fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

009 新宿駅

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駅名かな:しんじゅく

概要:
東京の副都心・新宿に位置するターミナル駅である。明治18(1885)年に日本鐡道により現在の山手線が開業したのが当駅の始まりである。4年後の明治22(1889)年には南豐嶋郡淀??町となる。開業時から新宿を副都心にする計画が発表されるまでは当駅周辺はまだ街の外れであり利用客は少ないものだったが、大正期に入り次第に市街地が拡大するにつれ、多くの私鉄が乗り入れるようになる。ターミナルとなって周辺が発展するにつれて利用客は増え続け、昭和6(1931)年には私鉄や官設鉄道などを合わせた利用者数で日本一になった。そして、昭和41(1966)年の乗車人数では、当駅が41万69人と池袋駅の41万67人を抜いて日本一になっている。さらに1960年代から当駅西側一帯で進められた新宿副都心計画によって、70年代には多くの超高層ビルが建てられ利用者増加に拍車がかかった。
現在ではJR・私鉄・地下鉄の多くの路線が周辺地域のベッドタウンとを結んでおり、多くのビジネス客が利用する。さらに、当駅周辺は日本最大の繁華街・歓楽街となっており、昼夜を問わず人の流れが絶えることはない。JRの駅を中心に東・西・南口、周辺の各地下鉄駅、商業施設などが通路や地下街などで広範囲に連絡している。
一日平均乗降者数は約335万人(平成25(2013)年)と世界一(ギネス世界記録認定)多い駅であり、地下道などで接続する西武新宿駅まで含めると約358万人(平成25(2013)年)となり、この数字は横浜市の人口に匹敵する。年間の乗降客数に直すと約13億人となりインドの人口をも上回る規模となる。

乗り入れ路線:
各社の位置関係
JR東日本、京王電鉄、小田急電鉄、東京メトロ、東京都交通局の5社局が乗り入れるターミナル駅である。京王線と小田急小田原線は当駅を起点としている。

その他の鉄道路線:
以下の駅とは地下通路などでつながっているが、各鉄道会社によっては公式な接続駅となっている駅もある。
 西武新宿駅(西武鉄道新宿線) - サブナード経由で連絡。
 新宿西口駅(都営地下鉄大江戸線)
 新宿三丁目駅(東京メトロ丸ノ内線・副都心線、都営地下鉄新宿線) - 都道430号真下の地下通路で連絡

地下鉄各線との連絡:
当駅において京王、小田急、東京メトロ、都営地下鉄の相互間で乗継割引が適用されるが、東京メトロ丸ノ内線と都営地下鉄新宿線・大江戸線は両駅間の距離が遠いため、乗継割引が適用されない。ただし、丸ノ内線と新宿線の乗換は新宿三丁目駅、丸ノ内線と大江戸線の乗換は東京メトロ新宿駅・都営地下鉄新宿西口駅間(同一駅扱い)で行えば乗継割引70円が適用される。

歴史:
新宿駅という駅名は、江戸時代に甲州道中(甲州街道)の日本橋と高井戸の間に新しく作られた宿駅である「内藤新宿」が由来となっている。
新宿に鉄道の駅ができた頃は新宿と言っても町外れに駅が設けられたために1日50人程度の乗降客数であり、雨の日はほとんど利用がないこともあったと伝えられている。
次いで、明治22(1889)年に甲武鐵道によって立川までの路線(現・中央本線)が開設され、同年8月には八王子まで延長された。また、この頃に電車線用のプラットホームとして、本来の新宿駅のプラットホームのほかに、構内の大久保寄りの青梅街道付近にもプラットホームが設けられていた。
その後も私鉄の乗り入れは相次ぎ、京王電氣軌道(現 京王電鉄)が南口の甲州街道上に、帝國電燈西武軌道線(後の都電杉並線)が東口に、小田原急行鐵道(現 小田急電鉄)が西口にそれぞれ新宿駅を開業させている。
京王線の新宿起点は、新宿驛ではなく新宿追分交差点であり、現在の新宿三丁目駅の位置付近(伊勢丹の交差点南側路上)にあった。後に隣接する路面外の土地に移設され京王新宿驛を名乗るが、昭和20(1945)年に空襲で初台の変電所が被災し京王線の電圧が下降した影響で南口跨線橋の急勾配を電車が走行できなくなり、同年7月に東横線新宿驛予定地だった現在の西口に移転している。昭和27(1952)年には西武鉄道の新宿線が西武新宿駅(歌舞伎町付近)まで延伸した。
京王と小田急のホームが地上にあった一時期に、のりばの番号が官設鉄道(現 JR)→小田急→京王の順で連番だったこともある。この当時は、各社の駅をつなぐ連絡跨線橋が設置され、乗客の乗り換えに供用されていた。また、軌間が同じ官設鉄道と小田急の間には連絡線が設置されていた。
戦後の復興と経済成長の中で、新宿驛を出てすぐに甲州街道上を走っていた京王線が路面区間解消のために地下化、小田急小田原線も限られたスペースでの発着番線確保のために駅が二層化され、地下鉄各線の開業、ターミナルビルの建設などが相次いで行われ、現在の姿となった。

