fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

カテゴリ:神社( 118 )

第貮拾八 東雲神社(静岡東照宮) 静岡県静岡市葵区鎮座

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a0057057_20311311.pnga0057057_2026423.png
a0057057_20191362.png鎮座地:静岡県静岡市葵区丸山町13
祭神:東照公(徳川家康公)、速須佐之男命
社名かな:とううんじんじゃ

由緒:
東雲神社は古くから「丸山の権現さん」として親しまれてきた「東照宮」であります。創建は元和8(1622)年と伝えられ、「駿国雑誌」や「安東村村誌」によれば駿府城内にあった「東照宮」を現在地である府中浅間神社(現静岡浅間神社)の別当、惣持院境内に移したものと伝えられています。
惣持院は明治元(1868)年の神仏分離令により廃寺となりましたが、「東照宮」は明治8(1875)2月18日、村社に列せられ、同33(1900)年、村内にあった「八雲神社」を合祀し「東雲神社」と改称しました。
ほかに、「天神社」「稲荷社」が祀られています。
宝物として寛永20(1643)年三代将軍家光公の武運長久と子孫繁栄を祈願して作られた「東照公御尊像」のほか「慈性親王筆東照宮額」「三十六歌仙額」「駿府城代武田越前守信村奉納釣灯篭」「備前長光作脇差」などがあります。
「丸山」の地名は家康公が大御所として駿府城在城中の慶長年間、鷹狩のためこの地を訪れ、その趣が京の丸山に似ているとして名付けられたものです。
「駿府まちおこし」推進協議会 / 静岡市

社名標の左側は、静岡浅間神社の駐車場。


この神社最寄の駅または停留所:
JR静岡駅または静鉄新静岡駅から、しずてつジャストライン「丸山町」または「浅間神社」下車。


記事:
 投稿:28.5.-2
 調整:29.2.28/29.3.-1
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by fbox12 | 2017-02-28 15:52 | 神社

第伍拾貮 静岡浅間神社 静岡県静岡市葵区鎮座

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a0057057_1110347.pnga0057057_11513758.png

a0057057_111345.png静岡市街地に接する賎機山(しずはたやま)の麓に鎮座する、神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社からなり、「静岡浅間神社」は総称である。
三社は鎮座以来いずれも独立の神社として祭祀が行われている。式内社二社(神部神社・大歳御祖神社)、駿河国総社(神部神社)。江戸時代まではそれぞれ別の社家が奉仕してきた。三社(明治21(1888)年に別々に旧社格の国幣小社に昇格、現在は一つの法人格で神社本庁の別表神社である。

鎮座地:静岡県静岡市葵区宮ケ崎町102番地の1
社名かな:しずおかせんげんじんじゃ
社格等:神社本庁別表神社

概要:
a0057057_15322565.png社殿は江戸時代後期を代表する漆塗極彩色が施された壮麗なもので、計26棟が国の重要文化財に指定されている。この社殿群は文化元(1804)年より60年の歳月と約10万両の巨費を投じて建造されたもので、信州諏訪の立川和四郎ほか門弟により彫刻された花鳥霊獣類は繊細を極めている。特に、重層な大拝殿は高さ25メートルで木造神社建築としては、出雲大社本殿(約24メートル)より高く、まさに日本一の威容を誇る。

歴史:
鎮座地の賤機山(しずはたやま)は、静岡の地名発祥の地として知られ、古代より神聖な神奈備山としてこの地方の人々の精神的支柱とされてきた。6世紀のこの地方の豪族の墳墓であるとされている賤機山古墳(国の史跡)も、当社の境内にある。また、静岡市内には秦氏の氏寺である建穂寺、秦久能建立と伝えられる久能寺など当社の別当寺とされる寺院があり、その秦氏の祖神を賤機山に祀ったのが当社の発祥であるともいわれている。
当地に鎮座して以来、当社へは朝廷をはじめ、鎌倉将軍家、今川、武田、織田、豊臣、徳川など各氏の尊崇厚く、宝物の寄進、社領の安堵などの事績は枚挙にいとまがない。ことに徳川家康は、幼少の頃今川氏の人質として当社の北方約1kmのところにある臨済寺に預けられていた頃から、生涯に渡って当社を篤く崇敬した。 まず弘治元(1555)年、家康14歳の時、当社で元服式を行った。 そして天正10(1582)年、三河・遠江の戦国大名となっていた家康は、賤機山に築かれていた武田氏の城塞を攻略するにあたり、無事攻略できたならば必ず壮麗な社殿を再建するとの誓いを立てた上で当社の社殿を焼き払い、駿河領有後に現在の規模と同程度の社殿を建造した。 さらに家康が大御所として駿府在城時の慶長12(1607)年には、天下泰平・五穀豊穣を祈願して、稚児舞楽(現、静岡県指定民俗文化財・4月5日奉奏)を奉納した。
以来当社は、徳川家康崇敬の神社として歴代将軍の祈願所となり、神職社僧の装束類も幕府から下行されるようになるなど徳川将軍家から手厚く庇護されるようになった。 例えば、江戸時代初期の駿府藩主・駿河大納言徳川忠長は、この賤機山で猿狩りを行い当社の神の使の猿を狩ったことで、兄である将軍・徳川家光の逆鱗に触れたことが知られている。 こうした経緯から、明治初年に至るまでの社領等の総石高は2313石にも及んでいた。

