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102 NEC PC-8801

私的文化遺産 整理番号102
a0057057_11382223.jpgPC-8801は、1980年代当時日本電気(NEC、後に日本電気ホームエレクトロニクスへ移管)が販売していたパソコン御三家の筆頭格と謳われ、昭和56(1981)年11月から販売されたパーソナルコンピュータPC-8800シリーズの初代機である。販売価格228,000円。

概要:
PC-8800シリーズは、NECの半導体開発部門(電子デバイス事業グループパーソナルコンピュータ事業部)が開発しており、情報処理部門(情報処理事業グループ小型システム事業部)が開発した16ビットパソコンのPC-9800シリーズとは販売戦略が異なっていた。
PC-8801は、NECの8ビットパソコンであるPC-8001(・・私的文化遺産整理番号101)の上位互換機種であり、縦400ライン表示可能なビジネス用途もターゲットとした最上位機種という位置付けであった。I/Oやベーマガなどプログラム投稿雑誌やエニックスの賞金付ゲームコンテストも盛んになり、昭和57(1982)年にPC-9801が発売されたあとはPC-8001のソフトとの両活用でホビーユースに対応した人気機種というポジションにシフトしていった。

歴史:
当初は400ライン表示可能なビジネス機

基本仕様
当時のNEC社内での開発コードは「PCX-02」で、前身となる機種のPC-8001の仕様をほぼ全て継承しつつ、新しい機能を追加する上位互換を実現していた。
以下はPC-8801及び後継機PC-8801mkIIの仕様である。

CPU μPD780C-1(Z80A 4MHz相当)
搭載メモリ容量合計184KB
 RAM(メインメモリ) 64KB(4KBのテキストVRAM領域を含む)
 N88-BASIC ROM 40KB
 機械語モニタ ROM 8KB
 N-BASIC ROM 24KB
 漢字ROM(オプション、PC-8801mkIIでは標準実装)
 グラフィックVRAM 48KB(16KB×RGB3プレーン)
画面解像度(PC-8044家庭テレビ用カラーアダプタによりカラーテレビを使用可)
 640×200ドット / 8色(ドット単位に指定可) 1画面
 640×200ドット / モノクロ 3画面(COLOR@コマンドによりテキストキャラクター単位でカラー表示可)
 640×400ドット / モノクロ 1画面(専用高解像度ディスプレイ使用時)
テキスト表示
 80文字×25行、80文字×20行、40文字×25行、40文字×20行(いずれかを選択可)
 リバース、ブリンク、シークレット(キャラクタ単位に指定可)
 表示領域転送には、DMACコントローラを使用し、モードごとにテキストVRAMアドレスが変更される。
BASIC
 N88-BASIC
 N-BASICモードに切替え可
インタフェース(NECの表記はインターフェイス)
 モノクロCRT(コンポジット出力、ライトペン対応)
 カラーCRT(RGBセパレート出力方式、DINコネクタ)
 オーディオカセット(600ボー / 1200ボー)
 プリンタ(セントロニクス規格に準拠)
 シリアル(RS-232C規格に準拠、D-sub25ピン)
 ミニフロッピーディスク
メモリ構成
 搭載メモリ容量は合計184KBであり、Z80Aで直接扱えるメモリ容量(最大64KB)を越えていたため、バンク切り換えの手法が用いられた。N88-BASICの通常モードにおいて、アドレス0000H(Hは16進数を表す)から7FFFHまではN88-BASIC ROM(容量32KB)が割り当てられた。一方0000Hから7FFFHまでのメインRAMにはBASICプログラム(テキストエリア)が格納されていたが、ROMに隠れてCPUから直接アクセスできないため、任意の1KBを8000Hから83FFHまでの領域に割り当て直してアクセスする方法(テキストウィンドウ)が採られた。8400HからFFFFHまでの31KBにはメインRAMが割り当てられ、変数データやANK文字表示用メモリ、N88-DISK BASICなどが格納された。このメモリ構成により、当時の8ビットパソコンとしては異例の最大32KBのBASICプログラムを実行することができた。
200ライン表示
 RGBそれぞれ0%と100%の二階調を組み合わせて8色(0:黒、1:青、2:赤、3:マゼンタ、4:緑、5:シアン、6:黄色、7:白)のカラー表示を行っていた。この方式は後に登場した「アナログRGB」との比較で「デジタルRGB」と通称された。カラーパレット切り替え機能により8種類のパレット番号(0-7)を上記の8色から選んで任意の色に対応させることができた。また、モノクロ3ページのモードも存在し、例えば1ページ目のみを表示しながら隠れた2ページ目に描画をすることができた。
400ライン表示
 これまでのモニターに比べて2倍の走査線数を持つ高解像度(又は高細精度)タイプの専用ディスプレイがラインアップされ、400ラインの表示が可能となった。縦横比のドットピッチ間隔がほぼ同じになったため、漢字フォントの表示でも隙間を感じないよう精細に出来るようになり、日本語表示を必要とするビジネスマシンとしても使用できるようになった。
文字表示
 PC-8001と同等のANK文字表示用ハードウェアが残されており、高解像度画面の上に合成表示されていた。フォントをハードウェア的に展開するこの仕組みは文字表示についてVRAMへのデータ転送量が軽減されるため、ANK文字は高速表示が可能であった。このような構成は後のPC-9800シリーズにも継承され、日本語表示も可能な形で実装されている。
ROMに内蔵されたソフトウェア
 内蔵のROM-BASICは、N88-BASICを新たに採用した。PC-8001互換のN-BASICには、本体のモードスイッチかBASICの拡張命令(NEW ON命令)で本体を一旦リセットすることで切り替えて使用した。機械語モニタには簡易的なアセンブラと逆アセンブラの機能が含まれていたが、Z80ではなくIntel 8080の文法であった。
キーボード
 本体はキーボードと本体部分のセパレート型となり、拡張ボードを本体に内蔵できるようになっていた。キーボードはパラレル入力で、同時押しもできたが、SHIFTやCTRLなどを除いてダイナミックスキャンの回り込み防止用のダイオードが入っていない。
フロッピーディスク
 ミニフロッピーディスクインターフェイスを標準装備しており、5.25インチ1D(片面倍密度)、2D(両面倍密度、約320Kバイト)の外付けFDDが使用できた。DISK-BASICとしてN88-DISK BASICが用意されていた。また、8インチフロッピーディスクインターフェイスボードを介する事で、8インチ2D(約1Mバイト)の外付けFDDが使用できた。
PC-8001/PC-8801シリーズでは、5.25インチFDDは「インテリジェントタイプ」と呼ばれる方式を採用しており、ドライブ側にFDD制御用CPU(Z80系列)を搭載し、本体とFDDとの間でパラレルインターフェース(i8255互換)によりデータ転送を行っていた。
サブCPU側にプログラムを転送することで、FDD操作以外の計算処理も可能になっている。また、CPUがPIO転送を行う機種とは異なり、転送そのものに多くのメインCPUリソースを必要としないため、BGMを鳴らしたままでのデータアクセスなどが可能になっていた。この特徴は後継機にも引継がれている。
なお、8インチFDDは、本体CPUからDMAによる直接制御となり、より高速な転送が可能である。I/F形式はPC-9801と同じであるため、PC-9801用の5.25インチ2HDドライブや、3.5インチ2HDドライブを接続し、使用することも可能である。
拡張スロット
 PC-8801の特徴の一つである拡張スロットの仕様が公開されていたため、個人でも拡張ボードの自作が可能であった(しかし、実際に多用したのは工作機械や制御機器を製造していたメーカーである)。専用インターフェースの拡張ボードをメーカー個々にて作成し、ロボット、機器などの制御用に利用されていた。後に、これらの分野を視野に入れた物がFC-98シリーズへ、またRS-232Cで制御可能な物がPC-8200シリーズへと受け継がれていくことになる。
オプション
 漢字ROMボードを使用することで、N88-BASIC のコマンドレベルでグラフィック画面に漢字を表示できた。後にN88-漢字BASIC(後期はN88-日本語BASIC)も用意された。その他MIDIインタフェイスカード(PSGも2つ、6音搭載)、Intel 8088と128KBのRAMを搭載しMS-DOSを使用できる16ビットカードなども販売されていた。
 昭和58(1983)年に登場した後継機、PC-8801mkII(京セラが設計を担当)では、FDDを2基本体に内蔵可能とし、縦置きも可能な新しい筐体を採用した。また、キーボードは人間工学に基づいたステップスカルプチャー方式が採用された。 8801mkII以降の機種はFDDが本体内に内蔵可能となったため、内蔵FDD制御用サブCPUとしてμPD780C-1(Z80A相当、4MHz)とサブCPU用RAMが搭載された。漢字ROMが標準搭載されるようになり、ブザーがスピーカーに置換されると共に、従来のBEEP音のほかに、I/Oポートを制御することで、ソフトウェア的にパルスを生成できる単音の音源(BASICからCMD SINGで利用可能)追加され音程を奏でることが可能になった。
上記の2つの機種(後にPC-8800シリーズでは旧機種として分類される)は、テキスト画面の描画サイクルのDMA動作でメインCPUの処理が一時停止する等のハード仕様のため、動作速度やグラフィックの描画などが遅く、テキスト画面の表示を無効にし表示タイミングを無視して書き込む「高速モード」もあったものの、表示によるレスポンスを必要とするリアルタイムゲームでは、その恩恵を受けられなかった。
PC-8801登場時の昭和56(1981)年はコンピュータゲームの黎明期にあたり、アーケードではナムコの「パックマン」や「ディグダグ」、任天堂の「ドンキーコング」など鬼ごっこ風一画面アクションゲームがブームであった。RPGという名前はパソコン先進国のアメリカでさえ聞こえ始めたばかりの時期であったが、58(83)年末には国産RPGの「ザ・ブラックオニキス」がリリースされ、その後「カレイジアスペルセウス」や、「夢幻の心臓」「ハイドライド」「ドラゴンスレイヤー」など続編を生み出すようなゲームが出始め、「2D」「3D」「アクション」の3大RPGジャンルが確立するに至った。戦国SLGの代表作ともいえる「信長の野望」の第1作や、国内最初のグラフィックスAVGとも言われるマイクロキャビンの「ミステリーハウス」が発売されたのもこのころである。
このPC-8801mkIIからPC-8801mkIIFR/MRまで、CMキャラクターに武田鉄矢が起用された。

