fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

<   2016年 08月 ( 18 )   > この月の画像一覧

176 富田浜(とみだはま)駅 (JR東海)

a0057057_20554057.png所在地:三重県四日市市富田浜町20-18
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・関西本線
電報略号:ミタ

歴史:
明治40(1907)年7月1日 - 関西鐵道富田 - 四日市間に富田浜臨時仮停車場が開業。富田浜海水浴場の海水浴客専用の臨時駅
 10月1日 - 関西鐵道国有化
明治41(1908)年7月1日 - 富田浜仮停車場に昇格。荷物の取扱いも開始
昭和3(1928)年3月1日 - 富田浜駅に昇格、通年営業開始
昭和45(1970)年10月1日 - 無人駅化。荷物の取扱いも廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東海が継承
平成18(2006)年11月25日 - TOICA導入

駅構造:
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。1番線側に駅舎があり、2つのホームは構内踏切で連絡している。隣の富田駅までは単線区間であるため、逆方向の列車とすれ違うために、特急列車等が待避を行う場合がある。
桑名駅管理の無人駅。

のりば:
1番線 関西本線 下り 四日市・松阪方面
2番線 関西本線 上り 名古屋方面


(参考資料:Wikipedia 平成28(2016)年6月6日)
[PR]
by fbox12 | 2016-08-26 12:37 | 鉄道・バス

ヤクルトタフマン 東京ヤクルトスワローズデザイン

a0057057_22142850.pngミニチュアボトルコレクション 910・911

品名:清涼飲料水
原材料:果糖ぶどう糖液糖・ワイン・はちみつ・高麗人参エキス・クコシエキス・ガラナエキス・香辛料抽出物・酸味料・香料・V.C・リジン・環状オリゴ糖・イノシトール・カフェイン・保存料(安息香酸Na)・グルタミン酸Na・V.B2・ナイアシン・V.B6・甘味料(スクラロース)
容量:110ml
販売者:株式会社ヤクルト本社Y21(東京都港区東新橋1-1-19)

東京ヤクルトスワローズの選手(山田哲人内野手、川端慎吾内野手(左)、畠山和洋内野手、小川泰弘投手(右))と真中満監督を起用したタフマン。
販売期間:平成28(2016)年6月中旬~8月下旬
[PR]
by fbox12 | 2016-08-25 22:07 | コレクション

復活!7年ぶり「18きっぷ」の旅・・(第2弾)熊野詣から

a0057057_1142085.png丸7年ぶりに「青春18きっぷ」を使った小旅行を復活させた。

7年前に比べ、
・JRの在来線が新幹線の開業により大きく減少した(「きっぷ」が使える範囲がせばまった)。
・定番の「ムーンライトながら」が最寄の駅を通過するようになったことと、臨時が運転されず、混雑のため指定席が確保できない。
などの理由から、復活の今回はこれまで通り日帰りもあるものの、代案を加えて実行するに至った。
・日帰りがメインだった前回は、小旅行以外の所用にも使ったが、今回は5回のすべてを遠隔地への使用としている。
(いずれも、()内は実施日)

 第1弾-東海道線新設駅(28.8.4)
 第2弾-黄泉がえりの熊野へ(28.8.15~17)
 第3弾-上越国境の全駅に行く!(28.8.27・・当初予定は8.24)
 第4弾-飛彈高山。その前に・・(28.8.29、30・・当初予定は8.28、29)
 第5弾-思い立って出雲大社(28・9.6~8)
 
a0057057_93334100.png
第1弾はブランクの調整ではないが、自身の体調の様子見とモチベーションの確認(?:確実に7歳年齢が増えている)を兼ねてのお試し使用した(距離的には東京より遠い)。
よって、この旅行記も第2弾目からである。

その第2弾の出発日は、7月15日。「三島夏祭り」の初日だった。
(注、出発日及び2日目は、「青春18きっぷ」の使用はない)