a0057057_1113487.png神部神社

祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)- 駿河国開拓の祖神
社名かな:かんべじんじゃ
社格等:式内社(小)、駿河國總社、旧國幣小社
崇神天皇の時代(約2100年前)の鎮座と伝えられる。延喜式内小社で祈年の国幣に預った。国府が定められてからは国司崇敬の神社となり、平安時代より駿河国の総社とされた。


a0057057_11104823.png浅間神社

祭神:木之花咲耶姫命 (このはなのさくやひめのみこと)
社名かな:あさまじんじゃ
社格等:旧國幣小社

全国にある浅間神社の一社。延喜元(901)年、醍醐天皇の勅願により富士山本宮浅間大社より総社神部神社の隣に勧請され、以来冨士新宮として崇敬されてきた。


a0057057_11221314.pnga0057057_14332237.png
a0057057_14272290.png大歳御祖神社

祭神:大歳御祖命(おおとしみおやのみこと) - 倉稲魂神・大年神の母神で、神大市比売命を指す。
社名かな:おおとしみおやじんじゃ
社格等:式内社(小)、旧國幣小社

応神天皇の時代(約1700年前)の鎮座と伝えられ、元々は安倍川河畔の安倍の市(古代の市場)の守護神であった。古くは「奈古屋神社」と称された。延喜式内小社で祈年の国幣に預った。

境内社:
a0057057_1562959.png麓山神社

祭神:主神に大山祇命、日本武尊を配祀
社名かな:はやまじんじゃ

由緒は不詳ながら古来より賎機山山上に鎮座し、俗に山宮と称する。浅間神社の祭神・木之花咲耶姫命の父神を祀るので、その別宮とされ、従来四本社の一つに列し独立の神社であったが、明治12(1888)年7月22日郷社に列し、境内社となった。社殿は本殿・拝殿・唐門・透塀を備え、他の三本社と同規模の壮麗な建築で、細部に立川流の彫刻を置き、漆塗り極彩色を施す。


a0057057_154432.png八千戈神社

祭神:主神に八千戈命(大国主命)、相殿に明治6(1873)年以降合祭された18社13柱の神々(浅間神社末社九社・大歳社末社三社・麓山神社末社三社・旧安倍郡城内鎮座稲荷神社・旧安倍郡明屋敷村鎮座国分天神、騎射御霊)

徳川家康の念持仏であった摩利支天像を安置するために造営されたもので、摩利支天社と称し、徳川家をはじめ幕府が殊に崇敬を尽くし、社殿も本社に次いで造営され壮麗なものである。明治初年の神仏分離に際して、摩利支天は葵区大岩の臨済寺(今川家菩提寺)に遷され、八千戈神社となった。昭和5(1920)年5月29日の昭和天皇親拝の折は、両社修繕中であり当社を仮殿としていたため、当社に参拝した。


a0057057_15135941.pnga0057057_1536618.png少彦名神社

祭神:主神に少彦名命、相殿に神部神社末社14社
社名かな:すくなひこなじんじゃ

もと神宮寺薬師社と称し、薬師如来・十二神将を安置していたが、明治維新に際して臨済寺に遷され少彦名神社となった。古来医薬の神として薬業関係者や病気平癒を祈る人々の参詣が絶えない。


a0057057_15171317.pnga0057057_15493984.png玉鉾神社

祭神:羽倉東麿・岡部真淵・本居宣長・平田篤胤 - 国学の四大人
社名かな:たまほこじんじゃ

明治9(1876)年3月、静岡県内の神職が官許を得て創祀された神社。


この神社最寄の駅・バス停:
JR静岡駅・静鉄新静岡駅(しずてつジャストラインバスあり)