Z80互換モードを持つハイブリッドV30マシン、PC-88VAの失敗による88シリーズの終焉
昭和60(1985)年に登場したPC-8801mkIISR で、ホビーマシンとしてのPC-8800シリーズの地位を確立したが、元来、他社に先駆けてCPUクロックの高速化などを行っていたものの、8ビットCPUを使用する以上、基本性能の向上はほぼ限界に達しつつあった。昭和62(1987)年3月に発表した PC-88VAでは、NEC独自の16ビットCPU、μPD9002(8MHz、V50のカスタム品)を採用し、メインメモリは512KBを備え、大幅な性能向上を図った上位機種であった。外観でもFDDを横並びからPC-9800同様の縦並びとし、筐体も大きくなった。このCPUはV30としての動作に加え、8ビットCPU・μPD70008AC互換の高速エミュレーションが可能で、従来のPC-8800シリーズソフトウエアの大部分が互換モードで動作可能だった(一部ソフトはテキスト画面の仕様の差異などの理由もあり正常動作しなかった)。
VDPの搭載により640×400ドット/256色や640×200ドット/65536色、スクロール機能・複数画面の合成 といった強力なグラフィック機能、4096色中16色・サイズ最大256×256ドットで最大同時表示32枚のスプライト機能などを備えた。OSにも、MS-DOSVer.2とシステムコールが概ね互換である独自OS、PC-Engineを搭載していた。このOSではN88-日本語BASIC V3が動作し、N88-DISK BASICのディスクもファイルフォーマットを自動判別して読み込めた。また、高機能化したハードウェアをサポートするBIOSがROM内に整備された。しかしそのため、同社の16ビットパソコンであるPC-9800シリーズとのソフトウェア互換性はMS-DOSの基本的なアプリケーションに限られ、大多数のユーザーにとって互換性は無いも同然であった。
拡張スロットは、PC-9800シリーズのCバスと物理的にはほぼ互換性があるものに変更されたが、ソフトウェア的な実装の相違からPC-9800シリーズ用拡張ボード上のROM及びデバイスドライバ類は利用することは不可能であり、公式には非互換の独自スロットである(ただし非公式ではあるがPC-9800シリーズ用の増設RAMボードやSASI、SCSIインタフェースを増設することができ、フリーソフトなどでデバイスドライバやMS-DOSエミュレータ、PC-9801用ソフトへのパッチ等のソフトウェア的な改修、改造、開発により、その一部を利用することが可能であった)。
PC-88VAの後継機PC-88VA2/VA3では、ステレオFM音源(PC-8801FA/MAと同等)の採用などサウンド機能も強化され、互換性も少々向上した。VA3では容量9.3MBの3.5インチ2TD(2DD/2HDのディスクの読み込みも可能)ドライブを搭載(VA/VA2にはオプションで用意)した。付属ソフトには「アニメフレーマ」が追加された。なお初代VA用にはソフトウェアバージョンアップボードが用意され、辞書ROMと追加BIOS群の追加によりPC-Engineもバージョンアップ(V1.0からV1.1)でき、数値演算コプロセッサが装着できないこと以外はサウンドボード2(VA専用)と併せてVA2とほぼ同等の機能にすることが可能になった。
1980年代の終盤になると、日本国内ではPC-9800シリーズの普及など、ビジネスの分野だけでなくホビーユースでも16ビット機への移行が加速していた。PC-88VAは、同時期のライバル機となるSHARP X68000と比較された。X68000より安く既存のPC-8801より高いという価格設定、CPU速度やスプライト表示性能などはX68000より下、互換性が不完全、既にある16ビット機のPC-9800シリーズとの非互換性、同じ昭和62(1987)年に家庭用ゲーム機PCエンジンが発売されるなど、マイナス面も多かった。結局、その性能を発揮する16ビット専用ソフトが揃わないままシリーズは二代目のVA2/VA3で打ち止めとなる。
当時PC-9800シリーズは、NECのビジネスユースとの位置づけからサウンド面などで、PC-8800シリーズより劣っていた。そのため、8ビットパソコンでも能力が充分なロールプレイングゲーム、アクションゲームなどは、PC-8801で発売されるものも多かったが、PC-9801でも並行して発売されるケースもあった。グラフィックを多用しデータ容量が膨大となるアドベンチャーゲーム(特にアダルトゲーム)では、グラフィックの画質向上面で有利なPC-9801への移行が進み、NECとしてもハイエンド志向だったPC-9800シリーズのラインアップを見直して需要に応えなければならなくなっていた。NECは平成元(1989)年にPC-8800シリーズとPC-9800シリーズの両方のソフトウェアが利用できる PC-98DO を発売し、88シリーズと98シリーズの一本化を試みた。98DOではサウンドボード2やアタリ規格ジョイスティックが使用できないなどの問題があったが、PC-8801FE2/MCの発売を挟んで、次のPC-98DO+では解決させた。しかしこのことを踏まえてもほとんどのユーザーはそのままPC-9800シリーズに、一部はX68000などに移行していき、88シリーズは市場的に成功したとはいえず、この試み(失敗)で一応の完成をみて、88シリーズは完結した。

