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カテゴリ:鉄道・バス( 362 )

101 辰野駅(JR東日本)

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たつの

a0057057_21292378.png所在地:長野県上伊那郡辰野町大字辰野1941
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・中央本線(辰野支線)
電報略号/事務管コード:タノ/510517
キロ程:(岡谷起点)9.5km
乗入路線:JR東日本・中央本線(辰野支線)
     JR東海・飯田線
     JR貨物(第二種鉄道事業者)

概要:
岡谷駅 - 塩尻駅間を結ぶ中央本線の支線を所属線とし、豊橋駅を起点・当駅を終点とする飯田線を加えた2つの鉄道路線が乗り入れる。かつては両線とも日本国有鉄道(国鉄)の路線であったが、昭和62(1987)年の国鉄分割民営化により中央本線支線はJR東日本、飯田線はJR東海の路線となり、また両線ともJR貨物が第二種鉄道事業者として貨物営業を行っている。旅客営業においては当駅がJR東日本・JR東海の境界駅となっている。駅舎・ホームなどは鉄道資産はJR東日本の所属であり、同社とJR東海との境界は飯田線の下り場内信号機である。
当駅は中央本線開通と同時、明治39(1906)年に開業した。その後、駅西方から伊那谷方面を結ぶ伊那電車軌道(後の伊那電氣鐵道)が開業し、大正15(1916)年には駅に直接乗り入れた。伊那電氣鐵道は昭和18(1943)年に国有化され、飯田線として国鉄の路線網に組み込まれた。
以降、中央本線と飯田線の乗換駅として栄えたが、昭和58(1983)年に辰野駅を通らない塩嶺トンネル経由の新線(みどり湖経由)が岡谷駅 - 塩尻駅間に開通し、中央本線のメインルートから外れ、定期特急の停車がなくなった(岡谷 - 塩尻間の営業キロは辰野経由で 27.7 km、みどり湖経由で 11.7 km である)。その後、昭和61(1986)年11月に急行「こまがね」、平成14(2002)年12月に夜行急行「アルプス」も廃止され、辰野駅を経由する中央本線の定期の優等列車は全廃された。
現在、かつての優等列車の代替として快速「みすず」のみが停車する。塩嶺トンネル開通後、特に分割民営化以降、飯田線列車は上下各1本が当駅発着である他は、全ての列車が岡谷・上諏訪方面へ直通する。塩尻方面へは当駅との間での区間運転が大半を占めているため、実質飯田線の中間駅かつ地元で辰野線と呼ばれる塩尻への旧線の起点駅のようになっている(注、松本・(篠ノ井線経由)長野方面と飯田線とを通して運行する列車は、快速「みすず」を含めみどり湖経由で運転され、辰野駅 - 塩尻駅間は、辰野支線を通らず岡谷駅でスイッチバックする運用となっている)。

歴史:
明治39(1906)年6月11日 - 官設鉄道(当時は、内閣鐵道院) 岡谷 - 塩尻間延伸と同時に開業。
明治42(1909)年10月12日 - 線路名称設定。中央東線の所属となる。
明治44(1911)年5月1日 - 線路名称が改定され、所属が中央東線から中央本線に変更。
大正5(1916)年11月23日 - 伊那電車軌道(大正8(1919)年に伊那電氣鐵道へ改称)が西町駅から延伸し当駅に乗り入れ。この区間の開業以前は西町驛が、伊那電車軌道の「辰野驛」を名乗っていた。
大正12(1923)年3月16日 - 伊那電氣鐵道の伊那松島 - 当駅間が、軌道から鉄道への移行のために新線へ切り替え。
昭和18(1943)年8月1日 - 伊那電氣鐵道が飯田線の一部として国有化され、国有鉄道単独駅となる。
昭和24(1949)年6月1日 - 日本国有鉄道に移管。
昭和58(1983)年6月15日 - 鉄筋2階建ての駅ビル新築。塩嶺トンネル供用による対価として駅舎の改良が行われた。
昭和59(1984)年1月15日 - 専用線発着を除く車扱貨物取扱廃止。
昭和61(1986)年11月1日 - 荷物取扱廃止。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、旅客営業はJR東日本(JR東海は乗入れ)、貨物営業はJR貨物が継承。
平成18(2006)年6月11日 - 開業100周年を記念し、記念行事開催。記念弁当も限定発売された。
平成26(2014)年4月1日 - 東京近郊区間に編入。ただし、Suicaは利用できない。

駅構造:
2面4線のホームを有する地上駅。改札口正面に1番線(下り副本線)があり単式ホームとなっているが、ホーム西側・1番線反対側に行止り式の0番線(飯田線専用)が設けられている。0番線は平成27(2015)年3月14日改正時点で、夜間滞泊を行う下り最終の当駅止まりと翌朝の折返し上り始発列車のみが使用している(注、飯田線は、豊橋が起点)。島式ホームの改札口側が2番線(下り本線)、その反対側が3番線(上り本線)となっている。3番線以降も9番線まであるが、いずれもホームはない。4・5番線は上り副本線で、主に貨物列車の着発線となっている。6 - 9番線は側線である。駅舎は構内南側にある。改札口左手に跨線橋があり、単式ホーム北側にある島式ホームと連絡している。JR東日本の直営駅(駅長配置)であり、管理駅として信濃川島駅・小野駅を管理している。駅舎内にはみどりの窓口(営業時間5:50 - 19:40)のほか、自動券売機が2台設置されている。自由席特急券を購入できるのは片方の券売機のみである。かつては、JR東日本区間とJR東海区間を区別する機能が付いていたが、現在この機能は廃止された。ちなみに、この機能が付いていたときは、東日本区間のボタンを押すと券面に「東日本会社線」と表示されていたのに対して、東海区間のボタンを押すと、券面に「宮木経由」と表示されていた。平成21(2009)年3月14日から、JR東海管内の在来線全駅のホームが終日禁煙となったが、当駅はJR東海管轄の飯田線が接続しているものの、前述の通り当駅はJR東日本の管轄のため対象外で、従来通り喫煙所が設けられている。

のりば:
a0057057_19444192.png0番線 飯田線宮木・伊那松島・伊那市方面(1日1本のみ)
0番線 飯田線 宮木・伊那松島・伊那市方面(1日1本のみ)1番線 中央本線 上り 川岸・岡谷方面(通常はこのホーム)    飯田線 宮木・伊那松島・伊那市方面(1日1本のみ)2番線 飯田線 宮木・伊那松島・伊那市方面(通常はこのホーム)(写真:停車中の天竜峡行き東海車)    中央本線 下り 信濃川島・小野・塩尻方面(岡谷方面からの直通含む一部列車)3番線 中央本線 下り 信濃川島・小野・塩尻方面(当駅始発のみ、通常はこのホーム)         上り 川岸・岡谷方面(当駅始発)平成25(2013)年3月時点で、岡谷方面の列車は飯田線からの直通と当駅始発のみで、定期での塩尻方面からの直通列車は存在しない。

貨物取扱・専用線:
JR貨物の駅は専用線発着の車扱貨物の取扱駅となっているが、平成21(2009)年3月14日のダイヤ改正以降、貨物列車の発着がなくなっている。
平成21(2009)年3月までは、駅南側の豊島屋辰野油槽所専用線向けの根岸駅からの灯油やガソリンの到着があった。また、平成8(1996)年3月まで、駅西側にあったJA東日本くみあい飼料辰野工場(平成15(2003)年閉鎖)へ続く専用線もあった。この路線は、知多駅発送の穀物を取り扱っていた。

路線バス:
辰野町営バス(川島線:辰野駅前)

a0057057_19482952.pngテレビにも出た駅前商店街にあるレトロな喫茶店

現地取材:19.9.10
参考資料:Wikipedia「辰野駅」(最終更新 2017年5月9日)
記事投稿:29.6.11
  調整:29.6.16/29.6.17

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by fbox12 | 2017-06-17 14:02 | 鉄道・バス

137 逗子駅(JR東日本)

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ずし

所在地:神奈川県逗子市逗子一丁目1-10
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・横須賀線
      日本貨物鉄道株式会社
電報略号/事務管コード:スシ/441703
キロ程:(大船起点)8.4km
近隣の駅:(京急逗子線)新逗子駅 (・・300m程)。定期券に限り連絡運輸の扱いがある。

概要:
逗子駅は、JR東日本・JR貨物、横須賀線の駅である。東日本は、旅客駅。JR貨物は、総合車両製作所横浜事業所専用鉄道の車両輸送扱いである。

横須賀線は当駅折り返しおよび始発・終点の電車が多い。特に日中では、エアポート成田などの1時間に1〜2本を除き、すべて当駅発着のため、東京方面と久里浜方面の双方へは当駅での乗り換えが必要となる。新宿駅経由で東北本線(宇都宮線)に直通する湘南新宿ラインの列車も、当駅が起点・終点となっており、ここから久里浜方面は横須賀線の電車のみの運転となる。平成26(2014)年3月15日のダイヤ改正から、一部の成田エクスプレスが繁忙期の休日日中を中心に横須賀駅まで延長され、当駅にも停車する。

駅構造:
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。本屋側から単式ホーム(1番線)、島式ホーム(2番線・3番線)となっている。また、3番線の隣にはホームのない着発線も並行しているが、これは一部の列車の留置に使用されるほか、後述する総合車両製作所専用鉄道を介して甲種車両輸送をする際に使用される。また、横須賀線の運行管理を行う逗子CTCセンターが当駅に併設されていたが、平成21(2009)年11月1日のATOS導入に伴い同月15日限りで業務を終了した。平成19(2007)年8月4日には東逗子寄りにエスカレーターとエレベーターを完備した新橋上通路が開通し、西口も少し南へ移転し、鎌倉寄りの橋上通路も乗り換え通路に転用された。みどりの窓口・自動券売機・指定席券売機・自動改札機・自動精算機設置。 また、駅構内(改札外)にNEWDAYSと横浜銀行逗子支店逗子駅前出張所(店舗外キャッシュサービスコーナー)、逗子警察署逗子駅前交番がある。

*甲種車両輸送:輸送される車両の車輪(仮設を含む)を用い、日本貨物鉄道(JR貨物)など貨物鉄道事業者の機関車の牽引で、貨物列車扱いで輸送されるもので、甲種輸送もしくは甲種鉄道車両輸送とも称する。

のりば:
1番線 横須賀・総武線(快速)上り 鎌倉・大船・横浜・東京・千葉方面
    (繁忙期休日等に成田エクスプレス(臨時)停車)
    (東京駅から JO 総武線(快速)へ直通 )
    湘南新宿ライン 北行 渋谷・新宿・池袋・大宮方面(大宮から宇都宮線へ直通)
2・3番線 横須賀線 下り 横須賀・久里浜方面(繁忙期休日等に成田エクスプレス (臨時) 停車)
      横須賀・総武線(快速)上り 鎌倉・大船・横浜・東京・千葉方面
    (東京駅から総武線(快速)へ直通 )
      湘南新宿ライン 北行 渋谷・新宿・池袋・大宮方面(大宮から宇都宮線へ直通)
横須賀方面から直通してくる横浜方面行き列車は原則として1番線に入線する。
東逗子 - 久里浜間の各駅はホーム有効長が11両分(田浦駅では10両分に満たない)しかないため、15両編成の列車は当駅で増解結作業をする必要がある。このため、横須賀方に切り離した付属編成(4両)を留置するための広大な留置線群がある。
当駅での増解結は基本的に前の付属編成を留置線に回送し基本編成が久里浜方面へ乗り入れるが、平成24(2012)年3月のダイヤ改正までは付属編成が解結後そのまま久里浜方面の普通電車として運行し後11両が折り返し普通列車や回送列車となる運用が存在した。
平成24(2014)年3月15日のダイヤ改正から、横浜・大船発着の成田エクスプレスの一部列車が繁忙期休日の日中を中心に横須賀駅まで延長され、同列車の停車駅となった。

歴史:
明治22(1889)年6月16日 - 官設鉄道(当時は、内閣鐵道局)大船~横須賀間の開通時に開業。
明治42(1909)年10月12日 - 横須賀線所属駅となる。
昭和43(1968)年12月 - 配線改良工事竣工。これにより下り本線が2番線から3番線となった。
昭和44(1969)年3月 - 現在の駅舎(三代目)に改築。
昭和59(1984)年2月1日 - 貨物取り扱い廃止。
昭和62(1987)年3月31日 - 鉄道車両に限り貨物取り扱いを再開。
 4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本とJR貨物の駅となる。
平成13(2001)年11月18日 - ICカードSuica供用開始。
 12月1日 - 湘南新宿ライン運転開始。
平成19(2007)年8月4日 - 新橋上通路全面開通。同時に西口改札を移転。
平成26(2014)年3月15日 - 横浜駅・大船駅発着の「成田エクスプレス」の一部列車が、横須賀駅まで臨時列車として繁忙期の土日祝のみ延長運転を開始。当駅が停車駅となる。
平成27(2015)年3月14日 - ダイヤ改正により「おはようライナー逗子」「ホームライナー逗子」が廃止され、代替として平日朝に1本上り電車が増発される。

