fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

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NIKKA WHISKY G&G(白びん・北海道地区限定販売)

a0057057_19493519.pngミニチュアボトルコレクション326・327

酒類:(酒税法上)蒸留酒類(ウイスキー)
酒類通称:ブレンデッド・ウイスキー
原材料:大麦
度数:43%
容量:50ml
製造所:ニッカウヰスキー株式会社(本社所在地:東京都中央区日本橋1丁目(左側) / 東京都港区南青山5-4-31(右側)・・共にボトルに表示のもの)
製造販売:

昭和43(1968)年に「ゴールド&ゴールド」として誕生した「G&G」。「特級の品質を手軽に楽しむ・・」というスタンスは、発売されて以来、今日まで変わることはない。

写真は、北海道地区限定販売のボトルという触れ込みだが、ミニチュアビンは他地区でも販売されている。
(右側は、北海道余市蒸溜所で購入)
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by fbox12 | 2015-03-31 19:58 | コレクション

NIKKA APPLE WINE

a0057057_17303753.pngミニチュアボトルコレクション 698・699

酒類:(酒税法上)混成酒類(甘味果実酒)
酒類通称:アップル・ワイン
原材料:りんご
度数:22%
容量:50ml
製造所:ニッカウヰスキー株式会社(本社所在地: 東京都中央区日本橋一丁目・・ボトルに表示のもの)
製造販売:

混成酒類とは、果実を原料として発酵させた果実酒に糖類、ブランデー等を混和させたもの。

りんごの名産地である、北海道の「余市」で生まれ、青森の「弘前」に引き継がれて作られている「ニッカ・アップルワイン」。
ニッカウヰスキーの創立は、昭和9(1934)年にさかのぼる。創業者である「竹鶴政孝」が理想のウイスキー作り地として選んだ、北海道余市。スコットランドの風土に似たここから、日本の本格ウイスキーづくりが始まった。しかしウイスキーは、じっくりと熟成するため、製造開始から販売までに、しばらくの時間がかかり、その間に作られたのが、地元のりんごを使用したワインやシードル、ジュースなどだった。いずれも、竹鶴が留学した際に出会った本物の味を追求したものだった。
実は、「ニッカウヰスキー」の創立時の名前は「大日本果汁株式会社」。「果汁」に対するこだわりが、社名にも表れている。 こうして昭和13(1938)年、アップルワインが誕生した。
(「ニッカウヰスキー」という社名は、「大日本果汁株式会社」を略した「日果(ニッカ)」に由来する)。

余市で生まれたアップルワインの製造は、その後、青森県の弘前工場に引き継がれた。弘前工場の誕生は、昭和35(1960)年10月1日。 朝日麦酒(現、アサヒビール)が設立した朝日シードル株式会社の事業引継ぎを、りんご加工に造詣の深い竹鶴政孝へ依頼したことに始まる。以降、アップルワインをはじめ、シードルやアップルブランデーなど、りんごを使った商品をつくり続け、平成22(2010)年10月1日には、創業50周年を迎えた。
生まれ故郷である「余市蒸溜所」では、見学者の試飲のために、今でもアップルワインが用意されている。

(以上、記事内容 ASAHIビール(NIKKA APPLE WINE)のホームページから)
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by fbox12 | 2015-03-29 17:49 | コレクション

NIKKA WHISKY 鶴(白)

a0057057_18491514.pngミニチュアボトルコレクション 622

酒類:(酒税法上)蒸留酒類(ウイスキー)
酒類通称:ブレンデッド・ウイスキー
原材料:大麦
度数:43%
容量:50ml
製造所:ニッカウヰスキー株式会社(本社所在地: 東京都港区南青山5-4-31・・ボトルに表示のもの)
製造販売:

「日本のウイスキーの父」と呼ばれるニッカ創業者・竹鶴政孝が、ウイスキーへの情熱の集大成としてつくり上げた、ブレンデッドウイスキー。

ニッカウィスキーの最高峰といわれる「鶴」が17年物に生まれ変わり、「鶴17年」となった。

現在の「鶴17年」には、写真の白ボトルの他、ガラスボトルもある。
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by fbox12 | 2015-03-26 19:19 | コレクション

100 唐木田(からきだ)駅 (小田急・多摩線)

a0057057_18544899.pnga0057057_1855868.png

所在地:東京都多摩市中沢二丁目11
所属・路線:小田急電鉄株式会社・多摩線
駅番号:OT07

歴史:
唐木田駅が設置された経緯は、多摩線の小田急多摩センター駅から相模原方面への延伸構想ルート上の駅と位置付けられるが、多摩ニュータウン建設計画の中で清掃工場等に地域の土地を提供した開発前の地元住民らからの請願が実現したものである。清掃工場の位置については、できるだけ人家から離れた場所に設置が求められ、決定までに紆余曲折があったが、低公害の最新設備を導入することにより現行の場所となった。また、小田急電鉄側も車庫用地確保の必要性の絡みから駅の併設を合意することとなった。
平成2(1990)年3月27日 - 多摩線の延伸に伴い小田急電鉄69番目の駅として開業。各駅停車の停車駅となる。
平成12(2000)年12月2日 - 特急ロマンスカー「ホームウェイ」と急行の多摩線での運行が開始される。
平成14(2002)年3月23日 - 多摩急行の運行が開始される。
平成16(2004)年12月11日 - 区間準急の運行が開始される。
平成20(2008)年3月20日 - 特急ロマンスカー「メトロホームウェイ」の運行が開始され、その終着駅となる。

