fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

225 岩本駅(JR東日本)

a0057057_21412433.png
いわもとa0057057_21563176.png

所在地:群馬県沼田市岩本町173
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・上越線
電報略号/事務管コード:イモ/411208
キロ程:(高崎起点)36.3km

歴史:
a0057057_21440481.png大正13(1924)年3月31日 - 開業。
昭和60(1985)年8月10日 - 無人化(書類上の無人化は同年3月14日)。その後、特別改札で駅業務を継続。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道が承継。
平成16(2004)年5月1日 - 完全無人化。
平成21(2009)年3月14日 - Suica利用開始。
平成22(2010)年3月13日 - 新駅舎(現行)使用開始。

駅構造:
a0057057_22094971.png単式ホーム2面2線を有する地上駅。かつては駅舎の西側に接する形で単式ホーム1面1線、その西側に島式ホーム1面2線があり、あわせて2面3線を持つ構造であったが、島式ホームの駅舎側、真ん中に当たる一線が撤去されて、現在の構造となった。駅舎に近いホームに上野方面、遠いホームに長岡方面の列車が発着している。互いのホームは跨線橋で連絡している。なおホームは嵩上げされておらず、電車とホームの間の段差が大きくなる。かつては敷島駅(旧駅舎)、八木原駅、群馬総社駅とよく似た古い木造の駅舎があったが、平成24(2012)年に現在の駅舎に建て替えられた。旧駅舎は昭和57(1982)年、グリコセシルチョコレートのCMに使われたことがある(作中では「美里駅」の駅名)。沼田駅管理の無人駅。簡易自動券売機、簡易Suica改札機が駅舎内に設置されている。海抜はおよそ291m。(駅名標の足元に書かれている)。

のりば:
1番線(駅舎側)上越線 上り 渋川・高崎方面
3番線(反対側)上越線 下り 水上・長岡方面
*中線撤去後、案内上では上記の番線番号の表記がなくなっている。

バス路線:
岩本線 上野入口経由上野行き(上野入口にて渋川方面に接続)
 利根実業前、市役所前、国立病院前経由東下原団地行き
いずれも、沼田市バス(ジャンボタクシーで運転)の運行。土休日運休。

参考資料:Wikipedia「岩本駅」(2016年8月27日更新)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%9C%AC%E9%A7%85
現地取材:28.8.27/29.1.-5
記事投稿:29.7.-3

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# by fbox12 | 2017-07-03 22:28 | 鉄道・バス

1013 越知駅(バス停)(黒岩観光←JR四国バス)

a0057057_21412664.pngおち

所在地:高知県高岡郡越知町越知甲1736-7
所属:有限会社黒岩観光
乗入路線:
 桐見川線(坂折~龍王公園)
 高吾北落出線[佐川~狩山口](狩山口~佐川)
 高吾北落出線[佐川~落出](落出~佐川)
 黒岩線(役場前(佐川町)~越知)
 出来地線(坂折~宮ヶ奈路)

概要:
高知県高岡郡越知町は、安徳天皇が落ちのびたという伝説のあるところで、その中心部、国道33号線上にあるバス停留所。
乗入路線の「高吾北落出線(落出〜佐川)」は、旧JR四国バスの「松山高知急行線」の高知県側の名残であり、写真の場所は、以前バスターミナルだったところ。
その写真のバスターミナルの後に建てられたのが、越知町観光協会の「観光物産館 おち駅」で、平成22(2010)年4月4日にオープンした。
商店街で行われていた農産市を主体に、越知や周辺地域の特産品の販売も行っていて、越知町観光協会の事務局もここに移転し、越知の観光情報を発信する新たな発信地として機能している。


参考資料:越知町観光協会HP(http://www.ochi-kankou.jp/tourist/station/index.html)
現地取材:29.3.14
記事投稿:29.7.-2
  調整:29.7.-3

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# by fbox12 | 2017-07-02 22:22 | 鉄道・バス

第伍拾八 宝珠稲荷神社 東京都中央区鎮座

a0057057_08322048.pngほうじゅいなりじんじゃ

鎮座地:東京都中央区銀座三丁目14-15
御祭神:倉稲魂命

由緒:
宝珠稲荷神社は一六一五年の頃三河の国の深溝の領主板倉内膳匠重昌の江戸屋敷内に家内安全火除の神として祭神せられたるものなり
内膳匠重昌は京都所司代及江戸町奉行として今名高かりし板倉勝重の次男として一五八八年後陽成天皇の御代天正十三年の頃の生れである 重昌は武勇に富み敬神の念厚く大阪冬の陣島原の乱等に追討軍今として鎮台に務めたるも不幸にして島原に於て年令五〇才にして戦死したるものなり 
時の将軍は家光であり第一一〇代後光明天皇の御代である内膳匠の兄周防の守重宗は下總の国の関宿の城主なり 年経て一七六〇年宝暦年間岩見國津和野の城主亀井家に譲渡せられたるものなり
明治の維新に於ける亀井滋玄の功積は太鼓稲荷と共に有名なり 更に大七7年岡山の岡崎家に売却されたるも爾来本神社は敷地と共に地元木挽町三丁目氏子に寄進せられ一九五〇年地元氏子有志相計り隣接地を買収し社殿及社務所を建設して今日に至るものなり(境内掲示より)

