fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

214 近鉄奈良駅 (近鉄)

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a0057057_22211389.pngきんてつなら
所在地:奈良県奈良市東向中町29
所属・路線:近畿日本鉄道株式会社・奈良線
電報略号/駅番号:ナラ/A28

概要:
大正3(1914)年4月30日に開業したが、奈良市街地への乗り入れに係る協議が難航していたため、当初は奈良市高天(たかま)町に仮駅として設けられていた。同年7月8日に当初の計画通り奈良市東向中町まで延伸し駅が移転した。開業以来地上駅で、駅へは併用軌道で乗り入れていたが、併用軌道により奈良線の高速化は妨げられ、さらにモータリゼーションが進展すると当駅付近で自動車の渋滞が頻発していたことから、大阪万博の開催を控えた昭和43(1968)年より奈良市内の都市計画事業の一環として地下化が実施された。駅は地下へ移設され昭和44(1969)年12月9日に開業し、旧駅の跡地には翌年3月11日に駅ビルとして奈良近鉄ビルが開業した。
JR西日本の奈良駅に比べて奈良市中心寄りに位置し、付近には娯楽施設、商業施設や各金融機関の奈良支店が集まり、それらに足を運ぶ地元住民が多く、乗降客数はJR駅より多い。
平日の主な利用客は奈良交通バスを通じて市内東南部や京都府木津川市(旧 加茂町方面)までの広範囲から集まる通勤・通学客であり、大阪圏有数のベッドタウン駅である。また奈良県・国の出先機関など官公庁への利用客もある。
南側は県都・奈良の顔として、ショッピングなどの娯楽施設の密集地、南都銀行など県内企業の本支店も多い。駅を西に出ると小西通り、東に出ると東向通り。どちらも南下すると、東西に走る奈良市街の目抜き通り、三条通りに至る(駅が面しているのは登大路・大宮通り)。
東側は古い社寺を含む観光名所、奈良公園は東へ坂を上がる。奈良県官庁街もこの方向である。
三条通りを東に向かえば猿沢池、三条通りから更に南に向かうとならまちと呼ばれる古い町並みが続く。
北側は古くからの市街地であり、奈良きたまち散策スポット(まちかど博物館)として脚光を浴びつつある。奈良女子大学はこの域内に位置する。

歴史:
大正3(1914)年4月30日 - 大阪電氣軌道上本町 - 当駅間開業と共に奈良驛として仮駅で開業。位置は現在の高天交差点付近
 7月8日 - 仮駅から本駅へ移転(現在の大宮通西行車線と駅ビル北側部分の地上区画に存在。当時の大宮通は近鉄奈良驛より西側は現東行車線のみ、同駅より東側は現西行車線のみの幅員であった)。
昭和3(1928)年8月 - 大軌奈良驛に改称
昭和5(1930)年2月 - 降車ホームを上本町寄り本線上に設置。乗降分離実施
昭和16(1941)年3月15日 - 関西急行鐵道発足(大阪電氣軌道と參宮急行電鐵が合併)。関急奈良驛に改称
昭和19(1944)年6月1日 - 近畿日本鐵道発足(関西急行鐵道と南海鐵道が合併。ただし南海線は後に再分離)。近畿日本奈良驛に改称
昭和43(1968)年2月3日 - 油阪 - 当駅間の地下線建設工事着工
昭和44(1969)年12月9日 - 地下化
昭和45(1970)年3月1日 - 近鉄奈良駅に改称
 3月11日 - 奈良近鉄ビルがオープン、ビル内に奈良ホテル別館が開業
昭和63(1988)年3月18日 - 1・2番線の延長工事が完成した(同年1月)ため、当駅発着列車の10両運転を本格開始
平成3(1991)年6月30日 - 駅ビル内の奈良ホテル別館閉館
平成19(2007)年4月1日 - PiTaPa使用開始