年表:
明治18(1885)年3月1日 - 東京府南豐嶋郡角筈村に日本鐵道の駅が開業。貨物営業も開始
明治22(1889)年4月11日 - 甲武鐵道の駅が開業
明治39(1906)年10月1日 - 甲武鐵道が鉄道国有法により国有化
 11月1日 - 日本鐵道が鉄道国有法により国有化
明治42(1909)年10月12日 - 線路名称制定により山手線の所属となる。
大正4(1915)年5月1日 - 京王電氣軌道(京王電鉄の前身)の駅が甲州街道上に開業
大正12(1923)年12月1日 - 帝國電燈西武軌道線(後の都電杉並線)の駅が東口に開業
昭和2(1927)年4月1日 - 小田原急行鐵道(小田急電鉄の前身)の駅が開業
昭和17(1942)年5月1日 - 戦時中の合併により小田急電鐵の駅が東京急行電鐵小田原線の駅となる。
昭和19(1944)年5月31日 - 戦時中の合併により京王電氣軌道の駅が東京急行電鐵の駅となる。
昭和20(1945)年5月25日 - 空襲で被災
 7月24日 - 現在の京王電鉄の駅が西口に移転
a0057057_8584369.png昭和23(1948)年6月1日 - 東京急行電鉄の分割により京王帝都電鉄(現 京王電鉄)および小田急電鉄の駅になる。
昭和27(1952)年3月25日 - 西武新宿駅開業
昭和34(1959)年3月15日 - 帝都高速度交通営団(:営団。現 東京地下鉄:東京メトロ)地下鉄丸ノ内線の駅が開業
昭和36(1961)年2月8日 - 営団地下鉄荻窪線(現在の丸ノ内線新宿 - 荻窪間)が開業
 12月7日 - 国鉄甲州口(のちの南口)駅舎が火災で全焼
昭和38(1963)年4月1日 - 京王帝都電鉄の新宿駅が地下駅となる。道路との併用軌道から切り替え
 12月1日 - 都電杉並線廃止
 12月20日 - 国鉄甲州口(南口)駅舎再建
昭和39(1964)年2月17日 - 小田急電鉄新宿駅第1次大改良工事完成。立体式ターミナルになり地下ホームの供用を開始
 5月18日 - 地上8階・地下3階の国鉄東口駅舎完成
昭和41(1966)年11月30日 - 西口駅前広場完成
昭和42(1967)年8月8日 - 米軍燃料輸送列車事故が発生、国電1,100本運休
 11月21日 - 地上14階・地下3階建の小田急新宿駅ビル完成
昭和43(1968)年10月21日 - 新宿騒乱事件発生
昭和44(1969)年6月28日 - 新宿西口反戦フォークゲリラ事件発生
 10月21日 - 新宿駅線路内に過激派が乱入する10.21国際反戦デー闘争発生
昭和45(1970)年3月26日 - 東京都電が廃止され、新宿から路面電車消滅
昭和48(1973)年4月24日 - 首都圏国電暴動発生。新宿駅構内でも破壊・放火などの被害
昭和51(1976)年3月10日 - 国鉄南口駅舎改築。新宿ルミネオープン
昭和53(1978)年10月31日 - 京王帝都電鉄新線新宿駅開業
 11月17日 - 国鉄東口駅舎改築。駅ビル名を新宿マイシティ(のちのルミネエスト新宿)に改称
昭和55(1980)年3月16日 - 都営地下鉄新宿線の駅開業し、京王帝都電鉄と相互乗り入れ開始
 8月19日 - 新宿西口バス放火事件発生
昭和57(1982)年4月1日 - 小田急電鉄新宿駅第2次大改良工事完成。地上駅・地下駅とも10両編成運転対応した(10両運転そのものは地上駅のホームを利用して昭和52(1977)年7月に開始していた)ほか、乗換えが便利になった。
 9月1日 - 国鉄南口コンコース拡幅
昭和59(1984)年2月1日 - 国鉄駅での貨物取扱廃止
昭和61(1986)年3月3日 - 国鉄埼京線運行区間延伸。第1ホーム(現 1・2番線)を使用開始し既存ホームの番線がずらされる。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅(山手線所属)となる。
平成3(1991)年3月19日 - 「成田エクスプレス」運転開始により第2ホーム(現 3・4番線)を使用開始し、既存ホームの番線がずらされる。新南口オープン
平成5(1993)年12月1日 - ダイヤ改正で、中央本線の中距離列車の当駅乗り入れ廃止
平成9(1997)年12月19日 - 都営地下鉄大江戸線の駅開業
平成12(2000)年 - 関東の駅百選に選定
平成13(2001)年3月27日 - JRダイヤ改定により準特急が新設され、その始発・終着駅となる。
 11月18日 - JR ICカードSuica供用開始
 12月1日 - JR湘南新宿ライン停車開始
平成15(2003)年2月1日 - 甲州街道跨線橋架け替え工事に伴い、中央線特急の発着ホームを現在使用の仮設ホームに移転。それまで使っていた第3ホームの工事開始
平成16(2004)年4月1日 - 営団地下鉄民営化により、丸ノ内線の駅は東京地下鉄(東京メトロ)の駅となる。
 9月25日 - 甲州街道跨線橋架け替え工事に伴い、中央線快速上りの発着ホームを工事中だった第3ホームに移転。それまで使っていた第4ホームの工事開始
平成18(2006)年3月18日 - 東武線直通特急「(スペーシア)日光・きぬがわ」運転開始
 4月16日 - 甲州街道跨線橋架け替え工事に伴い、サザンテラス口がオープン。中央線快速下りの発着ホームを工事中だった第4ホームに移転。それまで使っていた第5ホームの工事開始
平成19(2007)年3月18日 - JR新宿駅で一部番線番号を変更(11 - 14番線→13 - 16番線)
 4月15日 - 甲州街道跨線橋架け替え工事に伴い、中央線快速下りの発着ホームを工事中だった第5ホーム(11・12番線)に移転。それまで使っていた第4ホーム(9・10番線)の工事開始
 11月25日 - 甲州街道跨線橋架け替え工事に伴い、中央線特急の発着ホームを仮設ホームから工事中の第4ホームに移転
平成20(2008)年3月15日 - ダイヤ改正で、「成田エクスプレス」や東武線直通特急などの発着ホームを第2ホームから仮設ホームに移転
平成22(2010)年11月28日 - 甲州街道跨線橋架け替え工事に伴い、新南口を移設

 各社局・線について → 009 新宿(しんじゅく)駅 (JR東日本 / 京王 / 小田急 / 東京メトロ / 都営地下鉄)

その他:
平成3(1991)年3月16日から平成24(2012)年3月17日のダイヤ改正まで、小田急電鉄と東海旅客鉄道(JR東海)が特急列車の相互乗り入れ(「あさぎり」)を行い、「小田急のホームにJRの車両が入線する」という光景が見られた。一方、平成14(2002)年12月1日のダイヤ改正からJR東日本と東京臨海高速鉄道が相互乗り入れを開始したことで、逆に「JRのホームに他社車両が入線する」光景も見られるようになった(伊豆急行の「リゾート21が入線したこともある)。さらに、平成18(2006)年3月18日のダイヤ改正でJR東日本と東武鉄道が特急列車の相互乗り入れ(日光・きぬがわ・スペーシア日光・スペーシアきぬがわ)を開始している。

当初の計画では上越新幹線の起点は新宿駅で、ここから大宮駅まで建設される計画があった。また、かつてはリニア中央新幹線の起点駅となるなどの構想などが語られたものの、2000年代に入ってから始発駅は品川駅とされた。

参考資料:Wikipedia(2015年11月14日更新)
記事:
 投稿:27.11.18
 調整:29.4.11
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# by fbox12 | 2017-04-11 09:00 | 鉄道・バス

手づくり 玉の露

a0057057_21372232.pngミニチュアボトルコレクション101

酒類:(酒税法上)単式蒸留しょうちゅう(旧、焼酎乙類)
酒類通称:泡盛(常圧蒸留)
原材料:米こうじ
度数:30度
容量:100ml
製造所:玉那覇酒造所(沖縄県石垣市字石垣47)
ビン詰め:平成16(2004)年11月2日

八重山最古の蔵元 玉那覇酒造所。
その代表銘柄が「玉の露」。
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# by fbox12 | 2017-04-09 21:53 | コレクション

206 垂井駅 (JR東海)

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a0057057_21423882.png駅名かな:たるい
所在地:岐阜県不破郡垂井町1682-4
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道本線(上り本線・垂井線)
電報略号/事務管コード:タル/530128
キロ程:(東京起点)418.1km

