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カテゴリ:鉄道・バス( 410 )

267 JR難波駅 (JR西日本)

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a0057057_16094817.pngじぇいあーる なんば

所在地:大阪府大阪市湊町一丁目4-1
所属・路線:西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)・関西本線(大和路線)
キロ程:174.9km(名古屋起点)
電報略号/事務管コード:ナハ/620833
駅番号:JR-Q17
乗換:南海・Osaka Metro(難波駅)/近鉄・阪神(大阪難波駅)
駅形態:直営駅、みどりの窓口 有、[阪]大阪市内駅

概要:
大阪ミナミの繁華街に含まれる難波に位置し、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の難波駅、近畿日本鉄道(近鉄)・阪神電気鉄道(阪神)の大阪難波駅にも近接している。南海電気鉄道(南海)の難波駅、Osaka Metro の日本橋駅ともなんばウォーク(地下街)を介して結ばれているが、ある程度距離がある。
かつては関西本線の始発駅として、東京・名古屋・伊勢方面の優等列車が当駅始発で運転されていたが、東海道新幹線や東海道本線経由の優等列車および近鉄特急と競合した結果、1973(昭和48)年に全廃された。以後、当駅発着の列車で加茂駅より先に直通する列車の設定はない。
また、駅がある大阪シティエアターミナル (OCAT) の2階には「湊町バスターミナル」(呼称は乗り入れ各社により異なる)があり、関西国際空港や大阪国際空港行きのリムジンバスや、日本各地への高速バスが発着している。

駅名の由来:
駅開業の1889(明治22)年から1994(平成6)年まで湊町駅(みなとまちえき)と称しており、道頓堀川八丁のひとつである道頓堀湊町(駅開業時は大阪市南区湊町)に開業したことによる。ただし、当時の湊町の範囲は道頓堀川に面した狭小なもので、西成郡難波村(のち大阪市に編入され、難波東円手町)にもまたがっていた(現在の湊町の範囲は1980(昭和55)年に拡大されたものである)。
1989(平成元)年の駅移転によって、元来の湊町から完全に離れて難波側にのみ位置するようになり、地下駅化して難波駅や近鉄難波駅と連絡する計画もあったため、1994(平成6)年9月4日の関西国際空港開港と同日にJR難波駅に改称された。なお、正式駅名として「JR」を冠したのはJRグループ各社を通して初めてで、駅名にアルファベットが入ったのも日本では初めてである。これ以降、JR西日本のアーバンネットワークエリアの新駅には「JR」を冠する駅名が多数登場するようになった。

歴史:
1889(明治22)5月14日 - 大阪鐵道の湊町驛(みなとまちえき、一般駅)として開業し、同社の創業路線である湊町驛 - 柏原驛間の起点となる。
1900(明治33)年6月6日 - 大阪鐵道の路線を関西鐵道が承継し、同社の駅となる。
1907(明治40)年10月1日 - 国有化により国有鉄道(当時は帝國鐵道廳)の駅となる。
1909(明治42)年10月12日 - 線路名称制定により、関西本線所属となる。
1973(昭和48)年9月20日 - 関西本線湊町駅 - 奈良駅間の電化が完成し、10月1日までに当駅発着の全ての定期旅客列車が電車による運転となる。それに伴い、9月30日をもって急行「かすが」の始発駅が奈良駅に変更され、当駅発着の優等列車が消滅する。
1985(昭和60)年3月14日 - 貨物の営業が廃止され、旅客駅となる。
1987(和62)年4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1988(昭和63)年3月13日 - 路線愛称の制定により、関西本線の当駅 - 加茂駅間で「大和路線」の愛称を使用開始。
1989(平成元)年12月28日 - 南西へ約100m移転する。元の駅舎があったところは、北方を迂回していた千日前通を西へ直進させ、元の千日前通と駅舎跡の一部に湊町リバープレイスが2002(平成12)年7月16日に開業した。
1994(平成6)年9月4日 - JR難波駅に改称する。これにより、JR各社では初めて「JR」を冠した駅となる。関西国際空港へのアクセス列車として、阪和線・関西空港線へ直通する関空快速の運行を開始する。
1996(平成8)年3月22日 - 連続立体交差事業により、JR西日本では初の地下駅となる。
2003(平成15)年11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2008(平成20)年3月15日 - ダイヤ改正に伴い、当駅を発着する関空快速の運用が廃止される。関空快速は大阪方面へ直通するようになる。
2009(平成21)年10月4日 - 大阪環状・大和路線運行管理システム導入。
2015(平成27)年5月9日 - 南海難波駅付近で不発弾処理を行った影響で南海本線・南海高野線の一部区間が運休。これに伴って阪和線鳳駅始発当駅行きの臨時快速電車が3本運転され、2008(平成20)年以来7年ぶりに223系が、また旅客電車では初めて225系が8両編成で入線した。
2018(平成30)年3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始。

駅構造:
新今宮駅が管理する直営駅で、JRの特定都区市内制度における「大阪市内」に属している。ICカード乗車券「ICOCA」の利用も可能である。今宮駅から続いた地下線の「なにわトンネル」による島式ホーム2面4線を持ち、大阪シティエアターミナル (OCAT) の真下にある地下駅である。架線は剛体架線である。終着駅ではあるが頭端式ホームではなく、将来のなにわ筋線延伸を見越して通過構造となっている(タイトル写真、車止めの先になにわ筋線への接続準備がされている)ほか、1番のりばと4番のりばの奥に引き上げ線がある。有効長は8両編成分だが、使用していない部分も含めると10両編成分ある。

のりば:
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ホームは主に、1・2番のりばには普通電車が、3・4番のりばには快速電車がそれぞれ発着する。1994(平成6)年9月4日~2008(平成20)年3月14日の間は関空快速(当駅~関西空港駅間)が昼間1時間に1本発着していた。
1~4番のりば 大和路線 天王寺・王寺・奈良・加茂方面
(写真:3番のりば)


参考資料:Wikipedia「JR難波駅」(最終更新:2018年5月5日)https://ja.wikipedia.org/wiki/JR%E9%9B%A3%E6%B3%A2%E9%A7%85(閲覧:2018.5.14)

現地取材:2017.6.28
記事投稿:2018.5.14

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by fbox12 | 2018-05-14 22:43 | 鉄道・バス

266 開聞駅 (JR九州)

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かいもん

所在地:鹿児島県指宿市開聞十町2938
所属・路線:九州旅客鉄道株式会社・指宿枕崎線
キロ程:61.0km(鹿児島中央起点)
電報略号/事務管コード:イモ/941619

歴史:
1960年(昭和35年)3月22日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道の駅となる。

駅構造:
a0057057_22373815.png単式ホーム1面1線を有する地上駅である。
開業当初は駅舎があり、駅員も配置されていたが、すぐに無人駅となり、駅舎は平成になってから撤去された。
開業時は1面2線だったが、その名残が線路の配線に見られる(写真左部分)。
また駅構内の枕崎方は資材置き場となっており(タイトル写真中央部分)、新旧のレールが置かれている。
駅前広場は無人駅には珍しく、砂利敷きながらもロータリーがある。

のりば:
1番のりば 指宿枕崎線 上り 鹿児島中央方面
            下り 枕崎方面
のりば表記は駅掲載および公式サイトの駅別時刻表に記述。

バス:
開聞駅前(停)
当バス停は主な観光地を結ぶ鹿児島交通バスの系統が多数乗り入れており、利便性がよい。ただし、駅前広場に乗り入れるバスは転向場としてロータリーを利用しているだけで乗降扱いをしない。
当バス停は国道226号線沿にある

参考資料:Wikipedia「開聞駅」(最終更新:2018年4月17日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E8%81%9E%E9%A7%85
閲覧:2018.5.10

現地取材:2018.3.13
記事投稿:2018.5.11

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by fbox12 | 2018-05-11 21:37 | 鉄道・バス

ゆいレール(沖縄都市モノレール)

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「ゆいレール」は、沖縄県、那覇市、沖縄振興開発金融公庫及び民間企業の共同出資による第三セクター方式の沖縄都市モノレール株式会社が沖縄県那覇市で運営するモノレール路線「沖縄都市モノレール線」の愛称である。
「ゆい」は琉球方言の「ゆいまーる」(「雇い回り」を語源とする村落共同労働を意味する言葉)の「ゆい」から取られたもので、那覇空港駅と首里駅を結ぶ。
2018(平成30)年現在、「沖縄県内で現存している唯一の鉄道路線」で、全線が軌道法による軌道として建設されている。
2015(平成27)年現在、首里駅からてだこ浦西駅までの区間が事業中であり、2019(平成30)年春に開通する予定となっている。

