fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

カテゴリ:神社( 107 )

第九拾七 佐野神社 静岡県伊豆市鎮座

a0057057_2121392.png

a0057057_21233866.pnga0057057_2135561.png

a0057057_21353658.png社名かな:さのじんじゃ
鎮座地:静岡県伊豆市雲金佐野105
祭神:事代主神

由緒:
応永9(1402)年造営。
江戸時代は「鮫大明神」とも「鰒明神」とも称していた。この鰒(あわび)から延喜式神名帳の「鮑玉白珠比咩命神社(伊豆國田方郡鎮座)の論社とされたと思われる。
伴信友『神名帳考証』は当社を鮑玉白珠比咩命神社に比定している。

この神社最寄りの駅・バス停:
伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅から東海バス「佐野川端」下車

記事:
 取材:29.3.10
 投稿:29.4.-5
[PR]
by fbox12 | 2017-04-05 17:27 | 神社

第九拾六 白山比咩神社 石川県白山市鎮座

a0057057_20362210.png

a0057057_2041856.pnga0057057_20431380.png

a0057057_22184112.pnga0057057_22514672.png
a0057057_2257051.png鎮座地:石川県白山市三宮町ニ105−1
祭神:白山比咩大神(菊理媛尊)、伊邪那岐尊、伊弉冉尊
社名かな:しらやまひめじんじゃ
社格等:式内社(小)、加賀國一宮、国幣中社、神社本庁別表神社
本殿様式:三間社流造銅板葺

a0057057_2133259.png由緒・概要:
石川県・福井県・岐阜県の県境に立つ白山(標高2,702m)の山麓に鎮座し、白山を神体山として祀る神社である。
元は現在の古宮公園の場所に鎮座していたが、室町時代に火災で焼失し現社地に遷座した。また白山山頂の御前峰には奥宮も鎮座し、山麓の社殿はこれに対して「下白山」または「白山本宮」と呼ばれていた。
全国に2,000社以上ある白山神社の総本社である。通称として「白山(しらやま)さん」「白山権現」「加賀一の宮」「白山本宮」とも。神紋は「三子持亀甲瓜花」。

a0057057_21541791.png社伝由緒によれば、古代、崇神天皇の時代に白山を遥拝する「まつりのにわ」が創建され、元正天皇の霊亀2(716)年に安久濤の森に遷座して社殿堂塔が造立された、と伝わる。
養老2(718)年に越前の修験僧・泰澄大師によって白山開山、主峰・御前峰に奥宮が創建され、白山妙理大権現が奉祀された、と伝わる。
史料文献初出は、白山比咩神(しらやまひめのかみ)は仁寿3(853)年10月に従三位に初叙された。
以後、一宮制度で加賀國一ノ宮と定められ、白山本宮・加賀一ノ宮の白山比咩神社は、平安時代中期から鎌倉時代を経て、室町時代前期に至る約500年間栄えた。
しかし室町時代中期の康正元(1455)年以降加賀國に入った本願寺の加賀一向一揆のため年貢米が得られなくなり困窮した状況で、文明12(1480)年に大火全焼し三宮の地に遷座。続く加賀一向一揆の戦乱で白山衆徒は廃絶し、社殿は再興できずその後100年間あまり荒廃した。
白山本宮の社殿堂塔復興は、安土桃山時代に綸旨を受けた前田利家により行われ、社名を白山本宮である白山比咩神社、神宮寺の白山寺も復興・併設、江戸時代は加賀藩主が社の経営をみるところとなった。
江戸時代全期にわたり、白山嶺上の祭祀権(社家権利、札発行、梵字押捺の勧進)と室管理(賽銭収入)を巡って「白山争議」が何度も繰り返し起きた。尾添村と高野山真言宗、牛首村・風嵐村と越前馬場の平泉寺・比叡山天台宗、美濃馬場の越前国大野郡石徹白、それに巻き込まれた白山本地中宮長滝寺(現 長滝白山神社)、の間で訴訟が起き、幕府寺社奉行所の裁決が繰返され、平泉寺の権利に移っていった。
明治時代の神仏分離令により、白山寺は廃され、白山本宮・加賀一ノ宮の「白山比咩神社」と号した。そして歴史史料が調査され、加賀の白山比咩神社・越前の平泉寺白山神社・美濃の長滝白山神社の3社から「延喜式神名帳」に記載された加賀の白山比咩神社が最も古く、全国の白山神社の総本社とされ、白山天嶺の地は本社境内となり奥宮が置かれた。越前・美濃は分霊された白山神社とされた。越前・美濃の白山神社より勧請を受けた他の白山神社も、加賀の白山比咩神社の分霊社に由諸を書き換えた、とされる。
第二次大戦後は、白山比咩神社は白山神社の総本社として神社本庁の別表神社となり、白山頂上の奥宮を中心とする約3000ヘクタールの広大な地域を本社境内として無償譲与を受け、現在に至る。平泉寺白山神社・長滝白山神社もそれぞれ「白山神社の総本社」を名乗る。
明治42(1909)年7月23日に御鎮座二千年式年大祭が執行された。昭和33(1958)年10月3日に御鎮座二千五十年式年大祭が執行された。昭和55(1980)年10月3日に古宮から三宮の地への御本宮遷座五百年式年大祭が執行された。平成20(2008)年10月7日に御鎮座二千百年式年大祭が執行された。