歴史:
明治17(1884)年5月25日 - 国有鉄道(当時は、工部省鐵道局)大垣驛 - 關ケ原驛間延伸時に開業。一般駅
昭和19(1944)年10月11日 - 新垂井驛開業により、上り列車のみの営業となる。垂井驛 - 新垂井驛間は省営バス(府中線)が走った。
昭和21(1946)年11月1日 - 旧下り線が垂井線(単線)として復活したことにより、下り列車の停車再開
a0057057_21525751.png昭和46(1971)年10月4日 - 貨物取り扱い廃止
昭和59(1984)年2月1日 - 荷物取り扱い廃止
昭和61(1986)年11月1日 - 下り本線専用の新垂井駅廃止
昭和65(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)が継承
平成7(1995)年3月5日 - 駅舎橋上化
平成14(2002)年11月12日 - 自動改札機設置
平成15(2003)年4月16日 - 北口駅前広場(ロータリー、歩道、駐輪場)の整備完了。これにより以前から進められていた一連の駅周辺整備事業が完成した。
平成18(2006)年11月25日 - ICカード「TOICA」の利用が可能となる。
平成22(2010)年2月13日 - 上下線ホームにエレベーター設置。駅構内に多目的トイレ設置
平成28(2016)年3月26日 - ダイヤ改正に伴い、姫路方面に直通する普通電車の運用及び「ホームライナー関ケ原」の運転区間縮小により垂井駅に停車する運用が廃止される。

駅構造:
a0057057_22293923.png構内北側に単式ホーム1面1線と南側に島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅であり、橋上駅舎を備える。
改札内の全てのホームにエレベーターが設置されている。2・3番線ホームには、上りエスカレーターが設置されている。
改札外は南口・北口共にエレベーター、上りエスカレーターが、設置されている。
東海交通事業の職員が業務を担当する業務委託駅で、大垣駅が当駅を管理している。みどりの窓口、自動券売機、自動改札機などがある。TOICAおよび提携ICカードの利用が可能である。
余談ながら、(業者は推奨はしていないが、)エスカレータ―の片側に寄って一方を空ける乗り方は、この駅が関東方式・関西方式の境界と言われている。

のりば:
a0057057_223364.png1番線 東海道本線 上り 大垣・名古屋方面
2番線 東海道本線 上り 大垣・名古屋方面(関ケ原駅始発・待避列車)
3番線 東海道本線(垂井線経由)下り 米原・京都方面
     上り 大垣・名古屋方面(関ケ原駅始発のみ)
当駅 - 関ケ原駅間は、上り本線と通称垂井線と呼ばれる単線の並行路線(下り本線は旧新垂井駅経由の別線で当駅を通らない)となっており、垂井駅に停車する下り列車はもちろんのこと、関ケ原駅始発の上り列車も当駅まで垂井線を走行する(関ケ原駅で折り返す下り列車は上り本線を走行できないため)。そのため上り本線の1番線には入線できず、2・3番線に入線する。2番線は上り本線側からの列車の入線も可能であり、優等列車待ち合わせ時に入線する。
下り停車列車は全て垂井線経由のため、3番線を使用する。
(ただし、ここでの「本線」とは列車運行上での扱いで、国鉄時代に制定された線路名称では民営化後の今日に至るまで一貫して垂井駅経由が東京駅・神戸駅間の「本線」であり、旧新垂井駅経由のルートは名無しの枝線として記載されている)。

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バス路線:
垂井駅を経由する路線
垂井町巡回バス<運転日:平日のみ>
 垂井・宮代・表佐線(さわやか号)
 栗原・表佐・東線(すこやか号)
 垂井・岩手線(ときめき号)
 府中・東線(ふれあい号)
池田温泉福祉バス<運転日:火・金・土・日・祝日>

参考資料:Wikipedia(2017年3月2日)
記事:
 取材:28.12.28
 投稿:29.4.-8
 調整:29.4.-9

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# by fbox12 | 2017-04-09 16:32 | 鉄道・バス

『かけ足・・四国旅行』 ・・ 東京 - 高知 - 松山 - 大三島 - 因島 - 福山 ・・

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a0057057_9315957.png実施日:平成29(2017)年3月13日(月)~ 3月15日(水)

行程:
 13日(月) ・・ - 東京駅(南口) -
 14日(火) ~ 高知インター南BT(久万川大橋)
        - 一宮神社前・・土佐神社・・土佐一宮駅 - 高知駅
        - 佐川駅 - 落出駅(バス駅) - 松山駅 - 今治駅・・泊
 15日(水) ・・今治駅前 - 大山祇神社前・・大山祇神社
        ・・大山祇神社前 - 大三島BS
        - 因島大橋(大橋入口) - 土生港前・・大山神社
        ・・土生港前 - 福山駅 - ・・

今回の旅のメインは「JR路線バス松山高知急行線の廃止」。
いつものことだが、「旅行記」といってもいわゆる名所旧跡のほとんどはスルーしている。行程そのものもアクセスと宿泊の都合から決まるのはいつもと同じパターン。

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3月13日(月) 東京駅
① 四国入りの足
今回も「青春18きっぷ」の使用可能な期間ではあったが、「18きっぷ」を使う別の予定がないこと、また、鉄道だけでは休日中に帰ってこれないことなどから、最近定番となりつつある夜行バスの利用となった。
廃止されるJR路線バスに乗るのには松山からと高知から行くことができ、どちらへも高速夜行バスの便があるが、帰りの足を考えると松山側(本州、新幹線駅に近い側)へ出る方が効率的と判断、高知側から入ることとした。
(上写真左:東京駅(南口)を10分先に出る「ドリーム松山号」/ 同右:「ドリーム高知号」)

JRバスの「早売」ならば東京 - 高知間 6,000円(通常の半額)。発売と同時に空席照会をし、その時チケットが取れなければ別の方法も考えるとして、ネットで照会をしたところ、JRバス関東では「満席」。四国の方で辛うじて確保できてコレを中心にプランが動き始めた(どちらの会社も「早売」で予約可能なのは3席程度)。
バスは、四国、関東とも2階建て(上写真の左が関東、右が四国の車両)。四国の方には1階部に3席のみの「プレミアムシート」があるが、「早売」は一般席(2階席)だけのため対象外。
当初の予約は、バスタ新宿 - 高知駅BTとしたが、東京駅の方がアクセスしやすいこと、高知では土佐神社に参拝したいことから、後に東京駅(南口)- 高知インター南BTに変更。運賃に変更がないので別段問題なかった。

