fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

カテゴリ:神社( 118 )

第四拾壱 翁稲荷社 静岡県静岡市駿河区鎮座

a0057057_2295871.png鎮座地:静岡県静岡市駿河区稲川1-2-25
祭神:安倍晴明公
社名かな:おきないなりしゃ

由緒: 
翁稲荷社は、駿府で唯一陰陽師安倍晴明公を祀っている神社。方位の神で、1月には諸願成就を祈願する末広だるま開眼祭を行っている。

この神社最寄の駅またはバス停:
JR東海道線(東海道新幹線)静岡駅(南口)
[PR]
by fbox12 | 2017-01-12 22:24 | 神社

第八拾九 真清田神社 愛知県一宮市鎮座

a0057057_17214539.png

a0057057_23571594.pnga0057057_23574850.png
a0057057_17345573.png鎮座地:愛知県一宮市真清田1-2-1
主祭神:天火明命(あめのほあかりのみこと)
社格等:式内社(名神大)、尾張國一宮、旧国幣中社、神社本庁別表神社
社名かな:ますみだじんじゃ
神階:
 六国史時代における神階奉叙の記録
  承和14(847)年11月11日、無位から従五位下 (『続日本後紀』) - 表記は「真清田天神」。
  仁寿元(851)年11月13日、官社に列す (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「真清田神」。
  仁寿3(853)年5月22日、従五位上から従四位下 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「真清田神」。
  貞観7(865)年7月26日、従四位上から正四位上 (『日本三代実録』) - 表記は「真清田神」。
 六国史以後
  正一位 (『尾張国内神名帳』) - 表記は「真清田明神」。
a0057057_17302868.png本殿様式:三間社流造

概要:
愛知県北西部、一宮市の中心部に鎮座する。創建は詳らかでないが、古代に尾張地方を治めた尾張氏の奉斎に始まるとされ、尾張氏祖神の天火明命を祭神とする。中世には尾張国の一宮に位置づけられ、一帯の地名「一宮」はこの真清田神社の社格に由来する。現在でも一宮市の市章は真清田神社の神宝がモチーフとされるように、古くから一宮地域の発展に関わってきた古社である。
社殿は第二次世界大戦中の空襲で焼失したため、現在見られるものは戦後の再建になる。そのうち、本殿・祭文殿(さいもんでん)などは神社建築としての造形を評価され、国の登録有形文化財に登録されている。また国の重要文化財の木造舞楽面12面、朱漆器25点をはじめとして、多くの文化財も伝世する。そのほか、創建日とされる3月3日に行われる例祭は「桃花祭(とうかさい)」として知られる。

祭神について:
現在、真清田神社の祭神は上記の通り天火明命とされるが、かつては国常立尊祭神説や大己貴命祭神説など複数説が存在した。これらのうち国常立尊祭神説は、『真清田神社縁起(古縁起)』(室町時代末期頃成立)に記される説で、最も古い時代に遡る。国常立尊は神話では天地開闢の時に最初に現れた神とされ、『古縁起』では崇神天皇の時に国常立尊を勧請して祀ったとする。しかし近年では、同書が続けて真清田神社を日本中の一宮と主張していることから、伊勢神宮と比肩するために天照大神より古い国常立尊が持ちだされたものと考えられている。一方、大己貴命祭神説は『大日本国一宮記』に見える説で、出現は室町時代末期から江戸時代初期頃に遡り、諸文献に散見される。
これらに対して天火明命祭神説は、江戸時代に吉見幸和や栗田寛により唱えられたものである。天火明命は、『日本書紀』『古事記』の神話では天照大神の孫神(天忍穂耳命の子神)とされ、『先代旧事本紀』では饒速日命と同一視される神である。そしてこの天火明命に比定する説において、社名の「マスミ」が真清鏡(ますみのかがみ)のように鏡に関係する語であるとして、鏡作氏や尾張氏の祖神の天火明命が祭神だと想定された。しかしながら、尾張氏は尾張地方に広く勢力を持った氏族ではあるが、真清田神社との関係を示す文献・伝承は知られていない。
歴史的には、中世末期から江戸時代までは国常立尊祭神説が主流で、明治の時点での祭神は国常立尊のほか天照大御神・月夜見神・大己貴神・大竜王神の5柱となっていた。しかし『特選神名牒』において「天照大御神」が「天火明命(天照国照彦天火明尊)」の誤記と見なされ、かつ他の4柱が省略され天火明命1柱とされた関係で、以後は現在まで天火明命1柱説が採用されている。なお、『真清田神社史』では国常立尊祭神説を荒唐無稽としながらも、天火明命と大己貴命については、それぞれ尾張氏の祖先神と奉斎神(土地神)であった可能性を指摘する。
なお祭神の性格に関しては、過去の祭神に龍神が見えることから水神の性格が指摘されるほか、『赤染衛門集』の記述から農業神の性格も指摘される。

