fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

カテゴリ:神社( 117 )

第八拾八 (豊田町) 諏訪神社 静岡県磐田市鎮座

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鎮座地:静岡県磐田市立野779
祭神:

参考資料:静岡県神社庁HP
 取材:28.8.-4
 投稿:28.12.25

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by fbox12 | 2016-12-25 21:40 | 神社

第八拾七 豆塚神社 静岡県伊豆の国市鎮座

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a0057057_23223615.png鎮座地:静岡県伊豆の国市北江間3
祭神:石徳高命(いわとこたけのみこと)
社名かな:まめづかじんじゃ
社格等:式内社 伊豆國田方郡 石徳髙神社、旧郷社

由緒:
創建の年代は詳でないが明神帳に依れば大明神と書いた古額あり、 又文明四年と記した神器あり。昔は雄徳山大男山に鎮座せしを幾度か遷祀し江間小四郎平義時(北條義時:北條時政の次男。源頼朝の正室・北條政子の弟)現地豆塚に遷し大明神と稱せり。明治六(1873)年九月郷社に定められ 大祭には県よりの奉幣便により神事を行う。往時は江間郷北條郷は一郷にて狩野川の流れが中間を流れる様になり、總鎮守を江間郷に 北條郷は守山の地に遷し祀った(筆者注:頼朝旗揚げの地、守山八幡宮)。

境内社:
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参考資料:
 静岡県神社庁HP他
記事:
 取材:28.3.16
 投稿:28.12.17
 
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by fbox12 | 2016-12-18 09:49 | 神社

86 (六合)八幡宮 静岡県島田市鎮座

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鎮座地:静岡県島田市道悦4丁目4
祭神:

由緒:
a0057057_203443.pngJR東海道線六合駅前に鎮座する。
(写真の脇鳥居から六合駅のホームが見える。・・タイトルは、鳥居反対側)
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by fbox12 | 2016-12-07 21:28 | 神社

61 春日大社 奈良県奈良市鎮座

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上の御朱印は、第六十次式年造替の外遷宮を記念して、御假殿参拝用として謹製されたもの。
円形、「春日大社」の周りにゆかりの深い藤巴紋、更にその外側に「第六十次式年造替 拝御假殿」と巡らせている特別なもの。
平成28年11月6日の本殿遷座祭までの期間限定。

a0057057_20401162.png鎮座地:奈良県奈良市春日野町160
社名よみ:かすがたいしゃ
祭神:春日神(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の総称)
社格等:式内社(名神大)、二十二社(上七社)、旧官幣大社、勅祭社、神社本庁別表神社

a0057057_15521581.png由緒:
春日大社は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設され、旧称は春日神社。神紋は「下がり藤」。
全国に約千社ある春日神社の総本社である。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の一つとして登録されている。

歴史:
奈良・平城京に遷都された和銅三(710)年、藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を春日の御蓋山(みかさやま)に遷して祀り、春日神と称したのに始まるとする説もあるが、社伝では、神護景雲二(768)年に藤原永手が鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって創祀としている。ただし、近年の境内の発掘調査により、神護景雲以前よりこの地で祭祀が行われていた可能性も出てきている。
藤原氏の隆盛とともに当社も隆盛した。平安時代初期には官祭が行われるようになった。当社の例祭である春日祭は、賀茂神社の葵祭、石清水八幡宮の石清水祭とともに三勅祭の一つとされる。嘉祥三(850)年には武甕槌命・経津主命が、天慶三(940)年には、朝廷から天児屋根命が最高位である正一位の神階を授かった。『延喜式神名帳』には「大和国添上郡 春日祭神四座」と記載され、名神大社に列し、月次・新嘗の幣帛に預ると記されている。
藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺との関係が深く、弘仁四(813)年、藤原冬嗣が興福寺南円堂を建立した際、その本尊の不空絹索観音が、当社の祭神・武甕槌命の本地仏とされた。神仏習合が進むにつれ、春日大社と興福寺は一体のものとなっていった。十一世紀末から興福寺衆徒らによる強訴がたびたび行われるようになったが、その手段として、春日大社の神霊を移した榊の木(神木)を奉じて上洛する「神木動座」があった。
明治四(1871)年に春日神社に改称し、官幣大社に列した。昭和二一(1946)年十二月に現在の春日大社に改称した。

