fbox12 blog (博物館fbox12 館長の資料収蔵庫)
2022-11-06T16:28:58+09:00
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デジタル・ミュージアム 博物館 fbox12 の取集資料の収蔵庫
Excite Blog
9600形蒸気機関車
http://fbox12.exblog.jp/19860266/
2022-11-06T16:28:00+09:00
2022-11-06T16:28:58+09:00
2014-06-02T18:31:51+09:00
fbox12
鉄道・バス
9600形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である内閣鐵道院が大正2年(1913年)から製造した、明治末期の大型輸入機の設計を参考にし、独創的な発想で日本の国情によく合致する性能を求めた、日本で初めての本格的な国産貨物列車牽引用のテンダー式(炭水車を常時連結した)蒸気機関車である。「キューロク」、「クンロク」あるいは「山親爺」と愛称され、四国を除く日本全国で長く使用された。昭和16年(1941年)まで製造され、国鉄において最後まで稼動した蒸気機関車ともなった、長命な形式である。
全製造数は国鉄の770両のほかに三菱大夕張鉄道、夕張鉄道、美唄鉄道の自社発注や、樺太廳鐵道、台湾総督府鐵道向けなどに断続的に同形機が製造されて828両であった。
9600形という形式は、大正元年度に12両が試作された写真とは別のテンダー式機関車が最初に使用 (車号[9600]-[9611]) したが、本形式に形式を明け渡すため、落成後わずか3か月で9580形 (車号[9580]-[9591]) に改められた。従って、写真や上記の内容は9600形の2代目である。
すなわち、大正2年(1913年)3月に先行製作された初代(後の9580形)の欠点を改良すべく設計されたものである。
狭軌鉄道(日本の在来線)向け機関車としては従来不可能と信じられてきた巨大なボイラーを、台枠の上に火室を載せてしまうことにより可能にした。そのため出力は上がったが、ボイラー中心高さは当時の狭軌用蒸気機関車最高の2,591mmとなり、重心位置が非常に高く、小輪径の動輪もあって常用最高速度は65km/hと高速走行は苦手であった。
製造当初は東海道本線などの幹線でも用いられたが、より牽引力の強いD50形が大正12年(1923年)に、またD51形が昭和11年(1936年)に出現すると主要幹線を追われ全国各地の亜幹線や支線に分散した。
出力の割には軸重(車輪の軸にかかる重さ=レールにかかる重さ)が軽く運用線区を選ばないのが特長で、戦中は、中国大陸に本形式の総両数の3分の1弱にあたる251両が供出されている。
戦後は北海道・九州の石炭輸送路線や、米坂線・宮津線など、貨物輸送量が多かったり急勾配を抱えていたりするにもかかわらず、路盤の弱い路線を中心に使用された。使い勝手の良さ、レールへの粘着力、列車の牽引力において決定的な代替能力を有する機関車がなかなか開発されなかったため、古い形式でありながら蒸気機関車の運用末期まで残った。
最後に残ったのは室蘭本線追分駅近くにあった追分機関区の入換用に使用されていた[39679]、[49648]、[79602]号機の3両で、昭和51年(1976年)3月2日が最終仕業となった。
これを最後に国鉄の蒸気機関車は保存用を除いてそのすべてが姿を消した。実働63年、最初期の標準型国産蒸気機関車として登場し、日本の蒸気機関車の終焉を見届けた最も長命な蒸気機関車であった。
(上)写真の[9633]号機は、北海道小樽築港にあって、NHKの朝の連続テレビ小説「旅路」のタイトルバックやその他多くのシーンに登場し、現在は、JR西日本京都鉄道博物館に保存されている。
また、この機関車をはじめとして数多くが全国各地に保存されている。
旧 豊肥本線・豊後森機関庫保存[29612] [29600]の動輪、新大阪駅
参考:Wikipedia「国鉄9600形蒸気機関車」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%849600%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A記事:2014.6.-2
調整:2022.11.-6
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8620形蒸気機関車
http://fbox12.exblog.jp/19853993/
2022-11-05T18:00:00+09:00
2022-11-05T18:00:21+09:00
2014-05-31T21:24:38+09:00
fbox12
鉄道・バス
8620形蒸気機関車、通称「ハチロク」は、明治末期に急行列車用として各国から輸入された8700形・8800形・8850形などを参考に、日本の蒸気機関車国産化技術の確立を目的として設計、製造された。当時としても、あえて最高の性能を狙わずに、汎用性を追求し、将来輸送量が増加した際には地方線区に転用することを考慮して設計された。