東京銀座三丁目、歌舞伎座裏にある神社。歌舞伎座関係者の参拝も多い。

この神社最寄の駅・バス停:
 都営地下鉄 浅草線 / 東京メトロ 日比谷線 東銀座

現地参拝:
記事投稿:27.4.-7
  調整:29.6.19/29.6.20

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# by fbox12 | 2017-06-20 08:33 | 神社

第七拾四 阿須賀神社 和歌山県新宮市鎮座

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a0057057_21380510.pnga0057057_21460421.png
a0057057_22285510.pnga0057057_22285715.png
a0057057_22240319.pngあすかじんじゃ

所在地:和歌山県新宮市阿須賀1-25-25
主祭神:事解男命(ことさかおのみこと)
    熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)
    家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)
配神:事角見命(事角見神、たけつねのかみ)、黄泉津道守命(黄泉津道守神、よもつみちぬのかみ)
社格等:飛鳥社、旧 村社、熊野曼荼羅三十三ヶ所霊場 第23番
建築様式:本殿-木造銅板葺流造
     拝殿-木造銅板葺入母屋造

由緒:
a0057057_22285646.pnga0057057_22285752.png
阿須賀神社は、熊野川河口近くにある蓬莱山(本殿背後の山)と呼ばれる小丘陵の南麓に鎮座する。古くは飛鳥社とも称された。蓬莱山は南北100メートル、東西50メートル、標高48メートルの椀を伏せたような山容で、神奈備の典型とも言うべき姿をしている。熊野速玉大社伝の「新宮本社末社總目録」に上御備・下御備の祭祀遺跡が描かれているように、古くから信仰の対象となっていたと見られる。また、もともとは陸から離れた島であったともされる。
熊野の地において熊野権現はまず神倉神社に降臨し、それから61年後に阿須賀神社北側にある石淵(いわぶち)谷に勧請されて、その時に初めて結早玉家津美御子と称したと伝えられており、熊野権現の具体的な神名がはじめて現れた場所と見なされていたことが分かる(「熊野権現垂迹縁起」)。その他、境内からは弥生時代の遺跡が発掘されており(後述)、熊野における歴史と信仰の最も古い層に関わる地として重要である。a0057057_21531462.png社伝によれば孝昭天皇の代の創建と伝えられる。平安時代に熊野権現の本地が確立してからは、大威徳明王を本地仏として祀った。1109)年10月27日条に「参阿須賀王子奉幣」と記され、熊野九十九王子の王子社としての扱いを受けていたことが分かる。また、『平家物語』巻拾には平維盛が新宮で「明日社ふし拝み」と記され、阿須賀神社への参拝が一般的なことがらであったことが認められる。『紀伊続風土記』によれば、近世の阿須賀神社には、並宮・拝殿・御供所・鐘楼堂・四脚門・鳥居・社僧行所などがあったという。明治40(1907)年、熊野速玉大社の末社であった八咫烏社(建角美命)・宮戸社(黄泉津道守命)などを合祀した。

摂末社:
阿須賀稲荷神社
a0057057_22285620.pnga0057057_22285675.png
 建築様式:木造銅板瓦葺造


徐福之宮
a0057057_22285598.png 建築様式:石造


子安之社
a0057057_22285641.png










(タイトル写真の母子像は、左側燈籠の後ろに設置)


この神社最寄りの駅・バス停:
 JR紀勢本線 新宮駅から徒歩約10分


参考資料:Wikipedia「阿須賀神社」(最終更新2017年3月11日)
現地参拝:28.8.17
記事投稿:29.6.18

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# by fbox12 | 2017-06-18 16:27 | 神社

4-244 大仁郵便局 静岡県伊豆の国市

a0057057_14261786.jpgおおひと*

所在地:静岡県伊豆の国市大仁450-1-1
店番:23032
局種:小規模な集配直営局
集配担当区:三島(大仁)

概要:
(静岡)県道400号線沿いにある郵便局。
現在写真の「〒」看板下には飲料の自動販売機が設置されている。

最寄駅・バス停:
伊豆箱根鉄道駿豆線 大仁

預入記録:
a0057057_16271673.pnga0057057_16213012.png






整理番号:
 (仮)[公9]6-16
 286/[ゆ2]14-14
記事投稿:29.6.17

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# by fbox12 | 2017-06-17 16:51 | 郵便局・銀行