駅構造:
a0057057_19182570.png相対式ホーム1面1線(1番ホーム)と島式ホーム1面2線(2・3番ホーム)の計2面3線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。改札につながる階段は南端にしかないため、発着列車の多くでは階段付近の車両に乗客が集まる。喜多見検車区唐木田出張所があることから回送列車の発着が多いが、喜多見検車区唐木田出張所からスイッチバックせずに進入できるのは2・3番ホームのみである。

プラットホーム
1・2・3番ホーム 多摩線新百合ヶ丘・新宿・千代田線・小田原・片瀬江ノ島方面
日中は、区間準急到着に1番ホーム、区間準急・多摩急行発車に2番ホーム、多摩急行到着に3番ホームがそれぞれ使用されている。各停は区間準急に続行するものが2番ホーム発着、それ以外は1番ホーム発着である(一部運用の都合による例外がある)。(写真は、2番ホームの多摩急行地下鉄千代田線経由柏行:東京メトロ6000系電車)

バス路線:
路線バスは、京王バス南により運行されている。なお、当駅前のバス停には「バス停番号」の付番されていない。そのため、「バス停が設置されている場所」を番号のかわりに記す。

・唐木田駅改札前のりば
 永52系統 多摩市ミニバス東西線永山駅行
・ケーヨーデイツー前のりば
 永53系統 多摩市ミニバス東西線永山駅行
・駅前郵便局前のりば
 多43系統 多摩センター駅行
・駅前郵便局前のりばの反対車線のりば
 多43系統 日大三高行

駅名の由来:
駅所在地南西の地名から。駅名は「唐木田」であるが、ホームの北端から南端までの大部分は多摩市中沢地区にある。ただし駅事務室や駅舎内の店舗の敷地は唐木田地区にある。

相模原延伸:
将来、在日米軍再編に伴う在日アメリカ陸軍相模総合補給廠の一部返還によって、町田市小山田・神奈川県相模原市方面への延伸が考えられているが、JR横浜線を越えてJR相模線へ到達するということ以上の具体的な計画は決まっていなかったが、平成26(2014)年5月26日に、町田市と相模原市による会談により、多摩線延伸推進に関する覚書を取り交わし、中央新幹線開業が予定される2027年までの実現を目指すとしている。

(以上、記事内容 Wikipedia:平成27年2月15日更新から)
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by fbox12 | 2015-03-25 18:57 | 鉄道・バス

Super NIKKA WHISKY

a0057057_18154633.pngミニチュアボトルコレクション 620・621

酒類:(酒税法上)蒸留酒類(ウイスキー)
酒類通称:ブレンデッド・ウイスキー
原材料:
度数:43%
容量:50ml
製造所:ニッカウヰスキー株式会社(本社所在地:東京都中央区日本橋1丁目・・左側 / 東京都港区南青山5-4-31・・右側)
製造販売:

幻のウイスキーの誕生から・・
かつて、日本のウイスキー市場には、モルト原酒が一滴も含まれない、アルコールに香料と着色料を加えただけのイミテーションが蔓延していた。その味に慣れた人たちに本物を届けたい。その想いが、妻リタを亡くした竹鶴政孝の悲しみを力に変えた。後継者、竹鶴威(竹鶴政孝の養子(甥)で前相談役:平成27年2月17日死去)とともに、貯蔵庫にある原酒をチェックし、あらゆる組み合わせを試す。その時点で考えうる、最上のブレンドを。そして辿りついたひとつの解。それがスーパーニッカだった。
昭和37(1962)年、満を持して発売されたスーパーニッカは、大卒初任給が1万7000円だった当時、3000円という高価格。中身だけでなくボトルにも凝っていた。生産量は年に1000本程度とごく少なく、市場では幻のウイスキーとささやかれた。

やがて、日本は高度成長の時代を迎え、イミテーションではない本物の価値が認められ始めた。かつて幻といわれたスーパーニッカも、少しずつ売れ行きを伸ばしていく。
しかし、政孝は理想を追求して止むところがない。グレーンウイスキーを蒸溜するカフェスチルの導入(昭和37(1962)年)。余市とは違ったタイプの原酒を造る仙台・宮城峡蒸溜所の建設(昭和44(1969)年)。異なった風土で育まれた原酒をブレンドすることで、ウイスキーはより芳醇な香りを湛える。ブレンドされたウイスキーは、再貯蔵=マリッジによって一体化し、バランスの取れた味わいとなる。再貯蔵のための栃木工場も、昭和52(1977)年に完成した。

