fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

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PD / DVD-RAM

私的文化遺産:整理番号07 / 08
a0057057_17535982.pngPDは、Phase-change Dual(フェイズ-チェンジ デュアル)またはPhase-change Disc の略称で、松下電器産業が平成7(1995)年4月に開発した書き換えが可能な光ディスクおよびその規格である。

片面650MBの容量を持ち、ディスクの大きさは一般的なCDやDVDなどと同様の直径12cm(5インチ)で、四角いカートリッジに収容された状態で使用する。赤色レーザー光を用いた相変化記録技術を採用しており、約50万回の書き換えが可能である。
PDドライブは内蔵型、外付型がそれぞれ販売されており、どちらのものでもCD-ROMを読み込むことができた。また、CD-Rを作成する事が可能なPDドライブも発売されていた。なお、ドライブ・メディア共に、そのほとんどが松下電器のみで製造されており、同社は容量650MBの補助記憶装置と4倍速のCD-ROMドライブとの兼用ができるPDドライブを搭載したノートパソコン、PRONOTE PDも発売した(平成8(1996)年8月)。

同じ時期の書き換えが可能なメディアとしてCD-RWが挙げられるが、初期のCD-RWの使用方法とは異なり、ファイル単位の書き込みや削除が可能な点が特徴で、パケットライト方式を用いたCD-RWや、フロッピーディスクを扱う感覚に近い。また、カートリッジに入っている特性上、記録面に直接触れることがないため埃や傷に強く、比較的信頼性が高い。書き込み速度は速くはなく、フロッピーへ書き込むのよりは早いといった程度。ただし、発売当時ではそれほど苦になる速度ではなかったという点と、同時期の他の光メディアに比べて安定性があった点から、当時のメディアタイプとしては優秀なものであった。(CD-RやCD-RWはそれほど当時普及しておらず、また、書き込み失敗が多いなどの不安定さもあった。MOやZIPもやはりそれほど普及していない時期であり、外部接続が主たる使用方法であったことと容量が小さいものが主流だったことも要因の一つ)
PD自体は発売後、安価に使用できるZIPや各社より随時発売されていったMOに押され、また、速度向上等の改良もされてはいなかった為さほど普及しなかったが、その後継にあたる技術として平成9(1997)年4月にDVD-RAMが登場し、PD自体は延命された。DVD-RAMはPDとの互換性を維持するためにPDと同様のカートリッジを採用(注、当初の「タイプ1」のみ、「タイプ2」はカートリッジ入りであるが、取り出しての利用も可能、後にカートリッジなしのタイプになった)し、片面の容量がPDのちょうど4倍にあたる2.6GBのVersion1.0規格が制定された。ただしこの規格はDVD-RAMドライブでもPDが扱えたが、2000年夏に他のDVDと同一の容量である片面4.7GBのVersion2.0規格の制定の際にはPDとの互換性は考慮されなくなり、この時点で市場から姿を消す運命を辿った。

(以上、記事内容Wikipedia-25.3.25更新から)

写真左が、未開封のPDで、TEIJIN製。このころはフロッピーディスクなどを含め、FUJI FILM、Konica、花王など、異業種とも云える会社がメディアの製造にかかわっていた。
また、右側は、DVD-RAMで、記録部分の感じはPDとよく似ている。

(65単29(PD)/30(DVD-RAM))
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by fbox12 | 2014-08-18 18:18 | 私的文化遺産

熱海ビーチライン

a0057057_1822552.jpg熱海ビーチラインは、神奈川県と静岡県県境付近の門川交差点から、静岡県熱海市東海岸町(お宮の松)付近に至る、延長6.1kmの観光有料道路(一般自動車道)である。正式名称は熱海海岸自動車道。
道路運送法を根拠法令とする一般自動車道であるが、歩行者・軽車両・道路車両運送法でいう原動機付自転車(125cc以下)の通行は禁止されている。
経営は三井観光グループのグランビスタ ホテル&リゾートが行っている。年間通行台数は287万台(平成23年度)。
相模灘の海岸沿いを通る快適な観光ルートであり、さらに並行する国道135号のバイパス機能も持つ。国道135号は熱海市泉門川から熱海市東海岸町に至る区間では坂やカーブがある一方、熱海ビーチラインはほとんど平坦で通行上支障が少ない。海岸線を通過することから高波等の影響を受けやすく、悪天候時には通行止となる。
料金徴収は、熱海ビーチライン出入口(門川交差点)の料金所(写真)のみで、熱海サンビーチ(お宮の松)側ー伊豆山港出口間は無料で通行できる。