摂社:
a0057057_21224719.png荒御前神社
社名かな:あらみさきじんじゃ
祭神:荒御前大神、日吉大神、高日大神、五味島大神

由緒:
荒御前大神は、『日本書記』の中に、神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮半島に出兵した際、守護した神として登場する。

末社:

住吉社・・南参道、禊場の横に鎮座
社名かな:すみよししゃ
祭神:住吉三神(底筒男尊、中筒男尊、表筒男尊)

参考資料:Wikipedia(2016年11月15日)
記事:
 取材:28.10.12
 投稿:29.3.23
 調整:29.3.24
[PR]
by fbox12 | 2017-03-23 23:04 | 神社

第九拾四 矢熊神社 静岡県伊豆市鎮座

a0057057_2056881.png
a0057057_20581993.pnga0057057_2130487.png

鎮座地:静岡県伊豆市矢熊29
社名かな:やぐまじんじゃ
祭神:子の神(ねのかみ)、皇大神(金毘羅)、飯鋼明神(稲荷明神)、山の神、金山毘古命
社格・等級:13級

由緒・概要:
伊豆半島の中央を流れる狩野川の東側脇に鎮座。河岸段丘に開けた農地の外れに鳥居が有り、鎮守の杜を背景に社殿が建っている。
明治41(1908)年に合祀されるまでは、上記それぞれを祭った神社が矢熊の中にあり、その名残がは随所に見られる。
飯鋼明神(稲荷明神)では、神社の前に舞台を組んで、踊りを踊ってお祭りをしたとの言い伝えもあり、その辺りの地名は今でも「舞台」と呼ばれている。また、「山の神講」という祭りは今でも行われている。
5社が合祀されるまでは、初詣ででは一遍に全部の社に参るため、村人たちは朝の暗いうちからかなりの時間をかけて歩いたという。
矢熊神社は、別名「子の神神社」と呼ばれ、ネズミが御神体のため、昔、近くの家では猫を飼ってはいけないとされていた時期もあった。

この神社最寄りの駅・バス停:
伊豆箱根鉄道修善寺駅から東海バス 矢熊橋(停)から徒歩

参考資料:静岡県神社庁ホームページ/ホームページ天城湯ケ島郷土研究
記事:
 取材:29.3.10
 投稿:29.3.23
[PR]
by fbox12 | 2017-03-12 15:45 | 神社

第九拾參 根津神社 東京都文京区鎮座

a0057057_1814342.png

a0057057_1871461.pnga0057057_1875281.png

a0057057_18132384.pnga0057057_1814074.png

a0057057_21462955.png
a0057057_20454047.png

鎮座地:東京都文京区根津一丁目28番9号
主祭神:須佐之男命(すさのおのみこと)
    大山咋命(おおやまくいのみこと)
    誉田別命(ほんだわけのみこと)
相殿: 大国主命 (おおくにぬしのみこと)
    菅原道真公 (すがわらのみちざねこう)
社格等:旧府社、元准勅祭社、東京十社
本殿の様式:権現造