大正時代の標準型として大正3年(1914年)から昭和4年(1929年)の間に672両(車号:[8620] -[88651])が製造された。
この他に樺太廳鐵道向けに15両、台湾総督府鐵道向けに43両、地方鉄道(北海道拓殖鐵道)向けに2両の同形機が製造されている。
樺太廳鐵道の15両は、昭和18年(1943年)南樺太の内地編入にともない鐡道省籍となり、[88652] -[88666]号機となっている。
樺太向けの15両を鐵道省としての製造両数に含め、製造両数を687両と記載している文献もある。
当初は東海道本線、山陽本線などの幹線を中心に配置されたが、より高性能な形式が投入されるにつれて幹線からローカル線へと活躍の場を移していった。
平坦で距離の長い路線に向き、客貨両用に効率よく使えるという特徴をもって長く愛用され、「鉄路あるところ、ハチロクの機影見ざるはなし」とも形容された。特に、品川機関区の[28661]号機は、お召列車専用機に指定されたこともある。
昭和30年(1955年)3月末には637両が残っていたが、中型ディーゼル機関車の実用化により、昭和35年(1960年)3月末には491両、翌36年(1961年)3月末には380両、更に37年(1962年)3月末には333両とほぼ半減したが、主要幹線や亜幹線の電化もしくは無煙化が優先されたことや、地方ローカル線及び入換用ディーゼル機関車の量産導入が進まなかったこともあり、かなりの数が蒸気機関車の最末期まで残った。
特に7kmにわたって33.3‰(1000m行って、33.3m上る坂)の上り勾配が続く花輪線では三重連運用があり、多くのファンの注目を集めたが、これも昭和45年(1972年)に消滅した。
さらに、昭和39年(1964年)3月末の在籍数は276両であったが、昭和43年(1968年)3月末では138両、昭和45年(1972年)3月末では41両と漸減し、昭和50年(1975年)3月末には人吉に[48679]号機が1両、湯前線用に残るのみとなっていた。
現在、2両が動態保存されている。
写真の[8630]号機は、大正3(1914)年度に製造されて平機関区や弘前運転区に所属した。
現在、西日本旅客鉄道(JR西日本)梅小路蒸気機関車館(京都市:現 京都鉄道博物館)に保存されている。
この機は、車籍がないため、営業線上を運行することは不可能であるが、館内の線路上を走行することがある。平成18年(2006年)、梅小路の蒸気機関車群と関連施設として、準鉄道記念物に指定された。
あと1両は、九州旅客鉄道(JR九州)の[58654]号機で、「SLあそBOY」として運用されていて、一旦、静態保存となったが、昭和63年(1988年)に車籍復活してJR九州肥薩線を運行する「SL人吉」に運用されていたが、2024年(令和6年)春に引退することが発表された。
参考:Wikipedia「国鉄8620形蒸気機関車」(最終更新 2022年10月24日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%848620%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
記事:2014.6.-2
調整:2022.11.-5
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第七番(朱7-神2)浦河神社 北海道浦河郡浦河町鎮座
http://fbox12.exblog.jp/237145674/
2022-09-08T11:48:00+09:00
2022-09-08T11:48:27+09:00
2017-07-06T18:28:14+09:00
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神社・寺院
うらかわじんじゃ
鎮座地:北海道浦河郡浦河町大通二丁目29番地
祭神:
保食神(うけもちのかみ)
大物主命(おおものぬしのみこと)
市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
社格等:旧郷社
社殿様式:神明造
由緒:
寛文9(1669)年東蝦夷地の争乱が鎮圧され、この年に松前藩の将佐藤権左衛門が配下を遣わし讃岐の金刀比羅宮の御分霊を戴き、東蝦夷地鎮護の神として現浦河神社社務所付近に小祠を建立して奉斎したことに始まる。享和元年8月15日、更にこの場所に場所請負人佐野嘉右衛門が海上安全や豊漁などを祈念して、山城國紀伊郡伏見に鎮座する稲荷大明神の御分霊を戴き小祠を建立、また露冦により蝦夷地が騒然としていた文化4年、東蝦夷地に駐屯の南部藩が家臣一戸政尹を遣わし安芸國佐伯郡巖嶋町に鎮座する巖嶋神社より御分霊を戴き小祠を建立した。天保13年、この3祠を浦河の漁場支配人近江屋周助が現社務所山側に石屋根の社殿を造営し1社に合祀し稻荷神社と称した。明治8年、郷社に列せられる。明治25年に屋根の葺替えを行ったが、社殿の老朽化が進み同45年6月7日に許可を受け改修に着工、同年9月13日に竣功した。明治44年5月21日には神饌幣帛料供進神社に指定され、昭和6年5月12日には社名改称が認可され郷社浦河神社と称するに至った。