駅構造:
櫛形ホーム4面4線の、奈良県内では唯一の地下駅。改札口は東西双方に設けられている。コンコースは広く、修学旅行生の集合場所に使われることもある。近年はそのスペースを利用して、近鉄の奈良駅営業所(旅客案内窓口)、奈良市の酒造会社・奈良豊澤酒造が運営する立ち飲み処「蔵元 豊祝」、イタリアンカフェの「カフェ チャオプレッソ」(運営は近鉄リテーリング)、ドラッグストアのマツモトキヨシなどの店舗が設けられている。
大正3(1914)年の大阪電氣軌道開業以来、翌年の日本万国博覧会開催を控えて実施された昭和44(1969)年12月の地下線切り替えまでは併用軌道の終端に位置する地上駅であり、現在のバスターミナルに相当する区画を中心に、櫛桁式配置のプラットホームや駅舎などが設置されていた。
駅ビルである奈良近鉄ビルは平成21(2009)年に全面改装され、特に1階周辺やビル全体の外観が大きく変わった。1階には、奈良市観光協会が運営する「近鉄奈良駅総合観光案内所」がある。階上には、近鉄観光グループの中国料理店「百楽」、イタリアンレストランチェーン「サイゼリヤ」、日本赤十字社の献血ルームなどが入居している。
駅ビルには当初、大口テナントとして6階から8階に奈良ホテル別館が入居していたが、採算性の問題から平成3(1991)年6月に撤退した。また3・4階に歴史・観光の展示館「なら奈良館」(旧 奈良歴史教室)があったが、奈良市の事業仕分けで「不要」と判定され、平成23(2011)年3月で閉館した。
平成28(2016)年10月20日、同年11月の春日大社式年造替に向けてリニューアル工事を進めていた地下1階コンコースの供用を開始した。「古都奈良の自然と歴史」をデザインコンセプトに定め、シルクロードの終着点として栄えた奈良の歴史と、若草山や奈良公園などの自然をデザインモチーフとして取り入れた。コンコースのリニューアル工事に合わせて案内サインも更新された。また、地下1階コンコースのリニューアルオープンにともない、5店舗のみだった駅ナカショッピングモール「Time's Place 奈良」も、駅構内の14店舗すべてに拡大し、同年10月21日にリニューアルオープンした。
駅長が置かれ、当駅と新大宮駅を管理している。

のりば:
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 A 奈良線 大和西大寺・大阪上本町・大阪難波方面、阪神なんば線・本線 尼崎・神戸三宮方面 
 B 京都線直通 京都方面、京都市営地下鉄烏丸線 京都国際会館方面

 降車ホーム
(1番線)
 1番ホーム  
(2番線)
 2番ホーム
 降車ホーム  
(3番線)
 降車ホーム 
 3番ホーム(上右写真左側)
(4番線)
 4番ホーム(上左写真)
ホーム有効長は1・2番線が10両、3番線が8両、4番線が6両。
特急列車は3・4番線から、大阪方面の快速急行・急行は1・2番線から出ることが多いが、必ずしも固定されているわけではない。また、京都方面の急行に至っては平日と土休日で発着番線が大きく変わる。
1・2・3番線には降車ホームがあるが、4番線のみ設けられていない。
自動改札機は東芝製のものが設置されている。全てPiTaPa・ICOCAに対応。このうち、色が赤いもの (EG-2000) は出場時2枚一括処理に対応している。
定期券・特急券ともに自動発売機、駅窓口で即時購入が可能。近鉄の主な駅で発売される硬券入場券の発売駅である。

バス:
奈良交通一般路線
市内完結系統では均一前払い制、郊外直通系統では整理券方式後払い制が採用されている。そのため同じ行先でも乗車方式が異なる場合がある。(平成27(2015)年7月16日現在の状況)

