百円貯金のはじめ
(150件以降で掲載していないものは順次出していきます。)
いろいろ資料を整理中、百円貯金のルーツともいえる局名ゴム印の管理台帳のようなものが出てきました。
この台帳によると、押印を求めるようになったのは今から約30数年前で、当時は通帳とともにこの台帳へもあわせて押印をしてもらっていました。
(必ずしも押印の開始はこの台帳のとおりではなく、実際にはこの台帳は途中からのものです。)
ただ、この(訪局順に押印をしてもらっていた)台帳にも押印を求めていた理由は、
後々の整理の都合もあったのですが、次の事情が大きく影響しています。
1.当時、NHK朝の連続テレビ小説風見鶏の新井春美(現、新井晴み)を使ったCMでアピールしていたのにもかかわらず、一部の局では、「お役所(郵政省の頃です。)の書類を汚すことは出来ない。」との理由で、押印拒否をした局がかなりの数あり、その対策として、通帳でなければいいだろう。というのを逆利用したため。
(右上写真は、通帳上の押印拒否された局のものです。・・現存局のため、局名は加工しています。)
2.簡易郵便局は貯金の受託がなく、郵便貯金の扱いが出来ない。
(今でもそうですが、農協などは農協-JAの貯金を扱っています。)
この台帳から、
小田原成田郵便局はこのとき初めてではないことが判明。
また、金太郎郵便局の前局名小山駅前郵便局にも行っていました。