概要:
沖縄本島の玄関口である那覇空港から赤嶺経由で漫湖を渡って旭橋に抜け、旭橋からは久茂地川沿いに那覇市の繁華街である久茂地・牧志地区を抜けて国際通りを跨ぎ、国道330号を北上して古島からは環状2号線を上り首里に至る全長約13kmの跨座式のモノレール線である。
この約13kmの区間をワンマン運転の2両編成の車両が約30分かけて走る。
沖縄県の交通手段は自家用車・タクシー・バスが中心であり、特に那覇都市圏では渋滞が悪化している。そこで、国、沖縄県、那覇市と沖縄都市モノレール株式会社が一体となって建設を行い、沖縄では戦後初の鉄道開通となった。
当初の世論では、前記の「クルマ社会」という見方から、利用されるかどうかの懸念があったが、いざ開業してみると、渋滞に巻き込まれないために時間が正確であることと、高所を走るという特性のために眺望がよく、モノレール自体が観光施設となったため、この懸念は杞憂に終わった。
眺望のために人気を集めるという点は東京モノレール羽田空港線と同様である。
切符の購入や自動改札機の通り方に慣れない利用客向けに、沖縄都市モノレールのホームページでは「利用ガイド」として乗車方法を詳説している。
開業翌年の2004(平成16)年に「沖縄都市モノレールの整備と総合的戦略的な都市整備計画」が日本都市計画学会の最高賞である石川賞を受賞した。
受賞対象者は、沖縄県、那覇市及び沖縄県都市モノレール建設促進協議会である。
全線で列車運行管理システムを導入している。古島駅から約57‰の上り坂が続く。最急勾配は儀保駅 - 首里駅間の60‰である。

路線データ:
a0057057_10183811.png路線距離(営業キロ):12.9km
方式:跨座式モノレール(日本跨座式)
駅数:15駅(起終点駅含む)
複線区間:全線
電気方式:直流1500V
閉塞方式:車内信号式 (ATC)
車両基地所在駅:那覇空港駅(那覇空港駅 - 赤嶺駅間)(写真)
運行形態:
2017(平成29)年8月1日のダイヤ改正で、ダイヤがそれまでの平日ダイヤ・土曜休日ダイヤの2種類から、平日(月-木曜)ダイヤ・金曜ダイヤ・土曜ダイヤ・休日ダイヤの4種類に再編された。全列車が全区間運転の各駅停車であり、一部区間のみを運行する列車や、途中駅を通過する列車はない。
6時頃から運行され、終電は那覇空港駅発・首里駅発ともに23時30分となっている。
平日(月-木曜)は早朝が12-15分間隔、朝夕ラッシュ時が5-6分間隔、日中と夜が10分間隔、夜21時以降が12分間隔、金曜日は日中が8分間隔、土曜日は早朝と夜21時以降が12分間隔、それ以外は8分間隔、休日は早朝と夜21時以降が12分間隔、朝が8分間隔、夕方が9分間隔、それ以外は10分間隔となっている。
ワンマン運転を実施している。
全列車が全区間を運行するため折り返しは両端の駅のみで行われるが、牧志駅 - 安里駅間に非常用の渡り線があり両駅での折り返し運転も可能となっている。
事故などの突発的事象により運行に支障が出た場合は全線で運行停止になるが、例えば2007(平成19)年10月21日に儀保駅付近で行われた不発弾処理時に朝8時頃から処理完了まで那覇空港駅 - 牧志駅間で実施されるなど、予め運行計画が立てられる経路上の運行障害に関しては折り返し設備を利用しての区間運転が実施される。
a0057057_17285710.pngなお車両基地が那覇空港駅側に設置されていることから、車両数の調整が困難である首里駅 - 牧志駅間のみでの運行は行われていない。
車両のうち旅客車は、開業時から使用されている「1000形電車」(写真)のみで、車両番号は首里側が1200台、那覇空港空港側が1100台の附番で、下2桁が編成番号を表し(すなわち、写真は第1編成)、2018(平成30)年5月現在、18編成36両が在籍、浦西延伸の際には1編成増備される予定である。
他に作業用車両として、MB-1、2 2両が在籍する。(上、車両基地写真 MB-1)

歴史:
沖縄本島では、大正時代に軽便鉄道や路面電車、馬車鉄道といった数々の鉄道路線が開業したが、昭和初期に入ると沖縄電氣の路面電車と糸満馬車軌道がバスとの競争に敗れて廃止され、残った沖縄懸営鐵道と沖縄軌道も太平洋戦争末期に運行を停止し、鉄道の施設は空襲や地上戦によって破壊された。そして、アメリカ合衆国による統治下に置かれた戦後は道路整備が優先されたため、鉄道は復旧されることなくそのまま消滅した。しかし、1970年代に入って経済活動が活発になってくると、那覇市を含む沖縄本島中南部地域に人口や産業が集中した。この結果、道路交通の渋滞が慢性化し、その対策として新たな軌道系公共交通機関を求める声が高まっていった。
沖縄が本土復帰を果たした1972(昭和47)年、日本国政府(以下、国)は沖縄の振興開発を推進するために「新全国総合開発計画」(新全総)の一部を改正し、沖縄県に対する特別措置として沖縄振興開発計画を策定した。これを受けて、国や沖縄開発庁、沖縄県、那覇市などが中心となって導入機種やルートなど具体的な検討を行い、最終的には「都市モノレールの整備の促進に関する法律」(都市モノレール法、昭和47年11月17日法律第129号)に基づき跨座式モノレールを導入することで決着した。
1975(昭和50)年、国・沖縄県・那覇市で構成される「都市モノレール調査協議会」を設置、ルート等の検討を行うなど建設に向けての準備協議会が発足。沖縄県と那覇市による「都市軌道建設準備室」が設置され、1980(昭和55)年に「都市モノレール関連街路に関する基本協定書」を締結、実施調査については、国庫補助事業(昭和56年度)として採択、推進された。
ルートは那覇空港から首里城に近い汀良(てら)地区までの区間を第一期区間とし、汀良地区から西原入口までの区間を第二期区間、さらに沖縄市方面への延伸も検討課題とした。
1982(昭和57)年9月に運営主体となる第三セクター「沖縄都市モノレール株式会社」を設立、同年に赤嶺 - 首里汀良町間を県に特許申請、翌年に再検討、那覇空港 - 首里汀良町間(営業距離12.9km)に延長された。
沖縄県と那覇市は都市モノレールの導入空間となる街路の整備事業を先行して進めた。1984(昭和59)年11月に宮脇俊三が沖縄を訪れた時点では、地元でも「いつ開通するかわからない。マイカー体制が定着した那覇で、果たして採算が取れるかどうか危ぶまれている」という声があった。
川島令三も、開業前は閑古鳥が鳴いて赤字になるに決まっていると散々言われていた、と自著で記している。
1994(平成6)年に沖縄県・那覇市と既存交通機関のバス会社との間で基本協定や覚書が締結され、1995(平成7)年の政府予算案(平成8年度)にモノレール関連のインフラ予算が盛り込まれる。
こうした着工に向けた動きの活発化により、同年12月に空港(現在の那覇空港) - 汀良(現在の首里)間の特許申請書を沖縄都市モノレールが再提出、翌年1996(平成8)年3月に同社は軌道事業の特許を取得したことから、同年11月に軌道本体の工事が着手された。
この時点での開業予定時期は2003(平成15)年12月としていたが、街路の先行整備で工期に余裕ができたこともあり、実際には4か月ほど早い同年8月に開業している。
太平洋戦争の激戦地であったことから建設前に不発弾探査が行われ、3か所において計7発の不発弾が発見され処理されたが、開業後も何度か運転を休止して不発弾処理が行われている。

年表:
(開業前)
1996(平成8)年3月1日 - 軌道事業の特許につき、運輸審議会件名表に登載される。
 4月11日 - 運輸審議会が、軌道事業を特許することは妥当である旨を答申 
 10月31日 - 都市計画事業の認可を受ける。
 11月25日 - 沖縄都市モノレール建設事業の起工式
1999(平成11)年11月30日 - 駅名・シンボルマークを決定し、愛称を「ゆいレール」とする。
2001(平成13)年12月4日 - 那覇空港 - 小禄間で試運転を開始する。
2002(平成14)年11月25日 - 全線での試運転を開始する。

