fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

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新幹線0系電車

a0057057_146274.jpga0057057_19164772.png新幹線0系電車は、日本国有鉄道(国鉄)が昭和39(1964)年の東海道新幹線開業用に開発した、初代の営業用新幹線電車である。
同年から昭和61(1986)年まで38次にわたり、改良を重ねつつ総計3,216両が製造された(新旧入れ換えがあったため全車が一時期に揃ったことはない)。世界ではじめて200km/hを超える営業運転を達成し、航空機に範をとった丸みを帯びた先頭形状と、青と白に塗り分けた流線形の外観で、初期の新幹線のイメージを確立した。
開業時から、東海道・山陽新幹線用として足かけ44年にわたって運用されたが、平成20(2008)年11月30日に定期営業運転を終了、同年12月14日のさよなら運転をもって営業運転を終えた。

a0057057_185423.png「0系」と呼ばれることが増えたのは東北・上越新幹線用の200系が落成した昭和55(1980)年頃からのことで、1970年代以前は単に「新幹線電車」(しんかんせんでんしゃ)と呼ばれることが多かった。文献によっては「000系」と呼称していたこともあるが、1970年代以前にも鉄道関係の書籍や雑誌で「0系」と記した例は存在する。

a0057057_13461471.png東海道新幹線開業時は12両編成だったが、昭和45(1970)年に日本万国博覧会(大阪万博)が開催された際、輸送力増強のため16両編成化された。
昭和50(1975)年の山陽新幹線博多開業を控えた49(1974)年からは、食堂車が組み込まれた。
昭和60(1985)年に山陽新幹線開業時に増備された0系を置き換えるため、後継車両として100系が開発されたが、0系の増備は日本国有鉄道(国鉄)が民営化する間際の昭和61(1986)年4月まで続けられた。
1986年に開業当初の最高速度210km/hから220km/hに引き上げられ、一部機器に改良が加えられた。

a0057057_1137777.png平成11(1999)年9月18日の「こだま」473号(YK8編成:左写真の22形は別の編成)が東海道区間における最後の定期運用を終え、0系は東海道新幹線から完全に撤退した。
さらに、平成20(2008)年11月30日に岡山発博多行きの「こだま」659号(R68編成)をもって、0系の定期運用を終了。同年12月6日、13日、14日に新大阪 - 博多間にて「ひかり号」として「0系さよなら運転」が行われ、12月14日の臨時「ひかり」347号(R61編成)をもって営業運転を終了した。その後は全車が廃車され、車種としては廃止された。
平成13(2001)年にはイギリス・ヨークの国立鉄道博物館に先頭車1両(22-141)が西日本旅客鉄道(JR西日本)によって寄贈されている。平成19(2007)年8月にはYS-11などとともに機械遺産として認定された。

(以上記事内:Wikipedia-26.8.12更新から)

下り方先頭車21形:
1次車(上模型):
開業前の試作車1000形C編成(6両編成)として予定されていた量産車の16、21、22、25(偶数車)、26(奇数車)、35(偶数車)形の6形式で、2次車は12両化のための中間車15、25(奇数車)、26(偶数車、200番台)、35(奇数車)6両。当初は「ひかり」「こだま」とも編成は同じ。
4次車(モノクロ写真):
昭和41(1966)落成のS9編成:こだま号12両編成。大窓車で、行先票枠有。14次車(昭和48(1973)落成:中間車のみ)を組み込み16両化。

上り方先頭車22形:
33次車(カラー写真):
昭和58(1983)年落成の2000番台小窓車。JR東海で最後まで残ったYK編成。
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by fbox12 | 2014-09-30 13:52 | 鉄道・バス

あさひ銀行(現、りそな銀行・埼玉りそな銀行)