歴史:
創建
創建について現在の真清田神社社伝では、祭神の天火明命は大和国葛城地方(現・奈良県葛城地方)の高尾張邑を出て、神武天皇33年3月3日に当地で鎮祭されたのが始まりとする。
一方古文献では、真清田神社の創建に関して初代神武天皇の時とする説、第10代崇神天皇の時とする説の2説が知られる。
 神武天皇年間説
 『一宮神宮記』や『尾張国一宮伝記』など近世の文献に見られる伝承。両書では神武天皇年間、『尾張国名所図会』では神武天皇33年3月3日に祭神が「松降荘青桃丘」(現社地)に鎮座したとする。
 崇神天皇年間説
 神社に関する基本文献、すなわち『真清田神社縁起(古縁起)』(室町時代末期頃成立)と『真清探桃集』(江戸時代中期成立)に見られる伝承。現社地の「青桃之丘」は国常立尊の国土造成のゆかりの地とし、崇神天皇の夢想によりその縁で国常立尊を当地に奉斎したとする。

上記の文献はいずれも中世以降の成立になるため、これらの伝承の真偽や、神武天皇や崇神天皇の時期に淵源を求めた理由は明らかとなっていない。このうち神武天皇33年3月3日という年月日については、すでに存在した桃花祭(3月3日)から逆に創造されたとする説がある。これら文献を受け『真清田神社史』では、尾張氏が大和葛城地方から尾張に進出し、崇神天皇頃にあたる尾張氏一族の倭得玉彦命(『先代旧事本紀』「天孫本紀」に見える人物)の時期に神社が創祀されたと想定している。
社名「ますみだ」の語源は明らかでないが、後述のように文献では「真清田」「真墨田」の2種類の用字が存在する。この相違に関して、『延喜式』のみ「墨」の用字であることから、『延喜式』の表記が実は『弘仁式』(820年)の古い表記の踏襲と推測する説がある。歴史的には、その後は好字「清」の表記が定着した。なお『延喜式』神名帳では美濃国各務郡に村国真墨田神社(岐阜県各務原市)とも見え、真清田神社との関連が指摘される。

概史:
延長5(927)年成立の『延喜式』神名帳では尾張国中島郡に「真墨田神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。また『尾張国内神名帳』(尾張国内神名牒)では、「正一位 真清田明神」と記載されている。
永万元(1165)年の「神祇官諸社年貢注文」に「尾張国一宮 八丈五疋」とあるのを初見として、平安時代末期以降に真清田神社は尾張国で一宮の地位にあったとされ、これは現在の一宮市の市名の由来にもなっている。一宮に次ぐ尾張国二宮は大縣神社(犬山市宮山)、三宮は熱田神宮(名古屋市熱田区)とされるが、神階・格式の点では熱田神宮の方が尾張国で最高位にあり矛盾する。この点については古来諸説が挙げられているが、今日では尾張国府との距離関係の反映とする説や、東海道における京からの位置関係の反映とする説が一般視されている。
真清田神社は古来多くの社領を有したが、それらは「真清田荘」として荘園化し、平安時代末には八条院領のうち安楽寿院領に含まれた。嘉禎元(1235)年の文献によると、社領は水田129町9反300歩、うち定田は96町120歩で、旧中島郡のほか葉栗郡・愛智郡・海東郡・海西郡一帯に分布したとされる。中世期の他の文書からも、社領が広範囲に渡った様子が指摘される。また天文年間(1532年-1555年)からは佐分氏が神職を務めるようになった(幕末まで世襲)。その後天正12(1584)年には大地震で社殿が崩壊し、豊臣秀吉に社領も没収されて社勢は衰えたという。
江戸時代に入ると徳川氏から庇護を受けて復興し、尾張藩主松平忠吉から社領200石の寄進、さらに寛永4(1627)年には藩主徳川義直から105石余の寄進を受け、336石6斗余の社領を有するようになったという。寛永16(1639)年には義直から細別を記した黒印状が下されたほか、寛文5(1665)年には四代将軍徳川家綱から朱印状が下されている。
明治維新後、明治18(1885)年に近代社格制度において国幣小社に列した。かつて「真清田大名神」「真清田大明神」「一宮真清田大神」「一宮大明神」と称された社名も、明治に現在の「真清田神社」に統一された。その後、大正3(1914)年に国幣中社に昇格した。戦後は神社本庁の別表神社に列している。

