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カテゴリ:神社( 117 )

第九拾貮 砥鹿神社 愛知県豊川市鎮座

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鎮座地:(里宮)愛知県豊川市一宮町西垣内2
    (奥宮)愛知県豊川市上長山町本宮下4
祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)
神体:本宮山(神体山)
社格等:式内社(小)、參河國一宮、旧國幣小社、神社本庁別表神社
社名かな:とがじんじゃ

歴史:
社記(天正2(1574)年)の「參河國一宮砥鹿大菩薩御縁起」)では、大宝年間(701-704年)に文武天皇の時に天皇の病を鎮めるための勅使として草鹿砥公宣(くさかどのきんのぶ)が派遣され、本茂山(本宮山)の神を迎えて里宮が創建されたとする。
a0057057_2185144.png現在も砥鹿神社奥宮が鎮座する本宮山は東三河地方では中心的な孤峰であり、山中には磐座、山麓には古墳群の分布が知られることから、古代から信仰対象であったと考えられている。また上記伝承に見える草鹿砥氏は砥鹿神社の旧社家で、同氏は穂別の後裔と伝えることから、かつて当地一帯を治めたとされる穂国造により奉斎されたと推測する説がある。

神階・概史:
六國史時代における神階奉叙の記録
嘉祥3(850)年7月1日、従五位下 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「砥鹿神」。
仁寿元(851)年10月7日、従五位上 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「砥鹿神」。
貞観6(864)年2月19日、従五位上から正五位下 (『日本參代実録』) - 表記は「砥鹿神」。
貞観12(870)年8月28日、正五位下から正五位上 (『日本參代実録』) - 表記は「砥鹿神」。
貞観18(876)年6月8日、従四位下から従四位上 (『日本參代実録』) - 表記は「砥鹿神」。

a0057057_21173226.png仁寿元年条から貞観18年条はいずれの記事でも知立神(愛知県知立市の知立神社:三河国二宮)と併記され、六國史終了時点の神階は參河國内では知立神とともに最高位になる。
延長5(927)年成立の『延喜式』神名帳では参河國宝飫郡に「砥鹿神社」と記載され、式内社に列している。また、『參河國内神名帳』では「正一位 砥鹿大明神」と記載されている。
中世以降は、參河國一宮として尊崇された(一宮としての文献上初見は文永元(1264)年の訴状)。
戦国時代の永禄年間には、付近に徳川家康の命を受けた本多信俊が一宮砦を構えて今川軍に包囲されたが、家康が寡勢で救援に駆けつけて多勢の今川軍を蹴散らし、砥鹿神社に宿陣したとも伝わる。
明治維新後、明治4(1871)年には近代社格制度において国幣小社に列した。戦後は神社本庁の別表神社に列している。

摂社:

a0057057_2042521.png三河えびす社
祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと)
   建御名方命(たけみなかたのみこと)
社名かな:みかわえびすしゃ


八幡宮
祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと)
   天児屋根命(あめのこやねのみこと)
社名かな:はちまんぐう

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守見殿神社・本宮山遙拝所
祭神:大己貴命和魂(おおなむちのみことにぎたま)
   迦久神(かくのかみ)
   倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
社名かな:もりみでんじんじゃ


a0057057_15374440.png西参道大鳥居

この石鳥居は、もともとは本宮山砥鹿神社奥宮を遙拝するものとして、天保13(1842)年、岡崎藩家老職の長尾応二郎興達により旧宝飯郡市田村に建立されたものだが、昭和20(1945)年豊川海軍工廠への空襲時に損傷を受け、昭和31(1956)年に当地に移転された経緯を持つ。石鳥居としては市内で2番目の大きさであり、至る所に空爆の被弾痕が見られる。 本鳥居は、近世期以降の本宮山信仰の遺産として、且つまた戦争の悲惨さを伝える平和の象徴として価値を有する。(この項、砥鹿神社ホームページから)

参考資料:砥鹿神社ホームページ/Wikipedia(2016年10月23日)
記事:
 取材:28.12.28
 投稿:29.2.25
 調整:29.2.26/29.2.28
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by fbox12 | 2017-02-25 21:23 | 神社

