fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

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清酒 大関

a0057057_2022087.pngミニチュアボトルコレクション 3

酒類:(酒税法上)醸造酒類
酒類通称:清酒
原材料:米・米麹・醸造アルコール
度数:15度以上16度未満
容量:100ml
製造所:大関酒造株式会社(現、大関株式会社:兵庫県西宮市今津出在家町)
蔵出:昭和54(1979)年2月23日
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by fbox12 | 2015-02-26 20:22 | コレクション

薩摩芋焼酎「さつま黒五代」

a0057057_2018018.pngミニチュアボトルコレクション 301
酒類:(酒税法上)単式蒸留しょうちゅう(旧、焼酎乙類)
酒類通称:芋焼酎
原材料:さつま芋・米麹
度数:25度
容量:100ml
製造所:山元酒造株式会社(鹿児島県薩摩川内市五代町)
ビン詰め:

赤ラベルの「さつま赤五代」は、鹿児島県産の「紅あづま」「頴娃紫(えいむらさき)」を使用した地域限定商品
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by fbox12 | 2015-02-26 20:18 | コレクション

88 後閑(ごかん)駅 (JR東日本・上越線)

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a0057057_19592428.pnga0057057_2032079.png
a0057057_20164087.png

所在地:群馬県利根郡みなかみ町後閑1237
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・上越線

a0057057_20171336.png駅周辺はみなかみ町の中心部である。駅前広場を抜けた先の群馬県道61号沼田水上線は交通量が多く、この道に沿って商店などが立ち並んでいる。駅の西100mほどのところには、後閑駅前簡易郵便局(右写真)がある。駅の南西すぐのところにはみなかみ町役場がある。これはかつての月夜野町役場で、平成17(2005)年10月1日、月夜野町・水上町・新治村の合併でみなかみ町が成立したことにより、みなかみ町の役場となったものである(後閑駅前簡易郵便局には、簡易局ながら役場が近いこともあってATMが設置されている)。
駅付近では上越線とほぼ並行する形で関越自動車道が走っており、駅の東約1kmのところには、月夜野インターチェンジが設けられている。
みなかみ町月夜野は、当駅とは利根川の対岸である。
その対岸の当駅から北西およそ2kmの地点には上越新幹線の上毛高原駅がある。上毛高原駅の営業キロ数は当駅のものを準用しており、乗車券は一部のいわゆるトクトクきっぷを除き上毛高原駅と選択乗車が可能となっている。また、駅前広場のバス発着場の隅にはバスの方向転換用の転車台(タイトル右)がある。

歴史:
大正15(1926)年11月20日 - 上越南線が沼田駅から当駅まで延伸したことに伴い開業。
昭和3(1928)年10月30日 - 上越南線が当駅から水上駅まで延伸。中間駅となる。
昭和6(1931)年9月1日 - 水上駅から越後湯沢駅までの開通により、高崎駅から宮内駅までが全通、当駅を含む同区間が上越線とされる。
昭和36(1961)年 - 駅舎を改築。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄の分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる。
平成21(2009)年3月14日 - ICカードSuicaの利用を開始。

駅構造:
標高約378mに位置する。駅舎に接して単式ホーム1面1線、その奥に島式ホーム1面2線とあわせて2面3線をもつ地上駅で、2つのホームは駅舎の沼田寄りにある屋根つきの跨線橋で結ばれている。線路はほぼ南東から北西に走り、駅舎は線路の南西側にある。のりばは駅舎側からそれぞれ1番、2番、3番線で、2番線は上越新幹線開業後は使用されておらず、ホームには柵が設けられている。当駅はその他側線を2本もっており、これらはいずれも3番線の北東側にある。1本は駅の上牧方で本線から分岐しホームの沼田方で再び合流するもの、もう1本は1本目の側線から上牧方で分岐して沼田方に進み、駅の構内中ほどで再び1本目の側線に合流するものとなっている。
改築された駅舎はコンクリート造りの建物で、大きな切妻屋根が特徴的である。外部から見て左側が駅務室、右側が独立した待合室となっており、間にコンコースがある。
直営駅(水上駅の被管理駅)で、みどりの窓口(営業時間 6:00-20:00)設置駅となっている。その他自動券売機2台、簡易Suica改札機が設置されている。

