fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

197 二宮駅(JR東日本)

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a0057057_2102649.pnga0057057_210555.jpga0057057_2111899.pnga0057057_2113748.png

にのみや

所在地:神奈川県中郡二宮町二宮838
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・東海道本線
電報略号/事務管(駅)コード:ニノ/440123

歴史:
a0057057_2132396.png明治35(1902)年4月15日 - 官設鉄道(当時は逓信省鐵道局)東海道本線の駅として開業。旅客・貨物の取り扱いを開始
明治39(1906)年8月1日 - 当駅と秦野驛駅(現在の小田急線秦野駅とは別の場所)との間に湘南馬車鐵道(後の湘南軌道)が開通
昭和10(1935)年10月9日 - 湘南軌道営業休止(昭和12(1937)年8月25日廃止)
昭和20(1945)年8月5日 - 米軍戦闘機P-51による機銃掃射の被害を受け、5名が死亡
a0057057_2184813.png昭和46(1971)年9月25日 - 貨物取り扱い廃止
昭和47(1972)年3月15日 - 荷物取り扱い廃止
昭和57(1982)年10月 - 改築し橋上駅舎化
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる。
平成10(1998)年3月14日 - 当駅始発の列車が2本設定される。
平成13(2001)年11月18日 - ICカードSuica供用開始
平成16(2004)年 - 構内にエレベーター・エスカレーター設置

駅構造:
a0057057_219314.png島式ホーム1面2線を持つ地上駅。かつて駅舎は下り方に設置されていたが、現在は橋上駅舎となっている。みどりの窓口(営業時間7:00~19:00)・指定席券売機・自動改札機が設置されている。
国府津駅管理の業務委託駅(JR東日本ステーションサービス受託)。
昭和20(1945)年8月5日の機銃掃射の弾痕が、ホームの大磯側の天井梁に残っている。

のりば:
1番線 東海道線下り小田原・熱海・伊東・沼津方面
2番線 東海道線上り横浜・品川・東京・上野方面 (上野東京ライン含む)上野駅から宇都宮線・高崎線へ直通 (平塚・藤沢・大船方面)(写真)
 湘南新宿ライン北行横浜・渋谷・新宿方面 大宮駅から高崎線へ直通
平成10(1998)年3月14日ダイヤ改正より、平日朝ラッシュ時に当駅始発の上り列車が2本設定されている。これは、国府津車両センターから出庫する際に国府津駅の線路容量が足りないため、当駅まで回送して営業運行しているものである。なお、当駅止まりの列車の設定はない(上写真の列車が先に発車の高崎線内快速「アーバン」高崎行き。「グリーンアテンダント」は、先行列車に国府津から便乗している)。

発車メロディ:
発車メロディは平成28(2016)年1月9日から、吾妻山公園の早咲きの菜の花にちなんで「朧月夜(おぼろづきよ)」が使用されている。当初は同年4月10日までの期間限定使用の予定であったが、その後も継続使用されることになった。

参考資料:Wikipedia(2017年1月6日)
記事:
 取材:28.5.15/29.1.-5
 投稿:
 調整:29.7.14

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# by fbox12 | 2017-07-14 16:28 | 鉄道・バス

213 中部天竜駅(JR東海)

a0057057_227079.pngちゅうぶてんりゅう

所在地:浜松市天竜区佐久間町半場15-3
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・飯田線
電報略号/事務管コード:チウ/521732

概要:
飯田線の要所となる駅であり、飯田線の静岡県内にある駅では唯一の有人駅である。
普通列車は朝を中心に当駅始発の列車が数多く設定されており、特急「伊那路」、快速列車も停車する。かつて運転されていた臨時列車「トロッコファミリー号」の終着駅でもあった。また、二俣線遠江二俣駅(現 天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線天竜二俣駅)から乗り入れる「佐久間線」(未成線)の終点に予定されていた。
かつては駅構内に鉄道車両を展示する「佐久間レールパーク」が併設されていたが、平成21(2009)年に閉園した。
平成24(2012)年3月17日より、当駅以南(豊橋方面)を走る一部の列車がワンマン化された。ただし当駅以北(飯田方面)へ直通する列車は当駅から車掌が乗務することもある。