私的文化遺産:整理番号30
a0057057_21463342.pnga0057057_214648100.png

株式会社あさひ銀行(あさひぎんこう、英称:The Asahi Bank, Ltd.)は、平成4(1992)年9月21日から平成15(2003)年まで存在した都市銀行。
平成3(1991)年、協和銀行と埼玉銀行が合併し、協和埼玉銀行となり、翌年に改称(商号変更)して出来た行名。
後に大和銀行と合併し、現在のりそな銀行、埼玉りそな銀行の前身となった。

協和埼玉銀行の頃から、フランス人デザイナーが手がけた「水平線から太陽が昇るイラスト(写真左上)」の行章・CIを使い、あさひ銀行になってからも(マスコットキャラクターのミッフィーも含め)変更がなかった。

参照:埼玉銀行
    協和埼玉銀行
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by fbox12 | 2014-09-26 21:52 | 私的文化遺産

諏訪神社・縁結神社

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鎮座地:静岡県沼津市大平正戸
御祭神:

a0057057_1039060.jpg信州諏訪大社の分社。
(静岡)県道140号線沿いにあり、神社南側がこの道路のボトルネックになっていたが、神社側に拡幅された。
新社殿は、平成26年3月完成(境内及び道路は平成26年9月現在整備中)。
御神灯は旧前のもので、奉納の年号等は「○巳年」とは読めるが、刻字がつぶれ判別が出来ない。

(84施44)
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by fbox12 | 2014-09-22 19:14 | 神社

埼玉銀行(現、埼玉りそな銀行)

私的文化遺産:整理番号29
a0057057_2220352.png埼玉銀行(さいたまぎんこう Saitama Bank)は、かつて存在した都市銀行で、発足当初は地方銀行だった。通称は「さいぎん」。
埼玉りそな銀行の源流(りそな銀行発足時、あさひ銀行の埼玉県内の店舗を「埼玉りそな」とした)で、本店は埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)常盤に置かれた(現在の埼玉りそな銀行さいたま営業部)。
統一金融機関コードは、発足当初は「0132」、都市銀行転換後は「0032」。

沿革:
昭和18(1943)年7月 - 戦時統制の一環で川越市に本店を構える旧国立銀行の八十五銀行と、渋沢栄一が設立に深く関与した民営の武州銀行、忍町(現在の行田市)に本店を構える忍商業銀行、飯能銀行(本店、飯能町:現飯能市)が大合併し、埼玉銀行となる。
さらに同年から翌年にかけて埼玉県内に本店を置く武州貯蓄銀行、川越貯蓄銀行、忍貯金銀行を順次、統合した。
昭和19(1944)年5月 - 当局の勧奨により安田銀行(富士銀行)より、東京都下(多摩地域)における大半の店舗を譲り受ける
昭和44(1969)年12月 - 地方銀行から都市銀行へ転換。
平成3(1991)年4月 - 協和銀行と合併し、協和埼玉銀行発足。
平成4(1992)年9月21日 - あさひ銀行に改称。
平成15(2003)年3月、りそなグループ発足に伴い、あさひ銀行埼玉県内の営業を分割再編し、「埼玉りそな銀行」とした。


(参考資料:Wikipedia 26(2014)年6月7日更新)
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by fbox12 | 2014-09-21 22:43 | 私的文化遺産

第一勧業銀行(現、みずほ銀行)

私的文化遺産:整理番号 28・仮42
a0057057_22445250.png株式会社第一勧業銀行 (だいいちかんぎょうぎんこう、英称:The Dai-Ichi Kangyo Bank, Ltd.) は、昭和45(1971)年から平成14(2002)年まで存在した都市銀行。現在のみずほ銀行の前身。
通称は「第一勧銀」「一勧」「勧銀」(金融内部で「一銀」)あるいは英字略称の「DKB」であった。

