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第佰貮拾九 大神神社 奈良県桜井市鎮座

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おおみわじんじゃ

所在地:奈良県桜井市三輪1422
主祭神:大物主大神
配神:大己貴神 (おおなむちのかみ)、少彦名神 (すくなひこなのかみ)
神体:三輪山(神体山)
社格等:式内社(名神大)、大和國一宮、十二社(中七社)、旧官幣大社、神社本庁別表神社
本殿様式:流造
別名:美和乃御諸宮、大神大物主神社、三輪明神、三輪神社

概要:
日本でも古い神社の一つで、神聖な信仰の場であったと考えられる。全国各地に大神神社・神神社(三輪神社、美和神社)が分祀されており、既に『延喜式神名帳』(『延喜式』巻9・10の神名式)にも記述がある。その分布は、山陽道に沿って播磨(美作)・備前・備中・周防に多い。
三輪山(三諸山)を神体山としているため本殿をもたず、山中には上から奥津磐座(おきついわくら)・中津磐座(なかついわくら)・辺津磐座(へついわくら)の3つの磐座がある。
大神神社は拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。その拝殿は江戸時代4代将軍徳川家綱によって再建された。
現在の拝殿(国の重要文化財)は寛文4年(1664年)に地元三輪薬師堂の松田氏を棟梁とし造営されたもので、それ以前は三つ鳥居(三ツ鳥居)とそれに続く瑞垣が巡るに過ぎなかった。
三ツ鳥居(三輪鳥居)は現在は拝殿奥にあり、明神鳥居3つを1つに組み合わせた特異な形式のものである。
三つ鳥居から辺津磐座までが禁足地で、麓の山ノ神祭祀遺跡などからは、古墳時代中期以降の布留式土器や須恵器・子持勾玉・臼玉などが出土した。三輪山祭祀は、三輪山の山中や山麓にとどまらず、初瀬川と巻向川にはさまれた地域(水垣郷)でも三輪山を望拝して行われた。
例年11月14日に行われる醸造安全祈願祭(酒まつり)で拝殿に杉玉が吊るされる。これが各地の造り酒屋へと伝わった。

伊勢神宮との関係
大神神社の摂社の檜原神社は倭姫命が天照大神を磯堅城の神籬を立てて磯城の厳橿の本にはじめて宮中の外に祀った「倭笠縫邑」の地であると伝えられ、元伊勢の始まりの地となっている(『日本書紀』垂仁天皇段)。

歴史:
創建
記紀によれば、大国主神(大己貴神)は少彦名神ともに国造りをしていたが、大国主が、「お前は小さな神だな」と愚弄したために、国造りなかばにして少彦名神は常世に帰ってしまった。大国主神が「この後どうやって一人で國造りをすれば良いのだ」と言うと、海原を照らして神が出現した。その神は大国主の幸魂奇魂(和魂)であり、「大和國の東の山の上に祀れば國造りに協力する」と言った。この神が御諸山(三輪山)に鎮座している大物主神であるという。この神を祀ったのが大神神社と思われる。

祭祀
崇神天皇5年から疫病が流行り民が死亡し、同6年には、百姓流離し国に叛くものがあった。天皇はこれを憂慮し、祭祀によって事態を解決しようとした。同7年2月、倭迹迹日百襲媛命に憑依して、大物主神を祀れば平らぐと神懸りし、その後、天皇に大物主神が夢懸りして現れ、その神託に従って同7年11月に物部氏の祖伊香色雄に命じ、大田田根子を茅渟県陶邑(のちの東陶器村)に探し出して祭祀主とし、大物主神を祀らせた。その結果、国内が鎮まり、五穀豊穣して百姓が賑わった(『日本書紀』)。
三輪山から出土する須恵器の大半は大阪府堺市の泉北丘陵にある陶邑古窯址群で焼かれたとされており、このことは大田田根子が陶邑から見いだされたという伝承と一致する。
大田田根子の祖先は、皇室の外戚ともなった(媛蹈鞴五十鈴媛命などによる)先住族である。大田田根子の子孫は纒向一帯に勢力を持ち、大神神社を崇敬した。大神神社では、諸説あるが代々その族長により磐座祭祀が営まれたとされる。その子孫はのちに三輪氏(神氏(姓は君)とも)となり、さらにのちに大神氏(姓は君)・大三輪氏(姓は朝臣)となった。

古代
国史には奉幣や神階の昇進など当社に関する記事が多数あり、朝廷から厚く信仰されていたことがわかる。貞観元年(859年)2月、神階は最高位の正一位に達した。また、『延喜式神名帳』には「大和國城上郡 大神大物主神社 名神大 月次相嘗新嘗」と記載され、名神大社に列している。

