fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

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NIKKA WHISKY G&G(白びん・北海道地区限定販売)

a0057057_19493519.pngミニチュアボトルコレクション326・327

酒類:(酒税法上)蒸留酒類(ウイスキー)
酒類通称:ブレンデッド・ウイスキー
原材料:大麦
度数:43%
容量:50ml
製造所:ニッカウヰスキー株式会社(本社所在地:東京都中央区日本橋1丁目(左側) / 東京都港区南青山5-4-31(右側)・・共にボトルに表示のもの)
製造販売:

昭和43(1968)年に「ゴールド&ゴールド」として誕生した「G&G」。「特級の品質を手軽に楽しむ・・」というスタンスは、発売されて以来、今日まで変わることはない。

写真は、北海道地区限定販売のボトルという触れ込みだが、ミニチュアビンは他地区でも販売されている。
(右側は、北海道余市蒸溜所で購入)
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by fbox12 | 2015-03-31 19:58 | コレクション

NIKKA APPLE WINE

a0057057_17303753.pngミニチュアボトルコレクション 698・699

酒類:(酒税法上)混成酒類(甘味果実酒)
酒類通称:アップル・ワイン
原材料:りんご
度数:22%
容量:50ml
製造所:ニッカウヰスキー株式会社(本社所在地: 東京都中央区日本橋一丁目・・ボトルに表示のもの)
製造販売:

混成酒類とは、果実を原料として発酵させた果実酒に糖類、ブランデー等を混和させたもの。

りんごの名産地である、北海道の「余市」で生まれ、青森の「弘前」に引き継がれて作られている「ニッカ・アップルワイン」。
ニッカウヰスキーの創立は、昭和9(1934)年にさかのぼる。創業者である「竹鶴政孝」が理想のウイスキー作り地として選んだ、北海道余市。スコットランドの風土に似たここから、日本の本格ウイスキーづくりが始まった。しかしウイスキーは、じっくりと熟成するため、製造開始から販売までに、しばらくの時間がかかり、その間に作られたのが、地元のりんごを使用したワインやシードル、ジュースなどだった。いずれも、竹鶴が留学した際に出会った本物の味を追求したものだった。
実は、「ニッカウヰスキー」の創立時の名前は「大日本果汁株式会社」。「果汁」に対するこだわりが、社名にも表れている。 こうして昭和13(1938)年、アップルワインが誕生した。
(「ニッカウヰスキー」という社名は、「大日本果汁株式会社」を略した「日果(ニッカ)」に由来する)。

余市で生まれたアップルワインの製造は、その後、青森県の弘前工場に引き継がれた。弘前工場の誕生は、昭和35(1960)年10月1日。 朝日麦酒(現、アサヒビール)が設立した朝日シードル株式会社の事業引継ぎを、りんご加工に造詣の深い竹鶴政孝へ依頼したことに始まる。以降、アップルワインをはじめ、シードルやアップルブランデーなど、りんごを使った商品をつくり続け、平成22(2010)年10月1日には、創業50周年を迎えた。
生まれ故郷である「余市蒸溜所」では、見学者の試飲のために、今でもアップルワインが用意されている。

(以上、記事内容 ASAHIビール(NIKKA APPLE WINE)のホームページから)
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by fbox12 | 2015-03-29 17:49 | コレクション

101 辰野(たつの)駅 (JR東日本・中央本線)

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a0057057_19132585.png
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所在地:長野県上伊那郡辰野町大字辰野1941
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・中央本線(辰野支線) / 日本貨物鉄道株式会社