(開業後)
a0057057_22195646.png2003(平成15)年8月10日 - 那覇空港 - 首里間 (12.9km) が開業。昼間12分間隔。1日上下202本運転。開業時より乗車カード「ゆいカード」を導入(写真:以下のとおり、現在は使用不可)
2004(平成16)年12月26日 - 開業後初のダイヤ改正。運転間隔を昼間10分間隔とし26本増発
2005(平成17)年12月23日 - 開業以来平日・休日共通だったダイヤが変更され、休日ダイヤを新設。ここでいう休日とは、土曜日、日曜日、祝日、振替休日、年末年始(12月31日 - 1月3日)である。
2009(平成219年9月13日 - 不発弾処理のため全線運休(全線運休は台風などの自然災害によるもの以外としては開業後初めて)。正午すぎに運転を再開
2012(平成249年1月25日 - 首里 - 浦西(仮称)間の軌道事業特許を認可。翌26日交付
2013(平成25)年4月4日 - 首里 - 浦西間第1次工事施行認可
 11月2日 - 首里 - 浦西間延伸事業の起工式が浦添市で開かれる。
2014(平成26)年5月30日 - 2013(平成25)年度の事業報告が発表され、1日平均の乗客数(降客数含まず)が初めて4万人を超え、年間では1490万3196人となり、過去最高となった。
 9月8日 - ゆいカードの券売機での発売を終了
 10月2日 - 2011(平成13)年9月から運行されていた車体に首里城を描いた「首里城号」が運行終了
a0057057_22073761.png 10月14日 - ゆいカードの窓口での発売を終了 
 10月20日 - IC乗車券「OKICA(オキカ)」(写真)導入
 10月29日 - ゆいカードの取扱を終了
 12月26日 - 延伸区間の駅名決定
2015(平成27)年11月6日 - 2015(平成27)年10月の乗客数が146万8449人、一日平均4万7369人で、いずれも単月の過去最高を記録したと発表された。
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2016(平成28)年2月18日 - 延長区間のコンクリート製のレールが完成し、設置に向けて「安全祈願祭」と「出発式」が開催された。
 4月27日 - 液晶ディスプレイパネルを搭載した新型車両(左写真:1214+1114 編成)が営業運転を開始
2017(平成29)年5月26日 - 2016(平成28)年度決算が発表され、純損益は2億2053万円で2003(平成15)年の開業以来初の単年度黒字となった。
 8月1日 - この日のダイヤ改正で、ダイヤを平日ダイヤ・土曜休日ダイヤの2パターンから、平日(月-木曜)ダイヤ・金曜ダイヤ・土曜ダイヤ・休日ダイヤの4パターンに変更
2019(平成31)年春 - 首里 - てだこ浦西間 (4.1km) が開業予定

延長計画と延伸構想:
a0057057_16065732.png首里駅から石嶺地区を経由した沖縄自動車道インターチェンジまでの延長計画、および沖縄道より先の地域までの延伸計画が検討されており、建設当初より首里駅から先の車止めは石嶺地区に向かってカーブした形で行き止まりとなっている。(写真)
また、同駅のホームは相対式となっており、上り線を利用して暫定的に片面のみ使用しているほか、延伸予定道路は軌道敷設対応の拡張工事が行われている。
内閣府は2005(平成17)年に延伸についての調査を行ったが、ゆいレールの利用実績は順調であるものの赤字を出しており、この解消が課題とされた。

延長計画:
数年にわたり延長計画の選定の協議会が行われてきたが、2008(平成20)年3月に首里石嶺町、浦添市前田を経由して、西原入口交差点に接続される総延長4.1kmの浦添案が選定され、2020年度までの開業を目指して計画が進められることとなった。2009(平成21)年度より延伸に向けての調査が開始されており、2、3年の調査の結果をもとに国に対してモノレール建設事業の予算要求を行う予定となっている。ただ、建設費用での問題が一部未解決となっている。
建設費用は396億円と概算されており、駅舎や軌道けた、柱などのインフラ部の整備費用については、原則として県道は県、市道は各市の道路管理者が負担することになっていた。
しかし那覇市側は、第1駅(那覇市に設置予定)の駅勢内(半径約800m)で那覇市民の利用はカバーできるとして、第1駅と第2駅(浦添市に設置予定)間の間にある那覇市道800mの整備費用は県や浦添市が負担するように求めた。
その後の協議会において、市道800mに関しては那覇市と県が整備を行うことにし、総事業費396億円のうち、県が57億円、那覇市が30億円、浦添市が46億円の費用を分担し、残りの263億円は国庫補助を見込むという試算が出された。
但し、費用分担に関して県や市は財政上の問題から出来る限り費用を抑えたいという意向があるため、分担割合の合意には流動的な部分が残されている。

(延長計画選定の推移については省略)

乗車券
a0057057_22205828.png2014(平成26)年10月に更新された自動改札機は乗車券の投入口・搬送機構・取出口がなく読取部のみのタイプで、普通乗車券および1日・2日乗車券にはQRコードが印刷されており、これを読み取らせることで改札を通過する。(写真の様に再利用防止のためQRコードはマスク印刷される)。
改札を出場しても乗車券は自動的に回収されないため、改札機の先端に回収箱を設置している。

a0057057_22342530.pngフリー乗車券1日乗車券・2日乗車券
沖縄都市モノレール線全線で有効。それぞれ大人用と小児用があり、小児用は大人用の半額である。自動券売機または駅窓口での発券時刻を基準として、1日乗車券は24時間、2日乗車券は48時間有効である。有効期限が時間制になっているのが特徴で、購入日の翌日(2日乗車券は2日後)になっても、前日(前々日)の購入した時刻までは有効である。
一部の観光施設(首里城、沖縄県立博物館・美術館 等)、飲食店では提示により割引がある。(公式ウェブサイト参照)
当初は有効期間は他の鉄道・バス事業者の一般的な1日乗車券と同様、購入日を基準としてその日(2日乗車券は翌日)の終電まで有効であったが、2011(平成23)年2月1日に改定され時間制となった。
改定当初は有効時間は最初に自動改札機で改札処理をした時刻を基準としていたが、OKICA導入と乗車券のQR券化により、自動券売機で発券した時刻を基準とするようになった。
2012(平成24)年10月31日までは、3日乗車券も発売されていた。有効期限が時間制になった際に72時間有効となったが、時間制としたことで、2泊3日で沖縄に滞在する観光客の多くが2日乗車券を利用するようになり利用が減少したため発売を終了した。(写真は「1日乗車券」)
筆者注:入場時刻(すなわち、改札機の入口側から入るの)が有効時間内であれば、有効時間過ぎても最初の降車(出場)駅まで「有効」だった。

ぐるっと那覇バスモノパス
沖縄都市モノレール線全線と、那覇バスの那覇市内線全線、市外線の指定区間(主に那覇市内の区間)で有効。スクラッチ式で、削った日付の日のみ有効。

がんじゅう1日乗車券
70歳以上の那覇市民を対象に発売。土日祝日と慰霊の日のみ利用可で、発売当日のみ有効。

乗車カード・定期乗車券
IC乗車カードの「OKICA」が導入されている。定期券は通勤/通学の別、1箇月/3箇月/6箇月の別で、いずれもOKICAで発行される。

参考資料:Wikipedia「沖縄都市モノレール」(最終更新 2018年5月4日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%B7%9A
Wikipedia「沖縄都市モノレール線」(最終更新 2018年5月6日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%B7%9A
共に2018.5.-7閲覧

現地取材:2017.5.16ー17
記事投稿:2018.5.-7
  調整:2018.5.-8

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by fbox12 | 2018-05-08 21:34 | 鉄道・バス

265 弘前駅 (JR東日本/JR貨物/弘南鉄道)

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ひろさき

所在地:青森県弘前市大字表町
所属事業者:東日本旅客鉄道(JR東日本)
      日本貨物鉄道(JR貨物)
      弘南鉄道
乗り入れ路線:
JR東日本・JR貨物の奥羽本線(JR東日本が第一種鉄道事業者、JR貨物が第二種鉄道事業者)と、弘南鉄道の弘南線が乗り入れる。弘南線は当駅が起点である。JR東日本については、奥羽本線川部駅を起点とする五能線の全列車が当駅発着で運行されており、事実上2路線3方向の列車が利用できる。

歴史:
1894年(明治27年)12月1日 - 官設鉄道(逓信省鐵道局)の弘前驛(旅客駅)が中津軽郡和徳村に開業。
 12月11日 - 貨物の取扱を開始(一般駅となる)。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定、奥羽本線所属駅となる。
1927年(昭和2年)9月7日 - 弘南鐵道の弘南弘前驛開業。
1929年(昭和4年)12月- 2代目駅舎供用開始。
1949年(昭和24年)4月1日 - 鉄道公安室設置。
1971年(昭和46年)12月20日 - 弘前駅旅行センター開業。
1973年(昭和48年)6月13日 - 弘南弘前駅に自動券売機を2台設置。
1980年(昭和55年)11月1日 - 弘南弘前駅の出改札業務を委託化。
1981年(昭和56年)4月24日 - 3代目駅舎供用開始。
1982年(昭和57年)4月23日 - 駅ビル「アプリーズ」開業。
1986年(昭和61年)4月1日 - 弘南弘前駅が弘前駅に改称。
 11月1日 - 国鉄駅での荷物の取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄の駅は東日本旅客鉄道・日本貨物鉄道の駅となる。
1993年(平成5年)4月1日 - 「びゅうプラザ弘前」開業。
2002年(平成14年) - 東北の駅百選に選定される。
2004年(平成16年)12月12日 - 4代目駅舎供用開始、東西自由通路開通。発車メロディーに「津軽じょんから節」を採用。
2006年(平成18年) - JR弘前駅2番線・3番線の大鰐寄りホーム上にエアコン付待合室設置。
2008年(平成20年)3月22日 - JR弘前駅に自動改札機と指定席券売機設置。
2010年(平成22年)4月1日 - 大釈迦駅 - 津軽新城駅間各駅の管理が浪岡駅から当駅に変更となる。
2017年(平成29年)4月1日 - 浪岡駅の業務委託化に伴い同駅が管理下になる。

