fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

019 浦賀駅 (京急)

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a0057057_22251894.jpga0057057_16595145.pnga0057057_20052326.png

うらが

所在地:神奈川県横須賀市浦賀一丁目1-1
所属・路線:京浜急行電鉄株式会社・本線
駅番号:KK64
キロ程:55.5km(品川起点)

a0057057_17171540.pnga0057057_1722436.png
概要:
8両編成対応のホーム1面2線を有する駅で、終点のため線路は当駅の構内で途切れている。線路は概ね南北に走り、駅舎はホームの南側に接した高台にあり、通路によって地上と連絡している。昭和32(1957)年以前には地上、つまり現在のバスターミナル部分に設置されていた。 昭和50年代前半まで、駅前の横断歩道を跨ぐコンクリートの鉄橋受跡が存在し、久里浜方面に引込線跡が存在した(現在の駐車場、駐輪場)。 また、現在の京急ストア建設前は有効長の短いホームや留置線が存在し、かつての繁栄時代を残していた。
かつては、当駅より先、久里浜・三崎方面への延伸が計画されていた。しかし、太平洋戦争に際して久里浜への早急な鉄道延伸が求められたとき、その計画は破棄された。浦賀経由ではトンネル掘削に時間を要することなどから堀ノ内駅から別に久里浜線を建設することになった。 尚、地元小学校では当時の住民や商店街が、浦賀駅を途中駅とすると通過する電車が発生する可能性が出るために、猛反対したと社会科の授業等で教えている。
その後本線の堀ノ内駅以南(この浦賀まで)は実質支線扱いとなっており、平日朝ラッシュ時に特急列車が発着する以外、普通列車のみが運行されている。
ホームの列車接近メロディはゴジラが当駅付近の観音崎にある「たたら浜」に上陸したという都市伝説にちなみ、映画『ゴジラ』のメインテーマ(作曲・伊福部昭)を採用している。(実際にはゴジラが上陸したのは北品川駅近くである)

歴史:
昭和5(1930)年4月1日 - 開業
昭和32(1957)年 - 駅舎を築堤上(現在地)に移転

のりば:
1・2番線 本線 横浜・羽田空港・品川・新橋方面

バス路線:
 運行会社:京浜急行バス久里浜営業所・湘南京急バス堀内営業所

駅から通路を降りた所にバスターミナルがある。
1番乗り場(駅出口脇)
 観音崎線(浦2・3、堀25・26系統) - 鴨居・かもめ団地・観音崎方面
2番乗り場(駅出口前の交差点を渡り100m直進)
 浦賀線(久10系統) - 京急久里浜駅・JR久里浜駅方面
 市内線(久19系統) - 長瀬・京急久里浜駅方面
 浦賀丘線(浦5系統) - 高坂小学校上・浦賀丘三丁目公園方面
北方向乗り場(駅出口前の交差点を渡り小学校沿いに300m進む)
 観音崎線(須25、堀25・26系統) - 堀内・横須賀中央駅方面

参考資料:Wikipedia「浦賀駅」(最終更新 2017年10月26日)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E8%B3%80%E9%A7%85
現地取材:23.12.13
記事投稿:
  調整:29.10.29

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# by fbox12 | 2017-10-29 21:19 | 鉄道・バス

6-142 湯河原温泉郵便局 神奈川県足柄下郡湯河原町

a0057057_195586.jpgゆがわらおんせん*

所在地:神奈川県足柄下郡湯河原町宮上475-4
店番:02068
局種:無集配の直営局

かつては、集配特定局で湯河原郵便局を名乗っていたが、昭和38(1963)年、現 湯河原郵便局が南湯河原郵便局(無集配特定局)として設置され、同日中に集配業務を開始したのち同局に集配業務が移管され、南湯河原郵便局が(新)湯河原郵便局に改称されると同時に当局が湯河原温泉郵便局に改称された。

a0057057_11483929.png最寄駅・バス停:
JR東海道本線 湯河原から
箱根登山バス、伊豆箱根バス 落合橋(停)