総合車両製作所横浜事業所専用鉄道:
当駅から京浜急行電鉄金沢八景駅付近にある総合車両製作所横浜事業所(旧・東急車輛製造横浜製作所)へ続く全長6.4kmの専用鉄道がある。当駅を分岐後、横須賀線に並走し東進し、京急逗子線との交差点付近で方向を変え北上、(京急)神武寺駅の六浦寄りで同線に合流している。ここから先は1435mm(標準軌)と1067mm(狭軌)の三線軌条で金沢八景駅まで続いている。この専用線は横浜事業所で製造された車両を搬出するために使用される他、京浜急行電鉄やその乗り入れ先である東京都交通局(都営地下鉄浅草線)、京成電鉄、北総鉄道向けの甲種車両輸送で使用される。輸送される際は、神武寺駅まで総合車両製作所が所有するスイッチャー(元東急7200系電車→上田電鉄別所線7200系電車を使用)が牽引し、それより先はJR貨物新鶴見機関区川崎派出所属のDE10形又はDE11形が当駅まで牽引する。なお、神武寺駅から先の京急逗子線との共用区間については、昼間時の同線の列車運行を妨げないよう、甲種輸送の際は終電後の深夜に行われる。平成3(1991)年にはこの線を使い団体専用列車が運転されたことがある。

その他:
JR東日本横浜支社では、明治22(1889)年6月16日の開業時から使用されて来た旧跨線橋の支柱の一部を上りホームの新跨線橋下付近に移築した上で平成20(2008)年2月18日から保存展示公開を開始した。展示場所は上りホーム新設跨線橋下で、鋳鉄製の橋脚1本を据え付け、説明板を設置している。当駅の跨線橋の設置時期ははっきりしないが、明治30年代には使用開始したとみられ、改修・拡幅されて平成19(2007)年9月まで使用されていた。鋳鉄製の支柱下部には製造場所を示す「新𣘺」、「明治」「鐵道」などと文字が刻印されている。ホームを嵩上げ工事した際に刻印の下部が埋まり、すべての文字は確認できなかったが、その後の調査で「鐵道作業局」「新𣘺工場製造」「明治三十二年」の陽刻が確認された。公文書などから明治32(1899)年に建設された可能性がある。横浜支社によれば、現存する跨線橋柱としては、西日本旅客鉄道(JR西日本)の大田市駅(山陰本線、明治23(1890)年、供用中)・高田駅(和歌山線・桜井線、明治24(1891)年、ホームに柱1本を保存)に次いで3番目に古いという。この2駅の跨線橋柱は鐵道作業局神戸工場製で、新𣘺工場製としては当駅のが最古である。大田市と高田の2駅の跨線橋柱は他駅から転用したもので、建設時の駅で使用され続けた鋳鉄柱としては国内最古と考えられる。なお、この展示物はJR東日本の車両基地一般公開にも展示される場合がある。

参考資料:Wikipedia「逗子駅」(最終更新:2017年5月20日)
現地取材:19.3.21/21.9.11
記事投稿:27.7.-9
  調整:29.6.16

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by fbox12 | 2017-06-16 22:27 | 鉄道・バス

060 品川駅(JR東日本/JR東海/京急/JR貨物)

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しながわ

概要:
JR東日本の在来線各線(後述)、JR東海の東海道新幹線、京浜急行電鉄の本線が乗り入れるターミナル駅である。このうち、JRの駅には「SGW」のスリーレターコードが、東日本各線にはこれも後述の駅番号が付けられ、京急の駅には「KK01」の駅番号が付けられている。
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は東海道本線と山手線の2路線で、そのうち、東海道本線を当駅の所属線とし、山手線は当駅が起点となっている。東海道本線は川崎駅経由の本線と武蔵小杉駅経由の支線(通称:品鶴線)とが当駅で分岐する。この中で東海道本線東京駅方面を除く3方向ではJR貨物が第二種鉄道事業者として貨物営業を行っている。旅客列車の運転系統は次の4系統であり、それぞれ専用の線路が割り当てられている。旅客案内でも以下の系統名称が使用される。
東海道線 : 東海道本線東京駅方面 - 当駅 - 川崎駅方面の列車線を走行する中距離電車および特急列車。また、東京駅を経由して、東北本線(宇都宮線)・高崎線・常磐線に直通する上野東京ライン系統の列車も運転されている。ただし常磐線方面は一部の臨時特急・急行列車を除き当駅発着である。 - 駅番号「JT03」
京浜東北線 : 東海道本線東京駅方面 - 当駅 - 川崎駅方面の電車線を走行する近距離電車。南行は横浜駅から根岸線への直通運転も実施している。- 駅番号「JK20」
山手線 : 東海道本線東京駅方面の電車線と線路名称上の山手線渋谷駅方面の電車線とを直通運転する環状路線- 駅番号「JY25」
横須賀線 : 東海道本線東京駅方面の地下線と品鶴線武蔵小杉駅方面とを直通運転。大船駅より線路名称上の横須賀線に乗り入れる。大船駅発着の特急「成田エクスプレス」もこのルートで運転される。上り列車は多くの列車が東京駅を経由し、総武快速線へ直通する。 - 駅番号「JO17」
JR東日本・JR東海の駅は、特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属する。
2027年に開業する予定のJR東海リニア中央新幹線の首都圏側の始発駅になることも正式に決まっている。
京浜急行電鉄は、当駅を経由し、都営地下鉄浅草線、京成電鉄、北総鉄道北総線、芝山鉄道芝山鉄道線まで最大で5社の相互直通運転を実施している。

歴史:
品川駅の西口側は三田 - 高輪台に跨る台地の裾野に位置する。開業当初、線路は海岸線に沿って建設され、線路よりも東側は海だった。港南側の大部分は明治時代以降に埋め立てにより造成された土地である。

明治4(1871)年9月10日 - 品川駅舎工事着工
明治5(1872)年1月20日 - 西洋建築平屋建の品川驛(当時は「品川ステーション」)の駅舎が完成。総工費約5,427両
 6月12日(旧暦5月7日) - 当駅 - 横濱驛(初代。現在の桜木町駅)間が仮開業し、当駅も営業開始
 10月15日(旧暦9月13日) - 初代新橋驛(後の汐留駅) - 当駅 - 横濱驛間正式開業
新橋驛よりも先に開業したことになり、櫻木町驛とともに日本一古い鉄道駅の一つということになる。そのため、東海道本線ホームの発車メロディが『鉄道唱歌』となっている。同歌において品川は、第1集東海道編第3番に「窓より近く品川の 台場も見えて…」と歌われている。

明治18(1885)年3月1日 - 日本鐵道品川線(現在の山手線)が乗り入れ
明治31(1898)年4月1日 - 貨物取り扱い開始
明治39(1906)11月1日 - 日本鐵道、鉄道国有法により国有化
明治42(1909)10月12日 - 線路名称制定により東海道本線の所属となる。
大正3(1914)年12月20日 - 京濱線(現在の京浜東北線)運転開始
昭和20(1945)年5月24日 - 太平洋戦争による空襲で被災
a0057057_22055304.png昭和24(1949)年6月1日 - 日本国有鉄道(国鉄)発足
昭和39(1964)年10月1日 - コンテナ貨物取り扱い開始
昭和51(1976)年10月1日 - 総武快速線当駅まで乗り入れ
昭和55(1980)年10月1日 - 総武快速線と横須賀線の運転系統が統一され、直通運転を開始(SM分離)。一般向けコンテナ・車扱貨物の取り扱い全廃。駅南東に広がっていた貨物ホーム撤去。これに伴い、横須賀線は東海道線ホーム発着ではなくなった。
昭和61(1986)年11月1日 - 荷物取り扱い廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化、国鉄の駅はJR東日本・JR貨物が継承
平成6(1994)年12月3日 - 貨物列車の設定がなくなる。
平成9(1997)年5月26日 - 東海道新幹線品川新駅起工式挙行
平成10(1998)年3月26日 - 構内のJR貨物品川機関区が川崎貨物駅構内に移転、川崎機関区(現 新鶴見機関区川崎派出)に改称
 11月1日 - 東西連絡通路(レインボーロード)完成、橋上駅舎化
これ以前には、当駅には線路を越えて東西を結ぶ自由通路が設置されておらず、東口方面と西口方面を歩いて行き来するには入場券を購入して駅の改札内を経由する必要があった。その関係で当駅には定期入場券を購入する利用者が多く存在していたが、東西連絡通路の完成で解消されることとなった。
かつての品川駅には、西口改札を入って左にある階段を降りたところにJR線の各ホームへ向かう連絡通路が設置されていた。この連絡通路は地下にあったため豪雨で冠水することがあり、これが原因で列車の運行に支障をきたしたこともあったが、駅の橋上化により解消された。

平成13(2001)年11月18日 - ICカードSuica供用開始
平成15(2003)年10月1日 - JR東海の東海道新幹線品川駅開業。開業記念セレモニーの一環で、ソニーの「QRIO」が当駅から静岡駅まで「ロボットの乗客としては初めて」新幹線に乗り込んだ。
平成16(2004)年3月3日 - 港南口駅ビル(JR品川イーストビル・アトレ品川)開業
平成17(2005)年10月1日 - ecute開業。大宮駅に次ぐ2例目
平成20(2008)年3月15日 - この日のJRグループのダイヤ改正により、東海道新幹線は全列車停車となる。また、横須賀線新ホームの使用を開始し、当駅始発・終着列車が新設される。
平成27(2015)年3月14日 - 上野東京ライン(東北縦貫線)が完成し、上野駅が終着であった宇都宮線・高崎線・常磐線の列車と東海道本線の列車の相互乗り入れ開始。尚、常磐線については当駅が新たな終着駅となった。

京急
明治37(1904)年5月8日 - 品川驛(現 北品川駅) - 八幡驛(現 大森海岸駅)間開業
明治38(1905)年12月24日 - 品川驛(現 北品川) - 神奈川驛間開通
大正13(1924)年3月11日 - 京濱電氣鐵道の髙輪驛開業。従来の品川驛を北品川驛に改名。髙輪驛 - 北品川驛間は東京市電と共用とした。
昭和8(1933)年4月1日 - 髙輪驛 - 北品川驛間の市電共用を廃止し、自前で品川驛乗り入れを実施すべく品川驛 - 北品川驛間に線路新設、同時に品川驛開設。横濱驛以北を改軌 (1372 mm → 1435 mm) し、当駅 - 浦賀驛間直通運転開始。湘南電車品川驛乗り入れ、髙輪驛廃止
昭和17(1942)年5月1日 - 東京急行電鐵の駅となる。
昭和19(1944)年5月1日 - 当駅 - 黄金町驛間および横濱驛 - 浦賀驛間に運転系統を分離
昭和23(1948)年6月1日 - 京濱急行電鐵の駅となる。
 7月15日 - 当駅 - 浦賀驛間直通運転復活
昭和27(1952)年7月6日 - 当駅 - 逗子線逗子海岸駅(現 新逗子駅)間で「海水浴特急」運行開始
昭和43(1968)年6月21日 - 当駅から泉岳寺駅までが開通。都営地下鉄1号線(現 浅草線)と相互乗り入れ開始。主に特急・急行が乗り入れ
平成4(1992)年4月16日 - 「京急ウィング号」運行開始
平成5(1993)年4月1日 - 空港線の羽田駅(現 天空橋駅)開業に伴い、同線直通列車運行開始
平成7(1995)年4月1日 - 快速特急の最高速度を当駅 - 横浜駅間120km/h、横浜駅以南110km/hに引き上げ。特急は全線110km/hで運行
平成9(1997)年10月4日 - 都営浅草線直通特急の12両運転区間が当駅まで延長される。空港線へ直通する特急が登場し、都営浅草線直通列車を大幅に増発
1998年(平成10年)11月18日 空港線羽田空港駅(現 羽田空港国内線ターミナル駅)開業に伴い「エアポート快特」・「エアポート特急」運行開始。
1999年(平成11年)7月31日 - 京急線の白紙ダイヤ改正が実施される。
それまでの快速特急について略称として定着していた「快特」を正式名称とした。
京成線および都営浅草線からの直通急行がすべて羽田空港駅発着になり、通常時のダイヤから当駅発着がなくなる。
平日朝に運行されていた通勤快特を廃止し、金沢文庫駅で快特に種別を変更する特急として運行。
「エアポート特急」を「エアポート快特」に統合。
都営浅草線直通の横浜方面発着の特急を日中は全列車、ラッシュ時も一部列車を快特に格上げ。
金沢文庫駅で快特と増・解結を行い、当駅 - 新逗子駅・浦賀駅を結ぶ列車を設定。当初は休日のみであったが、後に平日にも拡大。
平成14(2002)年10月12日 -日中の当駅発着快特を泉岳寺駅発着に延長、浅草線に連絡する。
平成19(2007)年3月18日 - ICカードPASMOを導入、Suicaとの相互利用開始。同時に首都圏の私鉄としては初めての試みとして全駅構内(売店、飲食店、自動販売機)でPASMO電子マネーを導入。
平成22(2010)年5月16日 - この日のダイヤ改正により新設された「エアポート急行」の停車駅となる。同時に「エアポート快特」は当駅 - 羽田空港駅間のノンストップ運転となる。

駅構造:
西側から京急、JR東日本、JR東海と大きく分けて3つの部分で構成される。

60-1 JR東日本
所在地:東京都港区高輪三丁目26-27
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・東海道本線
     ( 日本貨物鉄道株式会社)
電報略号/事務管コード:シナ/460106
乗入路線:(上記)
キロ程:
□ 東海道線(東海道本線列車線・・常磐線直通含む)
 (東京起点)6.8km
  ◄ 新橋(4.9km)■(11.4km)川崎 ►
□ 京浜東北線(東海道本線電車線)
 (東京起点)6.8km
  ◄ 田町(2.2km)■(2.4km)大井町 ►
□ 山手線(山手線電車線・東海道本線電車線)
 (品川起点)0.0km
  ◄ 田町(2.2km)■(2.0km)大崎 ►
□ 横須賀線(東海道本線地下別線・品鶴線)
 (品川起点)0.0km(品鶴線の起点として/東京から6.8km)
  ◄ 新橋 (4.9km)■(3.6km)西大井 ►