JR東日本

a0057057_23115118.pnga0057057_23124576.png
a0057057_23133594.png所在地:青森県弘前市大字表町1-1
所属路線:奥羽本線
キロ程:447.1km(福島起点)
電報略号/事務管コード:ヒロ/220884
駅形態:直営駅(管理駅)


a0057057_23150228.pnga0057057_23303134.png
駅構造:
a0057057_23331153.pnga0057057_23525869.png
a0057057_23532729.png
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを有する地上駅。構内西側にある単式ホームが1番線(上写真左:列車停車中)、構内東側にある島式ホームの内側が2番線(上写真右:列車停車中)、島式ホーム外側が3番線である。1番線と2番線の間にホームのない線路(下り本線)がある。上り本線は3番線(右写真:列車停車中)で、1番線は下り1番線、2番線は中線となっている。また、多数の側線がある。
橋上駅舎を有する(上写真に見える)。改札口は2階にあり、駅の東西を結ぶ自由通路「あずましろ〜ど」に面している。
駅舎内には駅事務室、みどりの窓口(営業時間:5時30分-22時00分)、びゅうプラザ(営業時間:平日10時30分-18時00分、土休日10時30分-17時00分)、タッチパネル式自動券売機3台、指定席券売機2台、待合所、売店(キオスク)自動改札機がある。
直営駅である。管理駅として、奥羽本線の津軽湯の沢駅 - 津軽新城駅間の各駅を管理している。
津軽地方の中心駅であり、青森県内の秋田支社管内駅を統括している。
中央口側1階には弘前市観光案内所・そば屋(キオスク)がある。2代目駅舎時代までは1番線ホーム上にそば屋(キオスク)・売店(キオスク)が、3代目駅舎時代までは2・3番線ホーム上にそば屋(伯養軒)・売店(伯養軒・旧キヨスク)があったが、現在はいずれのホームにも無い。また、3代目駅舎時代の待合室内では伯養軒が軽食コーナーや和食処を営業していた。
発車メロディは2004年12月12日より『津軽じょんから節』になった。なお、発車メロディは車掌操作となるため、ワンマン列車の場合は鳴らない。
接近放送は4点チャイムの後に接近案内放送が入る。列車到着時の駅名連呼は女性声で放送される。
電光掲示板はATOSエリアで使用されているものと同型のものが取り付けられているが、フォントはゴシック体である。

のりば:1・2・3番線 奥羽本線 下り 浪岡・新青森方面
                上り 大館・秋田方面
           五能線 五所川原・鰺ケ沢方面
1番線は奥羽本線下り列車、2番線は折り返し列車と五能線、3番線は奥羽本線上り列車が主に発着する。特急列車は青森方面行が1番線、秋田方面行が3番線となっている。
(写真参照:写真はすべて青森方から秋田方を捉えたもの)

弘南鉄道
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所在地:
青森県弘前市大字表町2-68
所属路線:弘南線
キロ程:0.0km(弘前起点)

駅構造:
頭端式ホーム1面2線を有する地上駅。ホームは1番線と2番線があるが、列車は主に1番線から発車する。
また、1番線には奥羽線からの非電化の渡り線があるため、購入した車両を搬入する際に使用される。
城東口側1階に自動券売機2台、出札窓口、改札口(有人)、事務室がある。
窓口では定期券・回数券・往復乗車券・硬券入場券を発売している。
改札は上り電車の到着後、乗客の降車が終了次第開始する。
3代目駅舎時代までは改札口は独立していたが跨線橋はJRと共用で、ホームの名称も4・5番線とJRからの続き番号だった。なお、以前は常時改札を行っており、ホーム上には待合室と売店・立ち食いそばおよび汲み取り式のトイレがあった。

のりば:
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1・2番線 弘南線 平賀・黒石方面
同じ弘南鉄道の路線である大鰐線中央弘前駅とは1km強離れており、バスや徒歩などでの連絡が必要となる。
また、上記駅名標はJR仕様のものだが、隣駅表示が「黒石」になっている。これは、「黒石方面」の意で、隣の駅は「弘前東高前」である。

貨物駅
JR貨物の駅は、旅客駅中央口北側にある。1面2線のコンテナホーム(ヤード)が設置されているほか、数本の留置線が敷設されている。
荷役線は、駅の着発線からいったん青森駅方面の西側へ伸びる引上げ線に入り、駅方向へ戻るように分岐している。
営業窓口のJR貨物弘前営業所が置かれている。なお駅業務・構内入換作業は八戸臨海鉄道に委託されている。
貨物列車は、1日1往復の高速貨物列車が青森信号場方面との間で運行されている。大館駅方面へ向かう列車や、専用貨物列車の発着はない。

取扱う貨物の種類:
コンテナ貨物 - 12ftコンテナのみを取り扱う。産業廃棄物・特別管理産業廃棄物の取扱許可を得ている。
1995年12月8日のダイヤ改正以前は車扱貨物も取り扱っていた。

参考資料:Wikipedia「弘前駅」(最終更新:2018年4月7日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%98%E5%89%8D%E9%A7%85閲覧:2018.5.-5現地取材:2017.6.25記事投稿:2018.5-5


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by fbox12 | 2018-05-05 22:22 | 鉄道・バス

264 県庁前駅 (ゆいレール)

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けんちょうまえ

所在地:沖縄県那覇市久茂地一丁目103
所属・路線:沖縄都市モノレール株式会社・沖縄都市モノレール線
キロ程:5.91km(那覇空港起点)
駅番号:7

概要:
沖縄県庁および那覇市役所の最寄り駅である。計画当時の仮称は「御成橋駅(おなりばしえき)」であった。駅進入時の車内チャイムは、琉球民謡の「てぃんさぐぬ花」を編曲したもの。
ゆいレール開業当時の1日乗車券の券面の写真は当駅付近を撮影したものである。ただし、沖縄銀行の屋上に設置された看板や國場ビルの屋上看板にある「國場組」「日本航空」の文字やロゴ等は消されていた。後にゆいレールのイメージイラストを経て現在はQRコードつきの通常の切符のレイアウトに準じたものになっている。

歴史:
2003年(平成15年)8月10日 - 開業。

駅構造:島式ホーム1面2線。エスカレーター・エレベーターあり。パレットくもじに直結している。

のりば:
ホーム1 沖縄都市モノレール線 牧志・おもろまち・首里方面
ホーム2 沖縄都市モノレール線 小禄・那覇空港方面

参考資料:Wikipedia「県庁前駅(沖縄県)」(最終更新:2017年11月10日 )https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%8C%E5%BA%81%E5%89%8D%E9%A7%85_(%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C
閲覧:2018.5.-1現地取材:2017.5.16記事投稿:2018.5.-1
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by fbox12 | 2018-05-01 23:30 | 鉄道・バス

263 吉松駅 (JR九州)

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よしまつ

所在地:鹿児島県姶良郡湧水町川西968
所属路線:九州旅客鉄道株式会社・肥薩線
電報略号/事務管コード:ヨマ/940201
キロ程:86.8km(八代起点)
駅形態:業務委託駅

概要:
JR九州・肥薩線に所属し、当駅を起点とする吉都線を加えた2路線が乗り入れる。かつて両線は鹿児島本線と日豊本線であり、この駅は幹線の分岐駅として賑わった。特急「はやとの風」の始発・終着駅であるとともに、人吉駅・熊本駅まで走る観光列車「いさぶろう・しんぺい」号の始発・終着駅でもある。