由緒、概要:
a0057057_21411416.png日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社で、東京十社の一社に数えられている。
文明年間(1469年-1486年)には太田道灌により社殿が造られた。
万治年間(1658年-1661年)に同所が太田氏の屋敷地となったため東方に移り、のちさらに団子坂上(現 文京区立本郷図書館周辺:元根津)に遷座した。
宝永2(1705)年、江戸幕府第五代将軍徳川綱吉が兄綱重の子・綱豊(甲府藩主。のちの第六代将軍・家宣)を養嗣子に定めた。綱豊が江戸城に移ると、当社が家宣の産土神とされていたことから、綱豊の屋敷地(旧 甲府藩邸:現在地)を当社に献納して普請(「天下普請」と言われる大工事)を開始した。社殿は宝永3(1706)年に完成し、同年遷座した。権現造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の傑作とされていて、現在社殿7棟が国の重要文化財に指定されている。
a0057057_21441041.png古くは「根津権現」とも称されたが、「権現」の称は明治初期の神仏分離の際に一時期禁止されたために衰退したが、地元では現在も使われる場合がある。単に「権現様」とも称される。文学作品では「根津権現」として出てくることが多い。森鴎外や夏目漱石といった日本を代表する文豪が近辺に住居を構えていたこともあり、これらの文豪に因んだ旧跡も残されている。
東京大学の移転にともない、門前に形成されていた根津遊郭は廃され、江東区の州崎遊郭へと移転した。境内はツツジの名所として知られている。

摂末社:
乙女稲荷神社
a0057057_2120378.pnga0057057_21203696.png

祭神:倉稲魂命

駒込稲荷神社
a0057057_21232956.png 祭神:伊弉諾命、伊弉冊命、倉稲魂命、級長津彦命、級長戸辺命


この神社最寄の駅、バス停:
a0057057_21372797.png 東京メトロ千代田線 根津駅/千駄木駅
 東京メトロ南北線 東大前駅)
 都営地下鉄三田線 白山駅
 都営バス 向丘二丁目
 文京区コミュニティバス(B-ぐる)日本医大前

参考資料:Wikipedia(2016年12月2日)
記事:
 取材:28.12.11
 投稿:29.3.-7
[PR]
by fbox12 | 2017-03-07 21:49 | 神社

第貮拾八 東雲神社(静岡東照宮) 静岡県静岡市葵区鎮座

a0057057_2016832.jpg

a0057057_20311311.pnga0057057_2026423.png
a0057057_20191362.png鎮座地:静岡県静岡市葵区丸山町13
祭神:東照公(徳川家康公)、速須佐之男命
社名かな:とううんじんじゃ

由緒:
東雲神社は古くから「丸山の権現さん」として親しまれてきた「東照宮」であります。創建は元和8(1622)年と伝えられ、「駿国雑誌」や「安東村村誌」によれば駿府城内にあった「東照宮」を現在地である府中浅間神社(現静岡浅間神社)の別当、惣持院境内に移したものと伝えられています。
惣持院は明治元(1868)年の神仏分離令により廃寺となりましたが、「東照宮」は明治8(1875)2月18日、村社に列せられ、同33(1900)年、村内にあった「八雲神社」を合祀し「東雲神社」と改称しました。
ほかに、「天神社」「稲荷社」が祀られています。
宝物として寛永20(1643)年三代将軍家光公の武運長久と子孫繁栄を祈願して作られた「東照公御尊像」のほか「慈性親王筆東照宮額」「三十六歌仙額」「駿府城代武田越前守信村奉納釣灯篭」「備前長光作脇差」などがあります。
「丸山」の地名は家康公が大御所として駿府城在城中の慶長年間、鷹狩のためこの地を訪れ、その趣が京の丸山に似ているとして名付けられたものです。
「駿府まちおこし」推進協議会 / 静岡市