構内の中央に位置し、山手線、京浜東北線、東海道線、横須賀線のホームがある。島式ホーム7面14線と単式ホーム1面1線で構成され、西から1番線 - 15番線と並ぶ。東海道線は5・12番線が本線である。京浜急行電鉄と1・2番線ホームの間には山手線の留置線が数本ある。また、東海道下り本線にある電留線(札の辻群線3 - 22番)や洗浄線(白金群線)などは当駅構内の扱いである。よって、本線からの到着以外のルート構成は品川駅にある高輪信号所が扱っている。

改札内コンコースは、駅の北側と南側にそれぞれ東西に伸びるものがある。中央にある改札外のコンコースで分断され、直接にはつながっておらず、両コンコース間をホームや改札を通らずに行き来することはできない。
南側の改札内コンコースの西側には京急のきっぷうりばや京急連絡改札口があり、京急の下りホームに直結している。構内には駅ナカ商業施設として「ecute 品川」と「ecute 品川サウス」がある。かつて当駅にはチップトイレが存在していた。便器の一部に温水洗浄便座が使用されている。
1番線の東京寄りに、山手線の0キロポストがある。

9・10番線はかつて臨時ホームとして機能していて、東海道線が早朝・深夜に設定している当駅発着の列車が使用していた他、当駅終着の「湘南ライナー」も到着する。時折行われるジョイフルトレインなどの鉄道車両の展示イベントの他、東海道線や横須賀線のダイヤ乱れ時にはこのホームが使用され、湘南新宿ラインが大崎駅ではなくこのホームに発着する事もある。団体列車などの臨時列車の発着にも使われたが、平成27(2015)年3月14日からは上野東京ラインが使用し、主に常磐線列車が発着するホームとして機能している。15番線が完成するまでは横須賀線の早朝始発電車も臨時ホームから発車していた。上野東京ラインの開業により、常磐線の始発駅となっていることから、利用客の待ち合わせも多いこともあり、大型ディスプレイと複数のベンチを並べた待合スペース(仕切り等なしの屋外型)が新たに設けられた。上野東京ライン開業日には、開通記念セレモニーが9・10番線ホームで行われ、最初の列車となったひたち1号の先頭車両10号車付近のホーム場に赤じゅうたん等を敷いてイベントスペースが設けられ、JR東日本清野会長や東京都港区武井区長らによるテープカットに多くのマスコミが集まった。
上野東京ライン開業前の臨時ホームの駅名標は、両隣の駅が川崎駅・新橋駅と東海道線に準拠した表示になっていた。また、下り方は東海道線以外に横須賀線(西大井方面)・山手貨物線(渋谷・新宿方面)の発着が各番線で可能である。

戦前、国鉄では品川 - 東京間に複線を増設し、京浜東北線の一部と横須賀線を走らせる「京濱急行線計画」が存在していた。その計画では、1番線が山手線内回り、2番線が山手線外回り、3番線が京浜東北線北行、4番線が「京濱急行線」北行、5番線が京濱東北線南行、6番線が「京濱急行線」南行、7・8番線が東海道線上り、9番線が横須賀線上り、10番線が横須賀線下り、11・12番線が東海道線下りとなる予定であった。臨時ホームはこの計画に基づいて建設されたものである。この計画は対米戦により未成に終ったが、その一部は、京浜東北線と山手線の分離運転(「東京縦貫複々線工事」という)に活用された。ちなみに、田町寄りには本来横須賀線が使用するはずだった高架橋の一部が現在でも残されている。なお、これは当駅に乗り入れている「京浜急行電鉄本線」とは関係ない(京急の当時の名称は京濱電気鐵道だった)。

昭和25(1950)年頃は京浜東北線と山手線のホーム配置が現在と異なっており、合わせて3面5線で、1番線が山手線内回り、2番線が山手線出庫用、3番線が山手線外回り、4番線が京浜東北線北行、5番線が京浜東北線南行であった。このため、京浜東北線横浜方面から山手線渋谷方面への乗り換えは同一ホームで可能だった。同一方向での同一ホーム乗り換えは北隣の田町駅で行われており、これは現在も同じである。また、この関係は現在の代々木駅と新宿駅における山手線と中央緩行線の関係に近い。

1960年代には新幹線が東海道新幹線しかなく、高速道路網も未整備で鉄道輸送のシェアが大きかった。年末や旧盆の帰省ラッシュ時に東北本線、奥羽本線や磐越西線方面への下り臨時列車が当駅臨時ホーム始発、山手貨物線経由で運行されたことがある。(一部は東京駅・上野駅経由、ただし両駅での客扱いなし)。品川始発の最初は昭和35(1960)年12月28日から31日までの4日間で、15本の列車がその対象となり、昭和50(1975)年まで続いた。当時の東北方面へのターミナル駅である上野駅の混雑を緩和する目的で設定されたのである。乗客は提灯に導かれて駅の東側に回り、多数張られた白いテントの中で列車を待った。このテント待合所は俗にテント村と呼ばれた。昭和40(1965)年5月に3000人収容の団体待合室が完成して、待合場所が変更された。

平成20(2008)年3月15日のダイヤ改正より、横須賀線13・14番線ホームと新幹線21・22番線の間に新設された1面1線の単式ホームである15番線の使用が開始された。これにより横須賀線列車の当駅折り返しが可能になり、「成田エクスプレス」始発・終着列車・横須賀線(総武快速線直通)の終着列車が新設された。平成16(2004)年10月16日のダイヤ改正で湘南新宿ラインを大幅に増発して以降、横須賀線東京 - 品川間の運転が減少傾向にあったが、この15番線ホームの使用開始で改善された。また、湘南新宿ラインのダイヤが乱れた時に臨時ホームで折り返す事で東海道線の遅延を招いていたが、14番線(一部は15番線)ホームを使用することで他線区への影響を抑制することができる。
当駅の横須賀線上りホームの案内は、直通先の「総武線(快速)」のみである。

全ホームに東京圏輸送管理システム(ATOS)が導入されており、基本的に自動放送は奇数番線と4番線が女声(担当:向山佳比子)、偶数番線と3番線が男声(担当:田中一永)となっている。ATOS導入当初は男声の担当が津田英治で、京浜東北線ホームは3番線が女声、4番線が男声だったが、後に3番線と4番線の声が入れ替わり、男声は上野東京ライン開業に伴い2・3番線を除き田中の音声に更新され、その後平成28(2016)年2月に2・3番線も田中の音声となった。京浜東北線のホームはATOS導入前からATOS式の駅自動放送が使われ、3・4番線とも向山が担当していた時期がある。
横須賀線・総武快速線を走行する特急「成田エクスプレス」は、横浜駅・大船駅発着の臨時を除く全列車と池袋発3号・新宿発13号・19号・47号、新宿行4号・池袋行20号・28号と高尾行50号が停車する。

平成23(2011)年10月2日より、10番線ホームの供用を開始し、下り「湘南ライナー」が発着するようになった。同時に11番線ホームの停止位置目標が100m程横浜寄りに移動し、12番線が工事のため使用停止になった。
平成24(2012)年9月23日より、工事のため使用停止されていた12番線の使用が再開され、9・10番線ホームが工事のため使用停止になった。
平成25(2013)年11月24日からは、9・10番線ホームの使用が再開され、7・8番線ホームが工事のため使用停止になった。同時に東京総合車両センター田町センター新車両基地の使用を開始した。
平成26(2014)年6月3日に田町駅との間には新駅(泉岳寺駅付近、現在の東京総合車両センター田町センター周辺)が2020年に暫定開業されると公式発表された。
平成26(2014)年12月7日からは、8番線ホームの使用が再開され、6番線ホームが工事のため使用停止になった。

山手線には、深夜の当駅終着列車の設定がある。 東海道線には、常磐線直通系統の当駅発着列車以外に早朝の当駅始発下り横浜方面への列車・朝の宇都宮線および高崎線からの当駅終着列車・深夜の東海道線横浜方面からの当駅終着列車の設定もある。 横須賀線は、下り始発列車が当駅始発、上り最終列車が当駅終着となっている。総武快速線直通は、平日朝に2本、夕方に1本、当駅発着列車が設定されている。

のりば:
1番線 山手線 内回り 東京・上野・駒込方面
2番線 山手線 外回り 渋谷・新宿・池袋方面
3番線 京浜東北線 北行 東京・上野・大宮方面
4番線 京浜東北線 南行 蒲田・横浜・桜木町・大船方面
5番線 (工事のため)使用停止
6・7番線 上野東京ライン(宇都宮線・高崎線)東京・上野・大宮・宇都宮・高崎方面
      ・・日中は6番線から発車
8番線 (臨時ホーム)
9番線 上野東京ライン(常磐線)〈常磐線特急〉「ひたち」・「ときわ」
     東京・上野・柏・土浦・水戸・いわき方面
東海道線 上り 東京・上野・大宮・宇都宮・高崎方面
    (上野東京ライン含む)上野駅から宇都宮線・高崎線へ直通

10・11番線 上野東京ライン(常磐線・快速)東京・上野・松戸・柏・取手・土浦・水戸・高萩方面
11・12番線 東海道線 下り 川崎・横浜・小田原・熱海・伊東方面
       特急「スパービュー踊り子」・「踊り子」
       ・・一部列車は10番線。日中は12番線から発車。
13・14番線 総武線(快速)上り 錦糸町・船橋・千葉・成田空港方面
       特急「成田エクスプレス」
       ・・主に13番線から発車。
14・15番線 横須賀線 下り 鎌倉・逗子・久里浜方面
当駅の東海道線上りホームの案内は直通先の「上野東京ライン(宇都宮・高崎線)」・「上野東京ライン(常磐線)」(ただし、いずれのホームも駅名標等に表示される駅ナンバリングは東海道線の「JT03」となっている)、横須賀線上りホームの案内は直通先の「総武線(快速)」のみである。
東海道線の朝4時台の横浜・小田原・熱海方面行きは10番線(朝5:10発は11番線)、横須賀線の朝4時台の逗子・久里浜方面行きは9番線から発車する。(元出典:JR東日本:駅構内図)

60-3 JR東海
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所在地:東京都港区港南二丁目1-78
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道新幹線
電報略号:シナ
キロ程:(東京起点)6.8km

概要:
東側に位置する島式2面4線のホームで、S字状に緩くカーブしている。22・23番線から東京寄りに総延長958mの引き上げ線が3本あり(内2本の間には長さ355mの乗務員用の島式ホームもある)、列車の折り返しが可能である。
新幹線ホームやその東側は、1990年代半ばまで品川機関区や貨物取り扱い施設、新幹線の車両基地があった。駅上部のJR東海品川ビルには、JR東海東京本社が入居する。東海道新幹線品川駅の構想自体は日本国有鉄道(国鉄)時代から存在し、国鉄分割民営化時にJR東海に継承された。JR東海がJR東日本から新幹線ホーム建設用地を購入する際、時価売却か簿価売却かで一悶着あった。駅舎などの設備は平成9(1997)年5月26日に着工し、6年4か月かけて平成15(2003)年9月15日に完成した。東海道新幹線の駅としては最も新しい駅である。
東海道新幹線品川駅が建設された理由として、当駅折り返し列車の設定による東海道新幹線の輸送力増強が大きな目的とされ、東京駅から東京第一車両所・東京第二車両所に出入りする回送列車との競合を回避することで、1時間に4本の増発が可能であるとされたが、平成15(2003)年10月1日の開業以降しばらくの間当駅折り返し定期列車が設定されていなかった。平成19(2007)年7月1日ダイヤ改正にて、N700系による当駅始発列車「のぞみ」99号博多行(6時00分発)が新設された。
a0057057_21380271.pngホーム上には売店などの店舗はない。売店等はホーム上のコンコース・改札内に出店している。改札内の待合室を兼ねるコーナーには一部に無線LANコーナー(電源付き)がある。新幹線ホームは駅舎の内側にあるため、地下駅のようになっている。上下線とも外側が本線(通過線)となっており、転落防止のために可動式安全柵(ホームドア)が設置されている(右写真)。また内側は副本線(待避線)であり、固定柵が設置されている。
平成20(2008)年3月15日ダイヤ改正から全列車が停車。これにより一部相互発着という手法で列車を停車させている。改正前日までは新大阪駅発着の「ひかり」のみ全列車が停車し、「のぞみ」は約6割停車、広島駅・岡山駅発着の「のぞみ」と一部の「ひかり」は通過となっていた。
平成26(2014)年よりJR東海は東海道新幹線停車駅の自動改札機を順次更新する計画があるが、品川駅は最初に新型の自動改札機が設置される予定である。なお、東海道新幹線の駅で初めて、開業当初からフルカラーLED式発車標が設置されていた。新幹線北乗換窓口が新幹線メンテナンス東海に委託されている他は直営である。

のりば:
21・22番線 東海道新幹線 上り 東京方面(下写真左:300系が出発したのが22番線)
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23・24番線 東海道新幹線 下り 名古屋・新大阪方面(上写真右:700系が入線しているのが23番線)
(上駅名標横写真:500系が東京まで運転されていた頃の24番線)

60-2 京浜急行電鉄
所在地:東京都港区高輪三丁目26-26
所属・路線:京浜急行電鉄株式会社・本線
駅番号:KK01
キロ程:(品川起点)0.0km
当駅は起点であるが正式には当駅 - 泉岳寺駅間の1.2kmも京急本線であるため、書類上は途中駅になる)。