左から系統番号 (経由地) 行先・・備考
1番のりば(市内循環外回り・奈良公園・東大寺・春日大社・高畑町方面)
 2・深夜2 (東大寺大仏殿春日大社前→高畑町→紀寺町→JR奈良駅方面) 【N-3】市内循環・外回り
 6    (東大寺大仏殿春日大社前→高畑町→紀寺町→近鉄奈良駅方面)中循環・外回り・・午前中・外回りのみ運行
 15・72・87・129・160 (東大寺大仏殿春日大社前) 高畑町
 70・97・98 (東大寺大仏殿) 春日大社本殿
 ぐるっとバス (東大寺→若草山麓→春日大社→ならまち方面) 【R13】奈良公園ルート・・土曜休日および観光シーズン運行
2番のりば(般若寺・奈良阪・青山住宅方面)
 27・81・118・深夜118 (今小路・般若寺) 青山住宅
3番のりば(元興寺・下山・天理方面)
 51  下山
 53 (下山) 窪之庄
 73 (下山・櫟本) シャープ総合開発センター
 44 (下山・添上高校) 天理駅・・平日のみ運行
 50 (下山・櫟本) 天理駅
 82 (下山・櫟本・憩の家病院) 天理駅
 92 (下山・櫟本・憩の家外来棟) 天理駅・・休日運休
 192 (下山・奈良東病院・憩の家外来棟) 天理駅・・休日運休
 250 (下山・奈良東病院) 天理駅・・休日のみ運行
4番のりば(広岡・柳生・月ヶ瀬/山村町・藤原台/下水間方面)
 77  緑ヶ丘浄水場
 96 (緑ヶ丘浄水場・須川) 下狭川
 105 (緑ヶ丘浄水場・須川・下狭川) 広岡
 106 (緑ヶ丘浄水場・須川・奈良市東部出張所・下狭川) 広岡
 100 (緑ヶ丘浄水場・忍辱山) 柳生
 102 (緑ヶ丘浄水場・忍辱山・柳生) 邑地中村
 94 (緑ヶ丘浄水場・忍辱山・柳生・邑地中村・梅の郷月ヶ瀬温泉) 石打
 55 (萩ヶ丘町) 奈良佐保短期大学・・学校開校日のみ運行
 61 (萩ヶ丘町・奈良佐保短期大学) 鹿野園町
 57 (萩ヶ丘町) 藤原台
 59 (萩ヶ丘町・奈良佐保短期大学) 藤原台・・平日のみ運行
 56 (萩ヶ丘町) 山村町
 58 (萩ヶ丘町・奈良佐保短期大学) 山村町・・平日のみ運行
 62 (萩ヶ丘町・藤原台) 山村町
 123 (白毫寺) 奈良春日病院・・休日運休
 122 (白毫寺・奈良春日病院) 下水間
 124 (白毫寺・奈良春日病院・下水間) 北野・・一部は日笠で大平尾行きに連絡
8番のりば(西の京・郡山・法隆寺方面)
 23 (JR奈良駅・三条桧町) 済生会奈良病院
 22 (JR奈良駅・三条桧町・済生会奈良病院) 県立図書情報館
 63・70・72 (JR奈良駅・唐招提寺・薬師寺・西ノ京駅) 六条山
 88 (JR奈良駅) 近鉄郡山駅
 52 (JR奈良駅・近鉄郡山駅・小泉) 法隆寺前 【E-6】奈良西の京斑鳩回遊ライン
 97 (JR奈良駅・薬師寺駐車場・近鉄郡山駅・郡山総合庁舎・法起寺) 法隆寺前 【E-6】奈良西の京斑鳩回遊ライン・・平日運行
    (JR奈良駅・薬師寺駐車場・近鉄郡山駅・法起寺) 法隆寺前 【E-6】奈良西の京斑鳩回遊ライン・・土曜休日運行
 77・94・95・96・100・102・105・106・118・153 (油阪船橋商店街・大宮町一丁目) JR奈良駅西口
 81 (JR奈良駅西口) 大安寺
 ぐるっとバス (JR奈良駅西口→法華寺・海龍王寺→大極殿→朱雀門方面) 【B2】平城宮跡ルート・・土曜休日および観光シーズン運行
9番のりば(市内循環内回り・JR奈良駅方面)
 1 (JR奈良駅→大森町→紀寺町→高畑町方面) 【N-3】市内循環・内回り
 7・50・51・53・55・56・57・59・61・62・73・82・124・182・192 (油阪船橋商店街) JR奈良駅
10番のりば(大宮通り・奈良市庁方面)
 27 (JR奈良駅西口・奈良市庁前) 二条大路南一丁目
 28 (JR奈良駅西口・奈良市庁前・柏木町) 恋の窪町
11番のりば(大宮通り・奈良市庁・阪奈道路/三条通り・尼ヶ辻駅方面)
 43 (JR奈良駅・尼ヶ辻駅) 県総合医療センター・・休日運休
 48 (JR奈良駅・尼ヶ辻駅・東坂) 学園前駅
 75 (奈良市庁前・柏木町) 国道横田・・土曜日のみ運行
 160・161 (JR奈良駅西口・奈良市庁・阪奈菅原) 学園前駅
12番のりば(大安寺方面)
 85 (JR奈良駅・大安寺・西九条町) 杏南町
 86 (JR奈良駅・大安寺・西九条町・杏南町) イオンモール大和郡山
 79・87・90・深夜79 (JR奈良駅・大安寺・永井町) シャープ前
 135・136 (JR奈良駅・大安寺・永井町・シャープ前) 白土町
13番のりば(浄瑠璃寺・加茂駅/高の原駅/航空自衛隊・西大寺駅方面)
 12 (法華寺・平城宮跡) 西大寺駅
 14 (法華寺・航空自衛隊・平城宮跡) 西大寺駅 
 13・15・131 (法華寺) 航空自衛隊
 108 (鴻池・木津南ソレイユ・梅美台二丁目) 南加茂台五丁目
 208 (鴻池・木津南ソレイユ・梅美台五丁目) 南加茂台五丁目
 109 (鴻池・木津南ソレイユ・梅美台二丁目・南加茂台五丁目) 加茂駅
 209 (鴻池・木津南ソレイユ・梅美台五丁目・南加茂台五丁目) 加茂駅
 急行112 (木津南ソレイユ・西小) 浄瑠璃寺・・急行運転
 115 (鴻池・佐保台三丁目・朱雀六丁目) 高の原駅
 130 (鴻池・佐保台三丁目) 平城山駅東口
14番のりば(JR奈良駅方面)
 12・13・14・108・109・115・130・156・208・209 (油阪船橋商店街・大宮町一丁目) JR奈良駅西口
 急行112 (途中停留所には停車しない) JR奈良駅西口
 16・19 (JR奈良駅・大安寺・八条町一丁目) 杏中町
21番のりば(州見台方面)
 153・154 (般若寺・奈良阪・木津南ソレイユ) 州見台八丁目

