fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

231 越後中里駅 (JR東日本)

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a0057057_2147595.pnga0057057_21485554.pnga0057057_22241887.png
えちごなかざと

所在地:新潟県南魚沼郡湯沢町大字土樽5135
所属・路線:東日本旅客鉄道・上越線
電報略号/事務官コード:サト/301207
キロ程:87.4km(高崎起点)

概要:
駅裏手の湯沢中里スキー場に直結している。

年表:
a0057057_12575682.png昭和6(1931)年9月1日 - 鐵道省上越線水上 - 越後湯澤間開通時に開業。一般駅。
昭和40(1965)年12月21日 - 東口開設。
昭和45(1970)年12月15日 - 貨物取扱廃止(旅客駅となる)。
昭和55(1980)年12月1日 - 二代目駅舎に改築。
昭和59(1984)年2月1日 - 荷物取扱廃止。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる。

駅構造:
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単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する地上駅。単式ホーム(1番線)に接して駅舎がある。2つのホームは跨線橋で連絡しており、その跨線橋から駅舎とは別に東口への通路が延びている(上写真右)。東口は湯沢中里スキー場の中心的施設・中里スキーセンター内に設けられている。
昭和55(1980)年築の駅舎はコンクリート平屋建て。内部には出札口・改札口のほか、観光案内所もあり、スキーシーズンにはリフト券の売場も設けられる。駅舎内部には簡易自動券売機が1台設置されているが、このほかはいずれもスキー場営業期間に合わせた季節営業となっている。越後湯沢駅管理の無人駅で、平成19(2007)年のスキーシーズンまでは臨時駅員が配置されていた。以前はホーム上に、立ち食いそば屋も有ったが、後に撤去された。
駅からは、スキー場の休憩施設として利用されている旧形客車(スハ43系)を見ることができる(下右写真)。

のりば:
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1・2番線 上越線 下り 長岡方面(上写真左:列車が発車したのが1番線。右隣りが2番線)
3番線 上越線 上り 水上方面(上写真右:左写真、跨線橋の先)
2番線は当駅始発の越後湯沢・長岡方面の列車が使用する。
土樽・水上方面へは、定期の旅客列車が、平日は1日5本、土曜・休日は午前中の1本が加わって6本のみで、平日休日とも最終は18時発。

バス路線:中里駅角バス停(南越後観光バス)
 スキー場とは反対側の出口。駅出口から徒歩1 - 2分。

出典・参考:Wikipedia「越後中里駅」(2017年8月30日最終更新)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E5%BE%8C%E4%B8%AD%E9%87%8C%E9%A7%85
参考:「停車場一覧 日本国有鉄道編(昭和41年3月1日現在)」停車場一覧刊行会

現地取材:28.8.27
記事投稿:29.9.-9

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# by fbox12 | 2017-09-09 17:03 | 鉄道・バス

141 土樽駅 (JR東日本)

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つちたる

所在地:新潟県南魚沼郡湯沢町大字土樽
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・上越線
電報略号/事務管コード:タル/301206

概要:

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土樽の名前を持つが、旧土樽村の中心部は現在の越後中里駅付近に当たり、駅周辺に人家はない。付近にある東京発電の水力発電所・土樽発電所(7,000キロワット)は昭和49(1974)年に無人化されている。上り線ホームの横を関越自動車道が通っており、当駅の東に土樽パーキングエリアが置かれているが、駅周辺の一般道は関越自動車道の東隣に、中央線(センターライン)も引かれていない農道のような道があるのみ(ただし路線バスが通っている)で、そこから駅に入る枝線にも「土樽駅入り口」などの掲示さえなされていない。
当駅は、東京側から望むと、清水トンネルを出てすぐの位置にあり、川端康成の『雪国』でもトンネルを出た後はじめに汽車が停車する「信号場」として登場する。実際に作品の書かれた当時は信号場であったが、冬季にはスキー客の利用を見込んで仮乗降場扱いで客扱いをしていた。
上越線は当駅(正確には上り線の清水トンネル高崎側出口付近)から宮内駅(信越本線と接続)までが新潟支社管轄である。
かつて、上越線の敷設工事が行われた際は、この付近の難所(清水トンネル、松川ループ線)に備え、現在の当駅の近くまで湯沢から延長約16kmの軽便鉄道線が敷設されていた。

歴史:
a0057057_16592612.png昭和6(1931)年9月1日 - 鐵道省上越線 水上 - 越後湯沢間開通時に、土樽信号場として開業。
昭和8(1933)年12月8日 - スキー季節中に限り、旅客営業を開始。
昭和16(1941)年1月10日 - 駅に昇格、土樽駅となる。旅客駅。
昭和20(1945)年12月15日 - 貨物の取扱を開始(一般駅となる)。
昭和36(1961)年10月1日 - 貨物の取扱を廃止(旅客駅に戻る)。
昭和59(1984)年2月1日 - 荷物の取扱を廃止。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
駅構造:

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丘陵地の東斜面に位置する地上駅。相対式ホーム2面2線を持つ。駅舎は上り線側にあり、両ホームは跨線橋で連絡している。越後湯沢駅管理の無人駅。
かつては、相対式ホーム(副本線)および通過線(本線)を持つ2面4線の構造であったが、平成20(2008)年6月3日から26日までホームの改築が行われた際に副本線が廃止となり、本線上にホームが設置された現在の構造となった。工事期間中は全列車が通過し、越後中里駅と当駅の間でバスやタクシーによる代行輸送が行われた。

のりば:

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 駅舎側ホーム(上写真右) 上越線 上り 水上・高崎方面
 反対側ホーム(上写真左) 上越線 下り 越後湯沢・小出・長岡方面
 ※案内上の番線番号は設定されていない。

バス路線:
徒歩数分で南越後観光バス「蓬橋」停留所があり、越後湯沢駅までのバスが1日数本出ている。
「土樽」バス停もあるが、駅からは1km近く離れている。
バスで群馬県方面へ行くことはできない。


出典・参考:Wikipedia「土樽駅」(2016年9月12日最終更新)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%A8%BD%E9%A7%85
参考:「停車場一覧 日本国有鉄道編(昭和41年3月1日現在)」停車場一覧刊行会

現地取材:19.8.14/28.8.27
記事投稿:29.9.-8
  調整:29.9.-9

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# by fbox12 | 2017-09-09 13:59 | 鉄道・バス

230 土合駅 (JR東日本)

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どあい

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所在地:群馬県利根郡みなかみ町湯檜曽218-2
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・上越線
キロ程:69.3km(高崎起点)
電報略号/事務管コード:トイ/301204

概要:
a0057057_11345311.png群馬県内の普通鉄道の駅としては最北端に位置する。当駅までが高崎支社管轄であり、上り線の清水トンネルの出口付近に新潟支社との境界が設置されている。ただし、定期の普通列車は全列車新潟支社の車両が乗り入れており、隣の湯檜曽駅とともに、高崎支社は施設管理のみの担当となっている。
下りホームは新清水トンネル内にあり、駅舎(地上)からは10分ほど階段を下りないと到達できない、「日本一のモグラ駅」として親しまれている。「関東の駅百選」認定駅の1つ。

年表:
昭和6(1931)年9月1日 - 上越線水上 - 越後湯澤間開通と共に信号場として開設。
昭和7(1932)年12月17日 - スキー季節中に限り、旅客営業を開始。
昭和11(1936)年12月19日 - 駅に昇格。
昭和42(1967)年9月28日 - 新清水トンネル開通により、湯檜曽 - 土樽間複線化。同トンネル内の下りホームを運用開始。
昭和60(1985)年3月14日 - 無人化。その後、特別改札で1990年代中頃まで駅業務を継続。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道が継承。
平成10(1998)年8月29日 - 集中豪雨による土砂崩れで、上り線構内が被災。復旧作業のため約1か月にわたり、水上 - 土樽間で下り線を使用した単線運行実施。
平成12(2000)年 - 関東の駅百選に認定される。

駅構造:
山間部にあり、上り線が地上駅、下り線が地下駅となっている。平常時は無人駅で常駐する駅員はいない。ただし後述する臨時列車の運転時には、管理駅の水上駅から駅員が派遣されて臨時窓口が設けられる。駅舎内には待合室、自動販売機、トイレなどがある。
当駅最大の特徴は、上下のホーム間が大きく離れていることである。これは、上越線の複線化の際に下りホームを地下70mの新清水トンネル内に設置したことによるもので、駅舎と上りホームのある地上と下りホームの高さは81mもの高低差がある。下りホームから駅舎に行くには、ほぼ一直線に伸びる462段の階段(長さ338m)を上り、143mの連絡通路、さらに24段の階段を上る必要がある。改札口から下りホームまでは徒歩10分程度を要するため、駅員が配置されていた時代には、下り列車については改札が発車10分前に打切られ、市販の時刻表にもその旨が記載されていた。階段の中間部付近にはベンチが設置されている。エスカレーターの設置スペースが確保されている(タイトル写真右側部分)が、エスカレーターが設置される予定はない。
a0057057_11524263.pnga0057057_11565632.png
下りホームは単式1面1線の構造である。かつては、通過線(本線)と副本線が設けられ、副本線にホームが設置されていた(上左写真、駅名標の後ろ側)が、平成20(2008)年5月から10月にかけてホーム改良工事が行われて、ホームが副本線から本線へ移された。上記の通り地下深いトンネル内にあるため、季節に関わらずほぼ気温は一定である。ホーム上には、待合室の他、トイレが設置されている。本線側の側壁には作業員退避用の空間が設置されている。プラットホームの照明は夜中でも点灯したまま(連絡通路と階段は消灯)になっており、深夜帯に通過する夜行列車の車内から駅通過の模様を確認できる。
上りホームは単式1面1線で、駅舎に面する地上部にある(上右写真)。かつては島式ホーム+上り方側線の3線だった(注、3線が同時に存在していたかは不明)が、複線化の際に旧下りホームは待避線となり、優等列車の通過待ちに使われた。後に、旧下り線の線路を剥がして1面1線にしている(写真の様に、ホームの無い通過線は現在でも残っているが、架線は張られてなく、分岐器の有無も不明)。平成10(1998)年の土砂崩れによってホームの一部が破壊され、以後は駅舎に近い部分のホームしか使われていない。
下りホームは嵩上げ工事が行われたが、上りホームに関しては嵩上げ工事が行われていなかったため、列車とホームの間に段差があったが、平成29(2017)年6月、上りホームについても嵩上げ工事が行われ、列車とホームの間の段差は解消された。

