fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

カテゴリ:神社( 118 )

80 冷川神社(ひえかわじんじゃ) 静岡県田方郡函南町鎮座

a0057057_20531125.png鎮座地:静岡県田方郡函南町大竹
御祭神:

概要:
JR東海道線函南駅正面にある階段を降りた突き当りにある神社。扁額には「水神社」とある。
神社南側を流れる川が「冷川」で、西側で来光川に合流する。
周囲は住宅地になっているが、丹那トンネルの工事中、工事現場に電源供給のため火力発電所が作られた。

吾妻鏡、石橋山の合戦の項にある北條宗時の最後:

宗時は伊豆國平井郷(現、静岡県田方郡函南町平井)を経て、早河の辺りで平氏方の伊東祐親軍に包囲され、小平井久重に射られて討たれた。

の「早河」は、この「冷川」の事と思われる。

この神社西側(来光川との合流点近く)には北條宗時の墓がある。
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by fbox12 | 2016-10-25 21:01 | 神社

79 穴守稲荷神社(あなもりいなりじんじゃ) 東京都大田区鎮座

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朱印帳は、御縁年午歳記念復刻版御朱印帳
奥之宮改修と境内整備の奉賛金奉納者に記念として授与されるもので、一般頒布はされていない。

鎮座地:東京都大田区羽田五丁目2番7号
御祭神:豊受姫命
社格等:旧村社

由緒:(社史)
社伝に云う。文化元年の頃(西暦1804年頃)鈴木新田(現在の空港内)開墾の際、沿岸の堤防しばしば激浪のために害を被りたり。或時堤防の腹部に大穴を生じ、これより海水侵入せんとす。ここにおいて村民等相計り堤上に一祠を勧請し、祀る処稲荷大神を以てす。これ実に当社の草創なり。爾来神霊の御加護あらたかにして風浪の害なく五穀豊穣す。その穴守を称するは「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」という心なり。そもそも稲荷大神は、畏くも伊勢の外宮に斎き祀られる豊受姫命にましまして、衣食住の三要を守り給える最も尊き大神なり。吾等一日たりともこの大神の恩顧を蒙らぬ日はなく、実に神徳広大なり。
殊に当社は明治以来、大正・昭和を通じて、最も隆昌に至った。参拝の大衆日夜多く境内踵を接する如く社頭又殷賑を極め、崇敬者は国内は勿論遠く海外にも及べり。然るに昭和二十年八月終戦にのぞみ、敗戦と云う未曾有の大混乱の中、米軍による羽田空港拡張の為、従来の鎮座地(東京国際空港内)より四十八時間以内の強制退去を命ぜられた。同年九月、地元崇敬者有志による熱意の奉仕により境内地七百坪が寄進され、仮社殿を復興再建。現在地(大田区羽田五丁目2番)に遷座せり。
爾来崇敬者各位の協力により、社殿・奥宮・神楽殿・社務所・展示場・神輿庫・納札所等復興し、目下境内整備を実施中にて、漸次昔日の面影を取り戻しつつある次第なり。

境内社:
奥之宮
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この神社最寄の駅・バス停:
京急空港線 穴守稲荷
京急空港線/東京モノレール羽田空港線 天空橋

(参考資料:穴守稲荷神社略記)
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by fbox12 | 2016-10-19 22:57 | 神社

78 (大森)天祖神社(てんそじんじゃ) 東京都大田区鎮座

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鎮座地:東京都大田区山王2-8-1
御祭神:天照大御神、豊受大神
相殿神:天手力男神、万幡豊秋津姫命
社格等:旧無格社

由緒:
草創の年代は明らかではないが、享保年間(1716~36)地元の人々が伊勢講を組織し、伊勢神宮に参詣して御分霊を受けたことにはじまるという。当時は神明社と称し、別当は円能寺であった。明治初年の神仏判然令で円能寺の管理から離れ、「天祖神社」と改称した。
八幡太郎義家が奥州征伐におもむく途中、この社で戦勝の祈願をしたが、 そのときに境内にあった松の木の枝に鎧を掛けたと言われる”鎧掛の松”の伝説がある。 この松の木は安藤広重の絵になって、八景坂とともに名勝として広く世間に知られていたが、残念ながら枯れてしまった。 昭和の初めまでは境内に根株だけが残っていたそうだが、今はその痕跡もない。