高速バス・空港バス:
駅前中筋町交差点脇にある奈良ラインハウスビルが高速バス待合所および定期観光バス案内所となっており、高速バスは奈良ラインハウスビルの付近にある20番のりばから発車する。(【 】内は運行会社)
12番のりば
 リムジンバス 大阪国際空港【奈良交通・大阪空港交通】
20番のりば
 奈良新宿線 (新宿高速バスターミナル) 京王プラザホテル【奈良交通・関東バス】
 奈良千葉線 (本厚木駅・横浜駅(YCAT)・京成上野駅・TDR) 海浜幕張駅【奈良交通・京成バス】
 奈良名古屋線 名古屋駅【奈良交通・名鉄バス名古屋中央営業所】
 リムジンバス 関西国際空港【奈良交通・関西空港交通】

かつては、近鉄バスや京阪バス、奈良交通が京都駅、近鉄バスが大阪梅田まで運行していた事もあった。現在近鉄バスは奈良県から撤退している。高速ではやまと号の福岡、埼玉方面の運行から撤退した。また、神奈川も千葉系統と統合している(五位堂から神奈中の運行もあった)。

参考資料:Wikipedia(2016年11月4日)
記事:
 取材:27.3.-7/28.8.16
 投稿:29.4.30
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# by fbox12 | 2017-04-30 23:18 | 鉄道・バス

東海自動車回数乗車券(20円券)

a0057057_22461352.png東海バス(東海自動車株式会社:本社 静岡県伊東市)グループの各バス会社では、平成29年4月現在、ICカード等の導入がされていないため、回数乗車券(以下、回数券)が売られている。

回数券は金額式のもので、窓口で発売されるものは、
 11枚綴り(10枚分の金額)
 13枚綴り(10枚分の金額だが、使用可能な時間が限られる)
 35枚綴り(30枚分の金額)があり、これまで短冊状(11・13枚)・冊子状(35枚)のあらかじめ印刷されたもの(鉄道でいう「常備券」)であったが、この形のものの新規補充は既にされておらず、販売時、その場で金額(・枚数)を打ち込みプリントアウトしたものに移行しつつある。
旧来のものは、20円から300円までほぼ10円刻みで、最高は500円のものまであった(発売箇所単位で、需要のある金額のみ置いてあり、すべての種類を置いていたわけではない)。
またこのほかに、車内で運転手により発売されるものがあり、金額は、
 1,000円、2,000円の2種類がある(発売は、どちらか一方)。
(ちなみに、印刷発行機によるものは、金額にある程度自由度が広がったため、「10円」などの、これまでになかった金額のものも発売できるようになった)。

記事:
 投稿:22.7.20
 調整:29.4.28/29.4.29/29.5.-4

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# by fbox12 | 2017-04-28 22:38 | コレクション