歴史:
駅名は、天竜川を挟んだ対岸の地名、中部(なかっぺ)に由来し、現在でも浜松市天竜区佐久間町中部(なかべ)と言う読みで地名が残っている。当初は「なかっぺてんりゅう」という読みであったが途中で現在の読みに変更されている。
昭和9(1934)年11月11日 - 三信鐵道が三信三輪驛(現 東栄駅)から延伸した際の終着駅である佐久間驛(さくまえき、初代)として開業。旅客と貨物をともに扱う一般駅であった。
昭和10(1935)年5月24日 - 中部天龍驛(なかっぺてんりゅうえき)への改称を届出
昭和11(1936)年11月10日 - 三信鐵道線が佐久間水窪口停留場(現 佐久間駅)を経て天龍山室驛まで延伸し、途中駅となる(ただし佐久間水窪口停留場から先は昭和30(1955)年のルート切り替え時に廃止)。
昭和17(1942)年3月24日 - 中部天龍驛(ちゅうぶてんりゅうえき)への(読み替え)改称を届出
昭和18(1943)年8月1日 - 三信鐵道線が飯田線の一部として国有化され、鐵道省の駅となる。
a0057057_2149459.png昭和55(1980)年10月1日 - 専用線発着を除く車扱貨物取り扱い廃止
昭和57(1982)年3月31日 - 車扱貨物取り扱い全廃
昭和59(1984)年2月1日 - 荷物取扱廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東海が継承
平成3(1991)年4月21日 - 構内に「佐久間レールパーク」開設
平成8(1996)年3月16日 - 定期特急「(ワイドビュー)伊那路」運転開始。停車駅となる。
平成21(2009)年11月1日 - 「佐久間レールパーク」閉園

駅構造:
島式ホーム1面2線と側線を持ち、列車交換が可能な地上駅。駅舎とホームは、ホームの下川合駅側にある構内踏切で連絡している。
駅長配置駅(直営駅)である。管理駅として、飯田線の静岡県内にある各駅(出馬駅 - 小和田駅間)を管理している。みどりの窓口(営業時間9:10 - 17:25、一部休止する時間帯あり)があるが、早朝・夜間は無人となる。
駅舎内には土産物屋、駅構内には旧中部天竜機関区の施設と留置線を利用した佐久間レールパークがあった。

のりば:
1番線 飯田線 下り 天竜峡・飯田方面
2番線 飯田線 上り 豊橋方面
駅南西から天竜川を渡り国道473号に出る細い道路がある。これは、かつて当駅から分岐し佐久間周波数変換所へ向かっていた資材輸送用専用線の廃線跡である。

バス路線:
浜松市自主運行バス -「中部天竜駅」バス停
中部天竜駅から佐久間駅を経由して、遠鉄バス北遠本線と接続する「西渡」バス停に至るバス路線。一部の便は同路線の「間庄口」または「大輪」バス停まで向かう。
そのほか、かつては国鉄バスが佐久間ダムまでの路線を運行していたが昭和39(1964)年3月に廃止、廃止後の代替輸送機関として「共益バス」が、共益株式会社(電源開発(Jパワー)グループ、現 JPビジネスサービス)により昭和59(1984)年頃まで運行されていた。佐久間ダムまでの唯一の公共交通機関が消えたことにより、翌昭和60(1985)年に国鉄の一般周遊券における「周遊指定地」から佐久間ダムが削除されている。周遊指定地が削除となった第1号の事例である。

参考資料:Wikipedia(2017年4月20日)
記事:
 取材:29.4.-6他
 投稿:29.4.21
 調整:29.7.14

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# by fbox12 | 2017-07-14 16:26 | 鉄道・バス

第拾九 三嶋大社 静岡県三島市鎮座

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a0057057_2028040.jpga0057057_20344412.jpg

a0057057_2192495.jpgみしまたいしゃ

鎮座地:静岡県三島市大宮町二丁目1-5
祭神:三嶋大明神(大山祇命、積羽八重事代主神)
社格等:式内社(名神大)、伊豆國一宮、伊豆國総社、旧官幣大社、神社本庁別表神社
社殿:本殿を流造とする総欅素木造複合社殿

a0057057_22122841.png静岡県東部の伊豆半島基部、三島市の中心部に鎮座する。境内は交通上の要衝に位置し、大鳥居前を東西に旧東海道、南に旧下田街道(現在、車両は南側から大社側へ一方通行)が走る。当地は伊豆國の中心部として国府のあった地で、古代には「國府(こう)」と称された。そして三嶋神が國府に祀られたのち、13世紀末頃から大社にちなんで地名も「三嶋」と呼ぶようになったとされる。
平安時代の『和名類聚抄』では伊豆國賀茂郡に「三嶋郷(みしまごう)」の記載が見える。

