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Coca-Cola RIO 2016

a0057057_8473385.pngミニチュアボトルコレクション 904

品名:炭酸飲料
原材料:糖類(果糖ぶどう糖液糖、砂糖)・カラメル色素・酸味料・香料・カフェイン
容量:250ml
販売者:コカ・コーラ ナショナルセールス株式会社(東京都港区六本木6-2-31)

リオ・オリンピック記念のアルミボトル。
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by fbox12 | 2016-07-31 08:50 | コレクション

42 亀岡八幡神社(かめおかはちまんじんじゃ) 神奈川県逗子市鎮座

a0057057_23101044.jpga0057057_2130150.jpg

a0057057_20363261.jpg鎮座地:神奈川県逗子市逗子五丁目2-13
御祭神:応仁天皇
社格等:旧村社

由緒書き:(末社の項も含む)
勧請の年月は明らかではないが、「新編相模風土記稿」によれば「八幡宮、村の鎮守なり、延命寺持」とある。古老の言によると、昔は真言宗延命寺が別当として管理し、御神体は常には同寺に安置され、大祭にあたってこれを奉持し、行列を連ねて社殿に遷し、祭儀を執行するのが例であったと伝える。明治維新の神仏分離令により同寺の管理から脱し、明治六年十二月、村社に列せられ、正式に逗子の鎮守と定められた。社号は、古くは単に「八幡宮」と称せられたが、昭和二十八年十月、宗教法人亀岡八幡神社として登録され神社本庁に所属したが、常には古くからの慣習で「亀岡八幡宮」と呼称する。
亀岡の称については、当社の境内は、公の地籍上「高畠」という小字になっており、なだらかな岡で、亀の背中のようであったというところから、鎌倉の「鶴岡八幡宮」に対し「亀岡八幡宮」と名付けられたものである。
社殿は、大正八年十二月、「神饌幣帛料供進神社」に指定されたことを記念して、大正十二年二月、現社殿が新築され、その年九月一日の関東大震災に遇ったが辛うじて倒潰を免れ、修覆を加えて現在に至っている。
境内は、もと官有地で、一一一八坪あったが、県道改修のため一二一坪が道路敷に編入され、後更に逗子警察署建設の敷地として二四七坪を接収され(現在は市役所用地になっている)残り七五〇坪が、昭和二十六年五月九日、神社境内地に編入され現在に至っている。

神奈川県神社庁での社名は「亀岡八幡宮」だが、由緒書きから「亀岡八幡神社」とした。鎌倉の八雲神社が管理する。
写真鳥居左に見えるのが、逗子市役所の建物の一部。

境内末社:
a0057057_2154583.jpg萬栄稲荷

御祭神:宇迦御魂神

もとは今の市役所の南側にあったのを、大正十二年二月十五日、境内に移して新築し、更に警察署(今の市役所入口のあたり)の建設にあたり現在地に鎮座した。

a0057057_2058382.jpg大神宮社(一番右の祠)、浅間祠

御祭神:天照大御神

大神宮社は古くは逗子駅西口前の山上に鎮座していたのを後年八幡宮に合祀された。その跡地にささやかな石祠が残っており、浅間様(祭神木花咲耶姫命)と呼ばれていたが、昭和四十一年五月、境内に移された。

この神社最寄の駅・バス停:
JR横須賀線「逗子」 / 京急逗子線「新逗子」
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by fbox12 | 2016-07-30 12:00 | 神社