バス路線:(運行会社:関越交通)
a0057057_20301987.png鎌田線
 沼田駅、鎌田、鳩待峠バス連絡所経由 大清水行き・・冬期運休
 沼田駅、鎌田、鳩待峠バス連絡所経由 戸倉スキー場行き
  ・・冬季運転
 沼田駅、鎌田 鳩待峠バス連絡所行き

a0057057_2031519.png





猿ヶ京線
 沼田駅 沼田市保健福祉センター前行き
猿ヶ京線
 上毛高原駅、湯宿温泉、猿ヶ京温泉経由 猿ヶ京行き
鎌田線
 上毛高原駅行き
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a0057057_2031522.pngみなかみシャトルバス 温泉ぶらり号(現在の運行状況不詳:元来が7月1日~11月25日の間の運行)

a0057057_19511026.pngかつて、当駅前に静態保存されていた蒸気機関車D51 498は現在、JR東日本の観光列車を牽引している。
横浜博覧会開催の目玉として蒸気機関車を復活、運用させることになった。もっとも保存状況の良い静態保存機を捜した結果、このD51 498と交通博物館に展示されていたC57 135の状況が良好と判明し、「蒸気機関車といえばデゴイチだろう」という理由でD51 498が選定された。その後オリエント急行牽引の大役を務め、現在はSLみなかみなどのJR東日本のイベント列車の牽引機として活躍中である。
運行回数も多く、臨時列車というよりは上越線の週末の観光列車の感があるが、同車の里帰りの意味が大きいため、SLみなかみは小さな駅にもかかわらず当駅に停車する。
(写真は、渋川駅で撮影)

(以上、記事内容 Wikipedia:平成26年9月8日更新から)
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by fbox12 | 2015-02-25 19:22 | 鉄道・バス

104 NEC PC-9801

私的文化遺産 整理番号104 
a0057057_19323656.jpgNEC PC-9801は、昭和57(1982)年10月にNEC PC-9800シリーズの初代機として発売された(当時のNEC社内での開発コードは「PCX-04」)。CPUに16ビットのNEC製μPD8086(Intel 8086互換)5MHz、割り込みコントローラにi8259Aのカスケード接続(IRQ 7に接続)、DMAコントローラにi8237を使用するなど、インテルの8086ファミリチップを採用したため、IBM PCに似た構成となったが、8ビットのXTバスを搭載したIBM PCと異なり、筐体を開けずに抜き差し出来る16ビットのCバスを採用した。幅広く事務用途や工業組込用途に適合するよう、ハードウェア面ではPC-8000/8800シリーズに似たシステム構成を取り、従来のPC-8000/8800シリーズユーザーが取っつきやすいように工夫されていた。内部は8086向けにハードウェアを最適化し、CUI向けに性能を特化させた16ビットパソコンである。この機種はPC-8000/8800シリーズを開発していた「電子デバイス事業グループ」とは別の「情報処理事業グループ」が開発した。
a0057057_2011192.pngまた、高速な日本語表示のためにテキストVRAMを搭載していた(ただし漢字ROMは別売であったため、この初代と後系継のPC-9801Eのみ単体での漢字表示ができない機種でもある)。グラフィック画面解像度は640ドット×400ドット8色、1画面。後のモデルでは2画面となった。テキスト画面・グラフィック画面ともに、ハードウェアによる1ライン単位の縦スクロールおよび16ドット単位の横スクロールが可能だった。このテキスト画面を持つことで、ワープロやエディタなど文字系のソフトウェアを使う場合は、他の機種よりもアドバンテージとなった。初期のワープロソフトでは、このテキスト画面で文字入力し、グラフィック画面で印刷イメージを確認するものがほとんどだった。
これらの高精細かつ高速なグラフィック処理のために、自社製の汎用グラフィックコントローラGDC(Graphic Display Controller:μPD7220)を2個、テキスト用(マスタ動作・CRT同期信号を生成)とグラフィック用(スレーブ動作)にそれぞれ採用した。GDCは直線・円弧などグラフィック図形の描画機能、縦横方向へのスクロール機能を持つ。テキスト画面にはPC-8000シリーズと同様のキャラクタグラフィックモードが実装されるなど、PC-8000シリーズ/PC-8800シリーズとのある程度の互換性が考慮されていた。
その他、PC-8800シリーズのN88-BASICと互換性を持つN88-BASIC(86)を自社開発し、ROMで搭載していた。
a0057057_203282.pngPC-9801のキーボードはμPD8049HCなどのマイコンを内蔵したシリアル接続タイプで、ハードウェア的には直接読み取ることはできなかったが、BASICプログラムの移植性を考慮して、BASIC上からはPC-8800シリーズと同様にI/O命令でキースキャンコードを読み出せるようにエミュレーションされていた。このような点からも、ソフトウェア面でいかにPC-8800シリーズとの互換性確保に腐心していたかをうかがい知ることができる。
初代機以降は、CPUを8MHzに高速化してグラフィック画面を2画面に増強したPC-9801E、PC-9801Eと同様の変更に加えて5インチ2DD(両面倍密度倍トラック)フロッピーディスクドライブを本体に内蔵し、さらにJIS第1水準漢字ROMを標準搭載したPC-9801F(FDD内蔵を強調しての命名)が発売された。
世界初の市販16ビットパソコンはIBM モデル5150(通称「IBM PC」)である。モデル5150がCPUとして採用した8088は内部的には汎用レジスタ長が16ビット、リニアにアクセスできるメモリの最大容量を決定するアドレスバスは20ビット長(=1Mバイト)であるが、8ビットCPU用の周辺チップがそのまま利用できるように、外部バス幅は8ビットとなっていた。対して、PC-9801は当初から8088の上位機種である8086をCPUとして採用、外部バス幅は16ビットとなっており、バスクロックは10MHz、最大転送速度は1MByte/secでモデル5150よりも大幅に高速な転送能力を備えていた。なお、日本初の16ビットCPU搭載ビジネスパソコンとされる三菱電機のMULTI 16も初代機ではCPUは8088を採用しており、IBM初のフルネィティブ16ビットパソコンは80286を搭載した1984年のPC/ATである。また、PC-9801が日本国外に知られるようになった当時、IBM PCの世界ではVGAがまだ充分に普及しておらず、カラーグラフィックで640×400ドットのピクセル数を持つ本機は、かなり先進的なパソコンと評されたこともあるという。企業向けとしてはN5200が同じくNECの「情報処理事業グループ」より発売されており、このN5200と初代PC-9801はハードウェア構成において類似性が大変高かった。