三嶋大社自身は創建時期、由緒ともに不明としているが、社名の「三嶋」とは伊豆大島や三宅島を含む伊豆諸島に対する尊称「御島(みしま)」に由来するとされる。主祭神は伊豆諸島の開拓神である。当社は、古代には伊豆諸島の噴火を畏れた人々から篤く崇敬された。中世に入ると、伊豆國の一宮とし*多くの武家からの崇敬を集めた。近世以降は三島が東海道の宿場町として発達したことに伴い、東海道を往来する庶民からも篤く信仰された神社である。
社は戦前「三島神社」と称したが、戦後は「三嶋大社」を称している。史料には次の呼称が見える。

 三島大社/三嶋大社 (『続日本後紀』)
 伊豆三島神社/伊豆三嶋神社 (『延喜式』神名帳)
 三島社/三嶋社 (『吾妻鏡』、北畠顕家文書、北条氏綱文書)
 三島宮/三嶋宮 (矢田部家文書等)

*「頼朝が三嶋大社を崇敬した。」「旗挙げを祈願した。」という由緒には、後世において書き加えられた感があり、筆者は否定的な意見を持つ(その理由については別の機会で記す)。
また余談ではあるが、頼朝のそばに居た藤九郎を「安達盛長・・」という標記をする文書があるが、藤九郎が安達姓を名乗ったのは、鎌倉の御家人を辞してからで、御家人となっても藤九郎盛長と呼ばれていた。

祭神について:
三嶋大社の祭神に関しては、古くは大山祇命祭神説・事代主神祭神説が存在した。
大山祇命説は、鎌倉時代の『東関紀行』に始まって『源平盛衰記』『釈日本紀』『二十一社記』『日本書紀纂疏』等の諸史料に見える説である。三嶋神が伊豫國一宮の大山祇神社(大三島神)に由来するという伝説に基づき、事代主神説が唱えられるまでは広く定着していた。
一方事代主神説は、江戸時代後期の平田篤胤の『古史伝』での主張に始まる説である。室町時代の『二十二社本縁』に「都波八重事代主神(中略)伊豆賀茂郡坐三島神、伊予国坐三島神同体坐云」とある記載に基づく。
江戸時代までの祭神は大山祇命とされていたが、幕末に篤胤の事代主神説が国学者の支持を得たため、明治6(1873)年に事代主神に改められた。その後大正期に入って大山祇命説が再浮上したため、どちらも本地に関わりが深いということから二柱説が昭和27(1952)年に制定されて現在に至っている。
近年の研究では、三嶋神は「御島神」すなわち伊豆諸島の神を意味するとして、上記2説とも後世の付会とする見方が有力視される。この中で、噴火の盛んな伊豆諸島で原始的な造島神・航海神として祀られたのが「ミシマ神」の始まりであるという。そして「ミシマ」の音から、後世に他の神に結び付けられたともいう。

社史:
創建
上記のとおり、創建は不詳とされる。後述のように『延喜式』神名帳には伊豆国賀茂郡(伊豆半島南部・伊豆諸島)の所在と記載され、現在地(当時は田方郡・・引用 Wikipedia 記載:筆者?)と相違することから、遷座説・郡名誤記説等の諸説が提唱されている。文献上で現在地の鎮座が確実なのは、『吾妻鏡』治承4(1180)年の記事からである。
現在通説として知られるのは、初め賀茂郡三島郷(郡名誤記説では伊豆諸島という説)、のち賀茂郡大社郷白浜(伊古奈比咩命神社付近か)、さらに田方郡小河郷の伊豆国府(現社地・・大仁田京国府説あり)へと遷座(一説に勧請)したとする説である。一方の郡名誤記説では、『延喜式』の記載を疑い、太古より当地に鎮座とする。以上のほか、「三嶋」の神名から伊豫國一宮の大山祇神社(大三島神)との関係を想定する説もある。

