fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

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アリナミンZERO7(通常品 / サンプル)

a0057057_21154141.pngミニチュアボトルコレクション1011(通常品)/ 1911(サンプル)

a0057057_20502325.png品名:指定医薬部外品
原材料:フルチアミン塩酸塩(ビタミンB1誘導体)・リポフラビンリン酸エステルナトリウム(ビタミンB2リン酸エステル)・ピリドキシン塩酸塩(ビタミンB6)・ニコチン酸アミド・L-アスパラギン酸ナトリウム・タウリン・無水カフェイン・イノシトール他添加物
容量:100ml
製造販売元:武田薬品工業株式会社(大阪府大阪市中央区道修町四丁目1番1号)

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by fbox12 | 2017-02-28 21:02 | コレクション

ファンテユンケル3Bドリンク(試供品)

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a0057057_228959.pngミニチュアボトルコレクション1930
品名:第3類医薬品
原材料:ビタミンB1硝酸塩・ビタミンB2リン酸エステル・ビタミンB6・コンドロイチン硫酸エステルナトリュウム・パンテノール他添加物
容量:100ml
製造販売元:佐藤製薬株式会社(東京都港区元赤坂1丁目5番27号)

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by fbox12 | 2017-02-28 20:56 | コレクション

第貮拾八 東雲神社(静岡東照宮) 静岡県静岡市葵区鎮座

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a0057057_20311311.pnga0057057_2026423.png
a0057057_20191362.png鎮座地:静岡県静岡市葵区丸山町13
祭神:東照公(徳川家康公)、速須佐之男命
社名かな:とううんじんじゃ

由緒:
東雲神社は古くから「丸山の権現さん」として親しまれてきた「東照宮」であります。創建は元和8(1622)年と伝えられ、「駿国雑誌」や「安東村村誌」によれば駿府城内にあった「東照宮」を現在地である府中浅間神社(現静岡浅間神社)の別当、惣持院境内に移したものと伝えられています。
惣持院は明治元(1868)年の神仏分離令により廃寺となりましたが、「東照宮」は明治8(1875)2月18日、村社に列せられ、同33(1900)年、村内にあった「八雲神社」を合祀し「東雲神社」と改称しました。
ほかに、「天神社」「稲荷社」が祀られています。
宝物として寛永20(1643)年三代将軍家光公の武運長久と子孫繁栄を祈願して作られた「東照公御尊像」のほか「慈性親王筆東照宮額」「三十六歌仙額」「駿府城代武田越前守信村奉納釣灯篭」「備前長光作脇差」などがあります。
「丸山」の地名は家康公が大御所として駿府城在城中の慶長年間、鷹狩のためこの地を訪れ、その趣が京の丸山に似ているとして名付けられたものです。
「駿府まちおこし」推進協議会 / 静岡市

社名標の左側は、静岡浅間神社の駐車場。


この神社最寄の駅または停留所:
JR静岡駅または静鉄新静岡駅から、しずてつジャストライン「丸山町」または「浅間神社」下車。


記事:
 投稿:28.5.-2
 調整:29.2.28/29.3.-1
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by fbox12 | 2017-02-28 15:52 | 神社

第伍拾貮 静岡浅間神社 静岡県静岡市葵区鎮座

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a0057057_1110347.pnga0057057_11513758.png

a0057057_111345.png静岡市街地に接する賎機山(しずはたやま)の麓に鎮座する、神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社からなり、「静岡浅間神社」は総称である。
三社は鎮座以来いずれも独立の神社として祭祀が行われている。式内社二社(神部神社・大歳御祖神社)、駿河国総社(神部神社)。江戸時代まではそれぞれ別の社家が奉仕してきた。三社(明治21(1888)年に別々に旧社格の国幣小社に昇格、現在は一つの法人格で神社本庁の別表神社である。

