fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

003b 東京駅(JR東日本/JR東海/東京メトロ)

とうきょう

 - 東京駅全体 → 003 東京駅

乗り入れ路線:
JRの駅に乗り入れている路線は、正式な路線名称上は、新幹線が東海道新幹線と東北新幹線の2路線、在来線が東海道本線・東北本線・総武本線・京葉線の4路線であり、東海道本線を当駅の在来線における所属線としている。管轄会社は東海道新幹線がJR東海、東北新幹線がJR東日本となっている。これら各路線はすべて当駅を起点としており、当駅構内にはこれら各線の0キロポストが設置されている。ただし旅客案内では後述の運転系統名称が使用される。案内上の「東北(本)線」は長・中距離列車を意味し、それらはかつて上野駅発着であったため、当駅では用いられていなかった。現在は上野東京ラインが開業し、特に東海道新幹線における車内放送の乗り換え案内を中心に使われるようになった。なお中央本線についてもかつては当駅が正式な起点であったが、当駅 - 神田間における東北本線との二重戸籍区間を解消するため、JRへの移行に伴い中央本線は神田駅が起点とされた。ただし、現在でも0キロポストは設置されている。
運転系統では、JR東日本の新幹線ホームには、以下の路線の列車が乗り入れている。
 東北新幹線
 上越新幹線 : 大宮駅から東北新幹線に乗り入れている。
 北陸新幹線(長野経由) : 高崎駅 - 大宮駅間は上越新幹線に、大宮駅からは東北新幹線に乗り入れている。
 山形新幹線 : 新庄駅 - 福島駅間は奥羽本線を走行し、福島駅から東北新幹線に乗り入れている。
 秋田新幹線 : 秋田駅 - 大曲駅間は奥羽本線を、大曲駅 - 盛岡駅間は田沢湖線をそれぞれ走行し、盛岡駅から東北新幹線に乗り入れている。
 北海道新幹線(JR北海道) : 新青森から東北新幹線に乗り入れている。

また在来線に関しても多岐にわたる運転系統が発着する。これらの在来線各線のうち、京葉線と武蔵野線が同一の線路を共有している以外は、各系統ごとに専用の線路が割り当てられている。
東海道線・宇都宮線・高崎線・常磐線 : 東海道本線と東北本線の列車線を走行する中距離電車および特急列車。長い間、当駅は東海道本線列車線の起点であったが、平成27(2015)年3月14日より、新設された上野駅からの東北本線列車線が直結し、「上野東京ライン」の運転系統として、多くの列車が東北本線列車線を走行する宇都宮線・高崎線・常磐線へ直通運転をするようになった。
 京浜東北線 : 東海道本線・東北本線の電車線を走行する近距離電車。
 山手線 : 東海道本線・東北本線の電車線を走行する環状路線。
  品川駅 - 新宿駅 - 田端駅では線路名称上の山手線を走行する。
 中央線 : 中央本線の近距離電車。
  神田駅から東北本線の専用線を経由して当駅に発着する。
 横須賀線・総武快速線 : 両線で直通運転を実施している。
  当駅以南は東海道本線地下線と支線(品鶴線)を経て大船駅から横須賀線に直通、当駅以東は総武本線を走行する。
 京葉線・武蔵野線 : 西船橋駅より京葉線を介して当駅まで直通運転を実施している。

3-1 JR東日本
a0057057_16455070.pnga0057057_22312157.pnga0057057_21413683.png
a0057057_2121251.png所在地:東京都千代田区丸の内一丁目9-1
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・東海道本線
電報略号/事務管コード:トウ/440101
駅番号:東海道線・・JT01 / 宇都宮線・・JU01 / 京浜東北線・・JK26 / 山手線・・JY01 / 中央線・・JC01
 横須賀線・総武快速線・・JO19 / 京葉線・・JE01

(写真は丸の内側駅舎)

a0057057_19365416.pngJR東日本の駅は各路線の線路とホームが南北方向に伸びているが、地下の京葉線ホームのみ東西方向に伸びている。出入口は東西南北に設けられており、西側を丸の内口、東側を八重洲口、北東側を日本橋口(右下写真)、南側を京葉地下出口と称している。
東西の駅舎を連絡する改札内通路は北・中央・南の3本があり、それぞれの通路に対応して丸の内側・八重洲側それぞれの地上に3か所の改札口がある。丸の内側の地下3か所と八重洲中央口の地下にも改札口があり、丸の内側は東京メトロ丸ノ内線や丸ビル・新丸ビル方面へ、八重洲側は八重洲地下街方面へ通じる。
このほか、新幹線の日本橋改札などがある。また、改札内通路の他に北口通路に隣接し東西の駅舎をつなぐ自由通路(1階・地下1階)がある。なお、南口にも東西の駅舎をつなぐ通路があるが、こちらは通行する人が限られている。
a0057057_15295437.png新幹線乗換口(中央・南とも。乗換窓口・精算所業務を含む)、丸の内地下北口、京葉地下丸の内口、日本橋口の業務はJR東日本ステーションサービスに委託している。
在来線の構内は非常に広い。1階は改札内商業施設が充実している。長年、地下1階はコインロッカーが多く商業施設が少なかったが、平成19(2007)年10月25日にJR東日本の商業施設「グランスタ」がオープンしたことにより人通りが爆発的に増えた。これに併せて待ち合わせ場所として有名なスポットであった「銀の鈴」のリニューアルが行われ、1階と地下1階を結ぶエスカレータが新設された。
対して、新幹線の構内はあまり広くなく、商業施設はホーム上にほぼ限られている。方面案内は以前は在来各線のフォーマットと同様の路線色(緑)バックに「番線数字・路線名・方面」が表記されたものだったが、平成17(2005)年12月10日のダイヤ改正で行先に関わらず20 - 23番線を柔軟に用いるようになると番線数字のみに交換され、同時に改札・ホームともにお知らせ表示機はフルカラーLED式に到着案内は液晶ディスプレイ式に発車標は全面的にフルカラーLED(一部は液晶ディスプレイ)による「列車名・発車時刻・行先・次の列車・停車駅と現在時刻(LEDとアナログ混在)」を表示するものに置き換えられた。
駅コンコースにはJR東日本の管轄エリアも多く、それらの店舗やレストランなどでは電子マネーとして、Suicaおよびこれと相互利用可能な交通系ICカードが利用できる。
(上写真は丸の内南口)