浦河市街地にあるため、参拝客も多く、町民多くの信仰を集めている。
平成22(2010)年に浦河神社の過去の神事であった「海上渡御」が約半世紀ぶりに復活した。
この神社最寄の駅・バス停:
道南バス大通1丁目・大通3丁目バス停下車ともに約300m
出典・参考:
北海道神社庁HP
http://www.hokkaidojinjacho.jp/data/13/13013.html
Wikipedia「浦河神社」(閲覧:2017.7.-6)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E6%B2%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE
現地参拝/朱印拝受:昭和60年(1985年)7月7日
収録帳・葉:帳3-2
登録:2017.7.-6(Ⓕ / 旧連番:103)
最終調整:2022.9.-8
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第八番(朱8-神3)大神宮社 北海道沙流郡日高町鎮座
http://fbox12.exblog.jp/237151095/
2022-09-08T11:28:00+09:00
2022-09-08T11:28:53+09:00
2017-07-09T09:44:13+09:00
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神社・寺院
だいじんぐうしゃ
鎮座地:北海道沙流郡日高町富川東二丁目6-12
祭神:
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
八幡大神(はちまんおおかみ)
塩竃大神(しおがまのおおかみ)
社格等:旧村社社殿様式:神明造
別社名:富川神社(とみかわじんじゃ)
由緒:
文政2年4月、仙台藩士が協議の上、宮城県鹽竈神社より御分霊を戴き、胆振の白老に祀ったことに始まる。明治8年5月、石河仁兵衛・荒井直三郎らが中心となり沙流郡佐瑠太村に遷座、翌9年6月15日には村社に列せられている。丘の上の中規模の神社。社務所は道路の向かい側にある。白い石鳥居の右側にある社号標は、別社名の「富川神社」となっている。
この神社最寄りの駅・バス停:
道南バス富川元町下車約400m
参考資料:北海道神社庁神社データベース
http://www.hokkaidojinjacho.jp/datamain.html
現地参拝/朱印拝受:昭和60年(1985年)7月8日
登録:2017.7.-9(Ⓕ / 旧連番104)
最終調整:2022.9.-8
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第伍番(朱5-寺4)禅定山金剛寺(北海道中川郡幕別町)
http://fbox12.exblog.jp/239671215/
2022-09-06T17:36:00+09:00
2022-09-06T17:36:47+09:00
2019-10-20T17:07:18+09:00
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神社・寺院
ぜんじょうざん こんごうじ
宗旨・宗派:曹洞宗
本尊:釈迦牟尼仏
開祖:
所在地:北海道中川郡幕別町
通称:
朱印拝受:昭和60年(1985年)7月7日
収録帳・葉:帳1-2
登録:2019.10.20(2019.10.18Ⓕ)
最終調整:2022.9.-6
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第四番(朱4-神1)上富良野神社 北海道空知郡上富良野町鎮座
http://fbox12.exblog.jp/238706725/
2022-09-06T17:35:00+09:00
2022-09-06T17:35:50+09:00
2018-08-14T17:35:20+09:00
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神社・寺院
かみふらのじんじゃ
鎮座地:北海道空知郡上富良野町宮町1丁目4番26号
祭神:天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
社格等:旧村社
本殿様式:神明造
由緒:
当神社明細書に「明治35年創祀以来富良野神社と称し、富良野村総鎮守たりしが、下富良野村分村以来上富良野神社と号す」とある。当地が未歌志内戸長役場管轄下であった明治30年(1897年)4月に開拓入植第1陣・三重県人の団体入植以来、全国各地より団体・個人の入植が順調に増加し、明治32年(1899年)5月『富良野村』として戸長役場の分離独立にいたるまでに各入植地毎に小祀を奉祀していたが、上富良野村史旧原稿によると、明治35年(1902年)3月、「当時本村は富良野村と称し現今の南富良野までの区域なりしが、役場所在地なる本市街地に氏神なきは遺憾なりとし、…中略…更に協議を重ね富良野総鎮守として社殿を建設することに決し、…後略…」とあり、社殿を建設、天照皇大神を奉斎し以て創祀となす。大正9年(1920年)5月18日、内務省北社第2号を以て無格社として創立を許可される。大正12年(1923年)8月7日、内務省北社第7号を以て村社に列せられる。