鎮座地:静岡県静岡市葵区宮ケ崎町102番地の1
社名かな:しずおかせんげんじんじゃ
社格等:神社本庁別表神社

概要:
a0057057_15322565.png社殿は江戸時代後期を代表する漆塗極彩色が施された壮麗なもので、計26棟が国の重要文化財に指定されている。この社殿群は文化元(1804)年より60年の歳月と約10万両の巨費を投じて建造されたもので、信州諏訪の立川和四郎ほか門弟により彫刻された花鳥霊獣類は繊細を極めている。特に、重層な大拝殿は高さ25メートルで木造神社建築としては、出雲大社本殿(約24メートル)より高く、まさに日本一の威容を誇る。

歴史:
鎮座地の賤機山(しずはたやま)は、静岡の地名発祥の地として知られ、古代より神聖な神奈備山としてこの地方の人々の精神的支柱とされてきた。6世紀のこの地方の豪族の墳墓であるとされている賤機山古墳(国の史跡)も、当社の境内にある。また、静岡市内には秦氏の氏寺である建穂寺、秦久能建立と伝えられる久能寺など当社の別当寺とされる寺院があり、その秦氏の祖神を賤機山に祀ったのが当社の発祥であるともいわれている。
当地に鎮座して以来、当社へは朝廷をはじめ、鎌倉将軍家、今川、武田、織田、豊臣、徳川など各氏の尊崇厚く、宝物の寄進、社領の安堵などの事績は枚挙にいとまがない。ことに徳川家康は、幼少の頃今川氏の人質として当社の北方約1kmのところにある臨済寺に預けられていた頃から、生涯に渡って当社を篤く崇敬した。 まず弘治元(1555)年、家康14歳の時、当社で元服式を行った。 そして天正10(1582)年、三河・遠江の戦国大名となっていた家康は、賤機山に築かれていた武田氏の城塞を攻略するにあたり、無事攻略できたならば必ず壮麗な社殿を再建するとの誓いを立てた上で当社の社殿を焼き払い、駿河領有後に現在の規模と同程度の社殿を建造した。 さらに家康が大御所として駿府在城時の慶長12(1607)年には、天下泰平・五穀豊穣を祈願して、稚児舞楽(現、静岡県指定民俗文化財・4月5日奉奏)を奉納した。
以来当社は、徳川家康崇敬の神社として歴代将軍の祈願所となり、神職社僧の装束類も幕府から下行されるようになるなど徳川将軍家から手厚く庇護されるようになった。 例えば、江戸時代初期の駿府藩主・駿河大納言徳川忠長は、この賤機山で猿狩りを行い当社の神の使の猿を狩ったことで、兄である将軍・徳川家光の逆鱗に触れたことが知られている。 こうした経緯から、明治初年に至るまでの社領等の総石高は2313石にも及んでいた。

a0057057_1113487.png神部神社

祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)- 駿河国開拓の祖神
社名かな:かんべじんじゃ
社格等:式内社(小)、駿河國總社、旧國幣小社
崇神天皇の時代(約2100年前)の鎮座と伝えられる。延喜式内小社で祈年の国幣に預った。国府が定められてからは国司崇敬の神社となり、平安時代より駿河国の総社とされた。


a0057057_11104823.png浅間神社

祭神:木之花咲耶姫命 (このはなのさくやひめのみこと)
社名かな:あさまじんじゃ
社格等:旧國幣小社

全国にある浅間神社の一社。延喜元(901)年、醍醐天皇の勅願により富士山本宮浅間大社より総社神部神社の隣に勧請され、以来冨士新宮として崇敬されてきた。


a0057057_11221314.pnga0057057_14332237.png
a0057057_14272290.png大歳御祖神社

祭神:大歳御祖命(おおとしみおやのみこと) - 倉稲魂神・大年神の母神で、神大市比売命を指す。
社名かな:おおとしみおやじんじゃ
社格等:式内社(小)、旧國幣小社