通行料金:
平成26年4月1日の消費税引き上げ後の料金。料金所はETCに対応していない。
 自動二輪車(125cc超):200円
 普通自動車:300円
 マイクロバス:740円
 大型自動車:1180円

a0057057_1857395.jpg平成24(2012)年まで、熱海市が毎年3月に開催する『熱海湯らっくすマラソン大会』のコースとしても使用され、大会開催時には車両通行止の措置が執られて一般に開放されていたが、近辺で大地震が発生した場合の津波避難対策が十分に取れないとして25(2013)年から中止されている。
また、平成26(2014)年3月31日まで、熱海市の自主運行バス「湯〜遊〜バス・伊豆山方面行き」が、上記の無料区間(停留所「走り湯」まで)を運行していたが、自主運行廃止(伊豆東海バスの単独運行)に伴ない伊豆山方面行きが廃止されたため乗り入れが無くなった。(右写真:伊豆山港出口と「湯〜遊〜バス」)


歴史:
昭和40(1965)年8月1日 - 熱海観光道路株式会社道路供用開始
昭和51(1976)年5月 - 当時の三井観光開発株式会社が吸収合併
平成19(2007)年7月1日 - 株式会社グランビスタ ホテル&リゾートに商号変更

(以上、記事内容Wikipedia-26.6.21更新他をもとに一部実状に合わせ加筆訂正)
(64施39)
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by fbox12 | 2014-08-16 18:23 | 鉄道・バス

LPレコード

私的文化遺産:整理番号06
a0057057_20503859.png回転数 : 33 1/3r.p.m.
直径 : 30cm(12インチ)または25cm(10インチ)、両面
長時間記録できるので、クラシック曲の収録やアルバムとして使用された。
モノラルまたはステレオ記録(一部は4チャンネル記録)

1分に33 1/3回転(=3分で100回転)という速度は、無声映画のフィルム1巻15分の間に500回まわるというところに由来する。
SP盤が主流の1925年に、LP盤の原型ともいえる長時間レコード(回転数はLPとほぼ同じで、片面約20分再生可能)を開発した、イギリスのウオルドというメーカーが日本に参入した。従来の蓄音機にコントローラーを取り付けることにより再生が可能だった。SPの価格から割り出すと通常のSPよりも安価で音質も良い、というのが売りだったようである。しかし技術上の問題などからウオルド自体が早々と撤退したこと、競合メーカーが10分程度の盤しか作れなかったなど、わずか3年 - 4年で製造が打ち切られ、普及には至らなかった。しかしその後、新しい盤質(塩化ビニール)などの技術開発が進み、1947年に米コロムビア・レコードが世界初のLPレコードの量産、商品化に成功し、翌年には世界初のそれを発売。米英を始め、各国の他のレコード会社もこれに続き普及が進み、遂には世界のアナログ盤の標準媒体の1つとなり、現在に至る。
LP盤の名称の由来は、直径12インチ (30cm) で収録時間30分。それ以前のレコード同等のサイズで格段に長時間再生できる「 long play」から。また、回転数から33回転盤とも呼ばれる(実際には3分100回転、1分33 1/3回転)。これ以降、従来のシェラック製78回転盤は(主に日本で)SP (standard play) と呼ばれるようになった。

45 1/2回転のシングル(EP)盤とは初期の一時こそ競合関係にあったが、長時間連続再生可能でクラシック音楽の全曲収録や短い曲の多数収録が可能なLPと、SP盤並の収録力(片面あたりポピュラー音楽1曲程度)のままでディスク小型化とオートチェンジャー適合化を指向したシングル盤(オートチェンジャーに使用するためEP 盤は中心の穴が大きい)は、実用上の性格の相違から棲み分けが容易で、基礎技術自体はほとんど同一のためレコード針も共用できたことから、ほどなく双方の陣営が相手方の規格も発売し、音響機器メーカーからは33回転と45回転の切り替え可能なターンテーブルも発売されて、双方がスタンダードとなるという形で決着がついた。