登山者による火気使用:
JR東日本は当駅待合室内で寝泊まり(STB)をする登山客らがガスバーナーなどを持ち込んで食事の調理を行うなど、禁止にもかかわらず火気が使用される事例が後を絶たず、火災発生の危険があるため平成28(2016)年4月、待合室を閉鎖した。使用再開の予定はないため、事実上の廃止と云える。無人駅となった後、火気厳禁の張り紙を行いJR職員や警察が見回りをして保安対策を行っていたが、状況が改善されなかったという。年間約二百人前後が当駅で寝泊まりしていると見られ、待合室以外の駅構内に宿泊する登山客らもいることから、なおも火災等保安上の問題が発生する懸念があるため、JR職員や警察が引き続き巡回し、状況が改善されない場合には新たな安全対策を検討する。

のりば:
1番線(地下ホーム) 上越線 下り 越後湯沢・長岡方面
2番線(地上ホーム) 上越線 上り 水上方面
※実際には、それぞれを「下りホーム、上りホーム」と呼び、案内上ののりば番号は設定されていない。

バス路線:
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土合駅前バス停(運行会社:関越交通) 
バスで新潟県方面へ行くことはできない。

谷川岳ロープウェイ駅行き
ゆびそ温泉・湯檜曽駅前・水上駅経由上毛高原駅

出典・参考:Wikipedia「土合駅」(2017年8月20日最終更新)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%90%88%E9%A7%85

現地取材:28.8.27
記事投稿:29.9.-6
  調整:29.9.-7

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# by fbox12 | 2017-09-08 21:11 | 鉄道・バス

229 湯檜曽駅 (JR東日本)

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a0057057_22132654.pnga0057057_22202251.png

ゆびそ




所在地:群馬県利根郡みなかみ町湯檜曽18-2
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・上越線
キロ程:62.7km(高崎起点)
電報略号/事務管コード:ユヒ/301203
営業形態:無人駅



年表:
昭和6(1931)年9月1日 - 上越線水上 - 越後湯沢間開通と共に開業。当時の駅は現在より北の高台、ループ線の入口手前にあった。
昭和24(1949)年12月20日 - 現駅舎付近に大穴仮乗降場新設。冬季スキー客向けに12月20日 - 3月10日の営業。
昭和38(1963)年3月10日 - 上越線複線化工事に伴う当駅の移転のため、大穴仮乗降場の営業を本シーズンをもって終了。
 12月5日 - 現駅舎付近に新湯檜曽信号場新設。
昭和42(1967)年7月 - 旧駅舎竣工。
 9月28日 - 新清水トンネル開通により、当駅 - 土樽間複線化。これに伴い現在地に駅を移転新築、同トンネル内の下りホームを湯檜曽駅として供用開始(下写真)。旧駅は北湯檜曽信号場となる。
昭和59(1984)年11月8日 - 北湯檜曽信号場廃止。
昭和60(1985)年3月14日 - 無人化。その後、特別改札で駅業務を継続。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、JR東日本に継承。
平成10(1998)年8月29日 - 集中豪雨による土砂崩れで上り線構内が被災。復旧作業のため約1ヶ月に渡り、水上 - 土樽間で下り線を使用した単線運行実施。
平成15(2003)年12月1日 - 管理駅である水上駅からの駅員派遣廃止、完全無人化。
平成21(2009)年10月 - 旧駅舎解体。
平成22(2010)年1月 - 新駅舎供用開始。

駅構造:

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上:下り側ホーム
下:上り側ホーム
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地上駅であるが、ホームは上下線で別であり、下りホームは新清水トンネルの中(入口)に設けられている。上りホームは駅舎より一段高い築堤上にある単式ホーム1面1線で、駅舎とは階段で連絡している。上りホームからは北側にはループ線の一部が望めるほか、高崎方先端付近が新清水トンネルの入口と並んでいる。下りホームは、トンネルに入ってすぐの場所にある単式1面1線で、高崎方先端付近ではトンネルの入口から外光が入る。駅舎とは上り線の築堤をくぐる地下通路で連絡しており、階段はない。