第伍拾壱 高橋神社 静岡県三島市鎮座

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鎮座地:静岡県三島市松本298番地
祭神:磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)
社名かな:たかはしじんじゃ

a0057057_2075496.pnga0057057_17403714.png(現在の)由緒書きから:
御祭神の磐鹿六雁命は、第十二代景行天皇の叔父に当たり、その子孫は代々大膳職(だいぜんじき:宮中の食事を司る職)の長官として宮中に仕えた。天武天皇の御代に高橋の姓(かばね)を賜り、以後高橋姓を名乗ってきたその一族がこの地に住み、祖神を祀ったのがその起源である。
その後の由緒については、ほとんど伝わらないが、現在の社殿は寛永元(1624)年の再建と伝えられる。
(左写真:以前の社殿・・近年、社殿の改修工事が行われた)

a0057057_20125327.png増訂豆州志稿(抜粋):
村社高橋神社祭神不詳
高橋明神神階帳従四位上
式内高椅神社也
延喜式考異ニ曰高橋(高椅)高ク架ケタル橋アリシヨリ起レルナル今社傍ニ石橋ノ地名存ス
上下兩村(上松本村・下松本村)今合村(松本村)ノ土神也
(右写真:旧本殿)

別資料から:
磐鹿六雁命は、醸造・調味料の神「高倍神(たかべのかみ)」として祀られていた。
料理の祖神、醤油・味噌などの醸造の神として調理師や調味業者などの信仰を集めている。

a0057057_19274020.jpg境内社:熊野神社、山神社

a0057057_21404263.jpg左側の祠

a0057057_2037148.jpg奉納 御山神守護と彫られた石(右側の祠)

a0057057_20273333.pngこの神社の南西は、別の鍬戸神社が鎮座しており、こちらの地名は三島市長伏。
神社の境内が境になっている(写真の瓦の部分)。


a0057057_15473654.pnga0057057_1553166.pngこの神社最寄りの駅・バス停:
東海バスオレンジシャトル 三島駅-新城橋-大平車庫 松本(停)
または、三島エクスプレス バスタ新宿-三島駅-大平車庫 松本(停)


記事:
 投稿:26.5.-9
 調整:29.2.20
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by fbox12 | 2017-02-20 21:33 | 神社

第四拾八 (駿州・横田)西宮神社 静岡県静岡市葵区鎮座

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鎮座地:静岡県静岡市葵区横田5-24
祭神:事代主神

概要:
毎年10月19日・20日に商売繁盛家内安全を願う、例大祭、通称「おいべっさん」が行われる。19日の夜から20日の午前中まで、伝馬町、横田町の通りが縁起物などを売る数十件の露店で賑わう。

この神社最寄の駅・バス停
静岡鉄道静岡清水線 音羽町
(JR東海道新幹線・東海道本線 静岡/静岡鉄道静岡清水線 新静岡)

参考資料:静岡県神社庁HP他
記事:
 取材:26.2.21
 投稿:29.2.10
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by fbox12 | 2017-02-10 16:10 | 神社

第九拾壱 南宮大社 岐阜県不破郡垂井町鎮座

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a0057057_11235293.pnga0057057_11415416.png
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鎮座地:岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1
主祭神:金山彦命
配神:彦火火出見命、見野命
社格等:式内社(名神大)、美濃國一宮、南宮神社、旧国幣大社、神社本庁別表神社
本殿様式:南宮造
社名かな:なんぐうたいしゃ