社名標の左側は、静岡浅間神社の駐車場。


この神社最寄の駅または停留所:
JR静岡駅または静鉄新静岡駅から、しずてつジャストライン「丸山町」または「浅間神社」下車。


記事:
 投稿:28.5.-2
 調整:29.2.28/29.3.-1
[PR]
by fbox12 | 2017-02-28 15:52 | 神社

第伍拾貮 静岡浅間神社 静岡県静岡市葵区鎮座

a0057057_11452164.png


a0057057_1110347.pnga0057057_11513758.png

a0057057_111345.png静岡市街地に接する賎機山(しずはたやま)の麓に鎮座する、神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社からなり、「静岡浅間神社」は総称である。
三社は鎮座以来いずれも独立の神社として祭祀が行われている。式内社二社(神部神社・大歳御祖神社)、駿河国総社(神部神社)。江戸時代まではそれぞれ別の社家が奉仕してきた。三社(明治21(1888)年に別々に旧社格の国幣小社に昇格、現在は一つの法人格で神社本庁の別表神社である。

鎮座地:静岡県静岡市葵区宮ケ崎町102番地の1
社名かな:しずおかせんげんじんじゃ
社格等:神社本庁別表神社

概要:
a0057057_15322565.png社殿は江戸時代後期を代表する漆塗極彩色が施された壮麗なもので、計26棟が国の重要文化財に指定されている。この社殿群は文化元(1804)年より60年の歳月と約10万両の巨費を投じて建造されたもので、信州諏訪の立川和四郎ほか門弟により彫刻された花鳥霊獣類は繊細を極めている。特に、重層な大拝殿は高さ25メートルで木造神社建築としては、出雲大社本殿(約24メートル)より高く、まさに日本一の威容を誇る。

歴史:
鎮座地の賤機山(しずはたやま)は、静岡の地名発祥の地として知られ、古代より神聖な神奈備山としてこの地方の人々の精神的支柱とされてきた。6世紀のこの地方の豪族の墳墓であるとされている賤機山古墳(国の史跡)も、当社の境内にある。また、静岡市内には秦氏の氏寺である建穂寺、秦久能建立と伝えられる久能寺など当社の別当寺とされる寺院があり、その秦氏の祖神を賤機山に祀ったのが当社の発祥であるともいわれている。
当地に鎮座して以来、当社へは朝廷をはじめ、鎌倉将軍家、今川、武田、織田、豊臣、徳川など各氏の尊崇厚く、宝物の寄進、社領の安堵などの事績は枚挙にいとまがない。ことに徳川家康は、幼少の頃今川氏の人質として当社の北方約1kmのところにある臨済寺に預けられていた頃から、生涯に渡って当社を篤く崇敬した。 まず弘治元(1555)年、家康14歳の時、当社で元服式を行った。 そして天正10(1582)年、三河・遠江の戦国大名となっていた家康は、賤機山に築かれていた武田氏の城塞を攻略するにあたり、無事攻略できたならば必ず壮麗な社殿を再建するとの誓いを立てた上で当社の社殿を焼き払い、駿河領有後に現在の規模と同程度の社殿を建造した。 さらに家康が大御所として駿府在城時の慶長12(1607)年には、天下泰平・五穀豊穣を祈願して、稚児舞楽(現、静岡県指定民俗文化財・4月5日奉奏)を奉納した。
以来当社は、徳川家康崇敬の神社として歴代将軍の祈願所となり、神職社僧の装束類も幕府から下行されるようになるなど徳川将軍家から手厚く庇護されるようになった。 例えば、江戸時代初期の駿府藩主・駿河大納言徳川忠長は、この賤機山で猿狩りを行い当社の神の使の猿を狩ったことで、兄である将軍・徳川家光の逆鱗に触れたことが知られている。 こうした経緯から、明治初年に至るまでの社領等の総石高は2313石にも及んでいた。

a0057057_1113487.png神部神社

祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)- 駿河国開拓の祖神
社名かな:かんべじんじゃ
社格等:式内社(小)、駿河國總社、旧國幣小社
崇神天皇の時代(約2100年前)の鎮座と伝えられる。延喜式内小社で祈年の国幣に預った。国府が定められてからは国司崇敬の神社となり、平安時代より駿河国の総社とされた。


a0057057_11104823.png浅間神社

祭神:木之花咲耶姫命 (このはなのさくやひめのみこと)
社名かな:あさまじんじゃ
社格等:旧國幣小社

全国にある浅間神社の一社。延喜元(901)年、醍醐天皇の勅願により富士山本宮浅間大社より総社神部神社の隣に勧請され、以来冨士新宮として崇敬されてきた。


a0057057_11221314.pnga0057057_14332237.png
a0057057_14272290.png大歳御祖神社

祭神:大歳御祖命(おおとしみおやのみこと) - 倉稲魂神・大年神の母神で、神大市比売命を指す。
社名かな:おおとしみおやじんじゃ
社格等:式内社(小)、旧國幣小社