境内:
a0057057_20355269.png本殿は春日造で四棟並んで立っており、第一殿に武甕槌命、第二殿に経津主命、第三殿に天児屋根命、第四殿に比売神が祀られている。拝殿はなく、一般の参拝者は幣殿の前にて、初穂料を納めて特別拝観を申し込んだ場合は本殿前の中門から参拝することになる。

a0057057_21134813.png摂末社:広大な境内には多数の摂末社がある。以下に挙げるのは代表的なもの。

若宮神社
 祭神:天押雲根命(比売神の御子神)
 本殿の東側に所在。
十二社
 若宮神社・夫婦大国社を始めとし、本殿東側に所在。「福の神十二社めぐり」として古来より崇敬を集める
榎本神社
 祭神:猿田彦大神 - 祭神は当地の地主神であり、元々この地で祀られていた神であるとされる。中世までは巨勢姫明神とされていた。
 式内社。本殿廻廊の西南隅に所在。
祓戸神社
 祭神:瀬織津姫
 貮之鳥居横に所在。参拝者はここでまず身を清めてから参拝するのが習わしとなっている。『南安曇郡誌』の記述などから、本殿第四殿に祀られている比売神とは、もともとは瀬織津姫のことであったとする説もある
一言主神社
 祭神:一言主大神
 本殿の西南側に所在。平安時代初期に興福寺境内に創建されたものを遷す。
金龍神社
 祭神:金龍大神
 本殿の東側に所在。後醍醐天皇ゆかりの神社であり、「禁裡殿」とも呼ばれる。
a0057057_2164521.png総宮神社
 祈禱所の駐車場側に所在。

a0057057_17271235.pngこの神社最寄の駅・バス停:
近鉄奈良およびJR奈良駅から奈良交通バス「春日大社本殿」行き終点「春日大社本殿」
奈良交通バス(市内循環外回り)「春日大社表参道」下車、徒歩約10分。

参考資料:Wikipedia(2016年3月9日)
記事:
 取材:28.3.-6/-7
 投稿:28.3.11
 調整:28.11.30

境外末社
a0057057_16482055.png61-12 手力雄神社

鎮座地:奈良県奈良市橋本町39
社名よみ:たじからおじんじゃ
祭神:手力雄命(たじからおうのみこと)

由緒・歴史:
古くはこの地に楊柳の大木があったと伝わり、奈良坊目拙解には以下のように記されている。

有楊柳大木手力雄社内 枝葉繁茂而覆道路 謂手力雄柳 近世大風折損過半 今僅存株餘焉

奈良三条通北側東端築地の上にあり、後方は築地塀を挟んで興福寺会館となる。
明治28(1895)年6月、三条通の拡幅時に、奥行き一間六分が切り縮められ道路に編入された。同年8月、石壇整備などを進め、社殿も少々移転した。

参考資料:Wikipedia(2016年8月2日)
記事:
 取材:28.3.-7
 投稿:28.11.30
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by fbox12 | 2016-11-30 15:56 | 神社

84 津島神社 静岡県焼津市鎮座

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鎮座地:静岡県焼津市西焼津
祭神:

JR西焼津駅の北東に鎮座する。

取材:28.8.-4
投稿:28.11.20
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by fbox12 | 2016-11-20 15:45 | 神社