概要:
岡谷駅 - 塩尻駅間を結ぶ中央本線の支線を所属線とし、豊橋駅を起点・当駅を終点とする飯田線を加えた2つの鉄道路線が乗り入れる。かつては両線とも日本国有鉄道(国鉄)の路線であったが、昭和62(1987)年の国鉄分割民営化により中央本線支線はJR東日本、飯田線はJR東海の路線となり、また両線ともJR貨物が第二種鉄道事業者として貨物営業を行っている。旅客営業においては当駅がJR東日本・JR東海の境界駅となっている。駅舎・ホームなどは鉄道資産はJR東日本の所属であり、同社とJR東海との境界は飯田線の下り場内信号機である。
当駅は中央本線開通と同時、明治39(1906)年に開業した。その後、駅西方から伊那谷方面を結ぶ伊那電車軌道(後の伊那電氣鐵道)が開業し、大正15(1916)年には駅に直接乗り入れた。伊那電氣鐵道は昭和18(1943)年に国有化され、飯田線として国鉄の路線網に組み込まれた。
以降、中央本線と飯田線の乗換駅として栄えたが、昭和58(1983)年に辰野駅を通らない塩嶺トンネル経由の新線(みどり湖経由)が岡谷駅 - 塩尻駅間に開通し、中央本線のメインルートから外れ、定期特急の停車がなくなった。その後、昭和61(1986)年11月に急行「こまがね」、平成14(2002)年12月に夜行急行「アルプス」も廃止され、辰野駅を経由する中央本線の定期の優等列車は全廃された。
現在、かつての優等列車の代替として快速「みすず」のみが停車する。塩嶺トンネル開通後、特に分割民営化以降、飯田線列車は上下各1本が当駅発着である他は、全ての列車が岡谷・上諏訪方面へ直通する。塩尻方面へは当駅との間での区間運転が大半を占めているため、実質飯田線の中間駅かつ地元で辰野線と呼ばれる塩尻への旧線の起点駅のようになっている(注、松本・(篠ノ井線経由)長野方面と飯田線とを通して運行する列車は、快速「みすず」を含めみどり湖経由で運転され、辰野駅 - 塩尻駅間は、辰野支線を通らず岡谷駅でスイッチバックする運用となっている)。

歴史:
明治39(1906)年6月11日 - 官設鉄道 岡谷 - 塩尻間延伸と同時に開業。
明治42(1909)年10月12日 - 線路名称設定。中央東線の所属となる。
明治44(1911)年5月1日 - 線路名称が改定され、所属が中央東線から中央本線に変更。
大正5(1916)年11月23日 - 伊那電車軌道(大正8(1919)年に伊那電氣鐵道へ改称)が西町駅から延伸し当駅に乗り入れ。この区間の開業以前は西町駅が、伊那電車軌道の「辰野駅」を名乗っていた。
大正12(1923)年3月16日 - 伊那電氣鐵道の伊那松島 - 当駅間が、軌道から鉄道への移行のために新線へ切り替え。
昭和18(1943)年8月1日 - 伊那電氣鐵道が飯田線の一部として国有化され、国有鉄道単独駅となる。
昭和58(1983)年6月15日 - 鉄筋2階建ての駅ビル新築。塩嶺トンネル供用による対価として駅舎の改良が行われた。
昭和59(1984)年1月15日 - 専用線発着を除く車扱貨物の取扱を廃止。
昭和61(1986)年11月1日 - 荷物の取扱を廃止。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、旅客営業はJR東日本(JR東海は乗入れ)、貨物営業はJR貨物が継承。
平成18(2006)年6月11日 - 開業100周年を記念し、記念行事開催。記念弁当も限定発売された。

駅構造:
2面4線のホームを有する地上駅。改札口正面に1番線(下り副本線)があり単式ホームとなっているが、ホーム西側・1番線反対側に行止り式の0番線(飯田線専用)が設けられている。0番線は平成24(2012)年3月改正時点で、下り最終の当駅止まりと翌朝の折返し上り始発列車のみが使用している。島式ホームの改札口側が2番線(下り本線)、その反対側が3番線(上り本線)となっている。3番線以降も9番線まであるが、いずれもホームはない。4・5番線は上り副本線で、主に貨物列車の着発線となっている。6 - 9番線は側線である。
駅舎は構内南側にある。改札口左手に跨線橋があり、単式ホーム北側にある島式ホームと連絡している。
JR東日本の直営駅(駅長配置)であり、管理駅として信濃川島駅・小野駅を管理している。駅舎内にはみどりの窓口(営業時間 5:50 - 19:40)のほか、自動券売機が2台設置されている。
平成21(2009)年3月14日から、JR東海管内の在来線全駅のホームが終日禁煙となったが、当駅はJR東海管轄の飯田線が接続しているものの、前述の通り当駅はJR東日本の管轄のため対象外で、従来通り喫煙所が設けられている。

のりば:
a0057057_19444192.png0番線 飯田線宮木・伊那松島・伊那市方面(1日1本のみ)
1番線 中央本線上り(通常のホーム)川岸・岡谷方面
     飯田線宮木・伊那松島・伊那市方面(1日1本のみ)
2番線 飯田線(通常のホーム)宮木・伊那松島・伊那市方面
     中央本線下り信濃川島・小野・塩尻方面(岡谷方面からの直通含む一部列車)
     (写真:停車中の天竜峡行き東海車)
3番線 中央本線下り(通常のホーム)信濃川島・小野・塩尻方面(当駅始発のみ)
     中央本線上り川岸・岡谷方面(当駅始発)
平成25(2013)年3月時点で、岡谷方面の列車は飯田線からの直通と当駅始発のみで、定期での塩尻方面からの直通列車は存在しない。