スーパーニッカのニッカウヰスキー製品中での位置づけ:
スーパーニッカは、現行のラインナップの中で唯一、創業者である竹鶴政孝がブレンドしたウイスキーで、当時最高級のプレミアムウイスキーとして発売された。創業者にとっては究極の酒であったろうと、当時を知る人が証言している。現在のスーパーニッカは、創業者がブレンドした当初のものとは位置付けは異なるが、その精神は脈々と受け継がれている。
現在のスーパーニッカは、余市と宮城峡それぞれのモルトと、カフェグレーンの三種類の原酒をブレンドする点では、従来品と変わりない。ウイスキーの嗜好は時代とともに変化するので、現代の嗜好に合う様に、従来のスモーキーフレーバー(ピート香)を柔らかくし、新たに余市新樽のモルトを使用した。
ウイスキーの貯蔵には新樽のほか、旧樽や、シェリー樽やバーボン樽など、さまざまな樽が使われる。樽は単なる容器ではなく、熟成のためのゆりかごの役割を果たす。樽の種類によって原酒の個性が異なってくる。

ボトルの話し:
「ウイスキーが熟成するまでに何年もかかる。これは娘が大きくなれば嫁にやるのと一緒なのだから、立派な衣装を着せてやりたい」。
最高のウイスキーには最高のボトルを。竹鶴政孝は、夢と理想を追った酒、スーパーニッカのボトル製作を、以前から付き合いのあった各務(かがみ)クリスタルに依頼している。
各務クリスタルは昭和9(1934)年、ニッカウヰスキーと同年に創立されたガラス工房である。創業者の各務鉱三は青年時代、ドイツに渡ってガラス工芸を学んでいる。政孝がスコットランドから帰国し、日本でウイスキーづくりを始めた頃である。ヨーロッパ体験が二人を意気投合させたのか、政孝とはしばしば酒を酌み交わしたという。昭和30(1955)年にはゴールドニッカのボトルを製作してもいる。
昭和37(1962)年、念願のスーパーニッカが完成し、これを収める容器を探していた政孝は、あるとき各務クリスタルを訪れて、一本のボトルに目を留めた。
「パッと見るなり“これがいい”と、抱きしめて離さなかった」。各務の片腕として活躍していたガラス工芸作家、佐藤潤四郎は、かつてそう語っている。溶けたガラスに吹き竿を使って息を吹き込み、一本ずつ手で完成させる手吹きのボトル。すらりと伸びた首と柔らかにふくらんだボディ、容量もぴったり合っていた。
難点は手づくりゆえに量産できないこと。高価でもあった。2級ウイスキーが300円台で買えた時代、ボトルの原価だけで500円したというのだから、容器というよりひとつの工芸品といえた。手吹きゆえ口径が一本一本異なり、これまた手で作られたガラス栓とは、ひとつずつ擦り合わせる必要があった。ボトルと栓、それぞれに番号がふられ、これが合致しないとぴたりと閉まらなかった。やがて、機械によるボトル製造技術が発達し、スーパーニッカのボトルも手吹きから機械吹きへと置き換わる。しかし、鶴を思わせる優美な姿は変わらなかった。
このボトルのデザインについて問われた佐藤は、こう答えたという。
「だいたい壜(びん)というのは、放っといてもああいう形になるんですよ」。
ガラスに吹き竿で息を吹き込めば自然な球形が生まれる。そこから注ぎ口を長く伸ばせばスーパーニッカのボトルになる。

現行のボトルデザインは、平成21(2009)年に加納デザイン事務所の代表で、デザイナーの加納守康デザインのボトルにリニューアルされた。

現行製品ラインナップ:
 スーパーニッカ 700mlびん(アルコール度数43%)・・オープン価格
 スーパーニッカ50mlびん(アルコール度数43%)・・オープン価格
 スーパーニッカ&ウォーター 300mlびん(アルコール度数12%)・・オープン価格
 スーパーニッカ&ウォーター 250ml缶(アルコール度数9%)・・オープン価格

(以上、記事内容 NIKKA WHISKY ホームページから)
(右側のボトルは、北海道余市蒸溜所で購入)
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by fbox12 | 2015-03-24 19:04 | コレクション

99 小田急多摩センター(おだきゅうたませんたー)駅 (小田急・多摩線)

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a0057057_19301959.pnga0057057_19303356.png

所在地:東京都多摩市落合一丁目11-1
所属路線:小田急電鉄株式会社・多摩線
駅番号:OT06

多摩センター駅は、京王、小田急、多摩都市モノレール3社の駅が近接していて相互の乗換駅となっているが、事業者によって以下のように正式名称が異なっている。

京王電鉄相模原線 - 京王多摩センター(けいおうたませんたー)
小田急電鉄多摩線 - 小田急多摩センター(おだきゅうたませんたー)
多摩都市モノレール - 多摩センター(たませんたー)

