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041 熱海駅 (JR東日本/JR東海)

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あたみ

所在地:静岡県熱海市田原本町11-1
所属・路線:(在来線)東日本旅客鉄道株式会社・東海道本線/(新幹線)東海旅客鉄道株式会社・東海道新幹線
電報略号/事務管コード:アタ/460131

概要:
当駅は、静岡県東部に位置する温泉街熱海市の代表駅である。東海道新幹線と、在来線の東海道本線、伊東線の合計3線が乗り入れる。在来線における当駅の所属線は東海道本線である。
東京方面から見た場合、静岡県に入って最初の駅である(新幹線・在来線とも)。JR東日本とJR東海の共同使用駅であり、新幹線構内はJR東海新幹線鉄道事業本部が管理し、在来線構内はJR東日本横浜支社が管理・駅業務を行っている。
駅の開業は大正14(1925)年3月である。開業当初は國府津驛を起点とする熱海線の終着駅であったが、昭和9(1934)年12月に当駅西側の熱海 - 沼津間が開業し、東海道本線の中間駅となった。伊東線は翌年の昭和10(1935)年3月から乗り入れている。東海道新幹線の熱海駅は、新幹線が開業した昭和39(1964)年10月から存在する12駅のうちの一つである。
昭和62(1987)年3月まで、これらの路線はすべて日本国有鉄道(国鉄)の路線であったが、同年4月の国鉄分割民営化によって、在来線は当駅が旅客営業上のJR東日本とJR東海の会社境界駅となり、東海道本線の当駅以東(東京方面)と伊東線はJR東日本、東海道本線の当駅以西(静岡方面)はJR東海の管轄となった。ここで旅客営業上と断っているのは、鉄道資産の境界は当駅構内ではなく丹那トンネル東側坑口付近にある来宮駅上り場内信号機(来宮駅北西)のためであり、すなわち、東海道線上り列車を例としていえば、来宮駅-当駅間はJR東海の列車(車両は東日本の場合もある)がJR東日本の線に乗り入れているのである。依って、上記の共同使用駅の定義は、東海道新幹線と在来線の会社の違いによるもので、在来線熱海駅はあくまでもJR東日本の駅なのである。ちなみに、熱海止まり(来宮回送留置)の列車及び東海道本線熱海-函南間を運行する列車の乗務員時刻表には「来宮」の駅名(旧 信号所)が記載されている(こちらは、来宮駅に東海道線のホームがなく旅客扱いはできないため、あくまでも列車運転上の表示)。
在来線ではJR東日本の熱海運輸区が構内に存在するなど運行上の拠点でもあるため、当駅を経由するすべての旅客列車が客扱い停車していたが、平成21(2009)年3月14日のダイヤ改正で臨時列車とされた「ムーンライトながら」は運転停車扱いとなった。特急列車や一部普通列車(朝夕の沼津駅発着列車など)を除く大半の列車が当駅で系統が分離されている。
JR東海の管轄となっている新幹線は、各駅停車の「こだま」と、「ひかり」のうち、東京 - 岡山間の2往復と、上り広島発東京着の列車1本、下り東京発新大阪止まりの列車1本が停車している。
東海道本線は当駅を境に管轄会社が異なっているが、当駅では両方向とも「東海道線」(上り・下りの表記もあり)と案内されている。本稿でも必要に応じて、その案内方式に準じた表記も用いる。
IC乗車券「Suica」対応自動改札機も設置されているが、当駅で乗車・下車する場合は東海道本線の湯河原方か伊東線からのみ利用可能である。また、当駅から東海道本線の函南方に関しては、平成20(2008)3月1日よりSuicaとの相互利用が可能なIC乗車券「TOICA」が導入されたが、その利用エリアは当駅までではなく西隣の函南駅以西となっており、当駅と函南駅間(を含む経路の場合)は両方向ともIC乗車券のサービスエリア外となる。名古屋方面へ向かうには当駅で交通系ICカードの残高を使ってきっぷを購入する必要がある。
*また、Suicaグリーン券は、小田原方面及び伊東方面のみ対応で、グリーン券発券機(自動券売機)の表示も同方面のみ表示される。
*注、運賃計算の特例として、列車の運行上同じ区間を往復する場合、その区間分の距離数は運賃計算に反映されないが、函南駅方面と伊豆多賀駅方面へ相互に直通する列車がなく、かつ、来宮駅は東海道線の駅としては定義されないため、必ず当駅経由(発駅-当駅-着駅)の運賃計算となる(来宮-熱海間の片道1.2kmが必ず上乗せになる・・例として、函南駅以西から来宮駅から先の駅まで乗車運賃など)。

歴史:
東海道本線は当初、小田原 - 熱海 - 三島の山岳地帯にトンネルを開削する技術がなかったこともあり、今の御殿場線ルートで建設された。そのルートから外れた小田原・熱海では、國府津驛より小田原電氣鐵道という路面電車で小田原市街へ、さらに豆相人車鐵道→熱海鐵道→大日本軌道→熱海軌道組合の人車軌道・軽便鉄道により熱海まで連絡を図った。
その後、御殿場経由は急勾配が存在し輸送力増強の障壁になることや、トンネル掘削の技術が進展したことなどから、当初見送られた熱海経由での路線整備が決定する。そして大正14(1925)年、熱海線として、熱海駅まで鉄道路線が開業して路面電車や軽便鉄道は全廃。昭和9(1934)年、丹那トンネルが開通すると熱海線は東海道本線となった。

年表:
a0057057_21574171.png明治27(1895)年 - 吉濱(現湯河原町内)まで豆相人車鐵道開通(翌年小田原延伸)
明治40(1907)年 - 豆相人車鐵道改め熱海鐵道により、小田原 - 熱海で蒸気機関車運転開始
大正12(1923)年9月1日 - 関東大震災のため、熱海鐵道より改めた熱海軌道組合線休止(後に廃止)
大正14(1925)年3月25日 - 鐵道省(日本国有鉄道の前身組織)により、熱海驛が開業(熱海線 湯河原 - 熱海間の開通と同時)。旅客・貨物営業開始
a0057057_227298.png昭和9(1934)年12月1日 - 熱海 - 沼津間の開通に伴い、熱海線は東海道本線に編入される。
昭和10(1935)年3月30日 - 伊東線 熱海 - 網代間開通
a0057057_16305120.png昭和39(1964)年10月1日 - 東海道新幹線開業、停車駅となる。
昭和41(1966)年9月1日 - 貨物取扱廃止
昭和49(1974)年 - 新幹線ホームに可動柵設置(新幹線で初)
昭和61(1986)年11月1日 - 荷物取扱廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、当駅を境に東海道本線(東京方面)・伊東線はJR東日本、東海道本線(静岡方面)・東海道新幹線はJR東海が継承。駅業務は在来線が東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海道新幹線は東海旅客鉄道(JR東海)が継承
平成13(2001)年11月18日 - JR東日本でICカード「Suica」の利用が可能となる。
平成18(2006)年 - 伊東線のCTC装置が当駅構内の進路制御も可能な装置に更新され、CTCセンターが来宮駅構内より当駅に移転
平成22(2010)年3月31日 - 熱海ラスカ(熱海駅デパート)閉鎖。12月下旬に解体工事完了
平成23(2011)年4月 - 9月 - 熱海駅バスターミナルにおいて、仮バス停の使用開始(4月1日から)。解体工事
 11月 - 仮駅舎完成、11月10日に一部使用開始。(NEWDAYSミニ熱海・BECK'S COFFEE SHOP熱海店)
 12月1日 - ドトールコーヒー熱海店閉店。熱海観光案内所移動開設
平成24(2012)年1月10日 - 旧ドトールコーヒー熱海店横にあった旅客トイレが1番線ホーム東京方へ移動。これに伴い静岡県警鉄道警察隊熱海分駐所も移動
 2月15日 - 駅前広場改良工事再開
 8月25日 - 足湯裏のコインロッカー使用停止。後日撤去された。
平成25(2013)年3月15日 - バス乗り場とタクシープール完成、使用開始
 12月12日 ‐ 熱海軽便鐵道7号機関車の移送作業が行われる。
平成26(2014)年10月26日 - 熱海駅新駅舎・駅ビル建て替え工事起工式が行われる。
平成27(2015)年3月25日 - 開業90周年。記念イベントが熱海駅仮駅舎前で行われた。
 11月29日 - 新駅舎(駅ビルを除く)使用開始
平成28(2016)年11月25日 - ラスカ熱海オープン