貨物取扱・専用線:
JR貨物の駅は専用線発着の車扱貨物の取扱駅となっているが、平成21(2009)年3月14日のダイヤ改正以降、貨物列車の発着がなくなっている。
平成21(2009)年3月までは、駅南側の豊島屋辰野油槽所専用線向けの根岸駅からの灯油やガソリンの到着があった。また、平成8(1996)年3月まで、駅西側にあったJA東日本くみあい飼料辰野工場(平成15(2003)年閉鎖)へ続く専用線もあった。この路線は、知多駅発送の穀物を取り扱っていた。

路線バス:
辰野町営バス(川島線:辰野駅前)

a0057057_19482952.pngテレビにも出た駅前商店街にあるレトロな喫茶店

(以上、記事内容 Wikipedia:平成27年1月4日更新から)
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by fbox12 | 2015-03-27 19:16 | 鉄道・バス

NIKKA WHISKY 鶴(白)

a0057057_18491514.pngミニチュアボトルコレクション 622

酒類:(酒税法上)蒸留酒類(ウイスキー)
酒類通称:ブレンデッド・ウイスキー
原材料:大麦
度数:43%
容量:50ml
製造所:ニッカウヰスキー株式会社(本社所在地: 東京都港区南青山5-4-31・・ボトルに表示のもの)
製造販売:

「日本のウイスキーの父」と呼ばれるニッカ創業者・竹鶴政孝が、ウイスキーへの情熱の集大成としてつくり上げた、ブレンデッドウイスキー。

ニッカウィスキーの最高峰といわれる「鶴」が17年物に生まれ変わり、「鶴17年」となった。

現在の「鶴17年」には、写真の白ボトルの他、ガラスボトルもある。
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by fbox12 | 2015-03-26 19:19 | コレクション

100 唐木田(からきだ)駅 (小田急・多摩線)

a0057057_18544899.pnga0057057_1855868.png

所在地:東京都多摩市中沢二丁目11
所属・路線:小田急電鉄株式会社・多摩線
駅番号:OT07

歴史:
唐木田駅が設置された経緯は、多摩線の小田急多摩センター駅から相模原方面への延伸構想ルート上の駅と位置付けられるが、多摩ニュータウン建設計画の中で清掃工場等に地域の土地を提供した開発前の地元住民らからの請願が実現したものである。清掃工場の位置については、できるだけ人家から離れた場所に設置が求められ、決定までに紆余曲折があったが、低公害の最新設備を導入することにより現行の場所となった。また、小田急電鉄側も車庫用地確保の必要性の絡みから駅の併設を合意することとなった。
平成2(1990)年3月27日 - 多摩線の延伸に伴い小田急電鉄69番目の駅として開業。各駅停車の停車駅となる。
平成12(2000)年12月2日 - 特急ロマンスカー「ホームウェイ」と急行の多摩線での運行が開始される。
平成14(2002)年3月23日 - 多摩急行の運行が開始される。
平成16(2004)年12月11日 - 区間準急の運行が開始される。
平成20(2008)年3月20日 - 特急ロマンスカー「メトロホームウェイ」の運行が開始され、その終着駅となる。

駅構造:
a0057057_19182570.png相対式ホーム1面1線(1番ホーム)と島式ホーム1面2線(2・3番ホーム)の計2面3線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。改札につながる階段は南端にしかないため、発着列車の多くでは階段付近の車両に乗客が集まる。喜多見検車区唐木田出張所があることから回送列車の発着が多いが、喜多見検車区唐木田出張所からスイッチバックせずに進入できるのは2・3番ホームのみである。

プラットホーム
1・2・3番ホーム 多摩線新百合ヶ丘・新宿・千代田線・小田原・片瀬江ノ島方面
日中は、区間準急到着に1番ホーム、区間準急・多摩急行発車に2番ホーム、多摩急行到着に3番ホームがそれぞれ使用されている。各停は区間準急に続行するものが2番ホーム発着、それ以外は1番ホーム発着である(一部運用の都合による例外がある)。(写真は、2番ホームの多摩急行地下鉄千代田線経由柏行:東京メトロ6000系電車)

バス路線:
路線バスは、京王バス南により運行されている。なお、当駅前のバス停には「バス停番号」の付番されていない。そのため、「バス停が設置されている場所」を番号のかわりに記す。