(以上、記事内容 Wikipedia:平成26年12月16日更新から)

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by fbox12 | 2015-02-24 19:50 | PC・ネット

87 渋川(しぶかわ)駅 (JR東日本・上越線)

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a0057057_20182972.pnga0057057_20144297.png

所在地:群馬県渋川市渋川辰巳町1651-4
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・上越線 / 日本貨物鉄道株式会社

a0057057_19552782.png上越線を所属線としており、吾妻線を加えた2路線が乗り入れている。当駅は線路名称上での吾妻線の起点であるが、吾妻線の列車は当駅から上越線に乗り入れ全列車が高崎駅まで直通している。なお、JR貨物は上越線にのみ第二種鉄道事業者として貨物列車を運行している。
(写真は、手前側が1番線(・・タイトル写真:電車が停車中)、115系電車が停車中なのが高崎方面2番線)

a0057057_2012792.png歴史:
大正10(1921)年7月1日 - 国鉄上越南線(後の上越線)新前橋~渋川間開通と同時に開業。一般駅。
大正13(1924)年3月31日 - 上越南線が沼田駅まで開通。
昭和20(1945)年1月2日 - 長野原線(後の吾妻線)が長野原駅まで開業し、貨物営業を開始。
 8月5日 - 長野原線が旅客営業を開始。
昭和59(1984)年2月1日 - コンテナ貨物の取扱を廃止。
昭和60(1985)年3月14日 - 荷物の取扱を廃止。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本・JR貨物の駅となる。
平成2(1990)年3月10日 - コンテナ貨物の取扱を再開。
平成16(2004)年10月16日 - 東京近郊区間拡大によりSuicaの使用が可能になる。
平成17(2005)年8月 - 工業塩・石油輸送終了。
平成18(2006)年3月18日 - 貨物列車の設定廃止。
平成26(2014)年3月31日 - びゅうプラザが閉店
(写真は、3番線)