摂末社:
平成6(1994)年時点の摂末社は、摂社2社(境内2社)・末社36社(境内11社・境外25社)の計38社。
かつて室町時代には別宮4社(四所別宮)・末社88社があったというが、江戸時代の延宝年間(1673年-1681年)頃には末社45社(別宮不明)、『真清探桃集』(江戸時代中期)の頃には別宮は荒廃し末社10余社の状態であった。明治から大正にかけての摂末社整理ののち、昭和40(1965)年)に服織神社の新設、平成5(1993)年に三明神社の復興がなされたほか、境内外末社も変遷を経て現在に至っている。

摂社
三明神社
祭神:本宮荒魂
社名かな:さんみょうじんしゃ
別名「印珠宮」「三明印珠宮」。旧四所別宮のうち筆頭(第一別宮)。本殿裏手に鎮座。
「三明印珠宮」の別名は3種の印珠を蔵したことに由来するという。本宮の荒魂を祀るとして重要視され、桃花祭では本宮の山車(東車)とともに三明神の山車(西車)が出される。中世の古絵図のうちでは、本宮西側にある宝形造の寺院風建物に比定される。江戸時代頃には拝殿西側に独立して祀られていたが、大正元(1912)年に末社犬飼社に合祀され、平成5(1993)年に再び独立社として復興された。この三明神社に関しては、かつて7月7日に行われた吉祥祭が知られるほか、祭祀背景に仏教的要素が指摘される。

服織神社
祭神:萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)
社名かな:はとりじんじゃ
本殿東方に鎮座。祭神は別名を「栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)」ともいい、天火明命(本宮主祭神)の母神にあたる。一宮市が織物産業で栄えたことから、昭和40(1965)年に織物の神社として創建された。7月第4日曜前後の5日間の織物感謝祭は、昭和31(1956)年に始まるもので、現在は「一宮七夕まつり」として知られる。

末社:
現在の境内末社は次の11社。社殿はいずれも昭和20(1945)年焼失以後の再建。

神明社
玉垣内、本殿東側に鎮座し南面する。祭神は天照大神、品陀和気命。玉垣内に鎮座する唯一の末社であるが、古絵図では本殿横に末社の記載はなく、後世に文献の解釈を誤ったための鎮座とする説がある。大正元(1912)年に元々の神明社(天照大神)に旧摂社新八幡宮を合祀。

