鉄道・バス

286 大畑駅 (JR九州)

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a0057057_21163715.pnga0057057_21201360.png
a0057057_21244286.pngおこば

所在地:熊本県人吉市大野町
所属・路線:九州旅客鉄道株式会社(JR九州)・肥薩線
キロ程:62.2km(八代起点)
電報略号/事務管コード:オコ / 930215
駅形態:無人駅・スイッチバック駅

概要:
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肥薩線の山線と呼ばれる険しい区間にある駅。また日本で唯一、ループ線の中にスイッチバックを併せ持つ駅としても知られる。
「こば」とは焼畑を意味した言葉で、その昔大きな焼畑があったことからこの地名が付けられたという説がある。
開業当時に走っていた蒸気機関車のために設けられた、信号所と給水所としての役割が大きかった駅で、現在でも駅の周りには人家がなく、大畑の集落に出るには徒歩1時間近くかかる。
人吉駅から連続した勾配を登ってきた蒸気機関車は、この駅で給水をする必要があった。また機関士たちのみならず、トンネルの連続で乗客達も煤で顔や手が汚れるため、駅のホームにある湧水の洗顔場で洗っていたという。
人吉駅から大畑駅まで、D51形蒸気機関車で1トンもの石炭を消費し、1分間に250リットルもの水をボイラーに送り続けていたという。特に、1927年(昭和2年)まではこのルートが鹿児嶋本線とされ、多くの重量貨物列車が往来していた。
当駅で一休みした列車は、さらに険しい矢岳駅への勾配へ挑んでいった。
スイッチバックを併せ持ったのは勾配途中に平坦な場所を設け、そこに停車場を建設するためだった。
2000年(平成12年)3月11日まで、急行えびのが停車していた。

歴史年表:
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1909年(明治42年)12月26日 - 鹿児嶋本線所属駅として内閣鐵道院が開設。
1927年(昭和2年)10月17日 - 海岸ルート(川内本線)全通に伴い肥薩線所属に変更。
1986年(昭和61年)11月1日 - 電子閉塞装置導入により無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2007年(平成19年)11月30日 - 大畑駅、周辺の鉄道施設遺産、石造りの給水塔(右写真)、および朝顔型噴水が南九州近代化産業遺産群の物資輸送関連遺産の1つとして選ばれる。
2018年(平成30年)9月8日 - 駅構内の旧保線詰所跡を改装したレストランが開業。駅構造:a0057057_21125170.png通過不可能なスイッチバック構造で、かつて運転されていた優等列車も必ず停車しなければならなかった。ただし、特急「おおよど」は運転停車のため、客扱いは行わなかった。
a0057057_21142126.png駅は島式ホーム1面2線を持ち、ホームから構内踏切を渡って駅舎に行くことができる。木造の駅舎(上2段目の写真)は開業当時のもので、周りの駅とよく似ているが、当駅のみ観光列車「いさぶろう・しんぺい」のリニューアルにあわせて窓枠を木造に戻すなど、開業当初の雰囲気を再現する改装が行われた。現在は無人駅である(入場券は有人駅時代のもの)。

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のりば:
1番のりば 肥薩線 下り 吉松・鹿児島方面・・鹿児島方面は吉松にて乗換(「しんぺい号」が停車中)
2番のりば 肥薩線 上り 人吉・熊本方面
近年では人吉駅以北へ直通する列車の設定がなかったが、2016年(平成28年)3月のダイヤ改正より、「いさぶろう1号」及び「しんぺい4号」が熊本駅まで、普通列車上下各1本が八代駅まで直通する。

出典・参考:Wikipedia「大畑駅」(最終更新 2018年10月8日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%95%91%E9%A7%85
閲覧:2018.10.26

現地取材:2018.3.14
記事投稿:2018.10.28

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by fbox12 | 2018-10-28 21:22 | 鉄道・バス

JR大社線 <路線廃止> / 912 大社駅 (JR西日本)

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大社線(たいしゃせん)は、かつて島根県出雲市の出雲市駅から同県簸川郡大社町(現在は出雲市)の大社駅までを結んでいた西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。

概要:
出雲大社への参詣路線として京都・大阪方面などからの直通列車も運行されていたが、国鉄分割民営化前の昭和60(1985)年からは線内折り返しの普通列車のみ運行されていた。国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継されたが、昭和62(1987)年に特定地方交通線第3次廃止対象線区として承認され、平成2(1990)年4月1日に廃止された。 廃線前の輸送密度は2,661人/日で、路線バスに転換された特定地方交通線の中ではもっとも高かった。

a0057057_15543648.png廃止後は一畑電気鉄道による代替バスに転換され、現在は一畑バスに引き継がれている。また、和風木造の大社駅舎(左)は、国の重要文化財・島根県有形文化財に指定され現在も保存されている。線路跡は出雲市駅 - 荒茅駅までの区間がサイクリングロードとなっており(途中、出雲高松駅跡の先からしばらくは通行不能)、出雲高松駅、荒茅駅ともにプラットホームが残されている。
平成6(1994)年12月3日より平成10(1998)年3月13日まで出雲市駅から1キロほどの廃線跡が、出雲市駅高架化工事のため仮線として使用されていた。




路線データ:
 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
 区間(営業キロ):出雲市駅 - 大社駅間 7.5km
 軌間:1067mm
 駅数:4駅(出雲市・出雲高松・荒茅・大社)
 複線区間:なし(全線単線)
 電化区間:なし(全線非電化)

運行形態:
廃止直前の時点で、線内折り返しの普通列車のみおおむね1時間毎の運転で、1日15往復の列車が設定されていた。
出雲大社への参詣路線という性格から、他線と直通する列車が開業直後から運行されていたが、地域輸送が中心となった実体を反映して、昭和60(1985)年3月に他線に直通する列車は廃止された。1980年代頃の主な直通列車として、名古屋駅 - 大社駅間の急行「大社」や大阪駅 - 大社駅間の急行「だいせん」などがある。

