fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

B001 しずてつジャストライン ← 静岡鉄道(静鉄バス)

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a0057057_21445864.pngしずてつジャストライン株式会社(←静岡鉄道株式会社← )

本社所在地:静岡県静岡市葵区宮前町28番地
沿革:
平成14(2002)年10月1日 - 静岡鉄道のバス事業すべてを譲り受け発足(当時の本社事務所所在地:静岡市葵区鷹匠一丁目14番10号 静鉄5号館)。

歴史:
創業期
平成20(2008)年現在の静鉄バスの営業エリアにおけるバス事業は、明治39(1906)年に靜岡と江尻(清水)を結ぶ東海自動車(伊東市の東海自動車とは別会社)によるものが端緒である。しかし、この路線は明治41(1908)年に大日本軌道による鷹匠町と江尻新道を結ぶ軌道線が開通すると廃業となった(現在の静岡市に於ける市内交通は現在の静岡鉄道静岡清水線に引き継いでいる)。このほか、大正4(1915)年から同9((1920)年にかけて、靜岡・清水・藤枝・菊川などで小規模なバス事業が開始されている。靜岡市内で宮寺商会が開業した大正11(1922)年頃からは利用者も増加、大正15/昭和元(1926)年までに数社が靜岡市内で設立されたほか、藤枝・焼津・榛原地区でもバス事業が開始されている。しかし、これらの路線バスは鉄道との競合となった。大正8(1919)年に大日本軌道から軌道事業を引き継いだ駿遠電氣大正12(1923)年に社名を靜岡電氣鐵道と改め、靜岡市内・清水市内線や袋井と森を結ぶ秋葉線を開業するなど、鉄道事業を拡大していたが、それらの路線に並行する形で路線バスが運行されたため、鉄道からバスへの乗客の転移もみられた。自社鉄道防衛の見地からバス事業に進出しようとしたが、既に既存路線がある場合は運行の許可を得ることは出来なかった。このため、靜岡電氣鐵道では秋葉線の培養としてタクシーの営業を開始した後、昭和3(1928)年に袋井と可睡を結ぶ季節運行のバス路線を開設した。これが静鉄バスの直接のルーツとなる路線である。その後、昭和4(1929)年に宮寺自動車商会と森久自動車商会を買収し、靜岡・清水近辺のバス路線を自社路線としたことで、本格的にバス事業に参入した。一方、当時藤枝と相良を結んでいた藤相鐵道も、自社鉄道線擁護のためバス事業を開始することになり、大正13(1924)年に藤枝自動車商会を買収したほか、袋井と横須賀を結んだ中遠鐵道も同様の理由でバス事業に参入し、袋井と池新田を結ぶ路線バスの運行を開始した。