167-91 枕崎(まくらざき)駅  (鹿児島交通) <事業廃止>

所在地:鹿児島県枕崎市東本町6

概要:
現在の枕崎駅は、JRグループ日本最南端の路線である指宿枕崎線の終着駅であり、駅には「本土最南端の始発・終着駅」の碑が設置されている。夜間滞泊設定駅である。
かつては鹿児島交通の枕崎線(南薩線)が乗り入れていた。
南薩鉄道(現鹿児島交通)の駅が先に開設され開業したことから、駅舎や敷地は同社が所有管理していた。日本国有鉄道(国鉄)は同社の駅に乗り入れて開業したため、駅施設などの使用料を支払っており、国鉄の駅数にも計上されていなかった。その後、鹿児島交通枕崎線の廃線にともない国鉄(後にJR九州)のみが使用する駅となったが、引き続き国鉄の社員は配置されず鹿児島交通のバス部門の職員が配置され、バスターミナルとしての機能がより強かった。平成18(2006)年に再開発事業で駅敷地が地元スーパーマーケットのタイヨーに売却されたため、駅舎は解体され駅自体も鹿児島寄りに約100m移設された。駅舎跡地には店舗(タイヨー・ミドリ薬品)が建設されたが、旧駅舎の前に設置されていた「日本最南端の終着駅枕崎」と書いた灯台を模したモニュメントはそのまま残されている。移設後の駅には駅舎が設けられなかったが、市民の寄付により平成25(2013)年4月に新たな駅舎が落成した。この駅舎は同年にグッドデザイン賞を受賞している。
駅舎の「枕崎駅」の相撲文字は立行司の第36代木村庄之助(枕崎市出身)のものである。

歴史:
昭和6(1931)年3月10日 - 南薩鐵道の駅として開業
昭和10(1935)年10月6日 - (鐵道)省営自動車山川線(山川港-枕崎間)開業
昭和24(1949)年2月11日 - 駅舎が再建される。
昭和38(1963)年10月31日 - 国鉄指宿枕崎線が延伸開業し、2路線が共用する駅となる。
昭和58(1983)年6月21日 - 集中豪雨により鹿児島交通枕崎線(旧 南薩鉄道線)運休
昭和59(1984)年3月17日 - 鹿児島交通枕崎線廃止。国鉄の単独駅となるが所有者は変わらず。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR九州の駅となる。
平成18(2006)年5月1日 - 指宿方面に100メートル移設される。
平成21(2009)年12月26日 - 駅前広場に市営の観光案内所開設
平成25(2013)年4月15日 - 新駅舎完成。
  4月28日 - 開業

路線バス:
駅から路地を出た場所に、鹿児島交通のバス乗り場がある(川辺・鹿児島線、なんてつ線(加世田・伊集院方面)、知覧線、鹿児島空港線など)。
かつては、JR九州バス(山川線:枕崎駅 - 山川駅)が当駅前に乗り入れていた。


167-91 鹿児島交通 <事業廃止> a0057057_2050272.png
所属・路線:鹿児島交通株式会社・枕崎線


(参考資料:Wikipedia 平成27(2015)年8月19日更新)
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by fbox12 | 2016-07-29 21:38 | 鉄道・バス

162 大門(だいもん)駅 (都営地下鉄)

a0057057_2057374.png所属・路線:東京都交通局(都営地下鉄)・浅草線/大江戸線
所在地:東京都港区浜松町一丁目27-12(浅草線)
    東京都港区浜松町二丁目3-4(大江戸線)
駅名略称:大
駅番号:浅草線 A09/大江戸線E20
乗換駅:浜松町駅(JR東日本)/モノレール浜松町駅(東京モノレール)

概要:
浅草線と大江戸線が乗り入れており、大江戸線に限り「浜松町」の副駅名が与えられている。
駅名は、駅に近接している増上寺の総門を指す「大門」から由来する。
都営大江戸線の駅は、建設時に仮称として浜松町駅を名乗っていたが、駅名が決定した時に浜松町を副名称として使用した。乗り換え案内にはJR東日本(浜松町駅)と東京モノレール(モノレール浜松町駅)の案内があり、同線の開通に伴い、浅草線でも乗り換え案内がなされるようになった。また、大江戸線の車内放送でも開業時から「次は、大門(浜松町)」と浜松町を付けている。

浅草線の建設当時、直上の国道15号大門交差点を立体交差化する計画があり、当駅はその高架橋の基礎のスペースを確保した構造で建設された。後に立体交差化の計画はなくなったが、大江戸線開業時に連絡通路としてスペースが有効活用された。
大江戸線の建設時、当駅近くにある汐留寄りのトンネルが最後の建設区間となった。建設の際は、地上を走る東海道新幹線や東海道本線の線路を移設し、それぞれの電車の安全運行を確保しながら工事を行った。