のりば:
在来線地上ホーム(1 ~ 10番線)
島式5面10線の高架ホームで、丸の内側から1・2・3…と順に振られている。中央線の1・2番線は3・4番線のさらに上、3階相当の高さにあり、2番線の直下に3番線がある。1・2番線はホームの両端は階段、それ以外は長いエスカレータとホーム中央にあるエレベーターでコンコースと結んでいるが9・10番線のエレベーターのみ地下1階まで結んでいる。エレベーターは南側にも設置されているが、こちらは業務用のエレベーターで係員の付き添いがないと利用することができない。9・10番線は南側のエレベーターが2つ設置されている。
5・6番線には、一部木造屋根と柱が残っていたが、開業当時からの面影を残す14本の柱は、平成26(2014)年度の改修工事で一旦撤去され、今後同ホームで保存・展示される。また、約103m分の屋根は新しい屋根に置換える。
山手線ホームの階段付近には平成18(2006)年末頃から方面案内が設置され、同時に出口・乗り換え案内も設置された。
1・2番線の発車標は路線図(停車駅案内)と一体化したものが使用されている。
1・2番線には中央ライナー・青梅ライナーのライナー券と特急「あずさ」号・特急「かいじ」号の自由席特急券の自動券売機が設置され、7~10番線にはSuicaグリーン券と特急「踊り子」号の自由席特急券(9・10番線のみ)の自動券売機が設置され、9・10番線には湘南ライナーの普通車のライナー券の自動券売機が設置されている。このライナー券の自動券売機は品川駅などと同様、500円以上の現金を投入すると自動で発券し、また、発車1分前に販売を終了する。ライナー券の自動券売機はSuica等の交通系ICカードは使えない。
以上のように、高架、地上、地下の全ホームを合わせて11面22線のホームがあり、JR東日本の駅では最多のホーム数である。

在来線 地上ホーム
a0057057_1521481.png1・2番線 中央線 下り 御茶ノ水・新宿・立川方面
 特急「(スーパー)あずさ」「かいじ」(右写真:2番線)
3番線 京浜東北線 北行 上野・大宮方面
4番線 山手線 内回り 上野・池袋方面
5番線 山手線 外回り 品川・渋谷方面
6番線 京浜東北線 南行 蒲田・関内方面
a0057057_15101130.png


7・8番線 上野東京ライン(宇都宮・高崎・常磐線) 下り(北行) 上野・大宮・宇都宮・高崎・水戸方面
 常磐線特急「ひたち」・「ときわ」(左写真:8番線から9・10番線側・・上野東京ライン開通前)
a0057057_17574183.png9・10番線 東海道線(上野東京ライン) 下り(南行) 品川・横浜・小田原・熱海・伊東方面(一部当駅始発7・8番線)
 特急「(スーパービュー)踊り子」、寝台特急「サンライズ出雲・サンライズ瀬戸」は9番線発車(右写真)
7・8番線から発車する東海道線の列車は、夜間の平日2本・土休日1本のみである。7・8番線の現地標識は上野東京ラインと東海道線が併記されていたが、利用者の混乱防止のため、現在は階段付近の標識はテープで「東海道線」の表記を隠してある。

JR東日本 新幹線ホーム
20 ~ 23番線 東北・北海道・山形・秋田新幹線 下り 仙台・盛岡・新青森・新函館北斗・山形・新庄・秋田方面
 上越・北陸(長野経由)新幹線 高崎・長岡・新潟・長野・富山・金沢方面

a0057057_16521764.jpg総武地下ホーム
1・2番線(写真柱の向こう側)
 横須賀線 下り 横浜・大船・鎌倉・逗子・横須賀・久里浜方面(一部始発3・4番線)
 特急「しおさい」「成田エクスプレス」
3・4番線 総武線(快速)錦糸町・船橋・津田沼・千葉・成田空港方面(一部始発1・2番線)
 特急「成田エクスプレス」

京葉地下ホーム
1 ~ 4番線 京葉線・武蔵野線 舞浜・海浜幕張・蘇我・西船橋方面
 (特急「さざなみ」「わかしお」は1・2番線発着)

3-3 JR東海
a0057057_16575447.pnga0057057_17383946.pnga0057057_21294898.png

所在地:東京都千代田区丸の内一丁目9-1
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道新幹線
電報略号:トウ

(写真は八重洲側駅舎:駅舎そのものはJR東日本所有)

JR東海東海道新幹線はJR東日本の新幹線の隣の東側(八重洲寄り)にあり、その部分は自社管理区域となっていて標識のフォーマット、各種宣伝や広告などもJR東海のものである。
JR東海直営のみどりの窓口はJR東日本のそれとは違い「新幹線・JR全線きっぷうりば」と簡潔な表現で大書されており、相互に発売可能なJR東日本と競争している。JR東海系列の東海キヨスクの店舗もある。
専用改札口は八重洲改札と、JR東日本の新幹線と並んで設置されている日本橋改札他全部で5か所がある。丸の内側からはJR東日本の在来線改札内経由(中間改札)で改札内に入れる。八重洲口を含めた出口・駅舎はJR東日本の所有のものを共同使用する形となっている。また一部の改札口には自動改札機が設置されていない。
新幹線中央乗換口、新幹線南乗換口ともに窓口業務を含めて新幹線メンテナンス東海に委託している。
商業施設はホーム上にほぼ限られているが、平成18(2006)年2月22日のJR東海社長の定例会見で「新幹線改札口を5か所から6か所に増やす」「内装や外装を全面的にリニューアルする」などの旨を明らかにしている。平成24(2012)年1月に工事は完了し、2月25日より「八重洲南口改札」として開設した。また、同時に「八重洲中央口改札」の名称が「八重洲中央北口改札」に変更された。
以前は各ホームエレベーターは南に業務用のエレベーターが2台のみ設置され利用する際は係員の付き添いがないと利用できなかったが、現在は新たにホームの中央に客用のエレベーターが1台設置されたため係員の付き添いがなくても利用できる。
構内北端が東京メトロ東西線(大手町駅)と地下でつながっている。