メディア媒体としての衰退・転化:
45やLPレコードは、音質や収録時間では大きな進歩を遂げたものの、通常レコード針の機械的な接触によって再生される基本原理はSPレコードと変わらなかった。この方式は埃や振動に影響されやすく、メディア個体の再生回数が重なると、音溝の磨耗により高域が減衰していく問題があった。そのため、1980年代に入ってからは、扱いやすく消耗しにくいコンパクトディスク (CD) の開発・普及により、一般向け市場ではメディア、ハードとも著しく衰退したが、在来システムやオリジナル盤への愛着からアナログレコードを好む層やコンパクトディスク(CD)との音質の差異を楽しんだりアナログレコードに新鮮味を覚える年齢層が存在し、その中にはデジタルメディアに比してアナログレコードに音質面の優位があると主張する愛好家もいて、2010年代でもレコードプレーヤーは市場に存在する。2013年にはユニバーサルミュージックが新たに透明レコード盤(染料が含まれていないヴァージンビニルを使用)を開発し販売し始めた。
一方では1970年代以降、磨耗したレコードを通常の再生とは違った形でターンテーブルに載せて手動で回転させるという表現技法が現れ、そこから発達する形でクラブの DJ の演奏にも利用されるようになった。
近年ではCDを利用してDJプレイができるような機器が普及してきているが、未だにレコード(アナログレコード、または単にアナログと呼ばれる)はその直感的な操作性とレンジの広い音質、特有のスクラッチノイズ、そしてアナログレコードという形式そのものへの愛着などから根強い人気がある。これはアナログレコード再生用ターンテーブルへの一定需要にもなり、その生産存続を支える一助ともなっている。

(以上、記事内容wikipedia-26.7.15更新から)

保存形態:個体保存
(63単28)
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by fbox12 | 2014-08-15 20:52 | 私的文化遺産

8インチフロッピーディスク

私的文化遺産:整理番号05

a0057057_21484228.pnga0057057_2149873.pngフロッピーディスク (floppy disk) は、昭和46(1971)年にIBMが開発したもので、当時の名称は「フレキシブル・ディスケット」(flexible diskette)または「ディスケット」と呼ばれ、IBMの登録商標である。
「フロッピィ」のように書き表すこともあり、日本工業規格 (JIS) の用語集では「フレキシブルディスク」と「フレキシブルディスクカートリッジ」である。当初のメディアは紙の保護ケースに包まれて薄くペラペラのため、従来の硬い磁気ディスクは「ハードディスク」や「ハードドライブ」と呼ばれるようになり、またディスケットは俗称の「フロッピーディスク」(floppy disk)が一般に普及した。なお、「フレキシブル」も「フロッピー」も「柔らかい」の意味である。

磁気ディスクの一種で、磁性体を塗布した小円盤を紙またはプラスチック製の保護ケースに入れたものである。駆動装置からの取り外しが可能(リムーバブル)な記録媒体(メディア)で、円盤の片面ないしは両面に同心円状に信号を記録する。
ディスクの直径により、8インチ、5 1/4 (5.25) インチ、3 1/2 (3.5) インチの3種が主に知られ、昭和44(1969)年に読み取り専用の8インチフロッピーディスクが生まれてから1990年代末にかけて、小型コンピュータのデータの記録に広く用いられた。
その後、小型コンピュータの性能の向上により、扱うデータの容量も大型化したため、CDやDVD、BDなどの記録型光ディスクドライブがパソコンに標準搭載されるようになり、2000年頃以降は徐々に廃れていって、市販のパソコンにはドライブがほとんど搭載されなくなった。

a0057057_22203392.png写真の8インチデスクは、中の円盤の直径が200mm(エンベロープ:紙の袋はA4サイズの短辺とほぼ同じ)で、白い部分は、CDである。

当初の記憶容量128キロバイトで、写真の2Dは約1メガバイト。

(以上、記事内容Wikipedia-26.8.11更新から)
(62単27)
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by fbox12 | 2014-08-13 22:24 | 私的文化遺産

CD-R及びCD-RW

私的文化遺産:整理番号03及び04
a0057057_2024953.pngCD-R(英: compact disk - recordable)は、データを書き込みできるコンパクトディスクの一つである。一度書き込まれたデータは書き換えも消去もできないが、容量の許す限り追記が可能であり、このことから「追記型」(WORMメディア)と呼ばれる。
太陽誘電が昭和63(1988)年に開発して、翌平成元(1989)年6月より販売開始した。
記録できるCDとしては、ソニーとフィリップスが開発したCD-WO、CD-MOがあったがともに普及せず、太陽誘電のCD-Rが記録型CDとして一般に普及した。平成7(1995)年にWindows95が発表されてパソコンにCD-ROMドライブが標準搭載されるようになったことで、その翌年の8(1996)年から急成長した。当時、ドライブ価格は40万円、メディアが1枚5千円したのが、平成8(1996)年初頭にはドライブは10万円を切るようになりメディアは1枚1000円と低価格化、さらに平成9(1997)年からは台湾メーカーによるメディアの価格破壊もあり、急速に普及していった。
規格上で、データ容量は最大700MBであるが、700MBを超えたものも開発された。
データの記録書き込み速度は初期(平成8(1996)年頃)には等倍速(1倍速)から4倍速であったが、徐々に向上し、平成12(2000)年頃には8から16倍速、平成15(2003)年頃には52倍速程度まで実用化された。