駅構造:
JR東日本が管轄する在来線駅(東海道本線・伊東線)は地上駅、JR東海が管轄する新幹線駅は高架駅である。

在来線
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乗降設備は単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、合計3面5線のホームが設けられている。
構内の南側にかつて貨物線だった単式ホームがあり、その北側に島式ホームが並ぶ。ホームの番号は、単式ホーム側から1番線・2番線…の順で、5番線まである。そのうち、2番線が下り本線、5番線が上り本線となっている(単式ホームがなかった頃は、現在の中線(現在の3・4番線)が本線だった)。5番線北側には上りの副本線及び有効長5両編成2本程度の留置線(副本線横に1線、東京方トンネル前に1線)がある。
現在の配線・信号の関係は、
 1番線 - 入線は東京方、伊東線方双方から可能。出発は、伊東線方へ可能(上左写真左側)。
 2番線 - 東京方から入線。東海道下り及び伊東線方へ出発(上左写真右側)。
 3番線(中1番) - 入線・出発共いずれの方向から(へ)も可能(上右写真右側)。
 4番線(中2番) - 同上(通常、伊東線へ出発となる列車はないが、ダイヤ混乱のおり、伊東行きを入線させたことがある)(上右写真左側)。
 5番線 - 東海道線上り列車のみ。
なお、JR東日本の管理駅である都合上、JR東海が利用できるのは(上記3番線または4番線のいずれか)1線のみである。そのため事故・トラブルや大雨・落雷などでダイヤが乱れた場合、沼津方面からの列車がホームに入線できないため沼津駅や東田子の浦駅で打ち切りになることも発生する。
*以前、来宮駅の手前まで東海道線・伊東線が線路を共用していたころは、伊東線の列車も東海道上り線を走行していたため、現在の5番線へ入線することができた。

駅舎は1番線に隣接する場所に設置されている。平成22(2010)年3月31日までは駅ビルの「熱海駅デパート」が併設されていた。改札口は駅舎内の1か所のみで、改札口から各ホームに直結する地下道が存在する。
改札外にはJR東日本が営業するみどりの窓口に加え、コインロッカーと静岡銀行のATMが設置されている。観光案内所とエフエム熱海湯河原(Ciao)のサテライトスタジオも併設されていたが、一旦、仮駅舎に移動した後、新たにオープンしたラスカ熱海1階に再設置された。
構内に熱海CTCセンター(熱海運輸区の管理下)がある。JR東日本東海道本線の東京駅 - 湯河原駅間では東京圏輸送管理システム (ATOS) が導入されているが、当駅・来宮駅ならびに伊東線の運行管理・進路制御は熱海CTCセンターで行っている。
また、1番線ホーム上には、JR東海の乗務員詰め所が設置されている。
長らく、駅自動放送は平成4(1992)年から使用されている古いタイプ(東海道型)が使用されていたが、平成27(2015)年2月17日に新しいタイプ(旭型)に更新された。

のりば:
a0057057_14574392.png1番線 JR東日本 伊東線 伊東・伊豆急下田方面普通(当駅始発は1本を除きこのホーム)
2・3番線 JR東海 東海道線 下り 三島・沼津・静岡・浜松方面(一部は4番線から発車)
 JR東日本 伊東線 伊東・伊豆急下田方面特急と一部の普通
4・5番線 東海道線 上り 小田原・横浜・品川・東京・上野方面
a0057057_22185551.png (上野東京ライン含む、一部は3番線から発車(湯河原・平塚・大船・川崎方面)
在来線は旅客営業上JR東日本とJR東海の境界駅である。会社相互間を直通する普通列車は平成16(2004)年10月16日のダイヤ改正で大幅に削減され、朝夕の通勤時間帯と夜間を除いて当駅で乗り換えが必要となっている。乗り換え時間が短い場合でも、階段連絡でホーム間の移動が必要なことが多い。当駅始発の列車の中には、上野東京ライン・宇都宮線(東北本線)に直通し、宇都宮経由黒磯行きの直通列車も数本設定されている。

新幹線
a0057057_16532062.png新幹線乗降設備は待避線のない相対式ホーム2面2線の構造。ホーム上の乗り場番号は南側(在来線ホーム側)から6番線・7番線の順で付番されている。山肌に沿った高い位置にホームがあり、列車通過の際に危険がないようにホーム可動柵が設置されている。可動柵は昭和49(1974)年に新幹線初のものとして設置されたが、老朽化のため、上りホームは平成23(2011)年12月、下りホームは同24(2012)年7月に取り替えられ、開口幅や扉の位置も変更された。
当駅はスペースの都合で待避線が設置されなかったため、ダイヤ作成上のネックとなっている。その上、当駅付近から新丹那トンネルまでの区間内には最小曲線半径1500mという新幹線有数の急カーブが控えており、この影響で「のぞみ」を初めとする通過列車は最高速度185km/hに制限されている。この速度は、東海道新幹線の駅通過速度としては最も遅い。
JR東日本の地下道とJR東海新幹線コンコースの間には、乗換改札が設置されている。乗換改札口はかつて2か所あり、東京方は入口・出口兼用、新大阪方は出口専用だったが、平成9(1997)年のリニューアル工事で改札口が1か所に集約された。新幹線乗換口の在来線側にはJR東海が営業するみどりの窓口がある。
地形の関係上、新幹線独自の改札口は設けられておらず、JR東海の新幹線改札内へはJR東日本の在来線駅構内を経由しなければならない構造となっているため、JR東海のみが扱う乗車券・サービスを受ける旅客はJR東日本の改札口で「熱海駅構内通過票」の交付を受けた上で、JR東海のみどりの窓口まで出向く必要がある。EX-ICカードやプラスEXカードを所持している場合は、Suicaなどの都市圏のICカードをJR東日本の自動改札機にタッチさせた上で、新幹線の自動改札機に都市圏のICカードとEX-ICカードまたはプラスEXカードを2枚重ねてタッチすることで、新幹線ホームへの入出場が可能となっている。

のりば:
a0057057_16452677.png6番線 東海道新幹線 下り 名古屋・新大阪方面
7番線 東海道新幹線 上り 新横浜・東京方面


駅舎の建替え:
a0057057_15113967.png駅舎は老朽化が著しいことから、建替え工事がされ、平成28(2016)年11月25日にラスカ熱海が営業を開始した(この時点で、熱海市の駅前整備計画は完了していない)。
旧駅ビルラスカ(注、「ラスカ」の名称は関係者のみが使用していたもので、地元では「熱海駅デパート」と呼んでいた)は平成22(2010)年3月31日をもって店舗を閉鎖し、同年7月から建物の取り壊し工事を行い、11月まで行われた。これに伴い、熱海市では駅前の整備事業を行い、バスターミナルは2層化され、1階がたタクシープール、2階がバスターミナルとなった。旧タクシーのりばは旅館・ホテルの送迎車及び一般車の駐車場となった。また、JR東日本の保養所「いでゆ荘」も取り壊され、「ラスカ熱海」の駐車場となったほか、入口にあった熱海駅前交番も春日町バス停側に移設されている。
桃山方面へ向かう桃山ガードの連絡道も伊東線沿いに付け替えられ、一旦、バスターミナル横を通る形になった。


参考資料:Wikipedia(記事に古いものと新しいものが混在するため、確定部分のみに修正)
記事:
 取材:
 投稿:29.1.15
 調整:29.1.16/29.6.-5

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# by fbox12 | 2017-06-05 15:12 | 鉄道・バス

003 東京駅

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とうきょう

概要:
東京の表玄関とも言うべき大ターミナル駅で、特に東海道新幹線と東北新幹線の起点となっており、全国の新幹線網における最大の拠点となっている。また、東海道本線や東北本線など主要幹線の起点駅でもある。平成28(2016)年3月に北海道新幹線が東北新幹線を介して当駅まで乗り入れる様になり、寝台特急(ブルートレイン)の廃止により以前よりいくらかは減ったものの、当駅から乗り換えなしで行ける都道府県は実に33に上る。1日当たりの列車発着本数は約3000本、プラットホームの数は日本一多い日本を代表する駅である。
在来線が地上5面10線と地下4面8線の合計9面18線、新幹線が地上5面10線、地下鉄は地下1面2線を有しており、面積は東京ドーム約3.6個分に相当する。赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したもので、大正3(1914)年に竣工、平成15(2003)年に国の重要文化財に指定された。「関東の駅百選」認定駅。

中央駅としての位置付け:
明治22(1889)年に官設鉄道(当時は内閣鐵道局)東海道本線の新橋 - 神戸間が全通し、私鉄の日本鐵道が上野を始発駅として靑森に向けて線路を建設していた。そこで、新橋と上野を結ぶ高架鉄道の建設が東京市區改正計画によって立案され、明治22(1896)年の第九回帝國議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。実際の建設は日清戦争と日露戦争の影響で遅れ、建設工事は戦争終了後の明治41(1908)年から本格化し、大正3(1914)年12月18日に完成し、同時に「東京驛」と命名された。
JRとなった今でも当駅を「中央駅」と位置付けられており、前身である日本国有鉄道(国鉄)の時代から列車の進行方向を示す「上り・下り」の基点となっていた。現在、中央本線は当駅 - 神田間は戸籍上東北本線となっているが、起点であった当駅へ向かう列車が引き続き上りとされている。なお、「中央駅」である当駅は東京都区内および東京山手線内各駅を発着するJR線長距離乗車券の運賃を算出するためのキロ数基準駅ともなっている(前者:201km以上、後者:101〜200km)。