83 魚河岸水神社遥拝所 東京都中央区鎮座

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鎮座地:東京都中央区築地6-27築地魚市場内
祭神:弥都波能売命
社名かな:うおがしすいじんじゃようはいじょ

a0057057_2351263.png由緒:(境内石碑より)
水神社の歴史は古く、天正18(1590)年、徳川家康公の江戸入府とともに移住してきた日本橋魚市場の開祖・森孫右衛門ら摂津国の佃村・大和田村の漁師たちが、大漁・海上安全と子孫繁栄を祈願して「弥都波能売命」を祀った「大市場交易神」がその始まりといわれています。
明治34(1901)年には神田神社(神田明神)の境内に「水神社」本殿が建立され、日本橋魚市場は関東大震災以後に築地に移転し、現在地に遥拝所が建立されました。
以来、築地魚市場の守護神として「水神さま」と及びし、魚河岸会の人々の篤い崇敬によって大切に守られています。
この場所は、江戸時代は松平定信庭園跡で、明治維新後は海軍用地となり、境内にある「旗山」の碑は、日本海軍発祥のゆかりを記す貴重な史跡です。
尚、毎年二月には神田神社境内の水神社拝殿、御参拝が行われています。また遥拝所でも1・5・9月の年3回神事が執り行われています。

この神社最寄の駅・バス停:
 東京メトロ・日比谷線 築地/都営地下鉄・大江戸線 築地市場

取材:28.5.20
投稿:28.9.25
調整:28.11.20
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by fbox12 | 2016-11-20 15:03 | 神社

82 出雲大社 島根県出雲市鎮座

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鎮座地:島根県出雲市大社町杵築東195
主祭神:大国主大神
社名:いずもおおやしろ
社格等:天之御舎、天日隅宮(天日栖宮)、出雲宮、杵築宮、杵築大社、嚴神之宮、出雲大神宮、杵築大神宮、所造天下大神宮、杵築大社、出雲國大社、日本大社、出雲石(石同)之曾宮
式内社(名神大)、出雲國一宮、旧官幣大社、勅祭社、神社本庁別表神社、宗教法人出雲大社教宗祠
社殿:本殿大社造
札所等:出雲國神仏霊場1番

由緒・概要:
a0057057_1043768.png現在作法は、二拝四拍手一拝で拝礼する。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲國造家が祭祀を担ってきた。現在の宮司は84代国造千家尊祐で、平成14(2002)年宮司に就任した。宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり他に類を見ない。現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。約60年に一度行われている本殿の建て替えに際して、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開されることがある。
創建については、日本神話などにその伝承が語られている。以下はその主なものである。
大國主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。(『古事記』)
高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴神に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。(『日本書紀』)
所造天下大神(=大國主神)の宮を奉る為、皇神らが集って宮を築いた。(『出雲國風土記』出雲郡杵築郷)
神魂命が「「天日栖宮(あめのひすみのみや)」を高天原の宮の尺度をもって、所造天下大神の宮として造れ」と述べた。(『出雲國風土記』楯縫郡)
崇神天皇60年7月、天皇が「武日照命(日本書紀)(建比良鳥命(古事記))(天穂日命の子)が天から持って来た神宝が出雲大社に納められているから、それを見たい」と言って献上を命じ、武諸隅(たけもろすみ)を遣わしたところ、飯入根(いいいりね)が、当時の当主で兄の出雲振根に無断で出雲の神宝を献上。出雲振根は飯入根を謀殺するが、朝廷に誅殺されている。(『日本書紀』)
垂仁天皇の皇子本牟智和気(ほむちわけ)は生まれながらに唖であったが、占いによってそれは出雲の大神の祟りであることが分かり、曙立王と菟上王を連れて出雲に遣わして大神を拝ませると、本牟智和気はしゃべれるようになった。奏上をうけた天皇は大変喜び、菟上王を再び出雲に遣わして、「神宮」を造らせた。(『古事記』)
斉明天皇5(659)年、出雲國造に命じて「神之宮」を修造させた。(『日本書紀』)
伝承の内容や大社の呼び名は様々であるが、共通して言えることは、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。
また、出雲大社の社伝においては、垂仁天皇の時が第1回、斉明天皇の時が第2回の造営とされている。