第拾九 三嶋大社 静岡県三島市鎮座

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a0057057_2192495.jpg鎮座地:静岡県三島市大宮町二丁目1-5
御祭神:三嶋大明神(大山祇命、積羽八重事代主神)
社格等:式内社(名神大)、伊豆國一宮、伊豆國総社、旧官幣大社、神社本庁別表神社
社殿:本殿を流造とする総欅素木造複合社殿

a0057057_22122841.png静岡県東部の伊豆半島基部、三島市の中心部に鎮座する。境内は交通上の要衝に位置し、大鳥居前を東西に旧東海道、南に旧下田街道(現在、車両は南側から大社側へ一方通行)が走る。当地は伊豆國の中心部として国府のあった地で、古代には「國府(こう)」と称された。そして三嶋神が国府に祀られたのち、13世紀末頃から大社にちなんで地名も「三嶋」と呼ぶようになったとされる。
平安時代の『和名類聚抄』では伊豆國賀茂郡に「三嶋郷(みしまごう)」の記載が見える。

三嶋大社自身は創建時期、由緒ともに不明としているが、社名の「三嶋」とは伊豆大島や三宅島を含む伊豆諸島に対する尊称「御島(みしま)」に由来するとされる。主祭神は伊豆諸島の開拓神である。当社は、古代には伊豆諸島の噴火を畏れた人々から篤く崇敬された。中世に入ると、伊豆國の一宮とし*多くの武家からの崇敬を集めた。近世以降は三島が東海道の宿場町として発達したことに伴い、東海道を往来する庶民からも篤く信仰された神社である。
社は戦前「三島神社」と称したが、戦後は「三嶋大社」を称している。史料には次の呼称が見える。

 三島大社/三嶋大社 (『続日本後紀』)
 伊豆三島神社/伊豆三嶋神社 (『延喜式』神名帳)
 三島社/三嶋社 (『吾妻鏡』、北畠顕家文書、北条氏綱文書)
 三島宮/三嶋宮 (矢田部家文書等)

*「頼朝が三嶋大社を崇敬した。」「旗挙げを祈願した。」という由緒には、後世において書き加えられた感があり、筆者は否定的な意見を持つ(その理由については別の機会で記す)。
また余談ではあるが、頼朝のそばに居た藤九郎を「安達盛長・・」という標記をする文書があるが、藤九郎が安達姓を名乗ったのは、鎌倉の御家人を辞してからで、御家人となっても藤九郎盛長と呼ばれていた。

祭神について:
三嶋大社の祭神に関しては、古くは大山祇命祭神説・事代主神祭神説が存在した。
大山祇命説は、鎌倉時代の『東関紀行』に始まって『源平盛衰記』『釈日本紀』『二十一社記』『日本書紀纂疏』等の諸史料に見える説である。三嶋神が伊豫國一宮の大山祇神社(大三島神)に由来するという伝説に基づき、事代主神説が唱えられるまでは広く定着していた。
一方事代主神説は、江戸時代後期の平田篤胤の『古史伝』での主張に始まる説である。室町時代の『二十二社本縁』に「都波八重事代主神(中略)伊豆賀茂郡坐三島神、伊予国坐三島神同体坐云」とある記載に基づく。
江戸時代までの祭神は大山祇命とされていたが、幕末に篤胤の事代主神説が国学者の支持を得たため、明治6(1873)年に事代主神に改められた。その後大正期に入って大山祇命説が再浮上したため、どちらも本地に関わりが深いということから二柱説が昭和27(1952)年に制定されて現在に至っている。
近年の研究では、三嶋神は「御島神」すなわち伊豆諸島の神を意味するとして、上記2説とも後世の付会とする見方が有力視される。この中で、噴火の盛んな伊豆諸島で原始的な造島神・航海神として祀られたのが「ミシマ神」の始まりであるという。そして「ミシマ」の音から、後世に他の神に結び付けられたともいう。

社史:
創建
上記のとおり、創建は不詳とされる。後述のように『延喜式』神名帳には伊豆国賀茂郡(伊豆半島南部・伊豆諸島)の所在と記載され、現在地(当時は田方郡・・引用 Wikipedia 記載:筆者?)と相違することから、遷座説・郡名誤記説等の諸説が提唱されている。文献上で現在地の鎮座が確実なのは、『吾妻鏡』治承4(1180)年の記事からである。
現在通説として知られるのは、初め賀茂郡三島郷(郡名誤記説では伊豆諸島という説)、のち賀茂郡大社郷白浜(伊古奈比咩命神社付近か)、さらに田方郡小河郷の伊豆国府(現社地・・大仁田京国府説あり)へと遷座(一説に勧請)したとする説である。一方の郡名誤記説では、『延喜式』の記載を疑い、太古より当地に鎮座とする。以上のほか、「三嶋」の神名から伊豫國一宮の大山祇神社(大三島神)との関係を想定する説もある。