のりば:
新幹線ホーム(14 ~ 19番線)
島式3面6線の高架ホームである。このうち14番線は23番線のすぐ東にある。14・15番線は神田寄りが丸の内側へ湾曲している。前述したが、コンコースでは改良工事が行われている。
14・15番線の神田寄りが大きくカーブしているのは東北・上越新幹線との直通を想定したためであったとされている。
14・15番線では平成20(2008)年9月17日より、16 ~ 19番線では同年12月12日より、「のぞみ」で平成15(2003)年まで使用されていた車内始発・終着用チャイムが発車メロディとして使用されるようになった。JR東海の発車メロディの導入はこれが初の事例である(313系に搭載されている車外メロディは除く)。
各改札・ホームとも発車標とお知らせ表示機はフルカラーLED式のものが使用されその他フルカラーLED式の乗車位置案内も各ホームに設置されている。改札口上部に掲げてある発車標は、3種別の本数の割合を考慮した「のぞみ」単独の発車案内と「ひかり・こだま」を合わせた発車案内の2台となっている。
ゼロキロポストの他、記念モニュメントも複数ある。18・19番線の8号車乗車位置付近のホーム中央床面には起点と方位を示すレリーフが、同ホーム南端には十河信二のレリーフと座右の銘「一花開天下春」があしらわれた建設碑が、同ホームの下、中央乗換口(新幹線改札内)の東端壁面には「東海道新幹線 この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」と記された銘版がある。

のりば:
14 ~ 19番線 東海道新幹線 名古屋・新大阪方面

3-2 東京メトロ
a0057057_14522891.png所在地:東京都千代田区丸の内一丁目6-5
所属・路線:東京地下鉄株式会社・丸ノ内線
電報略号:トウ
駅番号:M17

丸の内側に位置する島式ホーム1面2線を有する地下駅である。比較的地下浅い所にある。八重洲に出るためには北側自由通路を通ってJR構内a0057057_14524457.pngを大きく迂回する必要がある。平成2(1990)年12月半ばに本格的な自動改札機を導入した。平成5(1993)年11月には、御茶ノ水駅から定期券うりばが移転した。
平成20(2008)年春に、ホームの側壁に女子美術大学の非常勤講師2名によるデザインのアートウォール「自由に走る丸ノ内線」が設置された。コンセプトは「歴史と自然とトレンドの融合」で、営団500形電車で使われていた銀色のサインウェーブを下部に再現するとともに自由に飛ぶ鳥を随所に設置した。

a0057057_15124516.pngのりば:
1番線 丸ノ内線 銀座・新宿・荻窪方面
2番線 丸ノ内線 大手町・池袋方面

参考資料:Wikipedia(2016年9月10日)
現地取材:17.4.-5/28.10.11他
記事投稿:
  調整:28.9.12/29.6.-5/29.6.13

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# by fbox12 | 2017-06-14 17:17 | 鉄道・バス

222 新富町駅(東京メトロ)

a0057057_10325889.pngしんとみちょう

所在地:東京都中央区築地一丁目1-1
所属・路線:東京地下鉄株式会社・有楽町線
電報略号/駅番号:トミ/Y20
キロ程:(和光市起点)22.4km

概要:計画時点では「明石町」と仮称されていたが、地元の要望などがあり現駅名となった。
公式の乗換駅ではないが、日比谷線 築地駅が 至近にある。また、近くに水上バスののりばもある。

歴史:
昭和55(1980)年3月27日 - 帝都高速度交通営団(営団地下鉄有楽町線)が銀座一丁目駅から当駅まで開業し、終着駅となる。
昭和63(1988)年6月8日 - 有楽町線が新木場駅まで延伸し、途中駅となる。
平成16(2004)年4月1日 - 営団地下鉄の民営化に伴い、東京メトロが継承する。
平成25(2013)年6月29日 - ホームドア設置

駅構造:
相対式ホーム2面2線を有する地下駅。有楽町線の駅で相対式ホームを有するのは氷川台駅と当駅のみである。当駅は鉄筋コンクリート製ボックスラーメン構造を採用している。この構造では、頂板(天井のコンクリートスラブ)の支間を小さくするため、2本の線路の間に柱部材を設けるのが原則である。しかしながら、当駅ではこの柱が見られない。これは、接続する本線部が複線シールド工法を用いており、駅部に柱を設けると複線シールドの断面も大きくしなければならず、これを回避したことによる。当駅が終着駅であった時には、銀座一丁目寄りに折り返し用の渡り線があったが、新木場への延伸により途中駅になるのに合わせて不要となったため、撤去された。しかし、撤去された跡が残っているので、確認することは容易である。若干カーブがかかっているため、B線(池袋・小竹向原・和光市方面)ホームは、終日駅員による立ち番がいる。

のりば:
1番線 有楽町線 月島・豊洲・新木場方面
2番線 有楽町線 池袋・和光市・(和光市から東武東上線)森林公園
    または(小竹向原から)(西武有楽町線経由西武池袋線)飯能方面

参考資料:Wikipedia(最終更新 2017年4月15日)
現地取材:17.5.-5
記事投稿:29.6.-8
  調整:29.6.12

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# by fbox12 | 2017-06-12 21:02 | 鉄道・バス

1-241 三河一宮郵便局 愛知県豊川市

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みかわいちみやゆうびんきょく

所在地:愛知県豊川市一宮町社53
店番:21214
開設:大正11(1922)年7月16日

概要:
JR飯田線と並行する国道151号線沿いに三河國一宮、砥鹿神社と並ぶようにある郵便局。


最寄駅・バス停:
 JR飯田線 三河一宮(みかわいちのみや)
 豊鉄バス 砥鹿神社前(とがじんじゃまえ)(停)

預入記録:
a0057057_21493453.png



整理番号:283/[ゆ2]4-11
記事投稿:29.6.-1
  調整:29.6.-6/29.6.10

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# by fbox12 | 2017-06-10 21:57 | 郵便局・銀行

2-9000 飯野ビル内郵便局 <廃止> 東京都千代田区


いいのびるない*

所在地:東京都千代田区内幸町2-1-1
局種:無集配の直営局(旧 無集配特定局)
店番(為替貯金番号):00423
設置:昭和35(1960)年11月1日
   平成20(2008)年1月26日 一時閉鎖
   平成21(2009)年9月30日  閉鎖中廃止