祭神の変化
a0057057_11503729.png出雲國造新任時に朝廷で奏上する出雲國造神賀詞では「大穴持命(大國主大神)」「杵築宮(出雲大社)に靜まり坐しき」と記載があるので、この儀式を行っていた平安時代前期までの祭神は大國主大神であった。
やがて、神仏習合の影響下で鎌倉時代から天台宗の鰐淵寺と関係が深まり、鰐淵寺は杵築大社(出雲大社)の神宮寺も兼ねた。鰐淵寺を中心とした縁起(中世出雲神話)では、出雲の国引き・国作りの神を素戔嗚尊としていたことから、中世のある時期から17世紀まで祭神が素戔嗚尊であった。14世紀「当社大明神は天照大御神之弟、素戔嗚尊也。八又の大蛇を割き、凶徒を射ち國域の太平を築く。」と杵築大社(出雲大社)の由来が記され、寛文6(1666)年毛利綱広が寄進した銅鳥居(右写真)に刻まれた銘文には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と記された。
さらには、鰐淵寺の僧侶が経所で大般若経転読を行い、社殿では読経もした。また、江戸時代初期には社僧が寺社奉行と杵築大社(出雲大社)の運営管理に関する交渉を実施していた。
ところが、杵築大社(出雲大社)内は仏堂や仏塔が立ち並んで神事が衰微したため、17世紀の寛文年間の遷宮時に出雲國造家が神仏分離・廃仏毀釈を主張して寺社奉行に認められ、寛文4年から寛文5年にかけて仏堂や仏塔は移築・撤去され、経蔵は破却された。これに併せて祭神は素戔嗚尊から、古事記や日本書紀などの記述に沿って大國主大神に復した。

明治以降
明治4(1871)年にそれまでの杵築大社(きづきたいしゃ、きづのおおやしろ)と呼ばれていた社名を出雲大社(いずもおおやしろ:歴史的仮名遣いでは、いづもおほやしろ)と改称したが、一般には主に「いずもたいしゃ」と読まれる。同年官幣大社に列格の後、大正時代に勅祭社となった。

摂社・末社:
a0057057_11215424.png摂社 素鵞社
 社名:すがのやしろ
 祭神:素戔鳴尊(すさのおのみこと)

a0057057_16162044.png氏社(北氏社)
 社名:うじのやしろ
 祭神:天穂日命(あめのほひのみこと)
天照大御神の第二子、出雲国造の始祖であり、大國主大神の祭祀をつかさどり、その神裔は出雲大社宮司家として連綿と続き今日に至っている。出雲大社教の教祖

a0057057_16292174.png氏社(南氏社)(写真手前)
 社名:うじのやしろ
 祭神:宮向宿祢(みやむきのすくね)
天穂日命(あめのほひのみこと)より十七代目の神裔で允恭天皇の元年はじめて國造出雲臣の姓(かばね)を賜った。

十九社(写真奥)
 社名:じゅうくしゃ
 祭神:八百萬神(やおよろずのかみ)
神在祭の間(旧暦10/11~17)、集った全国各地の神々の宿所となる社。通常は全国各地の神々の遙拝所で、東西二宇あり写真は西側(東側は下釜社奥)

a0057057_1530435.png釜社(写真手前)
 社名:かまのやしろ
 祭神:宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)
保食神(うけもちのかみ)ともよばれる。食物全般にわたっての主宰神

a0057057_2242531.png境外摂社 祓社
 社名:はらえのやしろ:
 祭神:祓戸四柱神(はらえどよはしらのかみ)
 由緒:出雲大社に参拝する人々は、まずここで身心を祓い清める。
 祓戸四柱神とは、
  瀬津比咩咩t神(せおりつひめのかみ)
  速開都比咩神(はやあきつひめのかみ)
  気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
  速佐須良比text神(はやさすらひめのかみ)
大社では「荒垣」(本殿鎮座地の四囲にめぐらした石垣と塀)内を「境内」としていることから境外社。
勢溜(正門)を入ってすぐ、下り参道途中右手にある。

(以上出典:Wikipedia 平成28(2016)年10月29日)