応神天皇の時代(約1700年前)の鎮座と伝えられ、元々は安倍川河畔の安倍の市(古代の市場)の守護神であった。古くは「奈古屋神社」と称された。延喜式内小社で祈年の国幣に預った。

境内社:
a0057057_1562959.png麓山神社

祭神:主神に大山祇命、日本武尊を配祀
社名かな:はやまじんじゃ

由緒は不詳ながら古来より賎機山山上に鎮座し、俗に山宮と称する。浅間神社の祭神・木之花咲耶姫命の父神を祀るので、その別宮とされ、従来四本社の一つに列し独立の神社であったが、明治12(1888)年7月22日郷社に列し、境内社となった。社殿は本殿・拝殿・唐門・透塀を備え、他の三本社と同規模の壮麗な建築で、細部に立川流の彫刻を置き、漆塗り極彩色を施す。


a0057057_154432.png八千戈神社

祭神:主神に八千戈命(大国主命)、相殿に明治6(1873)年以降合祭された18社13柱の神々(浅間神社末社九社・大歳社末社三社・麓山神社末社三社・旧安倍郡城内鎮座稲荷神社・旧安倍郡明屋敷村鎮座国分天神、騎射御霊)

徳川家康の念持仏であった摩利支天像を安置するために造営されたもので、摩利支天社と称し、徳川家をはじめ幕府が殊に崇敬を尽くし、社殿も本社に次いで造営され壮麗なものである。明治初年の神仏分離に際して、摩利支天は葵区大岩の臨済寺(今川家菩提寺)に遷され、八千戈神社となった。昭和5(1920)年5月29日の昭和天皇親拝の折は、両社修繕中であり当社を仮殿としていたため、当社に参拝した。


a0057057_15135941.pnga0057057_1536618.png少彦名神社

祭神:主神に少彦名命、相殿に神部神社末社14社
社名かな:すくなひこなじんじゃ

もと神宮寺薬師社と称し、薬師如来・十二神将を安置していたが、明治維新に際して臨済寺に遷され少彦名神社となった。古来医薬の神として薬業関係者や病気平癒を祈る人々の参詣が絶えない。


a0057057_15171317.pnga0057057_15493984.png玉鉾神社

祭神:羽倉東麿・岡部真淵・本居宣長・平田篤胤 - 国学の四大人
社名かな:たまほこじんじゃ

明治9(1876)年3月、静岡県内の神職が官許を得て創祀された神社。


この神社最寄の駅・バス停:
JR静岡駅・静鉄新静岡駅(しずてつジャストラインバスあり)


参考資料:静岡浅間神社ホームページ/Wikipedia(2017年1月22日)
記事:
 取材:16.9.-6
 投稿:29.2.28
[PR]
by fbox12 | 2017-02-28 11:40 | 神社

第九拾貮 砥鹿神社 愛知県豊川市鎮座

a0057057_1537177.png

a0057057_16163080.pnga0057057_1617077.png

a0057057_16175634.pnga0057057_16394829.png
a0057057_16401692.png

鎮座地:(里宮)愛知県豊川市一宮町西垣内2
    (奥宮)愛知県豊川市上長山町本宮下4
祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)
神体:本宮山(神体山)
社格等:式内社(小)、參河國一宮、旧國幣小社、神社本庁別表神社
社名かな:とがじんじゃ