イイノホールがある「飯野ビル」にあった郵便局。ビル改築に伴い近隣局と距離至近のため一時閉鎖のち廃止された。
ただし、改装成った新ビルには窓口はないが、ゆうちょ銀行・かんぽ生命が7フロア分オフィスとして入居している。

預入記録:
a0057057_15231859.png




整理番号:(仮)省8-205

記事投稿:29.6.-5
  調整:29.6.-8

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# by fbox12 | 2017-06-10 21:40 | 郵便局・銀行

221 儀保駅(ゆいレール)

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a0057057_10500851.pnga0057057_10500807.png

ぎぼ

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所在地:沖縄県那覇市那覇市首里儀保町三丁目14-3
所属・路線:沖縄都市モノレール株式会社・沖縄都市モノレール線(ゆいレール)
駅番号:14
キロ程:(那覇空港起点)11.84km

概要:
県道82号(環状2号線)の急坂を首里へと登っていく途中に位置するため、ホームからa0057057_10500873.png那覇市街・那覇港を遠望することができる。また、南方の山上には首里城も望まれる。周囲は予備校や学習塾が林立する文教地区であり、琉球大学の最寄り駅でもある。大学までは路線バスで25分程度の所要時間がかかる。
駅到着時の車内チャイムは、沖縄を題材としたフォークソング『芭蕉布』を編曲したものが流れる。改札付近での沖縄方言による案内放送では「じーぶ」と発音される。

歴史:
平成15(2003)年8月10日 - 開業。

駅構造:
島式ホーム1面2線を有する高架駅。エスカレータ・エレベーター設置。

のりば:1番線ホーム 沖縄都市モノレール線 首里方面
    2番線ホーム 沖縄都市モノレール線 おもろまち・牧志・県庁前・小禄・那覇空港方面駅

参考資料:Wikipedia(2017年4月15日)
現地取材:29.5.17
記事投稿:29.6.-7

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# by fbox12 | 2017-06-07 16:40 | 鉄道・バス

205 豊橋駅 (JR東海/名鉄/ JR貨物 )

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a0057057_2243570.pnga0057057_22173517.png

とよはし

所在地:愛知県豊橋市花田町字西宿
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道本線/名古屋鉄道株式会社・名古屋本線/日本貨物鉄道株式会社
電報略号/事務管コード:トヨ/520135
駅番号:(名鉄)NH01
キロ程:(東京起点)293.6km
  名鉄(豊橋起点)0.0km
乗換:新豊橋駅(豊橋鉄道渥美線)、駅前停留場(豊橋鉄道東田本線)

概要:
愛知県東部、東三河地区の中心都市・豊橋市に位置し、その中心市街地に立地する駅である。隣接する駅も含めて多数の鉄道路線が伸び、加えて路面電車・路線バスなどの公共交通機関も集中しており、「東三河の交通拠点」として位置づけられている。
豊橋駅はJR東海・JR貨物・名鉄の3社が運営。乗り入れる路線は、JR線は東京駅(東京都)と新大阪駅(大阪市)を結ぶ東海道新幹線、東京駅と神戸駅(神戸市)を結ぶ東海道本線、豊橋駅を起点に辰野駅(長野県)までを結ぶ飯田線、名鉄は豊橋駅を起点に名鉄岐阜駅(岐阜県)に至る名古屋本線、計4路線である。また、隣接する新豊橋駅からは三河田原駅までを結ぶ豊橋鉄道渥美線、駅前停留場からは路面電車の豊橋鉄道東田本線の2路線がそれぞれ伸びている。
このうち愛知県の中心・名古屋市へは、JR東海道新幹線・東海道本線と名鉄名古屋本線の3路線が通じる。この区間ではJR東海・名鉄の両社から各種特別企画乗車券が発売されており、激しいシェア争いが展開されている。ただし豊橋駅は両社の「共同使用駅」であり、構内を共有している。なお、平成17(2005)年から誤乗を防ぐためか、名鉄線用の発車標は、通常省略される「名鉄岐阜」「名鉄一宮」「名鉄名古屋」の名鉄を省略せずに表示している。
貨物営業を担当するJR貨物は東海道本線と飯田線において第2種鉄道事業者として貨物列車を運転しているが、豊橋駅に停車する貨物列車は存在しない。ただし、コンテナ取扱駅としての機能は豊橋オフレールステーションとして残存する。
駅の開業は明治21(1888)年。当初からの東海道本線に加え明治30(1897)年に飯田線、昭和2(1927)年に名鉄線が乗り入れ、昭和39(1964)年に東海道新幹線が開通して現在の路線網ができあがった。JRと名鉄の2社が運営する現在の体制になったのは昭和62(1987)年の国鉄分割民営化によるものである。同年3月15日まで国鉄二俣線の一部列車が東海道本線経由で直通運転していたが、開始時期は不明。