・唐木田駅改札前のりば
 永52系統 多摩市ミニバス東西線永山駅行
・ケーヨーデイツー前のりば
 永53系統 多摩市ミニバス東西線永山駅行
・駅前郵便局前のりば
 多43系統 多摩センター駅行
・駅前郵便局前のりばの反対車線のりば
 多43系統 日大三高行

駅名の由来:
駅所在地南西の地名から。駅名は「唐木田」であるが、ホームの北端から南端までの大部分は多摩市中沢地区にある。ただし駅事務室や駅舎内の店舗の敷地は唐木田地区にある。

相模原延伸:
将来、在日米軍再編に伴う在日アメリカ陸軍相模総合補給廠の一部返還によって、町田市小山田・神奈川県相模原市方面への延伸が考えられているが、JR横浜線を越えてJR相模線へ到達するということ以上の具体的な計画は決まっていなかったが、平成26(2014)年5月26日に、町田市と相模原市による会談により、多摩線延伸推進に関する覚書を取り交わし、中央新幹線開業が予定される2027年までの実現を目指すとしている。

(以上、記事内容 Wikipedia:平成27年2月15日更新から)
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by fbox12 | 2015-03-25 18:57 | 鉄道・バス

Super NIKKA WHISKY

a0057057_18154633.pngミニチュアボトルコレクション 620・621

酒類:(酒税法上)蒸留酒類(ウイスキー)
酒類通称:ブレンデッド・ウイスキー
原材料:
度数:43%
容量:50ml
製造所:ニッカウヰスキー株式会社(本社所在地:東京都中央区日本橋1丁目・・左側 / 東京都港区南青山5-4-31・・右側)
製造販売:

幻のウイスキーの誕生から・・
かつて、日本のウイスキー市場には、モルト原酒が一滴も含まれない、アルコールに香料と着色料を加えただけのイミテーションが蔓延していた。その味に慣れた人たちに本物を届けたい。その想いが、妻リタを亡くした竹鶴政孝の悲しみを力に変えた。後継者、竹鶴威(竹鶴政孝の養子(甥)で前相談役:平成27年2月17日死去)とともに、貯蔵庫にある原酒をチェックし、あらゆる組み合わせを試す。その時点で考えうる、最上のブレンドを。そして辿りついたひとつの解。それがスーパーニッカだった。
昭和37(1962)年、満を持して発売されたスーパーニッカは、大卒初任給が1万7000円だった当時、3000円という高価格。中身だけでなくボトルにも凝っていた。生産量は年に1000本程度とごく少なく、市場では幻のウイスキーとささやかれた。

やがて、日本は高度成長の時代を迎え、イミテーションではない本物の価値が認められ始めた。かつて幻といわれたスーパーニッカも、少しずつ売れ行きを伸ばしていく。
しかし、政孝は理想を追求して止むところがない。グレーンウイスキーを蒸溜するカフェスチルの導入(昭和37(1962)年)。余市とは違ったタイプの原酒を造る仙台・宮城峡蒸溜所の建設(昭和44(1969)年)。異なった風土で育まれた原酒をブレンドすることで、ウイスキーはより芳醇な香りを湛える。ブレンドされたウイスキーは、再貯蔵=マリッジによって一体化し、バランスの取れた味わいとなる。再貯蔵のための栃木工場も、昭和52(1977)年に完成した。

スーパーニッカのニッカウヰスキー製品中での位置づけ:
スーパーニッカは、現行のラインナップの中で唯一、創業者である竹鶴政孝がブレンドしたウイスキーで、当時最高級のプレミアムウイスキーとして発売された。創業者にとっては究極の酒であったろうと、当時を知る人が証言している。現在のスーパーニッカは、創業者がブレンドした当初のものとは位置付けは異なるが、その精神は脈々と受け継がれている。
現在のスーパーニッカは、余市と宮城峡それぞれのモルトと、カフェグレーンの三種類の原酒をブレンドする点では、従来品と変わりない。ウイスキーの嗜好は時代とともに変化するので、現代の嗜好に合う様に、従来のスモーキーフレーバー(ピート香)を柔らかくし、新たに余市新樽のモルトを使用した。
ウイスキーの貯蔵には新樽のほか、旧樽や、シェリー樽やバーボン樽など、さまざまな樽が使われる。樽は単なる容器ではなく、熟成のためのゆりかごの役割を果たす。樽の種類によって原酒の個性が異なってくる。