平安時代
史料の初見は天平宝字2(758)年で、その後国史では天長9(832)年の記事で、神異により三嶋神・伊古奈比咩命神(伊古奈比咩命神社)を名神となし、地2,000町に「神宮二院・池三処」を作ったという。同記事の3日前の記事では、日照りの原因が「*伊豆国神」の祟りであると記されているが、この「伊豆国神」は三嶋神・伊古奈比咩命神と同一神であるとも考えられる。
『続日本後紀』の記事よると、承和5(838)年7月5日夜に上津島(神津島)で激しい噴火が発生した。占いの結果、それは三嶋神の後后が位階(神階)を賜ったにも関わらず、本后たる阿波神(阿波咩命;阿波命神社)には沙汰がないことに対する怒りによるものだと見なされた。同記事では「後后」に関する具体的な言及はないが、これは伊古奈比咩命を指すとされる。この記事を受けて約一ヶ月後には、阿波咩命と物忌奈命(阿波神の御子神;物忌奈命神社)の神階が無位から従五位下に昇った。
その後、当社には嘉祥3(850)年に従五位上の神階が授けられたのち、仁寿2(852)年に従四位下、貞観元(859)年に従四位上、貞観6(864)年に正四位下、貞観10(868)年に従三位が授けられた。
延長5(927)年成立の『延喜式』神名帳では、伊豆國賀茂郡に「伊豆三島神社 名神大 月次新嘗」として、名神大社に列するとともに月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。また、『延喜式』主税寮によれば、当社には「三島神料」として2,000束が下されていた。
承平年間(931年-938年)頃の『和名類聚抄』では伊豆国賀茂郡に「大社郷(おおやしろごう)」の地名が見えるが、これは伊豆三島神社・伊古奈比咩命神社に基づく郷名とされる。

*「伊豆国神」・・引用先の Wikipedia の記載であるが、筆者は、これを三嶋大社北遷前の地主神と考える。
下記若宮八幡の昔話のように、三嶋大社の北遷説が実際にあったとすれば、それに絡む形で排除されたものがあり、現在地に三嶋大社が存在する理由を定義するものであるが、決してそれが温和な方法でなかったことの表れではないだろうか。


現社殿は、嘉永7(1854)年11月4日の東海地震で罹災し、時の神主*矢田部盛治の指揮のもと、全国にて再建のための勧進を行い、慶応2(1866)年9月9日に本殿、幣殿、拝殿の完成を見た。その他境内主要建造物は、明治元(1868)年にかけて随時落成した。
社殿彫刻は、当代の名工小沢半兵衛・小沢希道親子とその門弟のほか、後藤芳冶良らによるもの。社殿彫刻としては高い完成度と美術的価値をもつ。平成12(2000)年に重要文化財指定を受けた。

*矢田部盛治(やたべもりはる):江戸時代末から明治時代はじめの三嶋大社神主(宮司)。社殿再興の他、大場川の治水工事、祇園原水路の開削など三島地域の開発に尽力した人物。境内には熱海市生まれの彫刻家澤田晴廣(:三嶋大社ホームページ、「政廣」の誤り)制作による盛治の銅像がある。

a0057057_208521.jpga0057057_20283274.jpg左:現総門
右:旧総門
(現芸能殿)

a0057057_11505955.jpga0057057_21315226.jpg左:神門
右:舞殿

a0057057_15205710.jpga0057057_15262975.jpg左:手水舎
右:神馬舎


a0057057_14374398.jpg昭和9(1934)年5月1日、文部省告示第181号により、文部大臣から国の天然記念物の指定を受けた。
学名は薄黄木犀(うすきもくせい)。薄い黄色の花をつけ、甘い芳香が特徴。


a0057057_19344499.jpg三島の昔話:
現在の三嶋大社は、平安中期以降に田方郡の国府近くに新宮として分祀されたとされる。現在地には元々若宮八幡があったが、三島明神が若宮八幡に「藁一把分の土地を譲ってくれ」と言い、若宮八幡がそれくらいならと了承すると、三島明神は藁の束を解いて輪にし、若宮八幡の広大な敷地を囲んで占有してしまったという伝承がある。現在、若宮八幡は三島市西若町にあるが、そのために三嶋大社に背を向けて建ったという(現在は三嶋大社の末社であり、向きは大社と同じ南向き、また、大社境内にも同名の摂社がある)。


摂社、末社
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# by fbox12 | 2017-07-14 16:07 | 神社

第壱 伊豆山神社 静岡県熱海市鎮座

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a0057057_1782159.pnga0057057_1872218.png
a0057057_16322868.pngいずさんじんじゃ