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水上駅管理の無人駅。旧駅舎は平成21(2009)年10月に解体撤去され、現在の駅舎は上写真の様な打放しコンクリートで男女別洋式トイレつきのシンプルな駅舎となっている。旧駅舎はスキー場のロッジのようなデザインの規模の大きなもので、かつての賑わいぶりがしのばれるものだった。旧駅舎内には、高い天井にシャンデリア風の蛍光灯照明がある広いコンコースやコインロッカー・出札窓口・手小荷物窓口・待合室・トイレ(金隠しなしの和式)などがあった。無人化されて久しく、末期には待合室は閉鎖されたままになっているなど廃屋のような様相を呈していた。温泉地の最寄り駅らしく、改札口の上部には周辺の旅館の案内書きが掲出されていた。
なお、旧駅は上記の通りループ線の入口手前の、高さ50mほどの急斜面に張りつくような形で設けられており、駅前広場と急斜面の中腹にある駅舎は上屋つきの狭く長い階段で連絡していた。駅舎からは地中の階段を通って列車交換施設を持つ1面2線のホームに上がる構造になっており、またこの階段は現在も保線作業用の通路として利用されている。なおごく短期間だが、ホームと駅舎の連絡に跨線橋とエレベーターを用いていた時期もあった。

のりば:
地上ホーム 上越線 上り 水上行
地下(トンネル内)ホーム 上越線 下り 越後湯沢・長岡方面
※案内上ののりば番号は設定されていない。


バス路線:
a0057057_22343392.png運行会社:関越交通
ゆびそ温泉・土合駅前経由 谷川岳ロープウェイ駅行き
水上駅・上牧駅前経由 上毛高原駅行き
粟沢行き(1日1本)

出典・参考:Wikipedia「湯檜曽駅」(2017年5月2日最終更新)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E6%AA%9C%E6%9B%BD%E9%A7%85

現地取材:28.8.27
記事投稿:29.9.-2
  調整:29.9.-3/29.9.-6

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# by fbox12 | 2017-09-06 09:49 | 鉄道・バス

228 三河塩津駅 (JR東海)

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a0057057_23084424.pnga0057057_23453036.pnga0057057_23510988.pngみかわしおつ







所在地:愛知県蒲郡市竹谷町油井40-5
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道本線
電報略号:ミツ
キロ程:312.9km(東京起点)
乗換:蒲郡競艇場前駅(名鉄蒲郡線)
営業形態:業務委託駅(夜間無人駅)

概要:
当駅は蒲郡競艇場の利用客を見込んでJR化後に開業した駅である。名古屋鉄道(名鉄)蒲郡線の蒲郡競艇場前駅が隣接しており、乗り換えが可能である。これまで、当駅が開業する前まで、豊橋方面から蒲郡競艇場へ向かう場合は蒲郡駅で名鉄蒲郡線に乗り換えなければならなかったが、開業によって乗り換えなしで向かえるようになった。しかし、当駅の開業のあおりなどもあり、名鉄蒲郡線の蒲郡競艇場前駅の利用客は減少している。なお、同線には昭和43(1968)年9月30日まで「塩津駅」があった(後に蒲郡競艇場前駅として統合)。停車列車は、普通列車と区間快速である。日中は上下線とも毎時2本の停車本数となる。平成20(2008)年3月の横断歩道橋設置に伴い駅の東側にあった油井踏切は廃止され、三河三谷 - 当駅間の踏切はすべて廃止された。

歴史:
昭和63(1988)年11月16日 - 東海旅客鉄道(JR東海)により、東海道本線蒲郡 - 三ヶ根間に新設開業。
平成18(2006)年1月25日 - TOICA導入。

駅構造:
相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を備える。蒲郡競艇場前駅への階段が橋上駅舎からつながっている。東海交通事業が業務を受託する業務委託駅で、蒲郡駅が当駅を管理している。早朝と深夜は無人となる。蒲郡競艇場の開催日は窓口業務が延長される。駅舎内にはみどりの窓口や自動券売機(TOICA等ICカード対応)1台、簡易型自動改札機(TOICA対応)が設置されている。

のりば:
1番線東海道本線 下り 岡崎・名古屋方面
2番線東海道本線 上り 豊橋・浜松方面
蒲郡駅方の高架化の際に線路が若干移動した関係で、1番線の階段付近はホームが少し狭くなっている。

出典:Wikioedia「三河塩津駅」(2017年7月14日 最終更新)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E5%A1%A9%E6%B4%A5%E9%A7%85