ハード面では、パソコン用のCD-Rドライブが平成8(1996)年に商品化された。CD-ROMの読み込みも可能だった。翌9(1997)年にCD-RWが商品化されるとCD-R/RW両対応製品が多くなった。低価格化と共に普及が進み、読み込み/書き込み速度の高速化が進んだ。
平成8(1996)年にはDVDが製品化されたが、初期のDVDプレーヤーやDVD-ROMドライブはCD-Rの再生に非対応だった(現在の機種では再生可能)。
CD-R/RWドライブとDVD-ROMドライブは別個に普及を進めてきたが、平成12(2000)年にDVD-ROM読み込みとCD-R/RW書き込みに対応した、いわゆるコンボドライブが登場。以降はコンボドライブが主流になっていく。さらに、平成14(2002)年以降からDVD系メディア等の書き込みにも対応したスーパーマルチドライブやハイパーマルチドライブが登場し、現在に至る。
平成10(1998)年には音楽専用のCD-R/RWレコーダーが発売されたが、データ用のCD-R/RWは使用できず、私的録音補償金が上乗せされた音楽専用メディアを使う必要があった。近年では低価格化も進みプロ及びオーディオ愛好家向けに生産されている。

CD-Rを使った音楽CDの私的複製やオリジナルのコンピレーションCDの作成などが一般的になると、レーベル面にインクジェットプリンタで印刷ができるプリンタブルメディアの需要が高まった。家庭用インクジェットプリンタの多くはCD-Rのレーベル面印刷に対応している(メディアのサイズが同じためDVD-R・BD-R等にも対応可能)。
2000年代半ばになると複数の記録型DVD規格に対応したDVDマルチドライブが一般的になる。これらの製品はほぼ例外なくCD-R/RWの書き込みにも対応している。記録型Blu-ray Disc・HD DVDドライブも同様である。
DVD-Rメディアの値下がりが続きCD-Rよりも割安になったり、データの受け渡し用にメモリーカードやUSBメモリの利用が一般的になったためデータ記録用途においてCD-Rは一定の役割を終えたと言える。しかしその一方で音楽CDの作成用途としては依然として需要がある。

状況:個体保存

(写真左:等倍速-2倍速 650MB CD-RW / 右:等倍速 650MB CD-R)

(以上、記事内容Wikipedia-26.5.25更新から)(60単25(CD-R)/26(CD-RW))
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by fbox12 | 2014-08-10 20:54 | 私的文化遺産

VHSビデオテープ

私的文化遺産:整理番号02
a0057057_18234553.jpgVHS(ブイエイチエス、Video Home System)とは、日本ビクター(現・JVCケンウッド)が昭和51(1976)年に開発した家庭用ビデオ規格で、同社の登録商標である。

当初は記録方式を表現したVertical Helical Scanの略称だったが、後にVideo Home Systemの略称として再定義された。
VHSの特徴として、ビデオの規格を原則として変えないことがあり、発売当初録画されたテープは現在流通している最新機種でも再生できる。テープは幅が1/2インチのカセットタイプで、標準録画時間が2時間だった。この形は現在では当たり前となったが、開発当時のVTRにはテープのリールが1つだけのカートリッジタイプがあったり(VHSの標準規格は2リール)、テープ幅やカセットのサイズもさまざまだったり、と互換性のない規格が氾濫していた。技術の進歩によりテープの長尺化が進んだ結果、240分が最長となった。また規格の範囲を大きく逸脱しないかたちでの改良を続けており、HQやHi-Fiオーディオ対応、ビデオカメラ規格のVHS-C、水平解像度400本以上の高画質機種S-VHSとそのビデオカメラ規格S-VHS-C、衛星放送などのPCMデジタルオーディオを劣化なく記録できるS-VHS DA(DigitalAudio)、アナログハイビジョン対応のW-VHS、デジタル放送対応のD-VHSなど幅広く展開している。すべての規格においてVHSテープの再生は基本的には対応している。なお、S-VHSの登場後は従来のVHSを識別のため「ノーマルVHS」または「コンベンショナルVHS」と呼ぶ場合がある。なお、上位規格であるデジタル記録のD-VHSでは地上デジタル放送・BSデジタル放送・CSデジタル放送などの無劣化記録が可能となっている。
ベータ、8ミリ、LD、VHDなどさまざまなメディアとの競争の結果、家庭用ビデオ方式としてスタンダードとなった。特に、DVD-Videoの普及以前は単に「ビデオ」といえばVHSを指すのが当たり前であり、関連企業も商品説明等でVHSの意でビデオという単語を用いていた(「ビデオ版とDVD版の内容は同一です」という表記や、VHSデッキを指して「ビデオデッキ」と称するなど)。
VHSのハードの普及台数は全世界で約9億台以上、テープに至っては推定300億巻以上といわれている。