参考資料:静岡浅間神社ホームページ/Wikipedia(2017年1月22日)
記事:
 取材:16.9.-6
 投稿:29.2.28
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by fbox12 | 2017-02-28 11:40 | 神社

第九拾貮 砥鹿神社 愛知県豊川市鎮座

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鎮座地:(里宮)愛知県豊川市一宮町西垣内2
    (奥宮)愛知県豊川市上長山町本宮下4
祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)
神体:本宮山(神体山)
社格等:式内社(小)、參河國一宮、旧國幣小社、神社本庁別表神社
社名かな:とがじんじゃ

歴史:
社記(天正2(1574)年)の「參河國一宮砥鹿大菩薩御縁起」)では、大宝年間(701-704年)に文武天皇の時に天皇の病を鎮めるための勅使として草鹿砥公宣(くさかどのきんのぶ)が派遣され、本茂山(本宮山)の神を迎えて里宮が創建されたとする。
a0057057_2185144.png現在も砥鹿神社奥宮が鎮座する本宮山は東三河地方では中心的な孤峰であり、山中には磐座、山麓には古墳群の分布が知られることから、古代から信仰対象であったと考えられている。また上記伝承に見える草鹿砥氏は砥鹿神社の旧社家で、同氏は穂別の後裔と伝えることから、かつて当地一帯を治めたとされる穂国造により奉斎されたと推測する説がある。

神階・概史:
六國史時代における神階奉叙の記録
嘉祥3(850)年7月1日、従五位下 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「砥鹿神」。
仁寿元(851)年10月7日、従五位上 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「砥鹿神」。
貞観6(864)年2月19日、従五位上から正五位下 (『日本參代実録』) - 表記は「砥鹿神」。
貞観12(870)年8月28日、正五位下から正五位上 (『日本參代実録』) - 表記は「砥鹿神」。
貞観18(876)年6月8日、従四位下から従四位上 (『日本參代実録』) - 表記は「砥鹿神」。

a0057057_21173226.png仁寿元年条から貞観18年条はいずれの記事でも知立神(愛知県知立市の知立神社:三河国二宮)と併記され、六國史終了時点の神階は參河國内では知立神とともに最高位になる。
延長5(927)年成立の『延喜式』神名帳では参河國宝飫郡に「砥鹿神社」と記載され、式内社に列している。また、『參河國内神名帳』では「正一位 砥鹿大明神」と記載されている。
中世以降は、參河國一宮として尊崇された(一宮としての文献上初見は文永元(1264)年の訴状)。
戦国時代の永禄年間には、付近に徳川家康の命を受けた本多信俊が一宮砦を構えて今川軍に包囲されたが、家康が寡勢で救援に駆けつけて多勢の今川軍を蹴散らし、砥鹿神社に宿陣したとも伝わる。
明治維新後、明治4(1871)年には近代社格制度において国幣小社に列した。戦後は神社本庁の別表神社に列している。

摂社:

a0057057_2042521.png三河えびす社
祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと)
   建御名方命(たけみなかたのみこと)
社名かな:みかわえびすしゃ


八幡宮
祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと)
   天児屋根命(あめのこやねのみこと)
社名かな:はちまんぐう

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守見殿神社・本宮山遙拝所
祭神:大己貴命和魂(おおなむちのみことにぎたま)
   迦久神(かくのかみ)
   倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
社名かな:もりみでんじんじゃ


a0057057_15374440.png西参道大鳥居

この石鳥居は、もともとは本宮山砥鹿神社奥宮を遙拝するものとして、天保13(1842)年、岡崎藩家老職の長尾応二郎興達により旧宝飯郡市田村に建立されたものだが、昭和20(1945)年豊川海軍工廠への空襲時に損傷を受け、昭和31(1956)年に当地に移転された経緯を持つ。石鳥居としては市内で2番目の大きさであり、至る所に空爆の被弾痕が見られる。 本鳥居は、近世期以降の本宮山信仰の遺産として、且つまた戦争の悲惨さを伝える平和の象徴として価値を有する。(この項、砥鹿神社ホームページから)

参考資料:砥鹿神社ホームページ/Wikipedia(2016年10月23日)
記事:
 取材:28.12.28
 投稿:29.2.25
 調整:29.2.26/29.2.28
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by fbox12 | 2017-02-25 21:23 | 神社