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神階:
承和3(836)年11月4日、従五位下 (『続日本後紀』) - 表記は「仲山金山彦大神」
承和13(846)年5月8日、正五位下 (『続日本後紀』) - 表記は「中山金山彦神」
貞観元(859)年正月27日、正三位 (『日本三代実録』) - 表記は「中山金山彦神」
貞観6(864)年5月21日、従二位 (『日本三代実録』) - 表記は「中山金山彦神」
貞観15(873)年4月5日、正二位 (『日本三代実録』) - 表記は「中山金山彦神」
康平5(1062)年、正一位

a0057057_173355.pnga0057057_17333552.png概要:
岐阜県西部、南宮山の山麓に鎮座する。「国府の南に位置する宮」として「南宮」を名乗るようになったとされる。鉱山を司どる神である金山彦命を祭神としており、全国の鉱山・金属業の総本宮として古くから信仰を集めている。境内には江戸時代の遺構18棟が残っており、国の重要文化財に指定されている。

a0057057_21475062.png歴史:
社伝では、崇神天皇の時代に創建されたとされる。
平安時代中期の『延喜式神名帳』には「美濃国不破郡 仲山金山彦神社」と記載され名神大社に列している。また、美濃国一宮とされた。
慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで焼失し、1642年に徳川家光が再建した。
1868年、神仏分離により神宮寺が分離移転した(現 朝倉山真禅院)。
近代社格制度のもとで、明治4(1871)年に「南宮神社」として国幣中社に列し、大正14(1925)年に国幣大社に昇格した。戦後、「南宮大社」と改称した。

a0057057_21485950.png由緒:
御祭神金山彦命は、神話に古く、伊勢神宮の天昭大神(あまてらすおおかみ)の兄神に当らせられる大神様であります。社伝によれば、神武天皇東征の砌、金鵄を輔(たす)けて大いに霊験を顕わされた故を以って、当郡府中に祀られたらせられ、後に人皇十代崇神天皇の御代に、美濃仲山麓の現在地に奉還され、古くは仲山金山彦神社として申し上げたが、国府から南方に位する 故に南宮大社と云われる様になったと伝えます。御神位は古く既に貞観15(873)年に正二位に叙せられ、延喜式の神名帳には美濃国39座の内、当社のみ国幣大社として 名神祭にも預る大社に列せられています。天慶3(940)年、平将門の乱の誅伏の勅願や、康平年中(1058~65)安部貞任(さだとう)追討の神験によって、 正一位勲一等の神位勲等を極められ、依頼、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、土岐氏等の有力な武将の崇敬をうけ、美濃国一宮として、亦、金の神の総本宮として、朝野の崇敬極めて厚い名大社であります。(境内由緒書き)

摂末社:
境内社
本殿回廊内
 樹下神社
  祭神:大己貴命
  摂社。本殿に向かって右隣に鎮座。社殿は重要文化財。
 高山神社
  祭神:木花開耶姫、瓊瓊杵尊
  摂社。本殿に向かって左隣に鎮座。社殿は重要文化財。南宮山山頂に奥宮が鎮座する。
 隼人神社
  祭神:火闌降命
  摂社。本殿に向かって右手に鎮座。社殿は重要文化財。
 南大神社
  祭神:天火明命
  摂社。本殿に向かって左手に鎮座。社殿は重要文化財。
 七王子神社
  祭神:大山祇神、中山祇神、麓山祇神、䨄山祇神、正勝山祇神、高靇神、闇靇神
  摂社。本殿背部に鎮座。社殿は重要文化財。
境内後方 
 荒魂社
  祭神:本社祭神の荒魂
 伊勢両宮
  祭神:天照大神、豐受大神。古くは本社本殿が鎮座した。
 東照宮
 南宮稲荷神社
 金敷金床神社
  祭神:豐岡姫命、蛭兒命
 石船社
 引常明神
 湖千海神社
境内前方
 数立神社
  本社入り口脇に鎮座。美濃国総社という説もある。
 落合神社
  祭神:素盞嗚命

境外社(いずれも摂社)
 大領神社
  鎮座地:垂井町宮代
  (位置)本社への東からの入り口
  祭神:宮勝木實
  美濃国二宮とされる。
 吉葛神社
  社名かな:よさつらじんじゃ
  鎮座地:垂井町宮代
  (位置)本社への北からの入り口
  祭神:天吉葛神
 南宮御旅神社
  鎮座地:垂井町府中
  (位置)本社の旧鎮座地
  祭神:金山姫命 (豊玉姫命、埴山姫命を配祀)
  現在は御旅所。美濃国総社とも伝えられる。