歴史:
明治45(1912)年6月1日:出雲今市驛(現在の出雲市駅) - 大社驛駅間(4.7M≒7.56km)開業。大社驛開業。
大正元(1912)年11月15日:朝山驛開業
昭和7(1932)年5月10日:朝山驛、出雲高松驛に改称
昭和32(1957)年4月1日:出雲今市駅、出雲市駅に改称
昭和33(1958)年4月1日:荒茅駅開業
昭和ア49(1974)年10月1日:貨物営業廃止
昭和62(1987)年2月3日:第3次特定地方交通線として廃止承認
 4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継
平成2(1990)年4月1日:全線廃止。一畑電気鉄道バスに転換

駅一覧:
(全駅島根県出雲市に所在。ただし、大社駅の所在は廃止時点では簸川郡大社町)。
 駅名  駅間キロ 営業キロ接続路線
 出雲市駅  西日本旅客鉄道:山陰本線/一畑電気鉄道:北松江線(電鉄出雲市駅)
 出雲高松駅 3.5  3.5
 荒茅駅   1.5  5.0
 大社駅   2.5  7.5

(以上、出典:Wikipedia「大社線」(最終更新 2016年6月12日)


912 大社駅 (JR西日本) <路線廃止>
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たいしゃ

所在地:島根県簸川郡大社町北荒木(廃止時:現 出雲市)
所属・路線:西日本旅客鉄道株式会社・大社線 <路線廃止>
電報略号 / 事務管コード:タシ / 641903

歴史:
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明治45(1912)年6月1日 - 内閣鐵道院大社線 出雲今市驛(現 出雲市駅) - 当駅間の開通と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始
大正13(1924)年2月28日 - 二代目駅舎竣工
昭和49(1974)年10月1日 - 貨物取扱廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる。
平成2(1990)年4月1日 - 廃止
平成13(2001)年7月 - 旧大社町合併50周年を記念し、旧JR大社駅整備事業として出雲大社神苑内からD51形774号機関車を構内に移設展示(上右写真:大社線廃止時に旧大社町がJR西日本から教育用資料として無償貸与され、出雲大社神苑内に展示していたもの。昭和17(1942)年9月7日製造)。
平成16(2004)年(平成16年) - 駅舎、重要文化財に指定
平成21(2009)年2月6日 - 近代化産業遺産に認定

駅構造:
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廃止当時、島式・相対式ホーム2面3線を持つ地上駅であった。なお、これら3線はホームの末端で1線に収束した後、その先に車止めが設置されていたが、その引上げ線はかなり距離が長く、道路と交差する部分もあり、踏切も設置されていた。出雲大社の膝元であることから、昭和26(1951)年 - 昭和36(1961)年までの間は東京直通の急行列車「出雲」が運行されていた。その後も1980年代まで「大社」や「だいせん」といった急行列車や、参詣者の団体臨時列車などが乗り入れてきていたため、ホームは非常に長い。
a0057057_17412958.png駅舎は中央本線高尾駅の北口駅舎を設計した曽田甚蔵が設計したもので伊東忠太がお墨付きを与えたとも言われていた。しかし、大社線廃止後、駅舎の屋根裏調査で上棟式の棟板が発見されて設計者は、当時の神戸鐵道管理局の技手、丹羽三雄であったことが、判明した。大正13(1924)年2月28日に竣工した二代目駅舎で、木造平屋441平方メートル、出雲大社を模したつくりである。団体専用の改札口などもあったが、廃止後もホームや駅の掲示などもすべて当時のまま残されている。平成16(2004)年に国の重要文化財に指定された。また当駅とは対照的なモダンな西洋建築である一畑電車出雲大社前駅とともに近代化産業遺産(続33)にも認定されている。

この施設への交通:
一畑電車出雲大社前から徒歩または一畑バス(JR出雲市駅他から)旧JR大社駅

(以上、出典:Wikipedia「大社駅」(最終更新 2016年11月4日)

現地取材:2016.9.-7

記事投稿:2016.11.-8
  調整:2018.10.-3

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by fbox12 | 2018-10-03 21:49 | 鉄道・バス

1006 土山サービスエリア (NEXCO中日本)

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所在地:滋賀県甲賀市土山町南土山1122-74
所属・路線:中日本高速道路株式会社・新名神高速道路
本線標識の表記(よみ):土山(つちやま)
位置:新四日市JCT起点 33.9km
   ◄[3]亀山西JCT(10.5km) - 土山SA - (3.0km)[4] 甲賀土山IC►