沿革:開業までの経緯
豊橋は東海道沿いに江戸時代からある??田藩の城下町・宿場町(??田宿)で、豊川(とよがわ)の湊町としても栄えていた。
愛知県下では明治19(1886)年に知多半島で鉄道がすでに開通し、西へ向かって順次延伸されていた。東京と大阪を結ぶ幹線鉄道計画が東海道ルートで決定後、東への延伸も開始。明治21(1888)年9月1日、大府驛から靜岡縣の濱松驛まで新たに開通し、豐橋驛も同時に内閣鐵道院の路線の駅として開業した。なお、東京から神戸までの、東海道線にあたる鉄道の全通は翌1889年(明治22年)だった。
駅が開設された所在地は、豊橋町ではなく渥美郡花田村西宿だった。当時の町の中心から西南に約600メートル離れた場所とはいえ、駅の開業は豊橋が発展する契機になった。駅前から市街地の上伝馬町まで停車場通り(後の常盤通)が建設された。そのころ駅や通りの周囲には田畑が広がり、駅前には旅館3軒・貨物を扱う運送屋1軒という状態だった。その後徐々に様相が変化し、駅周辺は新たな町の中心地として発展していった。ちなみに、明治39(1906)年、豐橋町が花田村を合併して名実ともに豐橋驛になった(その後市制を施行し豊橋市になった)。
明治30(1897)年7月15日、豐川驛まで、豐川鐵道という私鉄の路線が開通。これは現在の飯田線の一部にあたる。同社は元々、宝飯郡下地町(現 豊橋市、豊川(とよがわ)北側の地域)と豐川驛を結ぶ鉄道を計画していたが、豊川に架橋して豐橋驛に接続した。こうして豐橋驛を共用していたが、明治32(1899)年に北側へ独立して「??田驛」を開設した。この??田驛は大正末期に改築、階上に食堂を併設する、三角形の側壁を特徴とする鉄筋コンクリート造の建物になった。
明治41(1908)年、市に隣接する髙師村(現 豊橋市)に陸軍の第15師団が設置された。これを契機に市の玄関口の豐橋驛にも影響を与え、「市制施行以来、豐橋市を最も大きく変容させた」と記録されている。乗客や貨物が増加し、戦時における師団の移動の観点からも駅の拡張が希求された。明治44(1911)年、駅拡張工事着工、大正5(1916)年、新駅舎完成。開業時からの旧駅舎は建坪約45坪(150m2)の瓦葺き平屋建てだったが、新駅舎は約145坪(480m2)の石磐葺平屋建てで、入り口には車寄せを設けた近代的な建物になった。
1920年代には、豐橋駅周辺に相次いで私鉄路線が加わった。大正14(1925)年、市内に豐橋電氣軌道(現 豊橋鉄道東田本線)の路面電車が開通、駅前に北側から乗り入れる駅前停留場を設置した。昭和2(1927)年、渥美半島の田原とを結ぶ渥美電鐡(現 豊橋鉄道渥美線)が豐橋驛の400mほど南に新豐橋驛(初代。現 花田信号所)を設置。同年、愛知電氣鐡道豐橋線(現 名鉄名古屋本線)が豐川鐡道の??田驛へ乗り入れて全通した。
同昭和2(1927)年、鐵道省豐橋驛も再度の駅舎改築。昭和4(1929)年、西口が新設された。

愛知電氣鐵道の乗り入れ:
名鉄の前身にあたる愛知電氣鐵道(以下愛電)は、昭和2(1927)年6月1日より??田驛に乗り入れたが、以下のような経緯による。
明治45(1912)年、愛電は知多半島西部で路線(現 常滑線)を開通させた。大正6(1917)年、起点の神宮前驛(名古屋市)より東へ路線を延ばし始めた。大正12(1923)年、東岡崎驛(岡崎市)へ到達。大正15(1926)年、豐川鐡道小坂井驛(豐川鐡道??田驛から当時2つ目の駅)に乗り入れた。
豐橋方面へは、愛電が小坂井驛南方に伊奈驛-??田驛までの単線を新設の上で既存の豐川鐡道線の単線と合わせて複線として両社共用する方式をとり、新線が昭和2(1927)年6月1日に開通し??田驛乗り入れを果たして、愛電豐橋線・神宮前-??田間の全通となった。
全通した豐橋線には高速運転をする特急列車や急行列車が新設され、その所要時間は特急63分・急行72分と同区間の鐡道省東海道線に比して40-50分早い高速運転を実施した。さらに昭和5(1930)年からは「超特急あさひ」が1往復新設され、神宮前-??田間を57分で結んだ。このような愛電の優位により、短期間で乗客が東海道線から愛電に流れた。
昭和10(1935)年、愛電は名岐鐡道と合併、名古屋鐡道になった。
太平洋戦争中の昭和18(1943)年、豐川鐡道の路線は国有化され、鐡道省飯田線の一部となった。これに伴い??田驛は豐橋驛に併合され、??田驛を共同使用していた名鉄も豐橋驛への乗り入れ、鐡道省との共同使用へと変更された。同様に線路の共用複線は、買収を経た鐡道省と直接的なライバル関係になったものの解消はされず、JRになった現在でも継続して行われている。

戦災と復興:
太平洋戦争末期の昭和20(1945)年6月19日夜、豊橋の街はアメリカ軍によって空襲された(豊橋空襲)。市街地の約90%が焼失する被害を受け、豐橋驛も機関区と配電室を除いて被災、駅舎は全焼した。飯田線は6月22日に、名鉄線は翌23日に再開したが、東海道本線が平常運転に復するのに1週間を要し、駅の一般乗降客の取り扱い再開は7月20日だった。 空襲後、駅舎は東海道本線側はバラックで営業を続け、飯田線・名鉄線側(旧 ??田驛)についてはコンクリート壁だけが焼け残った残骸のまま使用されていた。
空襲から5年後の昭和25(1950)年、新駅舎が再建された。この駅舎は、国鉄以外の企業・自治体などが駅舎の改築工事費を分担し、竣工後に一部を商業施設などに使用する「民衆駅」の第1号として有名である。木造2階建て・建坪560坪(1850㎡)で、1階に飲食店・理髪店・雑貨店など民間の商業施設が、2階には市民出資の「豊栄百貨店」が入居した。同時期に、駅前広場の拡張も実施された。従来の広場面積は4,000㎡を拡張して18,600㎡とした。広場には、防火用水と広場の美化を目的に噴水も設置された。

戦後の展開:
昭和28(1953)年、東海道本線の電化区間が豊橋駅を経て名古屋駅まで到達した。これにあわせて東京駅と大阪駅を結ぶ特急「はと」が豊橋駅への停車を開始した。
一方名鉄は昭和23(1948)年、名岐線と豐橋線を一体化して豐橋驛と新岐阜驛(岐阜県岐阜市、現 名鉄岐阜駅)を結ぶ「名古屋本線」と改称した。伴って豊橋と岐阜を結ぶ直通列車の運転開始。
昭和39(1964)年10月1日、東海道新幹線が東京駅から新大阪駅まで開通。このとき、豊橋駅にも新幹線の駅が新設された。新幹線駅が建設された豊橋駅西口は鉄筋コンクリート造2階建ての橋上駅舎に改築された。
その後新幹線の開通と東三河地域の工業開発により乗降客数のさらなる増加が見込まれ、駅舎の改築を開始。改築に先立ち、初代民衆駅2階にあった「豊栄百貨店」は昭和43(1968)年に駅東口に新ビルを建て地下1階・地上7階建ての「シャルマン豊栄」として移転した。しかし2年後に火災が発生、営業を休止している。
昭和45(1970)年、完成された新駅舎は、地下1階・地上3階建て、鉄筋コンクリート造の駅ビルとして開業した。駅ビル「豊橋ステーションビル」は100余りの店舗が入居する商業施設を兼ねており、運営会社として豊橋市も出資する豊橋ステーションビル株式会社が設立された。また、駅ビル建設と平行して市は駅前の整備にも着手。駅前の混雑解消と歩行者・車両の分離を図り、昭和51(1976)年までに東口コンコースと駅前街区などを結ぶ地下道と、西口と東口を結ぶ東西連絡地下道からなる総延長約700mの地下道を完成させた。