現地取材:29.8.27
記事投稿:29.8.30

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# by fbox12 | 2017-08-30 23:29 | 鉄道・バス

227 波子駅(JR西日本)

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a0057057_22424769.pnga0057057_22364716.pngはし

所在地:島根県江津市波子町850
所属・路線:西日本旅客鉄道株式会社・山陰本線
電報略号/事務管コード:ハシ/640761
キロ程:463.3km(京都起点)
営業形態:簡易委託駅

歴史:
大正10(1921)年9月1日 -鐵道省山陰本線の都野津驛 - 浜田驛間延伸時に開業。客貨取扱を開始。
昭和48(1973)年6月15日 - 貨物取扱廃止。
昭和60(1985)年3月14日 - 無人駅となる。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。平成2(1990)年3月10日 - 無人駅になる。
平成12(2000)年 - しまね海洋館アクアス開業により、簡易委託駅員を配置および特急停車駅となる。

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駅構造:
島式1面2線のホームを持ち、行き違い設備を有する地上駅。海側の益田寄りに駅舎があり、ホームへは構内踏切で結ばれていて跨線橋はない。浜田鉄道部が管理する駅。かつては近隣の多くの駅と同様に完全な無人ローカル駅となっていたが、平成12(2000)年のしまね海洋館アクアスの開業に伴って改装し、週代わり交代制の簡易委託駅として有人駅化され、特急や快速も止まる需要のある駅となった。窓口は駅舎を抜けて構内踏切へ通じる通路に入る手前にあり、車掌が常備しているタイプの携帯型車内券発行機にて乗車券類(上のとおり、入場券も発行可)を発売、またアクアスの入場券を購入することもできる。

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のりば:
1番のりば 山陰本線 上り 出雲市・松江方面(写真左)
2番のりば 山陰本線 下り 浜田・益田方面(写真右)
※平成29(2017)年3月時点で駅掲示時刻表にのりば番号が表記されており、列車運転指令上の番線番号同様に駅舎側(上り)を1番のりばとしている。

その他:
昭和50年代後半に2、3回広島駅 - 波子駅間(車両回送を含めると浜田駅まで)に芸備線・三江線・山陰本線経由で「波子ビーチ」号という臨時快速列車が運転された。広島運転区のキハ58系2両を使用していた。

参考資料:Wikipedia「波子駅」(2017年3月10日最終更新)
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E5%AD%90%E9%A7%85
停車場一覧(日本国有鉄道編 昭和41年3月1日現在)(停車場一覧刊行会)

現地取材:28.9.-7
記事投稿:29.8.23

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# by fbox12 | 2017-08-23 23:05 | 鉄道・バス

B001 しずてつジャストライン ← 静岡鉄道(静鉄バス)

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a0057057_21002291.pnga0057057_22162590.png
a0057057_21445864.pngしずてつジャストライン株式会社(←静岡鉄道株式会社← )

本社所在地:静岡県静岡市葵区宮前町28番地
沿革:
平成14(2002)年10月1日 - 静岡鉄道のバス事業すべてを譲り受け発足(当時の本社事務所所在地:静岡市葵区鷹匠一丁目14番10号 静鉄5号館)。

歴史:
創業期
平成20(2008)年現在の静鉄バスの営業エリアにおけるバス事業は、明治39(1906)年に靜岡と江尻(清水)を結ぶ東海自動車(伊東市の東海自動車とは別会社)によるものが端緒である。しかし、この路線は明治41(1908)年に大日本軌道による鷹匠町と江尻新道を結ぶ軌道線が開通すると廃業となった(現在の静岡市に於ける市内交通は現在の静岡鉄道静岡清水線に引き継いでいる)。このほか、大正4(1915)年から同9((1920)年にかけて、靜岡・清水・藤枝・菊川などで小規模なバス事業が開始されている。靜岡市内で宮寺商会が開業した大正11(1922)年頃からは利用者も増加、大正15/昭和元(1926)年までに数社が靜岡市内で設立されたほか、藤枝・焼津・榛原地区でもバス事業が開始されている。しかし、これらの路線バスは鉄道との競合となった。大正8(1919)年に大日本軌道から軌道事業を引き継いだ駿遠電氣大正12(1923)年に社名を靜岡電氣鐵道と改め、靜岡市内・清水市内線や袋井と森を結ぶ秋葉線を開業するなど、鉄道事業を拡大していたが、それらの路線に並行する形で路線バスが運行されたため、鉄道からバスへの乗客の転移もみられた。自社鉄道防衛の見地からバス事業に進出しようとしたが、既に既存路線がある場合は運行の許可を得ることは出来なかった。このため、靜岡電氣鐵道では秋葉線の培養としてタクシーの営業を開始した後、昭和3(1928)年に袋井と可睡を結ぶ季節運行のバス路線を開設した。これが静鉄バスの直接のルーツとなる路線である。その後、昭和4(1929)年に宮寺自動車商会と森久自動車商会を買収し、靜岡・清水近辺のバス路線を自社路線としたことで、本格的にバス事業に参入した。一方、当時藤枝と相良を結んでいた藤相鐵道も、自社鉄道線擁護のためバス事業を開始することになり、大正13(1924)年に藤枝自動車商会を買収したほか、袋井と横須賀を結んだ中遠鐵道も同様の理由でバス事業に参入し、袋井と池新田を結ぶ路線バスの運行を開始した。