歴史:
社記(天正2(1574)年)の「參河國一宮砥鹿大菩薩御縁起」)では、大宝年間(701-704年)に文武天皇の時に天皇の病を鎮めるための勅使として草鹿砥公宣(くさかどのきんのぶ)が派遣され、本茂山(本宮山)の神を迎えて里宮が創建されたとする。
a0057057_2185144.png現在も砥鹿神社奥宮が鎮座する本宮山は東三河地方では中心的な孤峰であり、山中には磐座、山麓には古墳群の分布が知られることから、古代から信仰対象であったと考えられている。また上記伝承に見える草鹿砥氏は砥鹿神社の旧社家で、同氏は穂別の後裔と伝えることから、かつて当地一帯を治めたとされる穂国造により奉斎されたと推測する説がある。

神階・概史:
六國史時代における神階奉叙の記録
嘉祥3(850)年7月1日、従五位下 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「砥鹿神」。
仁寿元(851)年10月7日、従五位上 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「砥鹿神」。
貞観6(864)年2月19日、従五位上から正五位下 (『日本參代実録』) - 表記は「砥鹿神」。
貞観12(870)年8月28日、正五位下から正五位上 (『日本參代実録』) - 表記は「砥鹿神」。
貞観18(876)年6月8日、従四位下から従四位上 (『日本參代実録』) - 表記は「砥鹿神」。

a0057057_21173226.png仁寿元年条から貞観18年条はいずれの記事でも知立神(愛知県知立市の知立神社:三河国二宮)と併記され、六國史終了時点の神階は參河國内では知立神とともに最高位になる。
延長5(927)年成立の『延喜式』神名帳では参河國宝飫郡に「砥鹿神社」と記載され、式内社に列している。また、『參河國内神名帳』では「正一位 砥鹿大明神」と記載されている。
中世以降は、參河國一宮として尊崇された(一宮としての文献上初見は文永元(1264)年の訴状)。
戦国時代の永禄年間には、付近に徳川家康の命を受けた本多信俊が一宮砦を構えて今川軍に包囲されたが、家康が寡勢で救援に駆けつけて多勢の今川軍を蹴散らし、砥鹿神社に宿陣したとも伝わる。
明治維新後、明治4(1871)年には近代社格制度において国幣小社に列した。戦後は神社本庁の別表神社に列している。

摂社:

a0057057_2042521.png三河えびす社
祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと)
   建御名方命(たけみなかたのみこと)
社名かな:みかわえびすしゃ


八幡宮
祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと)
   天児屋根命(あめのこやねのみこと)
社名かな:はちまんぐう

a0057057_2191389.pnga0057057_2195689.png

守見殿神社・本宮山遙拝所
祭神:大己貴命和魂(おおなむちのみことにぎたま)
   迦久神(かくのかみ)
   倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
社名かな:もりみでんじんじゃ


a0057057_15374440.png西参道大鳥居

この石鳥居は、もともとは本宮山砥鹿神社奥宮を遙拝するものとして、天保13(1842)年、岡崎藩家老職の長尾応二郎興達により旧宝飯郡市田村に建立されたものだが、昭和20(1945)年豊川海軍工廠への空襲時に損傷を受け、昭和31(1956)年に当地に移転された経緯を持つ。石鳥居としては市内で2番目の大きさであり、至る所に空爆の被弾痕が見られる。 本鳥居は、近世期以降の本宮山信仰の遺産として、且つまた戦争の悲惨さを伝える平和の象徴として価値を有する。(この項、砥鹿神社ホームページから)

参考資料:砥鹿神社ホームページ/Wikipedia(2016年10月23日)
記事:
 取材:28.12.28
 投稿:29.2.25
 調整:29.2.26/29.2.28
[PR]
by fbox12 | 2017-02-25 21:23 | 神社

第伍拾壱 高橋神社 静岡県三島市鎮座

a0057057_202235.jpg

a0057057_19423235.pnga0057057_1947367.png
a0057057_19555735.pnga0057057_205839.png