現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着はない。かつては、旅客ホームの東側に1面1線のコンテナホームや留置線、関東電化工業の石油・化学薬品荷役線などがあった。ホームでは横浜本牧駅発送で関東電化工業渋川工場で使用する工業用塩化ナトリウム(化学薬品の原料となる)を降ろしダンプカーに移し替えていた。しかし同工場で苛性ソーダや塩酸などを生産する電解事業が中止されたため、通称:塩コキ、JR貨物UM30S形コンテナ使用(かつては塩トラ、国鉄トラ70000形貨車使用)と呼ばれた塩の運搬は廃止された。
それ以前は、駅南東にある大同特殊鋼渋川工場や日本カーリット群馬工場へ至る専用線も分岐していた。

バス路線:(写真は、関越交通のバス)
a0057057_20151513.png1番のりば
 渋川温泉・群大荒牧経由 前橋駅行(関越交通)
 田中・上毛大橋・緑が丘町経由 前橋駅行(関越交通)

2番のりば
 高速バス「上州ゆめぐり号」
  練馬駅(練馬区役所)経由新宿駅東口行(JRバス関東)
  ※草津温泉始発
「四万温泉号」
  東京駅八重洲通り経由 東雲車庫行(関越交通)
  ※四万温泉始発
「シルクライナー」
  富山駅・金沢駅東口・京都駅八条口経由大阪OCAT行(日本中央バス)
 富士急ハイランド経由河口湖駅行(関越交通・富士急山梨バス)
 ※期間限定運行
「伊香保・四万温泉号」
 川越駅・上尾駅経由 西上尾車庫行(関越交通)
 ※四万温泉始発、季節運行

3番のりば
 急行 伊香保温泉行・伊香保榛名口行(関越交通)
 渋川スカイランドパーク経由 伊香保温泉行・伊香保榛名口行(関越交通)
 御蔭・渋川スカイランドパーク経由 西群馬病院行(関越交通)
 青葉台団地経由 西群馬病院行(関越交通)
 真壁十字路行(日本中央交通)
「渋川タウンバス」八木原駅経由 渋川温泉スカイテルメ行(日本中央交通)
「渋川タウンバス」渋川スカイランドパーク経由 はるな平和墓苑行(日本中央交通)
 水沢経由 伊香保案内所行(群馬バス)

4番のりば
 赤城総合支所・敷島駅・ヘルシーパル赤城経由 深山行(関越交通)
 勝保沢(あかぎ育成園)行(関越交通)
 南柏木行(関越交通)
 渋川温泉行(関越交通)
 群馬温泉・北高崎駅経由 高崎駅行(関越交通)
 箕郷営業所行(群馬バス)

5番のりば
 小野上駅経由 小野上温泉センター行(関越交通)
 金島駅経由 神田原集会所行(関越交通)
 上野入口行(上野入口にて沼田市内方面接続)(関越交通)
 金島駅・祖母島駅入口経由 伊香保口行(関越交通)
 渋川市内循環(関越交通)

(以上、記事内容 Wikipedia:平成26年10月6日更新から)
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by fbox12 | 2015-02-23 20:15 | 鉄道・バス

ワフ25000形貨車

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ワフ25000形貨車は、かつて日本国有鉄道(国鉄)およびその前身である鐵道省等に在籍した有蓋緩急貨車である。

昭和13(1938)年から昭和17(1942)年にかけて日本車輌製造にて910両(ワフ25000 - ワフ25909)が製造された、8t積二軸有蓋緩急車である。
前級ワフ21000形では、車掌室のスペースを多く取ったため貨物室の荷重は2tであったが、国が戦時体制に移行したのに伴い、輸送力増強の必要から車掌室を必要最小限に縮小して貨物室を多く取った設計となった。そのため、ワフ21000形で設けられていた出入台は廃止されている。車掌室の側面には窓1個と片開き戸1枚が、妻面中央には窓が1個設けられている。車掌室の屋根上にはガーランド型通風器が1個設けられている。
車体は鋼製で、貨物室には幅1,500mmの鋼製片引戸が1か所(片側)に設けられている。走り装置の軸ばね吊り受けは(一段)リンク式で、最高運転速度は65km/h、車軸は12t長軸である。貨物室の寸法は、長さ5,010mm、幅2,200mm、高さ2,200mm、床面積11.0m²、容積24.2m³である。全長は7,850mm、全幅は2,640mm、全高は3,710mm、軸距は4,200mm、自重は9.2tで、車軸位置は貨物室側にオフセットしてあり、車掌室側のオーバーハングは1,635mm、貨物室側のオーバーハングは1,215mm(いずれも端梁までの長さ)である。