3-243 修善寺郵便局 静岡県伊豆市


a0057057_22314978.jpgしゅぜんじ*

所在地:静岡県伊豆市柏久保473-1
店番:23039
局種:小規模な集配直営局
集配担当区:三島(修善寺)
設置:
   昭和58(1983)年 移転
   平成10(1998)年7月1日 局種変更 普通→集配特定

概要:
現在は、修善寺駅から伊東へ向かう県道沿いにあるが、以前は、修善寺の温泉場にあった。現在地へ移転後の旧局舎は「修善寺駅前局」が移転した形で、「修善寺温泉局」に改称した。
移転当時、一旦集配特定局から普通局になったが、集配センター化される前、再び集配特定局に戻された。現在は、三島局傘下の小規模集配局。

最寄駅・バス停:
 伊豆箱根鉄道駿豆線 修善寺
 新東海バス/伊豆箱根バス 修善寺郵便局(停)

預入記録:
a0057057_21423425.png
a0057057_22005450.png
a0057057_22080842.png










整理番号:
 (仮)[省]
 (仮)[公9]6-19
 285/[ゆ2]14-13

記事投稿:29.6.-6
  調整:29.6.-9/29.6.17

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# by fbox12 | 2017-06-17 16:34 | 郵便局・銀行

101 辰野駅(JR東日本)

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a0057057_19132585.pnga0057057_19143641.png
たつの

a0057057_21292378.png所在地:長野県上伊那郡辰野町大字辰野1941
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・中央本線(辰野支線)
電報略号/事務管コード:タノ/510517
キロ程:(岡谷起点)9.5km
乗入路線:JR東日本・中央本線(辰野支線)
     JR東海・飯田線
     JR貨物(第二種鉄道事業者)

概要:
岡谷駅 - 塩尻駅間を結ぶ中央本線の支線を所属線とし、豊橋駅を起点・当駅を終点とする飯田線を加えた2つの鉄道路線が乗り入れる。かつては両線とも日本国有鉄道(国鉄)の路線であったが、昭和62(1987)年の国鉄分割民営化により中央本線支線はJR東日本、飯田線はJR東海の路線となり、また両線ともJR貨物が第二種鉄道事業者として貨物営業を行っている。旅客営業においては当駅がJR東日本・JR東海の境界駅となっている。駅舎・ホームなどは鉄道資産はJR東日本の所属であり、同社とJR東海との境界は飯田線の下り場内信号機である。
当駅は中央本線開通と同時、明治39(1906)年に開業した。その後、駅西方から伊那谷方面を結ぶ伊那電車軌道(後の伊那電氣鐵道)が開業し、大正15(1916)年には駅に直接乗り入れた。伊那電氣鐵道は昭和18(1943)年に国有化され、飯田線として国鉄の路線網に組み込まれた。
以降、中央本線と飯田線の乗換駅として栄えたが、昭和58(1983)年に辰野駅を通らない塩嶺トンネル経由の新線(みどり湖経由)が岡谷駅 - 塩尻駅間に開通し、中央本線のメインルートから外れ、定期特急の停車がなくなった(岡谷 - 塩尻間の営業キロは辰野経由で 27.7 km、みどり湖経由で 11.7 km である)。その後、昭和61(1986)年11月に急行「こまがね」、平成14(2002)年12月に夜行急行「アルプス」も廃止され、辰野駅を経由する中央本線の定期の優等列車は全廃された。
現在、かつての優等列車の代替として快速「みすず」のみが停車する。塩嶺トンネル開通後、特に分割民営化以降、飯田線列車は上下各1本が当駅発着である他は、全ての列車が岡谷・上諏訪方面へ直通する。塩尻方面へは当駅との間での区間運転が大半を占めているため、実質飯田線の中間駅かつ地元で辰野線と呼ばれる塩尻への旧線の起点駅のようになっている(注、松本・(篠ノ井線経由)長野方面と飯田線とを通して運行する列車は、快速「みすず」を含めみどり湖経由で運転され、辰野駅 - 塩尻駅間は、辰野支線を通らず岡谷駅でスイッチバックする運用となっている)。