鎮座地:静岡県熱海市伊豆山上野地708番地1
祭神:
 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
 拷幡千千姫尊
 瓊瓊杵尊
社格等:旧国幣小社、神社本庁別表神社
社殿:


a0057057_16141420.png概要:
全国各地に点在する伊豆山神社や伊豆神社(いずじんじゃ)、走湯神社(そうとうじんじゃ、はしりゆじんじゃ)などの起源となった事実上の総本社格の社である。

当社は明治以前においては久しく神仏習合の社であって、富士開山の僧である末代上人や、修験道の始祖とされる役小角、空海(弘法大師)など多くの山嶽仏教徒や修験者が修行を積んだ霊場であった。後白河法皇勅撰の「梁塵秘抄」には「四方の霊験者は伊豆の走湯、信濃の戸穏、駿河の富士山、伯耆の大山」と記されている。
a0057057_1805755.pnga0057057_22005597.png明治維新の神仏分離令により寺を分離して伊豆山神社と称するまでは、天台宗や真言宗と関わりの深い神仏習合の神社であり、現在地へ遷座して以降は主に、高野山真言宗である般若院(はんにゃいん)の別当寺が伊豆大権現と等しく祀られていた。
しかし、
 勢力間の主導権争いなどによって度々祭神や由緒が改竄されたこと
 神仏分離の混乱や数度にわたる火災などで史料が逸失したこと
などから山の歴史には不明点が多く、調査・研究が待たれる。
なお、頼朝と政子の恋の舞台であったため、現在も縁結びや恋愛成就の神社として人気がある。
(下線部分の記述については、参考資料原文のまま)

歴史:
創建の年代は不詳だが、社伝によれば孝昭天皇の時代(紀元前5世紀~紀元前4世紀)とされる。古くは以下の名で呼ばれた。
 伊豆大権現(いずだいごんげん)
 伊豆御宮(いずおんみや)
 伊豆山(いずさん)
 走湯大権現(そうとうだいごんげん、麓の海岸に点在した温泉・間歇泉に由来し、推古天皇3(594)年に朝廷から贈られた名とされる)
 走湯山(そうとうさん)

a0057057_20264256.pnga0057057_2031392.png当初は日金山(ひがねさん:久地良山、万葉集にいう伊豆高嶺)の山上にあった。その後については諸説があるが、本宮山(ほんぐうさん)を経て、承和3(836)年に甲斐国の僧・賢安により現在地へ遷座したとの説が有力である。
十六代仁徳天皇が勅願所としたとされるため歴代皇族の崇敬が篤く、二十二代清寧、三十代敏達、三十三代推古、三十六代孝徳、百五代後奈良の六天皇の勅願所となったと社伝に謳われており、特に後奈良天皇は自筆の般若心経一巻(昭和2(1927)年国宝指定、現重要文化財)を奉納している。
源頼朝は平治の乱の後伊豆國に配流されたとき、当社に源氏再興を祈願した。この間有力豪族の伊東祐親に追われて当社に身を寄せたり、小豪族の娘であった北條政子との逢瀬の場にするなど関わりが深く、後に鎌倉幕府を開くと箱根とともに当社を「二所」として、幕府の最高の崇敬を示す「関八州鎮護」として多くの社領を寄進した。南北朝時代の「寺領知行地注文」によれば、遠くは越州に至るまで数多くの知行地を所有したとされるなど、この時期、当社が最盛期を迎えていたことがうかがわれる。
戦国時代、小田原北条氏(早雲、氏綱、氏康)の篤い崇敬を受けたが、豊臣秀吉の小田原征伐で焼失した(一説では、その張本人は徳川家康とされる)。
a0057057_21102697.png江戸時代に入ると山麓の阿多湊(または阿多美の郷)が湯治場として名高くなり、徳川家康はじめ多くの大名や文化人たちが訪れた。焼失していた当社は再建され、江戸幕府からは文禄3年伊豆國加増も葛見郡のうち二百石を、慶長14年には関ヶ原の戦いでの勝利の礼として百石を、それぞれ朱印領として寄進され、以後、代々の将軍からも同様に寄進を受けた。
神仏分離後の大正3(1914)年1月13日、当時皇太子であった昭和天皇が当社に参拝、本殿脇に黒松一株を手植した。
大正7(1918)年、宮内省から金参萬円を支給される。
昭和3(1928)年の昭和天皇御大典の際に国幣小社に列し、秩父、高松、久邇、伏見、山階、賀陽、東伏見の各宮家から金壱封を、梨本宮家からは日本刀一口及び槍一筋、祭祀料の寄進を受けた。
第二次世界大戦後に社格制度が廃止されて以降は別表神社とされ、宗教法人化された。
昭和55(1980)年9月12日、現東宮浩宮徳仁親王が参拝する。また、同年、童画家黒崎義介が拝殿の天井画390枚を奉納した。