出典:北海道神社庁HP「上富良野神社」(閲覧:2018.8.14)
http://www.hokkaidojinjacho.jp/data/06/06018.html
現地参拝/朱印拝受:昭和60年(1985年)7月4日
収録帳・葉:帳3-1
登録:2018.8.14(Ⓕ / 旧連番108)
最終調整:2022.9.-6
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第壱番(朱1-寺1)飯泉山勝福寺(神奈川県小田原市)
http://fbox12.exblog.jp/239671081/
2022-09-06T17:32:00+09:00
2022-09-06T17:32:58+09:00
2019-10-20T15:45:18+09:00
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神社・寺院
いいせんざん しょうふくじ
宗旨・宗派:真言宗東寺派
本尊:十一面観音
開祖:道鏡
通称:飯泉観音
坂東三十三箇所第五番札所
朱印拝受:昭和60年(1985年)6月24日
収録帳・葉:帳1-1
登録:2019.10.20(2019.10.-3Ⓕ)
最終調整:2022.9.-6
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第六番(朱6-寺5)幸福寺(北海道帯広市)
http://fbox12.exblog.jp/239673723/
2022-09-06T17:19:00+09:00
2022-09-06T17:19:19+09:00
2019-10-21T14:34:25+09:00
fbox12
神社・寺院
こうふくじ
宗旨・宗派:真宗大谷派
本尊:
開祖:
所在地:北海道帯広市
通称:
朱印拝受:昭和60年(1985年)7月7日(代)
収録帳・葉:帳1-5
浄土真宗の寺院は一部を除いて御朱印の授与をしていないが、住職の計らいで一筆書いてもらえるところもある。
登録:2019.10.21Ⓕ
調整:2022.9.-6
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第參番(朱3ー寺3)圓泉寺(静岡県駿東郡清水町)
http://fbox12.exblog.jp/239671198/
2022-09-04T16:57:00+09:00
2022-09-04T16:57:10+09:00
2019-10-20T16:56:35+09:00
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神社・寺院
えんせんじ
宗旨・宗派:臨済宗妙心寺派
本尊:聖観世音菩薩
開祖:
所在地:静岡県駿東郡清水町
通称:円泉寺
朱印拝受:昭和60年(1985年)6月27日
収録帳・葉:帳1-3
登録:2019.10.20(2019.10.10Ⓕ)
最終調整:2022.9.-4
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第貮番(朱2-寺2)天桂山玉宝寺(神奈川県小田原市)
http://fbox12.exblog.jp/239671119/
2022-09-04T16:53:00+09:00
2022-09-04T16:53:08+09:00
2019-10-20T16:11:03+09:00
fbox12
神社・寺院
てんけいざん ぎょくほうじ
宗旨・宗派:曹洞宗
本尊:釈迦牟尼仏
開祖:香雲寺四世実堂宗梅和尚(初代住職)
小田急沿線武相観世音第二十四番
通称:五百羅漢、十六羅漢
朱印拝受:昭和60年(1985年)6月24日
収録帳・葉:帳1-1b
登録:2019.10.20(2019.10.-4Ⓕ)
調整:2022.9.-4
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NTT DoCoMo デジタル・mova D211i
http://fbox12.exblog.jp/21788786/
2022-08-29T15:39:00+09:00
2022-08-29T15:39:30+09:00
2015-10-30T19:39:08+09:00
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博物館資料
私的文化遺産:整理番号47
800MHz帯と1.5GHz帯に対応しており、折りたたみ型以外では初のアンテナ内蔵型となった機種。アンテナの出っ張りがなくなったことで、長さが従来機よりも大幅に短くなっっている。
アンテナ内蔵のデザインは当時としては斬新で、着信メロディも24和音に。
また、かな漢字変換 ATOK は予測変換もできるようになり、さらに、レスポンスが従来機よりも向上している。