近代化改造
ワフ25000形は太平洋戦争後もそのまま使用されたが、車掌室設備の適正化を図ったワフ29500形が昭和30(1955)年に登場するにおよび、本形式の執務環境の悪さが問題視されるようになった。そこで、昭和35(1960)年から昭和40(1965)年にかけ、844両に対し国鉄工場でワフ29500形に準じた設備への改善工事を実施した。これにより、車掌室が拡大されてストーブが設置され、出入台も設けられた。そのため、貨物室の荷重は5tに減少した。同時に走り装置も二段リンク式に改造して、最高運転速度は75km/hに向上した。この改造により、形式はワフ35000形に改められた。新車号は原番に10000を加えたものとされ、ワフ35000 - ワフ35909となったが、下記の改造車や戦災廃車を含めて66両分の欠番が生じている。貨物室の長さは3,255mm、床面積は6.8m²、容積は15.0m³、自重は10.0tとなった。昭和42(1967)年以降、電灯設備が整備され、床下に蓄電池箱と車軸発電機が取り付けられた。
この改造に漏れたワフ25000形については、原則廃車となったが、昭和43(1968)年10月1日ダイヤ改正以降は1両が書類上残存し、昭和58(1983)年まで在籍した。ワフ35000形は、他の有蓋緩急車とともに全国で使用されたが、昭和60(1985)年3月14日のダイヤ改正で実施された車掌車の連結廃止によって用途を失い、昭和61(1986)年までに全車廃車となった。

北海道に多く残っていた混合列車において、客車に暖房用蒸気を供給するための暖房車に本形式から
5両が改造されている。これらは昭和26(1951)年3月から翌27(1952)年1月にかけて、苗穂工場で落成した。当初は車掌車(貨車)に分類されヨ7000形(ヨ7000 - ヨ7004)とされたが、車両の管理上問題があることから、トキ900形改造の増備車が登場した昭和27(1952)年3月に客車に類別変更され、ヌ1000形(ヌ1000 - ヌ1004)に、さらに昭和28(1953)年6月1日付けで実施された称号規程改正により、ヌ100形(ヌ100 - ヌ104)に改番された。その後、北海道においても客貨分離や客車へのウェバスト式温気暖房装置の設置が進んだため余剰となり、昭和39(1964)年から41(1966)年にかけて廃車となった。

(以上、記事内容 Wikipedia:平成26年9月1日更新から)


模型:
a0057057_15595750.png車両ファイル№30(仮)
形式:ワフ25000
車号:ワフ25000
製造:河合商会
改造整備:連結器・・SHINKYO連結器(黒)新規
追加整備:カプラーシャンク短縮化

a0057057_16575682.png車両ファイル№33(仮)
形式:ワフ25000
車号:ワフ258750
製造:河合商会
改造整備:連結器・・SHINKYO連結器(黒)新規
追加整備:カプラーシャンク短縮化
ワフ25000と2両セット

連結器は、全くの加工なしにSHINKYO連結器に取り替えが可能だったが、カプラースプリングによりシャンクが出過ぎのため短縮化の追加整備を後日行った。
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by fbox12 | 2015-02-21 16:51 | 鉄道・バス

103 FUJITSU MICRO 7(FM-7)

私的文化遺産 整理番号103
a0057057_18461240.jpgFUJITSU MICRO 7(通称 FM-7)は富士通が発売した8ビットパソコン。
当時、富士通はこのFM-7のヒットにより、シャープ、NECと共にパソコン御三家と呼ばれる様になった。