歴史:
多摩センター駅南側の一帯は多摩ニュータウンの中心として、また周辺地域も含めた広範囲のエリアに高次な都市機能を提供するための「都市センター」となっている。多摩ニュータウン開発にともない京王帝都電鉄(当時)と小田急電鉄の両社が新線の事業工事認可を取得し、2路線が同駅に乗り入れることになった。
開発以前における駅の設置箇所周辺は南多摩郡多摩村大字落合に属し、下落合、山王下、中沢、中組といった小字の丘陵地谷戸部に集落が点在する純農村だった所である。その谷戸部に沿って多摩川に注ぐ乞田川が大きく蛇行して流れていたが、この小川を水捌けの大きい直線状に改修し、同時に並行する幹線道路を新設して、元来起伏があった地形に所要の広さの平地を造成・区画整理した中で、標高の低い場所に両駅の建設地を見い出した。
両線の開通時期は、東隣の永山駅周辺の諏訪・永山地区におけるニュータウン第一次入居が始まる昭和46(1971)年に照準が合わせられていたが、新線工事は諸般の事情で大幅に遅れることとなった。途中の永山駅までは昭和49(1974)年6月に小田急が先行開通することになったが、逆に多摩センター駅までは小田急の工事が約1年遅れ、京王の方が同年10月に開業することとなった。
一方、平成12(2000)年に同駅へ乗り入れた多摩都市モノレールは、当地が東京圏の広域的な連携・交流の拠点として「東京構想2000」の中で《核都市》の心に位置付けられているため、多摩地域の南北間の円滑なアクセスを担う新しい公共交通機関として開通した(多摩都市モノレールは、立川駅の北、上北台(武蔵村山市)を起点として、当駅が終点)。

年表:
昭和50(1975)4月23日 - 小田急多摩線延伸に伴い小田急多摩センター駅開業。各停の停車駅となる。
平成12(2000)年12月2日 - 小田急多摩線にて特急ロマンスカー「ホームウェイ」と急行の運行が開始される(以下を含め、全て停車駅となる)。
平成14(2002)年3月23日 - 小田急多摩線にて多摩急行の運行が開始される。
平成16(2004)年12月11日 - 小田急多摩線にて区間準急の運行が開始される。
平成17(2005)年5月 - 小田急多摩センター駅のリニューアル工事実施。 - 平成18(2006)年3月竣工。
平成20(2008)年3月15日 - 小田急多摩線にて特急ロマンスカー「メトロホームウェイ」の運行が開始される。

駅名の由来:
駅南側が多摩ニュータウンの「都市センター」地区として位置付けられ、複合した都市機能を有する商業、業務、文化的中心地であることから「多摩センター」となる。“多摩センター”と称する機関や施設がある訳ではない。計画段階の仮称「多摩中央(たまちゅうおう)」とも関係している。
駅名は同一場所に位置する場合、同一名称にするのが一般的であるが、京王および小田急は同時期に開業した永山駅と同様に両線が同じ新宿駅を起点とするため、乗客の誤乗車と不正乗車を防止する目的から、あえて会社名を冠した「京王多摩センター駅」および「小田急多摩センター駅」として明確に区別することとなった(永山駅も同じ事情で、社名を冠している)。また、多摩都市モノレールに関しては自動改札機が普及したことにより前述の心配が不要となり、単なる「多摩センター駅」となっている。
これら3駅および地域は、利用者や住民に「多摩セン」および「タマセン」の愛称で呼ばれることもあり、鉄道事業者側も京王多摩センターSCのオープン時の広告のキャッチコピーに使用している。
なお、京王および小田急の駅建設計画時の仮称は「多摩中央」であった。開業前、車両の行先表示装置内に「多摩中央」の表示を用意していた事実があるほか、名称に「多摩中央駅」を含む施設も僅かながら存在する。

駅構造:
京王・小田急多摩センター駅は双方が別々の3層のコンクリートラーメン高架橋構造の建造物で、3層目にプラットホーム、2層目に駅舎と店舗があり、並行に隣接して配置され、ほぼ一体化して建っている。また、2層目のコンコースは南側で歩車分離をした街づくりの基軸となるペデストリアンデッキとバスターミナルに直結し、1層目の階下は店舗とタクシー乗り場、駐車場などに利用されている。京王の中央口改札と小田急の西口改札は同一通路上にあり、京王⇔小田急間の乗り換えは永山駅とともに便利である。
一方、多摩都市モノレールの多摩センター駅は「都道町田・日野線」の上空に建造されているため、京王・小田急の両駅とは約200m程離れており、ペデストリアンデッキで接続されている。もともと暫定で建っていた建物を解体した跡地に連絡通路を建設したため、屋根があるのは新設された部分の数十mだけで、将来の建物建設予定地の部分には屋根がない。雨天時にはペデストリアンデッキ下のバスターミナルを経由すれば、屋根のない部分の距離は少なくなるが、上下の移動を要する階段がある。