東京駅はほぼ定刻の発車。バスタでは1人の乗客が何かトラブルなのか、出入口付近(1階部)に居てなかなか着席をしないため15分の延発。最初の休憩場所は、東名・足柄SAで10分の休憩(下写真左)。そのあと、新東名・浜松SA、新名神・甲南PA、神戸淡路鳴門道・室津PA(淡路島)で鉄道でいう運転停車。四国に入り土成BS、脇町BSを過ぎ、2回目の休憩場所、徳島道・吉野川SA。ここは、下車停留所の三好BSなのだが、ポールがなく駐車場内で客扱い(下写真右)。

a0057057_1052343.pnga0057057_11274552.png

② 土佐國一宮、土佐神社へ
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高知県最初の停留所、高知インター南BTで下車。
このバス停の名称はJR高速バスのもので、路線バス(とさでん交通)は久万川大橋。
土佐神社に行くのには、ここで降りて「トーメン団地行き」に乗車する方が時間短縮になるが、バスの本数はあまりなく、時間によっては高知駅(BT)まで行った方が便利な場合もある。
この停留所に来たバスは、元「高知県交通」の車両(上写真右)だった(乗って降りるまで乗客は私1人だった)。
本社や車庫を経由して目的地に向かう地方のバスの特徴があるが、このバスも一宮BTで車庫内の待合所前に少々停車した。
高知では駅名・地名など、「一宮」は「いちのみや」ではなく「いっく」読む。

a0057057_1646240.png一宮BTの次の一宮神社前で降り、神社へ向かった。

(例によって、神社・駅の詳細については別の記事とする)。

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神社では、神職の素早い対応で、予定より早くに停留所へ戻れることとなったが、あらかじめ調べてあった、土讃線土佐一宮(とさいっく)駅高知行きの列車に間に合いそうなため、約2kmの道を歩くこととした。ストリートビューでも感じを掴んであったため、ナビの所要時間より5分ほど早くに駅に着いた。

③ 高知からメインテーマ「松山高知急行線」
と、昔ならばそのまま乗車が出来たのだが、高知駅 - 落出駅(愛媛県上浮穴郡久万高原町(かみうけなぐんくまこうげんちょう)のバス駅)間は既に廃止されていて、今は高知より先の佐川(さかわ)駅から落出駅まで黒岩観光のバスで行き、乗り換えが必要。

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高知から特急「あしずり1号 中村行き」に乗車。先に出る普通列車でもよかったが、普通列車の佐川着が途中で「あしずり1号」の待避があり、バスの発車時刻に余裕がないため、520円の特定特急料金を払い乗車した。編成は2両で、後ろの方車両の数席が座席指定となっていた。

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佐川駅の近くには漫画家黒鉄ヒロシの実家、司牡丹酒造の本社がある(屋号は「黒金屋」で、宮尾登美子作「蔵」のモデル)。バスの発車時刻までに行ってこようかと思って駅前に出たが、反対方向へ行ってしまって、結局時間が無くなってしまった(バスに乗車して前を通ったが、歩くのにはいささか距離があった)。
この道(国道494号線)を歩いていて気が付いたのは、「床屋が多い。」ということ。実際に営業しているのかは別としても、1km 以内に3-4 軒というのは少なくはないと思う。

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バスは四国第3の川、仁淀川沿いの国道33号線を安徳天皇が逃れてきたという伝説が残っている越知町(高知県高岡郡)や、仁淀川町(高知県吾川郡)を通り、愛媛県の(上浮穴郡)久万高原町(旧 柳谷村)の落出駅(バス駅)まで走る。この路線は、かつての「松山高知急行線」落出駅から高知県側が廃止された際、その代替えとして運行するようになったもので、平日2往復(休日は運休)の便がある。
そして、今月(平成29年3月)末をもって、落出駅 - 久万高原駅間からJR四国バスが撤退する。

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a0057057_9545768.png落出駅では、松山駅行きまで1時間余りの待ち合わせ時間があった。
佐川駅から乗って来た黒岩観光バスの運転手が(佐川駅に戻る)発車時刻までいろいろ話をしてくれたが、落出から松山側は愛媛県であり、一応久万高原町営のバスに移管する事にはなっているものの、実際の運行をどこが行うかは決定に至っていないらしい。

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a0057057_1083026.png落出駅からは古味、岩川まで(いずれも落出より南側)の久万高原町営バスが1日4往復ずつ(実際には1台が全線通し運転)走っていて、古味線の途中には「ごうかく」という駅があり、役場柳谷支所や高橋石油店(GS)などで「ごうかくきっぷセット」を販売している(右上写真:高橋石油店で購入)。
ちなみに、高橋石油店は、落出駅から国道33号線を北側へ300mほど行ったところにあり、途中に落出車庫前の停留所がある(写真)。この停留所もJR四国バスとしては3月いっぱいで廃止となる。

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落出駅からの乗客は、私1人。途中、久万高原駅を過ぎるころには、乗車人数も10人程度となり、松山市方面への重要な足であることがうかがえる。

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JRのバスのため、(伊予鉄)松山市駅には行かず、JR松山駅が終点。途中、複線線路の平面交差で有名な大手町を通過し、ほぼ時刻通りJR松山駅(下写真左)に到着した。
松山駅々ビルの一番左側は全国ブランド(?)の「(会津)喜多方ラーメン」。何も、四国にまで来て「**ラーメン」でもないと思うが・・。

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この日の宿泊先は、しまなみ海道へのアクセスを考えて今治にしたが、実際地図で見るとJRは西側を大きく迂回するような形で北上し、今治へ向かう。
松山駅から乗った列車が北上するとき、何か逆方向へ移動しているような錯覚にとらわれたが、(予讃線)大浦駅を過ぎたあたりから、いくらか東に向けて走るようになり、なんとなく方向が判るようになった。

しまなみ海道、神社2社に立ち寄り帰宅の途に・・
a0057057_9353698.png今治からの帰りは、しまなみ海道を途中、大山祇神社(大三島)、大山神社(因島)によって福山から新幹線での帰宅とした。
大山祇神社のある大三島は愛媛県。対して、大山神社のある因島は広島県である。
バスの運行も、大山祇神社へは松山・今治(愛媛県側)から直接行かれるのに対し、広島県側からは、乗り換えが必要。
逆に、大山神社(因島・土生港前)へは、広島側からは直接行かれるが、愛媛県側からは乗り換えが必要となる。

まずは今治(駅前)から、せとうちバス(特急は瀬戸内運輸、急行は瀬戸内交通:乗ったバスは急行のため、「交通」)で、大三島の大山祇神社を目指す。
当初予定では、8:40発の(大三島)宮浦港行きに乗るつもりでいたが、平日で1本早い 8:05発があり、これに乗車した(休日は大島止まり)。いずれのバスも行先表示は「大三島」だった。

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3つの来島海峡大橋を渡り、大島。伯方・大島大橋(大島大橋、伯方橋)で伯方島。大三島橋を渡ると大三島である。
バスは、大三島ICを降り、島内道路を一旦北上、ICとは島の反対側に位置する宮浦港へ向かう。大山祇神社前の停留所が神社のすぐ脇にある。

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神社参拝のあと、再び停留所から次の因島・大山神社を目指すが、バスの便はすべて今治方面行きのため、IC近くの大三島BSで乗り換える。

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大三島BSからは中国バス「しまなみライナー」福山駅前行きに乗車。今度は福山駅へ直行のため、因島島内及び尾道駅、新尾道駅へは、因島大橋BSで乗継こととなる。
尾道駅方面は、同じ上り方向で、降りた停留所でバスを待てば乗り継ぎが可能なのだが、因島島内へは方向が逆(下り方向)となるため、バスストップの有る大浜PAには、道路本線をまたぐ陸橋があり、下り方へ行かれるようになっている。
ただしこれは、高速バス利用時の話で、島内のバスの便があり、この停留所は、高速道路下の一般道にある。