ボトルの話し:
「ウイスキーが熟成するまでに何年もかかる。これは娘が大きくなれば嫁にやるのと一緒なのだから、立派な衣装を着せてやりたい」。
最高のウイスキーには最高のボトルを。竹鶴政孝は、夢と理想を追った酒、スーパーニッカのボトル製作を、以前から付き合いのあった各務(かがみ)クリスタルに依頼している。
各務クリスタルは昭和9(1934)年、ニッカウヰスキーと同年に創立されたガラス工房である。創業者の各務鉱三は青年時代、ドイツに渡ってガラス工芸を学んでいる。政孝がスコットランドから帰国し、日本でウイスキーづくりを始めた頃である。ヨーロッパ体験が二人を意気投合させたのか、政孝とはしばしば酒を酌み交わしたという。昭和30(1955)年にはゴールドニッカのボトルを製作してもいる。
昭和37(1962)年、念願のスーパーニッカが完成し、これを収める容器を探していた政孝は、あるとき各務クリスタルを訪れて、一本のボトルに目を留めた。
「パッと見るなり“これがいい”と、抱きしめて離さなかった」。各務の片腕として活躍していたガラス工芸作家、佐藤潤四郎は、かつてそう語っている。溶けたガラスに吹き竿を使って息を吹き込み、一本ずつ手で完成させる手吹きのボトル。すらりと伸びた首と柔らかにふくらんだボディ、容量もぴったり合っていた。
難点は手づくりゆえに量産できないこと。高価でもあった。2級ウイスキーが300円台で買えた時代、ボトルの原価だけで500円したというのだから、容器というよりひとつの工芸品といえた。手吹きゆえ口径が一本一本異なり、これまた手で作られたガラス栓とは、ひとつずつ擦り合わせる必要があった。ボトルと栓、それぞれに番号がふられ、これが合致しないとぴたりと閉まらなかった。やがて、機械によるボトル製造技術が発達し、スーパーニッカのボトルも手吹きから機械吹きへと置き換わる。しかし、鶴を思わせる優美な姿は変わらなかった。
このボトルのデザインについて問われた佐藤は、こう答えたという。
「だいたい壜(びん)というのは、放っといてもああいう形になるんですよ」。
ガラスに吹き竿で息を吹き込めば自然な球形が生まれる。そこから注ぎ口を長く伸ばせばスーパーニッカのボトルになる。

現行のボトルデザインは、平成21(2009)年に加納デザイン事務所の代表で、デザイナーの加納守康デザインのボトルにリニューアルされた。

現行製品ラインナップ:
 スーパーニッカ 700mlびん(アルコール度数43%)・・オープン価格
 スーパーニッカ50mlびん(アルコール度数43%)・・オープン価格
 スーパーニッカ&ウォーター 300mlびん(アルコール度数12%)・・オープン価格
 スーパーニッカ&ウォーター 250ml缶(アルコール度数9%)・・オープン価格

(以上、記事内容 NIKKA WHISKY ホームページから)
(右側のボトルは、北海道余市蒸溜所で購入)
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by fbox12 | 2015-03-24 19:04 | コレクション

99 小田急多摩センター(おだきゅうたませんたー)駅 (小田急・多摩線)

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a0057057_19301959.pnga0057057_19303356.png

所在地:東京都多摩市落合一丁目11-1
所属路線:小田急電鉄株式会社・多摩線
駅番号:OT06

多摩センター駅は、京王、小田急、多摩都市モノレール3社の駅が近接していて相互の乗換駅となっているが、事業者によって以下のように正式名称が異なっている。

京王電鉄相模原線 - 京王多摩センター(けいおうたませんたー)
小田急電鉄多摩線 - 小田急多摩センター(おだきゅうたませんたー)
多摩都市モノレール - 多摩センター(たませんたー)

歴史:
多摩センター駅南側の一帯は多摩ニュータウンの中心として、また周辺地域も含めた広範囲のエリアに高次な都市機能を提供するための「都市センター」となっている。多摩ニュータウン開発にともない京王帝都電鉄(当時)と小田急電鉄の両社が新線の事業工事認可を取得し、2路線が同駅に乗り入れることになった。
開発以前における駅の設置箇所周辺は南多摩郡多摩村大字落合に属し、下落合、山王下、中沢、中組といった小字の丘陵地谷戸部に集落が点在する純農村だった所である。その谷戸部に沿って多摩川に注ぐ乞田川が大きく蛇行して流れていたが、この小川を水捌けの大きい直線状に改修し、同時に並行する幹線道路を新設して、元来起伏があった地形に所要の広さの平地を造成・区画整理した中で、標高の低い場所に両駅の建設地を見い出した。
両線の開通時期は、東隣の永山駅周辺の諏訪・永山地区におけるニュータウン第一次入居が始まる昭和46(1971)年に照準が合わせられていたが、新線工事は諸般の事情で大幅に遅れることとなった。途中の永山駅までは昭和49(1974)年6月に小田急が先行開通することになったが、逆に多摩センター駅までは小田急の工事が約1年遅れ、京王の方が同年10月に開業することとなった。
一方、平成12(2000)年に同駅へ乗り入れた多摩都市モノレールは、当地が東京圏の広域的な連携・交流の拠点として「東京構想2000」の中で《核都市》の心に位置付けられているため、多摩地域の南北間の円滑なアクセスを担う新しい公共交通機関として開通した(多摩都市モノレールは、立川駅の北、上北台(武蔵村山市)を起点として、当駅が終点)。