JR大森駅の西口に出ると、八景坂(池上通り)をはさんで鎮座する。以前あった御朱印や神社の由緒書は「神明山天祖神社」となっているが、本務社である天祖・諏訪神社のサイトには「八景天祖神社」となっている。八景坂に面していることによる通称であろうと思われる。
参道の石段脇には「八景碑」がある。文化13(1816)年名主の大野貫蔵が建てたもので、近江八景に倣った「笠島夜雨、鮫洲晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」の大森八景が刻まれている。
現在御朱印対応はしていない。

境内社:稲荷神社
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by fbox12 | 2016-10-01 15:38 | 神社

44 岡宮浅間神社(おかのみやせんげんじんじゃ) 静岡県沼津市鎮座

a0057057_17514332.png鎮座地:静岡県沼津市岡宮285番地
御祭神:

境内を東海道新幹線が横切っている。
静岡県指定天然記念物「大クスノ木」がある。
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by fbox12 | 2016-09-19 17:55 | 神社

77 金宿稲荷 山梨県富士吉田市鎮座

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鎮座地:山梨県富士吉田市上吉田二丁目
御祭神:
(「金宿稲荷大明神」名の提灯が祠の中にあるが、正式な社名、その読みについては詳細不明)

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富士急行富士山駅(旧、富士吉田駅)近くに鎮座する。
鳥居前には、小さな神橋が··。
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by fbox12 | 2016-09-19 17:35 | 神社

76 波除稲荷神社(なみよけいなりじんじゃ) 東京都中央区鎮座

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鎮座地:東京都中央区築地6-20-37
主祭神:倉稲魂命
社格等:旧村社
社殿:本社唯一神明造

由緒書きから:
今から350年程前、この築地一帯は一面の海でした。江戸開府(1603年)時の慶長江戸絵図には、今の日比谷のお堀の辺りまで汐入を描き、八重洲の海岸に船の役所が見えます。開府前より始まった江戸城西丸の増築に掘られた、お堀の揚げ土を以って日比谷入江から埋め始められた、江戸東南海面埋立は、その後全国の諸侯七十家に千石に一人の人夫を出させ、後にはその埋立の役員の名をとり、尾張町、加賀町等と名附けられました。
そして70年の後、明暦の大火の後に4代将軍家綱公が手がけた最後の埋立の工事困難を極めたのが、この築地海面でした。堤防を築いても築いても激波にさらわれてしまうのです。
或夜の事、海面を光りを放って漂うものがあり、人々は不思議に思って船を出してみると、それは立派な稲荷大神の御神体でした。皆は畏れて、早速現在の地に社殿を作りお祀りして、皆で盛大なお祭をしました。ところがそれからというものは、波風がピタリとおさまり、工事はやすやすと進み埋立も終了致しました。萬治2(1659)年の事です。

人々は、その御神徳のあらたかさに驚き、稲荷大神に 『波除』 の尊称を奉り、又雲を従える<龍>、風を従える<虎>、一声で万物を威伏させる<獅子>の巨大な頭が数体奉納され、これを担いで回ったのが祭礼 『つきじ獅子祭』 の始まりです。
それ以来今に至るまで、「災難を除き、波を乗り切る」 波除稲荷様として、災難除・厄除・商売繁盛・工事安全等の御神徳に崇敬が厚いのであります。その御神徳はその後も益々大きく、当時辺境の地であった築地も次第々々に開け、現在の如く繁華街となったのであります。

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摂末社:()内は御祭神
 弁財天社(市杵島姫命)(上写真左)
末社
(天照大神、大国主命、少彦名命、天日鷲命)(上写真右)

獅子殿(右写真)

この神社最寄の駅・バス停:
 東京メトロ日比谷線 築地
 都営大江戸線 築地市場
 都営バス 築地6丁目


(参考資料:波除神社ホームページ / Wikioedia 平成28(2016)年1月24日)
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by fbox12 | 2016-09-15 23:00 | 神社

75 清霊神社(せいれいじんじゃ)静岡県駿東郡清水町鎮座

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鎮座地:静岡県駿東郡清水町玉川
御祭神:223柱の戦没者

第二次世界大戦後の昭和29(1954)年に建てられた、戦没者慰霊のための神社。
農業用ため池でもある「丸池」のそばに鎮座する。
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by fbox12 | 2016-09-01 10:22 | 神社