昭和57(1982)年11月、FM-8の廉価版後継機種として発売された。開発時の名称はFM-8Jr.(ジュニア)。FM-8と一定の互換性があり、アプリケーション、OS(CP/M、FLEX、UCSD Pascal、OS-9)、開発言語、ツール、周辺機器の資産継承が考慮されていた。FM-8を含んで、FM-7/8シリーズと呼ばれ、CPUの高速化等、実質的にはFM-8の性能が向上した後継機にあたる。
モトローラ社のMPU 68B09をメインCPUとグラフィックを独立制御するディスプレイサブシステムへそれぞれ搭載する2CPUのアーキテクチャを採用。FM-8と同様にオプションのZ80カードが搭載可能になっており、CP/Mや、Oh!Xで使われたS-OS"SWORD"など、Z80CPUベースのシステムを動作させることも可能になっていた。このZ80カード用スロットは後にユーザベースで63C09を搭載するのにも使われた。F-BASIC V3.0がROMに搭載されている。漢字ROMカード、フロッピーディスクドライブはオプション。
発売当初のイメージキャラクターはタモリ。キャッチコピーは「青少年は興奮する」。 競合機種と同等のカラー表示にPSGがつき価格が安かったことから、FM-7は一定の普及をみて、富士通をパソコン御三家の地位にまで押し上げた。FM-7に端を発する低価格・高性能という路線はPCユーザ拡大に貢献し、'80年代パソコンブームの原動力となった。
FM-7が販売面で成功したのは本体価格が126,000円という低価格にも関わらず、当時の最新機能を盛り込み1クラス上のPCに匹敵または凌駕する性能を備えていたことにある。同時期の人気機種は、NEC PC-8801(228,000円)、PC-9801(298,000円)、日立 ベーシックマスターレベル3(298,000円、後に価格改定)。学生を中心に人気があった「パピコン」ことNEC PC-6001(89,800円)やコモドールVIC-1001(69,800円)などの初心者PCのユーザー層にも大きな影響を与え、その成功から、FM-7を引き継ぐ形で、後継機が完全上位互換で作られていく形になる。
FM-8から引き続き、広いメモリ領域とVRAM領域の確保と処理速度向上のためにメイン(演算部)、サブ(グラフィック部)に独立した6809を搭載する贅沢なアーキテクチャを採用した。FM-8を祖とするこの設計は、マルチCPUとしてではなく、ホストCPUとグラフィック端末の関係にあり、サブCPUに処理の大きな表示周りの作業をさせることによるメインCPUの負担を軽減することに目的があった。また、このグラフィックスサブシステムの実装では、キャラクターコードをハードウェア的にフォントに展開するテキストVRAMを持たなかったため、ハードウェアによるスクロールが使えない画面モードでは、当時の処理速度と比較して広大なグラフィックVRAMを再描画する必要があり、リスト表示などでのスクロールのもたつきや、カーソルを移動するとその通り道にあったグラフィックも消えてしまうという制限も引き継いでいる。また、リアルタイムゲームが流行すると両システム間の転送容量に制限やタイムラグがあったこと、キーボードのスキャンを専用CPUに任せ、チャタリング除去なども行っているためにBREAK以外のキーでは押下した結果しか認識できず、ユーザの間ではリアルタイムゲーム向きではないとされ、議論になった。前述のとおり、任意のコードの実行を想定して設計されているわけではないサブシステムではあったが、サブシステムモニタ開発時、デバッグ用に実装されたメンテナンスコマンドの利用や、そのノウハウの蓄積、後述する内部技術資料の積極的な公開により、サブシステムで任意のプログラムを実行することで、描画の高速化や、高速にデータを転送するテクニックなどが考案され、ハードウェア的なキー入力の制限を除けば、競合機種と同等のゲームが発売されるようになっていった。
他社と同様、富士通も本体添付品や別売マニュアルという形でBIOS、I/Oアドレス、ファームウェア、システムコマンド等を積極的に公開した。また富士通の支援により、FMシリーズ専門誌『Oh!FM』(日本ソフトバンク、後の『Oh!FM TOWNS』)をはじめとして、技術評論社や工学社などから『活用マニュアル』などと呼ばれる良質なリファレンスマニュアルが多く出版された。またショウルームやサポートセンター経由では、内部技術資料なども必要に応じて比較的簡単に入手できた。
回路設計の問題としては、同等の音源を搭載した他機種に比較して、サウンド出力にデジタル回路からリークしたノイズも多く、音割れも見られた。
昭和60(1985)年、スペインのSECOINSA社という富士通に近い会社よりFM-7が販売されている。

従来機種との互換性:
FM-8との主な共通点
 キーボード一体型筐体。
 メモリマップ、I/Oマップ等の設計。
 サブシステムに関する機能、設計。
  メイン側とは128バイトの共有RAMを通じてコマンドやデータをやりとりする。
  表示画面(640×200ドット、8色。グラフィックスサブシステムによって、テキストもグラフィック画面へ
  描画される)。
   ハードウェアで画面の2ライン単位での縦スクロールが可能。
  キースキャンに専用4ビットマイコンを使用したキーボード。