年表:
昭和50(1975)4月23日 - 小田急多摩線延伸に伴い小田急多摩センター駅開業。各停の停車駅となる。
平成12(2000)年12月2日 - 小田急多摩線にて特急ロマンスカー「ホームウェイ」と急行の運行が開始される(以下を含め、全て停車駅となる)。
平成14(2002)年3月23日 - 小田急多摩線にて多摩急行の運行が開始される。
平成16(2004)年12月11日 - 小田急多摩線にて区間準急の運行が開始される。
平成17(2005)年5月 - 小田急多摩センター駅のリニューアル工事実施。 - 平成18(2006)年3月竣工。
平成20(2008)年3月15日 - 小田急多摩線にて特急ロマンスカー「メトロホームウェイ」の運行が開始される。

駅名の由来:
駅南側が多摩ニュータウンの「都市センター」地区として位置付けられ、複合した都市機能を有する商業、業務、文化的中心地であることから「多摩センター」となる。“多摩センター”と称する機関や施設がある訳ではない。計画段階の仮称「多摩中央(たまちゅうおう)」とも関係している。
駅名は同一場所に位置する場合、同一名称にするのが一般的であるが、京王および小田急は同時期に開業した永山駅と同様に両線が同じ新宿駅を起点とするため、乗客の誤乗車と不正乗車を防止する目的から、あえて会社名を冠した「京王多摩センター駅」および「小田急多摩センター駅」として明確に区別することとなった(永山駅も同じ事情で、社名を冠している)。また、多摩都市モノレールに関しては自動改札機が普及したことにより前述の心配が不要となり、単なる「多摩センター駅」となっている。
これら3駅および地域は、利用者や住民に「多摩セン」および「タマセン」の愛称で呼ばれることもあり、鉄道事業者側も京王多摩センターSCのオープン時の広告のキャッチコピーに使用している。
なお、京王および小田急の駅建設計画時の仮称は「多摩中央」であった。開業前、車両の行先表示装置内に「多摩中央」の表示を用意していた事実があるほか、名称に「多摩中央駅」を含む施設も僅かながら存在する。

駅構造:
京王・小田急多摩センター駅は双方が別々の3層のコンクリートラーメン高架橋構造の建造物で、3層目にプラットホーム、2層目に駅舎と店舗があり、並行に隣接して配置され、ほぼ一体化して建っている。また、2層目のコンコースは南側で歩車分離をした街づくりの基軸となるペデストリアンデッキとバスターミナルに直結し、1層目の階下は店舗とタクシー乗り場、駐車場などに利用されている。京王の中央口改札と小田急の西口改札は同一通路上にあり、京王⇔小田急間の乗り換えは永山駅とともに便利である。
一方、多摩都市モノレールの多摩センター駅は「都道町田・日野線」の上空に建造されているため、京王・小田急の両駅とは約200m程離れており、ペデストリアンデッキで接続されている。もともと暫定で建っていた建物を解体した跡地に連絡通路を建設したため、屋根があるのは新設された部分の数十mだけで、将来の建物建設予定地の部分には屋根がない。雨天時にはペデストリアンデッキ下のバスターミナルを経由すれば、屋根のない部分の距離は少なくなるが、上下の移動を要する階段がある。