貯金取扱:24.3.15(ゆうちょ)
記事投稿:24.3.17
  調整:29.11.29



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# by fbox12 | 2017-10-29 12:01 | 郵便局・銀行

5-143 湯河原郵便局 神奈川県足柄下郡湯河原町

a0057057_20541680.jpgゆがわら*

所在地:神奈川県足柄下郡湯河原町土肥2-2-5
店番:024051
局種:大規模な集配直営局

概要:
南湯河原郵便局(無集配特定局)として設置され、同日中に集配業務の開始、旧 湯河原郵便局(現 湯河原温泉郵便局)および吉浜郵便局の集配業務を移管し、(新)湯河原郵便局に改称(旧 湯河原郵便局は湯河原温泉郵便局に改称)、さらに普通局へ局種の変更が行われた。よって、南湯河原郵便局は書類上のみで現実には存在しない。(昭和38年郵政省告示第780~784号)
現在、集配業務は隣の真鶴町も担当している。

沿革:
昭和38(1963)年10月28日
- 湯河原郵便局として、湯河原町大字城堀に開局。旧 湯河原郵便局(同日、湯河原温泉郵便局に改称)および吉浜郵便局から集配業務を移管。
昭和62(1987)年10月26日 - 真鶴郵便局から集配業務を移管。
平成12(2000)年8月14日 - 外国通貨の両替および旅行小切手の売買に関する業務取扱を開始。
平成19(2007)年10月1日 - 民営化に伴い、併設された郵便事業湯河原支店に一部業務を移管。
平成24(2012)年10月1日 - 日本郵便株式会社発足に伴い、郵便事業湯河原支店を湯河原郵便局に統合。

最寄駅・バス停:
JR東海道本線 湯河原
箱根登山バス、伊豆箱根バス、伊豆東海バス、湯河原町コミュニティバス 城堀(停)

記事参考:
Wikipedia 湯河原郵便局(最終更新:2012年11月6日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E9%83%B5%E4%BE%BF%E5%B1%80

貯金取扱:24.3.15(ゆうちょ)
記事投稿:24.3.18
  調整:29.11.29

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# by fbox12 | 2017-10-29 09:42 | 郵便局・銀行

第參 頼朝宮(源頼朝の祠) 静岡県三島市鎮座

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a0057057_9214596.jpgよりともぐう

鎮座地:静岡県三島市松本
祭神:

由緒書き:
(祠の左側の碑原文のまま、ただし西暦年号などは算用数字で表記)。

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宗徳院参道脇にある祠は頼朝が足痛除の符を出し参詣者は草鞋を供えて祈願する
宗徳院(延喜年間901年創建)天正三(1575)年再興の本堂には正二位源頼朝公木像が安置されている

a0057057_9223987.jpg頼朝駒爪の橋

参道入口の小川にかけられたる石橋の中央に馬蹄形の径十五センチほどのくぼみあり
これ頼朝当山本尊に日参の折り乗馬ひざまずきて倒れたる跡なりと伝えしも昭和初年頃
石橋の修理の為下石となり更に平成八年境川改修事業によって今は見るを得ず

平成十二年秋季彼岸
宗徳院廿七世心戒季晟 代

a0057057_10215781.png由緒書きにあるように境川(古くは伊豆と駿河の國境の川、現在でも三島市と駿東郡清水町の境)の河川改修に際し、頼朝が祈願をした小さな祠を曹洞宗龍泰山宗徳院によって頼朝宮として整備されたもの。
(注、上写真宗徳院本堂は川の西側にあるが、上記河川改修前は本堂の裏手を川が流れていた)。

その境川には、鱒の様な魚が・・(上流に養鱒場がある)。

a0057057_927982.jpg寺入口の境内社

a0057057_20333338.png龍泰山宗徳院沿革概要:

所在地:静岡県三島市松本414
宗派:曹洞宗(古くは眞言宗)
本尊:延命地蔵菩薩

創立
延暦年間(801〜802年)僧空海(弘法大師)に依り創建
其後正二位源頼朝公永暦元(1160)年三月伊豆国に流島され治承四(1180)年八月伊豆に挙兵同年十月鎌倉に入るまで百日間三島大社と共に此の寺の本尊延命地蔵菩薩を旗揚げの祈願佛として日夜詣でたり
其後天正初期(1573〜1592)甲斐武田の家臣道景道吉二人当地○れ土地の開拓事業に専念しも○○の急を知り当寺境内に於て相自刃せるを同年三月韮山村南條昌渓院第六世麒庵東鱗大和尚禅師を請し両人の菩提を弔うため荒廃せる堂宇を再興し開山禅師となり寺を曹洞宗と改む
文化十一(1814)年八月十五日火災により寺宝古文書過去帳等全焼せるも不思議にも本尊の延命地蔵菩薩は難を逃れ今も現存す
文政六(1823)年四月本堂再建(以下略:一部、環境依存文字のため表示不可)

御詠歌:
 のちの世の深き恵みをいまここに
 まつもと寺ときくぞうれしき

a0057057_15513297.pngこの神社最寄の駅・バス停留所:
東海バスオレンジシャトル 三島駅-新城橋-大平車庫
 宗徳院戸田入口

現地参拝:60.8.15他
記事投稿:17.11.11
  調整:29.9.21

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# by fbox12 | 2017-10-22 01:22 | 神社

第壱 伊豆山神社 静岡県熱海市鎮座

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a0057057_1782159.pnga0057057_1872218.png
a0057057_16322868.pngいずさんじんじゃ

鎮座地:静岡県熱海市伊豆山上野地708番地1
祭神:
 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
 拷幡千千姫尊
 瓊瓊杵尊
社格等:旧国幣小社、神社本庁別表神社
社殿:


a0057057_16141420.png概要:
全国各地に点在する伊豆山神社や伊豆神社(いずじんじゃ)、走湯神社(そうとうじんじゃ、はしりゆじんじゃ)などの起源となった事実上の総本社格の社である。

当社は明治以前においては久しく神仏習合の社であって、富士開山の僧である末代上人や、修験道の始祖とされる役小角、空海(弘法大師)など多くの山嶽仏教徒や修験者が修行を積んだ霊場であった。後白河法皇勅撰の「梁塵秘抄」には「四方の霊験者は伊豆の走湯、信濃の戸穏、駿河の富士山、伯耆の大山」と記されている。
a0057057_1805755.pnga0057057_22005597.png明治維新の神仏分離令により寺を分離して伊豆山神社と称するまでは、天台宗や真言宗と関わりの深い神仏習合の神社であり、現在地へ遷座して以降は主に、高野山真言宗である般若院(はんにゃいん)の別当寺が伊豆大権現と等しく祀られていた。
しかし、
 勢力間の主導権争いなどによって度々祭神や由緒が改竄されたこと
 神仏分離の混乱や数度にわたる火災などで史料が逸失したこと
などから山の歴史には不明点が多く、調査・研究が待たれる。
なお、頼朝と政子の恋の舞台であったため、現在も縁結びや恋愛成就の神社として人気がある。
(下線部分の記述については、参考資料原文のまま)

歴史:
創建の年代は不詳だが、社伝によれば孝昭天皇の時代(紀元前5世紀~紀元前4世紀)とされる。古くは以下の名で呼ばれた。
 伊豆大権現(いずだいごんげん)
 伊豆御宮(いずおんみや)
 伊豆山(いずさん)
 走湯大権現(そうとうだいごんげん、麓の海岸に点在した温泉・間歇泉に由来し、推古天皇3(594)年に朝廷から贈られた名とされる)
 走湯山(そうとうさん)