第伍拾壱 高橋神社 静岡県三島市鎮座

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a0057057_19555735.pnga0057057_205839.png

鎮座地:静岡県三島市松本298番地
祭神:磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)
社名かな:たかはしじんじゃ

a0057057_2075496.pnga0057057_17403714.png(現在の)由緒書きから:
御祭神の磐鹿六雁命は、第十二代景行天皇の叔父に当たり、その子孫は代々大膳職(だいぜんじき:宮中の食事を司る職)の長官として宮中に仕えた。天武天皇の御代に高橋の姓(かばね)を賜り、以後高橋姓を名乗ってきたその一族がこの地に住み、祖神を祀ったのがその起源である。
その後の由緒については、ほとんど伝わらないが、現在の社殿は寛永元(1624)年の再建と伝えられる。
(左写真:以前の社殿・・近年、社殿の改修工事が行われた)

a0057057_20125327.png増訂豆州志稿(抜粋):
村社高橋神社祭神不詳
高橋明神神階帳従四位上
式内高椅神社也
延喜式考異ニ曰高橋(高椅)高ク架ケタル橋アリシヨリ起レルナル今社傍ニ石橋ノ地名存ス
上下兩村(上松本村・下松本村)今合村(松本村)ノ土神也
(右写真:旧本殿)

別資料から:
磐鹿六雁命は、醸造・調味料の神「高倍神(たかべのかみ)」として祀られていた。
料理の祖神、醤油・味噌などの醸造の神として調理師や調味業者などの信仰を集めている。

a0057057_19274020.jpg境内社:熊野神社、山神社

a0057057_21404263.jpg左側の祠

a0057057_2037148.jpg奉納 御山神守護と彫られた石(右側の祠)

a0057057_20273333.pngこの神社の南西は、別の鍬戸神社が鎮座しており、こちらの地名は三島市長伏。
神社の境内が境になっている(写真の瓦の部分)。


a0057057_15473654.pnga0057057_1553166.pngこの神社最寄りの駅・バス停:
東海バスオレンジシャトル 三島駅-新城橋-大平車庫 松本(停)
または、三島エクスプレス バスタ新宿-三島駅-大平車庫 松本(停)


記事:
 投稿:26.5.-9
 調整:29.2.20
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by fbox12 | 2017-02-20 21:33 | 神社

第四拾八 (駿州・横田)西宮神社 静岡県静岡市葵区鎮座

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鎮座地:静岡県静岡市葵区横田5-24
祭神:事代主神

概要:
毎年10月19日・20日に商売繁盛家内安全を願う、例大祭、通称「おいべっさん」が行われる。19日の夜から20日の午前中まで、伝馬町、横田町の通りが縁起物などを売る数十件の露店で賑わう。

この神社最寄の駅・バス停
静岡鉄道静岡清水線 音羽町
(JR東海道新幹線・東海道本線 静岡/静岡鉄道静岡清水線 新静岡)

参考資料:静岡県神社庁HP他
記事:
 取材:26.2.21
 投稿:29.2.10
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by fbox12 | 2017-02-10 16:10 | 神社

第九拾壱 南宮大社 岐阜県不破郡垂井町鎮座

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a0057057_11235293.pnga0057057_11415416.png
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鎮座地:岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1
主祭神:金山彦命
配神:彦火火出見命、見野命
社格等:式内社(名神大)、美濃國一宮、南宮神社、旧国幣大社、神社本庁別表神社
本殿様式:南宮造
社名かな:なんぐうたいしゃ

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神階:
承和3(836)年11月4日、従五位下 (『続日本後紀』) - 表記は「仲山金山彦大神」
承和13(846)年5月8日、正五位下 (『続日本後紀』) - 表記は「中山金山彦神」
貞観元(859)年正月27日、正三位 (『日本三代実録』) - 表記は「中山金山彦神」
貞観6(864)年5月21日、従二位 (『日本三代実録』) - 表記は「中山金山彦神」
貞観15(873)年4月5日、正二位 (『日本三代実録』) - 表記は「中山金山彦神」
康平5(1062)年、正一位

a0057057_173355.pnga0057057_17333552.png概要:
岐阜県西部、南宮山の山麓に鎮座する。「国府の南に位置する宮」として「南宮」を名乗るようになったとされる。鉱山を司どる神である金山彦命を祭神としており、全国の鉱山・金属業の総本宮として古くから信仰を集めている。境内には江戸時代の遺構18棟が残っており、国の重要文化財に指定されている。