三末社 - 服織神社東側に3社を併祀。
天神社
 3社のうち西社。祭神は天神七代神、伊弉冉命、速玉男神、事解男神、訶遇突智神、市杵島姫神。明治44(1911)年から大正元(1912)年の間に旧第二別宮の七代宮(天神七代神)に愛宕社・熊野社・厳島社・新愛宕社を合祀。
犬飼社
 3社のうち中央社。祭神は犬飼神、底筒男神、中筒男神、表筒男神、神功皇后、猿田彦命、真神田曽根連、本宮荒魂、菊理姫命。大正元(1912)年に元々の犬飼社(犬飼神)に住吉社・三明神社(平成5(1993)年に境内摂社として分祀)・白山社・古守社を合祀。
愛鷹社
 3社のうち東社。祭神は愛鷹神、瀬織津姫神、速秋津姫神、速佐須良姫神、気吹戸主命、木花咲屋姫神。大正元(1912)年に元々の愛鷹社(愛鷹神)に祓戸社・浅間社を合祀。
愛宕社
 三末社東側、小山の上の3社のうち中央社。防火の神。
須佐之男社
 三末社東側、小山の上の3社のうち西社。祭神は須佐之男神。元は境外の神社であったが、明治23(1890)年に真清田神社境内末社に編入。
秋葉社
 三末社東側、小山の上の3社のうち東社。祭神は訶遇突智神。元は境外の神社であったが、戦後に真清田神社境内に遷座。
稲荷社
 楼門内東方に鎮座。祭神は倉稲魂命。元は境外の神社であったが、戦後に真清田神社境内に遷座。
厳島社
 境内南東の神池に鎮座。祭神は市杵島姫神。
八龍神社
 境内末社のうちでは最も新しい平成元(1989)年の創建。元は厳島社に祀られた龍神石が、神仏分離で日泰寺に移り、再び真清田神社に還ったときに創建された。
三八稲荷社
 祭神は倉稲魂命。元は「新稲荷社」として境内西北に鎮座したが、戦後に「三八稲荷社」に改称して現在地に遷座。社名「三八(さんぱち)」は、戦前まで真清田神社社前で開かれた織物中心の市「三八市」に由来する。
このほか、境外末社として25社が分布する。主なものとしては、旧第三別宮の神明社(一宮市真清田)・浜神明社(一宮市桜)、旧第四別宮の大神社(一宮市天王)・大石社(一宮市桜)、真清田神社社家の祖神を祀る古守社(一宮市松降)がある。『真清探桃集』では末社88社はいずれも境内社とし、これら現在の境外末社は「属社」の分類で24社を掲載する。これら境外末社は江戸時代には神職・社僧の控とされたが、その鎮座地はかつて中世期の真清田神社神領地であった可能性が指摘される。

この神社最寄りの駅・バス停
JR東海道本線 尾張一宮駅または名鉄名古屋本線 名鉄一宮駅
a0057057_2126939.png名鉄バスまたは一宮市コミュニティ(千秋ふれあい)バス 本町(停)
参考資料:Wikipedia(2016年12月15日)
記事:
 取材:28.12.28
 投稿:29.1.-9
 調整:29.1.17

[PR]
by fbox12 | 2017-01-09 23:58 | 神社

第八拾八 (豊田町) 諏訪神社 静岡県磐田市鎮座

a0057057_21481346.png

a0057057_21505525.pnga0057057_2224758.png

a0057057_2282568.pnga0057057_2265028.png

鎮座地:静岡県磐田市立野779
祭神:

参考資料:静岡県神社庁HP
 取材:28.8.-4
 投稿:28.12.25

[PR]
by fbox12 | 2016-12-25 21:40 | 神社

第八拾七 豆塚神社 静岡県伊豆の国市鎮座

a0057057_957407.png

a0057057_9581142.pnga0057057_959229.png

a0057057_9595857.pnga0057057_100208.png

a0057057_23223615.png鎮座地:静岡県伊豆の国市北江間3
祭神:石徳高命(いわとこたけのみこと)
社名かな:まめづかじんじゃ
社格等:式内社 伊豆國田方郡 石徳髙神社、旧郷社

由緒:
創建の年代は詳でないが明神帳に依れば大明神と書いた古額あり、 又文明四年と記した神器あり。昔は雄徳山大男山に鎮座せしを幾度か遷祀し江間小四郎平義時(北條義時:北條時政の次男。源頼朝の正室・北條政子の弟)現地豆塚に遷し大明神と稱せり。明治六(1873)年九月郷社に定められ 大祭には県よりの奉幣便により神事を行う。往時は江間郷北條郷は一郷にて狩野川の流れが中間を流れる様になり、總鎮守を江間郷に 北條郷は守山の地に遷し祀った(筆者注:頼朝旗揚げの地、守山八幡宮)。