小田急多摩センター駅は、島式ホーム2面2線を有する高架駅。元来は島式ホーム2面4線の構造であるが、開業当初は副本線には軌道は設置されておらず、2面2線のみ使用していた。その後、車両留置線の確保のために昭和60(1985)年3月10日より上下線とも副本線の使用を開始し、2面4線の構内配線となった。また、延長線上も引き上げ線として整備され、長い間列車の発着や回送列車の留置などにも使われていた。
a0057057_20392937.pngその後、平成2(1990)年に多摩ニュータウン唐木田地区の入居開始に合わせ、多摩線は唐木田駅まで延長され当駅は終点で無くなると同時に、唐木田駅に車両基地が新設されたため、当駅西方の渡り線や副本線であった側線の必要性が薄弱となり、平成18(2006)年5月頃から省メンテナンスの目的から使用中止、同年5月19日、20日にそれぞれ1・4番ホーム側が閉鎖され、7月までにホーム片面に安全柵(右写真)が設置された。そして平成19(2007)年2月に1・4番ホームへ至る線路が本線(2・3番ホーム)と完全に分断されポイントが撤去され、同年9月2日には従来の2番ホームが1番ホーム、3番ホームが2番ホームとなり、「停車場」から「停留場」扱いになったのを機に信号の取り扱いも変更され、進入する電車は速度を落とさなくなった。なお、閉鎖された副本線側ホームの線路は残っている。同時に信号所も閉鎖された(右写真:線路は錆ている)。
リニューアル工事後は、先の京王と同様に東口が新設されるとともにエスカレーターやエレベーターが設置された。また、駅高架建物南面の風防壁がガラススクリーンに改装されている。
平成20(2008)年度末から、改札ラッチ内とプラットホームで乗客案内用の発車標の使用が開始されている。
各駅の案内サイン等で使用される当駅名のローマ字表記は時期によって異なり、「Odakyu-Tama-Center」「Odakyu Tama-Center」「Odakyu Tama Center」(最新)のいずれかとなっている。
なお小田急多摩線は、JR相模原駅を経由して上溝駅に至るルートが運輸政策委員会の「今後、整備について検討すべき路線」とされ、相模原市が延伸の促進を重点プロジェクトに位置付けている。

のりば:
1番ホーム 多摩線下り唐木田方面
2番ホーム 多摩線上り新百合ヶ丘・新宿・千代田線・小田原・片瀬江ノ島方面

(以上、記事内容 Wikipedia:平成27年2月27日更新から)
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by fbox12 | 2015-03-23 19:30 | 鉄道・バス

リケンのノンオイル 青じそ

a0057057_18495153.pngミニチュアボトルコレクション92

種類:ドレッシングオイル
用途:携帯用ボトル(非売品)
原材料(ノンオイル 青じそ):しょうゆ、醸造酢、糖類(果糖ぶどう糖液糖、水あめ、砂糖、ぶどう糖)、酒精、たん白加水分解物、梅肉、調味料(アミノ酸等)、小麦たん白発酵調味料、食塩、りんご、レモン果汁、ほたてエキス、酸味料、かつお節エキス、増粘多糖類、ポークエキス、香料、青じそ、オニオンエキス、しそ水、香辛料抽出物、しそエキス、甘味料(スクラロース)、(原材料の一部に鶏を含む)
容量:20ml(携帯詰め替え用ボトルで、空)
製造所(ノンオイル 青じそ):理研ビタミン株式会社(東京都千代田区三崎町2-9-18 TDCビル 11・12階)
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by fbox12 | 2015-03-22 18:52 | コレクション

98 枇杷島(びわじま)駅(JR東海・東海道本線 / TKJ・城北線)

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所在地:愛知県清須市西枇杷島町七畝割108-13
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道本線 / 株式会社東海交通事業・城北線

歴史:
明治19(1886)年4月1日 - 官設鉄道(のちの国鉄→JR)が熱田駅から延伸した際の終着である清洲駅(初代)として、現在地からやや離れたところに開業。
 5月1日 - 官設鉄道が当駅から一ノ宮駅(現、尾張一宮駅)まで延伸し、途中駅となる。
明治24(1891)年10月28日 - 濃尾地震により駅本屋が全壊する。
明治28(1895)年4月1日 - 線路名称が制定され、東海道線(明治42(1909)年に東海道本線に改称)の所属となる。
明治39(1906)年4月16日 - 移転し、枇杷島駅に改称する。
昭和55(1980)年10月1日 - 専用線発着を除く貨物の取扱を廃止する。
昭和60(1985)年3月14日 - 荷物の取扱を廃止する。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)と日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
平成5(1993)年3月18日 - 東海交通事業 (TKJ:株式会社東海交通事業··JR東海の100%子会社) 城北線が尾張星の宮駅から延伸し、当駅に乗り入れる。
平成7(1995)年12月1日 - 大阪セメント専用線が廃止される。(大阪セメントのセメント包装所への専用線があり、セメント輸送貨物列車が到着していた)。
平成18(2006)年4月1日 - JR貨物の駅が廃止され、貨物の取扱いが名実ともに終了する。
 11月25日 - IC乗車券「TOICA」のサービス開始に伴い、当駅における供用を開始する。
平成20(2008)年12月13日 - 橋上駅舎の供用を開始する。これに伴い駅の東側にも出入口が設置される。