歴史:
明治30年代ごろにおいては、鹿児嶋懸と、既に鉄道が敷設されている九州北部とを結ぶことが必須の課題となっていた。そこで九州鐵道の路線が八代驛まで開通を見ていたため、この八代と鹿児嶋懸を結ぶ計画が立てられた。八代と鹿児嶋をどう結ぶかについては、海岸線周りの案と山中を進む案とがあったが、結局最初にとられたのは山中を進む案であった。これには「海岸線に線路を敷設しては危険」との、軍の意向が関係したともいわれている。
まず明治34年(1901年)6月10日に鹿児嶋線として鹿児嶋驛から國分驛(現在の隼人駅)までが開通した。これは九州で初めての官設鉄道である。ついで明治36年(1903年)1月15日には國分驛からさらに橫川驛(現在の大隅横川駅)までの延伸が成った。そして同じ明治36年(1903年)の9月5日に、橫川驛からこの𠮷松驛までさらに延伸となって、このとき当駅は開業する。
一方の八代側では明治41年(1908年)6月1日に八代驛から人𠮷驛までが開業したが、問題は南九州中央部の山岳地帯を貫く、人𠮷驛からこの𠮷松驛までの間であった。ここに線路を敷くのは困難を極めたが、それでもスイッチバックやループ線等をいくつも取り入れた線路の敷き方によって、明治42年(1909年)11月21日、遂に人𠮷驛からこの𠮷松驛までの間が開業し、この開通を以って鹿児嶋から福岡(博多驛)、門司(現 門司港駅)までが一本の線路でつながり、さらに關門連絡船を経由して大阪、東京にもつながることとなった。今でも吉松駅前にはこれを記念する「肥薩鐵道開通記念碑」が機関車の動輪とともに設けられている。
門司から八代、人𠮷、𠮷松をへて鹿児嶋までは人𠮷から𠮷松までの開通とともに鹿児嶋本線となった。
大正元年(1912年)10月1日には、同じく鉄道網から外れていた宮崎懸とこの𠮷松驛を結ぶために宮崎線が小林町驛(現在の小林駅)まで開通する。
宮崎線はその後大正2年(1913年)5月11日に谷頭驛まで、同じ年の10月8日に都城驛まで延伸を果たした。
その後も少しずつ線路を伸ばして行き、大正5年(1916年)の10月25日には宮崎驛まで全通し、その後宮崎本線とされたのち、小倉驛から𠮷松驛までが日豐本線とされたため、その一部となった。
このころ𠮷松は熊本方面・宮崎方面・鹿児嶋方面からの線路が一つに集まる交通の要衝として繁栄を見せていた。
人だけではなく物資の流れの中心地ともなって、駅附近にはさまざまなこれらの人々、物たちを対象とする商売が盛んに行われた。
また吉松は附近の路線の管理を一手に引き受ける駅となっており𠮷松機関区もおかれていたので、鉄道関係の職員もこの町には多く住んでいたという。
しかし鹿児嶋本線においては、人𠮷と𠮷松の間の急勾配を避けるため海岸回りの路線の工事が着々と進み、昭和2年(1927年)10月17日の湯浦驛から水俣驛までの開通を以って、海岸線周りの八代驛から鹿児嶋驛までが全通、こちらが鹿児嶋本線の一部となって、同時に八代驛から鹿児嶋驛までの従来の鹿児嶋本線は肥薩線という一支線に格下げとなった。
また日豐本線においても、都城驛から現在の隼人駅までを海岸回りで通す路線の建設が行われ、昭和7年(1932年)の12月6日に大隅大川原驛から霧島神宮驛までの開通によってこちらも全通、日豐本線の一部となり、𠮷松から都城まではこれも一つの支線たる𠮷都線に格下げとなってしまった。
それからのこの駅は𠮷都線と肥薩線、二つの小さなローカル線の接続駅としての役目を持つに過ぎない。
この駅は昭和62年(1987年)の4月1日に国鉄の分割民営化により九州旅客鉄道の駅となり、その後平成4年(1992年)6月1日には構内に霧島高原鉄道事業部が発足したが、平成20年(2008年)4月1日に鹿児島鉄道事業部と統合し霧島高原鉄道事業部は廃止となった。

年表:
1903年(明治36年)9月5日 - 鹿児嶋線の橫川驛(現在の大隅横川駅)から当駅までの延伸にともない𠮷松驛として開業する。
1909年(明治42年)11月21日 - 当駅から人𠮷驛までが開通する。同時に門司驛から当駅を経て鹿児嶋驛までが鹿児嶋本線とされる。
1912年(大正元年)10月1日 - 宮崎線が当駅から小林町驛(現在の小林駅)まで開通し接続駅となる。
1917年(大正6年)9月21日 - 宮崎懸営鐵道の国有化により当駅から宮崎驛をへて広瀨驛(現在の佐土原駅)までが宮崎本線とされる。
1923年(大正12年)12月15日 - 市棚驛から重岡驛までの開通により豐州本線と宮崎本線の小倉驛から宮崎驛を経て当駅までが日豐本線とされる。
1927年(昭和2年)10月17日 - 鹿児嶋本線の八代驛から当駅を経て隼人驛までが肥薩線として分離される。
1932年(昭和7年)12月6日 - 日豐本線の当駅から都城驛までが𠮷都線として分離される。
1968年(昭和43年)4月13日 - 現在の鉄筋コンクリート二階建ての駅舎が落成。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化に伴い九州旅客鉄道に継承される。
1992年(平成4年)6月1日 - 構内に霧島高原鉄道事業部が発足。
1996年(平成8年)3月16日 - 肥薩線の当駅から人吉駅までの列車のうち1往復を観光列車「いさぶろう・しんぺい」として運行開始。
2000年(平成12年)3月11日 - 急行「えびの」運行廃止。
2004年(平成16年)3月13日 - 特急「はやとの風」運転開始。
2007年(平成19年)11月30日 - 吉松駅横の石倉(燃料庫)と駅前の保存車両(蒸気機関車「C5552号」)が南九州近代化産業遺産群の物資輸送関連遺産の1つとして選ばれる。
2008年(平成20年)4月1日 - 霧島高原鉄道事業部を廃止(鹿児島鉄道事業部に統合)。

駅構造:
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北方より来た肥薩線に、東から吉都線が寄り添う形で構内に入る。地上駅で島式ホーム2面4線とかつての幹線の要衝らしい規模である。
駅舎とホームは真幸方(北側)の跨線橋により行き来できる。駅舎に接して、既に使われなくなった単式ホームがある(左写真「はやとの風」の左側)。
現在の駅舎(=2代目)は昭和43年(1968年)4月に落成したもので、鉄筋コンクリート2階建てで、1階部分に待合所や改札口・切符売り場などがある(上駅舎写真)。
なお以前(=初代)は木造駅舎であった。
a0057057_22380673.png改札上の運賃表には真幸駅・矢岳駅・大畑駅への運賃が書かれていないが、これは当駅との間を乗り降りする人がほとんどいないためである。
当駅の窓口では、真幸駅の記念入場券(右写真:裏側・・表側は「真幸駅」のページに表示予定)や「鶴丸 - 吉松 - 真幸」と縁起の良い駅名の並ぶ記念乗車券も発売されている。改札外に待合所がありここには囲炉裏の付いた座敷がある。
肥薩線および吉都線のCTCセンターが併設されている。
このCTCセンターでの列車の運行管理や駅構内の車両入換え・運転士労務管理などの運転関係業務はJR九州鹿児島鉄道事業部吉松運輸センター社員が行い、出改札業務のみ子会社であるJR九州鉄道営業へ委託となっている。
マルス(みどりの窓口)はないが感熱式POS端末が設置されている(上入場券、乗車券面参照)。なお、自動券売機は設置されておらず、早朝・夜間は車内精算となる(つまり、通常の切符は上記のPOS券のみ)。
1・2番のりばのホーム上には売店があり、特急「はやとの風」運転開始を機に駅弁(幕の内弁当)の販売を再開した。また全国的に珍しくなった駅弁の立ち売りが行われている。

のりば:
1~3番のりば 肥薩線上り 人吉・熊本方面
           下り 隼人・鹿児島中央方面
        吉都線 都城・宮崎方面
4番線は現在は留置線として扱われている。

参考資料:Wikipedia「吉松駅」(最終更新:2018.4.14)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9D%BE%E9%A7%85
  閲覧:2018.4.27

現地取材:2018.3.14
記事投稿:2018.4.30
  調整:2018.5.-1

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by fbox12 | 2018-05-01 16:46 | 鉄道・バス

262 梅田駅 (阪急/阪神/Osaka Metro)

うめだ


概要:
各鉄道事業者の梅田駅および大阪駅・北新地駅・東梅田駅・西梅田駅は、それぞれ離れた場所に別々の駅舎を持つ独立した駅であるが、地下街などを介して相互に乗換え可能で、キタ・梅田のターミナルを形成している。
かつては日本貨物鉄道(JR貨物)の梅田駅(通称: 梅田貨物駅、現在の梅田信号場)も近隣を通る梅田貨物線上に設けられていた。
各梅田駅は、大阪駅を中心とすると、北東に阪急の梅田駅、東に地下鉄の梅田駅、南に阪神の梅田駅が位置し、そして北西にJR貨物の梅田駅が存在していた。また、地下鉄梅田駅の東に東梅田駅、阪神梅田駅の西に西梅田駅、阪神梅田駅の南に北新地駅がある。

乗り入れ路線:
-01 阪神電気鉄道 - 駅番号は HS 01 本線 - 当駅が起点。
-02 阪急電鉄 - 駅番号は HK-01 神戸本線 - 当駅が起点。
   宝塚本線 - 当駅が起点。
   京都本線 - 戸籍上の起点は十三駅だが、十三駅を発着する全列車が乗り入れる。
-03 Osaka Metro 御堂筋線 - 駅番号は M16