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記事:
 投稿:293.17
 調整:29.3.21/29.3.22/29.3.23/29.4.-8
 

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# by fbox12 | 2017-04-08 14:03 | 旅行記

ネオアルファDX

a0057057_1113615.pngミニチュアボトルコレクション1015

販売名:ネオアルファSR2000
品名:指定医薬部外品
原材料:タウリン・イノシトール・チアミン硝化物(ビタミンB1)・ニコチン酸アミド・ピリドキシン塩酸塩(ビタミンB6)・リポフラビンリン酸エステルNa(ビタミンB2)・無水カフェイン他添加物
容量:100ml
製造販売元:㈱サイキュウ・ファーマ(東京都江東区亀戸5-6-21)
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# by fbox12 | 2017-04-08 11:04 | コレクション

1012 東京駅鍛冶橋駐車場(バス停)

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バス停名かな:とうきょうえきかじばしちゅうしゃじょう
所在地:東京都千代田区丸の内3丁目8-2

概要:
平成25(2013)年8月からの旧高速ツアーバスの路線バス(新高速路線バス)への転換に際し、受け皿となる都内の停留所の一つとして東京駅八重洲南口(所在地は丸の内だが、八重洲の方が近い)から450mほど南(外堀通り沿い・鍛冶橋交差点南、首都高速西銀座JCTそば)の「丸ノ内鍛冶橋駐車場」をバスターミナルとして整備したもの。最寄りの出口は京葉地下八重洲口で、地上の出口を基準とした場合、東京駅(八重洲南口)と有楽町駅(京橋口)のほぼ中間にあたる。
現在、八重洲口付近各所に分散している高速バスの停留所について、JR系を除く8つを集約する計画がある。平成27(2015)年9月3日に開催された内閣府の国家戦略特別区域会議で示されたもので、東京建物が八重洲一丁目(八重洲中央口交差点北東角)に、三井不動産が八重洲二丁目(八重洲中央口交差点南東角)にそれぞれ建設する高層ビルの地下フロアに新ターミナル(八重洲一丁目7バース・八重洲二丁目6バース)を設置して、地下街を通じて東京駅とも繋げるとしている。平成32(2020)年の東京オリンピック前の開業を目指して建設予定である。
「駐車場」と名前は付いているが、上記の開始に先立ち、平成25(2013)年7月25日24時をもって普通自動車の駐車場としては閉鎖された。

鍛冶橋駐車場利用の主なバス名(業者)
 あおぞらライナー(青木バス)
 アミー号(ウエスト観光・山一サービス・武井観光)
 ウェルカムライナー(中央交通バス)
 グリーンライナー(丸一観光)
 コトバスエクスプレス 四国方面(琴平バス)
 さくら高速バス・散策バス・キラキラ号(桜交通・インフォマティック)
 サンシャインエクスプレス(サンシャインエクスプレス)
 杉崎高速バス(杉崎観光バス)
 スマイルライナー 高知行(高知駅前観光)
 たびのすけバス(青垣観光バス)
 ナイトライナー(東京富士交通)
 中日本ハイウェイバス(中日本エクスプレス)(上右写真)
 ネットワーク(泉観光バス・中央交通バス)
 パンダ号 弘前・五所川原行(弘南バス)
 マイ・エクスプレス 大阪・徳島行(海部観光)
 ミルキーウェイエクスプレス(さくら観光バス)
 ロイヤルエクスプレス(ロイヤルバス)
 ユタカライナー(ユタカ交通)
 JAMJAMライナー(ジャムジャムエクスプレス・ジャムジャムエクスプレス関西)
 オリオンバス(オー・ティー・ビー・天領バス・八洲交通)
 VIPライナー 大阪行(平成コミュニティバス)
 WILLER EXPRESS(WILLER GROUP)
 どっとこむライナー 長野方面(昌栄高速運輸)

参考資料:Wikipedia
記事:
 取材:
 投稿:28.10.25
 調整:29.4.-8


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# by fbox12 | 2017-04-08 09:34 | 鉄道・バス

003 東京駅

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駅名かな:とうきょう
概要:
東京の表玄関とも言うべき大ターミナル駅で、特に東海道新幹線と東北新幹線の起点となっており、全国の新幹線網における最大の拠点となっている。また、東海道本線や東北本線など主要幹線の起点駅でもある。平成28(2016)年3月に北海道新幹線が東北新幹線を介して当駅まで乗り入れる様になり、寝台特急(ブルートレイン)の廃止により以前よりいくらかは減ったものの、当駅から乗り換えなしで行ける都道府県は実に33に上る。1日当たりの列車発着本数は約3000本、プラットホームの数は日本一多い日本を代表する駅である。
在来線が地上5面10線と地下4面8線の合計9面18線、新幹線が地上5面10線、地下鉄は地下1面2線を有しており、面積は東京ドーム約3.6個分に相当する。赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したもので、大正3(1914)年に竣工、平成15(2003)年に国の重要文化財に指定された。「関東の駅百選」認定駅。

中央駅としての位置付け:
明治22(1889)年に官設鉄道(当時は内閣鐵道局)東海道本線の新橋 - 神戸間が全通し、私鉄の日本鐵道が上野を始発駅として靑森に向けて線路を建設していた。そこで、新橋と上野を結ぶ高架鉄道の建設が東京市區改正計画によって立案され、明治22(1896)年の第九回帝國議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。実際の建設は日清戦争と日露戦争の影響で遅れ、建設工事は戦争終了後の明治41(1908)年から本格化し、大正3(1914)年12月18日に完成し、同時に「東京驛」と命名された。
JRとなった今でも当駅を「中央駅」と位置付けられており、前身である日本国有鉄道(国鉄)の時代から列車の進行方向を示す「上り・下り」の基点となっていた。現在、中央本線は当駅 - 神田間は戸籍上東北本線となっているが、起点であった当駅へ向かう列車が引き続き上りとされている。なお、「中央駅」である当駅は東京都区内および東京山手線内各駅を発着するJR線長距離乗車券の運賃を算出するためのキロ数基準駅ともなっている(前者:201km以上、後者:101〜200km)。

建設当時の東京駅:
当駅の位置は、江戸時代からの繁華街である京橋側ではなく、建設当時はまだ野原だった丸の内側に建設された。宮城(皇居)の正面に設定され、丸の内口の中央に皇室専用貴賓出入口が造られたことから分かるように、国家の象徴的な位置付けであった。なお、現在の行幸通りはまだ皇居前広場まで開通していなかった。
駅本屋は、辰野金吾と葛西萬司が設計した深谷市産の鉄筋レンガ造り三階建て総建坪9,545m²・長さ330mの豪壮華麗な洋式建築である。大正3(1914)年の開業年は第一次世界大戦の開戦の年でもあり、中国・青島周辺のドイツ租借地を占領した陸軍の司令官神尾光臣中将が凱旋して皇居に参内するイベントに合わせて開業式を行った。アムステルダム中央駅は当駅を建設する際のモデルになったという俗説があるが根拠は薄弱であり、昭和63(1988)年以降に藤森照信らを始めとする西洋建築研究者により設計者の系譜や建築様式の両面から、現在ではほぼ否定されている。南北にそれぞれドーム状の屋根があり、当時は丸の内南口が乗車口、丸の内北口が降車口と分けて使用されていた。中央の玄関は皇室専用とされ、規模は小さいものの、細かい装飾が各所に施されていた。中央玄関と東西の一般出入り口との間に、各一つ別の出入り口があるが、これは荷物の搬入搬出口として設けられた。