平安時代
史料の初見は天平宝字2(758)年で、その後国史では天長9(832)年の記事で、神異により三嶋神・伊古奈比咩命神(伊古奈比咩命神社)を名神となし、地2,000町に「神宮二院・池三処」を作ったという。同記事の3日前の記事では、日照りの原因が「*伊豆国神」の祟りであると記されているが、この「伊豆国神」は三嶋神・伊古奈比咩命神と同一神であるとも考えられる。
『続日本後紀』の記事よると、承和5(838)年7月5日夜に上津島(神津島)で激しい噴火が発生した。占いの結果、それは三嶋神の後后が位階(神階)を賜ったにも関わらず、本后たる阿波神(阿波咩命;阿波命神社)には沙汰がないことに対する怒りによるものだと見なされた。同記事では「後后」に関する具体的な言及はないが、これは伊古奈比咩命を指すとされる。この記事を受けて約一ヶ月後には、阿波咩命と物忌奈命(阿波神の御子神;物忌奈命神社)の神階が無位から従五位下に昇った。
その後、当社には嘉祥3(850)年に従五位上の神階が授けられたのち、仁寿2(852)年に従四位下、貞観元(859)年に従四位上、貞観6(864)年に正四位下、貞観10(868)年に従三位が授けられた。
延長5(927)年成立の『延喜式』神名帳では、伊豆國賀茂郡に「伊豆三島神社 名神大 月次新嘗」として、名神大社に列するとともに月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。また、『延喜式』主税寮によれば、当社には「三島神料」として2,000束が下されていた。
承平年間(931年-938年)頃の『和名類聚抄』では伊豆国賀茂郡に「大社郷(おおやしろごう)」の地名が見えるが、これは伊豆三島神社・伊古奈比咩命神社に基づく郷名とされる。

*「伊豆国神」・・引用先の Wikipedia の記載であるが、筆者は、これを三嶋大社北遷前の地主神と考える。
下記若宮八幡の昔話のように、三嶋大社の北遷説が実際にあったとすれば、それに絡む形で排除されたものがあり、現在地に三嶋大社が存在する理由を定義するものであるが、決してそれが温和な方法でなかったことの表れではないだろうか。


現社殿は、嘉永7(1854)年11月4日の東海地震で罹災し、時の神主*矢田部盛治の指揮のもと、全国にて再建のための勧進を行い、慶応2(1866)年9月9日に本殿、幣殿、拝殿の完成を見た。その他境内主要建造物は、明治元(1868)年にかけて随時落成した。
社殿彫刻は、当代の名工小沢半兵衛・小沢希道親子とその門弟のほか、後藤芳冶良らによるもの。社殿彫刻としては高い完成度と美術的価値をもつ。平成12(2000)年に重要文化財指定を受けた。

*矢田部盛治(やたべもりはる):江戸時代末から明治時代はじめの三嶋大社神主(宮司)。社殿再興の他、大場川の治水工事、祇園原水路の開削など三島地域の開発に尽力した人物。境内には熱海市生まれの彫刻家澤田晴廣(:三嶋大社ホームページ、「政廣」の誤り)制作による盛治の銅像がある。

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左:現総門
右:旧総門
(現芸能殿)

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左:神門
右:舞殿

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左:手水舎
右:神馬舎


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昭和9(1934)年5月1日、文部省告示第181号により、文部大臣から国の天然記念物の指定を受けた。
学名は薄黄木犀(うすきもくせい)。薄い黄色の花をつけ、甘い芳香が特徴。


a0057057_19344499.jpg三島の昔話:
現在の三嶋大社は、平安中期以降に田方郡の国府近くに新宮として分祀されたとされる。現在地には元々若宮八幡があったが、三島明神が若宮八幡に「藁一把分の土地を譲ってくれ」と言い、若宮八幡がそれくらいならと了承すると、三島明神は藁の束を解いて輪にし、若宮八幡の広大な敷地を囲んで占有してしまったという伝承がある。現在、若宮八幡は三島市西若町にあるが、そのために三嶋大社に背を向けて建ったという(現在は三嶋大社の末社であり、向きは大社と同じ南向き、また、大社境内にも同名の摂社がある)。

摂社、末社
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# by fbox12 | 2017-04-25 23:01 | 神社

メガビタンファインゼロ

a0057057_2139031.pngミニチュアボトルコレクション1017

販売名:メガビタンファインゼロ
品名:指定医薬部外品
原材料:チアミン硝化物(ビタミンB1)・リポフラビン酸エステルナトリウム(ビタミンB2)・ピリドキシン塩酸塩(ビタミンB6)・ニコチン酸アミド・無水カフェイン・カルニチン塩化物他添加物
容量:100ml
製造販売元:日本薬剤株式会社(富山県富山市東中町一丁目1番1号)