概要:
構内の西側に位置し、2面3線のホームを有する高架駅である。駅番号はKK01。東側(JR品川駅側)に単式ホーム(1番線)、西側に島式ホーム(2・3番線)が配置され、3番線は泉岳寺方が行き止まりとなっている。横浜・羽田空港方面(1番線)のホーム上に中間改札があり、JRのコンコースに直結する。この中間改札は、裏面が黒(磁気)でJR・京急線にまたがる前提の乗車券か、PASMOおよび相互利用可能なICカードで利用可能である。裏面に磁気のない切符や、京急線・JR線いずれかの切符で本駅下車ののち、他方の会社線に乗る場合は、改札横の窓口(京急→JRは右、JR→京急は左)で、使用したきっぷの回収とこれから乗車する会社線の乗車券を購入することで、中間改札を利用できる。
各ホームには「京急ウィング号」のWing Ticket(着席整理券)自動券売機が設置され(改札外にも設置)、跨線橋にはJR東海のエクスプレス予約乗車券類受取機が設置されている。
2番線に到着した当駅止まりの列車は、泉岳寺寄りにある引き上げ線に入って折り返し、1番線に転線する(なお、この引き上げ線には業務用のホームがあり、京急の品川駅職員は「新品川」と呼称している)。一部列車は3番線に入線し、そのまま折り返す。ただし、ダイヤの乱れで引き上げ線が使用できない場合は、3番線に入線した電車が一旦北品川方面への本線へと転線し、そこから1番線へ入線する場合もある。
1・2番線のホーム有効長は12両編成分、3番線は10両編成分である。
当駅は途中駅ながら本線の起点という扱いである。泉岳寺駅も京急の駅で、当駅と泉岳寺駅の間も京急本線だが、支線の扱いとなっている。支線へ直通する列車は、当駅から「普通」または「快速」「通勤特急」「アクセス特急」など、京成電鉄の種別に変更される。ただし泉岳寺行きは種別は変更されず、都営浅草線内「エアポート快特」で運転する種別は押上駅で京成の種別に変更される。当駅は京成の列車種別を含めると、京急の全列車種別が停車する唯一の駅である(「モーニング・ウィング号」「京急ウィング号」「エアポート快特」「快特(京急)・快速特急(京成)」「アクセス特急」「特急」「通勤特急」「快速」「エアポート急行」「普通」の10種別)。京急と京成には「快特」「快速特急」が存在し、横浜・羽田空港方面が「快特」と案内されるのに対し、京成線青砥・船橋方面は京成の案内に合わせて「快速特急」と案内される。
1番線のみ自動放送が導入されている(担当:大原さやか)。早朝やダイヤ乱れ時は簡易放送に変更される。当駅では下り列車の今度の発車案内放送を流すが、羽田空港行以外の場合はその発車時刻が最後に放送される。平成20(2008)年11月18日より、羽田空港行列車の入線時の案内放送の冒頭に羽田空港旅客ターミナルで使用されているチャイム音をアレンジしたものが追加された。また、羽田空港行の列車の案内では英語放送も実施される。
発車標は、平成10(1998)年までは京急川崎駅などに設置されている反転フラップ式発車標より一世代前の反転フラップ式の発車標が使用されていたが、同年に3色LED式へ交換、そして平成21(2009)年2月にフルカラーLED式へ交換され、同時に後述の「駅メロディ」も開始された。最初は2・3番線のものが交換され、その次に1番線のものが交換された。この発車標は日本語・英語以外にも中国語・韓国語も表示されるようになった。また同時にLCD式の乗車位置案内も設置された。なお、1階改札前の発車標も平成21(2009)年2月にLCD式へ交換された。
以前、京急の駅では、スルッとKANSAI 3day (2day) チケットを発売していた。

開業当初の番線は山側(上りホーム)から付番され、6番線(4線)まであった。旧1・2番線は3番線と同様に泉岳寺方面は行き止まりであった。またホームは行先別に使用されており、旧1・2番線が穴守線(現 空港線)直通列車、旧3・4番線(現 3番線)が黄金町行列車、旧5番線(現 2番線)が湘南線直通列車(浦賀方面)、旧6番線(現 1番線)が団体臨時列車用であった。また、旧5・6番線を除き奇数番線は降車ホーム、偶数番線は乗車ホームであった。

のりば:
1番線 本線 下り 羽田空港・京急川崎・横浜・浦賀・三浦海岸方面
2番線 本線 上り 泉岳寺・浅草・押上(スカイツリー前)・印旛日本医大・成田空港方面(「モーニング・ウィング1号」降車ホーム)
3番線 本線 下り 上大岡・京急久里浜・三崎口方面(「京急ウィング号」乗車ホーム)
          北品川・新馬場・生麦方面(平日朝ラッシュ時の普通車)

貨物取り扱い
JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取り扱い駅となっており、定期貨物列車の発着はなくなっている。ただし、JR東日本の甲種車両輸送列車が年に数回発着している。平成6(1994)年までは定期列車として紙輸送列車が発着しており、日本製紙が使用していた倉庫の専用線があった。列車は石巻港駅や伏木駅などを発駅とし、有蓋車(ワム80000形)で列車は編成されていたが、コンテナ化されて廃止になった。なお、倉庫は改修され、田町CKビルとなっている。また、昭和55(1980)年に廃止されるまで駅南東には広大な貨物ターミナルが広がり、コンテナホームや海上コンテナの荷役作業に用いるクレーンなどが設置されていた。

将来:
中央リニア新幹線関連JR東海が2027年の開業を目指している中央リニア新幹線について、当駅は東京側の始発駅になることが決定している。当初から社長の松本正之は「始発は東京駅か品川駅」という見解を示していたが、横浜・羽田アクセスや東京駅付近の地下使用状況などを考慮している。JR東日本も協力的で、同社がボーリング調査を施した。これを受け、JR東海は同線の始発駅を品川駅とする方針を固め、JR東日本と東京都に伝えた。平成23(2011)年6月7日に開かれた記者会見において、品川駅は中央リニア新幹線の首都圏側の始発駅となることが正式に発表された[19]。2016年1月27日に駅建設工事が着工されている[20]。品川車両基地跡地再開発関連JR東日本が平成26(2014)年6月3日に、2020年の東京オリンピック開催に合わせ田町駅と品川駅との間(品川車両基地跡地)に新駅を暫定開業させると公式発表した。
当駅まで東京メトロ南北線の延伸案もある。
京浜急行連続立体交差事業泉岳寺駅 - 新馬場駅間において連続立体交差事業の事業化を進める計画がある。今後、都市計画案の策定と環境アセスメントの手続きを平成29(2017)年度に実施する予定。完成の目安は2027年度。あわせて京浜急行の品川駅を地平化し、ホームは2面4線となる予定。

駅名について:
古くからの当地の周辺地名、東海道の宿場町品川宿およびその北側の江戸湾沿岸部の呼称品川湊に由来する。江戸時代は江戸湾内での海上旅客交通にも規制があり、品川宿の伝馬制度を保護する目的で、大山参詣や富士山参詣などで江戸湾を船で南下し神奈川方面へ向かう旅客もそのまま海路で直行できず、品川宿入口の北側(八ツ山または谷ツ山)で下船し陸路東海道品川宿を通って神奈川宿方面に向かうよう規制されていた。また、品川宿があった目黒川河口付近(利田神社付近が砂嘴の先端部)より北側の江戸湾は浅瀬で外洋航路の大型船は入船できず、この付近では外洋航路の大型船から小型船に積み荷を載せ替えが行われ海上交通の結節点として船舶で賑わった。品川駅の所在地は東京都品川区ではなく東京都港区であるが、駅名は品川駅である。これは開設当時、目黒川河口付近が「品川湊」と呼ばれていたこと、また、品川駅計画時点ではこの地域が「品川県」であったことによる。当駅の南にある京急本線の駅「北品川駅」は、江戸時代以来の地名、東海道の宿場町品川宿北品川に基づく。


参考資料:Wikipedia「品川駅」(最終更新 2017年6月13日)
現地取材:
記事投稿:29.6.15
  調整:29.6.16

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by fbox12 | 2017-06-16 16:04 | 鉄道・バス

003b 東京駅(JR東日本/JR東海/東京メトロ)

とうきょう

 - 東京駅全体 → 003 東京駅

乗り入れ路線:
JRの駅に乗り入れている路線は、正式な路線名称上は、新幹線が東海道新幹線と東北新幹線の2路線、在来線が東海道本線・東北本線・総武本線・京葉線の4路線であり、東海道本線を当駅の在来線における所属線としている。管轄会社は東海道新幹線がJR東海、東北新幹線がJR東日本となっている。これら各路線はすべて当駅を起点としており、当駅構内にはこれら各線の0キロポストが設置されている。ただし旅客案内では後述の運転系統名称が使用される。案内上の「東北(本)線」は長・中距離列車を意味し、それらはかつて上野駅発着であったため、当駅では用いられていなかった。現在は上野東京ラインが開業し、特に東海道新幹線における車内放送の乗り換え案内を中心に使われるようになった。なお中央本線についてもかつては当駅が正式な起点であったが、当駅 - 神田間における東北本線との二重戸籍区間を解消するため、JRへの移行に伴い中央本線は神田駅が起点とされた。ただし、現在でも0キロポストは設置されている。
運転系統では、JR東日本の新幹線ホームには、以下の路線の列車が乗り入れている。
 東北新幹線
 上越新幹線 : 大宮駅から東北新幹線に乗り入れている。
 北陸新幹線(長野経由) : 高崎駅 - 大宮駅間は上越新幹線に、大宮駅からは東北新幹線に乗り入れている。
 山形新幹線 : 新庄駅 - 福島駅間は奥羽本線を走行し、福島駅から東北新幹線に乗り入れている。
 秋田新幹線 : 秋田駅 - 大曲駅間は奥羽本線を、大曲駅 - 盛岡駅間は田沢湖線をそれぞれ走行し、盛岡駅から東北新幹線に乗り入れている。
 北海道新幹線(JR北海道) : 新青森から東北新幹線に乗り入れている。

また在来線に関しても多岐にわたる運転系統が発着する。これらの在来線各線のうち、京葉線と武蔵野線が同一の線路を共有している以外は、各系統ごとに専用の線路が割り当てられている。
東海道線・宇都宮線・高崎線・常磐線 : 東海道本線と東北本線の列車線を走行する中距離電車および特急列車。長い間、当駅は東海道本線列車線の起点であったが、平成27(2015)年3月14日より、新設された上野駅からの東北本線列車線が直結し、「上野東京ライン」の運転系統として、多くの列車が東北本線列車線を走行する宇都宮線・高崎線・常磐線へ直通運転をするようになった。
 京浜東北線 : 東海道本線・東北本線の電車線を走行する近距離電車。
 山手線 : 東海道本線・東北本線の電車線を走行する環状路線。
  品川駅 - 新宿駅 - 田端駅では線路名称上の山手線を走行する。
 中央線 : 中央本線の近距離電車。
  神田駅から東北本線の専用線を経由して当駅に発着する。
 横須賀線・総武快速線 : 両線で直通運転を実施している。
  当駅以南は東海道本線地下線と支線(品鶴線)を経て大船駅から横須賀線に直通、当駅以東は総武本線を走行する。
 京葉線・武蔵野線 : 西船橋駅より京葉線を介して当駅まで直通運転を実施している。

3-1 JR東日本
a0057057_16455070.pnga0057057_22312157.pnga0057057_21413683.png
a0057057_2121251.png所在地:東京都千代田区丸の内一丁目9-1
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・東海道本線
電報略号/事務管コード:トウ/440101
駅番号:東海道線・・JT01 / 宇都宮線・・JU01 / 京浜東北線・・JK26 / 山手線・・JY01 / 中央線・・JC01
 横須賀線・総武快速線・・JO19 / 京葉線・・JE01

(写真は丸の内側駅舎)

a0057057_19365416.pngJR東日本の駅は各路線の線路とホームが南北方向に伸びているが、地下の京葉線ホームのみ東西方向に伸びている。出入口は東西南北に設けられており、西側を丸の内口、東側を八重洲口、北東側を日本橋口(右下写真)、南側を京葉地下出口と称している。
東西の駅舎を連絡する改札内通路は北・中央・南の3本があり、それぞれの通路に対応して丸の内側・八重洲側それぞれの地上に3か所の改札口がある。丸の内側の地下3か所と八重洲中央口の地下にも改札口があり、丸の内側は東京メトロ丸ノ内線や丸ビル・新丸ビル方面へ、八重洲側は八重洲地下街方面へ通じる。
このほか、新幹線の日本橋改札などがある。また、改札内通路の他に北口通路に隣接し東西の駅舎をつなぐ自由通路(1階・地下1階)がある。なお、南口にも東西の駅舎をつなぐ通路があるが、こちらは通行する人が限られている。
a0057057_15295437.png新幹線乗換口(中央・南とも。乗換窓口・精算所業務を含む)、丸の内地下北口、京葉地下丸の内口、日本橋口の業務はJR東日本ステーションサービスに委託している。
在来線の構内は非常に広い。1階は改札内商業施設が充実している。長年、地下1階はコインロッカーが多く商業施設が少なかったが、平成19(2007)年10月25日にJR東日本の商業施設「グランスタ」がオープンしたことにより人通りが爆発的に増えた。これに併せて待ち合わせ場所として有名なスポットであった「銀の鈴」のリニューアルが行われ、1階と地下1階を結ぶエスカレータが新設された。
対して、新幹線の構内はあまり広くなく、商業施設はホーム上にほぼ限られている。方面案内は以前は在来各線のフォーマットと同様の路線色(緑)バックに「番線数字・路線名・方面」が表記されたものだったが、平成17(2005)年12月10日のダイヤ改正で行先に関わらず20 - 23番線を柔軟に用いるようになると番線数字のみに交換され、同時に改札・ホームともにお知らせ表示機はフルカラーLED式に到着案内は液晶ディスプレイ式に発車標は全面的にフルカラーLED(一部は液晶ディスプレイ)による「列車名・発車時刻・行先・次の列車・停車駅と現在時刻(LEDとアナログ混在)」を表示するものに置き換えられた。
駅コンコースにはJR東日本の管轄エリアも多く、それらの店舗やレストランなどでは電子マネーとして、Suicaおよびこれと相互利用可能な交通系ICカードが利用できる。
(上写真は丸の内南口)