この神社最寄りの駅・バス停:
JR東海道本線 垂井駅から 南西へ約1km(徒歩約20分)
垂井町巡回バス 南宮大社前(垂井駅から1時間毎に発車。片方向運行全線100円)
名阪近鉄バス 大垣宮代線 南宮大社前(季節運行 : 毎年1月1日~3日)

参考資料:Wikipedia(2017年1月5日)
記事:
 取材:28.12.28
 投稿:29.2.6
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by fbox12 | 2017-02-06 21:51 | 神社

第四拾六 (小石川) 白山神社 東京都文京区鎮座

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鎮座地:東京都文京区白山5-31-26
御祭神:菊理姫命、伊弉諾命、伊弉冊命
社格等:准勅祭社・旧郷社
本殿様式:流造

由緒:創開は古く、天暦年間(947~957)に加賀一宮白山神社(白山比咩神社)を現在の本郷一丁目の地に勧請したと伝えられる。
後に元和年間(1615~1624)に二代将軍秀忠の命で、巣鴨原(現在の小石川植物園内)に移ったが、その後五代将軍職につく前の館林候綱吉の屋敷の造営のため、明暦元(1655)年現在地に再度移った。
この縁で綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受けた。
旧称白山権現社。この一帯の「白山」という地名の由来である。
現在でも、当地文京区白山と石川県白山市との相互の交流が続いている。

摂末社:
a0057057_2037337.png関東松尾神社

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稲荷神社
浅間神社

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この神社最寄の駅・バス停:
a0057057_20432056.png東京都交通局・都営(地下鉄)三田線
 白山駅A3出口(この参道は脇の鳥居につづく - 上記鳥居写真)

参考資料:文京区ホームページ他
記事:
 取材:18.11.12他
 投稿:27.5.20
 調整:29.2.6

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by fbox12 | 2017-02-06 16:50 | 神社

第九拾壱之拾壱 吉葛神社 岐阜県不破郡垂井町鎮座(南宮大社境外摂社)

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鎮座地:岐阜県不破郡垂井町宮代
祭神:天吉葛神
社名かな:よさつらじんじゃ

参考資料:Wikipedia(2017年1月5日)
記事:
 取材:28.12.28

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by fbox12 | 2017-01-22 22:21 | 神社

第九拾 (一宮本町) 金刀比羅社 愛知県一宮市鎮座

a0057057_22334677.jpg鎮座地:愛知県一宮市本町一丁目1-22
祭神:
社名かな:ことひらしゃ

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by fbox12 | 2017-01-16 22:54 | 神社

第八拾伍 丹那神社 静岡県熱海市鎮座

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鎮座地:静岡県熱海市福道町8
祭神:丹那隧道工事関係殉職者67柱、大地主命(おおとこぬしのみこと)、大己貴命(おおなもちのみこと)、手力男命(たじからおのみこと)、豊岩門戸命 (とよいわまどのみこと)、櫛岩門戸命(くしいわまどのみこと)
社名よみ:たんなじんじゃ

由緒:
大正10(1921)年4月1日、丹那トンネルの東口工事現場で起工以来最初の大崩壊事故が発生、多数の犠牲を伴う大惨事となった。坑口から300m(現在の熱海梅園内「香林亭」あたりの直下)の地点で、長さ約70mにわたって崩壊が起き、作業中の33名が生き埋めとなって、関係者を先頭に必死の救援活動もむなしく、8日後奇跡的に救出された17名を除く16名の命が奪われ、尊い人柱になってしまった。
同年6月26日、鐡道大臣をはじめ、関係者400余名により慰霊祭が挙行され、丹那神社は、このトンネル工事の犠牲者の英霊の鎮魂の意味を込めて、工事の守り神として坑口上に建立、当初「隧道神社」と命名されて現在地に祀られたが、後に「丹那神社」と改称されて今日に至っている。
なおその後、大正13(1924)年の西口の湧水事故や昭和5(1930)年の北伊豆地震による崩壊事故、その他の事故による犠牲者も合わせ合計67柱の英霊を祭神として祀っている。
毎年4月第一日曜日に、奉賛会の手により、例祭が挙行される。