その他、以下の駅とも乗り換えが可能である。
西日本旅客鉄道(JR西日本)
 大阪環状線、JR京都線・JR神戸線(東海道本線)、JR宝塚線(福知山線)- 以上、大阪駅
 JR東西線 - 北新地駅・・阪急との乗り換えには12分程度の時間を要する。
Osaka Metro
 谷町線 - 東梅田駅(駅番号:T20)
 四つ橋線 - 西梅田駅 (駅番号:Y11)・・阪急との乗り換えには10分程度の時間を要する。

阪神や阪急では大阪側のターミナル駅であることを強調するため、「大阪」と並列して呼称することがある。
阪神の車内アナウンスは「次は、大阪梅田、梅田、終点です」となっており、阪急では行先表示板を使用していた1980年代までは電車の行先案内は「大阪⇔京都」のように記載され、かつては「大阪梅田駅」と呼んでいたこともあった。
これは他社のターミナル駅である天満橋駅などでも見られ、中には大阪阿部野橋駅や大阪上本町駅のように正式駅名に「大阪」を含んだ例も存在する。
これらは、戦前の各私鉄の路線敷設期に当時の大阪市内中心部である北浜や本町付近にターミナル駅を設けられなかったことに起因する。
当時、大阪市は市電を始め地下鉄網の路線拡充、建設を図っていたために、私鉄線の市内中心部への乗り入れには大反対で、当時の鐵道省に路線免許を認めさせないように強硬に働きかけていた(市営モンロー主義)。
この為に当時の市内周辺部にしかターミナル駅を設けられなかったことから、現在の私鉄線各ターミナル駅名の頭に「大阪」が付くようになったのである。
その後、現在に至って Osaka Metro(旧 大阪市交通局の地下鉄)がその各ターミナル間を結ぶことになっているのは一種の皮肉とも言える。
会社ごと、あるいは位置ごとに分ける意味で「阪神梅田駅」「阪急梅田駅」と呼ぶこともある。同様にして阪神と阪急に同一の駅名がある神戸三宮駅、春日野道駅、御影駅、も「阪神○○」「阪急○○」と案内されることが多い。
これは神戸高速鉄道を介して阪急電鉄、阪神電気鉄道、山陽電気鉄道の3社が相互乗り入れしているためである。高速神戸駅以西を始発としている列車が同一ホームから発車することから、ことさらに強調されてアナウンスされたためである。
これに関連して、山陽電気鉄道の5000系車両の行先表示では「梅田」ではなく「阪神梅田」と表示される。また、阪神の直通特急対応車両には「梅田」「阪神梅田」両方の行先表示が入っている。山陽電車の車内アナウンスは「阪神、大阪梅田行…」である(駅構内アナウンスでは「大阪」をつけず単に「阪神梅田」と呼ぶ)。
阪神なんば線から近鉄奈良線に直通する電車の尼崎駅到着時のアナウンスでは、大阪難波駅があるにもかかわらず、「大阪方面へお越しの方は…」と梅田を省略する場合がある。また、武庫川駅以西での快速急行の停車駅の自動放送による案内では、大阪難波駅も大阪上本町駅も大阪を省略する一方で、「野田、大阪梅田終点にお越しの方は…」と梅田には頭に必ず大阪を付けている。
また、新大阪駅の在来線コンコースには「大阪駅(梅田)へは15・16番のりば…」という掲示がある。
北梅田駅大阪駅付近で梅田貨物線を通過する特急「はるか」・「くろしお」などに梅田界隈から乗降できるようにするため、現在の梅田貨物線を地下線にした上で、より大阪駅に近接した位置に「北梅田駅」(仮称)を開設する計画がある。
地下線にする理由は、現在梅田貨物線となにわ筋の交点に設置された踏切などで渋滞が発生しやすいため、それを解消する目的も兼ねている。
なお、おおさか東線の列車も北梅田駅まで乗り入れる予定。
JR貨物の梅田駅跡地(うめきた2期開発区域)が2014(平成26)年度中に更地化されるのを受けて、2015(平成27)年頃に梅田貨物線地下新線建設工事に着手し、併せて新駅を設置して2023年頃の開業を目指すことになった。
(以上、参考資料:Wikipedia「梅田駅」最終更新 2018年4月2日)

-03 Osaka Metro
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所在地:大阪府大阪市北区角田町8-6
所属・路線:大阪市高速電気軌道株式会社・御堂筋線
駅番号:M16キロ程:6.4km(江坂起点)

概要:
かつては、終電の1本前を中津駅、終電を新大阪駅までそれぞれ回送夜間留置するため2本が当駅止まりとなっていたが、2013(平成25)年3月23日のダイヤ改正で回送列車をそのまま営業列車として運行するようになったため、現在当駅止まりの列車は設定されていない。また江坂方面への始発電車の設定もされていた(のちに天王寺駅発に変更)。
谷町線東梅田駅、四つ橋線西梅田駅とは同一駅扱いであり、以下のような乗り継ぎ制度がある。
乗車券は西梅田駅、東梅田駅とも相互に使用でき、定期券はいずれの方向に乗車しても区間外となる場合を含めて3駅とも入出場することができる。
乗車する駅以外で普通乗車券を購入した場合も自動改札機を通過することが可能。たとえば、御堂筋線に乗車するのに誤って西梅田駅で乗車券を購入した場合は、その乗車券を梅田駅の自動改札機に通して通過できる。乗り換えが30分以内ならば乗り継ぎ乗車料金で乗車可能である。30分を越えると適用外となり、改めて初乗り乗車料金からの計算となる。
梅田駅までの運賃と同一の普通乗車券で乗り継ぎをする場合は、淀屋橋寄りの改札口にある緑色の自動改札機に限り通過することができる。それ以外の機械を通過する場合はあらかじめ精算機で『乗継乗車券』に引き換えなければならない。また、梅田駅までの乗車料金よりも少ない普通乗車券の場合は精算機で梅田駅までの乗車料金を一旦精算することで『乗継乗車券』に引き換えなければならない。ただし、この乗継乗車券は最終降車駅では差額精算することができる。阪急との連絡乗車券(天神橋筋六丁目駅経由指定)を利用する場合は、梅田駅での乗り継ぎはできない。

歴史:
1933年(昭和8年)に仮駅で開業、1935年(昭和10年)に本駅が完成した。開業当初は1両での運行だったが、将来の輸送量増加を見込み、ホームの有効長は189m、幅は9.1mの島式ホームが建設された。これは、開業当初の車両の大きさで12両編成に対応できる有効長であった。しかし、戦後はそのような巨大なホームをもってしても急激な輸送人員の増加に対応できず、ラッシュ時には改札制限が常態化するなど、当駅は終日激しい混雑に見舞われるようになった。そこで、混雑の解消と乗降人員の増加に対応するため、1988年(昭和63年)から改造工事に着手した。太平洋戦争前から2号線(谷町線)用に準備されていたものの同線の建設ルート変更に伴い放置されていたトンネルを転用して、幅12mのなかもず方面行き新ホームが造られることになり、1989年(平成元年)に完成した。従来のなかもず方面の線路もホームに改造された結果、ホームの幅は9.1mから24.5mまで拡幅された。1番線ホームと2番線ホームの間に壁があるのはこのためである。改良工事は1991(平成3)年に完成し、コンコースも拡幅された。千里中央方面行きのホームに立つと旧なかもず方面行きの位置が現在でも分かる構造になっており、千里中央方面行き列車の梅田到着直前に右側の窓を眺めると僅かながら蛍光灯に照らされた旧なかもず方面行きの線路跡を確認することができる。

1933(昭和8)年5月20日 - 仮駅開業
1935(昭和10)年10月6日 - 本駅開業。仮駅廃止
1980(昭和55)年10月 - 自動改札機導入
1988(昭和63)年3月 - 改造工事に着手
1989(平成元)年11月5日 - なかもず方面行き新ホーム供用開始。ホーム幅が9.1mから24.5mに拡幅し、有効長197mに延長
1991(平成3)年3月 - 改造工事完成
2003(平成15)年 - 第4回近畿の駅百選に選定
2012(平成24)年2月22日 - 午前9時頃、F階段下倉庫内で火災が発生。午前10時40分頃まで御堂筋線全線で運転を見合わせる。その後運転を再開したが、当駅構内は一時閉鎖され、閉鎖が解除されるまで御堂筋線の全列車が当駅を通過した。乗客は全員無事であったが、駅員ら17人が煙を吸引し軽症を負った。
2014(平成26)年4月4日 - 駅ナカ商業施設「ekimo梅田」開業
2015(平成27)年10月6日 ‐ 2番線南側のアーチ天井の大改修完了。各調光設備をLED照明に変更し、さらにホーム中央部にはデジタルサイネージが4カ所12面設置された。
2018(平成30)年4月1日 - 大阪市交通局の民営化により、所属事業者・管轄が大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)に変更