JR発足後:
昭和62(1987)年、国鉄の分割・民営化により国鉄豊橋駅の旅客営業はJR東海に、貨物営業はJR貨物に継承された。
JR東海は会社発足当時から、建築から20数年を経て陳腐化した駅ビルのリニューアルを計画していた。豊橋市側でも東西自由通路を整備し駅周辺の活性化を図る計画があり、平成2(1990)年にJR東海と市は駅ビルリニューアル・自由通路整備等の推進で合意、東西自由通路・橋上駅舎・東口駅前広場の整備と駅ビル増改築からなる「豊橋駅総合開発事業」が進められることになった。平成6(1994)年に本体工事に着手、市政90周年に合わせた平成8(1996)年、まず第一段階として自由通路と橋上駅舎が完成。第二段階として平成9(1997)年までに商業施設とホテルからなる駅ビルが開業した。駅ビルは既存ビルに2層増築して5階建てのビルとし、その線路側に13階建てのホテル棟を新築して延べ床面積を従来の4倍にあたる約40,000㎡とした。東口駅前広場の整備は平成10(1998)年に完成。約5,000㎡のペデストリアンデッキが整備され、デッキ下の1階部分にはバス・タクシー・路面電車といった公共交通機関のターミナル機能が集約された。このうち路面電車については軌道が約150m延伸され、駅に直結する形となった。
続いて平成16(2004)年から、東口南側の地域において再開発事業が開始された。駅近くにありながら東海道本線と豊橋鉄道渥美線に挟まれているため低未利用地だった(それまで駐車場として使用されていた)貨物駅・操車場跡地を再開発する事業である。平成20(2008)年3月に新豊橋駅との乗り換え距離を短縮する南口自由連絡通路が整備され、6月に渥美線新豊橋駅の移設が完成、低未利用地の活用と渥美線との乗り換え利便性向上が達成された。
ちなみに、現在、新幹線車内放送でも豊橋鉄道への乗り換え案内を行っている。

年表:
明治21(1888)年9月1日 - 官設鉄道(当時は、内閣鐵道局)の駅として、豐橋驛開業
明治30(1897)年7月15日 - 豐川鐵道が豐川驛まで開通、同鐵道豐橋驛開設
明治32(1899)年12月11日 - 豐川鐵道の豐橋驛を??田驛に改称
明治42(1909)年10月12日 - 線路名称制定。豐橋驛を通る官設鉄道線を東海道本線と命名
大正5(1916)年7月10日 - 駅舎改築、新駅舎使用開始
大正14(1925)年7月14日 - 駅前に、豐橋電氣軌道(現 豊橋鉄道東田本線)の駅前停留場開業
昭和2(19279年5月27日 - 駅舎改築
 6月1日 - ??田驛に、愛知電氣鐵道豐橋線が乗り入れ
 10月1日 - 駅南南東に、渥美電鐵(現 豊橋鉄道渥美線)の新豐橋驛開業
昭和4(1929)年4月21日 - 西口開設
昭和10(1935)年8月1日 - 愛知電氣鐵道が合併で名古屋鐡道(二代目:現 名鉄)になる。
昭和11(1936)年12月1日 - 二俣西線(現在の天竜浜名湖線の一部) 新所原-三ヶ日間 (12.1km) 開業。(豐橋驛乗り入れ開始時期は不明)
昭和18(1943)年8月1日 - 豐川鐡道が国有化され飯田線となる。あわせて??田驛を豐橋驛に統合、豐橋驛は国有鉄道と名鉄の共同使用駅となる。
昭和20(1945)年6月20日 - 空襲で駅全焼
昭和21(1946)年2月1日 - 西口の営業再開
昭和23(1948)年5月16日 - 名鐡豐橋線、名古屋本線に改称
昭和25(1950)年3月14日 - 「民衆駅」の新駅舎が竣工
 3月30日 - 国鉄総裁加賀山之雄臨席のもと新駅舎竣工式挙行
 4月1日 - 新駅舎開業
昭和28(1953)年7月21日 - 東海道本線の浜松駅から名古屋駅まで電化。この日から特急「はと」が豊橋駅に停車開始
昭和39(1964)年10月1日 - 東海道新幹線開通、新幹線停車駅となる。
昭和45(1970)年7月1日 - 新駅舎「豊橋ステーションビル」営業開始
昭和61(1986)年11月1日 - 荷物取り扱い廃止
昭和62(1987)年3月15日 - 国鉄二俣線の廃止に伴い9・10番線ホーム廃止
 4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄豊橋駅は東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)が継承。
平成8(1996)年9月16日 - 橋上駅舎・東西自由通路使用開始
平成9(1997)年3月9日 - 駅ビル商業施設「カルミア」開業
 6月11日 - 駅ビルのホテル「ホテルアソシア豊橋」開業
平成10(1998)年2月19日 - (豊橋鉄道)駅前停留場が東口駅前広場のペデストリアンデッキ下(現在地)に設置
 3月 - ペデストリアンデッキ、豊橋駅東口サークルプラザ新設など東口駅前広場の整備完成
 10月3日 - JR貨物、豊橋駅を「自動車代行駅」に指定。コンテナ貨物列車設定廃止
平成15(2003)年10月1日 - 新幹線ダイヤ改正で「ひかり」停車本数増加(1日上下6本ら16本へ)
平成17(2005)年6月25日 - 名鉄においてトランパスが利用可能に(平成24(2012)年2月29日をもってサービス終了)。
平成18(2006)年11月25日 - JR東海においてICカード「TOICA」の利用が可能となる。
平成20(2008)年3月11日 - 南口自由連絡通路新設
平成23(2011)年2月11日 - 名鉄においてICカード「manaca」の利用が可能となる。
平成24(2012)年4月21日 - TOICA・manaca相互利用が可能となる。飯田線・名鉄線ホーム(1・2・3番線)にはJR←→名鉄の乗り換え用簡易改札機が設置された。
平成27(2015)年8月7日 - 在来線改札内の「駅ナカ」化による第1号店として「ベルマート豊橋店」がオープン。10月には「成城石井」や「ミニプラ」など4店舗が、12月には「PRONTO」などが入る「フードテラス」がオープンした。