88シリーズ主なラインナップ
 PC-8801 昭和56年(1981)年11月-228,000円
 PC-8801mkII 昭和59(1983)年11月-model10 168,000円/model20 225,000円/model30 275,000円
 PC-8801mkIISR 昭和60(1985)年1月-model10168,000円/model20213,000円/model30258,000円
 PC-8801mkIITR 同9月-288,000円
 PC-8801mkIIFR 同11月-model10 99,800円/model20 148,000円/model30 178,000円
 PC-8801mkIIMR 同11月-238,000円
 PC-8801FH 昭和61(1986)年11月-model1098,000円・・4か月後にブラックカラーのmodel30(B) を発売。
  /model20 138,000円/model30 168,000円
 PC-8801MH 同11月-208,000円
 PC-88VA 昭和62(1987)年3月-298,000円
 PC-8801FA 同10月-168,000円
 PC-8801MA 同10月-198,000円
 PC-88VA2 昭和63(1988)年3月-298,000円
 PC-88VA3 同3月-398,000円
 PC-8801FE 同10月-129,000円
 PC-8801MA2 同10月-168,000円
 PC-8801FE2 平成元(1989)年10月-119,000円
 PC-8801MC 同11月-model1 169,000円/model2 199,000円

周辺機器
PC-8801には多くの周辺機器が揃えられた。また、PC-8000シリーズやPC-6000シリーズの周辺機器でも、そのまま接続して使用できるものもあった。

PC-8801-01 PC-8801用漢字ROMボード-PC-8801本体内に実装することにより、JIS第一水準の漢字約3000字と非漢字約700種が使用できる。
PC-8821 18ピン・ドットマトリックスプリンタ-18ピンヘッドにより、高印字品質が得られる。
 また、PC-8821-02漢字ROMボードを実装することにより、高速かつ鮮明な漢字プリントが行える。
PC-8822 18ピン・ドットマトリックスプリンタ-PC-8821に漢字ROMボードを標準搭載したもの。
PC-8834-2W PC-8031-2W用N88DISK-BASICシステムディスク-N88DISK-BASICをスタートさせるための両面倍密度システムディスクと未使用のフロッピィディスクの2枚組。
PC-885114インチ・モノクロ専用高解像度ディスプレイ-640×400ドットの専用高解像度モノクロディスプレイ。
PC-885314インチ・カラー専用高解像度ディスプレイ-640×400ドットの専用高解像度カラーディスプレイ。
PC-88818インチ標準フロッピィディスクユニット-2台の8インチ薄型ドライブを実装した標準フロッピィディスクユニット。1/2台目として使用する。インターフェイスボードPC-8881 FDC8が付属。
PC-88828インチ標準フロッピィディスクユニット(増設用)-2台の8インチ薄型ドライブを実装した増設用標準フロッピィディスクユニット。3/4台目として使用する。
PC-88868インチフロッピィディスク-未使用の8インチフロッピィディスクが10枚入っている。

SK-8204サウンドユニットMk2 (PC-8801用社外サウンドボード)-PC-8801mk2のサウンド機能をPC-8801に追加し、mk2用のソフトで音階の出力が可能になる。

(現機:廃棄/キィボードは元々なし)

(以上、記事内容 Wikipedia:平成27年1月9日更新から)
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by fbox12 | 2015-01-30 12:02 | PC・ネット