概要:
中日本高速道路(NEXCO中日本)管轄路線にあるサービスエリア・パーキングエリアはNEXCO中日本グループのグループ会社である中日本エクシスが管理・運営するが、当SAは甲賀市や近江鉄道(西武グループ)などが出資する第三セクターの「土山ハイウェイサービス株式会社」が管理・運営する。新名神高速道路亀山JCT-草津田上ICの開通に伴い、平成20(2008)年2月23日に開業した。
当SAは日本で2番目の規模になる予定であったが、国土開発幹線自動車道建設会議で新名神高速道路の建設コスト縮減が決定され当初の予定の半分の面積(上下線を併せた総面積は174,600㎡)に縮小されている。もともと下り線専用スペースとなる場所に上下線の駐車場と施設が配置され、上り線専用駐車場になる予定であった用地はアスファルトプラントなどの工事用施設が撤去された後は空き地のままとなった。
施設は東名高速道路浜名湖SA等と同種の上下線集約型の特殊構造となっており、高速道路本線の南側に位置する。下り線側のランプ部は一般的な上下線分離型のSA・PAとほぼ同一の構造であるが、上り線側本線流出ランプは本線から進行方向左側へ分岐したのち、本線と下り線流入ランプを跨道橋(土山ランプ橋)で越え、SA南側へ廻り込み東側から駐車場へ接続する。また、上り線の本線流入は駐車場西側から下り線流入ランプと本線をアンダーパスし上り本線に接続する。
一般道路側には施設利用者とパークアンドバスライド利用者のために来客用駐車場を完備しており、一般道路と施設間に連絡通路を設け歩行者と車椅子利用者の往来が可能となっている。国道1号の蟹が坂交差点には、当駐車場の案内看板が設置されている。
下り線方向に甲賀土山ICがあるためか、当SA名称を「甲賀土山SA」と誤表記される場合がある(また、甲賀土山ICのことを「土山IC」と誤表記される場合もある)。
SA内に設置されているガソリンスタンドは、上下線ともにセルフ式である。また、NEXCO3社管内の高速道路では初のコンビニエンスストアのセブン-イレブンが出店している。
ユニバーサルデザインを基調とした設計がされており、トイレ棟においては外国語案内表記、点字案内、多機能化等の配慮がされ、敷地内に遊歩道やドッグランを整備すると共に「ペット用水飲み場」や「ペット用トイレ」等を設けている。また、遊歩道に太陽光発電照明を導入し、夏季におけるトイレ屋上部の屋上緑化等多種の環境負荷軽減策を取り入れている。
NEXCO中日本が推進する完全分煙化対策に合わせ、トイレ棟西側に新たな喫煙室が平成21(2009)年8月10日に完成した。これにより、開業以来運用してきたセンター棟の喫煙室を同年11月3日に廃止し、廃止後の空きスペースに京都の和雑貨を取り扱う「京都くろちく土山サービスエリア店」が同年11月13日にオープンした。

歴史:
平成20(2008)年2月11日 : 竣工式挙行
 2月23日 : 新名神高速道路亀山JCT-草津田上ICの開通に伴い開業
 3月20日 : 土山バスストップ開設
 11月1日 : 当施設へのアクセスとなる甲賀市コミュニティバス(あいこうかデマンドバス)「土山サービスエリア口」停留所開設、当路線運行開始
平成21(2009)年6月29日 : ソフトバンクモバイルの基地局設置工事開始
 7月17日 : 外部電源式アイドリングストップ給電スタンドの完成式を13時30分より挙行し、15時より使用開始
 7月25日 : トイレ棟西側に館外喫煙室の新設工事開始
 8月10日 : 館外喫煙室完成
 8月12日 : コンシェルジュのカウンターに携帯電話充電器設置
 8月26日 : 郵便ポスト設置
 9月1日 : 郵便ポスト利用開始
 11月3日 : センター棟内喫煙室廃止
 11月13日 : センター棟内喫煙室廃止後の空きスペースに「京都くろちく」オープン
 12月21日 : ソフトバンクモバイル基地局開通
平成22(2010))年1月25日 : NTT基地局設置工事開始

a0057057_22443590.png1004-01 下り 草津・大津京都方面

 GS:昭和シェル(24時間)
 
a0057057_22473885.png1004-02 上り 亀山・伊勢・名古屋方面

 GS:昭和シェル(24時間)
 コンビニ:セブン-イレブン(24時間)

出典・参考:Wikipedia「土山サービスエリア」(最終更新 2016年8月6日)

現地取材:2016.3.-6/2016.3.-7
取材以外利用:2016.8.16/2016.9.-7他
記事投稿:2016.11.29
  調整:2018.10.-3(同時整理番号調整)

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by fbox12 | 2018-10-03 21:21 | 鉄道・バス

174 草薙駅 (静鉄)

a0057057_22291248.pnga0057057_22295433.pnga0057057_22305248.pnga0057057_22311877.png
a0057057_22320508.pngくさなぎ
所在地:静岡県静岡市清水区草薙一丁目
所属・路線:静岡鉄道株式会社・静岡清水線
駅番号:S10
キロ程:6.4km(新静岡起点)
乗換:JR東海道本線・草薙駅

概要:
JR東海道本線の草薙駅へは徒歩3分ほどの距離があるが、静岡清水線各駅でJR駅に最も至近な駅である。(ただし、JR・静鉄双方とも、乗換の案内は行っていない)。

駅構造:
上りホーム踏切脇にある男女別の水洗式便所は改札内からのみ利用できるが、駅係員に申し出る(早朝・夜間はインターホンを使用し、その指示に従う)ことで改札外からも利用可能(駅頭の自動券売機上部にピクトグラム掲示あり)。

a0057057_22470314.pngのりば:
1番線 静岡清水線(下り) 桜橋・新清水方面(写真:電車が発車した側)
2番線 静岡清水線(上り)長沼・新静岡方面(反対側)


出典・参考資料:Wikipedia「草薙駅(静岡鉄道)」(最終更新:2017年11月10日)

現地取材:1977.12.-4/1992.8.25/2006.2.19他
記事投稿:2018.2.27
  調整:2018.10.-3(同時整理番号変更 872→)

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by fbox12 | 2018-10-03 18:09 | 鉄道・バス

911 汐留(しおどめ)驛(←新𣘺(初代)) (国鉄) <路線区間廃止>

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a0057057_23152612.png所在地:東京都港区東新橋一丁目
所属・路線:日本国有鉄道・東海道本線(廃止時)