自主統合から戦時統合へ:
この時期、小規模なバス事業者同士の競合による疲弊が顕在化し、事業者の経営を圧迫したため、次第に有力事業者への統合が進むことになる。靜岡電氣鐵道は昭和7(1932)年に西駿自動車商会を買収したのを皮切りに、沿線の各事業者の買収を進めた。秋葉線と競合していた秋葉自動車商会も昭和10(1935)年に買収されている。藤相鐵道も昭和3(1928)年に川崎町の栄輪社を買収したのを初めとして、昭和10(1935)年までに沿線のバス事業者を買収し、自社のバス事業の拡張を行った。一方で、路線の新設も行われた。静岡電氣鐵道は昭和5(1930)年には靜清國道の開通を受けて路線を開設、その後山間部への路線も新設したほか、観光路線として日本平線の運行も開始した。藤相鐵道も同様に事業を拡大していったが、岡部と藤枝を結ぶ路線の新設時には両社競願となったため、最終的には銀行の仲介で、昭和10(1935)年に共同出資の駿遠自動車を設立して運行を行っている。静岡市内では昭和10(1935)年に靜岡自動車が営業を開始し、靜岡市内線を中心に運行を行ったが、昭和11(1936)年に靜岡市会でバス事業の市営化が提言されたのを受け、靜岡市は靜岡自動車の買収を図った。これに対して、靜岡自動車では将来性のある藁科線を靜岡交通自動車(設立当初は靜岡遊覧運輸)として分社化した。しかし、折りしも戦時体制に突入したことから市営バス化の論議は低調となり、昭和12(1937)年に駿遠自動車が靜岡自動車を買収することになり、同社は靜岡乗合自動車と改称した。戦時体制に入ると、各社とも不要不急路線の休止が行われるようになり、昭和16(1941)年には鉄道並行路線も休止されるようになった。同年、靜岡電氣鐵道の社長に五島慶太が着任したが、五島は陸上交通事業調整法の主旨に基づき静岡県中央部の交通を統制すべく、バス事業者の統合に向けて合併交渉に回るようになった。統合そのものは戦時下の国策でもあることから合併交渉は進み、昭和18(1943)年5月に靜岡電気氣鐵道を主体として、藤相鐵道・中遠鐵道・靜岡乗合自動車・靜岡交通自動車が合併、社名も靜岡鐵道に変更した。その後、バス専業事業者6社を昭和19(1944)年1月までに合併、静岡県中央部のバス事業は大井川鐵道の営業エリアが一部に残る以外は靜岡鐵道に統一されたのである。しかし、合併後の社内組織の整理の前に靜岡市内に空襲などが続き、靜岡鐵道は大きな被害を受けた。終戦の時点で稼動可能なのは電車7台とバス20台強という有様で終戦を迎えることになる。
戦後から高度成長期まで終戦後まもなく社長に就任した川井健太郎は、まず社内組織をまとめることから着手し、復興の基礎作りを優先した。郊外の営業所の車両を靜岡市内に集めて靜岡市内路線の運行を再開、昭和21(1946)年からは新車のみならず米軍払い下げの車両などを導入することで、輸送力の復旧に尽力した。昭和23(1948)年以降は増資のうえ新車の導入を拡大し、昭和24(1949)年までには路線・車両ともほぼ合併当時の状況へ復旧を果たした。昭和25(1950)年には静岡と相良を結ぶ直行便の運行を開始、既存路線の増強を行った。同年からは行楽客の増加傾向がみられたため、久能山と三保をめぐる定期観光バスの運行を開始した。この頃から、静岡市の都市圏の拡大とともに周辺部の人口が急増したため、静岡市の郊外へ向かう路線の増強に着手した。また、長距離路線の展開もこの頃から始まり、昭和29(1954)年には山梨交通との相互乗り入れにより静岡と甲府を結ぶ急行バスの運行を開始した。さらに昭和31(1956)年には富士山麓電気鉄道との相互乗り入れで静岡と沼津を結ぶ路線を開設、さらに昭和38(1963)年には遠州鉄道・大井川鉄道との相互乗り入れにより静岡浜松線の運行を開始した。この時期まで、静岡市内でのバス運行拠点は静岡駅であったが、昭和29(1954)年から駅前広場改修工事が開始されると手狭になった上、鷹匠町の鉄道駅を新静岡駅として大改良することになったため、新たに新静岡をバス運行拠点とすることになり、昭和31(1956)年に新静岡バスセンター(当時)の営業を開始し、静岡駅前は路上バス停となった。昭和32(1957)年には静岡国体が開催されたが、静鉄バスでは136台という当時としては大規模な車両増備を行い、国体輸送を完遂した。この頃、静岡市では再び市営バス事業を画策、昭和31(1956)年に4路線の免許申請を行った。これは静鉄バスの空白地帯への路線ではあったが、静鉄バスでも同様の申請を行っていたことから競願となった。戦前に引き続き市営バスの運行が計画されたのは、この時の市長が戦時中に合併した5社のうちの1社で経営者を務めており、バス事業への意欲が強かったためとされている。昭和34(1957)年までに公聴会も行われたが、静岡市の計画にやや無理があったこと、静岡国体の輸送を完遂した実績から、昭和33(1958)年に静岡市の申請は全て却下された。モータリゼーションと高速道路時代一方、鉄軌道部門では市内線やローカル路線はモータリゼーションの進展と共にその存在意義が薄れてゆくことになった。昭和37(1962)年9月には静岡市内線と秋葉線が、昭和39(1964)年から昭和45(1970)年にかけては駿遠線が段階的に廃止された。いずれの路線も廃止後は静鉄バスが代替輸送を行うことになった。