第八拾伍之壱 山神社
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祭神:大山祗命(おおやまずみのみこと)

由緒:
トンネル工事を担った坑夫は、金、銀、銅などの鉱山で活躍した坑夫の系譜に連なる者たちだった。
固有の歴史と伝統、規律を持つこの者たちには、様々な習俗・習慣があったが、その一つに工事を起こす際に、山を鎮め、工事の安全を祈って坑口に山の神様(山神宮)を祀るというものがある。
丹那トンネルの工事に際しても、着工前に山の神が祭られ、坑夫たちは坑内への出入りの際、常に参拝したと言われている。
現在、丹那神社の右斜め上の小祠がそれで、石を刻んだだけの素朴な社である。

参考資料:丹那神社奉賛会ホームページ

a0057057_22101022.pngこの神社最寄の駅・バス停
 JR伊東線 来宮または、JR東海道線熱海駅から伊豆箱根バス 梅園入口(停)

(写真は、丹那トンネルポータル(入口・・鉄道トンネルの列車が入る側のこと)

記事:
 取材:
 投稿:28.11.27
 調整:28.11.28/28.11.29/29.1.16
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by fbox12 | 2017-01-16 21:32 | 神社

第四拾壱 翁稲荷社 静岡県静岡市駿河区鎮座

a0057057_2295871.png鎮座地:静岡県静岡市駿河区稲川1-2-25
祭神:安倍晴明公
社名かな:おきないなりしゃ

由緒: 
翁稲荷社は、駿府で唯一陰陽師安倍晴明公を祀っている神社。方位の神で、1月には諸願成就を祈願する末広だるま開眼祭を行っている。

この神社最寄の駅またはバス停:
JR東海道線(東海道新幹線)静岡駅(南口)
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by fbox12 | 2017-01-12 22:24 | 神社

第八拾九 真清田神社 愛知県一宮市鎮座

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a0057057_23571594.pnga0057057_23574850.png
a0057057_17345573.png鎮座地:愛知県一宮市真清田1-2-1
主祭神:天火明命(あめのほあかりのみこと)
社格等:式内社(名神大)、尾張國一宮、旧国幣中社、神社本庁別表神社
社名かな:ますみだじんじゃ
神階:
 六国史時代における神階奉叙の記録
  承和14(847)年11月11日、無位から従五位下 (『続日本後紀』) - 表記は「真清田天神」。
  仁寿元(851)年11月13日、官社に列す (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「真清田神」。
  仁寿3(853)年5月22日、従五位上から従四位下 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「真清田神」。
  貞観7(865)年7月26日、従四位上から正四位上 (『日本三代実録』) - 表記は「真清田神」。
 六国史以後
  正一位 (『尾張国内神名帳』) - 表記は「真清田明神」。
a0057057_17302868.png本殿様式:三間社流造

概要:
愛知県北西部、一宮市の中心部に鎮座する。創建は詳らかでないが、古代に尾張地方を治めた尾張氏の奉斎に始まるとされ、尾張氏祖神の天火明命を祭神とする。中世には尾張国の一宮に位置づけられ、一帯の地名「一宮」はこの真清田神社の社格に由来する。現在でも一宮市の市章は真清田神社の神宝がモチーフとされるように、古くから一宮地域の発展に関わってきた古社である。
社殿は第二次世界大戦中の空襲で焼失したため、現在見られるものは戦後の再建になる。そのうち、本殿・祭文殿(さいもんでん)などは神社建築としての造形を評価され、国の登録有形文化財に登録されている。また国の重要文化財の木造舞楽面12面、朱漆器25点をはじめとして、多くの文化財も伝世する。そのほか、創建日とされる3月3日に行われる例祭は「桃花祭(とうかさい)」として知られる。