自主統合から戦時統合へ:
この時期、小規模なバス事業者同士の競合による疲弊が顕在化し、事業者の経営を圧迫したため、次第に有力事業者への統合が進むことになる。靜岡電氣鐵道は昭和7(1932)年に西駿自動車商会を買収したのを皮切りに、沿線の各事業者の買収を進めた。秋葉線と競合していた秋葉自動車商会も昭和10(1935)年に買収されている。藤相鐵道も昭和3(1928)年に川崎町の栄輪社を買収したのを初めとして、昭和10(1935)年までに沿線のバス事業者を買収し、自社のバス事業の拡張を行った。一方で、路線の新設も行われた。静岡電氣鐵道は昭和5(1930)年には靜清國道の開通を受けて路線を開設、その後山間部への路線も新設したほか、観光路線として日本平線の運行も開始した。藤相鐵道も同様に事業を拡大していったが、岡部と藤枝を結ぶ路線の新設時には両社競願となったため、最終的には銀行の仲介で、昭和10(1935)年に共同出資の駿遠自動車を設立して運行を行っている。静岡市内では昭和10(1935)年に靜岡自動車が営業を開始し、靜岡市内線を中心に運行を行ったが、昭和11(1936)年に靜岡市会でバス事業の市営化が提言されたのを受け、靜岡市は靜岡自動車の買収を図った。これに対して、靜岡自動車では将来性のある藁科線を靜岡交通自動車(設立当初は靜岡遊覧運輸)として分社化した。しかし、折りしも戦時体制に突入したことから市営バス化の論議は低調となり、昭和12(1937)年に駿遠自動車が靜岡自動車を買収することになり、同社は靜岡乗合自動車と改称した。戦時体制に入ると、各社とも不要不急路線の休止が行われるようになり、昭和16(1941)年には鉄道並行路線も休止されるようになった。同年、靜岡電氣鐵道の社長に五島慶太が着任したが、五島は陸上交通事業調整法の主旨に基づき静岡県中央部の交通を統制すべく、バス事業者の統合に向けて合併交渉に回るようになった。統合そのものは戦時下の国策でもあることから合併交渉は進み、昭和18(1943)年5月に靜岡電気氣鐵道を主体として、藤相鐵道・中遠鐵道・靜岡乗合自動車・靜岡交通自動車が合併、社名も靜岡鐵道に変更した。その後、バス専業事業者6社を昭和19(1944)年1月までに合併、静岡県中央部のバス事業は大井川鐵道の営業エリアが一部に残る以外は靜岡鐵道に統一されたのである。しかし、合併後の社内組織の整理の前に靜岡市内に空襲などが続き、靜岡鐵道は大きな被害を受けた。終戦の時点で稼動可能なのは電車7台とバス20台強という有様で終戦を迎えることになる。
戦後から高度成長期まで終戦後まもなく社長に就任した川井健太郎は、まず社内組織をまとめることから着手し、復興の基礎作りを優先した。郊外の営業所の車両を靜岡市内に集めて靜岡市内路線の運行を再開、昭和21(1946)年からは新車のみならず米軍払い下げの車両などを導入することで、輸送力の復旧に尽力した。昭和23(1948)年以降は増資のうえ新車の導入を拡大し、昭和24(1949)年までには路線・車両ともほぼ合併当時の状況へ復旧を果たした。昭和25(1950)年には静岡と相良を結ぶ直行便の運行を開始、既存路線の増強を行った。同年からは行楽客の増加傾向がみられたため、久能山と三保をめぐる定期観光バスの運行を開始した。この頃から、静岡市の都市圏の拡大とともに周辺部の人口が急増したため、静岡市の郊外へ向かう路線の増強に着手した。また、長距離路線の展開もこの頃から始まり、昭和29(1954)年には山梨交通との相互乗り入れにより静岡と甲府を結ぶ急行バスの運行を開始した。さらに昭和31(1956)年には富士山麓電気鉄道との相互乗り入れで静岡と沼津を結ぶ路線を開設、さらに昭和38(1963)年には遠州鉄道・大井川鉄道との相互乗り入れにより静岡浜松線の運行を開始した。この時期まで、静岡市内でのバス運行拠点は静岡駅であったが、昭和29(1954)年から駅前広場改修工事が開始されると手狭になった上、鷹匠町の鉄道駅を新静岡駅として大改良することになったため、新たに新静岡をバス運行拠点とすることになり、昭和31(1956)年に新静岡バスセンター(当時)の営業を開始し、静岡駅前は路上バス停となった。昭和32(1957)年には静岡国体が開催されたが、静鉄バスでは136台という当時としては大規模な車両増備を行い、国体輸送を完遂した。この頃、静岡市では再び市営バス事業を画策、昭和31(1956)年に4路線の免許申請を行った。これは静鉄バスの空白地帯への路線ではあったが、静鉄バスでも同様の申請を行っていたことから競願となった。戦前に引き続き市営バスの運行が計画されたのは、この時の市長が戦時中に合併した5社のうちの1社で経営者を務めており、バス事業への意欲が強かったためとされている。昭和34(1957)年までに公聴会も行われたが、静岡市の計画にやや無理があったこと、静岡国体の輸送を完遂した実績から、昭和33(1958)年に静岡市の申請は全て却下された。モータリゼーションと高速道路時代一方、鉄軌道部門では市内線やローカル路線はモータリゼーションの進展と共にその存在意義が薄れてゆくことになった。昭和37(1962)年9月には静岡市内線と秋葉線が、昭和39(1964)年から昭和45(1970)年にかけては駿遠線が段階的に廃止された。いずれの路線も廃止後は静鉄バスが代替輸送を行うことになった。