概要:
旧暦、明治5年9月12日(新暦、1872年10月14日)に日本最初の鉄道路線の起点として開業した新𣘺驛(初代)がこの駅の始まりである。リチャード・ブリジェンスの設計による木造石張り2階建ての西洋建築の駅舎があり、長らく東京のターミナル駅として機能していた。また明治6(1873)年9月には、当駅と横濱驛(初代:現在の桜木町駅)との間で日本初の貨物列車の運行が開始された。1日1往復の運行で、イギリス製の有蓋車や無蓋車を使用していたという。
しかし、大正3(1914)年12月20日に旅客ターミナル駅の機能が新設の東京驛に移り、旅客営業が廃止された。駅構内が広大だった当駅は貨物駅として再使用されることになり、汐留驛と改称し、同時に、電車線の駅であった烏森驛が、新𣘺驛(二代目)と改称している。なお、駅名改称に反対した人もいた。また、歴史ある駅舎を利用して鉄道博物館を建設するという構想もあった。
大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災により開業時からの駅舎は焼失したが、昭和9(1934)年3月に鉄筋コンクリート2階建ての駅舎に建て替えられた。
昭和34(1959)年に当駅 - 梅田駅(現、JR西日本・梅田信号場)間で日本初のコンテナ専用貨物列車「たから号」が運転されるようになり、昭和39(1964)年には小荷物取扱を開始した。東海道・山陽方面へ向かう貨物列車・荷物列車のターミナル駅として君臨し続けたが、荷物輸送が宅配便の登場で衰退し、貨物輸送はコンテナ列車中心に変化していく。駅敷地が狭く増加するコンテナの取扱量に対応できず、やがて鉄道による荷物輸送が昭和61(1986)年11月1日に廃止されると、東京貨物ターミナル駅(昭和48(1973)年開業)に機能を譲り、汐留駅もその長い歴史に幕を閉じた。
なお、当駅からその東京貨物ターミナル駅までの区間には同駅がある大井埠頭と当駅の頭文字を取った大汐線(おおしおせん)という通称がある。また駅構内から芝浦駅、東京市場駅への線路が延びていた。芝浦駅への線路は、駅構内の一番東側の部分から、構内の線路で折り返す形態でつながっていた。東京市場駅へは、駅北東側でコンテナホームや混載ホームの間からそのまま線路が延びていた。
変わったところでは、昭和60(1985)年に運行を開始したカートレインは当駅と鹿児島本線東小倉駅間で運行しており、昭和61(1986)年の駅廃止直前まで同列車の東京方始発・終着駅として利用された。(その後恵比寿駅に、末期は浜松町駅に変更)

歴史:
明治5年9月12日(旧暦:新暦では1872年10月14日) - 新𣘺驛(初代)として開業。初日は式典と明治天皇御座乗特別列車の運行のみで営業は翌日から。
明治6年(1873)年9月15日 - 貨物取扱開始
大正3(1914)年12月20日 - 東京驛開業に伴い旅客営業廃止、汐留驛に改称
大正12(1923)年9月1日 - 関東大震災で被害を受ける。応急復旧でしばらく営業する。
昭和9(1934)年 - 応急復旧の仮施設の改築、本格的な復旧工事実施
昭和27(1952)年10月17日 - 当駅と東横浜駅の間に5500形蒸気機関車が牽引する国鉄80年記念列車「一声号」が運行される。
昭和29(1954)年9月1日 - 小荷物(特別扱雑誌に限る)取扱廃止
昭和34(1959)年11月5日 - コンテナ貨物の取扱を開始。汐留駅 - 梅田駅間でコンテナ専用貨物列車「たから号」運行開始。これに合わせてコンテナ積卸線と低床ホームの新設、配線変更が行われた。
昭和38(1963)年1月1日 - 営業範囲を
「貨物。ただし、散積の鉱石、石炭および野菜類ならびに活鮮魚(一塩のものを含む)の到着は取り扱わない。」から
「貨物。ただし、次の貨物は取り扱わない。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む)ならびに散積の石炭類、鉱石類および野菜類の到着貨物
 2.木材、薪炭類、砂利および砂の到着車扱貨物。」へ改正する。
昭和39(1964)年10月1日 - 営業範囲を
「手荷物、小荷物および貨物。ただし、次のものは取り扱わない。
 発送手荷物および小荷物(特別扱新聞紙および雑誌を除く)到着駅留手荷物および小荷物活鮮魚(一塩のものを含む。)ならびにばら積みの石炭類、鉱石類および野菜類の到着貨物木材薪炭類、砂利および砂の到着車扱貨物。」へ改正し、小荷物取扱開始
昭和40(1965)年3月 - 東海道新幹線建設に伴い、敷地の一部を新幹線用地に提供することになり、関連する配線工事が行われこの頃完成する。
 10月1日 - 営業範囲を
「手荷物、小荷物および貨物。ただし、手荷物および小荷物は次のものに限る。
 発送:特別扱新聞紙・雑誌、到着:配達扱のもの(駅渡しとなるものを含む)。
次の到着貨物は取り扱わない。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む)
 2.ばら積みの石炭類・鉱石類・野菜類・車扱の木材・薪炭類・砂利・砂。」へ改正する。
昭和43(1968)年10月1日 - 営業範囲を「手荷物、小荷物および貨物。ただし、次の到着貨物は取り扱わない。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む)
 2.ばら積みの石炭類・鉱石類・野菜類・車扱となる木材・薪炭類・砂利・砂。」へ改正する。
昭和47(1972)年10月14・15日 - 当駅と東横浜駅(桜木町駅に隣接)の間で、C57形蒸気機関車が牽引する記念列車「鉄道100年記念号」運行
昭和49(1974)年10月1日 - 営業範囲を「荷物、貨物。次の到着を除く。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む。)・ばら積の石炭類・鉱石類・野菜類
 2.車扱による木材・薪炭類・砂利・砂。」へ改正する。
昭和53(1978)年10月2日 - 営業範囲を「荷物、貨物。貨物は、次の到着を除く。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む)・ばら積の石炭類・鉱石類・野菜類
 2.車扱による木材・薪・炭類・砂利・砂。」へ改正する。
昭和59(1984)年2月1日 - 営業範囲を「貨物、車扱貨物。車扱貨物は、次の到着を除く。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む)、ただし、高速貨物列車による冷蔵車積みのものは除く。ばら積みの石炭類、鉱石類、野菜類
 2.車扱による木材、薪炭類、砂利、砂。」へ改正する。
昭和60(1985)年7月27日 - 汐留駅 - 東小倉駅間でカートレイン運行開始。営業範囲を「旅客、荷物、車扱貨物。ただし、旅客はカートレインに有効な乗車券類所持者に限る。車扱貨物は、次の到着を除く。ただし、高速貨物列車による冷蔵車積みのものは除く。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む。)、ばら積みの石炭類、鉱石類、野菜類
 2.車扱による木材、薪炭類、砂利、砂。」へ改正する。旅客営業再開
昭和61(1986)年11月1日 - 廃止