鎮座地:静岡県三島市松本298番地
祭神:磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)
社名かな:たかはしじんじゃ

a0057057_2075496.pnga0057057_17403714.png(現在の)由緒書きから:
御祭神の磐鹿六雁命は、第十二代景行天皇の叔父に当たり、その子孫は代々大膳職(だいぜんじき:宮中の食事を司る職)の長官として宮中に仕えた。天武天皇の御代に高橋の姓(かばね)を賜り、以後高橋姓を名乗ってきたその一族がこの地に住み、祖神を祀ったのがその起源である。
その後の由緒については、ほとんど伝わらないが、現在の社殿は寛永元(1624)年の再建と伝えられる。
(左写真:以前の社殿・・近年、社殿の改修工事が行われた)

a0057057_20125327.png増訂豆州志稿(抜粋):
村社高橋神社祭神不詳
高橋明神神階帳従四位上
式内高椅神社也
延喜式考異ニ曰高橋(高椅)高ク架ケタル橋アリシヨリ起レルナル今社傍ニ石橋ノ地名存ス
上下兩村(上松本村・下松本村)今合村(松本村)ノ土神也
(右写真:旧本殿)

別資料から:
磐鹿六雁命は、醸造・調味料の神「高倍神(たかべのかみ)」として祀られていた。
料理の祖神、醤油・味噌などの醸造の神として調理師や調味業者などの信仰を集めている。

a0057057_19274020.jpg境内社:熊野神社、山神社

a0057057_21404263.jpg左側の祠

a0057057_2037148.jpg奉納 御山神守護と彫られた石(右側の祠)

a0057057_20273333.pngこの神社の南西は、別の鍬戸神社が鎮座しており、こちらの地名は三島市長伏。
神社の境内が境になっている(写真の瓦の部分)。


a0057057_15473654.pnga0057057_1553166.pngこの神社最寄りの駅・バス停:
東海バスオレンジシャトル 三島駅-新城橋-大平車庫 松本(停)
または、三島エクスプレス バスタ新宿-三島駅-大平車庫 松本(停)


記事:
 投稿:26.5.-9
 調整:29.2.20
[PR]
by fbox12 | 2017-02-20 21:33 | 神社

第四拾八 (駿州・横田)西宮神社 静岡県静岡市葵区鎮座

a0057057_1686100.png

a0057057_1684418.pnga0057057_1693863.png

鎮座地:静岡県静岡市葵区横田5-24
祭神:事代主神

概要:
毎年10月19日・20日に商売繁盛家内安全を願う、例大祭、通称「おいべっさん」が行われる。19日の夜から20日の午前中まで、伝馬町、横田町の通りが縁起物などを売る数十件の露店で賑わう。

この神社最寄の駅・バス停
静岡鉄道静岡清水線 音羽町
(JR東海道新幹線・東海道本線 静岡/静岡鉄道静岡清水線 新静岡)

参考資料:静岡県神社庁HP他
記事:
 取材:26.2.21
 投稿:29.2.10
[PR]
by fbox12 | 2017-02-10 16:10 | 神社

第九拾壱 南宮大社 岐阜県不破郡垂井町鎮座

a0057057_11223367.png
a0057057_11235293.pnga0057057_11415416.png
a0057057_1513336.pnga0057057_1541780.png

a0057057_1555851.pnga0057057_1633983.png

a0057057_16155960.png
鎮座地:岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1
主祭神:金山彦命
配神:彦火火出見命、見野命
社格等:式内社(名神大)、美濃國一宮、南宮神社、旧国幣大社、神社本庁別表神社
本殿様式:南宮造
社名かな:なんぐうたいしゃ

a0057057_161766.png



神階:
承和3(836)年11月4日、従五位下 (『続日本後紀』) - 表記は「仲山金山彦大神」
承和13(846)年5月8日、正五位下 (『続日本後紀』) - 表記は「中山金山彦神」
貞観元(859)年正月27日、正三位 (『日本三代実録』) - 表記は「中山金山彦神」
貞観6(864)年5月21日、従二位 (『日本三代実録』) - 表記は「中山金山彦神」
貞観15(873)年4月5日、正二位 (『日本三代実録』) - 表記は「中山金山彦神」
康平5(1062)年、正一位

a0057057_173355.pnga0057057_17333552.png概要:
岐阜県西部、南宮山の山麓に鎮座する。「国府の南に位置する宮」として「南宮」を名乗るようになったとされる。鉱山を司どる神である金山彦命を祭神としており、全国の鉱山・金属業の総本宮として古くから信仰を集めている。境内には江戸時代の遺構18棟が残っており、国の重要文化財に指定されている。