建設当時の東京駅:
当駅の位置は、江戸時代からの繁華街である京橋側ではなく、建設当時はまだ野原だった丸の内側に建設された。宮城(皇居)の正面に設定され、丸の内口の中央に皇室専用貴賓出入口が造られたことから分かるように、国家の象徴的な位置付けであった。なお、現在の行幸通りはまだ皇居前広場まで開通していなかった。
駅本屋は、辰野金吾と葛西萬司が設計した深谷市産の鉄筋レンガ造り三階建て総建坪9,545m²・長さ330mの豪壮華麗な洋式建築である。大正3(1914)年の開業年は第一次世界大戦の開戦の年でもあり、中国・青島周辺のドイツ租借地を占領した陸軍の司令官神尾光臣中将が凱旋して皇居に参内するイベントに合わせて開業式を行った。アムステルダム中央駅は当駅を建設する際のモデルになったという俗説があるが根拠は薄弱であり、昭和63(1988)年以降に藤森照信らを始めとする西洋建築研究者により設計者の系譜や建築様式の両面から、現在ではほぼ否定されている。南北にそれぞれドーム状の屋根があり、当時は丸の内南口が乗車口、丸の内北口が降車口と分けて使用されていた。中央の玄関は皇室専用とされ、規模は小さいものの、細かい装飾が各所に施されていた。中央玄関と東西の一般出入り口との間に、各一つ別の出入り口があるが、これは荷物の搬入搬出口として設けられた。

歴史:
帝國議会で建設が可決された中央停車場は施工を大林組が担当。前述のとおり大正3(1914)年12月18日に竣工、20日に開業した。
大正8(1919)年3月1日に中央本線が、大正14(1925)年11月1日に東北本線が乗り入れ、以後、徐々に発展していった。
戦前、鐵道省では品川 - 東京間に複線を増設し、京濱東北線の一部と横須賀線を走らせる「京濱急行線計画」が存在していた。その計画では、1・2番線が中央線、3番線が京濱東北線北行・山手線内回り、4番線が京濱急行線終着、5・6番線が横須賀線、7番線が京濱急行線始発、8番線が京濱東北線南行・山手線外回り、9〜12番線が東北本線、13〜15番線が東海道本線となる予定だった。この計画は対米戦により未成に終ったが、その一部は、京浜東北線と山手線の分離運転(「東京縦貫複々線工事」という)に活用された。
太平洋戦争末期の昭和20(1945)年5月25日、アメリカ軍による東京大空襲では丸の内本屋の降車口に焼夷弾が着弾、大火災を引き起こした。これによりレンガ造壁とコンクリート造床の構造体は残ったが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われた。
同年8月の終戦直後から修復体制を整えて計画を立案し、年末から昭和22(1947)年にかけて修復工事を行い、ほぼ現在の外観になった。3つのドーム部分の外壁は修復したが、安全性に配慮してその他の焼失の著しかった3階部分内外壁は取り除いて2階建てに変更、中央ドームは木造小屋組で元の形に復原、南北両ドームは丸型から台形に変更、軒蛇腹・パラペット・壁面・柱型・窓枠などは2階建てになっても忠実に復原、南北ドーム内のホール天井はローマのパンテオンを模したデザインに変更、といった内容だった。
できるだけ早期に本格的な建て直しをするつもりで「4、5年もてば良い」とされた修復工事だったが、占領軍の要求で突貫で進める中でも当時の鐵道省の建築家・伊藤滋や松本延太郎たち、あるいは工事を行った大林組の日夜の努力でできるだけ日本の中央駅として恥ずかしくないデザインによる修復をした逸話が伝えられている。
一方、昭和4(1929)年に開設された八重洲口は、昭和23(1948)年11月16日にモダンデザイン建築の八重洲駅舎が竣工したが、翌24(1949)年4月29日に失火で焼失してしまい、昭和29(1954)年10月14日に駅舎が建て替えられ、八重洲本屋が完成した。八重洲口はその後も順次改築されて百貨店が出店し、地下街が拡がるなど賑やかになってゆくが、丸の内側はレンガ造りのままであった。
昭和39(1964)年10月1日に東海道新幹線が開業し、昭和47(1972)年7月15日には総武地下ホーム、平成2(1990)年3月10日には京葉地下ホームがそれぞれ営業を開始、平成3(1991)年6月20日には東北新幹線が当駅に乗り入れるなど、東京駅は順次拡大してきた。
その後、長らく先延ばしされてきた建て替え計画は、平成11(1999)年から翌12(2000)年にかけて、創建当初の形態に復原する方針がまとめられ、500億円とされた復原工事の費用を丸の内地区の高層ビルへの容積率の移転という形で捻出することで、丸の内地区の高層ビル建て替え事業と並行して、東京駅の復原工事が行われることとなった。復原工事自体は、平成19(2007)年5月30日に起工され、平成24(2012)年10月1日に完成した。

赤レンガ駅舎の復原:
復原に至る経緯
かつての丸の内側の赤レンガ本駅舎は昭和20(1945)年5月25日のアメリカ軍による空襲(東京大空襲)によりその多くが破壊、焼失した。戦災復興工事によって、失われたドーム屋根にかわって木造8角形の屋根が載せられ、内部は3階の窓の開口部は保持されたが、残存したアーチなどのレリーフは新設されたローマのパンテオン風の意匠によるジュラルミン製のドームによって隠された。終戦後の昭和22(1947)年、開業当初の状態より一回り規模を縮小して修復された。GHQの体制下応急処置的に工事が行われ、屋根の小屋組については復員してきた海軍の技師が5年もてばよいということで、薄い木材のトラス造りで応急的に工事をしたという。一方実際に工事にあたった関係者は、あくまで国鉄内部の技術者が修理したのであって旧海軍の技術者が関わったという説は何の根拠もないと主張している。この復旧された駅舎は、応急復旧のままで60年余りが過ぎることになった。旧日本国有鉄道(国鉄)は戦後度々赤レンガ駅舎の建て替え構想を出しては延期しており、昭和62(1987)年4月1日の分割民営化の時には当駅全体の土地の3分割を伴った再開発構想が提案され、赤レンガ駅舎の建て替え高層化か保全をするかが本格的に課題となった。これに対して、「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」などによる赤レンガ駅舎保存の市民運動が起こった。
昭和63(1988)年、政府は学識者の委員会による東京駅周辺地区再開発構想を取りまとめ、赤レンガ駅舎の現在地での形態保全の方針を決定し、JR東日本などの検討により平成11(1999)年、本来の形態に復原することとなった。また、平成15(2003)年4月18日には国指定の重要文化財に指定された。

復原工事:
a0057057_10445392.png平成19(2007)年5月30日より、鹿島・清水・鉄建建設共同企業体が担当となって、駅舎を本来の姿に近い形態に復原する工事が開始された。この工事では、鉄骨鉄筋コンクリート壁で躯体を増築して建築当初の3階建てに戻した上で、外壁、尖塔、南北両ドームの内外の意匠も再現し、新たに地下1・2階を増築し免震装置を設置した。免震装置には地上部分と地下部分との間に免震ゴムとオイルダンパーを設置した。
3階の外壁は、創建当初と同じ仕様の厚さ 15mm の化粧煉瓦を貼った外壁に復原した。戦後の修復で2階に移されていたイオニア式柱頭も当初の3階に移設し、支柱の形状も創建時のものに戻した。失われていた花崗岩の柱頭飾り、銅の高欄はモックアップを用いてディテールや施行方法を検証し、創建当時の意匠に復原した。2階以下は既存の構造煉瓦と同じ厚さ 15mm と 45mm の化粧煉瓦を貼った(下駄っ歯積み)。線路側はコンコース側の壁を撤去し、トップライトから採り入れる自然光で復原された丸の内駅舎を見ることが出来るようにした。
ドーム内部の保存と復原の基本方針は部位によって異なり、3階以上の壁面と天井面は、干支や 2m を超える大きさのワシの彫刻やレリーフが存在した創建時の意匠を忠実に再現し、1階と2階は、3階以上の部分と調和を図りながらも機能性に優れた新しいデザインとした。3階張出部を支えていた装飾付きの鉄骨支柱は、RCで補強され円柱にかわったために、全体としては機能的な装飾のない意匠となった。ドームに施されたレリーフは南北のドームで全く同じである。
工事による一時解体に伴い、それまで使用していた雄勝石の屋根材65,000枚は産地でもある宮城県石巻市雄勝町の業者に送られて、選別・清掃・補修した上で倉庫に保管されていたが、東日本大震災で発生した津波で塩害を蒙った。このため、使用可能と判断された45,000枚のみが復原駅舎でも再利用され、不足した2万枚はスペイン産のスレートで補われた。なお、工事全体では約457,000枚のスレートが必要とされていたため、再利用分を除いた残りのうち15,000枚は石巻市の業者が製作したもののを使用し、残りはスペイン産で補う計画であったが、この業者の工場も津波によって壊滅し、出荷前の天然石スレートも津波に流された。震災後、流されたスレートは回収・洗浄・検品され、使用可能な7000枚が東京に送られた。
ドーム部分の屋根は、建設当時の銅板葺きに戻され、0.4mmの銅板が合計1トン使用された。時計下の外壁レリーフは2m四方の銅板3枚を使って叩き出されたものを使用した。線路側の中央部の屋根はガラス化して、屋根裏をホテルのゲストラウンジにした。
外壁の花崗岩は、中央部御車寄せ周りと1階腰石が北木産花崗岩北木石で、その他はすべて稲田産花崗岩である。 保存・復原工事には、広場側復元部には稲田産花崗岩、線路側は中国産花崗岩をそれぞれ使用した。また、1階腰石は北木産花崗岩北木石である。 日本国内では職人の数も減り、丸の内駅舎のすべての製作をすることは難しいことから、中国での製作とした。稲田産花崗岩は日本で切り出し、中国へ運び、中国で製作のうえ、日本へ戻し丸の内駅舎へ取り付けた。 タイルレンガの目地には、覆輪目地が施工されているが、すでに失われた施工方法となっており、職人が3か月間の試行錯誤で、技術と道具を復活させて再現している。
窓枠には全て三協立山製のサッシが採用された。新しい窓枠はアルミにフッ素樹脂塗装されたものであるが、大正時代には木製建具が主流であったことから、過去の文献の調査だけでなく辰野金吾が設計した岩手銀行中ノ橋支店を視察するなど試行錯誤の末、色合いを木の風合いにできる限り近づけた「東京駅専用ビル用サッシ」を新たに開発した。また窓の装飾に使われるアルミ製鋳物も三協立山が手掛けた。
a0057057_1195716.png復原工事中は、一部仮設の出入口が設置された(上写真の通路奥など)が、発券ができない個所では乗車駅証明書(右写真)を発行し対処した。
平成24(2012)年6月10日に、復原された駅舎の一部(1階部分)が再開業し、同年10月1日に全面再開業した。また、復原工事に伴って平成18(2006)年4月から営業を休止していた駅舎内の「東京ステーションギャラリー」(東日本鉄道文化財団運営)も全面再開業と同日に拡大再開業し、翌々日の3日には「東京ステーションホテル」も規模を拡大して再開業した。地下には新規にレストランが開業した。