小旅行復活記念 「黄泉がえりの熊野へ」
 Vol.1・・夜行バスで京都をめざす

a0057057_20571123.png三島駅北口 - 京都駅八条口
 近鉄バス「金太郎号」:大阪200か28-57

a0057057_214313.jpg今回の目的のひとつに奈良交通の「八木新宮線」(日本一長い距離を走る路線バス)全線乗車があり、そのため近鉄の大和八木駅からの最初の便に間に合うよう手段を考えた末、当地から唯一、京都・大阪まで運行する夜行バス「金太郎号」(小田原駅東口-あべの橋駅・あべのハルカス:近鉄バスと富士急湘南バスの共同運行)を使用した。
当日は、近鉄バスの車両で、ごく一般的な夜行バスだった。
3列シートで、隣の人間といくらか距離のあるのは良いのだが、前席の人間が「早いもの勝ち」とばかりに、シートを倒しすぎているのにはいささか閉口した(乗車する停留所に着いたときすでに乗っていた)。

a0057057_11164763.png京都駅八条口ほぼ定刻到着

a0057057_10533543.png










三島駅北口、沼津駅北口、新富士駅と停まり、東名富士川サービスエリアで25分間休憩(右写真)の後は、運転手交代と道路情報の収集、時間調整のため2か所程度休憩(鉄道でいう運転停車で、乗客は乗ったまま)しながら、京都駅八条口にはほぼ定刻(5:36)の到着となった。
a0057057_14434436.pnga0057057_14441890.png
店舗などはもちろん閉まっているが、人通りが少なく移動するのにはちょうどいい。

a0057057_11433354.png
JR東海(東海道新幹線)、JR西日本(在来線)、京都市交通局(地下鉄)、近鉄と4社局の切符売り場を徘徊し、本来は、近鉄に乗車するつもりでいたが、朝早い時間でもあるので、竹田まで市営地下鉄を使った。
おそらく近鉄の方が運賃は安いと思うが、実は、自宅から「トラフィカ京カード」(もらいもの)を持参しており、他社では使えないため、使えるところで使ってしまおう、と言うのがその理由だった(結局、この後の旅行中は使うことはなかった)。

a0057057_1636159.pnga0057057_11351569.png
a0057057_16354299.png

Vol.2・・まっすぐ近鉄で・・行かない
Vol.3・・いよいよ日本一の··
Vol.4・・新宮で一泊、再び新宮へ
Vol.5・・新宮から帰宅(この項完結)

[PR]
by fbox12 | 2016-08-24 14:47 | 旅行記

900 松阪徳和郵便局隣駐車場の小祠 三重県松阪市鎮座

a0057057_1042742.png鎮座地:三重県松阪市下村町
御祭神:

三重県松阪市にある松阪徳和郵便局(写真奥)隣の駐車場入り口にあった小祠。
前の道路は、「三重県道756号線」で、先に見える坂(JR紀勢本線をオーバークロスしている)は、戦前、今の近鉄の前身、かつての関西急行鐡道伊勢線(元、伊勢電氣鐡道本線)の廃線跡を道路に転用したもの。
また、1本北の道は、「旧伊勢街道」である。

この小祠最寄の駅・バス停:
JR紀勢本線・徳和
[PR]
by fbox12 | 2016-08-24 11:22 | 神社

172 荏原町(えばらまち)駅 (東急)

a0057057_2113994.pnga0057057_2218111.png






所在地:東京都品川区中延五丁目2-1
所属・路線:東京急行電鉄株式会社・大井町線
駅番号:OM05

概要:
駅名は、開業時、荏原郡荏原町大字中延に立地しており、町名を採用したもの。

歴史:
昭和2(1927))年7月6日 - 目黑蒲田電鐵大井町線(大井町 - 大岡山間)の開通に伴い開業
昭和17(1942)年8月 - 跨線橋設置
昭和20(1945)年5月23日 - 空襲で駅とデハ3152・3154とデハ3203・3206が被災し、跨線橋焼失
昭和34(1959)年 - 跨線橋再設置