D21*シリーズではこの機種が最後であり、加えてmovaとして最後のフリップ型でもあった。
歴史:
平成13年(2001年)9月26日 テレコムエンジニアリングセンターによる技術基準適合証明の工事設計認証(工事設計認証番号01WZA1002、01XAA1004)
10月5日 電気通信端末機器審査協会による技術基準適合認定の設計認証(設計認証番号A01-0826JP、J00-0268)
11月26日 ドコモから発表
11月29日 発売
2003年(平成15年)7月1日 D211i、D251i、D251iS、D504iの4機種に付属していたACアダプタの一部に、発熱してケースが変形する恐れがあるとドコモが発表。
平成24年(2012年)3月31日 movaサービス終了により使用はこの日限りとなる。
テレビCM:
デーモン小暮閣下が丸坊主になるという、アンテナが内蔵された事を強調するテレビCMが放映されていた。
また、彼が本機を気に入ったようで、プライベートでも使用していると発言していた。
販売開始日:2001年(平成13年)11月29日
保存状態:実機保存(電池は廃棄)
参考資料:Wikipedia「D211i」(最終更新 2022年8月13日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/D211i
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NTT DoCoMo デジタル・mova D206 HYPER
http://fbox12.exblog.jp/21768577/
2022-08-21T06:55:00+09:00
2022-08-21T06:55:51+09:00
2015-10-24T08:37:51+09:00
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博物館資料
私的文化遺産:整理番号46
この頃は、まだ”iモード”に対応していない。
販売開始日:平成10(1998)年1月26日
保存状態:実機廃棄のためモックアップで代用。]]>
二輪免許の変遷 ー(更新中)ー
http://fbox12.exblog.jp/241558745/
2022-08-19T07:56:00+09:00
2022-08-19T07:56:12+09:00
2022-08-19T07:25:54+09:00
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免許・資格
この頃はまだ二輪免許というものは無く、車(「普通」「特殊」「小型」の三種類)に付帯する形。15歳から申請だけで試験もなく取得可能だった。
②1947年(昭和22年)~ :『初の二輪免許 三種・四種』
小型免許が一種~四種と4つに細分化し、取得可能年齢を満16歳に引き上げられ、小型三種(無制限)、小型四種(4サイクル:150cc/2サイクル:100ccまで)の日本で初めてとなる二輪免許が誕生した。試験があったものの、ほぼ口頭による面接試験だけだった。
(改正前に「小型」免許を所持している者は「三種」が自動的に付帯された)。
③1949年(昭和24年)~:『自動二輪と軽二輪に名称変更』
「三種」持ちは「自動二輪」を、「四種」持ちは「軽二輪」に切り替え。ここから運転免許に有効期限が設けられ、今と同じような更新制になった。
④1952年(昭和27年)~ :『軽二輪廃止と原付許可』
それまで「軽二輪」免許が廃止され「軽」免許に。「軽」免許は4サイクル:360ccまでの軽自動車を運転できる車の免許だが、この免許で4サイクル:250cc/2サイクル:150ccまでのバイクにも乗れた。原付は「軽二輪」免許が必要だったが、届出(審査)式による許可制として「原付」免許が1953年(昭和28年)に創設され、申請すれば誰でも4サイクル:90cc/2サイクル:60ccまで乗れた。
⑤1954年(昭和29年)~ :『原付が一種と二種に』
「原付」が一種許可と二種許可に分けられ、4サイクル、2サイクルによる排気量制限を廃止。
6年後の1960年(昭和35年)には道路取締法が道路交通法へと改められ、原付も免許制度(許可から免許)になり試験を受けて合格しないと乗れなくなった。
⑥1965年(昭和40年)~ :『軽免許と原付二種を廃止』
「二輪」と「原付」だけになった一番シンプルだった時代。
「軽」免許・「軽二輪」・「原付二種」所持者(上位の「普通」も含む)は繰り上げで「自動二輪」(現「大型自動二輪」)が付いてきたのはここまで。
⑦1972年(昭和47年)~ :『小型自動二輪を創設』
「自動二輪」のみだった二輪免許に125ccまで運転可能な「小型自動二輪」を創設。
3年後の1975年(昭和50年)には「小型二輪」は免許ではなくなり「自動二輪」小型限定の免許条件となる。
⑧1975年(昭和50年)~ :『中型限定と限定解除で大型のバイク免許の暗黒時代』
「自動二輪」に400ccまでの「中型限定(通称[中型二輪])」ができ、フルの「自動二輪」免許とするためには、試験場での限定解除が必要となり、取得の難易度がかなり高くなった。