駅構造:
a0057057_2013377.png島式ホーム2面4線を持つ地上駅である。2社の共同使用駅であり、改札を共用している。TKJ城北線用の短いホームは、名古屋駅と稲沢駅を結ぶJR東海の貨物線「稲沢線」の本線上に設けられていることから、貨物列車の運転状況によって発着番線が変わる。また、構内北側の稲沢線から、東海道新幹線の高架の下を潜る保線車両留置線が分岐している(2番線に停車中の城北線キハ11形)。
平成20(2008)年12月に橋上駅舎が完成し、東西自由通路が設置され、駅の東側に駅前広場が新設された。また、平成21(2009)年3月に駅西側の駅前広場が整備された。なお、かつての地上駅舎は、駅の西側を通るJR東海東海道新幹線の高架下に設置されていた。
駅設備はJR東海が保有し、同社の名古屋駅の管理下でTKJに業務委託されており、実際の業務はTKJ社員が行っている(JRの駅としては業務委託駅)。TKJ直営の出札口は持たず、JR東海のみどりの窓口があり、両社線の乗車券類を扱う。他に自動券売機、TOICAチャージ機、自動改札機などが設置されている。

のりば:
1・2番線 TKJ城北線勝川方面
3番線 JR東海道本線下り岐阜・大垣方面
4番線 JR東海道本線上り名古屋・岡崎方面

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線路下にいくつかある煉瓦造りのトンネル。地上駅時代(左写真)東側への通路だった(高さ170cm位)。

(以上、記事内容 Wikipedia:平成27年1月7日更新から)
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by fbox12 | 2015-03-21 20:02 | 鉄道・バス

清酒 神聖(しんせい)

a0057057_17153745.pngミニチュアボトルコレクション 159

酒類:(酒税法上)醸造酒類(清酒)
酒類通称:日本酒(旧、清酒一級)
原材料:米麹
度数:15.5度以上16.5度以下
容量:50ml
製造所:株式会社山本本家(京都市伏見区上油掛町36-1)T910

製造元の山本本家は、延宝五(1677)年に伏見七ツ井のひとつ、白菊井の湧く現在地にて創業した。
当主は代々源兵衛を名のり現在十一代目に至っている。
慶応四(1868)年1月3日夜半勃発した鳥羽伏見の戦いにより、伏見の町は甚大な被害を被り、焼き払いの火のために、山本本家も全焼の憂き目をみる。現在ある本社社屋は同年に再建したものである。
伏見は内陸に位置しており、商品の運搬は専ら濠川、高瀬川などの水運を利用していたため、現在のように灘に次ぐ銘醸地として知られるようになったのは明治以降の鉄道や車の台頭による運搬方法が発展してからで、大正元(1926)年(注、原文のままであるが、大正元年は1912年7月30日からで、1926年は12月25日までが大正15年、25日から31日までが昭和元年である)から東京の問屋と直接取引を開始。関東方面で「神聖」の販路を拡大した(「神聖」は一級酒で、同社の二級酒は「明けごころ」)。
八代目源兵衛は、後に自ら道興と名を改め、茶道・和歌に身を投じた風流人で、文化人富岡鐵斎とも懇意にしていたことから、九代目源兵衛の結婚の折りに、それを祝して鐵斎より「神聖」の毛筆文字を贈られ、現在の「神聖」のラベルに使用している。
昭和37(1962)年、人気喜劇俳優の伴淳三郎を起用したテレビCMで、「かあちゃん、いっぱい、やっか」というフレーズが印象的で、全国的に「神聖」ブームを呼び起こした。

このボトルは、日本酒一升瓶型には珍しく50ml入りのもので、飲み比べや、飲み切りサイズの100mlより小さいサイズ。実は、酒店のディスプレイ用(当時の一級酒)である(中身は、本物)。

現在、「神聖」には、「特撰神聖」、「上撰本醸造神聖」、「神聖純米吟醸」、「濃醇神聖」、「金印神聖からくち」、「金印神聖」、「神聖生貯蔵酒」、「神聖純米酒」などがある。

(以上、記事内容 山本本家HPから)
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by fbox12 | 2015-03-20 17:15 | コレクション