歴史:
帝國議会で建設が可決された中央停車場は施工を大林組が担当。前述のとおり大正3(1914)年12月18日に竣工、20日に開業した。
大正8(1919)年3月1日に中央本線が、大正14(1925)年11月1日に東北本線が乗り入れ、以後、徐々に発展していった。
戦前、鐵道省では品川 - 東京間に複線を増設し、京濱東北線の一部と横須賀線を走らせる「京濱急行線計画」が存在していた。その計画では、1・2番線が中央線、3番線が京濱東北線北行・山手線内回り、4番線が京濱急行線終着、5・6番線が横須賀線、7番線が京濱急行線始発、8番線が京濱東北線南行・山手線外回り、9〜12番線が東北本線、13〜15番線が東海道本線となる予定だった。この計画は対米戦により未成に終ったが、その一部は、京浜東北線と山手線の分離運転(「東京縦貫複々線工事」という)に活用された。
太平洋戦争末期の昭和20(1945)年5月25日、アメリカ軍による東京大空襲では丸の内本屋の降車口に焼夷弾が着弾、大火災を引き起こした。これによりレンガ造壁とコンクリート造床の構造体は残ったが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われた。
同年8月の終戦直後から修復体制を整えて計画を立案し、年末から昭和22(1947)年にかけて修復工事を行ったので、ほぼ現在の外観になった。3つのドーム部分の外壁は修復したが、安全性に配慮してその他の焼失の著しかった3階部分内外壁は取り除いて2階建てに変更、中央ドームは木造小屋組で元の形に復原、南北両ドームは丸型から台形に変更、軒蛇腹・パラペット・壁面・柱型・窓枠などは2階建てになっても忠実に復原、南北ドーム内のホール天井はローマのパンテオンを模したデザインに変更、といった内容だった。
できるだけ早期に本格的な建て直しをするつもりで「4、5年もてば良い」とされた修復工事だったが、占領軍の要求で突貫で進める中でも当時の鐵道省の建築家・伊藤滋や松本延太郎たち、あるいは工事を行った大林組の日夜の努力でできるだけ日本の中央駅として恥ずかしくないデザインによる修復をした逸話が伝えられている。
一方、昭和4(1929)年に開設された八重洲口は、昭和23(1948)年11月16日にモダンデザイン建築の八重洲駅舎が竣工したが、翌24(1949)年4月29日に失火で焼失してしまい、昭和29(1954)年10月14日に駅舎が建て替えられ、八重洲本屋が完成した。八重洲口はその後も順次改築されて百貨店が出店し、地下街が拡がるなど賑やかになってゆくが、丸の内側はレンガ造りのままである。
昭和39(1964)年10月1日に東海道新幹線が開業し、昭和47(1972)年7月15日には総武地下ホーム、平成2(1990)年3月10日には京葉地下ホームがそれぞれ営業を開始、平成3(1991)年6月20日には東北新幹線が当駅に乗り入れるなど、東京駅は順次拡大してきた。
その後、長らく先延ばしされてきた建て替え計画は、平成11(1999)年から翌12(2000)年にかけて、創建当初の形態に復原する方針がまとめられ、500億円とされた復原工事の費用を丸の内地区の高層ビルへの容積率の移転という形で捻出することで、丸の内地区の高層ビル建て替え事業と並行して、東京駅の復原工事が行われることとなった。復原工事自体は、平成19(2007)年5月30日に起工され、平成24(2012)年10月1日に完成した。

赤レンガ駅舎の復原:
復原に至る経緯
かつての丸の内側の赤レンガ本駅舎は昭和20(1945)年5月25日のアメリカ軍による空襲(東京大空襲)によりその多くが破壊、焼失した。戦災復興工事によって、失われたドーム屋根にかわって木造8角形の屋根が載せられ、内部は3階の窓の開口部は保持されたが、残存したアーチなどのレリーフは新設されたローマのパンテオン風の意匠によるジュラルミン製のドームによって隠された。終戦後の昭和22(1947)年、開業当初の状態より一回り規模を縮小して修復された。GHQの体制下応急処置的に工事が行われ、屋根の小屋組については復員してきた海軍の技師が5年もてばよいということで、薄い木材のトラス造りで応急的に工事をしたという。一方実際に工事にあたった関係者は、あくまで国鉄内部の技術者が修理したのであって旧海軍の技術者が関わったという説は何の根拠もないと主張している。この復旧された駅舎は、応急復旧のままで60年余りが過ぎることになった。旧日本国有鉄道(国鉄)は戦後度々赤レンガ駅舎の建て替え構想を出しては延期しており、昭和62(1987)年4月1日の分割民営化の時には当駅全体の土地の3分割を伴った再開発構想が提案され、赤レンガ駅舎の建て替え高層化か保全をするかが本格的に課題となった。これに対して、「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」などによる赤レンガ駅舎保存の市民運動が起こった。
昭和63(1988)年、政府は学識者の委員会による東京駅周辺地区再開発構想を取りまとめ、赤レンガ駅舎の現在地での形態保全の方針を決定し、JR東日本などの検討により平成11(1999)年、本来の形態に復原することとなった。また、平成15(2003)年4月18日には国指定の重要文化財に指定された。