駅構造:
かつて、現在のJR東日本とJR東海の駅は同じ国鉄の駅であったが、昭和62(1987)年の国鉄分割民営化を機に、東海道新幹線はJR東海、それ以外はJR東日本の管轄へと分離された。
中央線2番線(現、山手線内回り4番線)と京浜東北線北行3番線(現、山手線外回り5番線)の間には線路が1本あったが、中央線ホームの拡張により、この線路が2番線(現、4番線)となり、旧2番線は撤去された。この線路は同じく線路のみ存在していた東海道本線の11・16番線とは異なり、番線に数えられていなかった。
平成9(1997)年の北陸新幹線高崎 - 長野開業に伴い、ホームの移転が行われた。
まず平成7(1995)年7月に中央線ホームを高架ホームに移転し、その後10月 - 12月に山手線・京浜東北線ホームを、平成8(1996)年6月 - 翌9(1997)年7月に東海道線ホームをそれぞれ1面ずつ丸の内側に移設した。なお、東海道線ホームの移設の際は、1線を撤去して2面3線化したほか、一時期に9番線が仮設ホームだったことがある。
東海道線ホームが2面3線になってからは、大垣行き夜行普通列車(列車番号375M)が下りに限って品川駅始発に改められた。平成8(1996)年3月に運行開始した「ムーンライトながら」(JR東海373系による定期列車)については、当駅始発・終着とされた。
現在の中央線ホームは、丸の内口駅舎と旧中央線ホーム(現在の京浜東北線北行3番線および山手線内回り4番線)の間のやや狭い敷地内に設置されており、やや3・4番線ホーム上に高架部分がせり出している。このことが結果的には丸の内駅舎を取り壊さずに保存できる形となった。
山陽新幹線が博多駅まで延伸してホームを増設するまでは、7・8番線が東北本線・高崎線・常磐線用ホーム、9・10番線が近距離列車用ホーム、11番線が回送線、12・13番線が東海道本線・横須賀線用ホーム、14・15番線が遠距離列車用ホーム、16番線が回送線(後に東海道新幹線に転用)であった。新幹線の開業までは4線ともひっきりなしに列車が発着しており、13番線から15番線を見通すことができなかった。これが重要なトリックとして出てくるのが松本清張の「点と線」である。昭和45(1960)年後半 - 昭和48(1973)年3月31日までは東北本線・高崎線・常磐線の列車は7 - 15番線のうち、どのホームからも発車していた。
上記の通り、在来線は15番線まで存在していたが、昭和48(1973)年4月に第7ホーム(14・15番線)を、昭和55(1980)年に13番線を、昭和63(1988)年3月回送線だった11番線と第6ホームの12番線を、平成7(1995)年に第5ホーム(9・10番線)をそれぞれ使用停止し、後に新幹線のホーム増設や新設を行った。
北陸新幹線の開業に伴って、北陸新幹線用(W7系・白山総合車両所所属)と東海道・山陽新幹線用(700系・N700系・N700Advanced・博多総合車両所所属)の2つのJR西日本の新幹線車両が乗り入れることになった。

 - 各線の詳細 → 003b 東京(とうきょう)駅Ⅱ (JR東日本 / JR東海 / 東京メトロ)

a0057057_14495131.png当駅にはJR東日本とJR東海の窓口のほか、丸の内地下中央改札前にかつて北海道旅客鉄道(JR北海道)が運営する「JR北海道プラザ東京支店」があった。一般の乗車券や特急券のほか、各社のトクトクきっぷを購入することができたが、株主優待などJR各社の窓口のみで扱う切符類が発券できなかった。反面、JR北海道のみで購入可能な切符類を一部を除いて取り扱っていて、JR北海道のオレンジカードも販売されていた(左写真)。

電化方式(列車走行用):
当駅では直流600V(東京メトロ丸ノ内線)、直流1500V(在来線)、単相交流25000V/50Hz(東北・上越・北陸新幹線)、単相交流25000V/60Hz(東海道・山陽新幹線)と4種類の電化方式が存在する。

旅客収入額:
当駅の旅客収入額はJR東日本の駅中第1位である(1日平均およそ2億6千万円、2位は新宿駅で同1億6千万円)。また、平成20(2008)年現在旅客収入額のデータを公開しているJR駅中でも第1位である。どちらも新幹線などの長距離列車の発着が多く、乗車券の単価が高いためである。旧国鉄時代は日本一であった。平成20(2008)年現在は正確な順位がわからないが、各新幹線が集中し、長距離旅客利用が日本一多い駅であるため、日本一であると見られる。

当駅を中心とする以下の地下鉄各駅は概ね半径1km程度範囲内にあるので、状況によっては徒歩での移動の方が早く到達する場合もある。
 大手町駅(東京メトロ丸ノ内線・東西線・千代田線・半蔵門線、都営地下鉄三田線)
 八丁堀駅(JR京葉線・東京メトロ日比谷線)
 日本橋駅(東京メトロ銀座線・東西線、都営地下鉄浅草線)
 三越前駅(東京メトロ半蔵門線(銀座線のりばへは遠い))
 新日本橋駅(JR総武線(快速))
 二重橋前駅(東京メトロ千代田線(行幸地下通路で連絡))
 日比谷駅(東京メトロ日比谷線・千代田線、都営地下鉄三田線(行幸地下通路で連絡))
 有楽町駅(JR山手線・京浜東北線、有楽町線)
 銀座一丁目駅(東京メトロ有楽町線)
 京橋駅(東京メトロ銀座線)
 宝町駅(都営地下鉄浅草線)