のりば:
在来線地上ホーム(1 ~ 10番線)
島式5面10線の高架ホームで、丸の内側から1・2・3…と順に振られている。中央線の1・2番線は3・4番線のさらに上、3階相当の高さにあり、2番線の直下に3番線がある。1・2番線はホームの両端は階段、それ以外は長いエスカレータとホーム中央にあるエレベーターでコンコースと結んでいるが9・10番線のエレベーターのみ地下1階まで結んでいる。エレベーターは南側にも設置されているが、こちらは業務用のエレベーターで係員の付き添いがないと利用することができない。9・10番線は南側のエレベーターが2つ設置されている。
5・6番線には、一部木造屋根と柱が残っていたが、開業当時からの面影を残す14本の柱は、平成26(2014)年度の改修工事で一旦撤去され、今後同ホームで保存・展示される。また、約103m分の屋根は新しい屋根に置換える。
山手線ホームの階段付近には平成18(2006)年末頃から方面案内が設置され、同時に出口・乗り換え案内も設置された。
1・2番線の発車標は路線図(停車駅案内)と一体化したものが使用されている。
1・2番線には中央ライナー・青梅ライナーのライナー券と特急「あずさ」号・特急「かいじ」号の自由席特急券の自動券売機が設置され、7~10番線にはSuicaグリーン券と特急「踊り子」号の自由席特急券(9・10番線のみ)の自動券売機が設置され、9・10番線には湘南ライナーの普通車のライナー券の自動券売機が設置されている。このライナー券の自動券売機は品川駅などと同様、500円以上の現金を投入すると自動で発券し、また、発車1分前に販売を終了する。ライナー券の自動券売機はSuica等の交通系ICカードは使えない。
以上のように、高架、地上、地下の全ホームを合わせて11面22線のホームがあり、JR東日本の駅では最多のホーム数である。

在来線 地上ホーム
a0057057_1521481.png1・2番線 中央線 下り 御茶ノ水・新宿・立川方面
 特急「(スーパー)あずさ」「かいじ」(右写真:2番線)
3番線 京浜東北線 北行 上野・大宮方面
4番線 山手線 内回り 上野・池袋方面
5番線 山手線 外回り 品川・渋谷方面
6番線 京浜東北線 南行 蒲田・関内方面
a0057057_15101130.png


7・8番線 上野東京ライン(宇都宮・高崎・常磐線) 下り(北行) 上野・大宮・宇都宮・高崎・水戸方面
 常磐線特急「ひたち」・「ときわ」(左写真:8番線から9・10番線側・・上野東京ライン開通前)
a0057057_17574183.png9・10番線 東海道線(上野東京ライン) 下り(南行) 品川・横浜・小田原・熱海・伊東方面(一部当駅始発7・8番線)
 特急「(スーパービュー)踊り子」、寝台特急「サンライズ出雲・サンライズ瀬戸」は9番線発車(右写真)
7・8番線から発車する東海道線の列車は、夜間の平日2本・土休日1本のみである。7・8番線の現地標識は上野東京ラインと東海道線が併記されていたが、利用者の混乱防止のため、現在は階段付近の標識はテープで「東海道線」の表記を隠してある。

JR東日本 新幹線ホーム
20 ~ 23番線 東北・北海道・山形・秋田新幹線 下り 仙台・盛岡・新青森・新函館北斗・山形・新庄・秋田方面
 上越・北陸(長野経由)新幹線 高崎・長岡・新潟・長野・富山・金沢方面

a0057057_16521764.jpg総武地下ホーム
1・2番線(写真柱の向こう側)
 横須賀線 下り 横浜・大船・鎌倉・逗子・横須賀・久里浜方面(一部始発3・4番線)
 特急「しおさい」「成田エクスプレス」
3・4番線 総武線(快速)錦糸町・船橋・津田沼・千葉・成田空港方面(一部始発1・2番線)
 特急「成田エクスプレス」

京葉地下ホーム
1 ~ 4番線 京葉線・武蔵野線 舞浜・海浜幕張・蘇我・西船橋方面
 (特急「さざなみ」「わかしお」は1・2番線発着)

3-3 JR東海
a0057057_16575447.pnga0057057_17383946.pnga0057057_21294898.png

所在地:東京都千代田区丸の内一丁目9-1
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道新幹線
電報略号:トウ

(写真は八重洲側駅舎:駅舎そのものはJR東日本所有)

JR東海東海道新幹線はJR東日本の新幹線の隣の東側(八重洲寄り)にあり、その部分は自社管理区域となっていて標識のフォーマット、各種宣伝や広告などもJR東海のものである。
JR東海直営のみどりの窓口はJR東日本のそれとは違い「新幹線・JR全線きっぷうりば」と簡潔な表現で大書されており、相互に発売可能なJR東日本と競争している。JR東海系列の東海キヨスクの店舗もある。
専用改札口は八重洲改札と、JR東日本の新幹線と並んで設置されている日本橋改札他全部で5か所がある。丸の内側からはJR東日本の在来線改札内経由(中間改札)で改札内に入れる。八重洲口を含めた出口・駅舎はJR東日本の所有のものを共同使用する形となっている。また一部の改札口には自動改札機が設置されていない。
新幹線中央乗換口、新幹線南乗換口ともに窓口業務を含めて新幹線メンテナンス東海に委託している。
商業施設はホーム上にほぼ限られているが、平成18(2006)年2月22日のJR東海社長の定例会見で「新幹線改札口を5か所から6か所に増やす」「内装や外装を全面的にリニューアルする」などの旨を明らかにしている。平成24(2012)年1月に工事は完了し、2月25日より「八重洲南口改札」として開設した。また、同時に「八重洲中央口改札」の名称が「八重洲中央北口改札」に変更された。
以前は各ホームエレベーターは南に業務用のエレベーターが2台のみ設置され利用する際は係員の付き添いがないと利用できなかったが、現在は新たにホームの中央に客用のエレベーターが1台設置されたため係員の付き添いがなくても利用できる。
構内北端が東京メトロ東西線(大手町駅)と地下でつながっている。

のりば:
新幹線ホーム(14 ~ 19番線)
島式3面6線の高架ホームである。このうち14番線は23番線のすぐ東にある。14・15番線は神田寄りが丸の内側へ湾曲している。前述したが、コンコースでは改良工事が行われている。
14・15番線の神田寄りが大きくカーブしているのは東北・上越新幹線との直通を想定したためであったとされている。
14・15番線では平成20(2008)年9月17日より、16 ~ 19番線では同年12月12日より、「のぞみ」で平成15(2003)年まで使用されていた車内始発・終着用チャイムが発車メロディとして使用されるようになった。JR東海の発車メロディの導入はこれが初の事例である(313系に搭載されている車外メロディは除く)。
各改札・ホームとも発車標とお知らせ表示機はフルカラーLED式のものが使用されその他フルカラーLED式の乗車位置案内も各ホームに設置されている。改札口上部に掲げてある発車標は、3種別の本数の割合を考慮した「のぞみ」単独の発車案内と「ひかり・こだま」を合わせた発車案内の2台となっている。
ゼロキロポストの他、記念モニュメントも複数ある。18・19番線の8号車乗車位置付近のホーム中央床面には起点と方位を示すレリーフが、同ホーム南端には十河信二のレリーフと座右の銘「一花開天下春」があしらわれた建設碑が、同ホームの下、中央乗換口(新幹線改札内)の東端壁面には「東海道新幹線 この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」と記された銘版がある。

のりば:
14 ~ 19番線 東海道新幹線 名古屋・新大阪方面

3-2 東京メトロ
a0057057_14522891.png所在地:東京都千代田区丸の内一丁目6-5
所属・路線:東京地下鉄株式会社・丸ノ内線
電報略号:トウ
駅番号:M17

丸の内側に位置する島式ホーム1面2線を有する地下駅である。比較的地下浅い所にある。八重洲に出るためには北側自由通路を通ってJR構内a0057057_14524457.pngを大きく迂回する必要がある。平成2(1990)年12月半ばに本格的な自動改札機を導入した。平成5(1993)年11月には、御茶ノ水駅から定期券うりばが移転した。
平成20(2008)年春に、ホームの側壁に女子美術大学の非常勤講師2名によるデザインのアートウォール「自由に走る丸ノ内線」が設置された。コンセプトは「歴史と自然とトレンドの融合」で、営団500形電車で使われていた銀色のサインウェーブを下部に再現するとともに自由に飛ぶ鳥を随所に設置した。

a0057057_15124516.pngのりば:
1番線 丸ノ内線 銀座・新宿・荻窪方面
2番線 丸ノ内線 大手町・池袋方面

参考資料:Wikipedia(2016年9月10日)
現地取材:17.4.-5/28.10.11他
記事投稿:
  調整:28.9.12/29.6.-5/29.6.13

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by fbox12 | 2017-06-14 17:17 | 鉄道・バス

222 新富町駅(東京メトロ)

a0057057_10325889.pngしんとみちょう

所在地:東京都中央区築地一丁目1-1
所属・路線:東京地下鉄株式会社・有楽町線
電報略号/駅番号:トミ/Y20
キロ程:(和光市起点)22.4km

概要:計画時点では「明石町」と仮称されていたが、地元の要望などがあり現駅名となった。
公式の乗換駅ではないが、日比谷線 築地駅が 至近にある。また、近くに水上バスののりばもある。

歴史:
昭和55(1980)年3月27日 - 帝都高速度交通営団(営団地下鉄有楽町線)が銀座一丁目駅から当駅まで開業し、終着駅となる。
昭和63(1988)年6月8日 - 有楽町線が新木場駅まで延伸し、途中駅となる。
平成16(2004)年4月1日 - 営団地下鉄の民営化に伴い、東京メトロが継承する。
平成25(2013)年6月29日 - ホームドア設置

駅構造:
相対式ホーム2面2線を有する地下駅。有楽町線の駅で相対式ホームを有するのは氷川台駅と当駅のみである。当駅は鉄筋コンクリート製ボックスラーメン構造を採用している。この構造では、頂板(天井のコンクリートスラブ)の支間を小さくするため、2本の線路の間に柱部材を設けるのが原則である。しかしながら、当駅ではこの柱が見られない。これは、接続する本線部が複線シールド工法を用いており、駅部に柱を設けると複線シールドの断面も大きくしなければならず、これを回避したことによる。当駅が終着駅であった時には、銀座一丁目寄りに折り返し用の渡り線があったが、新木場への延伸により途中駅になるのに合わせて不要となったため、撤去された。しかし、撤去された跡が残っているので、確認することは容易である。若干カーブがかかっているため、B線(池袋・小竹向原・和光市方面)ホームは、終日駅員による立ち番がいる。

のりば:
1番線 有楽町線 月島・豊洲・新木場方面
2番線 有楽町線 池袋・和光市・(和光市から東武東上線)森林公園
    または(小竹向原から)(西武有楽町線経由西武池袋線)飯能方面

参考資料:Wikipedia(最終更新 2017年4月15日)
現地取材:17.5.-5
記事投稿:29.6.-8
  調整:29.6.12

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by fbox12 | 2017-06-12 21:02 | 鉄道・バス

221 儀保駅(ゆいレール)

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a0057057_10500851.pnga0057057_10500807.png

ぎぼ

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所在地:沖縄県那覇市那覇市首里儀保町三丁目14-3
所属・路線:沖縄都市モノレール株式会社・沖縄都市モノレール線(ゆいレール)
駅番号:14
キロ程:(那覇空港起点)11.84km

概要:
県道82号(環状2号線)の急坂を首里へと登っていく途中に位置するため、ホームからa0057057_10500873.png那覇市街・那覇港を遠望することができる。また、南方の山上には首里城も望まれる。周囲は予備校や学習塾が林立する文教地区であり、琉球大学の最寄り駅でもある。大学までは路線バスで25分程度の所要時間がかかる。
駅到着時の車内チャイムは、沖縄を題材としたフォークソング『芭蕉布』を編曲したものが流れる。改札付近での沖縄方言による案内放送では「じーぶ」と発音される。

歴史:
平成15(2003)年8月10日 - 開業。

駅構造:
島式ホーム1面2線を有する高架駅。エスカレータ・エレベーター設置。

のりば:1番線ホーム 沖縄都市モノレール線 首里方面
    2番線ホーム 沖縄都市モノレール線 おもろまち・牧志・県庁前・小禄・那覇空港方面駅

参考資料:Wikipedia(2017年4月15日)
現地取材:29.5.17
記事投稿:29.6.-7

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by fbox12 | 2017-06-07 16:40 | 鉄道・バス

205 豊橋駅 (JR東海/名鉄/ JR貨物 )

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a0057057_2243570.pnga0057057_22173517.png

とよはし

所在地:愛知県豊橋市花田町字西宿
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道本線/名古屋鉄道株式会社・名古屋本線/日本貨物鉄道株式会社
電報略号/事務管コード:トヨ/520135
駅番号:(名鉄)NH01
キロ程:(東京起点)293.6km
  名鉄(豊橋起点)0.0km
乗換:新豊橋駅(豊橋鉄道渥美線)、駅前停留場(豊橋鉄道東田本線)