応神天皇の時代(約1700年前)の鎮座と伝えられ、元々は安倍川河畔の安倍の市(古代の市場)の守護神であった。古くは「奈古屋神社」と称された。延喜式内小社で祈年の国幣に預った。

境内社:
a0057057_1562959.png麓山神社

祭神:主神に大山祇命、日本武尊を配祀
社名かな:はやまじんじゃ

由緒は不詳ながら古来より賎機山山上に鎮座し、俗に山宮と称する。浅間神社の祭神・木之花咲耶姫命の父神を祀るので、その別宮とされ、従来四本社の一つに列し独立の神社であったが、明治12(1888)年7月22日郷社に列し、境内社となった。社殿は本殿・拝殿・唐門・透塀を備え、他の三本社と同規模の壮麗な建築で、細部に立川流の彫刻を置き、漆塗り極彩色を施す。


a0057057_154432.png八千戈神社

祭神:主神に八千戈命(大国主命)、相殿に明治6(1873)年以降合祭された18社13柱の神々(浅間神社末社九社・大歳社末社三社・麓山神社末社三社・旧安倍郡城内鎮座稲荷神社・旧安倍郡明屋敷村鎮座国分天神、騎射御霊)

徳川家康の念持仏であった摩利支天像を安置するために造営されたもので、摩利支天社と称し、徳川家をはじめ幕府が殊に崇敬を尽くし、社殿も本社に次いで造営され壮麗なものである。明治初年の神仏分離に際して、摩利支天は葵区大岩の臨済寺(今川家菩提寺)に遷され、八千戈神社となった。昭和5(1920)年5月29日の昭和天皇親拝の折は、両社修繕中であり当社を仮殿としていたため、当社に参拝した。


a0057057_15135941.pnga0057057_1536618.png少彦名神社

祭神:主神に少彦名命、相殿に神部神社末社14社
社名かな:すくなひこなじんじゃ

もと神宮寺薬師社と称し、薬師如来・十二神将を安置していたが、明治維新に際して臨済寺に遷され少彦名神社となった。古来医薬の神として薬業関係者や病気平癒を祈る人々の参詣が絶えない。


a0057057_15171317.pnga0057057_15493984.png玉鉾神社

祭神:羽倉東麿・岡部真淵・本居宣長・平田篤胤 - 国学の四大人
社名かな:たまほこじんじゃ

明治9(1876)年3月、静岡県内の神職が官許を得て創祀された神社。


この神社最寄の駅・バス停:
JR静岡駅・静鉄新静岡駅(しずてつジャストラインバスあり)


参考資料:静岡浅間神社ホームページ/Wikipedia(2017年1月22日)
記事:
 取材:16.9.-6
 投稿:29.2.28
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by fbox12 | 2017-02-28 11:40 | 神社

アリナミン7

a0057057_2133584.pngミニチュアボトルコレクション1012

品名:指定医薬部外品
原材料:フルチアミン塩酸塩(ビタミンB1誘導体)・リポフラビンリン酸エステルナトリウム(ビタミンB2リン酸エステル)・ピリドキシン塩酸塩(ビタミンB6)・ニコチン酸アミド・L-アスパラギン酸ナトリウム・タウリン・無水カフェイン他添加物
容量:100ml
製造販売元:武田薬品工業株式会社(大阪府大阪市中央区道修町四丁目1番1号)
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by fbox12 | 2017-02-26 21:07 | コレクション

第九拾貮 砥鹿神社 愛知県豊川市鎮座

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a0057057_16163080.pnga0057057_1617077.png

a0057057_16175634.pnga0057057_16394829.png
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鎮座地:(里宮)愛知県豊川市一宮町西垣内2
    (奥宮)愛知県豊川市上長山町本宮下4
祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)
神体:本宮山(神体山)
社格等:式内社(小)、參河國一宮、旧國幣小社、神社本庁別表神社
社名かな:とがじんじゃ