再開発事業:
a0057057_17425436.pngJR東日本などが主体となって赤レンガ駅舎の復原などを内容とした当駅周辺の大規模な再開発事業が行われている。
この第1弾として平成19(2007)年3月に日本橋口に超高層ビル「サピアタワー」が竣工した。これと同時に一連の再開発地区が「Tokyo Station City(東京ステーションシティ)」と命名され、キャッチフレーズは「東京駅が、街になる。」に決まった。同年4月には丸の内口の行幸通り地下に「行幸地下通路」が整備され、10月25日には東京駅改札内地下1階に株式会社鉄道会館が運営する改札内商業施設「グランスタ」がオープンした。さらに、同年10月31日には、八重洲口にある大丸などが入居していた昭和29(1954)年竣工の鉄道会館ビルが閉鎖され、11月6日に超高層ツインタワービル「グラントウキョウ」が竣工した(右写真:ノースタワー)。グラントウキョウノースタワー(国際観光会館ビルの跡地に建設)に大丸が移転し、グラントウキョウサウスタワーの地下に飲食店街「グランアージュ」が整備された。また、八重洲地下街からグラントウキョウサウスタワーとパシフィック・センチュリー・プレイスの地下を経由して京葉線地下改札に至る連続した地下連絡通路が整備された。
a0057057_17533828.png平成22(2010)年3月28日には、駅改札内1階「South Court(サウスコート)」にあった改札内商業施設の「Dila東京メディアコート」の跡地に、JR東日本ステーションリテイリングが運営する「エキュート東京」がオープンし、4月12日には赤レンガ駅舎から皇居まで一直線に続く行幸通りが再整備された上で開通した。さらに同年12月4日には、駅改札内1階「North Court(ノースコート)」にあった改札内商業施設の「Dila東京ダイニングコート」の跡地に、鉄道会館が運営する「グランスタ ダイニング」がオープンした。
鉄道会館ビルが解体された後の平成24(2012)年8月にグラントウキョウノースタワー第2期工事が竣工、平成25(2013)年9月にグラントウキョウの2棟を結ぶペデストリアンデッキ「グランルーフ」が竣工(左写真)、同年12月11日に八重洲口駅前広場のバスターミナルが竣工、平成26(2014)年秋に八重洲口駅前広場の全体工事が竣工した。八重洲通りの突き当たりに、壁になる形で存在していた鉄道会館ビルが解体されたことにより、東京湾側から皇居側へ向かう海風が通り抜けやすくなり、ヒートアイランド現象の改善が期待されている。
丸の内口側においては、平成19(2007)年から24(2012)年まで赤レンガ駅舎の復原工事が行われた。この復原工事の完了に伴って、赤レンガ駅舎前の駅前広場にガードレールによる仮設の交通広場が設けられたが、平成27(2015)年冬までに丸の内南口前の交通広場の再整備を行い、29(2017)年春頃までに丸の内北口前の交通広場と丸の内中央口前の「都市の広場(仮称)」を含めた丸の内駅前広場全体の再整備を完了させる予定である。また、平成26(2014)年2月、駅前広場にある総武・横須賀線地下ホーム用の換気塔を、高さ13mから4mまで切り下げると同時にデザインを変更し、駅前景観を改善させた。
さらに、平成26(2014)年に丸の内地下エリアに地下南口待合広場を整備し、29(2017)年夏までに丸の内地下エリアの全体的な再開発を完了させる予定である。この再整備により、丸の内地下エリアの内装デザインが「格調高く賑わいのある」もの一新され、地下中央口から東京メトロ丸の内線に繋がるコンコースが拡幅され、トイレや改札、コインロッカーが再配置される予定である。
また、丸の内北口と八重洲北口を繋ぐ駅構内の東西自由通路を拡幅する予定があり、駅南側にも東西自由通路を新設する計画がある。

将来の計画:
1.首都圏新都市鉄道のつくばエクスプレスが大深度地下を利用して秋葉原駅から当駅に乗り入れる計画がある。駅は丸の内ビルディング直下に建設される予定である。同線は昭和60(1985)年に当時の運輸省運輸政策審議会答申第7号が当駅起点での整備を求めながらも、採算面の問題で秋葉原駅始発へ変更された経緯がある。
2.大深度地下利用による京葉線の新宿駅経由三鷹駅までの延伸を行い、中央線と直通運転させる延長線をともに平成27(2015)年までに整備着手するのが適当であるとした。(運輸政策審議会答申第18号による)
3.京成押上線と京急線をつなぐ浅草線短絡新線により、成田空港から30分台、羽田空港から20分台のアクセスを実現させる構想がある。この構想では京急と京成の通勤電車も乗り入れるとしている。東京駅の設置場所は、丸の内仲通りの直下が有力である。
4.現在、浜松町駅止まりとなっている東京モノレールを新橋駅か東京駅へ延伸する計画がある。完成すれば成田エクスプレスとの乗り換えが便利になり、羽田・成田両空港間の(JR線での)移動時間が短縮される。JR東日本が東京モノレールを子会社化した後、平成22(2010)年から本格的な検討を始めた。しかし、東京駅への延伸は新橋駅への延伸と比べると、資金面では1000億円超となる上、工期も長くなってしまう。

参考資料:Wikipedia(2015年10月31日)
記事:
 取材:
 投稿:
 調整:28.12.18/29.4.-8/29.6.-5

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# by fbox12 | 2017-06-05 14:26 | 鉄道・バス

069 函南駅 (JR東海)

a0057057_22303526.png

a0057057_22402177.pnga0057057_22144399.pnga0057057_22593178.png

a0057057_2334240.pngかんなみ

所在地:静岡県田方郡函南町大竹190-6
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道本線
駅名かな(電報略号/駅コード):かんなみ(カミ/520101)
キロ程:(東京起点)114.5km

概要:
静岡県田方郡函南町の北東のはずれに位置し、函南町の中心部から離れた場所にある。静岡県内にある東海道本線の駅としては唯一、町に所在する駅である。
丹那トンネルの西口にあり、このトンネルが貫通した昭和9(1934)年の12月に駅は開業した。
現在の停車列車は普通列車のみである。平成8(1996)年3月に特急列車に格上げされるまでは、急行「東海」1号・4号が停車していた。
平成20(2008)年3月からはTOICAエリアになったが、当駅から熱海方面はエリア外になり利用できない。平成24(2012)年12月からはICカード対応自動券売機が設置されている。東京方面へ向かうには当駅で交通系ICカードの残高を使ってきっぷを購入する必要がある。

歴史:
a0057057_20544637.png丹那トンネル建設計画が発表されたとき、この地への駅の設置予定はなかったが、運転上重要な場所であるため信号場が設置されることになった。しかし、函南村(函南町の前身)が請願を行った結果、信号場ではなく駅が開設された。
昭和9(1934)年12月1日 - 鐵道省東海道本線の丹那トンネル経由の熱海 - 沼津間新線開通時により開業、旅客・貨物営業を開始
昭和46(1971)年10月1日 - 貨物取扱廃止(貨物ホームは現在の町営駐輪場の場所)
昭和59(1984)年2月1日 - 荷物取扱廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)が継承
平成20(2008)年3月1日 - TOICAの利用範囲が当駅まで拡大。ただし静岡方面のみ利用可能で、熱海駅との間はエリアまたぎとなり使用できない。
平成26(2014)年3月24日 - バリアフリー整備が完了し、新たにエレベーターと多機能トイレ設備が使用可能になる。

駅構造:
ホーム
a0057057_21294564.png島式ホーム1面2線をもつ地上駅。ホームのない待避線(副本線)も上下1本ずつ敷設されている。また保線車両用の側線が上り線北側に設けられている。三島方・熱海方それぞれに渡り線も設置されており、工事臨時列車や軌道検測車の折り返しに使われている。
上1番線(右写真E231系の右横)は下り方にも出発信号機があり、下り方へ折り返すことも可能である。

a0057057_2143114.png



ホームの使用状況
1番線 東海道本線 下り 沼津・静岡方面(左写真:「踊り子号」が通過中)
2番線 東海道本線 上り 熱海・東京方面(右写真) 東北本線、宇都宮駅まで直通
JR東海管内においては東海道線から東北本線(宇都宮線)・高崎線に直通する列車について「上野東京ライン」の名称は用いられず(東海道線上り)「東京経由」と案内。
熱海より先に行く列車はすべてJR東日本の車両で、グリーン車の連結があるが、Suicaグリーン券は、発券機がないため利用できず、早朝の列車では窓口が閉鎖されているため、事前購入もできない場合もある。
また、逆に東日本管内の駅での発券機には行先として、函南・三島・沼津の各駅は表示されないため、熱海駅まで購入し、社内でグリーンアテンダントに申し出て、区間変更の手続きを取る必要がある。

駅舎・設備:
a0057057_22362333.png駅舎は構内南側にあり、木造平屋建てで開業当時からの由緒あるものだが、きれいにリニューアルされている。駅舎内には、みどりの窓口や自動券売機(ICカード対応・1台設置)、TOICAチャージ機(改札内)、待合室が設置され、改札には扉とセンサーが省略された簡易型自動改札機が導入されている。みどりの窓口はもちろん、自動券売機・TOICAチャージ機も駅員が不在になると稼動しない(無人駅の扱い)。そのため、切符の購入とTOICAのチャージができず、車内で切符を買う必要がある。
旅客列車・貨物列車を問わず列車本数が多いため、運転業務を取り扱う運転取扱駅となっている。また、駅員が終日配置される直営駅(駅員配置駅)であるが、三島駅の被管理下にあり、管理駅長は配置されず地区駅長が配置されている。
すべての発着列車に対して出発指示合図を送る立番業務をおこなっていたa0057057_22512749.png(上写真「踊り子号」の横に職員が立っているのが見える)が、車掌用のホーム安全確認モニターが増設された(右写真中左側)ことを受け、平成26(2014)年6月30日をもって廃止された。廃止日時点ではJR東海静岡地区の在来線の駅で電子電鈴装置と発車ブザーが使用されているのはこの函南駅のみであった。(御殿場駅でも特急あさぎり号に限って電子電鈴装置は扱われていたが、平成24(2012)年に運転区間が短縮されてからは扱われなくなった。) 現在は乗車促進音として、313系(211系混結編成含む)ではJR東海オリジナルメロディを、E233系では東京方面がGota del Vient、沼津方面がWarter Crownをそれぞれ車両の車外スピーカー扱いで流される。
発車標はホーム・改札ともに設置されていない。運転見合わせやダイヤの乱れが発生した場合はホワイトボードで案内される。ホワイトボードは改札前に置かれる。