概要:
愛知県東部、東三河地区の中心都市・豊橋市に位置し、その中心市街地に立地する駅である。隣接する駅も含めて多数の鉄道路線が伸び、加えて路面電車・路線バスなどの公共交通機関も集中しており、「東三河の交通拠点」として位置づけられている。
豊橋駅はJR東海・JR貨物・名鉄の3社が運営。乗り入れる路線は、JR線は東京駅(東京都)と新大阪駅(大阪市)を結ぶ東海道新幹線、東京駅と神戸駅(神戸市)を結ぶ東海道本線、豊橋駅を起点に辰野駅(長野県)までを結ぶ飯田線、名鉄は豊橋駅を起点に名鉄岐阜駅(岐阜県)に至る名古屋本線、計4路線である。また、隣接する新豊橋駅からは三河田原駅までを結ぶ豊橋鉄道渥美線、駅前停留場からは路面電車の豊橋鉄道東田本線の2路線がそれぞれ伸びている。
このうち愛知県の中心・名古屋市へは、JR東海道新幹線・東海道本線と名鉄名古屋本線の3路線が通じる。この区間ではJR東海・名鉄の両社から各種特別企画乗車券が発売されており、激しいシェア争いが展開されている。ただし豊橋駅は両社の「共同使用駅」であり、構内を共有している。なお、平成17(2005)年から誤乗を防ぐためか、名鉄線用の発車標は、通常省略される「名鉄岐阜」「名鉄一宮」「名鉄名古屋」の名鉄を省略せずに表示している。
貨物営業を担当するJR貨物は東海道本線と飯田線において第2種鉄道事業者として貨物列車を運転しているが、豊橋駅に停車する貨物列車は存在しない。ただし、コンテナ取扱駅としての機能は豊橋オフレールステーションとして残存する。
駅の開業は明治21(1888)年。当初からの東海道本線に加え明治30(1897)年に飯田線、昭和2(1927)年に名鉄線が乗り入れ、昭和39(1964)年に東海道新幹線が開通して現在の路線網ができあがった。JRと名鉄の2社が運営する現在の体制になったのは昭和62(1987)年の国鉄分割民営化によるものである。同年3月15日まで国鉄二俣線の一部列車が東海道本線経由で直通運転していたが、開始時期は不明。

沿革:開業までの経緯
豊橋は東海道沿いに江戸時代からある??田藩の城下町・宿場町(??田宿)で、豊川(とよがわ)の湊町としても栄えていた。
愛知県下では明治19(1886)年に知多半島で鉄道がすでに開通し、西へ向かって順次延伸されていた。東京と大阪を結ぶ幹線鉄道計画が東海道ルートで決定後、東への延伸も開始。明治21(1888)年9月1日、大府驛から靜岡縣の濱松驛まで新たに開通し、豐橋驛も同時に内閣鐵道院の路線の駅として開業した。なお、東京から神戸までの、東海道線にあたる鉄道の全通は翌1889年(明治22年)だった。
駅が開設された所在地は、豊橋町ではなく渥美郡花田村西宿だった。当時の町の中心から西南に約600メートル離れた場所とはいえ、駅の開業は豊橋が発展する契機になった。駅前から市街地の上伝馬町まで停車場通り(後の常盤通)が建設された。そのころ駅や通りの周囲には田畑が広がり、駅前には旅館3軒・貨物を扱う運送屋1軒という状態だった。その後徐々に様相が変化し、駅周辺は新たな町の中心地として発展していった。ちなみに、明治39(1906)年、豐橋町が花田村を合併して名実ともに豐橋驛になった(その後市制を施行し豊橋市になった)。
明治30(1897)年7月15日、豐川驛まで、豐川鐵道という私鉄の路線が開通。これは現在の飯田線の一部にあたる。同社は元々、宝飯郡下地町(現 豊橋市、豊川(とよがわ)北側の地域)と豐川驛を結ぶ鉄道を計画していたが、豊川に架橋して豐橋驛に接続した。こうして豐橋驛を共用していたが、明治32(1899)年に北側へ独立して「??田驛」を開設した。この??田驛は大正末期に改築、階上に食堂を併設する、三角形の側壁を特徴とする鉄筋コンクリート造の建物になった。
明治41(1908)年、市に隣接する髙師村(現 豊橋市)に陸軍の第15師団が設置された。これを契機に市の玄関口の豐橋驛にも影響を与え、「市制施行以来、豐橋市を最も大きく変容させた」と記録されている。乗客や貨物が増加し、戦時における師団の移動の観点からも駅の拡張が希求された。明治44(1911)年、駅拡張工事着工、大正5(1916)年、新駅舎完成。開業時からの旧駅舎は建坪約45坪(150m2)の瓦葺き平屋建てだったが、新駅舎は約145坪(480m2)の石磐葺平屋建てで、入り口には車寄せを設けた近代的な建物になった。
1920年代には、豐橋駅周辺に相次いで私鉄路線が加わった。大正14(1925)年、市内に豐橋電氣軌道(現 豊橋鉄道東田本線)の路面電車が開通、駅前に北側から乗り入れる駅前停留場を設置した。昭和2(1927)年、渥美半島の田原とを結ぶ渥美電鐡(現 豊橋鉄道渥美線)が豐橋驛の400mほど南に新豐橋驛(初代。現 花田信号所)を設置。同年、愛知電氣鐡道豐橋線(現 名鉄名古屋本線)が豐川鐡道の??田驛へ乗り入れて全通した。
同昭和2(1927)年、鐵道省豐橋驛も再度の駅舎改築。昭和4(1929)年、西口が新設された。

愛知電氣鐵道の乗り入れ:
名鉄の前身にあたる愛知電氣鐵道(以下愛電)は、昭和2(1927)年6月1日より??田驛に乗り入れたが、以下のような経緯による。
明治45(1912)年、愛電は知多半島西部で路線(現 常滑線)を開通させた。大正6(1917)年、起点の神宮前驛(名古屋市)より東へ路線を延ばし始めた。大正12(1923)年、東岡崎驛(岡崎市)へ到達。大正15(1926)年、豐川鐡道小坂井驛(豐川鐡道??田驛から当時2つ目の駅)に乗り入れた。
豐橋方面へは、愛電が小坂井驛南方に伊奈驛-??田驛までの単線を新設の上で既存の豐川鐡道線の単線と合わせて複線として両社共用する方式をとり、新線が昭和2(1927)年6月1日に開通し??田驛乗り入れを果たして、愛電豐橋線・神宮前-??田間の全通となった。
全通した豐橋線には高速運転をする特急列車や急行列車が新設され、その所要時間は特急63分・急行72分と同区間の鐡道省東海道線に比して40-50分早い高速運転を実施した。さらに昭和5(1930)年からは「超特急あさひ」が1往復新設され、神宮前-??田間を57分で結んだ。このような愛電の優位により、短期間で乗客が東海道線から愛電に流れた。
昭和10(1935)年、愛電は名岐鐡道と合併、名古屋鐡道になった。
太平洋戦争中の昭和18(1943)年、豐川鐡道の路線は国有化され、鐡道省飯田線の一部となった。これに伴い??田驛は豐橋驛に併合され、??田驛を共同使用していた名鉄も豐橋驛への乗り入れ、鐡道省との共同使用へと変更された。同様に線路の共用複線は、買収を経た鐡道省と直接的なライバル関係になったものの解消はされず、JRになった現在でも継続して行われている。

戦災と復興:
太平洋戦争末期の昭和20(1945)年6月19日夜、豊橋の街はアメリカ軍によって空襲された(豊橋空襲)。市街地の約90%が焼失する被害を受け、豐橋驛も機関区と配電室を除いて被災、駅舎は全焼した。飯田線は6月22日に、名鉄線は翌23日に再開したが、東海道本線が平常運転に復するのに1週間を要し、駅の一般乗降客の取り扱い再開は7月20日だった。 空襲後、駅舎は東海道本線側はバラックで営業を続け、飯田線・名鉄線側(旧 ??田驛)についてはコンクリート壁だけが焼け残った残骸のまま使用されていた。
空襲から5年後の昭和25(1950)年、新駅舎が再建された。この駅舎は、国鉄以外の企業・自治体などが駅舎の改築工事費を分担し、竣工後に一部を商業施設などに使用する「民衆駅」の第1号として有名である。木造2階建て・建坪560坪(1850㎡)で、1階に飲食店・理髪店・雑貨店など民間の商業施設が、2階には市民出資の「豊栄百貨店」が入居した。同時期に、駅前広場の拡張も実施された。従来の広場面積は4,000㎡を拡張して18,600㎡とした。広場には、防火用水と広場の美化を目的に噴水も設置された。

戦後の展開:
昭和28(1953)年、東海道本線の電化区間が豊橋駅を経て名古屋駅まで到達した。これにあわせて東京駅と大阪駅を結ぶ特急「はと」が豊橋駅への停車を開始した。
一方名鉄は昭和23(1948)年、名岐線と豐橋線を一体化して豐橋驛と新岐阜驛(岐阜県岐阜市、現 名鉄岐阜駅)を結ぶ「名古屋本線」と改称した。伴って豊橋と岐阜を結ぶ直通列車の運転開始。
昭和39(1964)年10月1日、東海道新幹線が東京駅から新大阪駅まで開通。このとき、豊橋駅にも新幹線の駅が新設された。新幹線駅が建設された豊橋駅西口は鉄筋コンクリート造2階建ての橋上駅舎に改築された。
その後新幹線の開通と東三河地域の工業開発により乗降客数のさらなる増加が見込まれ、駅舎の改築を開始。改築に先立ち、初代民衆駅2階にあった「豊栄百貨店」は昭和43(1968)年に駅東口に新ビルを建て地下1階・地上7階建ての「シャルマン豊栄」として移転した。しかし2年後に火災が発生、営業を休止している。
昭和45(1970)年、完成された新駅舎は、地下1階・地上3階建て、鉄筋コンクリート造の駅ビルとして開業した。駅ビル「豊橋ステーションビル」は100余りの店舗が入居する商業施設を兼ねており、運営会社として豊橋市も出資する豊橋ステーションビル株式会社が設立された。また、駅ビル建設と平行して市は駅前の整備にも着手。駅前の混雑解消と歩行者・車両の分離を図り、昭和51(1976)年までに東口コンコースと駅前街区などを結ぶ地下道と、西口と東口を結ぶ東西連絡地下道からなる総延長約700mの地下道を完成させた。

JR発足後:
昭和62(1987)年、国鉄の分割・民営化により国鉄豊橋駅の旅客営業はJR東海に、貨物営業はJR貨物に継承された。
JR東海は会社発足当時から、建築から20数年を経て陳腐化した駅ビルのリニューアルを計画していた。豊橋市側でも東西自由通路を整備し駅周辺の活性化を図る計画があり、平成2(1990)年にJR東海と市は駅ビルリニューアル・自由通路整備等の推進で合意、東西自由通路・橋上駅舎・東口駅前広場の整備と駅ビル増改築からなる「豊橋駅総合開発事業」が進められることになった。平成6(1994)年に本体工事に着手、市政90周年に合わせた平成8(1996)年、まず第一段階として自由通路と橋上駅舎が完成。第二段階として平成9(1997)年までに商業施設とホテルからなる駅ビルが開業した。駅ビルは既存ビルに2層増築して5階建てのビルとし、その線路側に13階建てのホテル棟を新築して延べ床面積を従来の4倍にあたる約40,000㎡とした。東口駅前広場の整備は平成10(1998)年に完成。約5,000㎡のペデストリアンデッキが整備され、デッキ下の1階部分にはバス・タクシー・路面電車といった公共交通機関のターミナル機能が集約された。このうち路面電車については軌道が約150m延伸され、駅に直結する形となった。
続いて平成16(2004)年から、東口南側の地域において再開発事業が開始された。駅近くにありながら東海道本線と豊橋鉄道渥美線に挟まれているため低未利用地だった(それまで駐車場として使用されていた)貨物駅・操車場跡地を再開発する事業である。平成20(2008)年3月に新豊橋駅との乗り換え距離を短縮する南口自由連絡通路が整備され、6月に渥美線新豊橋駅の移設が完成、低未利用地の活用と渥美線との乗り換え利便性向上が達成された。
ちなみに、現在、新幹線車内放送でも豊橋鉄道への乗り換え案内を行っている。