境内社:
a0057057_23244227.png


参考資料:
 静岡県神社庁HP他
記事:
 取材:28.3.16
 投稿:28.12.17
 
[PR]
by fbox12 | 2016-12-18 09:49 | 神社

86 (六合)八幡宮 静岡県島田市鎮座

a0057057_20215014.png

a0057057_20222641.pnga0057057_20232588.png

a0057057_20261825.pnga0057057_20265673.png

鎮座地:静岡県島田市道悦4丁目4
祭神:

由緒:
a0057057_203443.pngJR東海道線六合駅前に鎮座する。
(写真の脇鳥居から六合駅のホームが見える。・・タイトルは、鳥居反対側)
[PR]
by fbox12 | 2016-12-07 21:28 | 神社

61 春日大社 奈良県奈良市鎮座

a0057057_2020032.png
a0057057_1637383.pnga0057057_20281038.png
上の御朱印は、第六十次式年造替の外遷宮を記念して、御假殿参拝用として謹製されたもの。
円形、「春日大社」の周りにゆかりの深い藤巴紋、更にその外側に「第六十次式年造替 拝御假殿」と巡らせている特別なもの。
平成28年11月6日の本殿遷座祭までの期間限定。

a0057057_20401162.png鎮座地:奈良県奈良市春日野町160
社名よみ:かすがたいしゃ
祭神:春日神(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の総称)
社格等:式内社(名神大)、二十二社(上七社)、旧官幣大社、勅祭社、神社本庁別表神社

a0057057_15521581.png由緒:
春日大社は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設され、旧称は春日神社。神紋は「下がり藤」。
全国に約千社ある春日神社の総本社である。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の一つとして登録されている。

歴史:
奈良・平城京に遷都された和銅三(710)年、藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を春日の御蓋山(みかさやま)に遷して祀り、春日神と称したのに始まるとする説もあるが、社伝では、神護景雲二(768)年に藤原永手が鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって創祀としている。ただし、近年の境内の発掘調査により、神護景雲以前よりこの地で祭祀が行われていた可能性も出てきている。
藤原氏の隆盛とともに当社も隆盛した。平安時代初期には官祭が行われるようになった。当社の例祭である春日祭は、賀茂神社の葵祭、石清水八幡宮の石清水祭とともに三勅祭の一つとされる。嘉祥三(850)年には武甕槌命・経津主命が、天慶三(940)年には、朝廷から天児屋根命が最高位である正一位の神階を授かった。『延喜式神名帳』には「大和国添上郡 春日祭神四座」と記載され、名神大社に列し、月次・新嘗の幣帛に預ると記されている。
藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺との関係が深く、弘仁四(813)年、藤原冬嗣が興福寺南円堂を建立した際、その本尊の不空絹索観音が、当社の祭神・武甕槌命の本地仏とされた。神仏習合が進むにつれ、春日大社と興福寺は一体のものとなっていった。十一世紀末から興福寺衆徒らによる強訴がたびたび行われるようになったが、その手段として、春日大社の神霊を移した榊の木(神木)を奉じて上洛する「神木動座」があった。
明治四(1871)年に春日神社に改称し、官幣大社に列した。昭和二一(1946)年十二月に現在の春日大社に改称した。

境内:
a0057057_20355269.png本殿は春日造で四棟並んで立っており、第一殿に武甕槌命、第二殿に経津主命、第三殿に天児屋根命、第四殿に比売神が祀られている。拝殿はなく、一般の参拝者は幣殿の前にて、初穂料を納めて特別拝観を申し込んだ場合は本殿前の中門から参拝することになる。