a0057057_20264256.pnga0057057_2031392.png当初は日金山(ひがねさん:久地良山、万葉集にいう伊豆高嶺)の山上にあった。その後については諸説があるが、本宮山(ほんぐうさん)を経て、承和3(836)年に甲斐国の僧・賢安により現在地へ遷座したとの説が有力である。
十六代仁徳天皇が勅願所としたとされるため歴代皇族の崇敬が篤く、二十二代清寧、三十代敏達、三十三代推古、三十六代孝徳、百五代後奈良の六天皇の勅願所となったと社伝に謳われており、特に後奈良天皇は自筆の般若心経一巻(昭和2(1927)年国宝指定、現重要文化財)を奉納している。
源頼朝は平治の乱の後伊豆國に配流されたとき、当社に源氏再興を祈願した。この間有力豪族の伊東祐親に追われて当社に身を寄せたり、小豪族の娘であった北條政子との逢瀬の場にするなど関わりが深く、後に鎌倉幕府を開くと箱根とともに当社を「二所」として、幕府の最高の崇敬を示す「関八州鎮護」として多くの社領を寄進した。南北朝時代の「寺領知行地注文」によれば、遠くは越州に至るまで数多くの知行地を所有したとされるなど、この時期、当社が最盛期を迎えていたことがうかがわれる。
戦国時代、小田原北条氏(早雲、氏綱、氏康)の篤い崇敬を受けたが、豊臣秀吉の小田原征伐で焼失した(一説では、その張本人は徳川家康とされる)。
a0057057_21102697.png江戸時代に入ると山麓の阿多湊(または阿多美の郷)が湯治場として名高くなり、徳川家康はじめ多くの大名や文化人たちが訪れた。焼失していた当社は再建され、江戸幕府からは文禄3年伊豆國加増も葛見郡のうち二百石を、慶長14年には関ヶ原の戦いでの勝利の礼として百石を、それぞれ朱印領として寄進され、以後、代々の将軍からも同様に寄進を受けた。
神仏分離後の大正3(1914)年1月13日、当時皇太子であった昭和天皇が当社に参拝、本殿脇に黒松一株を手植した。
大正7(1918)年、宮内省から金参萬円を支給される。
昭和3(1928)年の昭和天皇御大典の際に国幣小社に列し、秩父、高松、久邇、伏見、山階、賀陽、東伏見の各宮家から金壱封を、梨本宮家からは日本刀一口及び槍一筋、祭祀料の寄進を受けた。
第二次世界大戦後に社格制度が廃止されて以降は別表神社とされ、宗教法人化された。
昭和55(1980)年9月12日、現東宮浩宮徳仁親王が参拝する。また、同年、童画家黒崎義介が拝殿の天井画390枚を奉納した。

赤白二龍
『走湯山縁起』に、「伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。その尾を箱根の芦ノ湖に付け、その頭は伊豆山の地底にあり、温泉の湧く所はこの龍の両眼二耳鼻穴口中なり」と記載があり、伊豆山神社の「伊豆山大神」が、赤龍と白龍の二龍の姿となって、温泉を生み出す様が描かれているとされる。赤龍は火の力、白龍は水の力を操るとされ、二龍は温泉の守護神ともされる。
この「赤白二龍」(せきびゃくにりゅう)は、伊豆山神社のシンボルとされ、社殿の手前にある手水舎にも、二龍をかたどった装飾がみられる。伊豆山神社が縁結びの神社ともされることから、赤龍を母親、白龍を父親とみなし、あわせて夫婦和合や縁結びの象徴ともしている。

境内社:
本宮社

a0057057_20475194.pnga0057057_20551619.png

ほんぐうしゃ
鎮座地:静岡県熱海市伊豆山七尾
祭神:正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、拷幡千千姫尊、瓊瓊杵尊

仁徳天皇の御代に松葉仙人が神鏡を崇め、社を造り日金山に祀り、後に社はこの地に移され祀られてきた。さらに承和3(836)年に今の伊豆山神社の社を建造し遷座したため、残った二番目の社が現在の本宮社となった。
江戸時代初期には広さ東西五間、南北三間半の拝殿、鳥居三ヶ所、付近に求聞持堂、東西三間南北二間の建物等を有したが、江戸時代後期の野火により全焼し、現在は石鳥居一基、拝殿が一棟建っているのみ。