昭和45(1971)年、第一銀行(国内資金量順位6位)とかつて特殊銀行だった日本勧業銀行(同8位、勧銀)が合併し、総資産では富士銀行を抜いて国内第一位の都市銀行として誕生した。都市銀行同士の合併は第二次世界大戦後初であった。この合併には神戸銀行が加わる計画もあったが、同行は離脱、翌々年に太陽銀行と合併し太陽神戸銀行が発足する運びとなる。
東京三菱銀行まで5件の都市銀行同士の合併と比較すると、いずれも合併コスト増大が資金調達コストの低減を上回っているのに対し、一勧は唯一コスト削減に成功しており、合併が効果的に働いている。
存続会社は勧銀だったが、統一金融機関コードは第一銀行の0001を使用、看板には赤地に白のハートのマークを使い「ハートの銀行」と称していた。勧銀の流れを受けて宝くじを取り扱い、その関係から全都道府県に支店を有していた。

a0057057_1636988.pnga0057057_1712996.pngシンガーソングライターの小椋佳が同行浜松支店長を務めていた。これは小椋が芸能活動の傍ら同行に勤務し続けていたためである。
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by fbox12 | 2014-09-18 17:09 | 私的文化遺産

スプリンタークーペ1400XL

私的文化遺産:整理番号27
a0057057_1941647.pngトヨタ、初代のカローラスプリンターから数えて三代目で、この三代目の前の二代目から車名は「カローラ」がとれて単に「スプリンター」となっている。
1200、1400、1600と3つの排気量があり、車種もそれぞれセダン、クーペがあり、後にリフトバックが加わった(ちなみに、リフトバックのCMキャラクターは、近藤正臣とアグネスラムだった)。

保存状態:廃車

(81単44)
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by fbox12 | 2014-09-17 20:28 | 私的文化遺産

協和埼玉銀行(現、りそな銀行、埼玉りそな銀行)

私的文化遺産:整理番号 25・26・仮20
a0057057_19264230.png協和埼玉銀行(きょうわさいたまぎんこう)は、都銀下位行で中堅企業や個人顧客を主としていた協和銀行と、埼玉県地盤で同程度の預金量であった埼玉銀行が平成3(1991)年4月に合併し発足した銀行で、翌年の平成4(1992)年9月21日にあさひ銀行へ商号変更した後、平成14(2002)年3月、大和銀ホールディングス(前年末に大和銀行・近畿大阪銀行・奈良銀行の株式移転により設立、現在のりそなホールディングス)との株式交換により同社の完全子会社となった。平成15(2003)年3月、グループ内再編により埼玉県内の営業を埼玉りそな銀行へ分割、自身は大和銀行と合併してりそな銀行となった。

写真の通帳・キャッシュカードのロゴマークは、あさひ銀行にそのまま引き継がれたが、「協和埼玉」の名称はわずか1年あまりの短命に終わった。

移行期のティッシュ:
a0057057_2202056.pnga0057057_221234.png

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by fbox12 | 2014-09-15 19:11 | 郵便局・銀行

携帯電話(アナログ ムーバ)

私的文化遺産:整理番号24
a0057057_1793122.pngNTT DoCoMo ムーバ(アナログ)DⅡ
(三菱電機株式会社製、NTT時代TZ-805型携帯電話無線機)

携帯電話の小型・軽量化が進み平成3(1991)年4月、超小型携帯 mova(ムーバ)のサービス開始によって、ソレまでの弁当箱のような機体よりかなり小さくなり、文字どおりのハンディな移動電話となった。
初代ムーバD(TZ-804型)の後継の機種で、当時、携帯電話の中でも最小の機体だった。同じ月にデジタル・ムーバDが出ている。

初代ムーバのアンテナには何も目印がなかったが、この機種が出たころは、アナログ・デジタルが併売されていた(同時期、「ムーバD2HYPER」というデジタルの機種もあった)ため、オレンジの2本ラインがアナログであることを現していた。