小田急多摩センター駅は、島式ホーム2面2線を有する高架駅。元来は島式ホーム2面4線の構造であるが、開業当初は副本線には軌道は設置されておらず、2面2線のみ使用していた。その後、車両留置線の確保のために昭和60(1985)年3月10日より上下線とも副本線の使用を開始し、2面4線の構内配線となった。また、延長線上も引き上げ線として整備され、長い間列車の発着や回送列車の留置などにも使われていた。
a0057057_20392937.pngその後、平成2(1990)年に多摩ニュータウン唐木田地区の入居開始に合わせ、多摩線は唐木田駅まで延長され当駅は終点で無くなると同時に、唐木田駅に車両基地が新設されたため、当駅西方の渡り線や副本線であった側線の必要性が薄弱となり、平成18(2006)年5月頃から省メンテナンスの目的から使用中止、同年5月19日、20日にそれぞれ1・4番ホーム側が閉鎖され、7月までにホーム片面に安全柵(右写真)が設置された。そして平成19(2007)年2月に1・4番ホームへ至る線路が本線(2・3番ホーム)と完全に分断されポイントが撤去され、同年9月2日には従来の2番ホームが1番ホーム、3番ホームが2番ホームとなり、「停車場」から「停留場」扱いになったのを機に信号の取り扱いも変更され、進入する電車は速度を落とさなくなった。なお、閉鎖された副本線側ホームの線路は残っている。同時に信号所も閉鎖された(右写真:線路は錆ている)。
リニューアル工事後は、先の京王と同様に東口が新設されるとともにエスカレーターやエレベーターが設置された。また、駅高架建物南面の風防壁がガラススクリーンに改装されている。
平成20(2008)年度末から、改札ラッチ内とプラットホームで乗客案内用の発車標の使用が開始されている。
各駅の案内サイン等で使用される当駅名のローマ字表記は時期によって異なり、「Odakyu-Tama-Center」「Odakyu Tama-Center」「Odakyu Tama Center」(最新)のいずれかとなっている。
なお小田急多摩線は、JR相模原駅を経由して上溝駅に至るルートが運輸政策委員会の「今後、整備について検討すべき路線」とされ、相模原市が延伸の促進を重点プロジェクトに位置付けている。

のりば:
1番ホーム 多摩線下り唐木田方面
2番ホーム 多摩線上り新百合ヶ丘・新宿・千代田線・小田原・片瀬江ノ島方面

(以上、記事内容 Wikipedia:平成27年2月27日更新から)
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by fbox12 | 2015-03-23 19:30 | 鉄道・バス

リケンのノンオイル 青じそ

a0057057_18495153.pngミニチュアボトルコレクション92

種類:ドレッシングオイル
用途:携帯用ボトル(非売品)
原材料(ノンオイル 青じそ):しょうゆ、醸造酢、糖類(果糖ぶどう糖液糖、水あめ、砂糖、ぶどう糖)、酒精、たん白加水分解物、梅肉、調味料(アミノ酸等)、小麦たん白発酵調味料、食塩、りんご、レモン果汁、ほたてエキス、酸味料、かつお節エキス、増粘多糖類、ポークエキス、香料、青じそ、オニオンエキス、しそ水、香辛料抽出物、しそエキス、甘味料(スクラロース)、(原材料の一部に鶏を含む)
容量:20ml(携帯詰め替え用ボトルで、空)
製造所(ノンオイル 青じそ):理研ビタミン株式会社(東京都千代田区三崎町2-9-18 TDCビル 11・12階)
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by fbox12 | 2015-03-22 18:52 | コレクション

98 枇杷島(びわじま)駅(JR東海・東海道本線 / TKJ・城北線)

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所在地:愛知県清須市西枇杷島町七畝割108-13
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道本線 / 株式会社東海交通事業・城北線

歴史:
明治19(1886)年4月1日 - 官設鉄道(のちの国鉄→JR)が熱田駅から延伸した際の終着である清洲駅(初代)として、現在地からやや離れたところに開業。
 5月1日 - 官設鉄道が当駅から一ノ宮駅(現、尾張一宮駅)まで延伸し、途中駅となる。
明治24(1891)年10月28日 - 濃尾地震により駅本屋が全壊する。
明治28(1895)年4月1日 - 線路名称が制定され、東海道線(明治42(1909)年に東海道本線に改称)の所属となる。
明治39(1906)年4月16日 - 移転し、枇杷島駅に改称する。
昭和55(1980)年10月1日 - 専用線発着を除く貨物の取扱を廃止する。
昭和60(1985)年3月14日 - 荷物の取扱を廃止する。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)と日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
平成5(1993)年3月18日 - 東海交通事業 (TKJ:株式会社東海交通事業··JR東海の100%子会社) 城北線が尾張星の宮駅から延伸し、当駅に乗り入れる。
平成7(1995)年12月1日 - 大阪セメント専用線が廃止される。(大阪セメントのセメント包装所への専用線があり、セメント輸送貨物列車が到着していた)。
平成18(2006)年4月1日 - JR貨物の駅が廃止され、貨物の取扱いが名実ともに終了する。
 11月25日 - IC乗車券「TOICA」のサービス開始に伴い、当駅における供用を開始する。
平成20(2008)年12月13日 - 橋上駅舎の供用を開始する。これに伴い駅の東側にも出入口が設置される。