駅構造:
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。改札は従来溝の口方ホームのみ設置されていたが、2004年3月に大井町方ホームにも改札が新設された。サービスマネージャー導入駅のため大井町駅から遠隔監視している。

のりば:
1番線 大井町線 下り 旗の台・自由が丘・二子玉川・溝の口方面
2番線 大井町線 上り 大井町方面

バス路線:
最寄り停留所は駅から南に徒歩3 - 4分の荏原町駅入口で、以下の路線が東急バスにより運行されている。
<森02> 大森操車場(大田文化の森・大森駅経由)
<森02> 荏原営業所(馬込駅前経由) ※入庫運用・夜間のみ
<蒲15> 蒲田駅(大田文化の森・池上営業所・池上駅経由)


(参考資料:Wikipedia 平成28(2016)年8月3日更新)
[PR]
by fbox12 | 2016-08-15 14:53 | 鉄道・バス

銀盤

a0057057_2264263.pngミニチュアボトルコレクション 52

酒類:(酒税法上)醸造酒類
酒類通称:清酒(旧一級)
原材料:米・米麹・醸造アルコール・醸造糖類
度数:15.5度以上16.5度未満
容量:50ml
製造所:銀盤酒造株式会社(富山県黒部市荻生4853-3)
ビン詰め:
[PR]
by fbox12 | 2016-08-13 22:16 | コレクション

73 阿治古神社(あじこじんじゃ) 静岡県熱海市鎮座

a0057057_9445721.png

a0057057_934781.pnga0057057_9343058.png

鎮座地:静岡県熱海市網代172
御祭神:天照皇大神、手力男命、誉田和気命、拷幡千々姫命
相殿:大己貴命、少彦名命

由緒:
阿治古神社は、町を開拓した人たちが鎮守として建て、その後先祖が次々に祀り伝えてきた神社で、創建のときはいつであるかわからない。
正保三(1647)年の社記にはもともと朝日山に祀られていたが現在地に遷座したとある。

毎年7月20日が例大祭。御神幸行列に続き、御神船「両宮丸」が豊漁と無病息災を願い町内を走り抜ける。 阿治古神社より海岸まで町内を引き回る「御下り」と、阿治古神社に引き返し宮入の「御上り」。 御神船「両宮丸」には、漁船に神社と神輿が鎮座している。 船の名前は、阿治古神社と若宮神社の両方を祀ることに由来して命名されたもの。
この行事は、豊臣秀吉が小田原城を攻める時、網代の漁民が船を出したのが始まり、と伝えられている。

摂社:
a0057057_11211756.pnga0057057_1118449.png

海積神社(龍神宮)、八坂祇園天王社、稲荷社
[PR]
by fbox12 | 2016-08-12 11:27 | 神社

174-91 汐留(しおどめ)駅(←新橋(初代)) (国鉄) <路線区間廃止>

a0057057_2345717.png


a0057057_23152612.png所在地:東京都港区東新橋一丁目
所属・路線:日本国有鉄道・東海道本線(廃止時)