歴史:
昭和31(1956)年に開発されたアンペックス社の巨大な業務用2インチVTRを始まりとして、NTSC方式をそのまま録画可能な回転2ヘッドヘリカルスキャン方式の開発以降、各社は比較的コンパクトなオープンリール式のVTRを発売する(方式はバラバラ)。松下・ビクター・ソニーの3社は家庭用も見据え、テープがカセットに収められたビデオレコーダー(VCR)の統一規格(Uマチック)に合意。発売したが、高価なこともあり、オープンリール式と同様に企業の研修用途、教育機関、旅館/ホテルの館内有料放送などが主な販売先だった。
本格的に普及する家庭用VTR機器を狙い、ソニーが各社に規格統一を呼びかけ、先行して開発・発売されたベータマックスが、Uマチックの小型化を目指して開発された経緯から録画時間の延長よりカセットの小型化を優先し、最長60分の録画時間でU規格と同等の操作性を確保すべく開発されたが、ビクターは民生用途としての実用性を重視し、カセットが若干大きくなることを承知で録画時間を最長120分として基本規格を開発。またメカ構造もU規格にとらわれず、より量産化に適した構造を目指し、家庭用VTRというコンセプトを明確にして開発・発売された。
先に発表・発売されたのはソニーのベータマックス(1号機・SL-6300)で昭和50(1975)年4月16日に発表、同年5月10日に発売。
昭和51(1976)年10月31日に日本ビクターがVHS第1号ビデオデッキ(品番:HR-3300)を発売、当時の金額で定価25万6000円。留守番録画のできる時計内蔵の専用取付式タイマーは別売1万円で、VHSの録画テープも当初は120分が6000円となっていた。また、シャープ、三菱電機も当初は日本ビクターの第1号機をOEMで発売していた。

平成20(2008)年に初代VHSデッキHR-3300が重要科学技術史資料(未来技術遺産)の第1回に登録された。

VHSの需要低下:
21世紀に入るとDVDやハードディスクレコーダ、パソコンの普及、高精細テレビ放送やBlu-ray Discの登場、多くの国でのデジタルテレビ放送の開始といった「デジタル時代」・「ハイビジョン時代」の中で、それに対応できないVHSカセットやVHS単体機は次第に売れなくなっていった。デジタルレコーダーとの複合機も、過去のライブラリーをデジタル化することに重点が移り、テレビ番組の録画ができないタイプのものが増える事態となった。ビデオ判定にも用いられたこともあったが、水平解像度が240本とアナログテレビ放送の330本より低いことから、正確な判定ができないケースも見受けられた。
こうした状況も重なり、日本ビクターは平成19(2007)年5月30日、経営不振による事業再建策として、VHSビデオ事業からの撤退・清算を発表した。平成20(2008)年1月15日にS-VHS単体機を全機種生産終了したと発表し、同年10月27日にはVHS方式単体機の生産を終了した。
ビクターの撤退により、日本国内メーカーのVHSビデオ単体機の製造は船井電機(フナイ)のみとなったが、やがてフナイも完全撤退した。以降はDVD、HDDなどの複合機として展開されていたが、大幅に縮小された。しかし各社はテレビの完全デジタル化を睨み、販売の主力をHDD併用のブルーレイレコーダーに移しており、商品ラインナップは縮小の一途をたどっている。これにあわせ録画用テープから撤退する事業者も相次いでおり、現在は日立マクセル、子会社のイメーションに事業を移しているTDKや、ビクターアドバンストメディアに事業を移したビクターが、有力メーカーとしては販売を続けているのみである。

状況:個体保存(未開封のもののみ)

(以上、記事内容Wikipedia-26.7.20更新から)
(58単24)
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by fbox12 | 2014-08-05 18:47 | 私的文化遺産