101 NEC PC-8001

私的文化遺産 整理番号101
a0057057_1438448.jpgNEC PC-8001は日本電気(NEC)が販売していたPC-8000シリーズパーソナルコンピュータの一つで、同社初の完成品であった。同シリーズには、PC-8001mkII、PC-8001mkIISRがあった。
上位機種(シリーズ)はPC-8800シリーズである。

8001は、昭和54(1979)年5月に発表され、9月28日に発売。定価は168,000円。
輸入品を除けば半完成品(セミキット)がほとんどであった当時のマイコンの中で、本格的な完成品として登場し、ハード・ソフトとも高い機能と完成度を誇り、国産パソコンの代表的機種となった。よく本機が国産初の筐体型パソコンと誤解されているが、国産初のパソコンとしてはベーシックマスター(日立製作所製)が先である。
キーボードと本体が一体化され、最低限必要であるプリンタ、CMT(データレコーダ)、CRTインタフェースを備える。ただし拡張スロットはなく、FDD等その他機器の増設には専用の増設ボックスPC-8011/8012の購入が必要であった。
当時のNEC社内での開発コードは「PCX-01」で、本体は元々COMPO-BSと同系色のデザインと旧JIS配列のキーボードで考えられていたが、石田晴久の助言により、現行のシックなデザインとVT-100端末仕様のキーボードレイアウトとなった。また搭載BASICもマイクロソフト作成のものとNEC独自作成の二種類が用意されたが、最終的にブランドイメージでマイクロソフト版が採用された。NECがこのマイクロソフト版BASICを採用するにあたっては、当時の西和彦の仲介があり、またマイクロソフトも日本企業への本格的なOEM進出を狙っていたタイミングだったため、NECには非常に安価な戦略的価格で提供されたという。
発売当初は搭載メモリ16KBモデルのみの販売であったが、さらに16KBの増設が可能で、増設して購入するユーザが大半であったため、32KBモデルも後に販売された。 なお、拡張ボックスの使用により64KBに拡張してFDDを増設すれば、CP/Mなどの汎用OSを動作させることも可能であった。
グラフィックも、発売当初は高解像度グラフィックが描ける機種がなかったが、後発の機種が高解像度のグラフィック機能を装備してきたので機能的に見劣りするようになり、NEC以外から発売された高解像度アダプタ(FGU8200)やユーザ定義キャラクタジェネレータ(PCG8100)等のグラフィック機能拡張の周辺機器を増設することで対処した。
「PC」は「パーソナルコンピュータ」の略である。国内で「パーソナルコンピュータ」という言葉が使われたのも、このPC-8001が最初である。当時は「マイクロコンピュータ」の略称である「マイコン」がこれらのコンピュータの通称となっていたが、NECは以降「パーソナルコンピュータ」、略称「パソコン」を商標に据え一般に定着させていく。昭和57(1982)年度のNHK教育テレビの趣味講座「マイコン入門」で教材に採用されたが、商品名を出すことができないため、銘板をマスクされ「機種X」と呼ばれていた。

仕様:
CPU μPD780C-1(Z80-A互換)4MHz(DMA割り込みウェイトがあるため、実際には2.3MHz程度で動作する)
ROM 24KB(最大32KB)
RAM 16KB(最大32KB)(4KBのテキストVRAM領域を含む)
テキスト表示 36 / 40 / 72 / 80桁 × 20 / 25行
グラフィック表示 160 × 100ドット デジタル8色 - テキストの簡易グラフィックモード使用。2 × 4ドット毎に着色可。ただしテキストの属性として簡易グラフィックが実現されており、アトリビュートエリアの制限により、当該テキスト属性が1行内の左端から右端の方向において変化する回数に制限があったため、着色が出来なかったり意図した属性の表示がされない部分が見られる場合がある。
サウンド BEEP音(周波数固定)
BASIC N-BASIC (Microsoft 24K BASIC) - version 1.0として発売。後に文字欠け等を修正した1.1に乗せ換えて発売される。
OS DISK-BASIC、CP/M
インタフェース
モニタ(モノクロ、カラー) - カラーモニタ使用時はモノクロモニタ端子にライトペンを接続可能(写真は普通のカラーTV)。
CMT(600bps、300bps隠し設定)
プリンタ(セントロニクス)
シリアルインタフェース - RS-232C準拠の機能だがTTLレベルで、かつ筐体を開けてICソケットから引き出す必要があった。尚、PC-8062 RS-232Cケーブルユニットを用いることでレベル変換も行えた。
拡張インタフェース用バス - 拡張ボックスのPC-8011 / 8012および、5インチFDD I/Fボックス接続用
PC-8011拡張 I/Fで拡張可能なもの:RS-232C × 2、FDD I/F、GP-IB - すべてエッジ・コネクタによる出力であるため、専用のケーブル (PC-8095 / PC-8098 / PC-8096) が別途必要。
PC-8012拡張ボックスで拡張可能なもの:FDD I/F、 拡張スロット× 7

a0057057_1456465.jpg主な純正周辺機器:
NECから発売された機器
PC-8011 拡張ユニット
PC-8012 I/Oユニット
PC-8023-C ドットマトリクスプリンタ
PC-8031/-1W 5インチ1D FDD(2基)
PC-8032/-1W 拡張用5インチ2D FDD(2基)
PC-8031-2W 5インチ2D FDD(2基)
PC-8032-2W 拡張用5インチ2D FDD(2基)
PC-8033 FDD I/F
PC-8034 DISK-BASIC (1D)
PC-8034-2W DISK-BASIC (2D)
PC-8041 12"グリーンCRT
PC-8043 12"カラーCRT
PC-8047 12"アンバーイエローCRT
PC-8044 RFモジュレータ
PC-8045 ライトペン
PC-8062 RS-232C I/F
PC-8091 カラーCRTケーブル
PC-8092 モノクロCRTケーブル
PC-8093 CMTケーブル

NEC以外から発売された機器
PCG8100 ユーザ定義キャラクタジェネレータ、サウンド単音(後期モデルは3重和音) - HAL研究所より発売
FGU-8200 高解像度フルグラフィックユニット - アイ・シーより発売
  解像度は、640×200ドット・モノクロ
PSA ユーザ定義キャラクタジェネレータ - 工学社から組み立て用基盤が発売。完成品の販売は無い。

(現機:静態保存・・TVは廃棄)