概要:
旧暦、明治5年9月12日(新暦、1872年10月14日)に日本最初の鉄道路線の起点として開業した新橋驛(初代)がこの駅の始まりである。リチャード・ブリジェンスの設計による木造石張り2階建ての西洋建築の駅舎があり、長らく東京のターミナル駅として機能していた。また明治6(1873)年9月には、当駅と横濱驛(初代:現在の桜木町駅)との間で日本初の貨物列車の運行が開始された。1日1往復の運行で、イギリス製の有蓋車や無蓋車を使用していたという。
しかし、大正3(1914)年12月20日に旅客ターミナル駅の機能が新設の東京驛に移り、旅客営業が廃止された。駅構内が広大だった当駅は貨物駅として再使用されることになり、汐留驛と改称し、同時に、電車線の駅であった烏森驛が、新橋駅(二代目)と改称している。なお、駅名改称に反対した人もいた。また、歴史ある駅舎を利用して鉄道博物館を建設するという構想もあった。
大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災により開業時からの駅舎は焼失したが、昭和9(1934)年3月に鉄筋コンクリート2階建ての駅舎に建て替えられた。
昭和34(1959)年に当駅 - 梅田駅(現、JR西日本・梅田信号場)間で日本初のコンテナ専用貨物列車「たから号」が運転されるようになり、昭和39(1964)年には小荷物取扱を開始した。東海道・山陽方面へ向かう貨物列車・荷物列車のターミナル駅として君臨し続けたが、荷物輸送が宅配便の登場で衰退し、貨物輸送はコンテナ列車中心に変化していく。駅敷地が狭く増加するコンテナの取扱量に対応できず、やがて鉄道による荷物輸送が昭和61(1986)年11月1日に廃止されると、東京貨物ターミナル駅(昭和48(1973)年開業)に機能を譲り、汐留駅もその長い歴史に幕を閉じた。
なお、当駅からその東京貨物ターミナル駅までの区間には同駅がある大井埠頭と当駅の頭文字を取った大汐線(おおしおせん)という通称がある。また駅構内から芝浦駅、東京市場駅への線路が延びていた。芝浦駅への線路は、駅構内の一番東側の部分から、構内の線路で折り返す形態でつながっていた。東京市場駅へは、駅北東側でコンテナホームや混載ホームの間からそのまま線路が延びていた。
変わったところでは、昭和60(1985)年に運行を開始したカートレインは当駅と鹿児島本線東小倉駅間で運行しており、昭和61(1986)年の駅廃止直前まで同列車の東京方始発・終着駅として利用された。(その後恵比寿駅に、末期は浜松町駅に変更)