a0057057_21475062.png歴史:
社伝では、崇神天皇の時代に創建されたとされる。
平安時代中期の『延喜式神名帳』には「美濃国不破郡 仲山金山彦神社」と記載され名神大社に列している。また、美濃国一宮とされた。
慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで焼失し、1642年に徳川家光が再建した。
1868年、神仏分離により神宮寺が分離移転した(現 朝倉山真禅院)。
近代社格制度のもとで、明治4(1871)年に「南宮神社」として国幣中社に列し、大正14(1925)年に国幣大社に昇格した。戦後、「南宮大社」と改称した。

a0057057_21485950.png由緒:
御祭神金山彦命は、神話に古く、伊勢神宮の天昭大神(あまてらすおおかみ)の兄神に当らせられる大神様であります。社伝によれば、神武天皇東征の砌、金鵄を輔(たす)けて大いに霊験を顕わされた故を以って、当郡府中に祀られたらせられ、後に人皇十代崇神天皇の御代に、美濃仲山麓の現在地に奉還され、古くは仲山金山彦神社として申し上げたが、国府から南方に位する 故に南宮大社と云われる様になったと伝えます。御神位は古く既に貞観15(873)年に正二位に叙せられ、延喜式の神名帳には美濃国39座の内、当社のみ国幣大社として 名神祭にも預る大社に列せられています。天慶3(940)年、平将門の乱の誅伏の勅願や、康平年中(1058~65)安部貞任(さだとう)追討の神験によって、 正一位勲一等の神位勲等を極められ、依頼、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、土岐氏等の有力な武将の崇敬をうけ、美濃国一宮として、亦、金の神の総本宮として、朝野の崇敬極めて厚い名大社であります。(境内由緒書き)

摂末社:
境内社
本殿回廊内
 樹下神社
  祭神:大己貴命
  摂社。本殿に向かって右隣に鎮座。社殿は重要文化財。
 高山神社
  祭神:木花開耶姫、瓊瓊杵尊
  摂社。本殿に向かって左隣に鎮座。社殿は重要文化財。南宮山山頂に奥宮が鎮座する。
 隼人神社
  祭神:火闌降命
  摂社。本殿に向かって右手に鎮座。社殿は重要文化財。
 南大神社
  祭神:天火明命
  摂社。本殿に向かって左手に鎮座。社殿は重要文化財。
 七王子神社
  祭神:大山祇神、中山祇神、麓山祇神、䨄山祇神、正勝山祇神、高靇神、闇靇神
  摂社。本殿背部に鎮座。社殿は重要文化財。
境内後方 
 荒魂社
  祭神:本社祭神の荒魂
 伊勢両宮
  祭神:天照大神、豐受大神。古くは本社本殿が鎮座した。
 東照宮
 南宮稲荷神社
 金敷金床神社
  祭神:豐岡姫命、蛭兒命
 石船社
 引常明神
 湖千海神社
境内前方
 数立神社
  本社入り口脇に鎮座。美濃国総社という説もある。
 落合神社
  祭神:素盞嗚命

境外社(いずれも摂社)
 大領神社
  鎮座地:垂井町宮代
  (位置)本社への東からの入り口
  祭神:宮勝木實
  美濃国二宮とされる。
 吉葛神社
  社名かな:よさつらじんじゃ
  鎮座地:垂井町宮代
  (位置)本社への北からの入り口
  祭神:天吉葛神
 南宮御旅神社
  鎮座地:垂井町府中
  (位置)本社の旧鎮座地
  祭神:金山姫命 (豊玉姫命、埴山姫命を配祀)
  現在は御旅所。美濃国総社とも伝えられる。

この神社最寄りの駅・バス停:
JR東海道本線 垂井駅から 南西へ約1km(徒歩約20分)
垂井町巡回バス 南宮大社前(垂井駅から1時間毎に発車。片方向運行全線100円)
名阪近鉄バス 大垣宮代線 南宮大社前(季節運行 : 毎年1月1日~3日)

参考資料:Wikipedia(2017年1月5日)
記事:
 取材:28.12.28
 投稿:29.2.6
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by fbox12 | 2017-02-06 21:51 | 神社

第四拾六 (小石川) 白山神社 東京都文京区鎮座

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鎮座地:東京都文京区白山5-31-26
御祭神:菊理姫命、伊弉諾命、伊弉冊命
社格等:准勅祭社・旧郷社
本殿様式:流造