結明神本社(むすびみょうじんほんしゃ)
御祭神:結明神(日精・月精)

走湯山縁起によれば景行天皇の三十一年、日金山の大杉の中より一男一女が出生した。初島の初木神社の祭神である初木姫が二子を引き取り育てたが、時を経ずしてたちまち成長し、一女を日精、一男を月精と号した。後に二人は夫婦となり、日金山に仕えて「伊豆権現氏人之祖」となったと云う。
日精・月精その終没を不知(富士山)から神上がったと記され、後の人たちより結明神として仰がれ祀られたと伝られる。
祭神は男女の縁結びを叶えてくれる神で古くは一名恋祭りという神事があり、各地から集まった若い男女の参列を得て行われていたことが伝えられている。


白山神社(はくさんじんじゃ)
御祭神:菊理媛命

伊豆山記、走湯山記によれば、天平元年夏、東国に疫病が流行した際、北条の祭主が伊豆権現に祈願したところ「悪行のなす所、救いの術なし、これ白山の神威を頼むべし」との神託があり、猛暑の頃であったにもかかわらず、一夜のうちに石蔵谷(白山神社鎮座地)に雪が降り積もり、幾日経っても消えず、病人がこの雪をなめたところ、病苦がたちどころに平癒したことから、この御社が創立された。
古来より、病気平癒、厄難消除の神として厚い信仰を集めている。


摂社 雷電社(らいでんしゃ)(若宮)
a0057057_16463770.png御祭神:伊豆大神荒魂、雷電童子(瓊瓊杵尊)

創立年代は不詳。吾妻鏡に「光の宮」と別名があり、鎌倉幕府三代将軍源實朝が再興し、その後暦応四年に足利氏が、慶長十七年に徳川二代将軍秀忠が改築、現社殿は昭和十(1935)年に内務省によって改築された。
政治を司り導く神として、源頼朝を始め歴代の将軍家の崇敬が厚く、室町時代には多数の社領を有していた。
事業、経営、商売繁盛、心願成就、良縁成就、家内安全、夫婦円満、子孫繁栄など、強い神威を持つ神である。

結明神社(むすびみょうじんしゃ)
a0057057_178739.png御祭神:結明神(日精・月精)

子恋の森公園上(伊豆山七尾)にむすぶ平らに鎮座する本社の里宮。

役小角社(えんのおづぬしゃ:足立権現社(あしだてごんげんしゃ))
御祭神:役小角(神変大菩薩、役優婆塞(えんのうばそく))

舒明天皇六(634)年、大和の葛城上郡茅原に生まれ神仏両道に渉り行を積み深く学を究め孔省咒法修習、奇異の験術を証、また日本国中の名山高山を開き登り、修験道の祖、開山の祖とも仰がれる。
文武天皇三年、伊豆大島に流刑にされた折、昼は皇命を慎み、夜は飛行の術を駆使し伊豆大権現に飛び来て修行重ねたと伝えられる、大島に在ること三年、大宝元年勅名を以って許され大和に還ったが遂に仙人と化って唐に渡ったといわれる、役小角隠れ給ひてより千百余年後、光格天皇の寛政十一(1799)年その神徳を讃えられて神変大菩薩の神号を賜う。
当社は運命開拓の神なり、また古くから足の病に悩める者、足腰弱き者、祈願致さば神護を享けて強足となるという信仰がある。


祖霊社(それいしゃ)
a0057057_15534035.png御祭神:伊豆大権現氏人祖霊

先祖の御霊を祀る社で、伊豆山の人々の守護神として景仰されている。

境外社 走湯神社


参考資料:伊豆山神社ホームページ/神社由緒書き他

記事投稿:
  調整:29.7.14/29.10.-4

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# by fbox12 | 2017-10-22 01:09 | 神社