歴史:
昭和39(1964)年10月1日 - 都営1号線の駅が開業し、国鉄(現JR東日本)浜松町駅・東京モノレール モノレール浜松町駅と乗り換え業務を開始。当初は延伸区間が単線だったため、1面1線で営業を開始していたが、泉岳寺延伸に先駆けて現在の2面2線へと拡大した。
昭和53(1978)年7月1日 - 都営1号線を浅草線に改称
平成12(2000)年12月12日 - 都営大江戸線の駅が開業し、乗り換え駅となる。また、浅草線の「エアポート快特」の停車駅となる。
平成27(2015)年4月1日 - 浅草線駅業務が新橋駅務管理所新橋駅務区から大門駅務管理所大門駅務区に移管される。
平成28(2016)年4月1日 - 大門駅務管理所が大門駅務管区に改組。当管理所の傘下であった門前仲町駅務区は門前仲町駅務管区へ移管し、新たに五反田駅務区が五反田駅務管理所から移管され、当管区の傘下となる。また大門駅務区は六本木 - 代々木間が青山駅務区へ移管し、門前仲町駅務区から築地市場・汐留が移管される。

駅構造:
浅草線は相対式ホーム2面2線、大江戸線は島式ホーム1面2線を持つ地下駅である。開業当初は国道15号線地下の浅草線の駅のみだったが、世界貿易センタービル北側に面する形で大江戸線の駅が開業し、乗換駅となった。両線は当駅でほぼ直角に交わっている。
羽田空港・成田空港への利用客が当駅での乗り換えをスムーズにするために、ホームと改札内連絡通路の間にはエスカレーターが、改札外通路にはエレベーターが設置されている。なお、B1出入口は大江戸線開業時に設置していなかったが、浜松町スクエアのオープン時に新設された。
改札外連絡通路には、大門の歴史を記載したパネルが設置されている。
大門駅務管区の所在駅であり、大門駅務区(大江戸線築地市場駅 - 麻布十番駅間と浅草線大門駅)、青山駅務区(大江戸線六本木駅 - 代々木駅間)、五反田駅務区(浅草線西馬込駅 - 泉岳寺駅間)を統括する。
浅草線駅業務は東京都営交通協力会に業務をしている。

のりば:
1番線 都営浅草線 西馬込・京急線・f羽田空港方面
2番線 都営浅草線 押上・京成線・北総線・成田空港方面
3番線 都営大江戸線 門前仲町・両国・春日方面
4番線 都営大江戸線 六本木・新宿・都庁前方面



バス:
最寄り停留所は、第一京浜にある大門駅前と浜松町駅前にある浜松町駅前、世界貿易センタービル内にある浜松町バスターミナルとなる。以下の路線が乗り入れ、東京都交通局、ケイエム観光により運行されている。

大門駅前
 都06系統:渋谷駅前行、新橋駅前行
 浜95系統:品川車庫行、東京タワー行
浜松町駅前
 浜95系統:品川車庫行、東京タワー行
 kmフラワーバス:浜松町駅(ターミナル)行、東京ビッグサイト行、国際展示場駅前行
浜松町バスターミナル
 (省略)


(参考資料:Wikipedia 平成28(2016)年6月22日更新)
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by fbox12 | 2016-07-28 21:45 | 鉄道・バス

黒松 若鶴

a0057057_213372.pngミニチュアボトルコレクション 51

酒類:(酒税法上)醸造酒類
酒類通称:清酒
原材料:米・米麹・醸造アルコール・醸造糖類
度数:15.5度以上16.5度未満
容量:50ml
製造所:若鶴酒造株式会社(富山県砺波市三郎丸)
ビン詰め:

「若鶴」という酒が生まれたのは、徳川時代も末期の文久2(1862)年。 はじめ越中の豪農が加賀藩の免許をうけて酒造りをはじめたのを、明治20(1887)年頃、桜井宗一郎家の一族がこれを継承して現在の本社所在地で酒造業を営み、それを明治43(1910)年に、初代稲垣小太郎が譲り受け、長男彦太郎(2代稲垣小太郎)を片腕に経営にあたった。
当初の造石高は三百石にすぎず、経験未熟・設備不全のため苦杯をなめることもあったが、一族の総力を結集して技術の向上と施設の改善に努めた結果、酒造界の好況もあって業績を伸ばし、大正5(1916)年には造石高千二百石余にまで進展した。
大正3(1914)年に起った第1次世界大戦は、日本に未曾有の好景気をもたらし、酒類の需要も急激に伸びたため、個人経営では到底対応ができず、大正7(1918)年10月15日に資本金拾万円をもって若鶴酒造株式会社を設立した。既設の約千石仕込み施設のほかに、醸造倉庫一棟を増設し、新たに酒桶等諸器具を整備して、初年度1,453石を醸造した。
大正7(1918)年11月に米騒動が全国で蜂起し、醸造米の仕入れに難渋したが地方の優良酒造用米を集めて仕込みにかかることができた。大正8(1919)年は大戦景気の爛熟期であり、全国清酒造石高が新記録を樹立するも、翌年の大正9(1920)年には大暴落をした。しかし若鶴酒造はこの反動不景気にこそ、設備の拡充強化を敢行すべきと信じ、工業用地の拡張、倉庫・付属建物の増築、近代的な精米設備の導入をはかり、その頃より東京を中心とする中央市場への進出もはじめている。全国的な酒造業界の不況の一方で、設備改善の効果も現れ、名実共に北陸第一の酒造会社となった。