復原工事:
a0057057_10445392.png平成19(2007)年5月30日より、鹿島・清水・鉄建建設共同企業体が担当となって、駅舎を本来の姿に近い形態に復原する工事が開始された。この工事では、鉄骨鉄筋コンクリート壁で躯体を増築して建築当初の3階建てに戻した上で、外壁、尖塔、南北両ドームの内外の意匠も再現し、新たに地下1・2階を増築し免震装置を設置した。免震装置には地上部分と地下部分との間に免震ゴムとオイルダンパーを設置した。
3階の外壁は、創建当初と同じ仕様の厚さ 15mm の化粧煉瓦を貼った外壁に復原した。戦後の修復で2階に移されていたイオニア式柱頭も当初の3階に移設し、支柱の形状も創建時のものに戻した。失われていた花崗岩の柱頭飾り、銅の高欄はモックアップを用いてディテールや施行方法を検証し、創建当時の意匠に復原した。2階以下は既存の構造煉瓦と同じ厚さ 15mm と 45mm の化粧煉瓦を貼った(下駄っ歯積み)。線路側はコンコース側の壁を撤去し、トップライトから採り入れる自然光で復原された丸の内駅舎を見ることが出来るようにした。
ドーム内部の保存と復原の基本方針は部位によって異なり、3階以上の壁面と天井面は、干支や 2m を超える大きさのワシの彫刻やレリーフが存在した創建時の意匠を忠実に再現し、1階と2階は、3階以上の部分と調和を図りながらも機能性に優れた新しいデザインとした。3階張出部を支えていた装飾付きの鉄骨支柱は、RCで補強され円柱にかわったために、全体としては機能的な装飾のない意匠となった。ドームに施されたレリーフは南北のドームで全く同じである。
工事による一時解体に伴い、それまで使用していた雄勝石の屋根材65,000枚は産地でもある宮城県石巻市雄勝町の業者に送られて、選別・清掃・補修した上で倉庫に保管されていたが、東日本大震災で発生した津波で塩害を蒙った。このため、使用可能と判断された45,000枚のみが復原駅舎でも再利用され、不足した2万枚はスペイン産のスレートで補われた。なお、工事全体では約457,000枚のスレートが必要とされていたため、再利用分を除いた残りのうち15,000枚は石巻市の業者が製作したもののを使用し、残りはスペイン産で補う計画であったが、この業者の工場も津波によって壊滅し、出荷前の天然石スレートも津波に流された。震災後、流されたスレートは回収・洗浄・検品され、使用可能な7000枚が東京に送られた。
ドーム部分の屋根は、建設当時の銅板葺きに戻され、0.4mmの銅板が合計1トン使用された。時計下の外壁レリーフは2m四方の銅板3枚を使って叩き出されたものを使用した。線路側の中央部の屋根はガラス化して、屋根裏をホテルのゲストラウンジにした。
外壁の花崗岩は、中央部御車寄せ周りと1階腰石が北木産花崗岩北木石で、その他はすべて稲田産花崗岩である。 保存・復原工事には、広場側復元部には稲田産花崗岩、線路側は中国産花崗岩をそれぞれ使用した。また、1階腰石は北木産花崗岩北木石である。 日本国内では職人の数も減り、丸の内駅舎のすべての製作をすることは難しいことから、中国での製作とした。稲田産花崗岩は日本で切り出し、中国へ運び、中国で製作のうえ、日本へ戻し丸の内駅舎へ取り付けた。 タイルレンガの目地には、覆輪目地が施工されているが、すでに失われた施工方法となっており、職人が3か月間の試行錯誤で、技術と道具を復活させて再現している。
窓枠には全て三協立山製のサッシが採用された。新しい窓枠はアルミにフッ素樹脂塗装されたものであるが、大正時代には木製建具が主流であったことから、過去の文献の調査だけでなく辰野金吾が設計した岩手銀行中ノ橋支店を視察するなど試行錯誤の末、色合いを木の風合いにできる限り近づけた「東京駅専用ビル用サッシ」を新たに開発した。また窓の装飾に使われるアルミ製鋳物も三協立山が手掛けた。
a0057057_1195716.png復原工事中は、一部仮設の出入口が設置された(上写真の通路奥など)が、発券ができない個所では乗車駅証明書(右写真)を発行し対処した。
平成24(2012)年6月10日に、復原された駅舎の一部(1階部分)が再開業し、同年10月1日に全面再開業した。また、復原工事に伴って平成18(2006)年4月から営業を休止していた駅舎内の「東京ステーションギャラリー」(東日本鉄道文化財団運営)も全面再開業と同日に拡大再開業し、翌々日の3日には「東京ステーションホテル」も規模を拡大して再開業した。地下には新規にレストランが開業した。

駅構造:
かつて、現在のJR東日本とJR東海の駅は同じ国鉄の駅であったが、昭和62(1987)年の国鉄分割民営化を機に、東海道新幹線はJR東海、それ以外はJR東日本の管轄へと分離された。
中央線2番線(現、山手線内回り4番線)と京浜東北線北行3番線(現、山手線外回り5番線)の間には線路が1本あったが、中央線ホームの拡張により、この線路が2番線(現、4番線)となり、旧2番線は撤去された。この線路は同じく線路のみ存在していた東海道本線の11・16番線とは異なり、番線に数えられていなかった。
平成9(1997)年の北陸新幹線高崎 - 長野開業に伴い、ホームの移転が行われた。
まず平成7(1995)年7月に中央線ホームを高架ホームに移転し、その後10月 - 12月に山手線・京浜東北線ホームを、平成8(1996)年6月 - 翌9(1997)年7月に東海道線ホームをそれぞれ1面ずつ丸の内側に移設した。なお、東海道線ホームの移設の際は、1線を撤去して2面3線化したほか、一時期に9番線が仮設ホームだったことがある。
東海道線ホームが2面3線になってからは、大垣行き夜行普通列車(列車番号375M)が下りに限って品川駅始発に改められた。平成8(1996)年3月に運行開始した「ムーンライトながら」(JR東海373系による定期列車)については、当駅始発・終着とされた。
現在の中央線ホームは、丸の内口駅舎と旧中央線ホーム(現在の京浜東北線北行3番線および山手線内回り4番線)の間のやや狭い敷地内に設置されており、やや3・4番線ホーム上に高架部分がせり出している。このことが結果的には丸の内駅舎を取り壊さずに保存できる形となった。
山陽新幹線が博多駅まで延伸してホームを増設するまでは、7・8番線が東北本線・高崎線・常磐線用ホーム、9・10番線が近距離列車用ホーム、11番線が回送線、12・13番線が東海道本線・横須賀線用ホーム、14・15番線が遠距離列車用ホーム、16番線が回送線(後に東海道新幹線に転用)であった。新幹線の開業までは4線ともひっきりなしに列車が発着しており、13番線から15番線を見通すことができなかった。これが重要なトリックとして出てくるのが松本清張の「点と線」である。昭和45(1960)年後半 - 昭和48(1973)年3月31日までは東北本線・高崎線・常磐線の列車は7 - 15番線のうち、どのホームからも発車していた。
上記の通り、在来線は15番線まで存在していたが、昭和48(1973)年4月に第7ホーム(14・15番線)を、昭和55(1980)年に13番線を、昭和63(1988)年3月回送線だった11番線と第6ホームの12番線を、平成7(1995)年に第5ホーム(9・10番線)をそれぞれ使用停止し、後に新幹線のホーム増設や新設を行った。
北陸新幹線の開業に伴って、北陸新幹線用(W7系・白山総合車両所所属)と東海道・山陽新幹線用(700系・N700系・N700Advanced・博多総合車両所所属)の2つのJR西日本の新幹線車両が乗り入れることになった。

 - 各線の詳細 → 003b 東京(とうきょう)駅Ⅱ (JR東日本 / JR東海 / 東京メトロ)

a0057057_14495131.png当駅にはJR東日本とJR東海の窓口のほか、丸の内地下中央改札前に北海道旅客鉄道(JR北海道)が運営する「JR北海道プラザ東京支店」がある。一般の乗車券や特急券のほか、各社のトクトクきっぷを購入することができる。株主優待などJR各社の窓口のみで扱う切符類が発券できない(「沿線の旅行会社」扱いとなる)反面、JR北海道のみで購入可能な切符類を一部を除いて取り扱う。かつては同店においてJR北海道のオレンジカードも販売されていた(左写真)。