廃止後:
新橋駅0哩標識(鉄道記念物)
昭和62(1987)年4月1日にはここで、鉄道発祥の地であることから残った線路を使用して、蒸気機関車の汽笛で日本国有鉄道(国鉄)の終焉とJRの発足を告げる(国鉄分割民営化)イベントが行われた。
民営化後、旧汐留駅跡地は日本国有鉄道清算事業団へ移管され、国鉄の長期債務を返済するための売却対象地で最も注目された。また、その後の再開発では民活と呼ばれる民間資本の導入が検討され、中曽根康弘内閣の行政改革政策の象徴ともなったが、東京の都心部にある広大な敷地の売却はバブル景気による地価高騰が更に過熱するという理由でその実施は延期され、いわゆる塩漬け状態にされた。しかも、結局はバブル崩壊による地価暴落後に安値での売却という結果に終わり、政府による長期債務返済計画は大きく狂った。
実際の再開発工事は平成7(1995)年から開始され、その際に下記の旧新橋停車場跡などが発掘された。その後、平成14(2002)年以降には同跡地に汐留シオサイトとして事業者用の高層ビルが次々と竣工した。同年にはゆりかもめと都営大江戸線の汐留駅が開業し、汐留という駅名が引き継がれる事になった。

旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
跡地は、1965年(昭和40年)5月12日に「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の史跡に指定され、平成8(1996)12月10日に指定地域の一部解除・追加をし、「旧新橋停車場跡」へ名称変更した。発掘調査の後、風化を防ぐために埋め戻され、平成15(2003)にその上に開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」が建てられた、同年4月10日開館。調査では鋳物工場跡やトイレ遺構などを検出している。
内部は鉄道の歴史に関する「鉄道歴史展示室」(運営は東日本鉄道文化財団)になっており、以前は三國清三監修によるフランス料理店の「GRAND CAFE SHIMBASHI MIKUNI」(運営はジェイアール東日本フードビジネス)もあったが閉店した。
旧新橋停車場の裏手には、鉄道の起点であった「0哩(マイル)標」が当時と全く同じ位置に再現されており、当時のレールが数メートルだけ敷設されている。

出典・参考:Wikipedia「汐留駅」(最終更新 2018年6月6日)

記事投稿:2016.8.11
  調整:2018.10.-3(同時整理番号変更 174-91→)

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by fbox12 | 2018-10-03 16:50 | 鉄道・バス

285 奈良 (JR西日本)

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なら

所在地:奈良県奈良市三条本町1-1
所属・路線:西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)・関西本線
電報略号/事務管コード:ナラ/620816
キロ程:133.9km(名古屋起点)
乗入路線(駅番号):関西本線(大和路線:JR-Q36 / 奈良線:JR-D21)、桜井線(万葉まほろば線)

概要:
奈良市におけるJRの中心駅であり、京都・天王寺方面へ向かう快速列車が多数発着している。第3回近畿の駅百選に選定されている。
2010年(平成22年)の平城遷都1300年記念事業を目処に行われていた駅周辺の土地区画整理事業とあわせて、当駅の高架化事業が行われ、同年3月13日に最後まで地上のりばから発着していた桜井線が高架化された。
なお、近鉄奈良線の近鉄奈良駅は、当駅から直線距離で約900mほど東に位置しており(徒歩距離は三条通り経由で約1,100m)、移動に徒歩15分程度を要する。
乗降客数は市中心部に位置する近鉄奈良駅の方が多い。

歴史:
沿革
1890年(明治23年)12月27日 - 大阪鐵道 (初代) 王寺驛 - 当駅間の開通時に、同線の駅(一般駅)として開業。
1896年(明治29年)4月18日 - 奈良鐵道 木津驛 - 当駅間の開通時に、同線の駅が開業。
1899年(明治32年)10月14日 - 奈良鐵道線が京終驛まで開通。
 5月21日 - 關西鐵道 大仏驛 - 当駅間の開通時に、同線の駅が開業。
1900年(明治33年)6月6日 - 大阪鐵道が關西鐵道に合併。
1905年(明治38年)2月7日 - 奈良鐵道が關西鐵道に合併。これを以って關西鐵道の単独駅となる。
1907年(明治40年)8月21日 - 關西鐵道線 加茂驛 - 大仏驛 - 当駅間が廃止。
 10月1日 - 關西鐵道が国有化され、国有鉄道(当時は、帝國鐵道廳)の駅になる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により、關西本線所属となる。
1934年(昭和9年) - 寺院風の駅舎が完成。
1945年(昭和20年)7月22日 - 空襲による被害を受ける。
1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物の営業が廃止され、旅客駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
 7月31日 - 駅舎のライトアップが始まる。
1988年(昭和63年)3月13日 - 路線愛称の制定により、関西本線で「大和路線」の愛称を使用開始。
2003年(平成15年)9月7日 - 高架化工事のため仮駅舎に移転。
 11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2005年(平成17年)9月11日 - 高架化工事のため仮線・仮設ホームでの営業を開始(当初は同年5月22日の予定であったが、JR福知山線脱線事故の影響により延期された)。
2006年(平成18年)7月7日 - 構内遺跡の存在が発表される。
2008年(平成20年)3月15日 - おおさか東線の放出駅 - 久宝寺駅間の部分開業によるダイヤ改正に伴い、新設された直通快速の発着駅となる。
 6月29日 - 関西本線ホームが高架化。
2009年(平成21年)10月4日 - 大阪環状・大和路線運行管理システム導入。
2010年(平成22年)3月13日 - 桜井線ホームが高架化され、駅機能がすべて高架部に移設。路線愛称の制定により、桜井線の当駅 - 高田駅間で「万葉まほろば線」の愛称を使用開始。
 10月3日 - 東西自由通路が開通し、ビエラ奈良が先行オープン。
2011年(平成23年) - 駅東口デッキに屋根を設置。
2012年(平成24年)3月2日 - ビエラ奈良が全面開業。
2013年(平成25年)3月 - 連続立体交差事業が完了。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始。