(参考資料:若鶴酒造株式会社ホームページ)
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by fbox12 | 2016-07-27 21:20 | コレクション

72 (東神奈川)神明宮(しんめいぐう) 神奈川県横浜市神奈川区鎮座

a0057057_19112197.png鎮座地:神奈川県横浜市神奈川区東神奈川2-34-6
御祭神:素盞嗚尊、大日孁尊
社殿:
旧社格:村社

由緒:
a0057057_19274274.png通称は、東神奈川神明宮。
創建は、能満寺(古義真言宗、海運山能満寺:神社東側にある寺、右写真)が創建された正安元(1299)年と伝えられる。明治18(1885)年に村社に列格していた。


新編武蔵風土記稿による東神奈川神明宮の由緒(神奈川町西の町能満寺項)
神明社
(能満寺)境内の南につづけり。社地伍畝四歩を免除せらる九尺四方の社なり。
正安元年の勧請なりと云。前に鳥居をたつ例祭年々九月なり。
稲荷社、これも境内の地につづけり。除地参畝拾歩あり。
わづかなる祠貮ヶ所あり。皆巽の方へ向へり。年々九月の中祭れり。

「神奈川区宿歴史の道」掲示による東神奈川神明宮の由緒
神明宮の草創についてはいくつかの伝説があるが定かではない。
「新編武蔵風土記稿」は別当能満寺の草創と同じ正安元年(1299)の勧請としており、
この神社と能満寺が草創当初より極めて密接な関係があったことを伺わせる。
かつて境内を流れていた上無川に牛頭天王の御神体が現われ、洲崎大神およびこの神社に牛頭天王を祀ったとの伝承もある。
また、境内にある梅の森稲荷神社には、若い女旅人にまつわる哀れな話も伝わる。(掲示より)

境内社:
梅の森稲荷神社

この神社最寄の駅・バス停:
京浜急行・本線 仲木戸 / JR東日本・京浜東北線 東神奈川
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by fbox12 | 2016-07-26 14:21 | 神社

905 夕張本町(ゆうばりほんちょう)駅 (夕張鉄道) <路線廃止>

a0057057_9152619.png所在地:北海道夕張市本町4丁目
所属・路線:夕張鉄道株式会社・夕張鉄道線

歴史:
大正15年(1926)10月14日 - 夕張鐵道線の開業に伴い、新夕張驛として開業
・・後の石勝線・新夕張駅(当時は夕張線・紅葉山駅)とは場所は全く異なる。
a0057057_920538.png昭和2(1927)年1月8日 - 当駅-夕張町丁未(ていみ)間の北炭夕張礦専用鐵道運用開始
昭和29(1954)年1月16日 - 夕張本町駅に改称
昭和38(1963)年10月10日 - 夕張市民会館1階に移転開業
昭和46(1971)年11月15日 - 鹿ノ谷-当駅間廃線に伴い廃止
(*乗車券の印刷は、「鹿の谷」になっているが、「鹿ノ谷」が正式駅名である:右写真)。