(以上、記事内容 Wikipedia:平成27年1月26日更新から)
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by fbox12 | 2015-01-29 15:07 | PC・ネット

ドクターヘリ

a0057057_10483426.jpg


ドクターヘリとは、救急医療用の医療機器等を装備したヘリコプターであって、救急医療の専門医及び看護師が同乗し救急現場等に向かい、現場等から医療機関に搬送するまでの間、患者に救命医療を行うことができる専用ヘリコプターをいう。救急医療用ヘリコプターとも言う。その救急現場出動の内容も含めて記載するものとする。「航空救急医療活動」、「ヘリコプター救急医療活動」、「ヘリコプター救急」ともいう。
ただし、「ドクターヘリ」は日本における造語であり英語圏では通じない。

a0057057_10435053.png概要:
日本では「救急医療用ヘリコプターを用いた救急医療の確保に関する特別措置法」(以下、ドクターヘリ法と略す)が制定されている(平成19年6月27日法律第103号)。ドクターヘリを用いた救急医療が傷病者の救命、後遺症の軽減等に果たす役割の重要性にかんがみ、ドクターヘリを用いた救急医療の全国的な確保を図るための特別の措置を講ずることにより、良質かつ適切な救急医療を効率的に提供する体制の確保に寄与し、もって国民の健康の保持及び安心して暮らすことのできる社会の実現に資することを目的としている。「救急医療用ヘリコプター」(ドクターヘリ)とは、救急医療に必要な機器を装備、医薬品を搭載し、救急医療に係る高度の医療を提供している病院の施設として、その敷地内その他の当該病院の医師が直ちに搭乗することのできる場所に配備されている航空機を指す。ドクターヘリを用いた救急医療の確保に関する施策は、医師がドクターヘリに搭乗して速やかに傷病者の現在する場所に行き、ドクターヘリに装備した機器や搭載した医薬品を用いて傷病者に対し当該場所又はドクターヘリの機内において必要な治療を行いつつ、傷病者を速やかに医療機関その他の場所に搬送することのできる態勢を、地域の実情を踏まえつつ全国的に整備することを目標とするものとする。
a0057057_10225475.png経済的条件や地形的・気象的条件、場外離着陸場の確保の制約などから1990年代に至るまで、離島・僻地・船舶からの急患移送は行われていたものの、ドクターヘリなど機内や事故現場での治療はあまり行われてこなかった。しかし、1990年代から実験が行われ、その有効性が確かめられてからは、各地域での導入が進められている。日本に先んじて導入されたドイツでは、国内に73機配備されており、国内どこにでも要請から15分以内に到着できる。ドクターヘリ導入後、交通事故の死亡者が3分の1に激減したと言われている。
平成3(2001)年に岡山県でドクターヘリ導入促進事業が始まって以来、ドクターヘリへの理解が進んで来ているが、ドイツ国内は73機配備しているのに対し平成22(2010)年の日本は1道1府15県21機(同年1月現在)の運用にとどまっていたのが実情である。最大の問題は、年間2億円近い運航費用の負担であり、昨今の地方自治体の財政事情で導入を躊躇しているところが多い。
また基地病院内や病院間の横の連携、十分な数の医師の確保、乗員の養成システム、ヘリポートの不足、運用時間が日中に限られ、夜間離着陸ができない事や、着陸する場所がまだ少ないなどといった、解決しなければならない課題が多い。ドクターヘリ事業者らは、「ドクターヘリが真に必要な地方ほどドクターヘリの導入が遅れている」とし、さらなる導入促進のために、運行経費を医療保険から補助するよう求める提言を行っている。これらに対して与党はドクターヘリ全国配備のため国会に新法案を議員立法で提出し平成19(2007)年の通常国会にて可決、成立した。

a0057057_10531516.png運用:

運航調整委員会
ドクターヘリ事業を円滑かつ効果的に実施するために関係機関との連絡調整を図るため、各都道府県が設置要綱を決め、それに基づいて運航調整委員会が設置されている。その委員会において関係者が話し合い、「ドクターヘリ運航要領」「ランデブーポイント一覧表」が決められる。ドクターヘリ法6条において、出動のための病院に対する傷病者の状態等の連絡に関する基準と出動に係る消防機関等と病院との連絡体制に関する基準について話しあうように決められている。地域の実情に応じ、1.傷病者の医療機関その他の場所への搬送に関し、必要に応じて消防機関、海上保安庁その他の関係機関との連携及び協力が適切に図られること 2.へき地における救急医療の確保に寄与すること 3.都道府県の区域を超えた連携及び協力の体制が整備されることを留意して行われるものとする。

a0057057_10285997.pngランデブーポイント
救急隊とドクターヘリが合流する緊急離着陸場である。上記の運航調整委員会にて、学校グラウンドや駐車場などに事前に決められており、その一覧から運航管理担当者と消防機関が離着陸地点を決める。ドクターヘリが安全に着陸出来る場所の確保をできるように、ドクターヘリ法7条で関係機関の協力が求められており、例えば砂が舞いやすい土地に離発着する場合は消防隊が先回りして水をまいたり、一般市民を安全な場所に誘導したりサポートを行っている。但し、緊急時には、消防機関や警察機関が着陸場所を確保したうえで災害現場直近に降りることもある。消防機関が着陸場所を着陸可能な状態にしてから、患者の負担にならないよう救急車から少し離れた場所に着陸し、医師と看護師が救急車に向かい、救急車車内で初期治療を開始する。
(写真:着陸中、地元消防隊が車両の進入規制をしている)

a0057057_10343690.png運航基地と出動基準
拠点となる基地病院の構内や病院の隣接地にヘリポートを設置[2] して、離陸可能な状態でヘリを常時待機させている。搬送協定を締結した市町村消防署や広域市町村圏消防本部、警察からの出動要請を、病院内の救急救命センターが受けると出動する。ちなみに搬送費用は無料であり、治療費のほかに往診料等が請求されるだけである。
地元消防機関および警察、役場等その他のドクターヘリ要請機関は、(1)119番通報を受けた時点(2)出動要請を受けた救急隊員の判断(3)救急患者発生現場のいずれの場合でもドクターヘリ出動の必要性が認められたときや、各地域地域における救急医療機関が、そこに収容した救急患者を高次の救急医療機関(救命救急センター等)に緊急搬送する必要があると判断した場合に出動要請可能で、一般人が直接呼ぶことはできない。
ドクターヘリの必要性がある患者としては、1.生命の危険が切迫しているか、その可能性のある患者、2.長時間搬送が予想される重症患者、3.特殊救急疾患の患者(重症熱傷、多発外傷、指肢切断等)、4.救急現場で緊急診断処置に医師を必要とする患者などが挙げられる。
(写真:機体後部が観音開きになっていてストレッチャーごと搭乗ができる)