連続立体交差事業
JR奈良駅周辺は、かつて関西本線(大和路線)と桜井線が地上を走っており、奈良市の旧市街地を東西に分断しているため奈良市都市部の発展を妨げていた。また、これらと交差する跨線橋も狭く、周辺道路の交通渋滞が著しかった。そこで、街の再生と交通の円滑化を図るため、平城遷都1300年にあたる2010年(平成22年)の高架化完成を目指し、2002年(平成14年)から連続立体交差が進められ、周辺土地区画整理事業(シルクロードタウン)や3箇所の高架橋道路の平坦化が行われた。
地上駅時代は乗り換え跨線橋で東西を結んでおり、東西2箇所に改札口があった。

2代目駅舎の保存・活用
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2003年(平成15年)9月6日まで使われていた2代目駅舎(写真)は1934年(昭和9年)に完成したもので、周囲の景観に配慮して方形屋根に相輪を持つ和洋折衷様式が採用されている。大阪鐵道局建築課が京都帝室美術舘懸賞設計に応募し落選した設計案を再利用したものだった。高架化に伴い取り壊される予定であったが、その歴史的価値から反対の声は根強かったこともあり、曳家によって元の位置から18m移動された上で保存され、奈良市総合観光案内所として利用されている。この旧駅舎は、2007年(平成19年)に近代化産業遺産、2011年(平成23年)に土木学会選奨土木遺産となっている。なお、旧駅舎のホールにはなら・シルクロード博覧会に出品されたサモトラケのニケのレプリカ像が飾られていたが、駅舎移設に際して奈良市立一条高等学校に寄贈されている。

構内遺跡
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高架化工事中の2006年(平成18年)、旧駅ホームの下から謎の遺構が発見されたため奈良県立橿原考古学研究所による発掘調査が行われた結果、明治時代の転車台と判明した。発掘された転車台は高架化工事に支障するため、そのままの形で保存されることなく撤去されたが、一部のレンガなどは同研究所附属博物館が保存し、展示会も行われている。奈良駅には奈良機関区(のち奈良気動車区)が所在していたことから、1980年代後半までは転車台と機関庫が存在しており、1986年(昭和61年)8月に蒸気機関車C56形160号機による「SL大和路号」が運転された際にこの転車台が使用されている。

駅構造:
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西口2010年(平成22年)3月13日に完成した3階建ての駅舎の高架駅で、改札口は高架化を機に2階の1ヶ所に集約し、3階がホーム、2階は駅業務施設と商業施設、1階は商業施設が設けられている。ホームと線路の配置は島式ホーム3面5線の構造である。
駅舎ファサードの基本コンセプトは『「奈良らしさの表現」―青丹よし―』であり、3階のホームの側壁には五色のカーテンウォールが設置され、「青丹よし」を現代的に表現している。ホーム部分には寺社の伽藍をイメージした飾り鉄柱を設置、サーモンピンクに塗られている。飾り柱の上には、垂木をイメージした装飾も設置されている。また、2階部分外装は白壁を意識した白塗り、1階部分外装は近隣のなら100年会館のような瓦をイメージした黒タイル張りとなっている。
内装は、改札内は無装飾であるが、改札外部分は天井には格天井を意識した装飾が、また柱は吉野杉で美装されており、一部柱には組物を思わせる装飾が施されている。また、柱からは釣灯篭を思わせる照明も吊るされている。
駅舎構内には1階・2階部分に幅員20mの自由通路が作られ、西口2階はデッキと接続、東口2階はJR奈良駅NKビルと接続した上で、1階に降りる階段とエスカレーターが設置されている。また、2010年(平成22年)10月3日には、1階自由通路南側には商業施設「ビエラ奈良」が開業し、2012年(平成24年)3月2日に自由通路北側の1・2階部分に「ビエラ奈良」の第2期分が増床オープンした。
当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として関西本線の加茂駅・木津駅・平城山駅、片町線の西木津駅、佐保信号場を管理している。

のりば:
路線名は旅客案内に合わせて愛称で記述(2012年(平成24年)3月17日現在)。

1番のりば 万葉まほろば線 天理・桜井・高田・和歌山方面
      大和路線 王寺・天王寺・JR難波方面(早朝のみ)
番号なしホーム・2番のりば・3番のりば 大和路線 王寺・天王寺・JR難波・大阪方面
3番のりば 奈良線 宇治・京都方面
4・5番のりば 学研都市線 同志社前・長尾・四条畷方面
        大和路線 木津・加茂方面(一部3番のりば)
        奈良線 宇治・京都方面
2番線1番のりばと同一ホームの反対側は、数字のないのりばとなっている。2番のりばに到着する列車は両側で客扱いを行い、大和路線下り列車と万葉まほろば線の列車との同一ホームで乗り換えることができる。2番のりばへの到着時には、2番のりば側の扉が先に開き、発車時はのりば番号なし側の扉が先に閉まる。なお、数字のないのりばは「こののりば」と自動放送されている。
3方向すべての入線・発車に対応しているのは3・4番のりばのみである。1・2番のりばは木津・桜井方面からの入線と法隆寺・桜井方面への発車のみ対応しており、5番のりばは法隆寺方面からの入線と木津方面への発車のみ対応している。なお、関西本線の下り本線は2番線、上り本線は5番線である。

旅客案内上ののりばと運転取り扱い上の番線は次の通り。
1番のりば…1番線
番号無しのりば、および2番のりば…2番線(下り本線)
3番のりば…3番線
4番のりば…4番線
5番のりば…5番線(上り本線)

出典・参考:Wikipedia「奈良駅」(最終更新 2018年8月20日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E9%A7%85
閲覧:2018.9.26