a0057057_15582611.png駅構造:
単式ホーム1面1線を有する地上駅。終日駅員が配置されていた。

廃線後:
廃線後ホーム・線路は撤去され、跡地は空き地となった。昭和60(1985)年10月、国鉄夕張駅がこの空き地へ移転した。平成2(1990)年12月、同駅がホテルマウントレースイ前に移転し、以後再び空き地となっている。駅舎は夕張市民会館と合築の建物で夕張市が所有。隣接する夕張市役所の建物と渡り廊下でつながっている。
夕張市民会館は昭和37(1962)年着工、翌38(1963)年10月に完成した。大ホール・映画館・会議室・展示場・食堂・結婚式場・公民館などを備えた総合的な施設であり、昭和46(1971)年の駅廃止後も建物は使用され、駅前広場は市民会館の入口・駐車場となった。昭和54(1979)年に改修、60(1985)年に旧駅改札口・待合室付近に小ホール「シネサロン」を新設した。
平成19(2007)年3月、夕張市が財政再建団体となり市民会館は閉鎖されたが、同年11月に「特定非営利活動法人ゆうばりファンタ」が夕張市より無償貸付を受け、全国コンパック工業会北海道支部などの協力により「ゆうばり市民会館」として再開、「市民会館運営委員会」による自主運営に移行した。同年11月23日から25日まで行われた「ゆうばり市民会館復活祭」では、韓国の俳優パク・シニャンが出演した映画『約束』(1998年/キム・ユジン監督)が上映され、シニャン本人がノーギャラで来館したというエピソードがある。
平成21(2009)年10月、「ゆうばりファンタ」は弁護士法人アディーレ法律事務所とネーミングライツ契約を締結、「アディーレ会館ゆうばり」と改称した。平成24(2012)年10月、アディーレ法律事務所と再契約を行い、引き続き「アディーレ会館ゆうばり」と称した。
平成25(2013)年11月に「建築物の耐震改修の促進に関する法律」の改正・施行を受け、夕張市による建物の耐震診断が義務化された。建物は完成後約50年経過しており、老朽化が進行していたため、耐震診断の結果によっては補修や耐震補強工事についても行う必要があったが、市には耐震診断や工事の費用負担が極めて困難であったため、市と「市民会館運営委員会」は使用停止・閉館の検討に入った。平成26(2014)年2月、閉館が決定、同年9月、アディーレ法律事務所とのネーミングライツ契約が終了。平成27(2015)年3月15日、市民有志による「2015年ゆうばり さようなら市民会館芸能発表会」が行われ、同月31日をもって完全閉館した。市民会館の役割は若菜地区の「ゆうばり文化スポーツセンター」に移された。その後も建物は存在しているが閉鎖されている。耐震補強の問題から再利用は困難な見通しであり、解体されるものと見られている。


(参考資料:Wikipedia 平成28(2016)年3月27日更新)
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by fbox12 | 2016-07-25 21:31 | 鉄道・バス

黒松 桃川

a0057057_21471831.pngミニチュアボトルコレクション 50

酒類:(酒税法上)醸造酒類
酒類通称:清酒(旧一級)
原材料:米・米麹・醸造アルコール・醸造糖類
度数:15.5度以上16.5度未満
容量:50ml
製造所:二北酒造株式会社(青森県上北郡百石町)
ビン詰め:

歴史:
江戸時代末期、百石の有力者三浦家の清酒製造開始に始まる。明治22(1889)年八戸市在住の村井倉松は、その製造権を継承し、村井酒造店を設立、清酒「桃川」の製造販売が開始する。第2次世界大戦時、戦時立法の企業整備令により昭和19(1944)年青森県上北郡・下北郡二つの郡下の製造業社が企業合併し二北酒造株式会社を設立した。合同当時は13業者だったが、昭和20(1945)年、独立分離や廃業するものなど辛酸の時代を経て「桃川」以下5つの銘柄が残った。そして、各銘柄の経営基盤が整ったことにより、昭和59(1984)年「桃川」以外4銘柄を新会社として二北酒造株式会社より独立分離させ、「桃川株式会社」と改称し現在に至っている。


(参考資料:桃川株式会社ホームページ)
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by fbox12 | 2016-07-23 22:20 | コレクション

161 鹿ノ谷(しかのたに)駅 (夕張鉄道)

所在地:北海道夕張市鹿の谷三丁目

概要:
鹿ノ谷駅は、北海道旅客鉄道(JR北海道)石勝線(夕張支線)の駅である。
かつての夕張鉄道線との接続駅で、広い構内には同鉄道の車両区・保線区などを有し拠点となっていた。平和炭鉱の閉山により夕張鉄道線が廃止となり、構内は大幅に縮小された。