静鉄バス自身もモータリゼーションの影響で利用者の増加が鈍化しつつあり、一方で経費の上昇が続いたことから、合理化が必要となった。このため、まずワンマン化を開始することになり、昭和37(1962)年11月から静岡市内の路線でワンマンバスの運行が開始された。昭和42(1967)年からは前年に開発された整理券方式の採用により、郊外線でもワンマン化が進められることになり、さらに昭和50(1975)年には後方監視用カメラの採用に伴い誘導員なしでもバスを後退させることが可能になったため、昭和61(1986)年までにワンマン化はほぼ終了となった。昭和41(1966)年には新静岡バスセンターがターミナルビルの建設と同時に全面改良されることになり、昭和45(1970)年に完成、路線バスは全て新静岡を起終点とすることになった。一方、昭和39(1964)年に東海道新幹線が開業すると、観光客の増加が見られるようになったため、日本平パークウェイを経由して静岡駅と日本平を直行する路線を開設、また御前崎への定期観光バスの運行もしょう昭和43(1968)年に開始した。さらに昭和44(1969)年に東名高速道路が開通すると、高速道路を経由する路線バスも運行されるようになった。静鉄バスでは沿線事業者として東名急行バスに出資したほか、昭和44(1969)年には静岡浜松線を東名高速道路経由に変更、昭和45(1970)年には静岡沼津線と静岡御前崎線も東名高速道路経由に変更した。また、観光客の増加と高速道路の開通によって貸切バス需要が大幅に増加した上、昭和45(1970)年には大阪で万国博覧会が開催されたため、貸切バス部門は大きく収益を伸ばした。営業力の強化のため、昭和44(1969)年には静岡観光バスを設立している。利用者減とバス事業再編、高速バスの再開と拡大昭和45(1970)年以降は、バス利用者は日本全国的に減少傾向となり、バス事業者の経営を圧迫していった。静鉄バスも例外ではなかったが、静岡・清水の都市機能が拡大していたことから、大幅な利用者減はみられず、むしろ路線の増強も行われていた。この頃から、サービス面についても充実を図る傾向となった。昭和50(1975)年には清水市内線(路面電車)が廃止になったが、代替路線ではバス優先レーンの整備が行われた。また、静岡市内のバス停で電照式のバス停ポールと上屋の設置を進めたほか、昭和52(1977)年からはバス車両の冷房化が開始された。冷房化については車両改造も含めて順次進められたが、静鉄バスの当時の車両使用年数が長い(約18年)ことから、完全冷房化は平成5(1993)年までずれ込むことになる。また、イメージチェンジを図り、昭和55(1980)年より路線バス車両をアイボリー地に赤帯の塗装デザインに変更した。昭和58(1983)年には静岡駅前広場が整備され、駅前バスターミナルも整備されたことから、再び静岡市内での経路変更が行われ、全路線が静岡駅と新静岡を経由するようになったほか、市内線は静岡駅・新静岡を途中停留所とする路線体系に変更された。昭和62(1987)年にはバスロケーションシステムを導入、さらに、一部路線で都市新バスシステムが導入された。平成2(1990)年にはバス停留所近くに駐輪場を設置する「サイクル&バスライド」を導入した他、平成6(1994)年には鉄道との共通プリペイド式磁気乗車カードとしてパサールカードを導入した。貸切バスについては、平成2(1990)年に営業形態の異なる中小型バスについては静鉄小型バスとして分離したほか、昭和56(1981)年より傘下に入っていた清水交通と静岡観光バスを平成12(2000)年に合併し、しずてつジョイステップバスを設立し、静鉄小型バスが、しずてつジョイステップバスを吸収合併し、静鉄ジョイステップバスになった。一方、長距離路線は順次縮小された。静岡甲府線は山梨交通が撤退したあとも運行が続けられ、昭和63(1988)年にはNHK大河ドラマ「武田信玄」放送にあわせて増発もされたが、平成2(1990)年に休止となった。高速道路経由の東名静岡浜松線も平成6(1994)年に廃止され、このあとしばらくは御前崎方面以外の高速バス展開は途絶えることになる。また、ローカル路線対策として、末端区間を貸切代替バスへ切り替える方策を採ったほか、昭和63(1988)年に掛川地区での大井川鉄道バスの撤退の受け皿として掛川バスサービスを設立した。平成8(1996)年には秋葉地区の静鉄バス路線を秋葉バスサービスとして分社化している。さらに、平成14(2002)年からはバス事業全てを分離し、しずてつジャストラインとして独立させ、観光バスについては、順次、静鉄ジョイステップバスにほぼ全て移行してゆくことになったが、定期観光線として、一部残っている。平成17(2005)年からは中部国際空港へのリムジンバス運行によって長距離高速バス運行を再開(同路線は平成24(2012)年3月末日で休止)、さらに平成19(2007)年からは東京へ直行する高速バス路線の運行を開始した。同年に新宿への路線も開設されているほか、平成20(2008)年からは成田国際空港へのリムジンバス運行も開始している。平成23(2011)年には、京都・大阪への夜行高速バス路線を開設した。また10月11日には、平成21(2009)年4月1日から行われていた新静岡再開発事業の竣工による「新静岡セノバ」のオープンに伴い、新静岡バスターミナルの供用を2年半ぶりに再開した。