赤白二龍
『走湯山縁起』に、「伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。その尾を箱根の芦ノ湖に付け、その頭は伊豆山の地底にあり、温泉の湧く所はこの龍の両眼二耳鼻穴口中なり」と記載があり、伊豆山神社の「伊豆山大神」が、赤龍と白龍の二龍の姿となって、温泉を生み出す様が描かれているとされる。赤龍は火の力、白龍は水の力を操るとされ、二龍は温泉の守護神ともされる。
この「赤白二龍」(せきびゃくにりゅう)は、伊豆山神社のシンボルとされ、社殿の手前にある手水舎にも、二龍をかたどった装飾がみられる。伊豆山神社が縁結びの神社ともされることから、赤龍を母親、白龍を父親とみなし、あわせて夫婦和合や縁結びの象徴ともしている。

境内社:
本宮社

a0057057_20475194.pnga0057057_20551619.png

ほんぐうしゃ
鎮座地:静岡県熱海市伊豆山七尾
祭神:正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、拷幡千千姫尊、瓊瓊杵尊

仁徳天皇の御代に松葉仙人が神鏡を崇め、社を造り日金山に祀り、後に社はこの地に移され祀られてきた。さらに承和3(836)年に今の伊豆山神社の社を建造し遷座したため、残った二番目の社が現在の本宮社となった。
江戸時代初期には広さ東西五間、南北三間半の拝殿、鳥居三ヶ所、付近に求聞持堂、東西三間南北二間の建物等を有したが、江戸時代後期の野火により全焼し、現在は石鳥居一基、拝殿が一棟建っているのみ。


結明神本社(むすびみょうじんほんしゃ)
御祭神:結明神(日精・月精)

走湯山縁起によれば景行天皇の三十一年、日金山の大杉の中より一男一女が出生した。初島の初木神社の祭神である初木姫が二子を引き取り育てたが、時を経ずしてたちまち成長し、一女を日精、一男を月精と号した。後に二人は夫婦となり、日金山に仕えて「伊豆権現氏人之祖」となったと云う。
日精・月精その終没を不知(富士山)から神上がったと記され、後の人たちより結明神として仰がれ祀られたと伝られる。
祭神は男女の縁結びを叶えてくれる神で古くは一名恋祭りという神事があり、各地から集まった若い男女の参列を得て行われていたことが伝えられている。


白山神社(はくさんじんじゃ)
御祭神:菊理媛命

伊豆山記、走湯山記によれば、天平元年夏、東国に疫病が流行した際、北条の祭主が伊豆権現に祈願したところ「悪行のなす所、救いの術なし、これ白山の神威を頼むべし」との神託があり、猛暑の頃であったにもかかわらず、一夜のうちに石蔵谷(白山神社鎮座地)に雪が降り積もり、幾日経っても消えず、病人がこの雪をなめたところ、病苦がたちどころに平癒したことから、この御社が創立された。
古来より、病気平癒、厄難消除の神として厚い信仰を集めている。


摂社 雷電社(らいでんしゃ)(若宮)
a0057057_16463770.png御祭神:伊豆大神荒魂、雷電童子(瓊瓊杵尊)

創立年代は不詳。吾妻鏡に「光の宮」と別名があり、鎌倉幕府三代将軍源實朝が再興し、その後暦応四年に足利氏が、慶長十七年に徳川二代将軍秀忠が改築、現社殿は昭和十(1935)年に内務省によって改築された。
政治を司り導く神として、源頼朝を始め歴代の将軍家の崇敬が厚く、室町時代には多数の社領を有していた。
事業、経営、商売繁盛、心願成就、良縁成就、家内安全、夫婦円満、子孫繁栄など、強い神威を持つ神である。

結明神社(むすびみょうじんしゃ)
a0057057_178739.png御祭神:結明神(日精・月精)