歴史:
社記(天正2(1574)年)の「參河國一宮砥鹿大菩薩御縁起」)では、大宝年間(701-704年)に文武天皇の時に天皇の病を鎮めるための勅使として草鹿砥公宣(くさかどのきんのぶ)が派遣され、本茂山(本宮山)の神を迎えて里宮が創建されたとする。
a0057057_2185144.png現在も砥鹿神社奥宮が鎮座する本宮山は東三河地方では中心的な孤峰であり、山中には磐座、山麓には古墳群の分布が知られることから、古代から信仰対象であったと考えられている。また上記伝承に見える草鹿砥氏は砥鹿神社の旧社家で、同氏は穂別の後裔と伝えることから、かつて当地一帯を治めたとされる穂国造により奉斎されたと推測する説がある。

神階・概史:
六國史時代における神階奉叙の記録
嘉祥3(850)年7月1日、従五位下 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「砥鹿神」。
仁寿元(851)年10月7日、従五位上 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「砥鹿神」。
貞観6(864)年2月19日、従五位上から正五位下 (『日本參代実録』) - 表記は「砥鹿神」。
貞観12(870)年8月28日、正五位下から正五位上 (『日本參代実録』) - 表記は「砥鹿神」。
貞観18(876)年6月8日、従四位下から従四位上 (『日本參代実録』) - 表記は「砥鹿神」。

a0057057_21173226.png仁寿元年条から貞観18年条はいずれの記事でも知立神(愛知県知立市の知立神社:三河国二宮)と併記され、六國史終了時点の神階は參河國内では知立神とともに最高位になる。
延長5(927)年成立の『延喜式』神名帳では参河國宝飫郡に「砥鹿神社」と記載され、式内社に列している。また、『參河國内神名帳』では「正一位 砥鹿大明神」と記載されている。
中世以降は、參河國一宮として尊崇された(一宮としての文献上初見は文永元(1264)年の訴状)。
戦国時代の永禄年間には、付近に徳川家康の命を受けた本多信俊が一宮砦を構えて今川軍に包囲されたが、家康が寡勢で救援に駆けつけて多勢の今川軍を蹴散らし、砥鹿神社に宿陣したとも伝わる。
明治維新後、明治4(1871)年には近代社格制度において国幣小社に列した。戦後は神社本庁の別表神社に列している。

摂社:

a0057057_2042521.png三河えびす社
祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと)
   建御名方命(たけみなかたのみこと)
社名かな:みかわえびすしゃ


八幡宮
祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと)
   天児屋根命(あめのこやねのみこと)
社名かな:はちまんぐう

a0057057_2191389.pnga0057057_2195689.png

守見殿神社・本宮山遙拝所
祭神:大己貴命和魂(おおなむちのみことにぎたま)
   迦久神(かくのかみ)
   倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
社名かな:もりみでんじんじゃ


a0057057_15374440.png西参道大鳥居

この石鳥居は、もともとは本宮山砥鹿神社奥宮を遙拝するものとして、天保13(1842)年、岡崎藩家老職の長尾応二郎興達により旧宝飯郡市田村に建立されたものだが、昭和20(1945)年豊川海軍工廠への空襲時に損傷を受け、昭和31(1956)年に当地に移転された経緯を持つ。石鳥居としては市内で2番目の大きさであり、至る所に空爆の被弾痕が見られる。 本鳥居は、近世期以降の本宮山信仰の遺産として、且つまた戦争の悲惨さを伝える平和の象徴として価値を有する。(この項、砥鹿神社ホームページから)

参考資料:砥鹿神社ホームページ/Wikipedia(2016年10月23日)
記事:
 取材:28.12.28
 投稿:29.2.25
 調整:29.2.26/29.2.28
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by fbox12 | 2017-02-25 21:23 | 神社