第佰九 橿森神社 岐阜県岐阜市鎮座

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a0057057_10164128.pngかしもりじんじゃ

鎮座地:岐阜県岐阜市若宮町1丁目8番地
主祭神:市隼雄命(いちはやおのみこと)

a0057057_10200616.pnga0057057_10173184.pnga0057057_11300030.pnga0057057_10211205.png

概要:
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昔より、夫婦和合、子供の守り神として厚く信仰されている。上加納山(水道山)の山麓にある。境内にある磐石“駒の爪岩”は、神人が駒に乗り、この地に降り立ったという伝説がある。

主祭神の市隼雄命は、垂仁天皇の第一皇子である五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)と景行天皇の第六皇女淳熨斗媛命(ぬのしひめのみこと)の間の子。同じ岐阜市の伊奈波神社に父・五十瓊敷入彦命、金神社に母・淳熨斗媛命を祭ることから、この三つの神社は関係が深い(毎年4月の岐阜まつりは、伊奈波神社、金神社、橿森神社の例祭である)。

織田信長は楽市楽座を開いた際、市神をこの橿森神社の神木、榎の元に祭ったという(現在「御園の榎」といわれている榎はその孫になる)。
a0057057_10282371.png江戸時代、金寶山瑞龍寺の神宮寺となっていたが、神仏分離でこの地の氏神となる。

a0057057_11441841.pnga0057057_11512965.pnga0057057_11522055.png


摂社:
a0057057_11455632.pnga0057057_11411580.png佰九之壹
建勲神社(岐阜信長神社)

たけいさおじんじゃ

祭神:贈太政大臣正一位織田信長公

末社:
a0057057_14340600.pnga0057057_14373923.png佰九之貮
末廣稲荷社


a0057057_14575778.png佰九之參
秋葉神社
a0057057_15011121.png琴佰九之四

琴比羅神社(琴平神社)

この神社最寄の駅・バス停留所:
JR岐阜駅(11・12・13番乗り場)または名鉄岐阜駅(4番乗り場)からN系統(長良橋方面)及び市内ループ左回りバス乗車、柳ケ瀬

a0057057_15294658.pnga0057057_15304179.png
周りは粕森公園として整備されている。


出典・参考:Wikipedia「橿森神社」(最終更新 2016年10月2日)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%BF%E6%A3%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE

現地参拝:29.9.17/29.9.30
記事投稿:29.10.-4
  調整:29.10.-5

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# by fbox12 | 2017-10-05 15:43 | 神社

1013 越知駅(バス停)(黒岩観光←JR四国バス)

a0057057_21412664.pngおち

所在地:高知県高岡郡越知町越知甲1736-7
所属:有限会社黒岩観光
乗入路線:
 桐見川線(坂折~龍王公園)
 高吾北落出線[佐川~狩山口](狩山口~佐川)
 高吾北落出線[佐川~落出](落出~佐川)
 黒岩線(役場前(佐川町)~越知)
 出来地線(坂折~宮ヶ奈路)

概要:
高知県高岡郡越知町は、安徳天皇が落ちのびたという伝説のあるところで、その中心部、国道33号線上にあるバス停留所。
乗入路線の「高吾北落出線(落出〜佐川)」は、旧JR四国バスの「松山高知急行線」の高知県側の名残であり、写真の場所は、以前バスターミナルだったところ。
その写真のバスターミナルの後に建てられたのが、越知町観光協会の「観光物産館 おち駅」で、平成22(2010)年4月4日にオープンした。
商店街で行われていた農産市を主体に、越知や周辺地域の特産品の販売も行っていて、越知町観光協会の事務局もここに移転し、越知の観光情報を発信する新たな発信地として機能している。


参考資料:越知町観光協会HP
 http://www.ochi-kankou.jp/tourist/station/index.html
現地取材:29.3.14
記事投稿:29.7.-2
  調整:29.7.-3/29.10.-4

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