祭神について:
現在、真清田神社の祭神は上記の通り天火明命とされるが、かつては国常立尊祭神説や大己貴命祭神説など複数説が存在した。これらのうち国常立尊祭神説は、『真清田神社縁起(古縁起)』(室町時代末期頃成立)に記される説で、最も古い時代に遡る。国常立尊は神話では天地開闢の時に最初に現れた神とされ、『古縁起』では崇神天皇の時に国常立尊を勧請して祀ったとする。しかし近年では、同書が続けて真清田神社を日本中の一宮と主張していることから、伊勢神宮と比肩するために天照大神より古い国常立尊が持ちだされたものと考えられている。一方、大己貴命祭神説は『大日本国一宮記』に見える説で、出現は室町時代末期から江戸時代初期頃に遡り、諸文献に散見される。
これらに対して天火明命祭神説は、江戸時代に吉見幸和や栗田寛により唱えられたものである。天火明命は、『日本書紀』『古事記』の神話では天照大神の孫神(天忍穂耳命の子神)とされ、『先代旧事本紀』では饒速日命と同一視される神である。そしてこの天火明命に比定する説において、社名の「マスミ」が真清鏡(ますみのかがみ)のように鏡に関係する語であるとして、鏡作氏や尾張氏の祖神の天火明命が祭神だと想定された。しかしながら、尾張氏は尾張地方に広く勢力を持った氏族ではあるが、真清田神社との関係を示す文献・伝承は知られていない。
歴史的には、中世末期から江戸時代までは国常立尊祭神説が主流で、明治の時点での祭神は国常立尊のほか天照大御神・月夜見神・大己貴神・大竜王神の5柱となっていた。しかし『特選神名牒』において「天照大御神」が「天火明命(天照国照彦天火明尊)」の誤記と見なされ、かつ他の4柱が省略され天火明命1柱とされた関係で、以後は現在まで天火明命1柱説が採用されている。なお、『真清田神社史』では国常立尊祭神説を荒唐無稽としながらも、天火明命と大己貴命については、それぞれ尾張氏の祖先神と奉斎神(土地神)であった可能性を指摘する。
なお祭神の性格に関しては、過去の祭神に龍神が見えることから水神の性格が指摘されるほか、『赤染衛門集』の記述から農業神の性格も指摘される。

歴史:
創建
創建について現在の真清田神社社伝では、祭神の天火明命は大和国葛城地方(現・奈良県葛城地方)の高尾張邑を出て、神武天皇33年3月3日に当地で鎮祭されたのが始まりとする。
一方古文献では、真清田神社の創建に関して初代神武天皇の時とする説、第10代崇神天皇の時とする説の2説が知られる。
 神武天皇年間説
 『一宮神宮記』や『尾張国一宮伝記』など近世の文献に見られる伝承。両書では神武天皇年間、『尾張国名所図会』では神武天皇33年3月3日に祭神が「松降荘青桃丘」(現社地)に鎮座したとする。
 崇神天皇年間説
 神社に関する基本文献、すなわち『真清田神社縁起(古縁起)』(室町時代末期頃成立)と『真清探桃集』(江戸時代中期成立)に見られる伝承。現社地の「青桃之丘」は国常立尊の国土造成のゆかりの地とし、崇神天皇の夢想によりその縁で国常立尊を当地に奉斎したとする。

上記の文献はいずれも中世以降の成立になるため、これらの伝承の真偽や、神武天皇や崇神天皇の時期に淵源を求めた理由は明らかとなっていない。このうち神武天皇33年3月3日という年月日については、すでに存在した桃花祭(3月3日)から逆に創造されたとする説がある。これら文献を受け『真清田神社史』では、尾張氏が大和葛城地方から尾張に進出し、崇神天皇頃にあたる尾張氏一族の倭得玉彦命(『先代旧事本紀』「天孫本紀」に見える人物)の時期に神社が創祀されたと想定している。
社名「ますみだ」の語源は明らかでないが、後述のように文献では「真清田」「真墨田」の2種類の用字が存在する。この相違に関して、『延喜式』のみ「墨」の用字であることから、『延喜式』の表記が実は『弘仁式』(820年)の古い表記の踏襲と推測する説がある。歴史的には、その後は好字「清」の表記が定着した。なお『延喜式』神名帳では美濃国各務郡に村国真墨田神社(岐阜県各務原市)とも見え、真清田神社との関連が指摘される。