a0057057_1038112.png運用経費
自治体や厚生労働相から補助金を受け、医療機関がヘリコプターを運航する民間航空会社と運航契約を結び行われている。補助金は、厚生労働省と都道府県の折半か、都道府県単独で支出されている。しかしながら、補助金を超える運航経費に関しては、人件費や燃料費を支出する医療機関かヘリコプター運航会社の“持ち出し”負担となっている。そのため、平成22(2010)年度より補助金が増額されている。国庫補助金の対象外となる機内の医療資器材や個人のフライトスーツなどの装備品・消耗品の購入費は医療機関の重い負担となっているが、一部医療機関においてはドクターヘリに企業広告を出し、その収入で負担を軽減しようという試みも行われている。ドクターヘリ事業の認知が進むにつれて、民間企業やNPO法人等からドクターヘリ事業を支援しようという流れができつつある。
(写真:離陸時、副操縦士が機体を外部から点検)

運航時間
ドクターヘリは日中時間に限られており、現在日没後に運航している医療機関はない。埼玉県では、防災ヘリに医療機器を搭載して、ドクターヘリ的運航を行っている。

歴史:
ヘリコプターを所持する機関や団体が増え、医療機器の小型化(除細動器(デフブリレーター)、高速道路わきの発着専用場所(学校の校庭など含め)の増設により、事故によるが病院へ運ぶより医師が駆けつけた方が早いという要望にそえれるようになった。特に医療器の除細動器はさらに小型化されAEDとなって身近に設置、一般人が心臓発作で倒れた急病人を救う事がある。阪神・淡路大震災では多くの道路が破壊され、使える道路に自家用車が殺到し大渋滞となりドクターカー等の使用が困難だったため、ドクターヘリが大きく活躍することとなった。

(写真:セントラルヘリコプターサービス Kawasaki BK117C-1 JA6659)

(以上、記事内容 Wikipedia:平成26年11月29日更新から)
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by fbox12 | 2015-01-28 10:15 | その他車両等

国鉄EF65形(日本国有鉄道 EF65形電気機関車)

a0057057_14121822.png

EF65形は、日本国有鉄道(国鉄)が昭和40(1965)年に開発した、平坦路線向け直流用電気機関車である。

EF60形に続く平坦線区向け国鉄直流電気機関車の標準形式として、昭和54(1979)年までに国鉄電気機関車史上最多となる308両が川崎車輛(→川崎重工業兵庫工場)、川崎電機製造、東京芝浦電気府中工場、汽車製造会社大阪製作所、東洋電機製造、日本車輌製造本店(名古屋製作所)、それに富士電機の各社によって製造された。
高速道路ネットワークが構成されていなかった開発当時、日本の著しい経済成長の中、国鉄に求められる輸送力の増強はかなり逼迫していた。これを補うため、電化工事の促進・主要区間の複線化・列車運転速度の向上・1列車当たりの輸送量の増強・物流システムの効率化を早急に進める必要があった。
電化工事が山陽本線まで及び、コンテナによる輸送方法が確立されると、重い列車を安定した高い運転速度で長距離運転できる機関車が必要となった。当時の主要幹線用最新型電気機関車であったEF60形(2次車以降)は、牽引力はあったが、定格速度は旧型機関車と大差のない 39.0 km/h と比較的低い設定であり、旅客列車と貨物列車の高速化に応じるには難があった。
このような経緯から、EF60形3次車を基本として、その歯数比を変更、さらに新設計の制御器を搭載することで、高速走行性能と牽引力の両立を図ったのが本形式である。
通常、新型電気機関車の開発・導入時は試作車を作り各種性能試験を長期間にわたって実施し、そこで得られたデータを基に不具合点を解消した上で量産車を改めて設計するか、あるいは1・2号機を先行落成させ試作車と同様に長期テストを行って新規設計部分の信頼性を確認するのが一般的であるが、本形式については制御器以外の主要部分の設計がEF60形3次車とほぼ共通であったこともあり、1号機からそのまま量産が開始された。
このEF65形については、基本的に貨物列車用として計画されたが、その高速走行性能から一般形の他、定格速度の低さが問題となっていたEF60形500番台を置き換えるべく20系客車を牽引するために必要な装置・機器を搭載してブルートレイン牽引用とした500番台(P形)、P形を基本に重量貨物列車を高速で牽引するための重連総括制御用機器・装置を搭載した500番台(F形)、F形を基本に貫通扉を付け耐雪耐寒装備を強化するなどの改良を加えた1000番台(PF形)と、3つの派生モデルが設計・製作され、寝台列車牽引にも長年に渡り多用された。
平成18(2006)年3月の「出雲」廃止をもって寝台特急運用は消滅し、さらに平成20(2008)年3月の急行「銀河」廃止で定期旅客列車を牽引する運用はすべて終了した。<平成23(2011)年時点では主に貨物列車の牽引に充当されているが、老朽化の進行で後継のEF210形への置き換えによる淘汰が進んでいる。

形態区分:
0番台(一般型)
貨物列車牽引用として、昭和40(1965)年〜 昭和45(1970)年に135両 (1 〜 135) が製造された。
非貫通式の運転台にシールドビーム2灯を備える。国鉄時代の塗色は、車体が青15号(濃青色)前面下部がクリーム1号の国鉄形直流電気機関車の標準塗色である。

1次車
昭和39年度第1次債務で1 - 47号機が製造された。中央線電化・増発、山陽本線貨物列車電化・増発、東海道本線などの増発用である。そのため、1 - 16号機は吹田第二機関区、17 - 35・46・47号機は稲沢第二機関区、36 - 45号機は新鶴見機関区に配置された。
EF60形3次車との外観上の相違点は、屋上モニタ屋根の形状の変更等に留まり、大きく変更されていない。