駅構造:
a0057057_2013377.png島式ホーム2面4線を持つ地上駅である。2社の共同使用駅であり、改札を共用している。TKJ城北線用の短いホームは、名古屋駅と稲沢駅を結ぶJR東海の貨物線「稲沢線」の本線上に設けられていることから、貨物列車の運転状況によって発着番線が変わる。また、構内北側の稲沢線から、東海道新幹線の高架の下を潜る保線車両留置線が分岐している(2番線に停車中の城北線キハ11形)。
平成20(2008)年12月に橋上駅舎が完成し、東西自由通路が設置され、駅の東側に駅前広場が新設された。また、平成21(2009)年3月に駅西側の駅前広場が整備された。なお、かつての地上駅舎は、駅の西側を通るJR東海東海道新幹線の高架下に設置されていた。
駅設備はJR東海が保有し、同社の名古屋駅の管理下でTKJに業務委託されており、実際の業務はTKJ社員が行っている(JRの駅としては業務委託駅)。TKJ直営の出札口は持たず、JR東海のみどりの窓口があり、両社線の乗車券類を扱う。他に自動券売機、TOICAチャージ機、自動改札機などが設置されている。

のりば:
1・2番線 TKJ城北線勝川方面
3番線 JR東海道本線下り岐阜・大垣方面
4番線 JR東海道本線上り名古屋・岡崎方面

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線路下にいくつかある煉瓦造りのトンネル。地上駅時代(左写真)東側への通路だった(高さ170cm位)。

(以上、記事内容 Wikipedia:平成27年1月7日更新から)
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by fbox12 | 2015-03-21 20:02 | 鉄道・バス

清酒 神聖(しんせい)

a0057057_17153745.pngミニチュアボトルコレクション 159

酒類:(酒税法上)醸造酒類(清酒)
酒類通称:日本酒(旧、清酒一級)
原材料:米麹
度数:15.5度以上16.5度以下
容量:50ml
製造所:株式会社山本本家(京都市伏見区上油掛町36-1)T910

製造元の山本本家は、延宝五(1677)年に伏見七ツ井のひとつ、白菊井の湧く現在地にて創業した。
当主は代々源兵衛を名のり現在十一代目に至っている。
慶応四(1868)年1月3日夜半勃発した鳥羽伏見の戦いにより、伏見の町は甚大な被害を被り、焼き払いの火のために、山本本家も全焼の憂き目をみる。現在ある本社社屋は同年に再建したものである。
伏見は内陸に位置しており、商品の運搬は専ら濠川、高瀬川などの水運を利用していたため、現在のように灘に次ぐ銘醸地として知られるようになったのは明治以降の鉄道や車の台頭による運搬方法が発展してからで、大正元(1926)年(注、原文のままであるが、大正元年は1912年7月30日からで、1926年は12月25日までが大正15年、25日から31日までが昭和元年である)から東京の問屋と直接取引を開始。関東方面で「神聖」の販路を拡大した(「神聖」は一級酒で、同社の二級酒は「明けごころ」)。
八代目源兵衛は、後に自ら道興と名を改め、茶道・和歌に身を投じた風流人で、文化人富岡鐵斎とも懇意にしていたことから、九代目源兵衛の結婚の折りに、それを祝して鐵斎より「神聖」の毛筆文字を贈られ、現在の「神聖」のラベルに使用している。
昭和37(1962)年、人気喜劇俳優の伴淳三郎を起用したテレビCMで、「かあちゃん、いっぱい、やっか」というフレーズが印象的で、全国的に「神聖」ブームを呼び起こした。

このボトルは、日本酒一升瓶型には珍しく50ml入りのもので、飲み比べや、飲み切りサイズの100mlより小さいサイズ。実は、酒店のディスプレイ用(当時の一級酒)である(中身は、本物)。

現在、「神聖」には、「特撰神聖」、「上撰本醸造神聖」、「神聖純米吟醸」、「濃醇神聖」、「金印神聖からくち」、「金印神聖」、「神聖生貯蔵酒」、「神聖純米酒」などがある。

(以上、記事内容 山本本家HPから)
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by fbox12 | 2015-03-20 17:15 | コレクション

97 稲沢(いなざわ)駅

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所在地:愛知県稲沢市駅前一丁目9-1
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道本線/ 日本貨物鉄道株式会社・東海道本線