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# by fbox12 | 2017-04-22 21:47 | コレクション

212 飛彈古川駅(JR東海)

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ひだふるかわ

注、「飛驒」の「だ」の字はつくりが口2つのものが正式な表記であるが、OSの仕様等によって「騨」(同じく、「だ」の字がツになっているもの)と表示される場合がある。

所在地:岐阜県飛驒市古川町金森町
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・高山本線
電報略号/事務管コード:ヒフ/530429
キロ程:(岐阜起点)151.3km

概要:
観光の街、飛驒市の代表駅である。また、JR東海の自社管理有人駅では最北端になる。
特急「(ワイドビュー)ひだ」の一往復が当駅で折り返す。また、かつての急行「たかやま」の終着駅であった。
平成16(2004)年の台風被害・線路流失の影響により、特急「(ワイドビュー)ひだ」は当駅 - 富山間の運行を取りやめ、すべて当駅止まりで高山・名古屋方面へ折り返していたが、平成19(2007)年9月8日に角川 - 猪谷間が復旧し、再び富山行きの列車が設定された。毎年4月に起し太鼓などの古川祭が行われる際には夜間に臨時列車が運転される。
平成28(2016)年8月公開のアニメ映画『君の名は。』内でこの駅が描かれており(列車設定などはは架空のもの)、「聖地巡礼」の観光客が急増している。

歴史:
昭和9(1934)年10月25日 - 高山本線の飛驒小坂 - 坂上間開通と同時に開業。旅客及び貨物取扱開始
昭和59(1984)年1月10日 - 貨物取扱廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる。

駅構造:
a0057057_22224255.png単式ホーム1面1線(写真右側列車が入線中)、島式ホーム1面2線(同左側)、計2面3線のホームを持つ地上駅。大半の列車は駅舎側の1番線に発着する。互いのホームは跨線橋で連絡している(写真)。
駅長配置駅(直営駅)である。みどりの窓口設置駅。自動券売機が設置されている。自動改札機やエレベーターは設置されていない。高山駅同様、改札は列車ごとに行われる。かつてはキヨスクが設置されていたが平成24(2012)年12月で廃止された。現在は駅長と一般社員のみの勤務で助役の配置はない。改札と窓口は1人の職員が担当している。



のりば:
1番線 高山線 下り 富山方面(特急含む)
     上り 高山・下呂方面
2・3番線 高山線 上り高山・下呂方面(普通列車の一部)
高山方面からの列車の折り返しは原則として1番線で行われる。平成22(2010)年3月改正ダイヤでは、2・3番線は行き違いを行う上り列車が使用する程度。

参考資料:Wikipedia(2017年4月3日)/日本国有鉄道停車場一覧
記事:
 取材:28.8.20
 投稿:29.4.19
 調整:29.4.20/29.4.21/29.4.22/29.4.25

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# by fbox12 | 2017-04-22 21:12 | 鉄道・バス

213 中部天竜駅(JR東海)

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ちゅうぶてんりゅう
所在地:浜松市天竜区佐久間町半場15-3
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・飯田線
電報略号/事務管コード:チウ/521732

概要:
飯田線の要所となる駅であり、飯田線の静岡県内にある駅では唯一の有人駅である。
普通列車は朝を中心に当駅始発の列車が数多く設定されており、特急「伊那路」、快速列車も停車する。かつて運転されていた臨時列車「トロッコファミリー号」の終着駅でもあった。また、二俣線遠江二俣駅(現 天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線天竜二俣駅)から乗り入れる「佐久間線」(未成線)の終点に予定されていた。
かつては駅構内に鉄道車両を展示する「佐久間レールパーク」が併設されていたが、平成21(2009)年に閉園した。
平成24(2012)年3月17日より、当駅以南(豊橋方面)を走る一部の列車がワンマン化された。ただし当駅以北(飯田方面)へ直通する列車は当駅から車掌が乗務することもある。