FM-8との主な差異
 MPUクロックの高速化(メイン1.2MHz→2MHz、サブ1MHz→2MHz)。
  FM-8と同じ速度にするモードもある。
 ソフトウェア制御可能なF-BASIC ROMとRAMのバンク切替機能の追加。
  これはFM-8でROM-BASIC以外のOSを利用するためにDIP-SWにてBASIC ROMを切り離し全メモリ領域をRAM
  として利用するために用意されていた機構がソフトウェア制御にて可能になったもの。データレコーダからソフト
  ウェアをロードする当時のシステムで32KB多くRAM領域を確保できることは非常に有効であり、FM-7専用ゲー
  ムソフトがFM-8で動作しない大きな原因の一つにもなった。
 サウンド機能(PSG3声)、カラーパレット機能、マルチページ機能の追加。
 キーボードのメインCPU側からのBREAKキー以外のキーコード読み取り機能、キーボード割り込み機能を追加。
 拡張スロットを内蔵し、工具を使用せずにオプションカードの増設が可能。
  拡張スロット用カードとして、漢字ROMカード(JIS第一水準のみ搭載)、FDDインタフェースカード、RS-
  232Cカード、Z80 CPUカード、音声合成ボードなどが発売された。
 使用頻度の低いRS-232C、アナログ入力ポート、バブルカセットホルダ等の機能を削除。
  プリンタポート(パラレルポート)に接続するジョイスティックがいくつかのサードパーティーから発売されてい
  た。
  ごく初期にはFM-8互換のアナログ入力ポートを増設して接続するジョイスティックも発売されていた。
  後にFM音源カードが富士通純正のオプションとして発売され、これにはATARI仕様のジョイスティック端子も装
  備していた。
  RS-232Cインタフェース+漢字ROM+辞書ROMを搭載した日本語通信カードも、FM77AVシリーズ末期の時代に
  純正オプションとして発売された。
 キーボード専用マイコンの仕様改善。
 富士通から発売されたMSX規格パソコンであるFM-Xと連携動作を可能とするインタフェイスボードが発売されてい
 た。

基本仕様
 CPU: メイン MBL68B09(入力外部周波数4.9/8MHz切換機能付)、サブ MBL68B09(入力外部周波数4/8MHz切
 換機能付)
 ROM: F-BASIC 32KB、ブートローダ 2KB、サブシステムモニタ 8KB、キャラクタ 2KB
 RAM: メイン64KB(BASICでのフリーエリアは32KB)、サブ5KB、VRAM 48KB
 Text Mode: 80×20/25、40×20/25
 Graphic Mode: 640×200モノクロ3プレーン若しくはカラー1プレーン。パレット機能付き。
 Sound: PSG(AY-3-8910あるいはAY-3-8913などの相当品)
 電源(消費電力): AC100V 50/60Hz(最大70W)
 使用条件: 温度 0~35℃,湿度 20~80%,(ただし結露しない事)
本体添付品
 簡易言語 NEW VIPカセットテープ(表計算ソフト)
 簡易言語 NEW VIP操作マニュアル
 FM-7 ユーザーズマニュアル システム解説書
 FM-7 ユーザーズマニュアル システム仕様書
 FM-7 F-BASIC 文法書
 FM-7 F-BASIC ポケットブック
 FMシリーズ F-BASIC入門
オプション
 本体内蔵オプション
  MB22405 漢字ROMカード(JIS第一水準漢字ROM)
  MB22435 ひらがなROMカード
  MB22407 ミニフロッピィインタフェースカード
  MB28021 Z80カード(5"版 CP/M-80とのセット)
  MB22406 RS-232Cカード
  MB22436 マウスセット
  MB22437 音声合成カード
  MB22459 FM音源カード(YM2203搭載)
  FM77-101 日本語通信カード(RS-232Cインタフェース、JIS第一水準漢字ROM、辞書ROMを搭載)
 外部オプション
  MB26002 I/O拡張ユニット
  MB22439 MIDIアダプタ
 動作する主要OS
  OS-9/6809 Level 1
  FLEX
  CP/M-80(Z80カード使用時)