子恋の森公園上(伊豆山七尾)にむすぶ平らに鎮座する本社の里宮。

役小角社(えんのおづぬしゃ:足立権現社(あしだてごんげんしゃ))
御祭神:役小角(神変大菩薩、役優婆塞(えんのうばそく))

舒明天皇六(634)年、大和の葛城上郡茅原に生まれ神仏両道に渉り行を積み深く学を究め孔省咒法修習、奇異の験術を証、また日本国中の名山高山を開き登り、修験道の祖、開山の祖とも仰がれる。
文武天皇三年、伊豆大島に流刑にされた折、昼は皇命を慎み、夜は飛行の術を駆使し伊豆大権現に飛び来て修行重ねたと伝えられる、大島に在ること三年、大宝元年勅名を以って許され大和に還ったが遂に仙人と化って唐に渡ったといわれる、役小角隠れ給ひてより千百余年後、光格天皇の寛政十一(1799)年その神徳を讃えられて神変大菩薩の神号を賜う。
当社は運命開拓の神なり、また古くから足の病に悩める者、足腰弱き者、祈願致さば神護を享けて強足となるという信仰がある。


祖霊社(それいしゃ)
a0057057_15534035.png御祭神:伊豆大権現氏人祖霊

先祖の御霊を祀る社で、伊豆山の人々の守護神として景仰されている。

境外社 走湯神社


(参考資料:伊豆山神社ホームページ、神社由緒書き、Wikipedia 平成27(2015)年5月24日更新)

記事投稿:
  調整:29.7.14

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# by fbox12 | 2017-07-14 16:01 | 神社

215 神保原駅 (JR東日本)

a0057057_15482953.pngじんぼはら

所在地:埼玉県児玉郡上里町大字神保原町267-5
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・高崎線
キロ程:(大宮起点)59.7km
電報略号:ホラ

概要:
神保原駅は、埼玉県児玉郡上里町大字神保原町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)高崎線の駅。埼玉県最北端の駅である。
上野駅発着系統と、新宿駅経由で東海道線に直通する湘南新宿ライン、上野駅・東京駅経由で東海道線に直通する上野東京ラインの列車が停車する。高崎線内における「休日おでかけパス」のフリーエリアは当駅までである。

歴史:
明治30(1897)年11月15日 - 日本鐵道の駅として開業
明治39(1906)年11月1日 - 買収により、国有化される。
明治42(1909)年10月12日 - 線路名称設定により、高崎線の駅となる。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄の分割民営化により、JR東日本の駅となる。
平成13(2001)年11月18日 - ICカードSuica供用開始
平成17(2005)年2月1日 - 自動改札機稼動開始
平成18(2006)年2月23日 - 「もしもし券売機Kaeruくん」稼働開始
平成24(2012)年2月20日 - 「もしもし券売機Kaeruくん」稼働終了

駅構造:
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する地上駅。原則として1番線は上り(上野方面)ホーム、3番線は下り(高崎方面)ホームとなっており、一部の普通列車が特急列車の通過待ちなどの際に待避線の2番線を使用する。2番線は上り側、下り側のいずれも出発信号機を設けているため、理論上は折り返し運転が可能である。
1番線ホーム上には、七福神の像が鎮座しているほか、鯉の泳ぐ池もある。なお、改札内トイレは1番線ホーム池のすぐ横(新町寄り)にある。
指定席券売機・自動改札機・自動券売機が設置されている。また、ホームをつなぐ階段にはエレベーターが設置されている。かつてはみどりの窓口も設置されていたが、「もしもし券売機Kaeruくん」へ置き換えられる形で廃止された。さらに、「もしもし券売機Kaeruくん」も多機能券売機に置き換えられる形で営業を終了した。そのため一時当駅で指定券等の購入ができない時期があったが、平成26(2014)年3月、券売機更新により指定席券売機が導入され、指定券購入が再度可能となった。初電 - 6:30は駅員不在となり自動券売機が稼働しないため、乗車駅証明書発行機が設置されている。あらかじめ乗車券を購入していない場合、該当時間帯は乗車駅証明書を持って乗車し、車内もしくは着駅で精算することになる。

のりば:
1・2番線 高崎線上り大宮・東京・新宿・横浜方面(湘南新宿ライン)(上野東京ライン)
2・3番線 高崎線 下り 高崎・前橋方面
2番線は上り列車の一部列車が使用する。