a0057057_21134813.png摂末社:広大な境内には多数の摂末社がある。以下に挙げるのは代表的なもの。

若宮神社
 祭神:天押雲根命(比売神の御子神)
 本殿の東側に所在。
十二社
 若宮神社・夫婦大国社を始めとし、本殿東側に所在。「福の神十二社めぐり」として古来より崇敬を集める
榎本神社
 祭神:猿田彦大神 - 祭神は当地の地主神であり、元々この地で祀られていた神であるとされる。中世までは巨勢姫明神とされていた。
 式内社。本殿廻廊の西南隅に所在。
祓戸神社
 祭神:瀬織津姫
 貮之鳥居横に所在。参拝者はここでまず身を清めてから参拝するのが習わしとなっている。『南安曇郡誌』の記述などから、本殿第四殿に祀られている比売神とは、もともとは瀬織津姫のことであったとする説もある
一言主神社
 祭神:一言主大神
 本殿の西南側に所在。平安時代初期に興福寺境内に創建されたものを遷す。
金龍神社
 祭神:金龍大神
 本殿の東側に所在。後醍醐天皇ゆかりの神社であり、「禁裡殿」とも呼ばれる。
a0057057_2164521.png総宮神社
 祈禱所の駐車場側に所在。

a0057057_17271235.pngこの神社最寄の駅・バス停:
近鉄奈良およびJR奈良駅から奈良交通バス「春日大社本殿」行き終点「春日大社本殿」
奈良交通バス(市内循環外回り)「春日大社表参道」下車、徒歩約10分。

参考資料:Wikipedia(2016年3月9日)
記事:
 取材:28.3.-6/-7
 投稿:28.3.11
 調整:28.11.30

境外末社
a0057057_16482055.png61-12 手力雄神社

鎮座地:奈良県奈良市橋本町39
社名よみ:たじからおじんじゃ
祭神:手力雄命(たじからおうのみこと)

由緒・歴史:
古くはこの地に楊柳の大木があったと伝わり、奈良坊目拙解には以下のように記されている。

有楊柳大木手力雄社内 枝葉繁茂而覆道路 謂手力雄柳 近世大風折損過半 今僅存株餘焉

奈良三条通北側東端築地の上にあり、後方は築地塀を挟んで興福寺会館となる。
明治28(1895)年6月、三条通の拡幅時に、奥行き一間六分が切り縮められ道路に編入された。同年8月、石壇整備などを進め、社殿も少々移転した。

参考資料:Wikipedia(2016年8月2日)
記事:
 取材:28.3.-7
 投稿:28.11.30
[PR]
by fbox12 | 2016-11-30 15:56 | 神社

84 津島神社 静岡県焼津市鎮座

a0057057_1575326.png

a0057057_15364171.pnga0057057_15393749.png

a0057057_15421856.png
鎮座地:静岡県焼津市西焼津
祭神:

JR西焼津駅の北東に鎮座する。

取材:28.8.-4
投稿:28.11.20
[PR]
by fbox12 | 2016-11-20 15:45 | 神社

83 魚河岸水神社遥拝所 東京都中央区鎮座

a0057057_22353278.png

a0057057_2238580.pnga0057057_22401242.png

a0057057_22412735.pnga0057057_22442666.png
鎮座地:東京都中央区築地6-27築地魚市場内
祭神:弥都波能売命
社名かな:うおがしすいじんじゃようはいじょ

a0057057_2351263.png由緒:(境内石碑より)
水神社の歴史は古く、天正18(1590)年、徳川家康公の江戸入府とともに移住してきた日本橋魚市場の開祖・森孫右衛門ら摂津国の佃村・大和田村の漁師たちが、大漁・海上安全と子孫繁栄を祈願して「弥都波能売命」を祀った「大市場交易神」がその始まりといわれています。
明治34(1901)年には神田神社(神田明神)の境内に「水神社」本殿が建立され、日本橋魚市場は関東大震災以後に築地に移転し、現在地に遥拝所が建立されました。
以来、築地魚市場の守護神として「水神さま」と及びし、魚河岸会の人々の篤い崇敬によって大切に守られています。
この場所は、江戸時代は松平定信庭園跡で、明治維新後は海軍用地となり、境内にある「旗山」の碑は、日本海軍発祥のゆかりを記す貴重な史跡です。
尚、毎年二月には神田神社境内の水神社拝殿、御参拝が行われています。また遥拝所でも1・5・9月の年3回神事が執り行われています。