年表:
明治21(1888)年9月1日 - 官設鉄道(当時は、内閣鐵道局)の駅として、豐橋驛開業
明治30(1897)年7月15日 - 豐川鐵道が豐川驛まで開通、同鐵道豐橋驛開設
明治32(1899)年12月11日 - 豐川鐵道の豐橋驛を??田驛に改称
明治42(1909)年10月12日 - 線路名称制定。豐橋驛を通る官設鉄道線を東海道本線と命名
大正5(1916)年7月10日 - 駅舎改築、新駅舎使用開始
大正14(1925)年7月14日 - 駅前に、豐橋電氣軌道(現 豊橋鉄道東田本線)の駅前停留場開業
昭和2(19279年5月27日 - 駅舎改築
 6月1日 - ??田驛に、愛知電氣鐵道豐橋線が乗り入れ
 10月1日 - 駅南南東に、渥美電鐵(現 豊橋鉄道渥美線)の新豐橋驛開業
昭和4(1929)年4月21日 - 西口開設
昭和10(1935)年8月1日 - 愛知電氣鐵道が合併で名古屋鐡道(二代目:現 名鉄)になる。
昭和11(1936)年12月1日 - 二俣西線(現在の天竜浜名湖線の一部) 新所原-三ヶ日間 (12.1km) 開業。(豐橋驛乗り入れ開始時期は不明)
昭和18(1943)年8月1日 - 豐川鐡道が国有化され飯田線となる。あわせて??田驛を豐橋驛に統合、豐橋驛は国有鉄道と名鉄の共同使用駅となる。
昭和20(1945)年6月20日 - 空襲で駅全焼
昭和21(1946)年2月1日 - 西口の営業再開
昭和23(1948)年5月16日 - 名鐡豐橋線、名古屋本線に改称
昭和25(1950)年3月14日 - 「民衆駅」の新駅舎が竣工
 3月30日 - 国鉄総裁加賀山之雄臨席のもと新駅舎竣工式挙行
 4月1日 - 新駅舎開業
昭和28(1953)年7月21日 - 東海道本線の浜松駅から名古屋駅まで電化。この日から特急「はと」が豊橋駅に停車開始
昭和39(1964)年10月1日 - 東海道新幹線開通、新幹線停車駅となる。
昭和45(1970)年7月1日 - 新駅舎「豊橋ステーションビル」営業開始
昭和61(1986)年11月1日 - 荷物取り扱い廃止
昭和62(1987)年3月15日 - 国鉄二俣線の廃止に伴い9・10番線ホーム廃止
 4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄豊橋駅は東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)が継承。
平成8(1996)年9月16日 - 橋上駅舎・東西自由通路使用開始
平成9(1997)年3月9日 - 駅ビル商業施設「カルミア」開業
 6月11日 - 駅ビルのホテル「ホテルアソシア豊橋」開業
平成10(1998)年2月19日 - (豊橋鉄道)駅前停留場が東口駅前広場のペデストリアンデッキ下(現在地)に設置
 3月 - ペデストリアンデッキ、豊橋駅東口サークルプラザ新設など東口駅前広場の整備完成
 10月3日 - JR貨物、豊橋駅を「自動車代行駅」に指定。コンテナ貨物列車設定廃止
平成15(2003)年10月1日 - 新幹線ダイヤ改正で「ひかり」停車本数増加(1日上下6本ら16本へ)
平成17(2005)年6月25日 - 名鉄においてトランパスが利用可能に(平成24(2012)年2月29日をもってサービス終了)。
平成18(2006)年11月25日 - JR東海においてICカード「TOICA」の利用が可能となる。
平成20(2008)年3月11日 - 南口自由連絡通路新設
平成23(2011)年2月11日 - 名鉄においてICカード「manaca」の利用が可能となる。
平成24(2012)年4月21日 - TOICA・manaca相互利用が可能となる。飯田線・名鉄線ホーム(1・2・3番線)にはJR←→名鉄の乗り換え用簡易改札機が設置された。
平成27(2015)年8月7日 - 在来線改札内の「駅ナカ」化による第1号店として「ベルマート豊橋店」がオープン。10月には「成城石井」や「ミニプラ」など4店舗が、12月には「PRONTO」などが入る「フードテラス」がオープンした。

駅構造:
豊橋駅のホームは、大きく分けて東側にJRの在来線(東海道本線・飯田線)と名鉄線のホームが、西側に新幹線のホームが配置されている。新幹線の駅は高架駅である例が多いが、豊橋駅は地上駅で、在来線のみならず新幹線も線路やホームがほぼ地平レベルに存在する。

在来線・名鉄線:
a0057057_2271737.png在来線・名鉄線のホームは計5面8線。ホームの形状は、片側のみに線路が接する単式ホーム(1面1線)、両側に線路が接する島式ホーム(2面4線)、そしてホームの端が同一平面で繋がった頭端式ホーム(櫛形ホーム・2面3線)が混在する。ホーム番号は東側を起点に1番線から8番線まであり、頭端式ホームの3線が1・2・3番線(左写真右側が1番線、左側が2番線)、単式ホームの1線が4番線、島式ホームの4線が5・6・7・8番線である。頭端式ホームは4番線の単式ホームの北側を切り欠いた形で、同一平面上で移動が可能である。
a0057057_2265128.png1・2番線に飯田線の列車が、3番線に名鉄線の列車が発着し、4-8番線には東海道本線の列車が発着する。ただし、使用頻度はごくわずかだが4番線も飯田線の列車が使用する。

a0057057_2253118.png飯田線の列車が1・2番線に入線中に名鉄線の列車の出発は可能だが、名鉄線の列車の入線中に1・2番線の飯田線の列車の出発または飯田線の列車が出発中に名鉄線の列車の入線は不可となっている。東海道本線は上り、下り列車ともに4~8番線の各線から出発はできるが、入線は上り列車が4~6番線、下り列車が7・8番線に限られる。 このため、浜松方面から飯田線に乗り入れる列車が設定される場合は、豊橋駅停車後、西小坂井駅まで引き上げられ、西小坂井駅留置線で方向転換ののち4番線に再入線する。現在でも飯田線の特急「伊那路」に使用される373系電車は浜松駅から普通列車または回送列車として豊橋駅まで送り込まれるが、この際にも豊橋駅下り線に入線したのち、上述の経路で豊橋運輸区まで転線を余儀なくされている。かつて、静岡地区を拠点にジョイフルトレイン「ゆうゆう東海」や急行形電車を使用した飯田線直通運転の臨時観光列車が頻繁に運行された時期があるが、この際には多くの場合、乗客を乗せたまま豊橋-西小坂井間を往復していた。この転線措置は東海道本線浜松方面から飯田線に乗り入れる場合にのみ行われているものであり、飯田線から東海道本線上り方向に直通する場合、あるいは名古屋方面と飯田線との相互間の直通運転に際してはこのような転線措置は不要であるため行われない。

ホームの使用状況を表で示すと以下のとおりである。
豊橋駅在来線プラットホーム
1・2番線 飯田線 豊川・飯田方面
3番線 名鉄名古屋本線 東岡崎・名鉄名古屋方面
a0057057_2245434.png4番線 東海道本線 下り 岡崎・名古屋方面
    飯田線 豊川・飯田方面
5 - 8盤線 東海道本線 下り 岡崎・名古屋方面
       上り 浜松・静岡方面
8番線の西側にもう1面島式ホームがある。これはかつて豊橋駅まで直通運転していた二俣線(現・天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線、2つ東の新所原駅が起点)のホームで、直通運転をとりやめた現在では留置線に使用されるのみである。このため9・10番線は欠番となっている。
構内にはホームに隣接しない線路も複数存在する。そのうち東海道本線の浜松寄り東側に伸びる線路は、豊橋鉄道渥美線の花田信号所に繋がる。ここはかつて渥美線との間で貨車の受け渡しが行われた場所で、現在では新車搬入の際などに使用される。また構内の名古屋寄り(1・2番線ホーム北側)には豊橋運輸区がある。
建設時の経緯から飯田線の前身・豐川鐡道と名鉄の前身・愛知電氣鐵道は、豊橋駅から平井信号場までの約4kmの区間において線路を共用したが、これは両者がJR東海・名鉄となった現在でも残る。この共用区間では、名鉄の列車本数は1時間あたり最大6本と協定によって制限されている。

新幹線
新幹線のホームは計2面3線で、ホームの形状は単式ホーム(1面1線)および島式ホーム(1面2線)である。ホーム番号は東側(在来線側)から11番線・12番線・13番線の順で、島式ホーム東側が11番線、その反対側が12番線、単式ホームが13番線である。基本的に、12番線を上り列車が、13番線を下り列車が使用する。11番線はダイヤが乱れた際の予備のホームで通常列車は発着せず、工事用車両の留置に供される。12番線と13番線の間には上下の通過線が通る。
13番線は単式ホームであるが、反対側(西側)に14番線を増設するスペースが確保されている。

豊橋駅新幹線プラットホーム
11・12番線 東海道新幹線 上り 新横浜・東京方面
13番線 下り 名古屋・京都・新大阪方面

駅舎:
駅舎は東西自由通路を併設する橋上駅舎であり、ホームの上空部分に設置されている。橋上の改札階とホームの移動用に階段のほか、エスカレーター・エレベーターが各ホームに設置されている。改札口はJR線・名鉄線改札口と新幹線改札口の2か所で、どちらも自由通路に面する。
みどりの窓口設置駅。JR東海の駅としては駅長配置駅(直営駅)であり、管理駅として二川駅を管理している。

駅ビル
駅ビルは東口側にあり、橋上駅舎とあわせて整備された。地下1階・地上5階建ての建造物と、飯田線・名鉄線上空部分を含めた地上13階建ての高層棟が一体となったビルである。名称は「豊橋ステーションビル」で、地下1階から地上4階までが商業施設、地上1・2階の一部と5階から13階までがホテルとして使用されている。商業施設の名称は「カルミア」で豊橋ステーションビル株式会社が運営、ホテルの名称は「ホテルアソシア豊橋」で株式会社ジェイアール東海ホテルズが運営する。ビルの2階部分に駅の改札口へ通じる自由通路が通り、その自由通路から豊橋鉄道新豊橋駅へ通じる南口自由連絡通路が分かれる。

貨物の取り扱い:
a0057057_22345643.png豊橋オフレールステーション
豊橋オフレールステーション(略称:豊橋ORS)は、豊橋市北島町中川原(船町駅北東側)にあるJR貨物のコンテナ取扱駅である。コンテナ取扱駅ながら貨物列車が発着せず、列車輸送にかえて最寄の列車発着駅までトラックによる代行輸送を行う「オフレールステーション」のひとつ。豊橋ORSの場合、トラック便は西浜松駅(浜松市)との間に1日3往復設定されている。大型コンテナおよび産業廃棄物の取り扱いは豊橋ORSでは行っていない。
豊橋駅はかつて貨物列車が発着していたが、平成10(1998)年10月3日より発着のない「自動車代行駅」に変更された。さらに平成18(2006)年4月1日、トラックで代行輸送を行うコンテナ基地の名称を統一した際、ORSとなった。列車の発着がないものの豊橋ORSには線路が残る。しかし、車止めが設置されており旅客駅側とは分断されている。

その他:
国鉄(のちJR貨物)が展開する「物資別適合輸送」の1つにかつては飼料輸送があり、国鉄は日本飼料ターミナル株式会社を昭和44(1969)年に設立、配合飼料の中継サイロ基地を養鶏が盛んな場所へと設置していた。この中継基地が同年12月、豊橋駅にも新設されている。しかし、1970年代後半以降の利用の低下で基地は閉鎖され、会社そのものも昭和61(1986)年に解散した。
また、豊橋駅は貨車操車場の機能を持っていた時期がある。飯田線沿線の佐久間ダム建設の際、ダム建設資材輸送のための飯田線輸送力増強の一環として、豊橋駅の操車場機能が強化され、昭和30(1955)年駅が拡張された。操車場としての分類は昭和53(1978)年10月ダイヤ改正の時点で「地区指定組成駅」であったが、昭和59(1984)年2月ダイヤ改正に伴うヤード集結系貨物輸送の廃止によって役目を終えた。


参考資料:Wikipedia(2017年4月1日)
現地取材:28.12.28他
記事投稿:29.4.-2
  調整:29.6.-5

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by fbox12 | 2017-06-05 17:54 | 鉄道・バス

076-90 岩淵駅 (国鉄)(→富士川(JR東海))

a0057057_11145175.pngいわぶち(→ふじかわ)

所在地:静岡県庵原郡富士川町
所属・路線:日本国有鉄道・東海道本線
(上記いずれも駅名改称時)
(現 所在地:静岡県富士市中之郷1228-4 /所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道本線)

歴史:
現在の東海道本線にあたる官設鉄道線の建設が決定した際、駅に関しては、当初宿場町単位で設置する予定であり、吉原宿の隣(次)は蒲原宿のあたりに設置する予定であった。その間にある岩淵村(現 富士市)は身延山久遠寺への身延道が東海道から分岐する間の宿ではあるが、正式な宿場町ではないことから駅設置の予定はなかった。しかし、岩淵村では地元の有力者が発起し、隣村であり官設鉄道線が通っていた中之郷村へ「岩淵驛」を設置するよう直接陳情を行い、最終的に土地提供を行うことを条件に蒲原宿に代わってこの地に駅が設けられることになった。これには、村内でも賛否両論があり、駅設置賛成派の暗殺も企てられたといわれる。結果として、蒲原宿のあたりは駅が設けられず、蒲原町ではその後に駅設置の請願を行い、明治23(1890)年5月16日に蒲原驛が設けられたが、由比宿と蒲原宿双方の利便を図りその間である堰沢村に設けられたため宿場町の中心からは離れていた。
かつての蒲原宿あたりに駅が設けられたのは、昭和43(1968)年10月1日の新蒲原駅設置まで約80年の年月を必要とした。
明治33(1900)年に制作された『鉄道唱歌』第1集東海道編では、この辺りを富士川における源平合戦と身延からの海運を題材にして、以下の様に歌った。

18.鳥の羽音におどろきし 平家のはなしは昔にて 今は汽車ゆく富士川を 下るは身延の帰り舟

明治22(1889)年2月1日 - 内閣鐵道局岩淵驛として、國府津驛 - 靜岡驛間の開通と同時に開業。一般駅
明治28(1895)年4月1日 - 線路名称制定。東海道線(明治42(1909)年に東海道本線に改称)の所属となる。
昭和45(1970)年6月1日 - 駅所在地の庵原郡富士川町(当時)に合わせ富士川駅に改称
(以下、富士川駅)