駅構造:
島式ホーム1面2線を有する地下駅である。ホームの幅は、1番線が12m、2番線が12.5mであり、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の駅では最大の24.5mが確保されている。1番線と2番線の間は壁で仕切られているが、壁に開いた出入口によって往来が可能。改札口はホーム新大阪寄りの「北改札」、ホーム中程付近の「中改札」、ホーム難波寄りの「南改札」がある。中改札と南改札の間には、駅ナカ商業施設である ekimo梅田があり、14の店舗が並んでいる。
当駅は梅田管区駅に所属し、同管区駅長(副駅長駐在)が当駅のみの単駅管理となっている。

のりば:
1番線 御堂筋線 なんば・天王寺・あびこ・なかもず方面
2番線 御堂筋線 新大阪・江坂・千里中央方面

駅北側中津方には上下線を繋ぐ片渡り線が設置されている。

本稿、阪急、阪神の梅田駅については準備中

参考資料:Wikipedia「梅田駅(大阪市交通局)」(最終更新:2018年4月17日)・・2018年4月28日閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%94%B0%E9%A7%85_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E5%96%B6%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84)
Wikipedia「梅田駅」(最終更新:2018年4月2日)・・2018年4月28日閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%94%B0%E9%A7%85

現地取材:2018.3.-2他
記事投稿:2018.4.28

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by fbox12 | 2018-04-28 21:32 | 鉄道・バス

特急「はやとの風」(JR九州)

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はやとのかぜ

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概要:
はやとの風(はやとのかぜ)は、九州旅客鉄道(JR九州)が吉松駅 - 鹿児島中央駅間を肥薩線・日豊本線・鹿児島本線経由で運行する臨時特急列車で、2004(平成16)年3月13日に九州新幹線鹿児島ルートが部分開業した際、九州新幹線に接続する霧島方面への観光列車として運行を開始した。
当初は専用車に予備がなかったため臨時列車として運転されていたが、2006(平成18)年3月からは、予備車が1両確保されたことで定期列車となったのち、2018(平成30)年3月17日のダイヤ改正で定期運行が廃止され、再び臨時列車となった。
近年、JR九州は南九州に多くの観光列車を走らせているが、その端緒となった列車である。
肥薩線全体でみると、八代駅~吉松駅間では、2000(平成12)年まで、吉松から吉都線を走る急行「えびの」が運行されていた。またそれ以降も八代駅~人吉駅間では、2016(平成28)年3月に廃止・運行区間縮小されるまで、特急「くまがわ」「九州横断特急」が運行されていた。しかし、吉松駅よりも南の区間では、1978(昭和53)年に急行「やたけ」が快速に格下げされて以来優等列車の運行がなかった。
そのような経緯から、「はやとの風」は肥薩線の吉松よりも南の区間には、26年ぶりの優等列車運行となった。
また、2006(平成18)年12月13日からは、人吉駅~ 鹿児島中央駅間を直通する「人吉はやとの風」も運行された。これは2006(平成18)年10月 - 2007(平成19)年3月に行われた「長崎 vs 熊本キャンペーン」に伴うものだった。
「人吉はやとの風」のダイヤは2日で1往復するようになっていて、1日目に人吉駅行き、2日目に鹿児島中央駅行きが運行されていて、吉松駅 - 鹿児島中央駅間は定期列車の「はやとの風」に併結して運行していた。
先述のキャンペーン終了後も、時折運行されていたが、2007(平成19)年11月に運行予定だった列車が、定期の「はやとの風」が踏切事故を起こした影響で運行中止となり、それ以降は設定がない。

運行概況:
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吉松駅 - 鹿児島中央駅間で土曜・休日および長期休暇期間中に1日2往復が運行されている(2018(平成30)年3月17日以降)。
特急列車ながらワンマン運転を行っている。車内改札のため車掌が乗務することもあるが、車掌が乗務しない時は、客室乗務員が車内改札を行うこともある。
(注、「はやとの風」は特急列車のため「青春18きっぷ」では乗れない。:上右側の車内補充券は、他列車内で発券されたもの)。
「吉松駅発鹿児島中央駅行きの列車が下り列車で、列車番号は6021D - 6024Dとなっている。
運行ダイヤは、速達性よりも観光面をより重視したものとなっていて、1903(明治36)年の肥薩線開業当時に建築された木造駅舎の残っている大隅横川駅・嘉例川駅で、全列車が約5分間停車する。
竜ケ水駅から鹿児島駅間の車窓から桜島が一望できる区間では徐行で運転する。
日豊本線では隼人駅と鹿児島駅のみ停車し、その他の駅では、列車行き違いのための運転停車を行う場合がある。なお「人吉はやとの風」は「はやとの風2・3号」に連結して運行されていた。

停車駅:
吉松駅 - 栗野駅 - 大隅横川駅 - 霧島温泉駅 - 嘉例川駅 - 隼人駅 - 鹿児島駅 - 鹿児島中央駅
a0057057_11452739.pnga0057057_11573433.pnga0057057_16503703.pnga0057057_13592151.pnga0057057_23265505.pnga0057057_15371578.png
「人吉はやとの風」の人吉駅 - 吉松駅間は特急列車扱いながら各駅に停車していた。

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使用車両・編成:
普通列車用のキハ40形気動車を特急仕様に改造したキハ147 1045・キハ47 8092の2両が専用車両で、通常はキハ47 8092を1号車(鹿児島中央向き)、キハ147 1045を2号車(吉松向き:タイトル下左写真)としている。車両の検査時には1両を検査に出し、残った1両と指宿枕崎線の特急「指宿のたまて箱」仕様のキハ140 2066(タイトル下右写真)を連結して運転している。車両は全て普通車である。
改造にあたり内燃機関や台車などは変更されておらず、最高運転速度も95km/hのままだが、種車には高出力エンジン装備車両が選定されている。その後、指宿のたまて箱で使用されているキハ47の改造車と同じく、上下振動を低減するため、加速度センサーにより検知された上下振動加速度を元に制御装置が減衰力指令値を計算して、可変減衰上下動ダンパにその指令値を送り、減衰力を可変させて上下振動を抑制する、減衰力制御弁付きの可変減衰上下動ダンパを台車の枕ばね(コイルばね)に装備され、車体には4つの加速度センサーと制御装置が搭載された。
運行開始当初はキハ147 1045(1号車)・キハ140 2066(2号車)の2両編成で、予備車両がなかったため検査や故障時は運休となっていたこともある。
ほぼ毎日運転していたが臨時列車の扱いであった。
a0057057_23353898.png2006(平成18)年にキハ47 8092が加わるとこれを1号車とし、従来1号車だったキハ147 1045は方向転換の上で2号車に変更。2号車だったキハ140 2066は予備車となったため「はやとの風」の臨時列車扱いは解除され、多客時には3両で運行するようになった。
キハ140 2066は両運転台車で単行運転が可能のため「人吉はやとの風」にも用いられた(写真右・・両運転台のため、編成中間にも運転台がある)。「人吉はやとの風」が運休になった事故の際には「はやとの風」の専用車両が1両しか運行できなくなったため、2号車(当時は全車自由席)に普通列車用のキハ40系を充当し、2号車には乗車券のみで乗車可能とする措置を取っていたこともある。2011(平成23)年3月12日のダイヤ改正で「指宿のたまて箱」が運行を開始すると、キハ140 2066は「はやとの風」「指宿のたまて箱」の共通予備車の形となった。2012(平成24)年3月には「指宿のたまて箱」仕様に改装されたため、「はやとの風」仕様の車両は運行開始当初の2両に戻っている。なお、運行開始以来1号車を座席指定席、2号車を自由席として運行していたが、2015(平成27)年3月14日のダイヤ改正に伴い2号車の大半も指定席に変更され、自由席は2号車の8席および1・2号車のフリースペースのみとなった。a0057057_23234224.png外観・内装:旅客用車両としては珍しくロイヤルブラック一色に塗装されている。キハ40系気動車の暖地型の改造であるため、デッキはなく、ほかの近郊形気動車同様に、窓は開閉可能である。内装は難燃木材を使用していて暖かみのある内装となっている。のちに追加で改造されたキハ47 8092の内装は、登場時から運用されている車両に比べ明るい材質を使用している。車内は、既存の座席をすべて撤去しリクライニングシートを設置。トイレの新設、エアコンの変更(独立型のバス用クーラーから、屋上集中型への変更)なども行われている。コモンスペースとして車両中央に展望席を設置している。(「いさぶろう・しんぺい」にも、同様の設備を持つ車両がある。)1号車にはサービスコーナーもあり、オリジナル記念品や沿線の名産品などが車内で販売されている。またこの特急列車の誕生を記念して発売開始された駅弁「百年の旅物語かれい川」も販売されている(あらかじめ予約が必要)。