バス路線:
a0057057_2385446.png駅前には函南駅バス停があり、以下のバスが運行されている。
伊豆箱根バス運行路線
 函南駅 - 八ツ溝 - 大場駅線(5019系統)
 函南駅 - 赤王口 - 大場駅線
 函南駅 - 大場分譲地 - 錦が丘分譲地線(平日夕方一本のみ運行)(5038系統)
 錦が丘分譲地 - 大場分譲地 - 函南駅線(平日朝の一本のみ運行)
 函南駅 - 大場駅前 - 畑毛温泉線
その他のバス
 NTT東日本伊豆病院への無料送迎バス
 伊豆平和病院・伊豆函南病院へのマイクロバス
 県立韮山高校のスクールバス
東海バスオレンジシャトル
 南箱根ダイアランド行き

参考資料:Wikipedia(2016年11月17日)
記事:
 取材:26.5.15他
 投稿:29.1.-7
 調整:29.1.-8/29.1.-9/29.1.10/29.6.-5

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# by fbox12 | 2017-06-05 14:04 | 鉄道・バス

075 有楽町駅(JR東日本/東京メトロ)

ゆうらくちょう

駅名の由来:
駅名である有楽町の地名は、この辺りに織田信長の弟である織田長益(有楽斎)の邸宅跡地があったことに由来している…という俗説があるが、織田長益が江戸に住んだことはなく、「有楽」という文字列が同じなため、流布されたものである。実際の有楽町は明治時代初期に永楽町とセットで命名された地名である。

75-1 JR東日本
a0057057_18492976.png所在地:東京都千代田区有楽町二丁目9-17
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・東海道本線
電報略号:ラク

概要:
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は東海道本線1路線のみであるが、当駅には電車線を走る京浜東北線電車および山手線電車のみが停車し、旅客案内では「東海道(本)線」は使用されていない。かつ、昼間時は京浜東北線の電車がすべて快速運転するため、山手線の電車のみ停車する形になる。また、当駅はJRの特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属する。日本国有鉄道(国鉄)のころの昭和29(1954)年から昭和31(1956)年までは常磐線からの電車が朝夕の通勤時間に当駅まで乗り入れたことがあるが、現在の上野東京ラインの列車は、東海道(本)線の線路を走行しており、乗降用ホームがないためすべて停車しない。
当駅は北隣の駅である東京駅の京葉線ホームに近い。同駅において山手線・京浜東北線から京葉線に乗り換えるには、同一駅構内とはいえ、かなりの距離を要する。このため、当駅 - 東京間を含む乗車券(東京山手線内・東京都区内発着を含む。ただし、山手線は内回り、京浜東北線は北行に限る)を所持した上で改札口で京葉線に乗り継ぐ旨を申し出れば、徒歩により当駅 - 東京間を乗り継ぐことができる。この場合、乗車券の表面に途中下車印を押印した上で、案内書を交付される(SuicaなどIC乗車カードの場合は押印はなく案内書のみ)。ただし、当駅は京橋口改札、東京駅は京葉地下八重洲口および京葉地下丸の内口のみでの取り扱いとなる。なお、当駅での京葉線への乗り換え案内は行っていない。

歴史:
明治43(1910)年6月25日 - 内閣鐡道院東海道本線の駅として開業。旅客駅で、当時から京濱電車(後の京浜東北線)のみ停車した。
昭和20(1945)年1月27日 - 太平洋戦争中の空襲で中央改札口が大破し、駅員9名と旅客87名の計96名が死亡
昭和47(1972)年3月15日 - 荷物取り扱いを廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄の駅はJR東日本が継承
昭和63(1988)年3月13日 - 京浜東北線の快速運転開始に伴い、日中は同線が通過するようになる。
平成13(2001)年11月18日 - ICカードSuica供用開始
平成26(2014)年8月30日 - 山手線ホーム(2番線と3番線)においてホームドア稼働開始

駅構造:
島式ホーム2面4線を有する高架駅。外側2線を京浜東北線が使用し、内側2線を山手線が使用する。
ホームと中央口・中央西口をそれぞれ連絡するエスカレーター・エレベーターが設置されている。ホーム上の出口・乗り換え案内看板では、連絡運輸を実施していない東京メトロ銀座線・丸ノ内線(銀座駅)も、連絡運輸を実施している有楽町線と同じように案内されている。

のりば:
1番線 京浜東北線 北行 東京・上野・大宮方面
2番線 山手線 内回り 東京・上野・池袋方面
3番線 山手線 外回り 品川・渋谷・新宿方面
4番線 京浜東北線 南行 品川・横浜・大船方面
京浜東北線は、10時30分頃から15時30分頃にすべての列車が快速運転となり当駅を通過する。この時間帯に京浜東北線を利用する旅客は、大宮方面は東京駅で、大船方面は浜松町駅での乗り換えを要する。
平成27(2015)年10月下旬に、1・3番線の放送が更新された。

75-2 東京メトロ
a0057057_16284333.pnga0057057_2038868.png所在地:東京都千代田区有楽町一丁目11-1
所属・路線:東京地下鉄株式会社・有楽町線
電報略号:ユウ
駅番号:Y18

概要:
日比谷駅とは地下通路で連絡しており(改札内では連絡していない)、同一駅として扱われる。東京メトロの日比谷線・千代田線、東京都交通局の都営地下鉄三田線との乗り換え駅になっているが、乗り換える場合は一旦改札を出る必要がある。
線名の由来となった駅であるが、平成20(2008)年3月から23(2011)年9月まで特定日に運行されていた特急「ベイリゾート」は通過していた。

a0057057_19165148.png歴史:
昭和39(1964)年8月29日 - 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)日比谷線の日比谷駅開業
昭和46(1971)年3月20日 - 営団地下鉄千代田線の日比谷駅開業
昭和47(1972)年6月30日 - 都営地下鉄三田線の日比谷駅開業
昭和49(1974)年10月30日 - 営団地下鉄有楽町線の駅が開業し、日比谷駅と乗り換え業務を開始
平成16(2004)年4月1日 - 営団地下鉄民営化により、営団地下鉄の駅は東京メトロが継承
平成19(2007)年3月18日 - ICカードPASMO供用開始

駅構造:
島式ホーム1面2線を有する地下駅。出口番号は開業以来数字の頭に A を付していたが、乗り換え駅である日比谷駅も数字の頭に A を用いているため、誤乗防止の観点から、2007年2月1日より数字の頭が D に改められた。
コンコースとホームとの間はエスカレーターのある階段に加えて中央部のエレベーターでも連絡しているが、エレベーターについてはコンコース部は単独の改札口となっており、最低限の機器しか設置されていない。また、1番線ホームには6両編成停止位置最前部の表記がある(通常、有楽町線の列車は、10両編成であるが、南北線からの臨時列車に6両編成で運行されるものがあるため)。
エスカレーターが併設されている階段の中間部に、銀座一丁目寄りには駅事務室、桜田門寄りにはトイレがそれぞれ設置されている。また、東京国際フォーラムへの D5 出入口には、エレベーターではなく、車椅子専用の段差解消機が設置されている。

のりば:
1番線 有楽町線 月島・豊洲・新木場方面
2番線 有楽町線 池袋・和光市・森林公園・飯能方面


バス路線:
国際フォーラム口
有楽町駅前
 都営バス
  南方向
  <都04> 豊海水産埠頭行(勝どき駅前経由)
  <都05> 晴海埠頭行・東京ビッグサイト行(勝どき駅前経由)
  <都05出入> 深川車庫前行 (勝どき駅前・豊洲駅前経由) ※夜間のみ
  北方向
  <都04・都05> 東京駅丸の内南口行
 日立自動車交通
  読売会館前
  <晴海ライナー> 東京駅八重洲北口経由晴海トリトンスクエア行、(直行)晴海トリトンスクエア行

新国際ビル
 日の丸自動車興業
  <丸の内シャトル> 三菱ビル・東京サンケイビル方面

京橋口
有楽町駅京橋口
 はとバス
  定期観光バス

銀座口
有楽町マリオン横
有楽町マリオン前(東武) / 有楽町駅(ちばグリーン)
 東武バスイースト・ちばグリーンバス
  <深夜急行> 我孫子駅行(三郷駅・流山駅・豊四季駅・柏駅経由) (東武)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 京成佐倉駅行(船橋駅・津田沼駅・八千代台駅・勝田台駅経由)(ちばグリーン)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 成田空港(第2・第3旅客ターミナル)行(津田沼駅・八千代台駅・勝田台駅・JR成田駅経由)(ちばグリーン)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休