電化方式(列車走行用):
当駅では直流600V(東京メトロ丸ノ内線)、直流1500V(在来線)、単相交流25000V/50Hz(東北・上越・北陸新幹線)、単相交流25000V/60Hz(東海道・山陽新幹線)と4種類の電化方式が存在する。

旅客収入額:
当駅の旅客収入額はJR東日本の駅中第1位である(1日平均およそ2億6千万円、2位は新宿駅で同1億6千万円)。また、平成20(2008)年現在旅客収入額のデータを公開しているJR駅中でも第1位である。どちらも新幹線などの長距離列車の発着が多く、乗車券の単価が高いためである。旧国鉄時代は日本一であった。平成20(2008)年現在は正確な順位がわからないが、各新幹線が集中し、長距離旅客利用が日本一多い駅であるため、日本一であると見られる。

当駅を中心とする以下の地下鉄各駅は概ね半径1km程度範囲内にあるので、状況によっては徒歩での移動の方が早く到達する場合もある。
 大手町駅(東京メトロ丸ノ内線・東西線・千代田線・半蔵門線、都営地下鉄三田線)
 八丁堀駅(JR京葉線・東京メトロ日比谷線)
 日本橋駅(東京メトロ銀座線・東西線、都営地下鉄浅草線)
 三越前駅(東京メトロ半蔵門線(銀座線のりばへは遠い))
 新日本橋駅(JR総武線(快速))
 二重橋前駅(東京メトロ千代田線(行幸地下通路で連絡))
 日比谷駅(東京メトロ日比谷線・千代田線、都営地下鉄三田線(行幸地下通路で連絡))
 有楽町駅(JR山手線・京浜東北線、有楽町線)
 銀座一丁目駅(東京メトロ有楽町線)
 京橋駅(東京メトロ銀座線)
 宝町駅(都営地下鉄浅草線)

再開発事業:
a0057057_17425436.pngJR東日本などが主体となって赤レンガ駅舎の復原などを内容とした当駅周辺の大規模な再開発事業が行われている。
この第1弾として平成19(2007)年3月に日本橋口に超高層ビル「サピアタワー」が竣工した。これと同時に一連の再開発地区が「Tokyo Station City(東京ステーションシティ)」と命名され、キャッチフレーズは「東京駅が、街になる。」に決まった。同年4月には丸の内口の行幸通り地下に「行幸地下通路」が整備され、10月25日には東京駅改札内地下1階に株式会社鉄道会館が運営する改札内商業施設「グランスタ」がオープンした。さらに、同年10月31日には、八重洲口にある大丸などが入居していた昭和29(1954)年竣工の鉄道会館ビルが閉鎖され、11月6日に超高層ツインタワービル「グラントウキョウ」が竣工した(右写真:ノースタワー)。グラントウキョウノースタワー(国際観光会館ビルの跡地に建設)に大丸が移転し、グラントウキョウサウスタワーの地下に飲食店街「グランアージュ」が整備された。また、八重洲地下街からグラントウキョウサウスタワーとパシフィック・センチュリー・プレイスの地下を経由して京葉線地下改札に至る連続した地下連絡通路が整備された。
a0057057_17533828.png平成22(2010)年3月28日には、駅改札内1階「South Court(サウスコート)」にあった改札内商業施設の「Dila東京メディアコート」の跡地に、JR東日本ステーションリテイリングが運営する「エキュート東京」がオープンし、4月12日には赤レンガ駅舎から皇居まで一直線に続く行幸通りが再整備された上で開通した。さらに同年12月4日には、駅改札内1階「North Court(ノースコート)」にあった改札内商業施設の「Dila東京ダイニングコート」の跡地に、鉄道会館が運営する「グランスタ ダイニング」がオープンした。
鉄道会館ビルが解体された後の平成24(2012)年8月にグラントウキョウノースタワー第2期工事が竣工、平成25(2013)年9月にグラントウキョウの2棟を結ぶペデストリアンデッキ「グランルーフ」が竣工(左写真)、同年12月11日に八重洲口駅前広場のバスターミナルが竣工、平成26(2014)年秋に八重洲口駅前広場の全体工事が竣工した。八重洲通りの突き当たりに、壁になる形で存在していた鉄道会館ビルが解体されたことにより、東京湾側から皇居側へ向かう海風が通り抜けやすくなり、ヒートアイランド現象の改善が期待されている。
丸の内口側においては、平成19(2007)年から24(2012)年まで赤レンガ駅舎の復原工事が行われた。この復原工事の完了に伴って、赤レンガ駅舎前の駅前広場にガードレールによる仮設の交通広場が設けられたが、平成27(2015)年冬までに丸の内南口前の交通広場の再整備を行い、29(2017)年春頃までに丸の内北口前の交通広場と丸の内中央口前の「都市の広場(仮称)」を含めた丸の内駅前広場全体の再整備を完了させる予定である。また、平成26(2014)年2月、駅前広場にある総武・横須賀線地下ホーム用の換気塔を、高さ13mから4mまで切り下げると同時にデザインを変更し、駅前景観を改善させた。
さらに、平成26(2014)年に丸の内地下エリアに地下南口待合広場を整備し、29(2017)年夏までに丸の内地下エリアの全体的な再開発を完了させる予定である。この再整備により、丸の内地下エリアの内装デザインが「格調高く賑わいのある」もの一新され、地下中央口から東京メトロ丸の内線に繋がるコンコースが拡幅され、トイレや改札、コインロッカーが再配置される予定である。
また、丸の内北口と八重洲北口を繋ぐ駅構内の東西自由通路を拡幅する予定があり、駅南側にも東西自由通路を新設する計画がある。

将来の計画:
1.首都圏新都市鉄道のつくばエクスプレスが大深度地下を利用して秋葉原駅から当駅に乗り入れる計画がある。駅は丸の内ビルディング直下に建設される予定である。同線は昭和60(1985)年に当時の運輸省運輸政策審議会答申第7号が当駅起点での整備を求めながらも、採算面の問題で秋葉原駅始発へ変更された経緯がある。
2.大深度地下利用による京葉線の新宿駅経由三鷹駅までの延伸を行い、中央線と直通運転させる延長線をともに平成27(2015)年までに整備着手するのが適当であるとした。(運輸政策審議会答申第18号による)
3.京成押上線と京急線をつなぐ浅草線短絡新線により、成田空港から30分台、羽田空港から20分台のアクセスを実現させる構想がある。この構想では京急と京成の通勤電車も乗り入れるとしている。東京駅の設置場所は、丸の内仲通りの直下が有力である。
4.現在、浜松町駅止まりとなっている東京モノレールを新橋駅か東京駅へ延伸する計画がある。完成すれば成田エクスプレスとの乗り換えが便利になり、羽田・成田両空港間の(JR線での)移動時間が短縮される。JR東日本が東京モノレールを子会社化した後、平成22(2010)年から本格的な検討を始めた。しかし、東京駅への延伸は新橋駅への延伸と比べると、資金面では1000億円超となる上、工期も長くなってしまう。

参考資料:Wikipedia(2015年10月31日)
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# by fbox12 | 2017-04-08 09:24 | 鉄道・バス