由緒:創開は古く、天暦年間(947~957)に加賀一宮白山神社(白山比咩神社)を現在の本郷一丁目の地に勧請したと伝えられる。
後に元和年間(1615~1624)に二代将軍秀忠の命で、巣鴨原(現在の小石川植物園内)に移ったが、その後五代将軍職につく前の館林候綱吉の屋敷の造営のため、明暦元(1655)年現在地に再度移った。
この縁で綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受けた。
旧称白山権現社。この一帯の「白山」という地名の由来である。
現在でも、当地文京区白山と石川県白山市との相互の交流が続いている。

摂末社:
a0057057_2037337.png関東松尾神社

a0057057_20385146.pnga0057057_2040497.png

稲荷神社
浅間神社

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この神社最寄の駅・バス停:
a0057057_20432056.png東京都交通局・都営(地下鉄)三田線
 白山駅A3出口(この参道は脇の鳥居につづく - 上記鳥居写真)

参考資料:文京区ホームページ他
記事:
 取材:18.11.12他
 投稿:27.5.20
 調整:29.2.6

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by fbox12 | 2017-02-06 16:50 | 神社

第九拾壱之拾壱 吉葛神社 岐阜県不破郡垂井町鎮座(南宮大社境外摂社)

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鎮座地:岐阜県不破郡垂井町宮代
祭神:天吉葛神
社名かな:よさつらじんじゃ

参考資料:Wikipedia(2017年1月5日)
記事:
 取材:28.12.28

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by fbox12 | 2017-01-22 22:21 | 神社

第九拾 (一宮本町) 金刀比羅社 愛知県一宮市鎮座

a0057057_22334677.jpg鎮座地:愛知県一宮市本町一丁目1-22
祭神:
社名かな:ことひらしゃ

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by fbox12 | 2017-01-16 22:54 | 神社

第八拾伍 丹那神社 静岡県熱海市鎮座

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鎮座地:静岡県熱海市福道町8
祭神:丹那隧道工事関係殉職者67柱、大地主命(おおとこぬしのみこと)、大己貴命(おおなもちのみこと)、手力男命(たじからおのみこと)、豊岩門戸命 (とよいわまどのみこと)、櫛岩門戸命(くしいわまどのみこと)
社名よみ:たんなじんじゃ

由緒:
大正10(1921)年4月1日、丹那トンネルの東口工事現場で起工以来最初の大崩壊事故が発生、多数の犠牲を伴う大惨事となった。坑口から300m(現在の熱海梅園内「香林亭」あたりの直下)の地点で、長さ約70mにわたって崩壊が起き、作業中の33名が生き埋めとなって、関係者を先頭に必死の救援活動もむなしく、8日後奇跡的に救出された17名を除く16名の命が奪われ、尊い人柱になってしまった。
同年6月26日、鐡道大臣をはじめ、関係者400余名により慰霊祭が挙行され、丹那神社は、このトンネル工事の犠牲者の英霊の鎮魂の意味を込めて、工事の守り神として坑口上に建立、当初「隧道神社」と命名されて現在地に祀られたが、後に「丹那神社」と改称されて今日に至っている。
なおその後、大正13(1924)年の西口の湧水事故や昭和5(1930)年の北伊豆地震による崩壊事故、その他の事故による犠牲者も合わせ合計67柱の英霊を祭神として祀っている。
毎年4月第一日曜日に、奉賛会の手により、例祭が挙行される。

第八拾伍之壱 山神社
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祭神:大山祗命(おおやまずみのみこと)

由緒:
トンネル工事を担った坑夫は、金、銀、銅などの鉱山で活躍した坑夫の系譜に連なる者たちだった。
固有の歴史と伝統、規律を持つこの者たちには、様々な習俗・習慣があったが、その一つに工事を起こす際に、山を鎮め、工事の安全を祈って坑口に山の神様(山神宮)を祀るというものがある。
丹那トンネルの工事に際しても、着工前に山の神が祭られ、坑夫たちは坑内への出入りの際、常に参拝したと言われている。
現在、丹那神社の右斜め上の小祠がそれで、石を刻んだだけの素朴な社である。

参考資料:丹那神社奉賛会ホームページ

a0057057_22101022.pngこの神社最寄の駅・バス停
 JR伊東線 来宮または、JR東海道線熱海駅から伊豆箱根バス 梅園入口(停)

(写真は、丹那トンネルポータル(入口・・鉄道トンネルの列車が入る側のこと)

記事:
 取材:
 投稿:28.11.27
 調整:28.11.28/28.11.29/29.1.16
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by fbox12 | 2017-01-16 21:32 | 神社