AppleCD 150

a0057057_14292682.png私的文化遺産整理番号59

アップルコンピュータのCDドライブは、1988(昭和63)年AppleCD SCとして発売された。×1、すなわち等倍速の読み出し専用(CD-ROM)で、この頃の製品にはリンゴのマークは付いていなかった。

写真の「150」は、1992(平成4)年4月、アメリカ・サンディエゴの産(「150」自体は1991(平成3)年から生産)。Micosoft Windows はこの年「3.1」がリリースされたころで、記憶媒体の主流が1.4MBのフロッピーディスクのころ、540MBもの「大容量」がCD1枚に記録されて使えるのだから、その差は歴然で、驚きでしかなかった(勿論、「価格も・・」であることは当然だが・・)。
この「150」は、重量(現在では「質量」というのが正式)が3.0kg近くある。

AppleCD 150:
 電源:100〜240V
 消費電流:0.25A(MAX)
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by fbox12 | 2017-02-24 11:51 | 私的文化遺産

203 新富士駅 (JR東海)

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a0057057_21212214.pnga0057057_21222922.png

所在地:静岡県富士市川成島640
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道新幹線
駅名かな(電報略号/事務管コード):しんふじ(シフ/520151)
キロ程:(東京起点)146.2km

概要:
昭和63(1988)年、地元の請願により設置された請願駅である。総事業費は132億8,652万円であり、富士市が半額程度捻出し、他は県補助金や周辺自治体の負担金により賄われた。中には宗教団体による大型寄附などもあったという。
開業当初から各駅停車の「こだま」のみが停車する。
(当駅前後の線形が非常に良いため、下り列車が東海道新幹線の現行最高速度285km/hで通過できる最初の駅でもある。「のぞみ」が通過するスピードが同線全駅の中で最も速い)。
a0057057_21391111.png新幹線単独駅で、東海道新幹線の駅では唯一、鉄道路線と接続していない(JR在来線と接続していない東海道新幹線の駅は他に岐阜羽島駅があるが、こちらは隣接する新羽島駅で名古屋鉄道羽島線と接続)。近隣の在来線の駅は東海道本線・身延線の富士駅で、北へ約2km離れている。同駅へは当駅のバス停から富士駅南口バス停へ向かう路線バスがある(所要時間約7分、日中1時間に2 - 3本)。富士駅と当駅との間で選択乗車の制度を利用することが可能となっている。
開業当時は、同駅から当駅の付近まで伸びている大昭和製紙(当時:現 日本製紙)への専用線や旭化成貨物引き込み線跡地を利用して身延線を当駅まで延伸する計画もあったようだが、実現には至っていない。また、富士市では専用線とJR北海道が開発したDMVを使う形で当駅と富士駅間および岳南電車岳南線と当駅間との接続を検討し、平成19(2007)年1月には富士市制40周年を記念してデモンストレーション走行が行われたが、平成26(2014)年9月10日、JR北海道が自社の安全対策と北海道新幹線に経営資源を集中させる事を理由に、DMV導入断念を発表。富士市は平成27(2015)年12月7日までに、導入を一時断念する方針を固めた。
平成29(2017)2月23日(「富士山の日)、北口を「富士山口」と名称変更した。