⑨1995年(平成7年)~:『中型と大型が別扱いに』(現行制度)
「普通自動二輪」と「大型自動二輪」に改められ、大型二輪も教習所で取れるようになった。反面、別の免許となったため、「中型」免許所有者が大型バイクに乗っても条件違反だったものが無免許運転扱いになった。
⑩2005年(平成17年)~:『AT限定の創設』
自動車で普及していたAT限定を二輪にも創設。「大型自動二輪(AT限定)」「普通自動二輪(AT限定)」「普通自動二輪(小型・AT限定)」ができた。このうちの「大型自動二輪(AT限定)」には排気量650ccまでという条件が付いていて、650ccを超えるATバイクにはMT免許(通常の「大型二輪」免許)が必要だった(当時国産車には650ccを超えるATバイクはなかった)。が、2019年(令和元年)12月1日からはこの条件が撤廃され、排気量に関係なく乗れるようになった。
免許の種類表示説明:(表示はいずれも縦書き)
大型・・大型自動車第一種
中型・・中型自動車第一種
準中型・・準中型自動車
普通・・普通自動車第一種
大特・・大型特殊自動車第一種
大自二・・大型自動二輪車
普自二・・普通大型自動二輪車
小特・・小型特殊自動車
原付・・原動機付自転車
けん引・・牽引(現行”け引”・・第二種もあるときは”引・”)
大二・・大型自動車第二種
中二・・中型自動車第二種
普二・・普通自動車第二種
大特・・大型特殊自動車第二種
け引二・・牽引第二種(第一種もあるときは”引・引二”)
参考:二輪免許制度改正の歴史
https://bike-lineage.org/.../bike.../license_history.html
Motor-Fan BIKES
https://car.motor-fan.jp/article/10011604
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NTT DoCoMo デジタル・mova D502i HYPER(D501i HYPER)
http://fbox12.exblog.jp/21760254/
2022-08-16T11:13:00+09:00
2022-08-16T11:13:14+09:00
2015-10-21T14:01:45+09:00
fbox12
博物館資料
私的文化遺産:整理番号45
概要:
三菱電機製の「デジタル・ムーバ D501i HYPER」は、NTTドコモの第二世代携帯電話 (mova) 端末で、1999年(平成11年)3月24日に発売された。
iモードを初めて搭載し(そのため、型番に”i”が付く)、それまでの20×シリーズより高性能化とともにボディが一回り大きくなったが、20×シリーズに代わり徐々に主流になって行った。
翌年の2000年(平成12年)1月には、「D502i HYPER」が発売され(写真)、より手になじむスタイルとなったが、この機からついにカラー液晶が搭載された。
三菱電機としては初、NTTドコモとしては「F502i」に次いで第2弾となるカラー液晶搭載モデルであった。
(いずれも、2012年(平成24年)3月31日に movaサービス終了により使用不可となった)。
関連項目:
D502i カラーバリエーション
ピュアホワイト・ライラックパール(写真)・ダイアモンドシルバー・メタリックロゼ
保存状態:実際の使用したのは、「D501i 」(カラー不明)であったが、実機廃棄のため「D502i」 のモックアップで代用(上記整理番号は、このモックアップのもの)。
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NTT DoCoMo デジタル・mova D203 HYPER
http://fbox12.exblog.jp/21738023/
2022-08-13T15:20:00+09:00
2022-08-13T15:20:56+09:00
2015-10-14T09:49:09+09:00
fbox12
博物館資料
私的文化遺産:整理番号44
携帯の安売り合戦が始まった頃で、本体の価格も下がり始める。
D201 HYPER の後継機で、アンテナにはデジタルを現すグレーの鉢巻きが・・。また、フリップ上のボタンがなくなっている。
デジタル携帯電話は、ひとつの周波数帯域を時分割して音声情報を送受信している。
つまり、いくつかの回線(音声)をデジタル技術でまとめて送っている。
この頃は、3回線をひとつにまとめていたフルレートが主体であったが、携帯電話の普及と周波数帯不足に対応できなくなったため、(音声データの)圧縮率を2倍(6回線分の通話をひとまとめ)にしたハーフレートに移行した時期だった。
ただ、フルレートでもかなり音質が悪く、こもっていてガサガサしがちな音になるのだが、JPEG画像が圧縮率が高くなればなるほどその画像が荒くなるのと同様に、音声データでは音質が犠牲となる。最悪の場合、音声が変化し、声での認識ができない事態もでていた。
販売開始日:1997年(平成9)年5月22日
保存状態:実機廃棄のためモックアップで代用。
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