晴海通り 有楽町マリオン前
数寄屋橋(都営・平和・あすか・リムジン) / 有楽町駅(京成)
 都営バス・京成バス・東京ベイシティ交通・平和交通・あすか交通
 地下鉄銀座駅A0出入口付近
  <都04> 豊海水産埠頭行(勝どき駅前経由)(都営)
  <都03・05> 晴海埠頭行(勝どき駅前経由)(都営)
  <都05> 東京ビッグサイト行(勝どき駅前・新豊洲駅・有明テニスの森・有明一丁目経由)(都営)
  <都05出入> 深川車庫前行(勝どき駅前・豊洲駅前経由)(都営) ※夜間のみ
  <深夜急行> 日の出七丁目行(新浦安駅・明海四丁目経由)(京成・東京ベイシティ交通)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> サンコーポ西口行 (新浦安駅経由)(京成)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 千葉駅行(新浦安駅・海浜幕張駅・検見川浜駅・稲毛海岸駅・稲毛駅経由)(京成)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 桐畑行 (新浦安駅・行徳駅・下総中山駅入口・西船橋駅・行徳団地経由)(京成)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 成田空港行(西船橋駅・鎌ヶ谷大仏駅・千葉ニュータウン中央駅・印旛日本医大駅・JR成田駅・京成成田駅経由)(成田空港交通)※毎日運行
  <深夜急行> 成田空港行(金町駅・松戸駅・新松戸駅、常盤平駅・五香駅・六実駅・新鎌ヶ谷駅・西白井駅・白井駅・千葉ニュータウン中央駅・京成成田駅経由)(成田空港交通)※毎日運行
  <深夜急行> 鎌ヶ谷大仏行 (新船橋駅入口・船橋駅北口・東船橋駅入口・高根木戸駅・北習志野駅・船橋日大前駅・八千代緑が丘駅・二和向台駅入口経由)(船橋新京成バス)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休

 地下鉄銀座駅C1出入口付近
  <都03> 四谷駅前行(三宅坂経由) (都営)

 地下鉄銀座駅C6出入口付近
  <東京シャトル> 成田空港行(京成バス、京成バスシステム、成田空港交通、リムジン・パッセンジャーサービス)
  <リムジンバス> 成田空港発便の降車場(東京空港交通)

 地下鉄銀座駅C7出入口付近
  <マイタウンライナー> ちはら台駅行(学園前駅・おゆみ野駅経由)(平和)
  <マイタウンライナー> 大網駅行(土気駅経由)(平和)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <マイタウンライナー> 幕張ベイタウン・検見川浜駅・平和交通本社(宮野木)行(平和)
  <マイタウンライナー> 幕張ベイタウン・検見川浜駅・あすか交通本社(美浜区幸町2丁目)行(あすか)
   成田空港行(平和・あすか・JRバス関東)
   成田空港近隣ホテル行(平和)
  <深夜急行> 千代田団地入口行(新検見川駅・稲毛駅・都賀駅・四街道駅経由)(平和)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 山田インター入口行(鎌取駅・誉田駅・土気駅・大網駅経由)(平和)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 五井駅行(学園前駅・おゆみ野駅・ちはら台駅経由)(平和)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> JR成田駅行(四街道駅・JR佐倉駅・JR酒々井駅経由)(平和)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 印旛日本医大駅行(西船橋駅・新鎌ヶ谷駅・千葉ニュータウン中央駅・印西牧の原駅経由)(平和)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 勝田台駅行(谷津駅・津田沼駅・高根木戸駅・北習志野駅・船橋日大前駅・八千代緑が丘駅・八千代中央駅経由)(平和)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休

晴海通り天賞堂向い
 銀座
 関東バス・西東京バス
  <深夜中距離> 三鷹駅行(四谷三丁目・新宿駅・中野坂上駅・新中野駅・東高円寺駅・新高円寺駅・南阿佐ケ谷駅・荻窪駅経由)(関東)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 河辺駅北口行(拝島駅・牛浜駅・福生駅西口・羽村駅東口・小作駅東口経由)(西東京)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 恩方車庫行(西八王子駅・高尾駅北口経由)(西東京)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休

参考資料:Wikipedia(2016年6月5日)
現地取材:17.4.-4
記事投稿:
  調整:28.7.15/29.6.-5

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# by fbox12 | 2017-06-05 11:32 | 鉄道・バス

219 飯田橋駅 (JR東日本/東京メトロ/都営地下鉄)

いいだばし

概要:
飯田橋駅は、東京都千代田区・新宿区・文京区にまたがる、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)・東京都交通局(都営地下鉄)の駅である。3社の接続駅となっている。また東京メトロの東西線、南北線が交差する唯一の駅でもある。
JR東日本の駅に乗り入れている路線は中央本線であるが、当駅には緩行線を走る中央・総武線各駅停車のみが停車する。また、特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属しており、各路線ごとに駅番号が付けられている。

歴史:
当駅は、昭和3(1928)年に中央本線の複々線化に伴い、従来設置していた飯田町(いいだまち)驛の近距離電車ホームを分離し、牛込(うしごめ)驛を統合する形で開業した経緯がある。

明治27(1894)年10月9日 - 甲武鐵道 新宿 - 牛込間開通と同時に牛込驛開業
牛込驛は牛込橋(現 飯田橋駅西口に接する跨線橋)からわずかに四ツ谷寄りの位置にあった。出入口は2か所あり、ひとつは外堀通りに面した神楽坂下交差点のたもとで、牛込濠を埋め立てて作った連絡通路の遺構が残る。もうひとつは濠の反対側、旧飯田橋郵便局の向かいにあった。こちらには改札口の位置を左右から挟むようにして、石積みの構造物が残っている。

明治28(1895)年4月3日 - 飯田町 - 牛込間開通
明治37(1904)年8月21日 - 飯田町 - 中野間で電車の運行開始
明治39(1906)年10月1日 - 甲武鐵道の国有化により、牛込驛と飯田町驛は官設鉄道(当時は、逓信省鐵道作業局)の駅となる。
明治42(1909)年10月12日 - 線路名称制定により中央東線(明治44(1911)年から中央本線)の所属となる。
昭和3(1928)年11月15日 - 関東大震災復興により、貨客分離を目的とした複々線化工事が新宿 - 飯田町間で完成。これにより駅間が近い牛込驛と電車線の飯田町驛を統合し、飯田橋驛開業。当初は旅客営業のみだった。
昭和24(1949)年6月1日 - 日本国有鉄道発足
昭和39(1964)年12月23日 - 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)東西線の駅開業
昭和49(1974)年10月30日 - 営団地下鉄有楽町線の駅開業
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、中央本線の駅はJR東日本の駅となる。
平成3(1991)年3月 - 東西線駅改良工事に着手
平成8(1996)年3月26日 - 営団地下鉄南北線の駅開業
平成9(1997)年3月 - 東西線駅改良工事終了。総工費約57億3000万円
平成12(2000)年12月12日 - 都営地下鉄大江戸線の駅開業
平成13(2001)年11月18日 - JR東日本でICカード「Suica」の利用が可能となる。
平成16(2004)年4月1日 - 営団地下鉄民営化により、東西線・有楽町線・南北線の駅は東京地下鉄(東京メトロ)の駅となる。
平成19(2007)年3月18日 - 東京メトロ・東京都交通局でICカード「PASMO」の利用が可能となる。
平成23(2011)年7月15日 - 都営地下鉄大江戸線ホームにて、ホームドア設置に伴う準備工事開始
 10月 - 地下鉄有楽町線ホーム、ホームドア、発車メロディ稼働開始
平成24(2012)年7月1日 - 都営地下鉄大江戸線ホーム、ホームドア設置(非稼働)
平成24(2012)年8月11日 - 都営地下鉄大江戸線ホーム設置のホームドア稼働開始
平成27(2015)年3月29日 - 南北線駅構内に東京メトロお忘れ物総合取扱所開設(日比谷線上野駅構内からの移転)
 5月27日 - 東西線ホームに発車メロディ導入
平成28(2016)年8月7日 - JRの駅移設工事に伴い西口駅舎仮駅舎化

駅構造:
219-1 JR東日本
a0057057_21003780.png
所在地:東京都千代田区飯田橋四丁目10-2
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・中央・総武線(各駅停車)(正式には、中央本線)
電報略号/駅番号:イイ/JB16
キロ程:(東京起点)4.3km(国土交通省監修『鉄道要覧』では、起点は「神田」)

a0057057_15522349.png、西口側は橋上駅舎となっている。ホームが半径300メートルの急カーブに位置するため、ホームと電車の間には広い隙間ができる。そのため、乗降の際には注意を要する。車内アナウンスでも注意が促されるほか、警報のための回転灯など転落防止のための設備が多く設置されており、ホーム上のスピーカーの数も非常に多い。また、平成13(2001)年1月に山手線新大久保駅で乗客3人が列車の下敷きになり死亡した事故(新大久保駅乗客転落事故)を受けて、ホーム下部の一部に避難スペースが設置された。かつては市ケ谷方面に牛込驛があり、その跡地に千葉方面から折り返し運転をするための引き上げ線が設置されていた。現在、中央緩行線内で大幅なダイヤ乱れが発生した際、当駅に替わり東隣の水道橋駅の折り返し設備が活用されている。平成26(2014)年7月2日、JR東日本はホームを現西口を中心とした新宿方の直線区間へ約200m移設してホームと車両の隙間を解消させるとともに、西口駅舎の建て替えと駅前広場の整備を実施することを発表した。平成28(2016)年8月7日から仮駅舎での営業を開始し、牛込橋に面した旧西口は閉鎖されている。
(写真は、閉鎖された西口・・通路自体が牛込橋)