FM-7シリーズ
他のモデルのように実装機器による商品バリエーションは無いが、後期にリファインされた同等の機種が発売された。
 FM-7 [MB25010](昭和57(1982)年11月発売)126,000円。
 FM-NEW7 [MB25015](昭和59(1984)年5月発売)99,800円。
  FM-7の廉価モデル。ゲートアレイの利用により集積率を上げ、基板のサイズ、レイアウトは大幅に変更された
  他、ROM BASICなどで、バグが修正されている等の違いはあるが、機種としてはほぼ等価である。簡易言語
  NEW VIPの添付がなくなった。初期ロットではフロッピィディスクのステップレートを変更できる新ブートROM
  を搭載していたが、いくつかの市販ソフトが動作しない問題があったためすぐにFM-7のブートROMに戻された。

(以上、記事内容 Wikipedia:平成26年11月29日更新から)
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by fbox12 | 2015-02-20 19:09 | PC・ネット

85 平岡(ひらおか)駅 (JR東海・飯田線)

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a0057057_1654768.png所在地:長野県下伊那郡天龍村平岡1280-4
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・飯田線

平岡駅は、東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の駅である。
特急「伊那路」が停車し、飯田・辰野方面から当駅までの区間列車が設定されている。かつては当駅まで長野・新宿方面から直通列車が運転されていた。
駅舎は、温泉・宿泊施設「ふれあいステーション龍泉閣」が併設されており、売店や地域物販店、地域PRブース、食堂などが入っている(駅舎写真及び右写真)。
また、駅は天龍村の玄関口であり、国道418号により遠山郷(飯田市南信濃)方面へ通じている。

歴史:
昭和11(1936)年4月26日 - 三信鉄道が温田駅から延伸した際の終着である満島(みつしま)駅として開業。一般駅。
 12月30日 - 三信鉄道が小和田駅まで延伸し、途中駅となる。
昭和18(1943)年8月1日 - 三信鉄道線が飯田線の一部として国有化され、国鉄の駅となる。
昭和27(1952)年11月15日 - 平岡駅に改称。
昭和59(1984)年1月16日 - 専用線発着を除く車扱貨物の取扱を廃止。
 1月21日 - 車扱貨物の取扱を全廃(旅客駅となる)。
昭和60(1985)年3月14日 - 鉄道小荷物取扱廃止。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となる。
昭和63(1988)年11月1日 - 夜間無人化。
平成13(2001)年4月2日 - 現駅舎供用開始。
平成24(2012)年4月1日 - みどりの窓口を廃止し、完全無人化。

路線バス:
信南交通バス 平岡~和田
天龍村営バス 平岡~大河内

(以上、記事内容 Wikipedia:平成27年1月11日更新から)
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by fbox12 | 2015-02-16 16:29 | 鉄道・バス

54 神明神社(しんめいじんじゃ) 静岡県駿東郡清水町鎮座

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鎮座地:静岡県駿東郡清水町的場155
御祭神:
御由緒:(ある研究ノートから)
江戸時代。お伊勢参り(お蔭参り)は庶民にまで広まり、生活の本拠地より移動することが困難だった農民層であっても「お伊勢参り」と言えば街道をほぼ自由に行き来が出来るほどであった。
ただ、「一生に一度」といわれるように、人生において一度だけの大イベントであり、誰も彼もおいそれと実施できるものではなかった。
そんな庶民のために、本当の神宮まで行かずとも同じだけのご利益があるように勧進したのが全国に点在する「伊勢」や「神明」の名を含む神社と定義されているが、実際には仏教の台頭や戦乱の世の中で、式年遷宮もままならない神宮を立て直すべく、それまで皇族以外に奉幣を許さなかったものを全国各地への布教活動の一環として最初は武士階級に、そして江戸時代には農民層にまで間口を広げ、新田開発の際に食物神、農業神である豊受大神や天照皇大神を祀る社を創建することを促進させたもので、それが後に地域の鎮守社として今も残っているものである。
社名は、静岡県神社庁登録のもの。手水鉢には「神明宮」と彫られている(右下の写真)。地図などには「伊勢神社」と書かれている。

a0057057_19194644.pngこの神社最寄りの駅・バス停:
静岡県駿東郡清水町(運行事業者:沼津登山東海バス)清水町内循環バス 的場バス停
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by fbox12 | 2015-02-05 19:32 | 神社