注、「TZ-804及び805」の型式番号はNTT時代のもので、「ムーバ」は愛称名だった。
NTTドコモ譲渡後は「ムーバ x2(Ⅱ)」(xはメーカー記号=P:松下通信工業、N:日本電気、D:三菱電機、F:富士通、以上が804型製造メーカー)のみとなり、型式番号は廃止されたが、写真の機体には、内部に「NTT DoCoMo」と形式番号「TZ-805」が併記されている。

保存状態:個体保存(バッテリは廃棄)
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by fbox12 | 2014-09-14 17:48 | 私的文化遺産

5.25インチフロッピーディスク

私的文化遺産:整理番号16・17・18・19
a0057057_1782076.pnga0057057_16293217.pngフロッピーディスクは、以前、8インチ(円盤:200mm)を紹介したが、今回は、5.25インチ(円盤:130mm)である。
(登場背景や全体の構造等は、8インチ:整理番号05の項を参照)。

5.25インチフロッピーディスクは、略して5インチと呼ばれるが、日本ではSIを使用し、正式な製品名称などではインチを使用しないため、mmまたは型が使用される(5/5.25インチ=130mmまたは5/5.25型)。
ミニフロッピーディスク(右写真一番左奥のものに「MD」とあるのはこの略)とも呼ばれ、大きすぎる8インチディスク(ドライブ)に小型化が要求されたことにより登場した。
当初は、アメリカのシュガートが興したメーカーであるシュガートアソシエイツが1976(昭和51)年に、5.25インチのディスクとドライブ(SA-400)を発表・発売した。その時のディスク容量は109.4KB(1S、片面単密)と小さく、さらにすでに利用されている8インチドライブ(SA-800シリーズ)とは物理的にも電気信号的にも互換性がなかったが大いにヒットした。なお、1980(昭和55)年には両面・倍密度としてディスク容量を約4倍の437.5KBとしたもの(SA450)が発売されている。
また、小型化により、コンピュータへのドライブの内蔵も可能となって、1978(昭和53)年にアップルコンピュータのApple IIでは容量100KBのドライブが採用された。これはSA-400 からコントローラ基板を抜いたモデルである兄弟機SA-390 であった。その後、5.25インチフロッピーディスクはコンピュータにとって必要不可欠なものとなり、広く普及していった。
5.25インチのディスクは1D(片面倍密度)や2D(両面倍密度:写真左)などに発展し、2DD(両面倍密度倍トラック:写真右最前面の緑色EPSON製)を経て、やがて主流となる2HD(両面高密度:写真右一番左奥)に至る。日本では電電公社(現在のNTT)が5.25インチ 2HDドライブの開発を行なってきたため、発表当時は電電公社フォーマットドライブとも言われた。これは容量が約1.2MBで、電気的にも8インチドライブと互換性をとっており、8インチドライブからの代替が可能だったのもスムーズな移行につながった。ごく古いMS-DOS等の5.25インチ2HD用ディスクフォーマットを持たないオペレーティングシステム(OS)でも、これを8インチ2Dディスク用フォーマットで代用できた。
ただし信頼性は8インチディスク同様に問題があり、磁気に弱いのは当然であるとしても、紙製のジャケットは変形しやすく、それに入った磁性体は、常にヘッド部が露出し、さらに磁性体を塗布した円盤の中央部も露出している。このため保管時は専用の封筒を用いねばならなかった。また開口部からは常に塵や埃が内部に侵入する危険性を孕み、その他その脆弱性により取り扱いには相当な注意を払うことが要求された。

5.25インチフロピーディスクの記憶容量:
 片面単密度 - 1S(1 sided Single density):約70kB
 片面倍密度 - 1D(1 sided Double density):約140 - 160kB
 両面倍密度 - 2D(2 sided Double density):約320 - 360kB
 両面倍密度倍トラック - 2DD(2 sided Double density Double track):約640 - 720kB
 両面高密度(8インチ2D相当) - 2HD(2 sided High density Double track):約1 - 1.2MB