2次車
昭和39年度第3次債務で48 - 57号機が製造された。中央線電化・増発用である。48 - 50号機は吹田第二機関区、51・52号機は稲沢第二機関区、53 - 57号機は新鶴見機関区に配置された。
加えて、昭和40年度第1次民有で58 - 72号機が製造された。中央線電化および山陽本線貨物列車電化・増発用である。58・59号機は新鶴見機関区、60 - 64号機は東京機関区、65 - 70号機は稲沢第二機関区、71・72号機は吹田第二機関区に配置された。
制御器を変更しているほか、スカート上部にあった通風孔が尾灯上部に移動している。

3次車
昭和40年度第2次債務で73 - 76号機が製造された。宇野線完全無煙化用、東北本線等の増強用である。全機が吹田第二機関区に配置された。
加えて、昭和41年度第1次債務で77 - 84号機が製造された。信越本線長岡地区無煙化および長野原線電化開業用である。全機が稲沢第二機関区に配置された。
尾灯まわりの形状が見直され、入換時に背の高い誘導係に対応するため、手掛けが上方に20cmほど延長され、機関士側のスカート部分に足掛け用の切り欠きが設けられた。

4次車
昭和43年度第4次債務で85 - 104号機が製造された。信越本線直江津 - 宮内間電化開業用(18両)、赤穂線電化開業用である。85 - 102号機は岡山機関区に、103・104号機は稲沢第二機関区に配置された。
3次車以前と比べて、主電動機、界磁制御器、抵抗バーニア制御器など内部機器の変更の他、避雷器(LA15AからLA15Bに変更)の変更や車体前面の補強などが行われた。

5次車
昭和43年度第5次債務で105 - 120号機が製造された。東海道・山陽本線貨物・荷物列車増発用、山陽本線瀬野 - 八本松間補機増強や東北・信越方面の貨物列車増発用である。全車が稲沢第二機関区に配置された。
4次車との大きな違いは見られない。

6次車
昭和44年度第3次債務で121 - 132号機が、同年第5次債務で133 - 135号機が製造された。121 - 130号機は広島機関区に、131 - 135号機は岡山機関区に配置された。
運転台前面ガラスに熱線入りガラスを採用し、全面デフロスタに変更され、ワイパーも強力形のWP50とされた。また、一人乗務に備えてEB装置・TE装置の設置がなされた。

500番台(P形)
高速旅客列車牽引用として、昭和40(1965)年 - 41(1966)年に17両 (501 - 512・527 - 531) が製造され、昭和43(1968)年に基本番台(77 - 84) から (535 - 542) が改造竣工された。「P形」は、「旅客」を表す "passenger" の頭文字に由来する。
従来は20系寝台特急列車牽引用としてEF60形500番台を使用していたが、同形式は定格速度が低く高速運転主体の寝台特急運用に不適当であるため、定格速度の高い本形式基本番台の設計を基にEF60形500番台と同様の20系客車牽引用装備を搭載した本番台が設計された。
塗色は直流機標準の青15号とクリーム1号ながら、EF60形500番台と同様に特急色と呼ばれる20系客車と意匠を合わせた塗り分けを採用した。両端面の窓周りを含んだ上部とそれを結ぶように上下にクリーム色の細帯を配する。

a0057057_154663.png1次車
昭和39年度第3次債務で501・502号機が製造された。中央線電化・増発用を名目としている。なお、501号機は500番台では唯一、昭和41(1966)年から42(1967)年にかけて0番台と同じ一般塗装だった時期があり、その塗装で寝台特急を牽引している。
加えて、昭和39年度第5次債務で503 - 512号機が製造された。東海道本線増発用を名目としている。
ただし、実際には寝台特急牽引用として投入されたため、全機が東京機関区に配置された。

2次車
昭和40年度第2次民有で527 - 531号機が製造された。山陽本線広島 - 幡生間貨物列車完全無煙化用を名目としているが、1次車と同じく全機が東京機関区に配置された。

改造編入車両
昭和43(1968)年に寝台特急増発に伴う不足分を補うため、当時竣工したばかりの0番台3次車のうち、昭和41年度第1次債務で製造された77 - 84号機が改造され、535 - 542号機として500番台P形に編入された。
稲沢第二機関区に所属する8両が浜松工場で昭和43(1968)年6月から9月にかけて改造され、改番後に東京機関区に配置された。
主な改造項目を以下に示す。いずれも改造時点での500番台P形車の標準装備である。
カニ22形電源車に搭載されているパンタグラフの昇降スイッチの取り付け
20系客車との通話用としてKE59ジャンパ連結器の取り付け
電磁ブレーキ指令用としてKE72ジャンパ連結器の取り付け
ブレーキ増圧装置の取り付け

500番台(F形)
高速貨物列車牽引用として、昭和40(1965)年 - 41(1966)年に17両 (513 - 526・532 - 534) が製造された。
牽引定数1,000tの貨物列車を100km/hで牽引する必要から、P形を基本に、重連総括制御機能・空気管付き密着自動連結器・連結器の自動復心装置・編成増圧装置・電磁自動空気ブレーキへの指令機能などを追加した区分である。「F形」の呼称は、「貨物列車」を表す "freight" の頭文字に由来する。
外観上、3本の空気管コックと3種の電気連結器が前面下部に設けられてホースやジャンパケーブルが装着され、さらに連結器も上部に自動復心装置を付加した空気管付き密着自動連結器であるため、スマートなP形とは一変して複雑かつ物々しい印象となった。
この様に任務も装備もP形とは大きく異なるF形だが、製造に当たっては特に車番を分ける措置はとられず、P形と同じ「500番台」のくくりで連続して車番が振られた。このためP形、F形とも車番が連続しておらず、「飛び番」が存在している。

1次車
昭和39年度第5次債務で513 - 517号機が製造された。東海道本線などの貨物列車増発用を名目としている。全車が東京機関区に配置され、P形1次車とともに寝台特急牽引に当たった。

2次車
昭和40年度第2次民有で518 - 526号機が製造された。山陽本線広島 - 幡生間貨物列車完全無煙化用を名目とし、吹田第二機関区に配置された。
加えて昭和40年度第2次債務で532 - 534号機が製造された。同じく山陽本線広島 - 幡生間貨物列車完全無煙化用を名目としているが、東京機関区に配置された。