歴史:
明治5年9月12日(旧暦:新暦では1872年10月14日) - 新橋驛(初代)として開業。初日は式典と明治天皇御座乗特別列車の運行のみで営業は翌日から。
明治6年(1873)年9月15日 - 貨物取扱開始
大正3(1914)年12月20日 - 東京驛開業に伴い旅客営業廃止、汐留驛に改称
大正12(1923)年9月1日 - 関東大震災で被害を受ける。応急復旧でしばらく営業する。
昭和9(1934)年 - 応急復旧の仮施設の改築、本格的な復旧工事実施
昭和27(1952)年10月17日 - 当駅と東横浜駅の間に5500形蒸気機関車が牽引する国鉄80年記念列車「一声号」が運行される。
昭和29(1954)年9月1日 - 小荷物(特別扱雑誌に限る)取扱廃止
昭和34(1959)年11月5日 - コンテナ貨物の取扱を開始。汐留駅 - 梅田駅間でコンテナ専用貨物列車「たから号」運行開始。これに合わせてコンテナ積卸線と低床ホームの新設、配線変更が行われた。
昭和38(1963)年1月1日 - 営業範囲を
「貨物。ただし、散積の鉱石、石炭および野菜類ならびに活鮮魚(一塩のものを含む)の到着は取り扱わない。」から
「貨物。ただし、次の貨物は取り扱わない。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む)ならびに散積の石炭類、鉱石類および野菜類の到着貨物
 2.木材、薪炭類、砂利および砂の到着車扱貨物。」へ改正する。
昭和39(1964)年10月1日 - 営業範囲を
「手荷物、小荷物および貨物。ただし、次のものは取り扱わない。
 発送手荷物および小荷物(特別扱新聞紙および雑誌を除く)到着駅留手荷物および小荷物活鮮魚(一塩のものを含む。)ならびにばら積みの石炭類、鉱石類および野菜類の到着貨物木材薪炭類、砂利および砂の到着車扱貨物。」へ改正し、小荷物取扱開始
昭和40(1965)年3月 - 東海道新幹線建設に伴い、敷地の一部を新幹線用地に提供することになり、関連する配線工事が行われこの頃完成する。
 10月1日 - 営業範囲を
「手荷物、小荷物および貨物。ただし、手荷物および小荷物は次のものに限る。
 発送:特別扱新聞紙・雑誌、到着:配達扱のもの(駅渡しとなるものを含む)。
次の到着貨物は取り扱わない。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む)
 2.ばら積みの石炭類・鉱石類・野菜類・車扱の木材・薪炭類・砂利・砂。」へ改正する。
昭和43(1968)年10月1日 - 営業範囲を「手荷物、小荷物および貨物。ただし、次の到着貨物は取り扱わない。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む)
 2.ばら積みの石炭類・鉱石類・野菜類・車扱となる木材・薪炭類・砂利・砂。」へ改正する。
昭和47(1972)年10月14・15日 - 当駅と東横浜駅(桜木町駅に隣接)の間で、C57形蒸気機関車が牽引する記念列車「鉄道100年記念号」運行
昭和49(1974)年10月1日 - 営業範囲を「荷物、貨物。次の到着を除く。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む。)・ばら積の石炭類・鉱石類・野菜類
 2.車扱による木材・薪炭類・砂利・砂。」へ改正する。
昭和53(1978)年10月2日 - 営業範囲を「荷物、貨物。貨物は、次の到着を除く。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む)・ばら積の石炭類・鉱石類・野菜類
 2.車扱による木材・薪・炭類・砂利・砂。」へ改正する。
昭和59(1984)年2月1日 - 営業範囲を「貨物、車扱貨物。車扱貨物は、次の到着を除く。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む)、ただし、高速貨物列車による冷蔵車積みのものは除く。ばら積みの石炭類、鉱石類、野菜類
 2.車扱による木材、薪炭類、砂利、砂。」へ改正する。
昭和60(1985)年7月27日 - 汐留駅 - 東小倉駅間でカートレイン運行開始。営業範囲を「旅客、荷物、車扱貨物。ただし、旅客はカートレインに有効な乗車券類所持者に限る。車扱貨物は、次の到着を除く。ただし、高速貨物列車による冷蔵車積みのものは除く。
 1.活鮮魚(一塩のものを含む。)、ばら積みの石炭類、鉱石類、野菜類
 2.車扱による木材、薪炭類、砂利、砂。」へ改正する。旅客営業再開
昭和61(1986)年11月1日 - 廃止

廃止後:
新橋駅0哩標識(鉄道記念物)
昭和62(1987)年4月1日にはここで、鉄道発祥の地であることから残った線路を使用して、蒸気機関車の汽笛で日本国有鉄道(国鉄)の終焉とJRの発足を告げる(国鉄分割民営化)イベントが行われた。
民営化後、旧汐留駅跡地は日本国有鉄道清算事業団へ移管され、国鉄の長期債務を返済するための売却対象地で最も注目された。また、その後の再開発では民活と呼ばれる民間資本の導入が検討され、中曽根康弘内閣の行政改革政策の象徴ともなったが、東京の都心部にある広大な敷地の売却はバブル景気による地価高騰が更に過熱するという理由でその実施は延期され、いわゆる塩漬け状態にされた。しかも、結局はバブル崩壊による地価暴落後に安値での売却という結果に終わり、政府による長期債務返済計画は大きく狂った。
実際の再開発工事は平成7(1995)年から開始され、その際に下記の旧新橋停車場跡などが発掘された。その後、平成14(2002)年以降には同跡地に汐留シオサイトとして事業者用の高層ビルが次々と竣工した。同年にはゆりかもめと都営大江戸線の汐留駅が開業し、汐留という駅名が引き継がれる事になった。

旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
跡地は、1965年(昭和40年)5月12日に「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の史跡に指定され、平成8(1996)12月10日に指定地域の一部解除・追加をし、「旧新橋停車場跡」へ名称変更した。発掘調査の後、風化を防ぐために埋め戻され、平成15(2003)にその上に開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」が建てられた、同年4月10日開館。調査では鋳物工場跡やトイレ遺構などを検出している。
内部は鉄道の歴史に関する「鉄道歴史展示室」(運営は東日本鉄道文化財団)になっており、以前は三國清三監修によるフランス料理店の「GRAND CAFE SHIMBASHI MIKUNI」(運営はジェイアール東日本フードビジネス)もあったが閉店した。
旧新橋停車場の裏手には、鉄道の起点であった「0哩(マイル)標」が当時と全く同じ位置に再現されており、当時のレールが数メートルだけ敷設されている。


(参考資料:Wikipedia 平成28(2016)年5月12日更新)
[PR]
by fbox12 | 2016-08-11 20:45 | 鉄道・バス

1020 道の駅 天城越え

a0057057_2192792.png所在地:静岡県伊豆市湯ヶ島892番地の5
路線:国道414号線
[PR]
by fbox12 | 2016-08-10 21:17 | 鉄道・バス

173 二川(ふたがわ)駅 (JR東海)

a0057057_9484458.png所在地:愛知県豊橋市大岩町字南元屋敷
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道本線
電報略号:フタ

概要:
二川驛は明治29(1896)年4月7日に開業した。
二川驛をはさむ東海道本線の浜松 - 大府間が開通したのは、駅開設の8年前にあたる明治21(1888)年のことである。このとき、江戸時代に東海道の宿場町(二川宿)として栄えた渥美郡二川村・大岩村の両村には、宿場の町並みのすぐ南側に線路が敷設されたものの、隣の吉田宿(現・豊橋市、豊橋駅を設置)とは異なり駅が設置されなかった。
二川周辺には多くの村があり人・物資の利用が見込める、隣の豐橋驛・鷲津驛とは距離があるとの理由で、翌明治22(1889)年二川では駅設置の請願を行った。この請願は成功しなかったと思われ、明治26(1893)年に再度請願運動が行われ、このときの請願が通り、駅開業の運びとなった。
新設された二川驛は、町並みの中心部から約1km、西端から300m西へ離れた場所に設置された。所在地は大川村大字大岩(旧、大岩村)であったが、町制施行や合併により明治26(1893)年から大川町大字大岩、明治39(1906)年から二川町大字大岩となり、最終的に昭和30(1955)年に豊橋市大岩町となって、現在に至っている。
駅開設時に建設された木造駅舎は100年以上の長きにわたって使用され、東海道本線では最古の駅舎だったため、老朽化により改修が必要となり、平成10(1998)年から橋上駅舎・南北自由通路の建設、駅前広場の整備、駅南方にある豊橋総合動植物公園へのアクセス道路新設などが一体となった「二川駅周辺整備事業」が開始された。この事業により平成14(2002)年2月に橋上駅舎が完成、4月には南北自由通路の供用開始された。平成15(2003)年3月までに駅前広場や公園へのアクセス道路が完成し、平成16(2004)年3月に南口の自転車等駐車場が完成して事業はすべて終了した。一方、木造駅舎は平成12(2000)年に営業を終了した。
平成13(2006)年、JR東海ではIC乗車券「TOICA」を導入した。二川駅はこのときから「TOICA」に対応している。ただし当初は二川駅から豊橋・名古屋方面の区間でのみ利用が可能だったが、平成20(2008)年から浜松方面の区間での利用も可能となった。
平成13(2011)年3月改正時点で、1時間あたりおおむね上下各3本の列車が停車する。大部分が豊橋方面と浜松方面を結ぶ普通列車であるが、豊橋を越えて名古屋方面へ(から)直通する特別快速・新快速・区間快速も停車する(これらは豊橋・浜松間は各駅に停車)。
国鉄分割民営化直前の昭和62(1987)年3月14日まで、東海道本線の豊橋駅・新所原駅間に、新所原駅から天竜二俣駅(旧遠江二俣駅)を経由し掛川駅へと至る国鉄二俣線(現、天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線)の列車(末期はキハ20形気動車)が直通しており、当駅にも停車していた。同線の天竜浜名湖鉄道への転換(翌日実施)により直通列車は廃止され、気動車の乗り入れ停車が無くなった。
現在、東海鉄道事業本部直轄の駅であるが、隣の新所原駅との間に境界があり、同駅は静岡支社の管轄である。