沿革:
2004(平成16)年3月13日:九州新幹線鹿児島ルート全線開業に合わせて運行開始。この時点では専用編成が2両(キハ147 1045・キハ140 2066)のみのため、ほぼ毎日運転していたが、臨時列車の扱いだった。
2006(平成18)年1月21日:キハ47 8092が専用車両に加わり、それまで使用されていたキハ140 2066は予備車・臨時列車用とされる。
 3月18日:定期列車に格上げ。
 12月13日:「人吉はやとの風」運行開始。「人吉はやとの風」には予備車のキハ140 2066が充当された。
2007(平成19)年10月29日:肥薩線での踏切事故の影響により専用車両が1両しか走行できなくなったため、11月に運行予定だった「人吉はやとの風」は運行中止。以降「人吉はやとの風」の設定はない。また定期列車の「はやとの風」は車両の修理が完了するまで、残った専用車1両を1号車(指定席)、普通列車用の車両を2号車(自由席)とし、2号車には乗車券のみで乗車可能の措置が取られた。
2012(平成24)年3月19日:キハ140 2066は「指宿のたまて箱」用に再改造され、2両体制に戻る。
2015(平成27)年3月14日:2号車の大半の座席を指定席に変更。
2018(平成30)年3月17日:定期運行を廃止し、土曜・休日および多客期運転の臨時列車となる。(注、写真は、乗車日が2018(平成30)年3月14日のため、定期運行されていた頃、平日のもの)

参考資料:Wikipedia「はやとの風」(最終更新:2018年4月9日)・・閲覧:2018年4月27日
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%A2%A8

現地取材:2018.3.14
記事投稿:2018:4.27

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by fbox12 | 2018-04-27 23:56 | 鉄道・バス

261 中津駅 (大阪メトロ)

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a0057057_22390815.pnga0057057_22394879.png
a0057057_22434903.pngなかつ

所在地:大阪府大阪市北区中津一丁目13-19
所属・路線:大阪市高速電気軌道株式会社・御堂筋線
駅番号:M15
キロ程:5.4km(江坂起点)

概要:
阪急電鉄の中津駅とは約300m離れているため、乗り換えの案内はない。過去には阪神電気鉄道北大阪線も付近を通り、同線にも中津駅があったが(阪急の中津駅に近かった)、廃止され現存しない。
車内放送を含め、発音の際は「かつ」と、「な」を強調する京阪式アクセントを用いる。中津駅(日豊本線)のように「なかつ」ではない。

歴史:
1964年(昭和39年)9月24日 - 1号線(御堂筋線)梅田 - 新大阪間延伸開通と同時に開業。
1989年(平成元年)2月13日 - 合区により駅の所在地が大淀区から北区に変更となる。
2018年(平成30年)4月1日 - 大阪市交通局の民営化により、所属事業者・管轄が大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)に変更。

駅構造:
島式ホーム1面2線を有する地下駅である。構想当初は、天王寺駅と同じように2面3線のホーム計画であった。
ホームの幅員は7mで10両編成に対応しており、千里中央寄りにY字形の折り返し線がある。
改札口は新大阪寄りに北北改札および北南改札が、梅田寄りに南改札が設けられている。
昇降設備は、ホームから改札へは北南改札内にエレベーターがあり、南改札内に上りエスカレーターがある。改札から地上へは2番と5番出入口にエレベーターがあり、エスカレーターはない。
トイレは北北改札外横に女性用、北南改札内に男性用となっており、オストメイトに対応した多機能トイレがある。
南改札外にもトイレがある。
当駅は、梅田管区駅に所属し、駅長が配置され、西中島南方駅を管轄している。

のりば:a0057057_22585729.png
1番線 御堂筋線 梅田・なんば・天王寺・あびこ・なかもず方面(写真)
2番線 御堂筋線 新大阪・江坂・千里中央方面
天王寺方面からの列車のうち、朝夕時間帯の列車の約4分の1、21時以降の列車の約半数が当駅で折り返す。

バス路線:

a0057057_22580381.png大阪シティバス 地下鉄中津停留所34号系統:大阪駅前行き/守口車庫前行き

出典・参考:Wikipedia「中津駅(大阪市営地下鉄)」(最終更新 2018年4月17日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E9%A7%85_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E5%96%B6%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84)

現地取材:2018.3.-2
記事投稿:2018.4.23

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by fbox12 | 2018-04-23 23:10 | 鉄道・バス

260 南方駅 (阪急)

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みなみかた

所在地:大阪市淀川区西中島三丁目17番3号
所属・路線:阪急電鉄株式会社・京都本線
駅番号:HK-61
キロ程:1.9km(十三起点)
乗換:西中島南方駅(大阪メトロ・御堂筋線)

概要:
すぐそばに大阪メトロ・御堂筋線の西中島南方駅があり(タイトル写真の高架が御堂筋線)、乗り換えが可能である。なお、地下鉄の駅名は「にしなかじま みなみがた」、阪急は「みなみかた」と、濁音・清音の違いがある。
歴史:
1921(大正10)年4月1日 - 北大阪電氣鐵道の十三驛 - 淡路驛 - 豊津驛間開通と同時に開業
1923(大正12)年4月1日 - 路線譲渡により新京阪鐵道の駅となる。
1930(昭和5)年9月15日 - 会社合併により京阪電氣鐵道十三線の駅となる。
1943(昭和18)年10月1日 - 阪神急行電鉄との会社合併により京阪神急行電鉄(1973(昭和48)年に阪急電鉄に社名変更)の駅となる。
1959(昭和34)年2月18日 - 十三線が京都本線に編入され、当駅もその所属となる。
1982(昭和57)年11月27日 - ダイヤ改正により、平日朝ラッシュ時に準急の運転を開始(下りのみ)、準急停車駅となる(当時の準急の停車駅は、
2007(平成19)年以降の準急の停車駅とは異なる)。
2001(平成13)年3月24日 - ダイヤ改正により準急が廃止され、普通のみの停車駅となる。
2007(平成19)年3月17日 - ダイヤ改正により準急停車駅となる。これに合わせて上り線ホームにLED式発車案内表示器を新設。
2010(平成22)年3月14日 - ダイヤ改正で新設された快速の停車駅となる。

駅構造:
相対式ホーム2面2線のホームを有する地上駅。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。改札口は上下線別で、各ホームに対して西端と中央付近の2か所に設けられている。改札内で両ホームを連絡する通路はない(上写真は上り改札口)。
売店(Lagare SHOP)は両ホームに設置されている。開業当初から長らくトイレは1号線ホームにしかなかったため、2号線ホームの乗客がトイレを利用する際は駅員の許可を得て、一旦改札を出て1号線ホームへ行く必要があり不便であったが、2009(平成21)年10月以降2号線ホームにもトイレが設置された。
両ホームとも、中央付近の改札は平日のラッシュ時間帯に使用される臨時改札(出口専用)であったが、バリアフリー対応のため、2008(平成20)年にエレベーターが設置された常設の改札口に改良された。
比較的狭い駅だが、新大阪駅近辺の開発が進み、オフィス街が構成された1970年代以降、駅の重要度は年々高まっている。2007(平成19)年のダイヤ改正で準急が停車することとなったが、これは、一日を通して運転される基幹的な優等列車としては初めての停車である。

のりば:
1号線 京都本線 上り 京都(河原町)・烏丸・北千里・嵐山方面
2号線 京都本線 下り 大阪(梅田)・十三・神戸・宝塚方面
※長らくのりば番号が設定されていなかったが、2007(平成19)3月17日のダイヤ改正に伴い割り当てられた。

踏切
新御堂筋の側道との交差場所に踏切がある(タイトル写真)。いわゆる開かずの踏切である。線路の真上に地下鉄御堂筋線と新御堂筋本線の高架橋があり、さらに駅から東400メートル先には東海道本線(JR京都線)の高架もあるため高架化は困難である。

乗車券払戻しの特例
大阪メトロへの連絡きっぷは天六(天神橋筋六丁目駅)経由で固定されており、梅田駅や南方駅での乗り換えはできないことが各駅に明記されているが、誤乗した利用客に対応するための特例として、天六経由の地下鉄連絡切符を南方駅2号線の自動精算機に投入すると、収受額から阪急線内の運賃を差し引いた残額が払い戻される。この時に発券される出場券には、「払戻額」が明記される。この場合、当然であるが隣接する大阪市営地下鉄西中島南方駅から目的駅までの乗車料金よりも前述の払戻額のほうが低額であったとしても、その差額は追加負担となる。なお、この特例は公式に知らされていないものの、かつては精算機付近にその旨が記述されていた。

出典参考:Wikipedia「南方駅」(最終更新:2018年4月17日)

現地取材:2018.3.-2
記事投稿:2018.4.21

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