路線バス:上里町コミュニティバス「こむぎっち号」(受託:行田市 協同バス)
 運賃:1乗車100円(1日乗車券300円)
のりば:神保原駅北口/神保原駅南広場
中央ルート:
 上里SA上り-天神・真下-イオンタウン-カインズホーム-神保原駅北口-トライアル南-西原町
 -上里町役場-保健センター-農協前-ワープ上里・図書館前-神保原駅南広場-群馬銀行-とりせん北
 -ベルク七本木店-ウニクス上里
北部ルート:
 上里SA上り-イオンタウン-トライアル南-神保原駅北口-カインズホーム-神保原駅北口-群馬銀行-上里町役場
 -保健センター-農協前-群馬銀行-とりせん北-ウニクス上里
 黛・忍保・八町河原などの北部の地区を経由する。


参考資料:Wikipedia「神保原駅」、「こむぎっち号」
記事投稿:29.5.14
  調整:29.7.14

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# by fbox12 | 2017-07-14 14:59 | 鉄道・バス

第佰四 大神宮社 北海道沙流郡日高町鎮座

a0057057_21320730.pngだいじんぐうしゃ
別社名:富川神社(とみかわじんじゃ)

鎮座地:北海道沙流郡日高町富川東二丁目6-12
祭神:
 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
 八幡大神(はちまんおおかみ)
 塩竃大神(しおがまのおおかみ)
社格等:旧村社
社殿様式:神明造

由緒:
文政2年4月、仙台藩士が協議の上、宮城県鹽竈神社より御分霊を戴き、胆振の白老に祀ったことに始まる。明治8年5月、石河仁兵衛・荒井直三郎らが中心となり沙流郡佐瑠太村に遷座、翌9年6月15日には村社に列せられている。丘の上の中規模の神社。社務所は道路の向かい側にある。白い石鳥居の右側にある社号には、富川神社となっている。

この神社最寄りの駅・バス停:
 JR日高本線富川駅から約3km
 道南バス富川元町下車

参考資料:北海道神社庁神社データベース
 http://www.hokkaidojinjacho.jp/datamain.html
現地参拝:60.7.-8
記事投稿:29.7.-9

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# by fbox12 | 2017-07-09 21:41 | 神社

第佰参 浦河神社 北海道浦河郡浦河町鎮座

a0057057_15563560.pngうらかわじんじゃ

鎮座地:北海道浦河郡浦河町大通二丁目29番地
祭神:
 保食神(うけもちのかみ)
 大物主命(おおものぬしのみこと)
 市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
社格等:旧郷社
社殿様式:神明造

由緒:
寛文9(1669)年東蝦夷地の争乱が鎮圧され、この年に松前藩の将佐藤権左衛門が配下を遣わし讃岐の金刀比羅宮の御分霊を戴き、東蝦夷地鎮護の神として現浦河神社社務所付近に小祠を建立して奉斎したことに始まる。享和元年8月15日、更にこの場所に場所請負人佐野嘉右衛門が海上安全や豊漁などを祈念して、山城國紀伊郡伏見に鎮座する稲荷大明神の御分霊を戴き小祠を建立、また露冦により蝦夷地が騒然としていた文化4年、東蝦夷地に駐屯の南部藩が家臣一戸政尹を遣わし安芸國佐伯郡厳島町に鎮座する厳島神社より御分霊を戴き小祠を建立した。天保13年、この3祠を浦河の漁場支配人近江屋周助が現社務所山側に石屋根の社殿を造営し1社に合祀し稲荷神社と称した。明治8年、郷社に列せられる。明治25年に屋根の葺替えを行ったが、社殿の老朽化が進み同45年6月7日に許可を受け改修に着工、同年9月13日に竣功した。明治44年5月21日には神饌幣帛料供進神社に指定され、昭和6年5月12日には社名改称が認可され郷社浦河神社と称するに至った。
浦河市街地にあるため、参拝客も多く、町民多くの信仰を集めている。
平成22(2010)年に浦河神社の過去の神事であった「海上渡御」が約半世紀ぶりに復活した。


この神社最寄の駅・バス停:
 JR日高本線浦河駅より徒歩10分


参考資料:
 北海道神社庁HP
  http://www.hokkaidojinjacho.jp/data/13/13013.html
 Wikipedia「浦河神社」
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E6%B2%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE
現地参拝:60.7.-8
記事投稿:29.7.-6



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# by fbox12 | 2017-07-06 21:04 | 神社