この神社最寄の駅・バス停:
 東京メトロ・日比谷線 築地/都営地下鉄・大江戸線 築地市場

取材:28.5.20
投稿:28.9.25
調整:28.11.20
[PR]
by fbox12 | 2016-11-20 15:03 | 神社

82 出雲大社 島根県出雲市鎮座

a0057057_19393188.png


a0057057_19403842.jpga0057057_11573296.png
a0057057_20322184.pnga0057057_1951499.png

a0057057_20504684.pnga0057057_23314177.png

鎮座地:島根県出雲市大社町杵築東195
主祭神:大国主大神
社名:いずもおおやしろ
社格等:天之御舎、天日隅宮(天日栖宮)、出雲宮、杵築宮、杵築大社、嚴神之宮、出雲大神宮、杵築大神宮、所造天下大神宮、杵築大社、出雲國大社、日本大社、出雲石(石同)之曾宮
式内社(名神大)、出雲國一宮、旧官幣大社、勅祭社、神社本庁別表神社、宗教法人出雲大社教宗祠
社殿:本殿大社造
札所等:出雲國神仏霊場1番

由緒・概要:
a0057057_1043768.png現在作法は、二拝四拍手一拝で拝礼する。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲國造家が祭祀を担ってきた。現在の宮司は84代国造千家尊祐で、平成14(2002)年宮司に就任した。宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり他に類を見ない。現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。約60年に一度行われている本殿の建て替えに際して、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開されることがある。
創建については、日本神話などにその伝承が語られている。以下はその主なものである。
大國主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。(『古事記』)
高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴神に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。(『日本書紀』)
所造天下大神(=大國主神)の宮を奉る為、皇神らが集って宮を築いた。(『出雲國風土記』出雲郡杵築郷)
神魂命が「「天日栖宮(あめのひすみのみや)」を高天原の宮の尺度をもって、所造天下大神の宮として造れ」と述べた。(『出雲國風土記』楯縫郡)
崇神天皇60年7月、天皇が「武日照命(日本書紀)(建比良鳥命(古事記))(天穂日命の子)が天から持って来た神宝が出雲大社に納められているから、それを見たい」と言って献上を命じ、武諸隅(たけもろすみ)を遣わしたところ、飯入根(いいいりね)が、当時の当主で兄の出雲振根に無断で出雲の神宝を献上。出雲振根は飯入根を謀殺するが、朝廷に誅殺されている。(『日本書紀』)
垂仁天皇の皇子本牟智和気(ほむちわけ)は生まれながらに唖であったが、占いによってそれは出雲の大神の祟りであることが分かり、曙立王と菟上王を連れて出雲に遣わして大神を拝ませると、本牟智和気はしゃべれるようになった。奏上をうけた天皇は大変喜び、菟上王を再び出雲に遣わして、「神宮」を造らせた。(『古事記』)
斉明天皇5(659)年、出雲國造に命じて「神之宮」を修造させた。(『日本書紀』)
伝承の内容や大社の呼び名は様々であるが、共通して言えることは、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。
また、出雲大社の社伝においては、垂仁天皇の時が第1回、斉明天皇の時が第2回の造営とされている。

祭神の変化
a0057057_11503729.png出雲國造新任時に朝廷で奏上する出雲國造神賀詞では「大穴持命(大國主大神)」「杵築宮(出雲大社)に靜まり坐しき」と記載があるので、この儀式を行っていた平安時代前期までの祭神は大國主大神であった。
やがて、神仏習合の影響下で鎌倉時代から天台宗の鰐淵寺と関係が深まり、鰐淵寺は杵築大社(出雲大社)の神宮寺も兼ねた。鰐淵寺を中心とした縁起(中世出雲神話)では、出雲の国引き・国作りの神を素戔嗚尊としていたことから、中世のある時期から17世紀まで祭神が素戔嗚尊であった。14世紀「当社大明神は天照大御神之弟、素戔嗚尊也。八又の大蛇を割き、凶徒を射ち國域の太平を築く。」と杵築大社(出雲大社)の由来が記され、寛文6(1666)年毛利綱広が寄進した銅鳥居(右写真)に刻まれた銘文には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と記された。
さらには、鰐淵寺の僧侶が経所で大般若経転読を行い、社殿では読経もした。また、江戸時代初期には社僧が寺社奉行と杵築大社(出雲大社)の運営管理に関する交渉を実施していた。
ところが、杵築大社(出雲大社)内は仏堂や仏塔が立ち並んで神事が衰微したため、17世紀の寛文年間の遷宮時に出雲國造家が神仏分離・廃仏毀釈を主張して寺社奉行に認められ、寛文4年から寛文5年にかけて仏堂や仏塔は移築・撤去され、経蔵は破却された。これに併せて祭神は素戔嗚尊から、古事記や日本書紀などの記述に沿って大國主大神に復した。