歴史:
昭和45(1970)年8月3日 - 富士市町内会連合会常任理事会で「新幹線富士停車」の問題が提起される。
昭和46(1971)年6月4日 - 富士市町内会連合会総会で、新幹線富士駅設置運動を推進することを正式決定
 11月 - 富士市町内会連合会、「新幹線富士停車駅促進準備会」結成
 12月9日 - 富士市、富士宮市、庵原郡富士川町、富士郡芝川町の2市2町の自治会役員代表47人によって、「新幹線富士駅設置促進準備会」を結成
昭和56(1981)年5月26日 - 官民からなる「東海道新幹線富士駅設置促進期成同盟会」設立
昭和57(1982)年8月31日 - 新幹線富士駅設置促進期成同盟会が庵原郡蒲原町・由比町に参加要請。
翌日、山梨県南巨摩郡富沢町、南部町、身延町に呼びかけ、ともに快諾。この時点で、2市7町となる。
 11月18日 - 同じく、田方郡戸田村・土肥町、賀茂郡賀茂村・西伊豆町・松崎町にも参加要請。翌年2月快諾
昭和58(1983)年1月14日 - 富士市が圏域住民にアンケートを実施。(31日まで)90パーセントが新駅設置に賛成
 1月19日 - 新幹線富士駅設置促進期成同盟会が、甲府市にも参加要請。5日後に快諾。この時点で、3市7町に広がる。
 2月2日 - 南巨摩郡の残り全町、西八代郡全町村、中巨摩郡玉穂村・昭和町に参加要請し快諾。西伊豆と合わせて、3市20町4村となった。
 11月19日 - 「新幹線富士駅設置促進市民決起集会」開催
昭和59(1984)年1月15日 - “広報ふじ”にて、新幹線富士駅設置特集号を発行。新幹線富士駅設置問題を特集していた。
 4月23日 - 新幹線富士駅の富士市案公表
 10月18日 - 新幹線富士駅設置決定
昭和60(1985)年8月4日 - 起工式
 9月1日 - 工事開始
昭和61(1986)年12月26日 - 駅前広場造成工事着工
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海道新幹線を東海旅客鉄道(JR東海)が承継
 6月22日 - 駅舎工事着工
 10月16日 - 駅名、「新富士駅」に決定
昭和63(1988)年3月13日 - JR東海により開業。当初の管轄は静岡支社
平成5(1993)年8月23日 - 掛川市内を走行していた「のぞみ」24号の車内で殺人事件が発生。当列車は当駅に犯人の身柄確保のため緊急停車した。(のぞみ24号殺人事件)
平成10(1998)年12月12日 - 自動改札機導入
平成20(2008)年4月1日 - 管轄が新幹線鉄道事業本部へ変更
平成29(2017)年2月23日(富士山の日) - 北口を「富士山口」に名称変更

駅構造:
相対式ホーム2面2線を持つ高架駅となっているが、実際には、まず中央に通過線(本線)2線を配し、その両側にプラットホームと接する副本線2線を配する構造となっている。
当駅前後は富士山の眺望が良い区間となっており、それが遮られないようホームの壁面を全てガラス張りにする工夫がされている。
高架下の駅舎内にはみどりの窓口や自動改札機、自動券売機などが設置されており、改札口は1か所のみとなっている。また、東海道新幹線の駅では唯一、キヨスクが設置されていない。但し、地元駅弁製造業者による構内売店は設置されている。駅長・駅員配置駅(直営駅)。

のりば:
a0057057_222756.png1番線 東海道新幹線 上り 新横浜・東京方面(写真)
2番線 東海道新幹線 下り 名古屋・新大阪方面

バス:新富士駅(富士山口)
一般路線バスは富士山駅行のみ富士急山梨バスが、それ以外は富士駅・吉原中央駅(バス停)方面などへ富士急静岡バスがそれぞれ運行している。また、コミュニティバスは富士急グループの石川タクシー富士が運行している。

高速バス(6番乗り場)
 鷹岡車庫・富士 - 東京線「かぐや姫エクスプレス」(JRバス関東/富士急静岡バス)
 新富士・沼津・御殿場 - 成田空港線(京成バス/富士急静岡バス)
 小田原・新松田・沼津 - 大阪・京都線「金太郎号」(近鉄バス/富士急湘南バス)

参考資料:Wikipedia(2016年12月21日)
記事:
 取材:28.6.26
 投稿:29.2.23
 調整:29.2.24
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by fbox12 | 2017-02-23 22:19 | 鉄道・バス

第伍拾壱 高橋神社 静岡県三島市鎮座

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a0057057_19423235.pnga0057057_1947367.png
a0057057_19555735.pnga0057057_205839.png