現地取材:2016.3.-7
記事投稿:2018.9.26

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by fbox12 | 2018-09-26 21:43 | 鉄道・バス

141 土樽駅 (JR東日本)

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つちたる

所在地:新潟県南魚沼郡湯沢町大字土樽
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・上越線
電報略号/事務管コード:タル/301206

概要:

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土樽の名前を持つが、旧土樽村の中心部は現在の越後中里駅付近に当たり、駅周辺に人家はない。付近にある東京発電の水力発電所・土樽発電所(7,000キロワット)は昭和49(1974)年に無人化されている。上り線ホームの横を関越自動車道が通っており、当駅の東に土樽パーキングエリアが置かれているが、駅周辺の一般道は関越自動車道の東隣に、中央線(センターライン)も引かれていない農道のような道があるのみ(ただし路線バスが通っている)で、そこから駅に入る枝線にも「土樽駅入り口」などの掲示さえなされていない。
当駅は、東京側から望むと、清水トンネルを出てすぐの位置にあり、川端康成の『雪国』でもトンネルを出た後はじめに汽車が停車する「信号場」として登場する。実際に作品の書かれた当時は信号場であったが、冬季にはスキー客の利用を見込んで仮乗降場扱いで客扱いをしていた。
上越線は当駅(正確には上り線の清水トンネル高崎側出口付近)から宮内駅(信越本線と接続)までが新潟支社管轄である。
かつて、上越線の敷設工事が行われた際は、この付近の難所(清水トンネル、松川ループ線)に備え、現在の当駅の近くまで湯沢から延長約16kmの軽便鉄道線が敷設されていた。

歴史:
a0057057_16592612.png昭和6(1931)年9月1日 - 鐵道省上越線 水上 - 越後湯沢間開通時に、土樽信号場として開業。
昭和8(1933)年12月8日 - スキー季節中に限り、旅客営業を開始。
昭和16(1941)年1月10日 - 駅に昇格、土樽駅となる。旅客駅。
昭和20(1945)年12月15日 - 貨物の取扱を開始(一般駅となる)。
昭和36(1961)年10月1日 - 貨物の取扱を廃止(旅客駅に戻る)。
昭和59(1984)年2月1日 - 荷物の取扱を廃止。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
駅構造:

a0057057_22115604.pnga0057057_2310165.png
丘陵地の東斜面に位置する地上駅。相対式ホーム2面2線を持つ。駅舎は上り線側にあり、両ホームは跨線橋で連絡している。越後湯沢駅管理の無人駅。
かつては、相対式ホーム(副本線)および通過線(本線)を持つ2面4線の構造であったが、平成20(2008)年6月3日から26日までホームの改築が行われた際に副本線が廃止となり、本線上にホームが設置された現在の構造となった。工事期間中は全列車が通過し、越後中里駅と当駅の間でバスやタクシーによる代行輸送が行われた。

のりば:

a0057057_21575110.pnga0057057_21450600.png
 駅舎側ホーム(上写真右) 上越線 上り 水上・高崎方面
 反対側ホーム(上写真左) 上越線 下り 越後湯沢・小出・長岡方面
 ※案内上の番線番号は設定されていない。

バス路線:
徒歩数分で南越後観光バス「蓬橋」停留所があり、越後湯沢駅までのバスが1日数本出ている。
土樽」バス停もあるが、駅からは1km近く離れている。
バスで群馬県方面へ行くことはできない。


出典・参考:Wikipedia「土樽駅」(2016年9月12日最終更新)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%A8%BD%E9%A7%85
 閲覧:2017.9.-8
参考:「停車場一覧 日本国有鉄道編(昭和41年3月1日現在)」停車場一覧刊行会

現地取材:2007.8.14/2016.8.27
記事投稿:2017.9.-8
  調整:2017.9.-9/2018.9.10

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by fbox12 | 2018-09-10 21:22 | 鉄道・バス

281 枚岡駅(近鉄)

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a0057057_21341528.pnga0057057_21351791.png
a0057057_22122147.png所在地:大阪府東大阪市出雲井町2-6
所属・路線:近畿日本鉄道株式会社(近鉄)・奈良線
電報略号/駅番号:ヒラオ/ A14
キロ程8.3km(布施起点)


概要:
「枚岡」の駅名は駅前にある枚岡神社から来ており、旧枚岡市の中心駅というわけではない。

歴史:
1914年(大正3年)4月30日 - 大阪電氣軌道上本町(現在の大阪上本町) - 奈良(髙天町)(現在の近鉄奈良)間開通時に開業。
1928年(昭和3年)1月24日 - 枚岡驛より東高野街道沿いに信貴山口まで大軌枚岡線免許交付。
1941年(昭和16年)3月15日 - 參宮急行電鐵との合併により關西急行鐵道の駅となる。
1944年(昭和19年)6月1日 - 会社合併により近畿日本鐵道の駅となる。
1992年(平成4年)3月19日 - ホーム延長工事完成で6両編成対応になる。昼間の普通が1時間あたり3本から6本になる。
2006年(平成18年)3月21日 - この日より新設された区間準急の停車駅になる。昼間は普通が1時間当たり3本、区間準急が1時間当たり3本。
2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa使用開始。

駅構造:
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相対式2面2線のホームを持つ地上駅。30パーミルを超える勾配や、カーブの途中に駅が設置されているため、線路にカントがつけられており停車する電車は大きく傾く。(上左写真)
ホーム有効長は6両で、改札口から北側(奈良方面側)は幅が狭くなっている。両ホームとも改札口が別々に存在し、駅構内で上下ホームの行き来はできないため、改札外に駅の東西を結ぶ地下道がある。(駅舎写真及び上右写真)
東花園駅管理の有人駅で、PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機(回数券カードおよびICカードのチャージに対応)が設置されている。

のりば:
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1番のりば 奈良線 下り 大和西大寺・奈良方面
             天理方面
2番のりば 奈良線 上り 大阪難波・尼崎・三宮方面(写真:車両は阪神車)