歴史・年表
a0057057_20301395.png明治29(1896)年4月7日 - 二川驛開業。当初から旅客・貨物をともに取り扱った。
明治42(1909)年10月12日 - 線路名称設定、二川驛を通る鉄道を東海道本線と命名
昭和46(1971)年4月26日 - 貨物取り扱い範囲を専用線発着の車扱貨物のみに縮小
昭和54(1979)年3月31日 - 貨物取り扱い全廃
昭和59(1984)年2月1日 - 荷物取り扱い廃止
昭和62(1987)年3月15日 - 国鉄二俣線の廃止に伴い、気動車の当駅停車(乗り入れ)が無くなる。
 4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東海が継承
平成14(2002)年4月27日 - 橋上駅舎・自由通路完成
平成18(2006)年11月25日 - ICカード「TOICA」の利用が可能となる。

駅構造:
ホームが地上レベルに設置された地上駅で、片側にのみ線路が接する単式ホーム(1面1線)と両側に線路が接する島式ホーム(1面2線)が混在する2面3線で、ホーム番号は北側から順に1・2・3番線と割り当てられている。3番線は下り列車が使用するが、その頻度は少なく、唯一最終列車のみが使用する。
1番線と2番線の間にはホームに接しない線路があり、上り貨物列車が主に使用する。
駅舎はホーム上空に設置された橋上駅舎であり、改札口はホームの上階部分に設置されている。改札口と各ホームは階段のほかエレベーターでも繋がる。駅舎は南北自由通路を併設。北口と南口があり、地上と改札階を結ぶエスカレーター(北口のみ)・エレベーターがそれぞれに設置されている。駅舎のデザインについてJR東海は、二川地区は東海道の宿場町として現在でも古い歴史の面影をそのまま残す地区であり、駅舎の改築にあたっても東三河産の木材を使用するなど、伝統である和の微細・木質のイメージと、メンテナンスも考慮した無機質・透明というモダンなイメージの融合に努めたとしている。
業務委託駅で、豊橋駅の管理下にある。駅舎内にはみどりの窓口・自動券売機・車椅子対応トイレが設置されている。また、平成27(2015)年3月31日まで東海キヨスクが運営するキヨスクが営業していた。

のりば:
1番線 東海道本線 上り 浜松・静岡方面
2・3番線 東海道本線 下り 豊橋・名古屋方面

バス路線:
北口前に二川駅バス停があり、以下の2路線が発着する。
豊鉄バス二川線
 55 : 豊橋駅前 - 舟原 - 瓦町 - 高師原口 - 二川駅
 56 : 豊橋駅前 - 舟原 - 瓦町 - 高師原口 - 二川駅 - シンフォニアテクノロジー
 57 : 豊橋駅前 - 舟原 - 瓦町 - 高師原口 - 二川駅 - シンフォニアテクノロジー - 一里山
 二川駅 - 東海大会ホール前 (不定期)
コミュニティバス東部東山線
 二川フランテ館 - 二川駅 - 市営東山住宅 - 豊橋医療センター - 運動公園
かつては、豊橋駅から二川駅・潮見坂を経て新居町駅へといたるJR東海バス浜名線が存在した。この浜名線は平成14(2002)年9月30日限りで運行を終了、翌10月1日から豊橋鉄道(現・豊鉄バス)と湖西市自主運行バスに分割して運行を継続している。


(参考資料:Wikipedia 平成28(2016)年7月23日更新)
[PR]
by fbox12 | 2016-08-10 12:14 | 鉄道・バス