鎮座地:静岡県三島市松本298番地
祭神:磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)
社名かな:たかはしじんじゃ

a0057057_2075496.pnga0057057_17403714.png(現在の)由緒書きから:
御祭神の磐鹿六雁命は、第十二代景行天皇の叔父に当たり、その子孫は代々大膳職(だいぜんじき:宮中の食事を司る職)の長官として宮中に仕えた。天武天皇の御代に高橋の姓(かばね)を賜り、以後高橋姓を名乗ってきたその一族がこの地に住み、祖神を祀ったのがその起源である。
その後の由緒については、ほとんど伝わらないが、現在の社殿は寛永元(1624)年の再建と伝えられる。
(左写真:以前の社殿・・近年、社殿の改修工事が行われた)

a0057057_20125327.png増訂豆州志稿(抜粋):
村社高橋神社祭神不詳
高橋明神神階帳従四位上
式内高椅神社也
延喜式考異ニ曰高橋(高椅)高ク架ケタル橋アリシヨリ起レルナル今社傍ニ石橋ノ地名存ス
上下兩村(上松本村・下松本村)今合村(松本村)ノ土神也
(右写真:旧本殿)

別資料から:
磐鹿六雁命は、醸造・調味料の神「高倍神(たかべのかみ)」として祀られていた。
料理の祖神、醤油・味噌などの醸造の神として調理師や調味業者などの信仰を集めている。

a0057057_19274020.jpg境内社:熊野神社、山神社

a0057057_21404263.jpg左側の祠

a0057057_2037148.jpg奉納 御山神守護と彫られた石(右側の祠)

a0057057_20273333.pngこの神社の南西は、別の鍬戸神社が鎮座しており、こちらの地名は三島市長伏。
神社の境内が境になっている(写真の瓦の部分)。


a0057057_15473654.pnga0057057_1553166.pngこの神社最寄りの駅・バス停:
東海バスオレンジシャトル 三島駅-新城橋-大平車庫 松本(停)
または、三島エクスプレス バスタ新宿-三島駅-大平車庫 松本(停)


記事:
 投稿:26.5.-9
 調整:29.2.20
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by fbox12 | 2017-02-20 21:33 | 神社

(カセットテープ)maxell (日立マクセル)

(私的文化遺産整理番号57-2:以下個別番号)


UR(57-2-4)
C-10(57-2-4-1)
a0057057_21174767.pnga0057057_21182596.png

平成29(2017)年2月現在でも販売されているテープで、録音時間やセットに多くのバリエーションがある。

UL(57-2-5)
C-10(57-2-5-1)
a0057057_1020779.png

C-60(57-2-5-2)
a0057057_1516320.pnga0057057_17403844.png



a0057057_21263644.pngUD C-46(私的文化遺産整理番号57-2-1)
UD C-60(私的文化遺産整理番号57-2-2)
UD C-90(私的文化遺産整理番号57-2-3)

a0057057_21534756.pnga0057057_21542592.png

a0057057_1555826.pngHITACHI UDのところでいう本来(供給元)の「UD」。

カセットボックス(ケース)内のブランドラベル(上写真の左側)は後に反対(裏側を透明にした形)にして、外から直接カセットハーフが見えるデザインに変更されていく。ボックスからテープを出さずとも収録内容が判るように工夫されたものだが、タイトルラベルに記入がされていなければ、テープのグレードなどがわかりにくく、テープの規格が変化していく中、機器のセレクタのポジションなどをラベルに書き込む手間などが増えた。
(この現象は、テープ製造会社の責任ではなく、規格を乱立させた機器メーカーの責任ではあるのだが・・)。




記事:
 投稿:29.1.11
 調整:29.1.20/29.1.24/29.1.25/29.1.26/29.1.27/29.2.14/29.2.19/29.2.20/29.2.23/29.3.21

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by fbox12 | 2017-02-19 09:48 | コレクション