1000番台(PF形)
旅客列車・貨物列車に広汎に使用可能な汎用機として、昭和44(1969)年から昭和54(1979)年にかけて8回に分け、合計139両 (1001 - 1139) が製造された。
標準で重連総括制御機能を備える。基本設計は重連機能を備えていた500番台(F形)に準じ、同番台の東北・上越線運用で問題となった点を改良したモデルである。このため、寒冷地での重連運用を考慮して前面にはEF64形と同様に貫通扉を設置し、運用上運転台の向きの転向が発生しても重連運転に支障がないようにKE70HDジャンパ連結器(凍結防止用ヒーターを付加)を左右に備える両渡り構造としたことなどの点で他区分と異なる。ただし、重連総括制御機能は備えるものの、F形に装備されていた10000系高速貨車対応の空気管付き密着自動連結器ではなく通常の並形自動連結器が装備され、自動復心装置も省略されている。1エンド側ステップ付近にKE70HDジャンパ連結器納めを備えていることも特徴である。
P形・F形の機能を併設するとされ、PF形と呼ばれる。塗色は500番台と同様の「特急色」であるが前面のステンレス製飾り帯は取り付けられていない。製造期間が足かけ10年にわたり、また途中で増備が途絶えた期間があったことなどから、1972年までに製造された前期形 (1001 - 1055) と1976年以降に製造された後期形 (1056 - 1139) で外観上大きな差異がある。

1次車
昭和43年度第5次債務で1001 - 1017号機が製造された。東海道・山陽本線の貨物増発を名目としているが、実際にはF形の代替として東北本線・上越線に投入された。そのため、全機が新鶴見機関区に配置された。
PF形初期車は東北・上越線運用で問題となったF形の代替用として製造されたため、両線での運用を考慮した本格的な耐寒耐雪装備と両渡り配置の空気管・電気連結器を搭載する。1次車に関しては、F形での運用不具合が多かった東北本線での重連高速貨物列車の代替用として投入されたため、上越線運用では事実上必須の「つらら切り」を未装着で竣工している。

2次車
昭和44年度民有車両として1018号機が、昭和44年度第2次債務で1019 - 1022号機が製造された。1018号機は新空港建設資材輸送用、1019 - 1022号機は万博輸送用・呉線電化用である。1018号機は新鶴見機関区に、1019 - 1022号機は広島機関区に配置され、万博輸送後は貨物列車用として使用された。
カニ22形のパンタグラフスイッチが撤去され、一人乗務に備えてEB装置・TE装置の設置、記録式速度計 (SRD40) の追加がなされた。また、製造時から運転台前面窓と前照灯のつらら切りを備えている。

3次車
昭和44年度第3次債務で1023 - 1031号機が、昭和44年度第4次債務で1032 - 1039号機が製造された。呉線電化・高島線電化・特急客車列車増発・東北本線・高崎線貨物列車増発・身延線機関車形式改善用である。1023 - 1025号機が下関運転所、1026 - 1028号機が新鶴見機関区、1029 - 1031号機が宇都宮運転所に配置された。
貫通扉下側のステップの長さが手すりの内側まで短縮された以外に2次車との大きな違いは見られない。

4次車
昭和46年度本予算で1040 - 1049号機が製造された。飯田線の形式改善と東北本線の増発を名目としているが、実際には東北本線の貨物列車増発が狙いであり、1040 - 1048号機が宇都宮運転所に、1049号機が下関運転所に配置された。なお、1049号機の下関運転所所属は寝台列車増発による暫定処置であり、昭和47(1972)年10月には1049号機も宇都宮運転所に移籍している。
3次車以前と比べて、以下の大きな変化が見られる。
運転室内へ扇風機が設置され、尾灯直上の通風孔を廃止
テールライトカバーが内はめ式から外はめ式に
抵抗バーニア制御器、界磁制御器の変更
KE59ジャンパ連結器の廃止
ただし、スカートには変更が施されなかったため、ジャンパ連結器があった箇所には穴が開いたままであった。

5次車
昭和46年度第3次債務で1050 - 1055号機が製造された。山陽本線における波動輸送用を目的とし、全機が下関機関区に配置された。
スカートの変更によってKE59ジャンパ栓跡の穴がふさがれている。

6次車
約4年ぶりにEF65の増備が再開された。
昭和50年度第3次債務で1056 - 1068号機が、昭和51年度第1次債務で1069 - 1091号機が製造された。首都圏の旧形電気機関車置き換えを目的とし、全機が新鶴見機関区に配置された。
5次車製造から時間が空いたことから、多くの変更点がある。
各機器・配線に対して難燃化・不燃化対策の実施
避雷器をLA15BからLA15Dに変更
集電装置をPS17(菱形)からPS22B(下枠交差式)に変更
ナンバープレートをステンレスエッチング加工を施したブロック式のものを採用
(後年に常用減圧促進改造が施されたものは、ナンバープレートの地色が赤色に変更された)

a0057057_155171.png7次車
昭和52年度第1次債務で1092 - 1118号機が製造された。紀勢本線電化開業および旧形電気機関車置き換えを名目としているが、実際は500番台(P形)置き換えのためである。1092 - 1095号機の4両が下関運転所、1096 - 1116号機の21両が寝台特急牽引用として東京機関区に、1117・1118号機の2両が新鶴見機関区に配置された。
重連や寒冷地での運用がないため、東京区配置車は配置直後に保守合理化のためスノープラウや汽笛カバーやホース類が外された。砂撒き管のヒーターの配線カットを行っているが、砂撒き管ヒーターの本体とつらら切りは引き続き装着されている。一方新鶴見区配置車はそれらの装備が存置されていた。

8次車
昭和53年度第1次債務で1119 -1139号機が製造された。関西圏で寝台列車を牽引していたEF58形の老朽取替え用である。1119 - 1128号機が下関運転所に、1129 - 1139号機が宮原機関区に配置された。
関西 - 九州間の寝台列車牽引を目的としていたため、スノープラウやジャンパ線・エアホース類、それに汽笛カバーを省略して落成し、さらにこれまでの使用実績から主電動機が変更されている。また、台車にとりつけられたオイルダンパーが折損した際に車両外側に飛び出すのをふせぐため、取り付け方向が90度変更された。
 
<JR貨物所属車及び塗色変更車は別項に記載予定>


(参考資料:Wikipedia 平成27(2015)年1月3日更新)
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by fbox12 | 2015-01-22 14:13 | 鉄道・バス