駅構造:
豊橋駅のホームは、大きく分けて東側にJRの在来線(東海道本線・飯田線)と名鉄線のホームが、西側に新幹線のホームが配置されている。新幹線の駅は高架駅である例が多いが、豊橋駅は地上駅で、在来線のみならず新幹線も線路やホームがほぼ地平レベルに存在する。

在来線・名鉄線:
a0057057_2271737.png在来線・名鉄線のホームは計5面8線。ホームの形状は、片側のみに線路が接する単式ホーム(1面1線)、両側に線路が接する島式ホーム(2面4線)、そしてホームの端が同一平面で繋がった頭端式ホーム(櫛形ホーム・2面3線)が混在する。ホーム番号は東側を起点に1番線から8番線まであり、頭端式ホームの3線が1・2・3番線(左写真右側が1番線、左側が2番線)、単式ホームの1線が4番線、島式ホームの4線が5・6・7・8番線である。頭端式ホームは4番線の単式ホームの北側を切り欠いた形で、同一平面上で移動が可能である。
a0057057_2265128.png1・2番線に飯田線の列車が、3番線に名鉄線の列車が発着し、4-8番線には東海道本線の列車が発着する。ただし、使用頻度はごくわずかだが4番線も飯田線の列車が使用する。

a0057057_2253118.png飯田線の列車が1・2番線に入線中に名鉄線の列車の出発は可能だが、名鉄線の列車の入線中に1・2番線の飯田線の列車の出発または飯田線の列車が出発中に名鉄線の列車の入線は不可となっている。東海道本線は上り、下り列車ともに4~8番線の各線から出発はできるが、入線は上り列車が4~6番線、下り列車が7・8番線に限られる。 このため、浜松方面から飯田線に乗り入れる列車が設定される場合は、豊橋駅停車後、西小坂井駅まで引き上げられ、西小坂井駅留置線で方向転換ののち4番線に再入線する。現在でも飯田線の特急「伊那路」に使用される373系電車は浜松駅から普通列車または回送列車として豊橋駅まで送り込まれるが、この際にも豊橋駅下り線に入線したのち、上述の経路で豊橋運輸区まで転線を余儀なくされている。かつて、静岡地区を拠点にジョイフルトレイン「ゆうゆう東海」や急行形電車を使用した飯田線直通運転の臨時観光列車が頻繁に運行された時期があるが、この際には多くの場合、乗客を乗せたまま豊橋-西小坂井間を往復していた。この転線措置は東海道本線浜松方面から飯田線に乗り入れる場合にのみ行われているものであり、飯田線から東海道本線上り方向に直通する場合、あるいは名古屋方面と飯田線との相互間の直通運転に際してはこのような転線措置は不要であるため行われない。

ホームの使用状況を表で示すと以下のとおりである。
豊橋駅在来線プラットホーム
1・2番線 飯田線 豊川・飯田方面
3番線 名鉄名古屋本線 東岡崎・名鉄名古屋方面
a0057057_2245434.png4番線 東海道本線 下り 岡崎・名古屋方面
    飯田線 豊川・飯田方面
5 - 8盤線 東海道本線 下り 岡崎・名古屋方面
       上り 浜松・静岡方面
8番線の西側にもう1面島式ホームがある。これはかつて豊橋駅まで直通運転していた二俣線(現・天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線、2つ東の新所原駅が起点)のホームで、直通運転をとりやめた現在では留置線に使用されるのみである。このため9・10番線は欠番となっている。
構内にはホームに隣接しない線路も複数存在する。そのうち東海道本線の浜松寄り東側に伸びる線路は、豊橋鉄道渥美線の花田信号所に繋がる。ここはかつて渥美線との間で貨車の受け渡しが行われた場所で、現在では新車搬入の際などに使用される。また構内の名古屋寄り(1・2番線ホーム北側)には豊橋運輸区がある。
建設時の経緯から飯田線の前身・豐川鐡道と名鉄の前身・愛知電氣鐵道は、豊橋駅から平井信号場までの約4kmの区間において線路を共用したが、これは両者がJR東海・名鉄となった現在でも残る。この共用区間では、名鉄の列車本数は1時間あたり最大6本と協定によって制限されている。

新幹線
新幹線のホームは計2面3線で、ホームの形状は単式ホーム(1面1線)および島式ホーム(1面2線)である。ホーム番号は東側(在来線側)から11番線・12番線・13番線の順で、島式ホーム東側が11番線、その反対側が12番線、単式ホームが13番線である。基本的に、12番線を上り列車が、13番線を下り列車が使用する。11番線はダイヤが乱れた際の予備のホームで通常列車は発着せず、工事用車両の留置に供される。12番線と13番線の間には上下の通過線が通る。
13番線は単式ホームであるが、反対側(西側)に14番線を増設するスペースが確保されている。

豊橋駅新幹線プラットホーム
11・12番線 東海道新幹線 上り 新横浜・東京方面
13番線 下り 名古屋・京都・新大阪方面

駅舎:
駅舎は東西自由通路を併設する橋上駅舎であり、ホームの上空部分に設置されている。橋上の改札階とホームの移動用に階段のほか、エスカレーター・エレベーターが各ホームに設置されている。改札口はJR線・名鉄線改札口と新幹線改札口の2か所で、どちらも自由通路に面する。
みどりの窓口設置駅。JR東海の駅としては駅長配置駅(直営駅)であり、管理駅として二川駅を管理している。