中世以降
中世以降、神仏習合の色濃く、三輪明神として篤く信仰された。室町時代に創作された作者不詳(一説に金春禅竹ともいう)の謡曲、「三輪」ではキリ(終りの部分)の詞章に「思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事。いわくら(磐座・言はくら)や」の言葉(天岩戸の事)がある。
平等寺、大御輪寺、浄願寺(尼寺)という三つの大きな神宮寺があったが、明治時代に行われた廃仏毀釈で三寺全てが廃寺となり、大御輪寺の本尊であった十一面観音像が聖林寺に移管された。その後、昭和52年(1977年)に平等寺は曹洞宗の寺院として再興された。大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)の1つに数えられている。

現代
今上天皇が2回参拝(皇太子時代(昭和45年:1960年)と平成26年(2014年))されている。平成の参拝の折、美智子皇后は毎年4月に催される「鎮花祭(はなしずめのまつり)」に心引かれたという。

神階:
六國における神階奉叙の記録。いずれも神名は「大神大物主神」と記される。
 嘉祥3年(850年)10月7日、正三位 (『日本文徳天皇實録』)
 仁寿2年(852年)12月14日、従二位 (『日本文徳天皇實録』)
 貞観元年(859年)1月27日、従二位勲二等から従一位勲二等 (『日本參代實録』)
 貞観元年(859年)2月、正一位勲二等 (『日本參代實録』)

摂末社:
摂社
本社近く(二の鳥居の内側)

高宮社(たかみやしゃ)
祭神:日向御子神
三輪山上に鎮座する。

狭井神社(さいじんじゃ)
祭神:大神荒魂神
式内社「狭井坐大神荒魂神社五座」。
垂仁天皇の御代に創建されたと伝わり、祭神の荒魂(あらみたま)を祀る延喜式内社。病気平癒の神社。御神体である三輪山への登拝口が境内にある。但し、三輪山は御神体であり山そのものが神域であるため、軽率な気持ちで入山することは出来ない。(明治に渡るまで「神域」として一般の入山禁止であった。)登拝料を払い受付より渡されるたすきを首にかけるなどの厳守すべき規則があり、それを了承した上で登拝することが義務づけられている。なお、入山中は撮影・飲食は禁止である。

活日神社(いくひじんじゃ)
祭神:高橋活日命
崇神天皇の時代に大神神社の掌酒を務めた名人、髙橋活日命を祀る。記録に残る日本最初の杜氏であり、酒の神として知られる。

磐座神社(いわくらじんじゃ)
祭神:少彦名神
社殿がなく、神の鎮まる三輪山周辺に点在する頑固な岩(磐座)を神座(中心)として少彦名神(すくなひこなのかみ)をまつる。少彦名神は「神農さん」とも呼ばれる薬の神。

市杵島神社(いちきしまひめじんじゃ)
祭神:宗像大神の一柱、市杵島姫命を祀る。

末社

久延彦神社(くえひこじんじゃ)
祭神:久延毘古命。
合格祈願の神社。受験生や就活生の参拝が多く、たくさんのふくろうを模した絵馬が奉納される。

大行事社
祭神:事代主神、八尋鰐、加屋奈流美神

成願稲荷神社(じょうがんいなりじんじゃ)
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祭神:保食神、宇迦御魂神(稲荷大神)、大宮売命。
鎌倉時代に創祀。元は尼寺、浄願寺の鎮守祠。

天皇社(てんのうしゃ)
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祭神:御真木入日子印恵命
三輪山の麓に都をおいた第十代の崇神天皇を祀る。

神宝神社(かんだからじんじゃ)
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祭神:家都御子神、熊野夫須美神、御子速玉神(熊野権現の三神)。
熊野三山の神々を祀る。神社名の通り、古くより宝・財物を守護する神として信仰されている。
毎年元旦未明の繞道祭十八社巡りにおいて三ツ鳥居から出た御神火が最初に捧げられる社。

祓戸神社(はらえどじんじゃ)
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祭神:祓戸四神

交通アクセス:
鉄道
JR西日本万葉まほろば線(桜井線) 三輪駅下車 (拝殿まで徒歩約10分) - 列車本数は年末年始を除いて1時間2本程度。

バス
a0057057_08585174.png(JR・近鉄)桜井駅北口バス乗り場から、奈良交通
二の鳥居前まで運行(土日祝の昼間時のみ・年末年始及び毎月1日を除く)

出典・参考:Wikipedia「大神神社」(最終更新 2018年7月4日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
閲覧:2018.8.13

現地参拝:29.9.16
記事投稿:2018.8.13
  調整:2018.8.14

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by fbox12 | 2018-08-14 17:59 | 神社