静鉄バス自身もモータリゼーションの影響で利用者の増加が鈍化しつつあり、一方で経費の上昇が続いたことから、合理化が必要となった。このため、まずワンマン化を開始することになり、昭和37(1962)年11月から静岡市内の路線でワンマンバスの運行が開始された。昭和42(1967)年からは前年に開発された整理券方式の採用により、郊外線でもワンマン化が進められることになり、さらに昭和50(1975)年には後方監視用カメラの採用に伴い誘導員なしでもバスを後退させることが可能になったため、昭和61(1986)年までにワンマン化はほぼ終了となった。昭和41(1966)年には新静岡バスセンターがターミナルビルの建設と同時に全面改良されることになり、昭和45(1970)年に完成、路線バスは全て新静岡を起終点とすることになった。一方、昭和39(1964)年に東海道新幹線が開業すると、観光客の増加が見られるようになったため、日本平パークウェイを経由して静岡駅と日本平を直行する路線を開設、また御前崎への定期観光バスの運行もしょう昭和43(1968)年に開始した。さらに昭和44(1969)年に東名高速道路が開通すると、高速道路を経由する路線バスも運行されるようになった。静鉄バスでは沿線事業者として東名急行バスに出資したほか、昭和44(1969)年には静岡浜松線を東名高速道路経由に変更、昭和45(1970)年には静岡沼津線と静岡御前崎線も東名高速道路経由に変更した。また、観光客の増加と高速道路の開通によって貸切バス需要が大幅に増加した上、昭和45(1970)年には大阪で万国博覧会が開催されたため、貸切バス部門は大きく収益を伸ばした。営業力の強化のため、昭和44(1969)年には静岡観光バスを設立している。利用者減とバス事業再編、高速バスの再開と拡大昭和45(1970)年以降は、バス利用者は日本全国的に減少傾向となり、バス事業者の経営を圧迫していった。静鉄バスも例外ではなかったが、静岡・清水の都市機能が拡大していたことから、大幅な利用者減はみられず、むしろ路線の増強も行われていた。この頃から、サービス面についても充実を図る傾向となった。昭和50(1975)年には清水市内線(路面電車)が廃止になったが、代替路線ではバス優先レーンの整備が行われた。また、静岡市内のバス停で電照式のバス停ポールと上屋の設置を進めたほか、昭和52(1977)年からはバス車両の冷房化が開始された。冷房化については車両改造も含めて順次進められたが、静鉄バスの当時の車両使用年数が長い(約18年)ことから、完全冷房化は平成5(1993)年までずれ込むことになる。また、イメージチェンジを図り、昭和55(1980)年より路線バス車両をアイボリー地に赤帯の塗装デザインに変更した。昭和58(1983)年には静岡駅前広場が整備され、駅前バスターミナルも整備されたことから、再び静岡市内での経路変更が行われ、全路線が静岡駅と新静岡を経由するようになったほか、市内線は静岡駅・新静岡を途中停留所とする路線体系に変更された。昭和62(1987)年にはバスロケーションシステムを導入、さらに、一部路線で都市新バスシステムが導入された。平成2(1990)年にはバス停留所近くに駐輪場を設置する「サイクル&バスライド」を導入した他、平成6(1994)年には鉄道との共通プリペイド式磁気乗車カードとしてパサールカードを導入した。貸切バスについては、平成2(1990)年に営業形態の異なる中小型バスについては静鉄小型バスとして分離したほか、昭和56(1981)年より傘下に入っていた清水交通と静岡観光バスを平成12(2000)年に合併し、しずてつジョイステップバスを設立し、静鉄小型バスが、しずてつジョイステップバスを吸収合併し、静鉄ジョイステップバスになった。一方、長距離路線は順次縮小された。静岡甲府線は山梨交通が撤退したあとも運行が続けられ、昭和63(1988)年にはNHK大河ドラマ「武田信玄」放送にあわせて増発もされたが、平成2(1990)年に休止となった。高速道路経由の東名静岡浜松線も平成6(1994)年に廃止され、このあとしばらくは御前崎方面以外の高速バス展開は途絶えることになる。また、ローカル路線対策として、末端区間を貸切代替バスへ切り替える方策を採ったほか、昭和63(1988)年に掛川地区での大井川鉄道バスの撤退の受け皿として掛川バスサービスを設立した。平成8(1996)年には秋葉地区の静鉄バス路線を秋葉バスサービスとして分社化している。さらに、平成14(2002)年からはバス事業全てを分離し、しずてつジャストラインとして独立させ、観光バスについては、順次、静鉄ジョイステップバスにほぼ全て移行してゆくことになったが、定期観光線として、一部残っている。平成17(2005)年からは中部国際空港へのリムジンバス運行によって長距離高速バス運行を再開(同路線は平成24(2012)年3月末日で休止)、さらに平成19(2007)年からは東京へ直行する高速バス路線の運行を開始した。同年に新宿への路線も開設されているほか、平成20(2008)年からは成田国際空港へのリムジンバス運行も開始している。平成23(2011)年には、京都・大阪への夜行高速バス路線を開設した。また10月11日には、平成21(2009)年4月1日から行われていた新静岡再開発事業の竣工による「新静岡セノバ」のオープンに伴い、新静岡バスターミナルの供用を2年半ぶりに再開した。