のりば:
1番線 中央・総武線(各駅停車)東行 御茶ノ水・秋葉原・千葉方面
2番線 中央・総武線(各駅停車)西行 四谷・新宿・三鷹方面

219-2 東京メトロ
a0057057_17024297.pnga0057057_22012692.png

所在地:東京都千代田区飯田橋四丁目10-3(東西線)
    東京都新宿区神楽坂一丁目13(有楽町線・南北線)
所属・路線:東京地下鉄株式会社・東西線/有楽町線/南北線
電報略号/駅番号:イイ/T06(東西線)・Y13(有楽町線)・N10(南北線)
キロ程:東西線(中野起点)8.0km・有楽町線(和光市起点)16.4km・南北線(目黒起点)10.0km

東西線は中柱のある相対式ホーム2面2線、有楽町線と南北線はともに島式ホーム1面2線を有する地下駅である。東西線のホームは目白通り、有楽町線と南北線のホームは外堀通り、それぞれの地下に設置されており、JRの駅を挟んで徒歩5分程の距離がある。そのため、東西線と有楽町線・南北線は改札が別になっており、乗り換えの際は一旦改札を出る必要があり、改札口付近で乗り換えに関する案内放送が流れている。東西線の駅は平成3(1991)年から平成9(1997)年にかけて駅改良工事により中野方約105mにわたってホーム幅を3.8mから7.5mとする拡幅が行われ、拡幅部の上部にコンコースを増設し、ホーム中ほどにも階段を新設して混雑緩和を図った。その際に新設された改札内通路の壁画は写真フィルムをあしらったものになっている。駅務管区所在駅であり、飯田橋駅務管区として飯田橋地域、九段下地域、高田馬場地域を管理する。有料座席指定列車「S-TRAIN」は平日ダイヤのみ有楽町線に入線し、当駅にも停車するが、当駅から東京メトロ線内のみの乗車はできない(乗車専用の石神井公園駅で乗車し、当駅で下車するのは可)。

のりば:
(地下2階)
1番線 東西線 西船橋・(総武線各停)津田沼・(東葉高速)東葉勝田台方面
2番線 東西線 高田馬場・(中央線各停)中野・三鷹方面

(地下3階)
3番線 有楽町線 永田町・有楽町・新木場方面
4番線 有楽町線 池袋・小竹向原(西武有楽町線経由西武池袋線)飯能方面
          和光市・(東武東上線)森林公園方面
5番線 南北線 王子・赤羽岩淵・(埼玉高速)浦和美園方面
6番線 南北線 四谷・白金高輪・目黒・(東急目黒線・東横線)日吉方面

219-3 東京都交通局
a0057057_22154620.png
所在地:東京都文京区後楽一丁目9-5
所属・路線:東京都交通局(都営地下鉄)大江戸線
電報略号(駅名略称)/駅番号:飯/E06
キロ程:(都庁前起点)5.8km

島式ホーム1面2線を有する地下駅。ホームは先に建設された東京メトロ各線を避けるため、地下32.1mと非常に深い位置にある。そのため、改札口からホームまでは徒歩で5分程度かかり、大変不便である。
当駅は都営地下鉄全体・大江戸線内では7番目に深い位置にホームがあり、当駅前後では高低差が激しくなる。車椅子の利用としては、東京メトロおよびJR中央緩行線と大江戸線間との相互の乗り換えは車椅子対応エスカレーターはあるものの、距離もあり時間もかかる。
駅業務は東京都営交通協力会に委託されている。

のりば:
1番線 大江戸線 新宿西口・都庁前・(都庁前のりかえ)光が丘方面
2番線 大江戸線 上野御徒町・両国・大門方面

大江戸線駅のデザイン:
平成12(2000)年に開業した大江戸線飯田橋駅は、変化に富んだデザインとなっている。建築家の渡辺誠が設計し、日本建築学会賞を受賞した。特に階段・エスカレーターの上の天井を走る「ウェブフレーム」と呼ばれる緑色の骨組は、構造的・空間的な条件を与えてコンピュータプログラムによる形態生成を行うという、半ば実験的な建築設計手法を具現化した作品である。そのウェブフレームには照明がはめ込まれている。この手法は九州新幹線新水俣駅前の「新水俣門」(同じく渡辺誠設計)にも用いられている。さらに、C3出入口にある換気塔は、葉っぱをデザインしたものであり、ウェブフレームと合わせて、植物が根を伸ばして花を咲かせるという画期的な設計となっている。

参考資料:Wikipedia(2017年5月28日)
現地取材:16.9.-3/17.4.24/25.8.-8
記事投稿:29.6.-3
  調整:29.6.-4

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# by fbox12 | 2017-06-04 17:06 | 鉄道・バス

220 首里駅(ゆいレール)

a0057057_21300497.png


a0057057_22190987.pnga0057057_22190904.png
しゅり

a0057057_11174871.png
所在地:沖縄県那覇市首里汀良町三丁目19
所属・路線:沖縄都市モノレール株式会社・沖縄都市モノレール線(ゆいレール)
駅番号:15
キロ程:(那覇空港起点)12.84km

概要:
現状で、ゆいレール終点の駅である。計画当時の仮称は「汀良(てら)駅」であった。
a0057057_11344456.pnga0057057_16065732.png当駅から石嶺地区を経由した沖縄自動車道インターチェンジまでの延長計画、および沖縄道より先の地域までの延伸計画が検討されており、建設当初より首里駅から先の車止めは石嶺地区に向かってカーブした形で行き止まりとなっている(左写真及びタイトル写真)。ホームは相対式となっているが、上り線を利用して暫定的に片面のみ使用している。
首里城まではバスで5分位かかる。


(入場券等の右側の黒い線は、自動改札機がQRコード読み取り仕様であり、偽造防止のためのもので、1日乗車券にも印刷される)。

歴史:
2003年(平成15年)8月10日 - 開業

駅構造:
a0057057_23041774.png相対式ホーム2面2線。うち、現在使われているのは2番線ホーム(写真:列車が停車中)のみで、1番線ホームは閉鎖されている。2番線ホームへのみエスカレーター・エレベーターがあり、1番線ホームへは現段階で階段のみとなっている。1番線は将来の延伸に備えて準備されており、エスカレーター・エレベーターや広告掲示、ホームドアの設置が可能な構造となっている。現在、平成31(2019)年春に開業を予定しているてだこ浦西駅までの延伸工事が進行しており、将来は中間駅となる予定。1番線は非常時の訓練などに使用されたことがある。

のりば:
1番線ホーム 閉鎖中
2番線ホーム 沖縄都市モノレール線 那覇空港方面

参考資料:Wikipedia(2017年3月27日)
現地取材:29.5.16
記事投稿:29.6.-4
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# by fbox12 | 2017-06-04 16:34 | 鉄道・バス

第佰貮 廣瀨神社 岐阜県高山市鎮座

a0057057_18031549.png
a0057057_21402280.pnga0057057_21422556.png
a0057057_21440932.png

ひろせじんじゃ

鎮座地:岐阜県高山市国府町広瀬町2604番地
祭神:天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
a0057057_22061201.pnga0057057_22073223.png由緒:
鴻の宮と呼ばれる当社は、往古の社殿はその興廃は詳らかでないが、往古「廣瀨神」又は、「廣瀨神社」と称したが、文禄(西暦1592-1595)慶長のころから「廣瀨神明」と改り、元禄五年七月、金森移封後は一円幕府の所領となった。同七年十月検地には二反一畝歩の除地を附せれた。以後は、単に「神明宮」と言った。「廣瀨神社」の旧称のあったことは、明治三年庚午九月「斐太後風土記」稿本に「廣瀨町村神明宮、元稱廣瀨神」と記せることでも明瞭であるが、明治三十一年十月二十九日願済復古して「廣瀨神社」と改めた。また、応永十八年九月、飛驒國司姉小路宰相人道尹綱、足利将軍に攻め滅ぼされたとき、社殿、僧院共兵火にかかって焼亡したことは「菩提院縁起」によって明らかである。後領主廣瀨氏により再興されたが、その年月は不詳である。永正十七年八月、廣瀨城主左近大夫將監利治が再建した棟札がある。以後興廃やや明瞭である。神社は乗鞍より峰続きにある。付近の山を「歩み山」と言い、山が段々延びて来るので、大塚(亀塚)を築くとピタリと止まったと言う。それで「止め塚」とも言った。止め塚は明治四年國府小学校の敷地の一部となり、昭和初期まで有ったが、校庭を拡張したので、現在は跡形もない。現在の祭神は天照大神になっているが、社記によれば天火明命が正当であるとされる。

この神社最寄の駅・バス停:
 JR高山本線 飛彈国府駅

現地参拝:28.8.31
記事投稿:29.5.31

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# by fbox12 | 2017-05-31 22:36 | 神社