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第佰貮拾 枚開神社 鹿児島県指宿市鎮座

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a0057057_21502211.pnga0057057_21580472.pngひらきき じんじゃ

鎮座地:
鹿児島県指宿市開聞十町1366
主祭神:
大日孁貴命(おおひるめのむちのみこと)
配祀神:
五男三女神を配祀。
明治時代以後は近隣の神社を合祀している。祭神については海神(わたつみのかみ)説もある。
社格等:
式内社(小)、薩摩國一宮、旧國幣小社、神社本庁別表神社
本殿様式:入母屋造銅板葺

歴史:
a0057057_22053769.png創始の年月日は社伝でも不明であり、かなり古くからあった神社と考えられている。元々は開聞岳を神体とする山岳信仰に根ざした神社であったと考えられる(右写真:神社横、県道から見える開聞岳)。
信頼できる史料での初出は『日本參代實録』貞観2年(860年)3月20日庚午条の神階昇叙記事で、この日に薩摩國従伍位上開聞神が従四位下を加えられた。
開聞神は、貞観8年(866年)4月7日に従四位上を授けられ、元慶6年(882年)10月9日に正四位下を授けられた。延長5年(927年)の『延喜式神名帖』には「薩摩國穎娃郡 枚聞神社」として記載され、式内社に列している。
鎌倉時代以降は新田神社(現 薩摩川内市)と薩摩國一宮の地位を巡って激しい争いを繰り広げるようになる。
戦国時代は嶋津氏の有力家臣であった頴娃氏の庇護下にあったが、元亀2年(1571年)に「証恩寺崩れ」と言われるお家騒動が起こり、その巻き添えとなって社殿を失った。
しかし、すぐに島津氏の庇護を受けて再興、同氏は当神社の籤により作戦を決めたという。
現在の社殿は慶長15年(1610年)に嶋津義弘が寄進したものを天明7年(1787年)に嶋津重豪が改築した物である。
外洋に面した立地から古くから「航海神」としても崇められ、江戸時代以降は琉球からの使節の崇敬も集めるようになった。
a0057057_22145102.pngしかし、江戸時代になると、宇佐八幡宮の五社別宮ともされていた新田神社の方が次第に重く扱われるようになったらしく、明治4年(1871年)5月に國幣小社に列したが、対して新田神社は同18年(1885年)に上位の國幣中社に列している。
第二次世界大戦後に近代社格制度が廃止されると、当社は神社本庁に参加、その別表神社に定められた。

神階:
貞観2年(860年)3月20日、従伍位上から従四位下 (『日本參代實録』)
貞観8年(866年)4月7日、従四位上 (『日本參代實録』)
元慶6年(882年)10月9日、正四位下 (『日本參代實録』)

境内:
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本殿方3間の入母屋造妻入で、屋根銅板葺、千木・鰹木を置き、正面に縋破風で1間の向拝を付ける。
平成2年(1990年)3月23日に鹿児島県の有形文化財に指定された。参道から本殿の方を向くと、本殿の屋根の上に開聞岳が位置する構造になっているが、現在は背後の樹木が繁茂して見通すことはできなくなっている。

この神社最寄の駅・バス停:
JR九州・指宿枕崎線 開聞駅・・徒歩約12分
鹿児島交通バス 神社前(停)・・開聞駅からの途中には開聞口(停)もある。

参考資料:Wikipedia「枚聞神社」(最終更新:2018年5月2日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9A%E8%81%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
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現地参拝:30.3.13
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by fbox12 | 2018-05-06 08:54 | 神社