明治以降
明治4(1871)年にそれまでの杵築大社(きづきたいしゃ、きづのおおやしろ)と呼ばれていた社名を出雲大社(いずもおおやしろ:歴史的仮名遣いでは、いづもおほやしろ)と改称したが、一般には主に「いずもたいしゃ」と読まれる。同年官幣大社に列格の後、大正時代に勅祭社となった。

摂社・末社:
a0057057_11215424.png摂社 素鵞社
 社名:すがのやしろ
 祭神:素戔鳴尊(すさのおのみこと)

a0057057_16162044.png氏社(北氏社)
 社名:うじのやしろ
 祭神:天穂日命(あめのほひのみこと)
天照大御神の第二子、出雲国造の始祖であり、大國主大神の祭祀をつかさどり、その神裔は出雲大社宮司家として連綿と続き今日に至っている。出雲大社教の教祖

a0057057_16292174.png氏社(南氏社)(写真手前)
 社名:うじのやしろ
 祭神:宮向宿祢(みやむきのすくね)
天穂日命(あめのほひのみこと)より十七代目の神裔で允恭天皇の元年はじめて國造出雲臣の姓(かばね)を賜った。

十九社(写真奥)
 社名:じゅうくしゃ
 祭神:八百萬神(やおよろずのかみ)
神在祭の間(旧暦10/11~17)、集った全国各地の神々の宿所となる社。通常は全国各地の神々の遙拝所で、東西二宇あり写真は西側(東側は下釜社奥)

a0057057_1530435.png釜社(写真手前)
 社名:かまのやしろ
 祭神:宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)
保食神(うけもちのかみ)ともよばれる。食物全般にわたっての主宰神

a0057057_2242531.png境外摂社 祓社
 社名:はらえのやしろ:
 祭神:祓戸四柱神(はらえどよはしらのかみ)
 由緒:出雲大社に参拝する人々は、まずここで身心を祓い清める。
 祓戸四柱神とは、
  瀬津比咩咩t神(せおりつひめのかみ)
  速開都比咩神(はやあきつひめのかみ)
  気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
  速佐須良比text神(はやさすらひめのかみ)
大社では「荒垣」(本殿鎮座地の四囲にめぐらした石垣と塀)内を「境内」としていることから境外社。
勢溜(正門)を入ってすぐ、下り参道途中右手にある。

(以上出典:Wikipedia 平成28(2016)年10月29日)

この神社最寄の駅・バス停:
a0057057_21233781.pnga0057057_15104446.png








a0057057_16165077.png



JR山陰本線 出雲市(右写真上)一番のりばから
 一畑バス 正門前(停)(左写真)
一畑電車 電鉄出雲市(右写真下:JR出雲市駅そば)から(出雲大社前行き以外は川跡乗換)出雲大社前
 出雲大社前から徒歩あるいは一畑バス 正門前(停)



[PR]
by fbox12 | 2016-11-08 16:38 | 神社

81 山神神社 神奈川県小田原市鎮座

a0057057_16241870.png

a0057057_16244584.pnga0057057_16263592.png
a0057057_1627125.pnga0057057_16285069.png

鎮座地:神奈川県小田原市入生田289
御祭神:大山祇命
社名かな:さんじんじんじゃ

小田原早川の紀伊神社 (通称、木の宮さん)が管理社

この神社最寄りの駅・バス停
 箱根登山鉄道(箱根登山電車) 入生田
[PR]
by fbox12 | 2016-10-31 22:00 | 神社