概要:
旅客営業を行うJR東海と貨物営業を行うJR貨物が使用し、旅客列車が停車する旅客駅としての側面と、貨物列車の運行拠点たる貨物駅としての側面を併せ持つ駅である。東京駅と神戸駅を結ぶ東海道本線の中間駅の一つであるが、今日では両駅へ向かう旅客列車は停車せず、名古屋駅方面と岐阜駅方面を結ぶ普通列車が主に当駅に停車している。この東海道本線は、東海地方ではJR東海が施設を保有して旅客列車を運行し(このような事業者を第一種鉄道事業者という)、JR貨物が施設を借りて貨物列車を運行する(同様に第二種鉄道事業者という)、という体制をとる。
開業は、明治末期の37(1904)年のことである。昭和62(1987)年の国鉄分割民営化で、開業時から続いた国鉄の単独運営から、現在のようなJR東海・JR貨物の2社が運営する形態に移行している。また大正時代には「日本三大操車場」に数えられる稲沢操車場が構内に建設され、貨車を整理する拠点の一つとなったが、これは輸送方式の転換によって民営化前に廃止された。
駅は、名古屋市近郊の都市、稲沢市の東部に位置する。豊橋から名古屋、岐阜の間にはJRの東海道本線に並行して名古屋鉄道(名鉄)の名古屋本線が通っているが、この路線にある国府宮駅の方が当駅よりも市の中心部にあり、乗車客も国府宮駅には及ばない。

歴史:
年表
明治37(1904)年8月5日 - 逓信省外局鐵道作業局(後の国鉄)の駅として開業。
明治40(1907)年4月18日 - 旧清洲駅から当駅を経て木曽川駅まで至る区間が複線化。
大正14(1925)年1月16日 - 稲沢操車場開業。名古屋駅から当駅までの間に稲沢線(単線)を敷設。
昭和18(1943)年9月 - 稲沢線が複線化され、名古屋駅から当駅までは複々線となる。
昭和28(1953)年3月 - 二代目の駅舎に改築
 11月11日 - 名古屋駅から当駅までの旅客線を電化。
昭和30(1955)年7月20日 - 当駅から米原駅までを電化。
昭和40(1965)年5月15日 - 駅前広場が完成。
昭和44(1969)年10月1日 - 荷物の配達の取り扱いを廃止。
昭和59(1984)年2月1日 - 荷物の取り扱いを廃止。
昭和61(1986)年11月 - 稲沢操車場廃止。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東海及びJR貨物が継承。
平成10(1998)年3月30日 - 稲沢線電化。
平成12(2000)年4月22日 - 橋上駅舎と自由通路が完成(上写真)。
平成15(2003)年4月7日 - 東口の駅前広場が完成。
平成18(2006)年11月25日 - TOICAの利用が可能となる。

開業の経緯:
『新修稲沢市史』によれば、稲沢駅新設の経緯は以下のとおりである。
明治19(1886)年5月1日、初代清洲駅から一ノ宮駅(現、尾張一宮駅)に至る現在の東海道本線の一部にあたる区間が開業した。この時、この区間には途中駅が設置されなかった。稲沢市の前身にあたる稲沢町や下津村では旅客や貨物の需要が見込めることから、路線開業の翌20(1887)年よりこの区間への駅新設に向けた請願を行った。しかし、清洲駅および一ノ宮駅から近く、かつ、地形が平坦で交通の便が悪いとはいえない、と判断されて実現しなかった。
東海道線の複線化が進むと、五条川への架橋により清洲駅前後が急勾配となり、蒸気機関車の発車に障害をきたしているため、清洲駅が移転するのではないかと考えられた(実際に明治39(1906)年に移転し、枇杷島駅へ改称する)。同駅が名古屋駅方面へ移転すると駅間距離が伸びるため、近隣駅に近いため駅を設置しない、という考えが変わるのでないか、と考えられ再び請願が行われた。この請願は認可され、下津村、山形村(現、稲沢市)長野に駅が新設される運びとなった。用地買収は稲沢町と下津村が共同で担当。駅の建設中に下津村側が駅名を「下津駅」とするよう求めたが、結局駅名は稲沢駅に落ち着いた。そして明治37(1904)年に稲沢駅は、1面2線のホームと駅舎、それらを結ぶ跨線橋が完成して開業した。

名鉄国府宮駅の影響:
稲沢駅西方にある名鉄国府宮駅の開業は、稲沢駅よりも20年遅い大正13(1924)年2月のことである。当時は国府宮と一宮を結ぶ区間のみが開通していただけであったが、昭和3(1928)年4月に南方に線路が伸び名古屋市内への直通運転を開始した。当時の東海道本線は長距離優先のダイヤ設定で、短距離では名鉄のほうが利便性が良かったため、稲沢駅の乗客は次第に減少。昭和5(1930)年以降、稲沢駅と国府宮駅の乗降客数は逆転し、国府宮駅の方が上回ることになる。
第二次世界大戦後、国鉄が長距離列車を中心に復興を進める一方で、名鉄は名古屋方面への近距離客の利便性を確保したダイヤを設定したため、稲沢駅と国府宮駅の乗降客の差は2倍近くに広がった。また、稲沢駅では定期券利用客を中心となったが、国府宮駅では定期券利用客のみならず一般利用客も増加していった。