 IBM PC、PC/XTは両面倍密度360kBが一般的
 IBM PC/AT は 360kB に加え、2HC(IBMの「5.25" Diskette 2HC」:写真右左から2番目)と称する1MB記録が採用された
 AppleIIは独自フォーマットを施すことで1Sながら約143kB(インデックスホールを検知しないため、書き込みノッチを切るだけで両面使用できた)
 NEC PC-8800シリーズ、富士通FM-7/8、シャープX1等は2D(320kB)が一般的。PC-8801mkIIMRで2D/2HD(1MB)両用ドライブが採用された。
 NEC PC-100は2D(360kB)が採用された。
 NEC PC-9801Fで2DD(640kB)、PC-9801Mで2HD(1MB)、PC-98XAおよびPC-9801VMで2DD/2HD両用ドライブがそれぞれ採用された。
 富士通FM-11BSで2HD(1MB)、FM-16βおよびFMRシリーズで2DD(640kB)/2HD両用ドライブがそれぞれ採用された。
シャープX68000で2DD(640kB)/2HD(1MB)両用ドライブが採用された。
 EPSONの会計業務機では、2D(OSは、 CP/M)から2DD、2HDが使われた(写真右のEPSON製のもの)。


(参考資料:Wikipedia平成26(2015)年9月7日更新)
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by fbox12 | 2014-09-11 16:46 | 私的文化遺産

ポケットベル

a0057057_11522321.png私的文化遺産:整理番号15

合図を無線電波により送り、呼び出し等を行う受信機(通信機器)で、ポケットベル(略してポケベル)は日本での呼び名。英語ではpager(ページャー)またはbeeper(ビーパー)といった。
電気通信事業者による電気通信サービス(公衆呼出し)(日本ではNTTドコモグループ及びテレメッセージ各社が提供していた)と、特定の工場やビル内などを対象に設置されたもの(写真)があった。

当初は、電子音による呼出音が鳴るだけであったが、呼出音で呼び出し箇所を分けられたり、数桁の数字を送れる機種、後に、アルファベット、カタカナやさらには漢字まで画面に表示できるタイプも発売された。
ところが、1990年代には、携帯電話、PHSが登場する。これらは当初つながりにくさもあって、携帯とポケベルの2台持ちをする者もいて、ポケベルと携帯電話、ポケベルとPHSの一体型機なども発売されたが、平成6(1994)年に携帯電話機の買い切り制が導入され、法人契約のポケベルの解約が増加。平成9(1997)年になると各携帯電話事業者がショートメッセージサービス機能が内蔵された携帯電話を発売し、女子高生と並ぶメインユーザーであった大学生や20代前半の若者が急速にポケベル離れを起こした。更なるユーザー数の増加を見込んで設備投資を行っていたポケベル事業者の経営を圧迫し始める。
平成12(2000)年前後には、ポケベルの存在意義がなくなり、各地の小さな会社はNTTドコモに加入者を移管して事業から撤退した。
事業を引き継いだNTTドコモは、自動販売機やタクシー・バス車内に端末を設置し、配信されたニュース速報や緊急防災情報、広告等を電光表示板で表示するという使われ方も行うサービスを始め、それまでのサービス名「ポケットベル」を、平成13(2001)年1月に「クイックキャスト」(英単語クイック (Quick) とマルチキャストから作った造語)に変更した。
しかし、日本全国単位としては唯一ポケットベル事業を手がけていたNTTドコモも、平成16(2004)年6月30日をもって新規契約の受付を終了、18(2006)年10月に解約金を無料にし、そして19(2007)年3月31日でサービスを終了した。
(注、文字情報を主体としたサービスは、現在でも提供されている)。


(参考資料:Wikipedia 平成26(2014)年9月10日更新)


保存状態:原機保存(実際の使用実績はない)
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by fbox12 | 2014-09-10 22:35 | 私的文化遺産