900 松阪徳和郵便局隣駐車場の小祠 三重県松阪市鎮座

a0057057_1042742.png鎮座地:三重県松阪市下村町
御祭神:

三重県松阪市にある松阪徳和郵便局(写真奥)隣の駐車場入り口にあった小祠。
前の道路は、「三重県道756号線」で、先に見える坂(JR紀勢本線をオーバークロスしている)は、戦前、今の近鉄の前身、かつての関西急行鐡道伊勢線(元、伊勢電氣鐡道本線)の廃線跡を道路に転用したもの。
また、1本北の道は、「旧伊勢街道」である。

この小祠最寄の駅・バス停:
JR紀勢本線・徳和
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by fbox12 | 2016-08-24 11:22 | 神社

73 阿治古神社(あじこじんじゃ) 静岡県熱海市鎮座

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鎮座地:静岡県熱海市網代172
御祭神:天照皇大神、手力男命、誉田和気命、拷幡千々姫命
相殿:大己貴命、少彦名命

由緒:
阿治古神社は、町を開拓した人たちが鎮守として建て、その後先祖が次々に祀り伝えてきた神社で、創建のときはいつであるかわからない。
正保三(1647)年の社記にはもともと朝日山に祀られていたが現在地に遷座したとある。

毎年7月20日が例大祭。御神幸行列に続き、御神船「両宮丸」が豊漁と無病息災を願い町内を走り抜ける。 阿治古神社より海岸まで町内を引き回る「御下り」と、阿治古神社に引き返し宮入の「御上り」。 御神船「両宮丸」には、漁船に神社と神輿が鎮座している。 船の名前は、阿治古神社と若宮神社の両方を祀ることに由来して命名されたもの。
この行事は、豊臣秀吉が小田原城を攻める時、網代の漁民が船を出したのが始まり、と伝えられている。

摂社:
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海積神社(龍神宮)、八坂祇園天王社、稲荷社
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by fbox12 | 2016-08-12 11:27 | 神社

43 旗岡八幡神社(はたがおかはちまんじんじゃ) 東京都品川区鎮座

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a0057057_973956.png鎮座地:東京都品川区旗の台3-6-12
御祭神:誉田別尊、比売大神、息長帯比売命
社格等:中延八幡宮、郷社、旗ヶ岡八幡神社

由緒:
a0057057_9195244.png長元3(1030)年に源頼信が当時下總國(現在の千葉県)において発生していた平忠常の乱を平定するために、下総に行く途中この地に宿営し霊威を感得して、この地に八幡大神を奉り戦勝を祈願したのが地名の発祥とされる。当時この地に陣を張り、源氏の白旗をなびかせて武威を大いに誇ったという。そのことが現地名の「旗の台」や「旗岡」の名の由来になっているとされる。その後、鎌倉時代に入り、当地の領主・荏原義宗(源義家の末裔と言われている)によって社殿等が建立され、源氏の守護神のみならず地域の鎮守神とした] 。また荏原義宗は日蓮宗に篤く帰依し、息子を日蓮の高弟・日朗の弟子とさせた。息子は後に朗慶上人となり、荏原氏の館跡に法蓮寺を開山した。この寺院は長く隣接する旗岡八幡神社の別当寺となった。明治時代に別当は廃止されたが、現在でも当神社に隣接してある(右写真)。また、旗岡八幡神社の前の道は鎌倉道のひとつで古来より鎌倉へと通じる道として知られていた。
その後の時代になっても人々からの信仰は厚く、江戸時代には二代将軍・徳川秀忠に祈願所とされたほか、特に弓術者から篤い信仰を得て、毎年2月15日には近郊の各地から武士が集まって境内で弓術の競射が行われるようになり、有名であった。試合後は一同に甘酒が振舞われたに由来して、現在でも2月になると『甘酒祭』が当神社内でとりおこなわれている。また江戸時代には『中延八幡宮』とも呼ばれ、江戸名所図会にもその名で描かれている。
その後、第二次世界大戦による戦災で拝殿等が焼失。(絵馬堂のみ残存)現在の社殿は昭和39(1964)年に再建されたものである。
昭和62(1987)年、『旗ヶ岡八幡神社と鎌倉道』が「しながわ百選」に選ばれた。

この神社最寄の駅・バス停:
 東急大井町線 荏原町


(参考資料:Wikipedia 平成26(2014)年4月25日更新)
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by fbox12 | 2016-08-07 09:23 | 神社