歴史:
明治34(1901)年12月1日 - 北海道炭礦鐡道清水澤 - 夕張間に新駅として開業。一般駅
明治39(1906)年10月1日 - 北海道炭礦鐡道の鉄道路線国有化により、官設鉄道(逓信省鐡道作業局、後の国鉄)に移管。
明治41(1908)年10月25日- 石狩石炭により同社若鍋礦選炭場までの若菜辺専用鐡道2.9km接続開業
明治42(1909)年10月12日 - 国有鉄道線路名称制定により、夕張線に属する。
 11月6日 - 石狩石炭により熊ノ澤選炭場までの専用鉄道0.9km接続開業
大正15(1926)年10月14日 - 夕張鐡道線栗山 - 夕張本町間が開業し、当駅は共同使用となる。
昭和8(1933)年10月31日 - 若菜辺専用鐡道廃止
昭和46(1971)年11月15日 - 夕張鐡道線当駅 - 夕張本町間廃止。栗山~当駅間の旅客営業休止
昭和50(1975)年4月1日 - 夕張鉄道線廃止
昭和56(1981)年5月25日 - 貨物取扱い廃止
 10月1日 - 夕張線が石勝線に改称。
昭和59(1984)年2月1日 - 荷物取扱い廃止
 4月1日 - 無人化
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承

161-91 夕張鉄道 <路線廃止>
a0057057_15582611.png所属・路線:夕張鉄道株式会社・夕張鉄道線

バス路線:
鹿ノ谷駅前」(夕張鉄道(夕鉄バス)・北海道中央バス)


(参考資料:Wikipedia 平成27(2015)年12月7日更新)
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by fbox12 | 2016-07-20 21:13 | 鉄道・バス

71 穴八幡宮(あなはちまんぐう) 東京都新宿区鎮座

a0057057_19315585.jpg

a0057057_19391012.pnga0057057_19551183.png

鎮座地:東京都新宿区西早稲田2-1-11
御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
社格等:旧村社

由緒:
a0057057_2063519.png旧称は高田八幡宮。
社伝によれば、康平5(1062)年源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったという。
寛永13(1636)年ここに的場が造られ、この八幡宮を守護神とした。
寛永18(1641)年宮守の庵を造るため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れた。掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴八幡宮」と称するようになった。三代将軍徳川家光は、この話を聞いて穴八幡宮を幕府の祈願所・城北の総鎮護とした。
歴代将軍がたびたび参拝し、八代将軍徳川吉宗は、享保13(1728)年に世嗣の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を奉納した。流鏑馬はその後も世嗣誕生の際や厄除け祈願として奉納され、穴八幡宮に伝わる「流鏑馬絵巻」には元文3(1738)年に奉納された竹千代(後の十代将軍徳川家治)誕生祝の流鏑馬が描かれている。
江戸の庶民からも信仰を集め、特に蟲封じの祈祷は有名だった。明治12(1879)年には皇太子(後の大正天皇)の御蟲封祈祷も行っている。
昭和20(1945)年の東京大空襲で、建物の多くを焼失。
昭和36(1961)年御鎮座九百年事業として本殿再建工事を開始。
平成元(1989)年引き続き幣殿、拝殿工事を行う。
平成10(1998)年、隨神門(上写真:大手ゼネコン清水建設の作)を室町時代の様式で再建す、なお境内全域を古書を基に未だ再建途中。
また、冬至の「一陽来復」のお守りでも知られる。お守りを受け取れる期間は毎年冬至の日から翌年節分の日までであり、冬至の日は特別に午前5時から受け取る事ができる。

なお、現在同神社は旧別当の放生寺(高野山真言宗、威盛院光松山放生寺)と日本キリスト教団早稲田教会と隣接しており、神道、仏教、キリスト教が街の一角で共存している状態が続いている。

境内には、ハイテク手水舎があり、前に立つとセンサーが働き、自動で水が出てくる。


この神社最寄の駅・バス停:
 東京メトロ・東西線 早稲田(穴八幡方面出口)
 都営バス 学02・早77・早81系統 馬場下町


(参考資料:Wikipedia 平成27(2015)年4月25日更新)
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by fbox12 | 2016-07-19 18:04 | 神社