営業範囲の変遷:
開業当初の稲沢駅は、一般駅と呼ばれる旅客、荷物、貨物の3種類を取り扱う駅であった。現在では旅客、貨物営業が継続され、荷物営業は廃止されている。
荷物は、宅配便に相当する「小荷物」と、旅客の荷物を扱う「手荷物」があったが、稲沢駅ではその両方を取り扱っていた。基本的に荷物は配達も実施されていたが、昭和44(1969)年10月に取り扱いが廃止された。荷物の取り扱いそのものも、国鉄荷物輸送の原則廃止(昭和61(1986)年11月)に先立つ59(1984)年2月に廃止された。
一方貨物は、種別が「コンテナ貨物」と「車扱貨物」の2つに分類された昭和49(1974)年10月の制度改定以降、車扱貨物のみを取り扱っている。

駅構造:
稲沢駅は全長5.85km、最大幅160m、敷地面積21万6千m²の構内を持つが、大半を貨物列車向けの施設が占め、旅客列車用の施設は、稲沢市駅前一丁目を中心とする地域にあるのみである。以下、旅客用の施設と貨物用の施設を分けて記述する。どちらも地上に施設がある地上駅という形態である。
なお、名古屋駅と稲沢駅の区間は、線路が4本敷設されている(複々線区間)。西側の2線は旅客列車が常用する路線(以下「旅客線」)、東側の2線は貨物列車が原則使用する路線(通称「稲沢線」)である。稲沢線は当駅が起終点で旅客線に合流(分岐)するが、その場所は構内の北側にあたる。稲沢線下り線は旅客線の上下線を跨いだ後駅ホームより2kmほど北側で下り線に合流し、稲沢線上り線は駅ホームより3.5kmほど北側で旅客線の上り線から分岐する。

旅客駅
旅客駅にあるホームは1面のみで、その両側を旅客線の上下線計2線が囲む島式ホームという形式をとる。ホーム西側の下り線側が1番線、その逆側(東側)の上り線側が2番線である。1番線には岐阜・大垣方面行きの下り列車が、2番線には名古屋方面行きの上り列車が停車する。
駅舎は、ホームの上階部分に建設された橋上駅舎で、併設された東西自由通路(跨線橋)で東口および西口(上写真)に繋がる。平成12(2000)年に、構内西側にあった地上駅舎から建て替えられた。ドーム状の膜屋根を特徴とする駅舎(上写真白い部分)で、JR東海によれば、稲沢市の姉妹都市であるギリシャ・オリンピア市からイメージされる「丘」をキーワードとしたデザインだという。みどりの窓口(一部、業務を休止する時間帯あり)および自動券売機、自動改札機設置駅。バリアフリー関連の設備では、改札内に多機能トイレ(車椅子及びオストメイト対応ベビーシート備付トイレ)があり、駅舎とホームの間にエレベーター、エスカレーターが、東西自由通路の東西両口にエレベーターがある。また、キヨスクが構内の改札前で営業している。
有人駅で駅員の配置がある。ただし、JR東海の直営ではなく、子会社の東海交通事業の駅員が配置されている業務委託駅である。駅長配置駅(直営駅)の尾張一宮駅の管理下にある。

貨物駅
貨物列車が用いる施設は、一部例外があるものの、おおむね稲沢線の上下線に囲まれた場所にある。貨物用の施設が広い構内の多くを占める。
貨物列車が到着・発車に使用する着発線・出発線は、旅客駅と南の清洲駅のほぼ中間に位置する。着発線・出発線群の北側から旅客ホームにかけては留置線が広がり、車両基地の愛知機関区(旧、稲沢第一・第二機関区)の施設も留置線群の一角にある(タイトル写真)。JR貨物の事務室は構内東側でJR東海の駅舎とは独立しており、駅長も配置されている。また、旅客駅西側にはJR貨物の東海支社が建つ。乗務員の交代は基本的に貨物の着発線で行われるが、旅客線を通る夜間の列車には旅客ホームで交代する場合がある。
当駅に接続する専用線は、昭和58(1983)年時点では昭和石油と住友セメント(後の住友大阪セメント)のものがあった。住友大阪セメントの専用線は機関区の近くから同社稲沢サービスステーションへと続いており、本巣駅や近江長岡駅よりセメント輸送列車が到着していたが、平成14(2002)年9月をもって廃止された。

バス路線:
名鉄国府宮駅からは名鉄バスの路線バスの運行があるが、稲沢駅前を発着するバスは稲沢市が運営するコミュニティバス(稲沢市コミュニティバス)のみである。稲沢駅の西口前を発着する。

(以上、記事内容 Wikipedia:平成27年1月7日更新から)
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by fbox12 | 2015-03-19 20:00 | 鉄道・バス