歴史:
駅名は、天竜川を挟んだ対岸の地名、中部(なかっぺ)に由来し、現在でも浜松市天竜区佐久間町中部(なかべ)と言う読みで地名が残っている。当初は「なかっぺてんりゅう」という読みであったが途中で現在の読みに変更されている。
昭和9(1934)年11月11日 - 三信鐵道が三信三輪驛(現 東栄駅)から延伸した際の終着駅である佐久間驛(さくまえき、初代)として開業。旅客と貨物をともに扱う一般駅であった。
昭和10(1935)年5月24日 - 中部天龍驛(なかっぺてんりゅうえき)への改称を届出
昭和11(1936)年11月10日 - 三信鐵道線が佐久間水窪口停留場(現 佐久間駅)を経て天龍山室驛まで延伸し、途中駅となる(ただし佐久間水窪口停留場から先は昭和30(1955)年のルート切り替え時に廃止)。
昭和17(1942)年3月24日 - 中部天龍驛(ちゅうぶてんりゅうえき)への(読み替え)改称を届出
昭和18(1943)年8月1日 - 三信鐵道線が飯田線の一部として国有化され、鐵道省の駅となる。
a0057057_2149459.png昭和55(1980)年10月1日 - 専用線発着を除く車扱貨物取り扱い廃止
昭和57(1982)年3月31日 - 車扱貨物取り扱い全廃
昭和59(1984)年2月1日 - 荷物取扱廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東海が継承
平成3(1991)年4月21日 - 構内に「佐久間レールパーク」開設
平成8(1996)年3月16日 - 定期特急「(ワイドビュー)伊那路」運転開始。停車駅となる。
平成21(2009)年11月1日 - 「佐久間レールパーク」閉園

駅構造:
島式ホーム1面2線と側線を持ち、列車交換が可能な地上駅。駅舎とホームは、ホームの下川合駅側にある構内踏切で連絡している。
駅長配置駅(直営駅)である。管理駅として、飯田線の静岡県内にある各駅(出馬駅 - 小和田駅間)を管理している。みどりの窓口(営業時間9:10 - 17:25、一部休止する時間帯あり)があるが、早朝・夜間は無人となる。
駅舎内には土産物屋、駅構内には旧中部天竜機関区の施設と留置線を利用した佐久間レールパークがあった。

のりば:
1番線 飯田線 下り 天竜峡・飯田方面
2番線 飯田線 上り 豊橋方面
駅南西から天竜川を渡り国道473号に出る細い道路がある。これは、かつて当駅から分岐し佐久間周波数変換所へ向かっていた資材輸送用専用線の廃線跡である。

バス路線:
浜松市自主運行バス -「中部天竜駅」バス停
中部天竜駅から佐久間駅を経由して、遠鉄バス北遠本線と接続する「西渡」バス停に至るバス路線。一部の便は同路線の「間庄口」または「大輪」バス停まで向かう。
そのほか、かつては国鉄バスが佐久間ダムまでの路線を運行していたが昭和39(1964)年3月に廃止、廃止後の代替輸送機関として「共益バス」が、共益株式会社(電源開発(Jパワー)グループ、現 JPビジネスサービス)により昭和59(1984)年頃まで運行されていた。佐久間ダムまでの唯一の公共交通機関が消えたことにより、翌昭和60(1985)年に国鉄の一般周遊券における「周遊指定地」から佐久間ダムが削除されている。周遊指定地が削除となった第1号の事例である。

参考資料:Wikipedia(2017年4月20日)
記事:
 取材:29.4.-6他
 投稿:29.4.21

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# by fbox12 | 2017-04-21 22:11 | 鉄道・バス

187 原谷駅(天浜線←国鉄)

はらのや
所在地:静岡県掛川市本郷1416-2
所属・路線:天竜浜名湖鉄道株式会社・天竜浜名湖線
電報略号:ラノ

a0057057_2214526.png概要:
駅舎(本屋)は、国の登録有形文化財として登録されている。

歴史:
昭和10(1935)年4月17日:掛川驛 - 遠江森驛(現 天浜線・遠州森駅)間の開通により、鐵道省二俣線の駅(一般駅)として開業
昭和37(1962)年8月21日:貨物取扱廃止(旅客駅となる)
昭和62(1987)年3月15日:二俣線が第三セクター鉄道に転換し、天竜浜名湖鉄道の駅となる。
平成21(2009)年11月1日:無人駅化
平成23(2011)年1月26日:駅舎(本屋)が登録有形文化財に登録される。

a0057057_2228117.png駅構造:
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。無人駅で、木造の駅舎がある。

乗車券はいずれも(187-90)国鉄時代のもの。


参考資料:Wikipedia(2015年7月21日)
記事:
 投稿:28.11.14
 調整:29.4.17
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# by fbox12 | 2017-04-17 21:24 | 鉄道・バス