駅ビル
駅ビルは東口側にあり、橋上駅舎とあわせて整備された。地下1階・地上5階建ての建造物と、飯田線・名鉄線上空部分を含めた地上13階建ての高層棟が一体となったビルである。名称は「豊橋ステーションビル」で、地下1階から地上4階までが商業施設、地上1・2階の一部と5階から13階までがホテルとして使用されている。商業施設の名称は「カルミア」で豊橋ステーションビル株式会社が運営、ホテルの名称は「ホテルアソシア豊橋」で株式会社ジェイアール東海ホテルズが運営する。ビルの2階部分に駅の改札口へ通じる自由通路が通り、その自由通路から豊橋鉄道新豊橋駅へ通じる南口自由連絡通路が分かれる。

貨物の取り扱い:
a0057057_22345643.png豊橋オフレールステーション
豊橋オフレールステーション(略称:豊橋ORS)は、豊橋市北島町中川原(船町駅北東側)にあるJR貨物のコンテナ取扱駅である。コンテナ取扱駅ながら貨物列車が発着せず、列車輸送にかえて最寄の列車発着駅までトラックによる代行輸送を行う「オフレールステーション」のひとつ。豊橋ORSの場合、トラック便は西浜松駅(浜松市)との間に1日3往復設定されている。大型コンテナおよび産業廃棄物の取り扱いは豊橋ORSでは行っていない。
豊橋駅はかつて貨物列車が発着していたが、平成10(1998)年10月3日より発着のない「自動車代行駅」に変更された。さらに平成18(2006)年4月1日、トラックで代行輸送を行うコンテナ基地の名称を統一した際、ORSとなった。列車の発着がないものの豊橋ORSには線路が残る。しかし、車止めが設置されており旅客駅側とは分断されている。

その他:
国鉄(のちJR貨物)が展開する「物資別適合輸送」の1つにかつては飼料輸送があり、国鉄は日本飼料ターミナル株式会社を昭和44(1969)年に設立、配合飼料の中継サイロ基地を養鶏が盛んな場所へと設置していた。この中継基地が同年12月、豊橋駅にも新設されている。しかし、1970年代後半以降の利用の低下で基地は閉鎖され、会社そのものも昭和61(1986)年に解散した。
また、豊橋駅は貨車操車場の機能を持っていた時期がある。飯田線沿線の佐久間ダム建設の際、ダム建設資材輸送のための飯田線輸送力増強の一環として、豊橋駅の操車場機能が強化され、昭和30(1955)年駅が拡張された。操車場としての分類は昭和53(1978)年10月ダイヤ改正の時点で「地区指定組成駅」であったが、昭和59(1984)年2月ダイヤ改正に伴うヤード集結系貨物輸送の廃止によって役目を終えた。


参考資料:Wikipedia(2017年4月1日)
現地取材:28.12.28他
記事投稿:29.4.-2
  調整:29.6.-5

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076-90 岩淵駅 (国鉄)(→富士川(JR東海))

a0057057_11145175.pngいわぶち(→ふじかわ)

所在地:静岡県庵原郡富士川町
所属・路線:日本国有鉄道・東海道本線
(上記いずれも駅名改称時)
(現 所在地:静岡県富士市中之郷1228-4 /所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道本線)

歴史:
現在の東海道本線にあたる官設鉄道線の建設が決定した際、駅に関しては、当初宿場町単位で設置する予定であり、吉原宿の隣(次)は蒲原宿のあたりに設置する予定であった。その間にある岩淵村(現 富士市)は身延山久遠寺への身延道が東海道から分岐する間の宿ではあるが、正式な宿場町ではないことから駅設置の予定はなかった。しかし、岩淵村では地元の有力者が発起し、隣村であり官設鉄道線が通っていた中之郷村へ「岩淵驛」を設置するよう直接陳情を行い、最終的に土地提供を行うことを条件に蒲原宿に代わってこの地に駅が設けられることになった。これには、村内でも賛否両論があり、駅設置賛成派の暗殺も企てられたといわれる。結果として、蒲原宿のあたりは駅が設けられず、蒲原町ではその後に駅設置の請願を行い、明治23(1890)年5月16日に蒲原驛が設けられたが、由比宿と蒲原宿双方の利便を図りその間である堰沢村に設けられたため宿場町の中心からは離れていた。
かつての蒲原宿あたりに駅が設けられたのは、昭和43(1968)年10月1日の新蒲原駅設置まで約80年の年月を必要とした。
明治33(1900)年に制作された『鉄道唱歌』第1集東海道編では、この辺りを富士川における源平合戦と身延からの海運を題材にして、以下の様に歌った。

18.鳥の羽音におどろきし 平家のはなしは昔にて 今は汽車ゆく富士川を 下るは身延の帰り舟

明治22(1889)年2月1日 - 内閣鐵道局岩淵驛として、國府津驛 - 靜岡驛間の開通と同時に開業。一般駅
明治28(1895)年4月1日 - 線路名称制定。東海道線(明治42(1909)年に東海道本線に改称)の所属となる。
昭和45(1970)年6月1日 - 駅所在地の庵原郡富士川町(当時)に合わせ富士川駅に改称
(以下、富士川駅)

日本軽金属蒲原工場専用鉄道:
日本軽金属が蒲原工場(昭和15(1940)年操業)への製品の搬出及び工員の輸送を目的として昭和17(1942)年2月27日に岩淵驛-日本軽金属蒲原工場間(2.295m)の専用鉄道免許を得た。2月30日に工事に着手し、資材入手難のため完成が遅れたが、昭和18(1943)年4月に竣工監査を終えることができた。機関車は国鉄5形を昭和15(1940)年6月小島栄次郎工業所より購入し、翌16(1941)年3月より専用側線で使用。さらにもう一両、昭和16(1941)年12月本江製作所(立山重工業)製を入手し使用した。工員輸送用の車両は元白棚鉄道ガ1・2ガソリンカーを国鉄より払下げをうけ客車(ホハ103・104)に改造(定員40人を60人へ変更)し、さらに有蓋貨車3両(元成田鉄道ワ1-1・1-2・1-3)の払下げをうけ客車(ホハ105-107、定員40人、座席ナシ)として使用した。
その後次のディーゼル機関車に置き換えられた。
 DD102(昭和29(1954)年三菱製、昭和41(1966)年西濃鉄道に売却)
 DD103(昭和36(1961)年三菱製)
 DF105(昭和40(1965)年三菱製、昭和59(1984)年3年31日廃止)

参考資料:Wikipedia(2015年11月13日)
現地取材:45.5.31
記事投稿:28.4.14
  調整:29.6.-5

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