営業所:
路線バスおよび受託自主運行バスは、静岡市(清水区のうち、旧由比町・旧蒲原町の町域を除く)、焼津市、藤枝市、島田市、牧之原市、御前崎市、菊川市、掛川市、榛原郡吉田町の8市1町で運行している。

現行営業所
中扉の横(トップドア車は前扉の後ろ)・車両後部に、その車両の所属営業所を示す動物などのステッカーがペットマークとして貼られている(主に遺失物対策。同様の取り組みは仙台市営バスなどに見られる)。浜岡営業所の所属車両は浜松ナンバー、それ以外の所属車両は静岡ナンバーとなっている。

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西久保営業所(静岡市清水区高橋町2187-6)パルちゃん
鳥坂営業所(静岡市清水区鳥坂1292)ウサギ(タイトル写真)
小鹿営業所(静岡市駿河区小鹿二丁目25-27)シカ(右写真)
唐瀬営業所(静岡市葵区岳美12-57)コアラ
丸子営業所(静岡市駿河区丸子四丁目2-60)キリン(タイトル下右写真)
岡部営業所(藤枝市岡部町内谷700-1)サル
相良営業所(牧之原市波津二丁目1)カモメ
浜岡営業所(御前崎市池新田3961-6)アカウミガメ


廃止された営業所:
折戸営業所 - 西久保営業所に整理統合。現在は折戸車庫となっており、しみずライナーの始発・終着地となっている。
国吉田営業所 - 静岡鉄道時代に廃止。現在は富士ロジテック(倉庫業)が土地・建物を管理し、日本年金機構静岡事務センターなどが入居している。
藤枝営業所 - 静岡鉄道駿遠線の大手駅を営業所に転用したもの。平成18(2006)年に岡部営業所として移転、後述の焼津営業所と統合された。跡地には静岡銀行藤枝支店・戸田書店藤枝東店が建つ。ペットマークは象だった。
焼津営業所 - 平成18(2006)年に岡部営業所に統合。現在は岡部営業所の車庫として使用中。ペットマークは地元名産の鰹だった。
榛原営業所 - 現在は相良営業所の車庫となっており、案内所としても使用されている(静波海岸入口・榛原バスターミナル)。
島田営業所 - 静岡鉄道時代に廃止。現在はしずてつストア島田店ほかが建つ。
菊川営業所 - 静岡鉄道時代に廃止。
掛川営業所 - 観光部門を残し(掛川観光営業所→静鉄ジョイステップバス掛川営業所)、路線バスは掛川バスサービスに移管。
袋井営業所 - 浜岡営業所に統合。現在は秋葉バスサービスの車庫になっている。

出典・参考:Wikipedia「しずてつジャストライン」(2017年7月2日最終更新)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%9A%E3%81%A6%E3%81%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3

写真:いずれも 15.8.31(静岡鉄道の頃)撮影(順次追加予定)

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by fbox12 | 2017-08-22 16:41 | 鉄道・バス