出典・参考:Wikipedia「枚岡駅」(最終更新 2018年6月21日)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9A%E5%B2%A1%E9%A7%85

現地取材:2017.9.16
記事投稿:2018.8.26
  調整:2018.8.27

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by fbox12 | 2018-08-27 08:55 | 鉄道・バス

282 貴志駅(和歌山電鐵)

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きし

所在地:和歌山県紀の川市貴志川町神戸803番地
所属・路線:和歌山電鐵株式会社・貴志川線
キロ程:14.3km(和歌山起点)
電報略号/駅番号:キシ/14
駅形態:無人駅(「猫の駅長・助役」配置)

概要:
南海電気鉄道時代は有人駅で、駅の隣側に倉庫が建てられていた。貴志川線の和歌山電鐵への移管に伴い2006年(平成12年)4月1日から無人駅とされた。この際に駅と倉庫の間に置かれていた猫小屋が、土地が紀の川市の公有地となったため撤去を求められ、「猫たちを駅の中に住まわせてもらえないか」とたま達の飼い主から相談を受けた和歌山電鐵社長の小嶋光信が「たまを駅長に就任させる」というアイデアを打ち出した。たまの駅長就任以後、改札口では、平日昼間にはたま駅長が改札台の上に乗って乗降客を出迎えていることがあった。
2008年(平成20年)1月5日にたまが客招きの功績から「スーパー駅長」に任命されたのを機に、同年4月20日に出札窓口の跡を利用して、水戸岡鋭治デザインの猫用「駅長室」が設置された。待合室の壁には、南海時代に走っていた南海1201形電車を地元の幼稚園児が描いた絵画や、地元の小学生が社会科見学として貴志駅や小山商店を訪れたことへの感謝文を各児童が貼りつけたものが飾られていた。

歴史:
1933年(昭和8年)8月18日 - 伊太祁曽驛(現在の伊太祈曽駅)- 当駅間の延伸に際し、和歌山鐵道の駅として開業。
1957年(昭和32年)11月1日 - 和歌山電気軌道との合併により同社鉄道線の駅となる。
1961年(昭和36年)11月1日 - 南海電気鉄道との合併により同社貴志川線の駅となる。
2006年(平成18年)4月1日 - 和歌山電鐵への継承により同社貴志川線の駅となる。同時に無人化。出札窓口は閉鎖され、待合室に設置されていた自動券売機も撤去された。
2007年(平成19年)1月5日 - 駅の売店「小山商店」の飼い猫「たま」が駅長に就任。同居する「ちび」「ミーコ」も助役に就任。
2008年(平成20年)4月20日 - 出札窓口跡を改装して、たま用駅長室を設置。
a0057057_22055912.png2010年(平成22年)2月 - 開業以来の初代駅舎を解体し、新駅舎建設開始。
 8月4日 - 新駅舎「たまステーション貴志駅」竣工、使用開始。
2012年(平成24年)1月5日 - 三毛猫「ニタマ」が駅長代理に就任。
2015年(平成27年)6月22日 - たま駅長が死去。同月28日に駅構内にて葬儀(神葬祭・和歌山電鐵社葬)。
 8月11日 - 三毛猫「ニタマ」駅長代理が駅長に昇格、「たま2世」を襲名。
2018年(平成30年)1月5日 - 三毛猫「よんたま」が駅長代行に就任。

駅構造:
a0057057_22070638.png貴志川線の終着駅。単式ホーム1面1線と1線の保線用留置線を持つ地上駅である。線路は駅を過ぎても続いており、踏切を越えた先に2両分の引上線がある(保線用留置線も同じ位置まで伸びている。夜間滞泊設定駅である。
駅舎は長らく開業以来の木造駅舎であったが、老朽化のため観光拠点としてふさわしいよう2010年(平成22年)に建て替えられた。
a0057057_22144761.png






2270系「いちご電車・おもちゃ電車・たま電車」のリニューアルデザインを手がけた水戸岡鋭治による、「エコでネコロジー」をテーマとした猫の顔をモチーフとしたデザインで、南海辰村建設による和歌山県産の木材を多く用いた木造の駅舎に、伝統工法を用いた檜皮葺の屋根となっており、駅舎には「たまミュージアム貴志駅」という名前が付けられている。
内部には正面より見て左側にたま駅長の飼い主が経営する売店「小山商店」とたま駅長の「駅長室」(共に日曜日休業)が、右手側には地元特産の果物のジュースやジェラートを販売する「たまカフェ」(毎月第3水曜日休業)が設けられている。右手側外には別棟で男女別および車椅子対応のトイレ、およびホームへの車椅子用のスロープが設置されている。
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ホームには「おもちゃ神社」「ねこ神社」「いちご神社」の三つの小さな祠が建立(造営/創建)され、それぞれに電車と果物はじめ農作物、電車とおもちゃや遊具、電車とねこや動物全般を祀っている。 なおこのうち「ねこ神社」については、たま駅長の死に伴い、神葬祭を経てその「御霊」を鎮座させ、「たま神社」へと改装した。南海電気鉄道からの移管以前・以後を通じてスルッとKANSAI対応のカードは使用できない。かつて販売していた3・3・SUNフリーきっぷは利用可能であった。朝夕・混雑時のみ有人集札を実施し、小山商店では回数券と一日乗車券のみ販売している。

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路線バス:
紀の川市地域巡回バス(貴志駅バス停)
 貴志川路線:東貴志丸栖コース
 貴志川路線:西貴志コース
 桃山路線:細野貴志川コース(貴志川スポーツ公園方面・垣内行、那賀病院方面・紀の川市役所行)
出典・参考:Wikipedia「貴志駅」(最終更新 2018年7月7日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E5%BF%97%E9%A7%85

現地取材:2017.10.10
記事投稿:2018.8.19

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by fbox12 | 2018-08-19 22:30 | 鉄道・バス