この神社最寄の駅・バス停:
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JR山陰本線 出雲市(右写真上)一番のりばから
 一畑バス 正門前(停)(左写真)
一畑電車 電鉄出雲市(右写真下:JR出雲市駅そば)から(出雲大社前行き以外は川跡乗換)出雲大社前
 出雲大社前から徒歩あるいは一畑バス 正門前(停)



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by fbox12 | 2016-11-08 16:38 | 神社

81 山神神社 神奈川県小田原市鎮座

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鎮座地:神奈川県小田原市入生田289
御祭神:大山祇命
社名かな:さんじんじんじゃ

小田原早川の紀伊神社 (通称、木の宮さん)が管理社

この神社最寄りの駅・バス停
 箱根登山鉄道(箱根登山電車) 入生田
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by fbox12 | 2016-10-31 22:00 | 神社

80 冷川神社(ひえかわじんじゃ) 静岡県田方郡函南町鎮座

a0057057_20531125.png鎮座地:静岡県田方郡函南町大竹
御祭神:

概要:
JR東海道線函南駅正面にある階段を降りた突き当りにある神社。扁額には「水神社」とある。
神社南側を流れる川が「冷川」で、西側で来光川に合流する。
周囲は住宅地になっているが、丹那トンネルの工事中、工事現場に電源供給のため火力発電所が作られた。

吾妻鏡、石橋山の合戦の項にある北條宗時の最後:

宗時は伊豆國平井郷(現、静岡県田方郡函南町平井)を経て、早河の辺りで平氏方の伊東祐親軍に包囲され、小平井久重に射られて討たれた。

の「早河」は、この「冷川」の事と思われる。

この神社西側(来光川との合流点近く)には北條宗時の墓がある。
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by fbox12 | 2016-10-25 21:01 | 神社

79 穴守稲荷神社(あなもりいなりじんじゃ) 東京都大田区鎮座

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朱印帳は、御縁年午歳記念復刻版御朱印帳
奥之宮改修と境内整備の奉賛金奉納者に記念として授与されるもので、一般頒布はされていない。

鎮座地:東京都大田区羽田五丁目2番7号
御祭神:豊受姫命
社格等:旧村社

由緒:(社史)
社伝に云う。文化元年の頃(西暦1804年頃)鈴木新田(現在の空港内)開墾の際、沿岸の堤防しばしば激浪のために害を被りたり。或時堤防の腹部に大穴を生じ、これより海水侵入せんとす。ここにおいて村民等相計り堤上に一祠を勧請し、祀る処稲荷大神を以てす。これ実に当社の草創なり。爾来神霊の御加護あらたかにして風浪の害なく五穀豊穣す。その穴守を称するは「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」という心なり。そもそも稲荷大神は、畏くも伊勢の外宮に斎き祀られる豊受姫命にましまして、衣食住の三要を守り給える最も尊き大神なり。吾等一日たりともこの大神の恩顧を蒙らぬ日はなく、実に神徳広大なり。
殊に当社は明治以来、大正・昭和を通じて、最も隆昌に至った。参拝の大衆日夜多く境内踵を接する如く社頭又殷賑を極め、崇敬者は国内は勿論遠く海外にも及べり。然るに昭和二十年八月終戦にのぞみ、敗戦と云う未曾有の大混乱の中、米軍による羽田空港拡張の為、従来の鎮座地(東京国際空港内)より四十八時間以内の強制退去を命ぜられた。同年九月、地元崇敬者有志による熱意の奉仕により境内地七百坪が寄進され、仮社殿を復興再建。現在地(大田区羽田五丁目2番)に遷座せり。
爾来崇敬者各位の協力により、社殿・奥宮・神楽殿・社務所・展示場・神輿庫・納札所等復興し、目下境内整備を実施中にて、漸次昔日の面影を取り戻しつつある次第なり。

境内社:
奥之宮
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この神社最寄の駅・バス停:
京急空港線 穴守稲荷
京急空港線/東京モノレール羽田空港線 天空橋

(参考資料:穴守稲荷神社略記)
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by fbox12 | 2016-10-19 22:57 | 神社