歴史:
明治39(1906)年6月11日 - 官設鉄道(当時は、内閣鐵道院) 岡谷 - 塩尻間延伸と同時に開業。
明治42(1909)年10月12日 - 線路名称設定。中央東線の所属となる。
明治44(1911)年5月1日 - 線路名称が改定され、所属が中央東線から中央本線に変更。
大正5(1916)年11月23日 - 伊那電車軌道(大正8(1919)年に伊那電氣鐵道へ改称)が西町駅から延伸し当駅に乗り入れ。この区間の開業以前は西町驛が、伊那電車軌道の「辰野驛」を名乗っていた。
大正12(1923)年3月16日 - 伊那電氣鐵道の伊那松島 - 当駅間が、軌道から鉄道への移行のために新線へ切り替え。
昭和18(1943)年8月1日 - 伊那電氣鐵道が飯田線の一部として国有化され、国有鉄道単独駅となる。
昭和24(1949)年6月1日 - 日本国有鉄道に移管。
昭和58(1983)年6月15日 - 鉄筋2階建ての駅ビル新築。塩嶺トンネル供用による対価として駅舎の改良が行われた。
昭和59(1984)年1月15日 - 専用線発着を除く車扱貨物取扱廃止。
昭和61(1986)年11月1日 - 荷物取扱廃止。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、旅客営業はJR東日本(JR東海は乗入れ)、貨物営業はJR貨物が継承。
平成18(2006)年6月11日 - 開業100周年を記念し、記念行事開催。記念弁当も限定発売された。
平成26(2014)年4月1日 - 東京近郊区間に編入。ただし、Suicaは利用できない。

駅構造:
2面4線のホームを有する地上駅。改札口正面に1番線(下り副本線)があり単式ホームとなっているが、ホーム西側・1番線反対側に行止り式の0番線(飯田線専用)が設けられている。0番線は平成27(2015)年3月14日改正時点で、夜間滞泊を行う下り最終の当駅止まりと翌朝の折返し上り始発列車のみが使用している(注、飯田線は、豊橋が起点)。島式ホームの改札口側が2番線(下り本線)、その反対側が3番線(上り本線)となっている。3番線以降も9番線まであるが、いずれもホームはない。4・5番線は上り副本線で、主に貨物列車の着発線となっている。6 - 9番線は側線である。駅舎は構内南側にある。改札口左手に跨線橋があり、単式ホーム北側にある島式ホームと連絡している。JR東日本の直営駅(駅長配置)であり、管理駅として信濃川島駅・小野駅を管理している。駅舎内にはみどりの窓口(営業時間5:50 - 19:40)のほか、自動券売機が2台設置されている。自由席特急券を購入できるのは片方の券売機のみである。かつては、JR東日本区間とJR東海区間を区別する機能が付いていたが、現在この機能は廃止された。ちなみに、この機能が付いていたときは、東日本区間のボタンを押すと券面に「東日本会社線」と表示されていたのに対して、東海区間のボタンを押すと、券面に「宮木経由」と表示されていた。平成21(2009)年3月14日から、JR東海管内の在来線全駅のホームが終日禁煙となったが、当駅はJR東海管轄の飯田線が接続しているものの、前述の通り当駅はJR東日本の管轄のため対象外で、従来通り喫煙所が設けられている。

のりば:
a0057057_19444192.png0番線 飯田線宮木・伊那松島・伊那市方面(1日1本のみ)
0番線 飯田線 宮木・伊那松島・伊那市方面(1日1本のみ)1番線 中央本線 上り 川岸・岡谷方面(通常はこのホーム)    飯田線 宮木・伊那松島・伊那市方面(1日1本のみ)2番線 飯田線 宮木・伊那松島・伊那市方面(通常はこのホーム)(写真:停車中の天竜峡行き東海車)    中央本線 下り 信濃川島・小野・塩尻方面(岡谷方面からの直通含む一部列車)3番線 中央本線 下り 信濃川島・小野・塩尻方面(当駅始発のみ、通常はこのホーム)         上り 川岸・岡谷方面(当駅始発)平成25(2013)年3月時点で、岡谷方面の列車は飯田線からの直通と当駅始発のみで、定期での塩尻方面からの直通列車は存在しない。

貨物取扱・専用線:
JR貨物の駅は専用線発着の車扱貨物の取扱駅となっているが、平成21(2009)年3月14日のダイヤ改正以降、貨物列車の発着がなくなっている。
平成21(2009)年3月までは、駅南側の豊島屋辰野油槽所専用線向けの根岸駅からの灯油やガソリンの到着があった。また、平成8(1996)年3月まで、駅西側にあったJA東日本くみあい飼料辰野工場(平成15(2003)年閉鎖)へ続く専用線もあった。この路線は、知多駅発送の穀物を取り扱っていた。

路線バス:
辰野町営バス(川島線:辰野駅前)

a0057057_19482952.pngテレビにも出た駅前商店街にあるレトロな喫茶店

現地取材:19.9.10
参考資料:Wikipedia「辰野駅」(最終更新 2017年5月9日)
記事投稿:29.6.11
  調整:29.6.16/29.6.17

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# by fbox12 | 2017-06-17 14:02 | 鉄道・バス