営業所:
路線バスおよび受託自主運行バスは、静岡市(清水区のうち、旧由比町・旧蒲原町の町域を除く)、焼津市、藤枝市、島田市、牧之原市、御前崎市、菊川市、掛川市、榛原郡吉田町の8市1町で運行している。

現行営業所
中扉の横(トップドア車は前扉の後ろ)・車両後部に、その車両の所属営業所を示す動物などのステッカーがペットマークとして貼られている(主に遺失物対策。同様の取り組みは仙台市営バスなどに見られる)。浜岡営業所の所属車両は浜松ナンバー、それ以外の所属車両は静岡ナンバーとなっている。

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西久保営業所(静岡市清水区高橋町2187-6)パルちゃん
鳥坂営業所(静岡市清水区鳥坂1292)ウサギ(タイトル写真)
小鹿営業所(静岡市駿河区小鹿二丁目25-27)シカ(右写真)
唐瀬営業所(静岡市葵区岳美12-57)コアラ
丸子営業所(静岡市駿河区丸子四丁目2-60)キリン(タイトル下右写真)
岡部営業所(藤枝市岡部町内谷700-1)サル
相良営業所(牧之原市波津二丁目1)カモメ
浜岡営業所(御前崎市池新田3961-6)アカウミガメ


廃止された営業所:
折戸営業所 - 西久保営業所に整理統合。現在は折戸車庫となっており、しみずライナーの始発・終着地となっている。
国吉田営業所 - 静岡鉄道時代に廃止。現在は富士ロジテック(倉庫業)が土地・建物を管理し、日本年金機構静岡事務センターなどが入居している。
藤枝営業所 - 静岡鉄道駿遠線の大手駅を営業所に転用したもの。平成18(2006)年に岡部営業所として移転、後述の焼津営業所と統合された。跡地には静岡銀行藤枝支店・戸田書店藤枝東店が建つ。ペットマークは象だった。
焼津営業所 - 平成18(2006)年に岡部営業所に統合。現在は岡部営業所の車庫として使用中。ペットマークは地元名産の鰹だった。
榛原営業所 - 現在は相良営業所の車庫となっており、案内所としても使用されている(静波海岸入口・榛原バスターミナル)。
島田営業所 - 静岡鉄道時代に廃止。現在はしずてつストア島田店ほかが建つ。
菊川営業所 - 静岡鉄道時代に廃止。
掛川営業所 - 観光部門を残し(掛川観光営業所→静鉄ジョイステップバス掛川営業所)、路線バスは掛川バスサービスに移管。
袋井営業所 - 浜岡営業所に統合。現在は秋葉バスサービスの車庫になっている。

出典・参考:Wikipedia「しずてつジャストライン」(2017年7月2日最終更新)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%9A%E3%81%A6%E3%81%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3

写真:いずれも 15.8.31(静岡鉄道の頃)撮影(順次追加予定)

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# by fbox12 | 2017-08-22 16:41 | 鉄道・バス