概史:
延長5(927)年成立の『延喜式』神名帳では尾張国中島郡に「真墨田神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。また『尾張国内神名帳』(尾張国内神名牒)では、「正一位 真清田明神」と記載されている。
永万元(1165)年の「神祇官諸社年貢注文」に「尾張国一宮 八丈五疋」とあるのを初見として、平安時代末期以降に真清田神社は尾張国で一宮の地位にあったとされ、これは現在の一宮市の市名の由来にもなっている。一宮に次ぐ尾張国二宮は大縣神社(犬山市宮山)、三宮は熱田神宮(名古屋市熱田区)とされるが、神階・格式の点では熱田神宮の方が尾張国で最高位にあり矛盾する。この点については古来諸説が挙げられているが、今日では尾張国府との距離関係の反映とする説や、東海道における京からの位置関係の反映とする説が一般視されている。
真清田神社は古来多くの社領を有したが、それらは「真清田荘」として荘園化し、平安時代末には八条院領のうち安楽寿院領に含まれた。嘉禎元(1235)年の文献によると、社領は水田129町9反300歩、うち定田は96町120歩で、旧中島郡のほか葉栗郡・愛智郡・海東郡・海西郡一帯に分布したとされる。中世期の他の文書からも、社領が広範囲に渡った様子が指摘される。また天文年間(1532年-1555年)からは佐分氏が神職を務めるようになった(幕末まで世襲)。その後天正12(1584)年には大地震で社殿が崩壊し、豊臣秀吉に社領も没収されて社勢は衰えたという。
江戸時代に入ると徳川氏から庇護を受けて復興し、尾張藩主松平忠吉から社領200石の寄進、さらに寛永4(1627)年には藩主徳川義直から105石余の寄進を受け、336石6斗余の社領を有するようになったという。寛永16(1639)年には義直から細別を記した黒印状が下されたほか、寛文5(1665)年には四代将軍徳川家綱から朱印状が下されている。
明治維新後、明治18(1885)年に近代社格制度において国幣小社に列した。かつて「真清田大名神」「真清田大明神」「一宮真清田大神」「一宮大明神」と称された社名も、明治に現在の「真清田神社」に統一された。その後、大正3(1914)年に国幣中社に昇格した。戦後は神社本庁の別表神社に列している。

摂末社:
平成6(1994)年時点の摂末社は、摂社2社(境内2社)・末社36社(境内11社・境外25社)の計38社。
かつて室町時代には別宮4社(四所別宮)・末社88社があったというが、江戸時代の延宝年間(1673年-1681年)頃には末社45社(別宮不明)、『真清探桃集』(江戸時代中期)の頃には別宮は荒廃し末社10余社の状態であった。明治から大正にかけての摂末社整理ののち、昭和40(1965)年)に服織神社の新設、平成5(1993)年に三明神社の復興がなされたほか、境内外末社も変遷を経て現在に至っている。

摂社
三明神社
祭神:本宮荒魂
社名かな:さんみょうじんしゃ
別名「印珠宮」「三明印珠宮」。旧四所別宮のうち筆頭(第一別宮)。本殿裏手に鎮座。
「三明印珠宮」の別名は3種の印珠を蔵したことに由来するという。本宮の荒魂を祀るとして重要視され、桃花祭では本宮の山車(東車)とともに三明神の山車(西車)が出される。中世の古絵図のうちでは、本宮西側にある宝形造の寺院風建物に比定される。江戸時代頃には拝殿西側に独立して祀られていたが、大正元(1912)年に末社犬飼社に合祀され、平成5(1993)年に再び独立社として復興された。この三明神社に関しては、かつて7月7日に行われた吉祥祭が知られるほか、祭祀背景に仏教的要素が指摘される。