a0057057_21475062.png歴史:
社伝では、崇神天皇の時代に創建されたとされる。
平安時代中期の『延喜式神名帳』には「美濃国不破郡 仲山金山彦神社」と記載され名神大社に列している。また、美濃国一宮とされた。
慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで焼失し、1642年に徳川家光が再建した。
1868年、神仏分離により神宮寺が分離移転した(現 朝倉山真禅院)。
近代社格制度のもとで、明治4(1871)年に「南宮神社」として国幣中社に列し、大正14(1925)年に国幣大社に昇格した。戦後、「南宮大社」と改称した。

a0057057_21485950.png由緒:
御祭神金山彦命は、神話に古く、伊勢神宮の天昭大神(あまてらすおおかみ)の兄神に当らせられる大神様であります。社伝によれば、神武天皇東征の砌、金鵄を輔(たす)けて大いに霊験を顕わされた故を以って、当郡府中に祀られたらせられ、後に人皇十代崇神天皇の御代に、美濃仲山麓の現在地に奉還され、古くは仲山金山彦神社として申し上げたが、国府から南方に位する 故に南宮大社と云われる様になったと伝えます。御神位は古く既に貞観15(873)年に正二位に叙せられ、延喜式の神名帳には美濃国39座の内、当社のみ国幣大社として 名神祭にも預る大社に列せられています。天慶3(940)年、平将門の乱の誅伏の勅願や、康平年中(1058~65)安部貞任(さだとう)追討の神験によって、 正一位勲一等の神位勲等を極められ、依頼、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、土岐氏等の有力な武将の崇敬をうけ、美濃国一宮として、亦、金の神の総本宮として、朝野の崇敬極めて厚い名大社であります。(境内由緒書き)

摂末社:
境内社
本殿回廊内
 樹下神社
  祭神:大己貴命
  摂社。本殿に向かって右隣に鎮座。社殿は重要文化財。
 高山神社
  祭神:木花開耶姫、瓊瓊杵尊
  摂社。本殿に向かって左隣に鎮座。社殿は重要文化財。南宮山山頂に奥宮が鎮座する。
 隼人神社
  祭神:火闌降命
  摂社。本殿に向かって右手に鎮座。社殿は重要文化財。
 南大神社
  祭神:天火明命
  摂社。本殿に向かって左手に鎮座。社殿は重要文化財。
 七王子神社
  祭神:大山祇神、中山祇神、麓山祇神、䨄山祇神、正勝山祇神、高靇神、闇靇神
  摂社。本殿背部に鎮座。社殿は重要文化財。
境内後方 
 荒魂社
  祭神:本社祭神の荒魂
 伊勢両宮
  祭神:天照大神、豐受大神。古くは本社本殿が鎮座した。
 東照宮
 南宮稲荷神社
 金敷金床神社
  祭神:豐岡姫命、蛭兒命
 石船社
 引常明神
 湖千海神社
境内前方
 数立神社
  本社入り口脇に鎮座。美濃国総社という説もある。
 落合神社
  祭神:素盞嗚命

境外社(いずれも摂社)
 大領神社
  鎮座地:垂井町宮代
  (位置)本社への東からの入り口
  祭神:宮勝木實
  美濃国二宮とされる。
 吉葛神社
  社名かな:よさつらじんじゃ
  鎮座地:垂井町宮代
  (位置)本社への北からの入り口
  祭神:天吉葛神
 南宮御旅神社
  鎮座地:垂井町府中
  (位置)本社の旧鎮座地
  祭神:金山姫命 (豊玉姫命、埴山姫命を配祀)
  現在は御旅所。美濃国総社とも伝えられる。

この神社最寄りの駅・バス停:
JR東海道本線 垂井駅から 南西へ約1km(徒歩約20分)
垂井町巡回バス 南宮大社前(垂井駅から1時間毎に発車。片方向運行全線100円)
名阪近鉄バス 大垣宮代線 南宮大社前(季節運行 : 毎年1月1日~3日)

参考資料:Wikipedia(2017年1月5日)
記事:
 取材:28.12.28
 投稿:29.2.6
[PR]
by fbox12 | 2017-02-06 21:51 | 神社