服織神社
祭神:萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)
社名かな:はとりじんじゃ
本殿東方に鎮座。祭神は別名を「栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)」ともいい、天火明命(本宮主祭神)の母神にあたる。一宮市が織物産業で栄えたことから、昭和40(1965)年に織物の神社として創建された。7月第4日曜前後の5日間の織物感謝祭は、昭和31(1956)年に始まるもので、現在は「一宮七夕まつり」として知られる。

末社:
現在の境内末社は次の11社。社殿はいずれも昭和20(1945)年焼失以後の再建。

神明社
玉垣内、本殿東側に鎮座し南面する。祭神は天照大神、品陀和気命。玉垣内に鎮座する唯一の末社であるが、古絵図では本殿横に末社の記載はなく、後世に文献の解釈を誤ったための鎮座とする説がある。大正元(1912)年に元々の神明社(天照大神)に旧摂社新八幡宮を合祀。

三末社 - 服織神社東側に3社を併祀。
天神社
 3社のうち西社。祭神は天神七代神、伊弉冉命、速玉男神、事解男神、訶遇突智神、市杵島姫神。明治44(1911)年から大正元(1912)年の間に旧第二別宮の七代宮(天神七代神)に愛宕社・熊野社・厳島社・新愛宕社を合祀。
犬飼社
 3社のうち中央社。祭神は犬飼神、底筒男神、中筒男神、表筒男神、神功皇后、猿田彦命、真神田曽根連、本宮荒魂、菊理姫命。大正元(1912)年に元々の犬飼社(犬飼神)に住吉社・三明神社(平成5(1993)年に境内摂社として分祀)・白山社・古守社を合祀。
愛鷹社
 3社のうち東社。祭神は愛鷹神、瀬織津姫神、速秋津姫神、速佐須良姫神、気吹戸主命、木花咲屋姫神。大正元(1912)年に元々の愛鷹社(愛鷹神)に祓戸社・浅間社を合祀。
愛宕社
 三末社東側、小山の上の3社のうち中央社。防火の神。
須佐之男社
 三末社東側、小山の上の3社のうち西社。祭神は須佐之男神。元は境外の神社であったが、明治23(1890)年に真清田神社境内末社に編入。
秋葉社
 三末社東側、小山の上の3社のうち東社。祭神は訶遇突智神。元は境外の神社であったが、戦後に真清田神社境内に遷座。
稲荷社
 楼門内東方に鎮座。祭神は倉稲魂命。元は境外の神社であったが、戦後に真清田神社境内に遷座。
厳島社
 境内南東の神池に鎮座。祭神は市杵島姫神。
八龍神社
 境内末社のうちでは最も新しい平成元(1989)年の創建。元は厳島社に祀られた龍神石が、神仏分離で日泰寺に移り、再び真清田神社に還ったときに創建された。
三八稲荷社
 祭神は倉稲魂命。元は「新稲荷社」として境内西北に鎮座したが、戦後に「三八稲荷社」に改称して現在地に遷座。社名「三八(さんぱち)」は、戦前まで真清田神社社前で開かれた織物中心の市「三八市」に由来する。
このほか、境外末社として25社が分布する。主なものとしては、旧第三別宮の神明社(一宮市真清田)・浜神明社(一宮市桜)、旧第四別宮の大神社(一宮市天王)・大石社(一宮市桜)、真清田神社社家の祖神を祀る古守社(一宮市松降)がある。『真清探桃集』では末社88社はいずれも境内社とし、これら現在の境外末社は「属社」の分類で24社を掲載する。これら境外末社は江戸時代には神職・社僧の控とされたが、その鎮座地はかつて中世期の真清田神社神領地であった可能性が指摘される。

この神社最寄りの駅・バス停
JR東海道本線 尾張一宮駅または名鉄名古屋本線 名鉄一宮駅
a0057057_2126939.png名鉄バスまたは一宮市コミュニティ(千秋ふれあい)バス 本町(停)
参考資料:Wikipedia(2016年12月15日)
記事:
 取材:28.12.28
 投稿:29.1.-9
 調整:29.1.17

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by fbox12 | 2017-01-09 23:58 | 神社