日本軽金属蒲原工場専用鉄道:
日本軽金属が蒲原工場(昭和15(1940)年操業)への製品の搬出及び工員の輸送を目的として昭和17(1942)年2月27日に岩淵驛-日本軽金属蒲原工場間(2.295m)の専用鉄道免許を得た。2月30日に工事に着手し、資材入手難のため完成が遅れたが、昭和18(1943)年4月に竣工監査を終えることができた。機関車は国鉄5形を昭和15(1940)年6月小島栄次郎工業所より購入し、翌16(1941)年3月より専用側線で使用。さらにもう一両、昭和16(1941)年12月本江製作所(立山重工業)製を入手し使用した。工員輸送用の車両は元白棚鉄道ガ1・2ガソリンカーを国鉄より払下げをうけ客車(ホハ103・104)に改造(定員40人を60人へ変更)し、さらに有蓋貨車3両(元成田鉄道ワ1-1・1-2・1-3)の払下げをうけ客車(ホハ105-107、定員40人、座席ナシ)として使用した。
その後次のディーゼル機関車に置き換えられた。
 DD102(昭和29(1954)年三菱製、昭和41(1966)年西濃鉄道に売却)
 DD103(昭和36(1961)年三菱製)
 DF105(昭和40(1965)年三菱製、昭和59(1984)年3年31日廃止)

参考資料:Wikipedia(2015年11月13日)
現地取材:45.5.31
記事投稿:28.4.14
  調整:29.6.-5

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by fbox12 | 2017-06-05 17:20 | 鉄道・バス

041 熱海駅 (JR東日本/JR東海)

a0057057_2224051.png

a0057057_22192376.pnga0057057_1336977.png

あたみ

所在地:静岡県熱海市田原本町11-1
所属・路線:(在来線)東日本旅客鉄道株式会社・東海道本線/(新幹線)東海旅客鉄道株式会社・東海道新幹線
電報略号/事務管コード:アタ/460131

概要:
当駅は、静岡県東部に位置する温泉街熱海市の代表駅である。東海道新幹線と、在来線の東海道本線、伊東線の合計3線が乗り入れる。在来線における当駅の所属線は東海道本線である。
東京方面から見た場合、静岡県に入って最初の駅である(新幹線・在来線とも)。JR東日本とJR東海の共同使用駅であり、新幹線構内はJR東海新幹線鉄道事業本部が管理し、在来線構内はJR東日本横浜支社が管理・駅業務を行っている。
駅の開業は大正14(1925)年3月である。開業当初は國府津驛を起点とする熱海線の終着駅であったが、昭和9(1934)年12月に当駅西側の熱海 - 沼津間が開業し、東海道本線の中間駅となった。伊東線は翌年の昭和10(1935)年3月から乗り入れている。東海道新幹線の熱海駅は、新幹線が開業した昭和39(1964)年10月から存在する12駅のうちの一つである。
昭和62(1987)年3月まで、これらの路線はすべて日本国有鉄道(国鉄)の路線であったが、同年4月の国鉄分割民営化によって、在来線は当駅が旅客営業上のJR東日本とJR東海の会社境界駅となり、東海道本線の当駅以東(東京方面)と伊東線はJR東日本、東海道本線の当駅以西(静岡方面)はJR東海の管轄となった。ここで旅客営業上と断っているのは、鉄道資産の境界は当駅構内ではなく丹那トンネル東側坑口付近にある来宮駅上り場内信号機(来宮駅北西)のためであり、すなわち、東海道線上り列車を例としていえば、来宮駅-当駅間はJR東海の列車(車両は東日本の場合もある)がJR東日本の線に乗り入れているのである。依って、上記の共同使用駅の定義は、東海道新幹線と在来線の会社の違いによるもので、在来線熱海駅はあくまでもJR東日本の駅なのである。ちなみに、熱海止まり(来宮回送留置)の列車及び東海道本線熱海-函南間を運行する列車の乗務員時刻表には「来宮」の駅名(旧 信号所)が記載されている(こちらは、来宮駅に東海道線のホームがなく旅客扱いはできないため、あくまでも列車運転上の表示)。
在来線ではJR東日本の熱海運輸区が構内に存在するなど運行上の拠点でもあるため、当駅を経由するすべての旅客列車が客扱い停車していたが、平成21(2009)年3月14日のダイヤ改正で臨時列車とされた「ムーンライトながら」は運転停車扱いとなった。特急列車や一部普通列車(朝夕の沼津駅発着列車など)を除く大半の列車が当駅で系統が分離されている。
JR東海の管轄となっている新幹線は、各駅停車の「こだま」と、「ひかり」のうち、東京 - 岡山間の2往復と、上り広島発東京着の列車1本、下り東京発新大阪止まりの列車1本が停車している。
東海道本線は当駅を境に管轄会社が異なっているが、当駅では両方向とも「東海道線」(上り・下りの表記もあり)と案内されている。本稿でも必要に応じて、その案内方式に準じた表記も用いる。
IC乗車券「Suica」対応自動改札機も設置されているが、当駅で乗車・下車する場合は東海道本線の湯河原方か伊東線からのみ利用可能である。また、当駅から東海道本線の函南方に関しては、平成20(2008)3月1日よりSuicaとの相互利用が可能なIC乗車券「TOICA」が導入されたが、その利用エリアは当駅までではなく西隣の函南駅以西となっており、当駅と函南駅間(を含む経路の場合)は両方向ともIC乗車券のサービスエリア外となる。名古屋方面へ向かうには当駅で交通系ICカードの残高を使ってきっぷを購入する必要がある。
*また、Suicaグリーン券は、小田原方面及び伊東方面のみ対応で、グリーン券発券機(自動券売機)の表示も同方面のみ表示される。
*注、運賃計算の特例として、列車の運行上同じ区間を往復する場合、その区間分の距離数は運賃計算に反映されないが、函南駅方面と伊豆多賀駅方面へ相互に直通する列車がなく、かつ、来宮駅は東海道線の駅としては定義されないため、必ず当駅経由(発駅-当駅-着駅)の運賃計算となる(来宮-熱海間の片道1.2kmが必ず上乗せになる・・例として、函南駅以西から来宮駅から先の駅まで乗車運賃など)。

歴史:
東海道本線は当初、小田原 - 熱海 - 三島の山岳地帯にトンネルを開削する技術がなかったこともあり、今の御殿場線ルートで建設された。そのルートから外れた小田原・熱海では、國府津驛より小田原電氣鐵道という路面電車で小田原市街へ、さらに豆相人車鐵道→熱海鐵道→大日本軌道→熱海軌道組合の人車軌道・軽便鉄道により熱海まで連絡を図った。
その後、御殿場経由は急勾配が存在し輸送力増強の障壁になることや、トンネル掘削の技術が進展したことなどから、当初見送られた熱海経由での路線整備が決定する。そして大正14(1925)年、熱海線として、熱海駅まで鉄道路線が開業して路面電車や軽便鉄道は全廃。昭和9(1934)年、丹那トンネルが開通すると熱海線は東海道本線となった。

年表:
a0057057_21574171.png明治27(1895)年 - 吉濱(現湯河原町内)まで豆相人車鐵道開通(翌年小田原延伸)
明治40(1907)年 - 豆相人車鐵道改め熱海鐵道により、小田原 - 熱海で蒸気機関車運転開始
大正12(1923)年9月1日 - 関東大震災のため、熱海鐵道より改めた熱海軌道組合線休止(後に廃止)
大正14(1925)年3月25日 - 鐵道省(日本国有鉄道の前身組織)により、熱海驛が開業(熱海線 湯河原 - 熱海間の開通と同時)。旅客・貨物営業開始
a0057057_227298.png昭和9(1934)年12月1日 - 熱海 - 沼津間の開通に伴い、熱海線は東海道本線に編入される。
昭和10(1935)年3月30日 - 伊東線 熱海 - 網代間開通
a0057057_16305120.png昭和39(1964)年10月1日 - 東海道新幹線開業、停車駅となる。
昭和41(1966)年9月1日 - 貨物取扱廃止
昭和49(1974)年 - 新幹線ホームに可動柵設置(新幹線で初)
昭和61(1986)年11月1日 - 荷物取扱廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、当駅を境に東海道本線(東京方面)・伊東線はJR東日本、東海道本線(静岡方面)・東海道新幹線はJR東海が継承。駅業務は在来線が東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海道新幹線は東海旅客鉄道(JR東海)が継承
平成13(2001)年11月18日 - JR東日本でICカード「Suica」の利用が可能となる。
平成18(2006)年 - 伊東線のCTC装置が当駅構内の進路制御も可能な装置に更新され、CTCセンターが来宮駅構内より当駅に移転
平成22(2010)年3月31日 - 熱海ラスカ(熱海駅デパート)閉鎖。12月下旬に解体工事完了
平成23(2011)年4月 - 9月 - 熱海駅バスターミナルにおいて、仮バス停の使用開始(4月1日から)。解体工事
 11月 - 仮駅舎完成、11月10日に一部使用開始。(NEWDAYSミニ熱海・BECK'S COFFEE SHOP熱海店)
 12月1日 - ドトールコーヒー熱海店閉店。熱海観光案内所移動開設
平成24(2012)年1月10日 - 旧ドトールコーヒー熱海店横にあった旅客トイレが1番線ホーム東京方へ移動。これに伴い静岡県警鉄道警察隊熱海分駐所も移動
 2月15日 - 駅前広場改良工事再開
 8月25日 - 足湯裏のコインロッカー使用停止。後日撤去された。
平成25(2013)年3月15日 - バス乗り場とタクシープール完成、使用開始
 12月12日 ‐ 熱海軽便鐵道7号機関車の移送作業が行われる。
平成26(2014)年10月26日 - 熱海駅新駅舎・駅ビル建て替え工事起工式が行われる。
平成27(2015)年3月25日 - 開業90周年。記念イベントが熱海駅仮駅舎前で行われた。
 11月29日 - 新駅舎(駅ビルを除く)使用開始
平成28(2016)年11月25日 - ラスカ熱海オープン

駅構造:
JR東日本が管轄する在来線駅(東海道本線・伊東線)は地上駅、JR東海が管轄する新幹線駅は高架駅である。

在来線
a0057057_17281084.pnga0057057_2232494.png

乗降設備は単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、合計3面5線のホームが設けられている。
構内の南側にかつて貨物線だった単式ホームがあり、その北側に島式ホームが並ぶ。ホームの番号は、単式ホーム側から1番線・2番線…の順で、5番線まである。そのうち、2番線が下り本線、5番線が上り本線となっている(単式ホームがなかった頃は、現在の中線(現在の3・4番線)が本線だった)。5番線北側には上りの副本線及び有効長5両編成2本程度の留置線(副本線横に1線、東京方トンネル前に1線)がある。
現在の配線・信号の関係は、
 1番線 - 入線は東京方、伊東線方双方から可能。出発は、伊東線方へ可能(上左写真左側)。
 2番線 - 東京方から入線。東海道下り及び伊東線方へ出発(上左写真右側)。
 3番線(中1番) - 入線・出発共いずれの方向から(へ)も可能(上右写真右側)。
 4番線(中2番) - 同上(通常、伊東線へ出発となる列車はないが、ダイヤ混乱のおり、伊東行きを入線させたことがある)(上右写真左側)。
 5番線 - 東海道線上り列車のみ。
なお、JR東日本の管理駅である都合上、JR東海が利用できるのは(上記3番線または4番線のいずれか)1線のみである。そのため事故・トラブルや大雨・落雷などでダイヤが乱れた場合、沼津方面からの列車がホームに入線できないため沼津駅や東田子の浦駅で打ち切りになることも発生する。
*以前、来宮駅の手前まで東海道線・伊東線が線路を共用していたころは、伊東線の列車も東海道上り線を走行していたため、現在の5番線へ入線することができた。

駅舎は1番線に隣接する場所に設置されている。平成22(2010)年3月31日までは駅ビルの「熱海駅デパート」が併設されていた。改札口は駅舎内の1か所のみで、改札口から各ホームに直結する地下道が存在する。
改札外にはJR東日本が営業するみどりの窓口に加え、コインロッカーと静岡銀行のATMが設置されている。観光案内所とエフエム熱海湯河原(Ciao)のサテライトスタジオも併設されていたが、一旦、仮駅舎に移動した後、新たにオープンしたラスカ熱海1階に再設置された。
構内に熱海CTCセンター(熱海運輸区の管理下)がある。JR東日本東海道本線の東京駅 - 湯河原駅間では東京圏輸送管理システム (ATOS) が導入されているが、当駅・来宮駅ならびに伊東線の運行管理・進路制御は熱海CTCセンターで行っている。
また、1番線ホーム上には、JR東海の乗務員詰め所が設置されている。
長らく、駅自動放送は平成4(1992)年から使用されている古いタイプ(東海道型)が使用されていたが、平成27(2015)年2月17日に新しいタイプ(旭型)に更新された。

のりば:
a0057057_14574392.png1番線 JR東日本 伊東線 伊東・伊豆急下田方面普通(当駅始発は1本を除きこのホーム)
2・3番線 JR東海 東海道線 下り 三島・沼津・静岡・浜松方面(一部は4番線から発車)
 JR東日本 伊東線 伊東・伊豆急下田方面特急と一部の普通
4・5番線 東海道線 上り 小田原・横浜・品川・東京・上野方面
a0057057_22185551.png (上野東京ライン含む、一部は3番線から発車(湯河原・平塚・大船・川崎方面)
在来線は旅客営業上JR東日本とJR東海の境界駅である。会社相互間を直通する普通列車は平成16(2004)年10月16日のダイヤ改正で大幅に削減され、朝夕の通勤時間帯と夜間を除いて当駅で乗り換えが必要となっている。乗り換え時間が短い場合でも、階段連絡でホーム間の移動が必要なことが多い。当駅始発の列車の中には、上野東京ライン・宇都宮線(東北本線)に直通し、宇都宮経由黒磯行きの直通列車も数本設定されている。

新幹線
a0057057_16532062.png新幹線乗降設備は待避線のない相対式ホーム2面2線の構造。ホーム上の乗り場番号は南側(在来線ホーム側)から6番線・7番線の順で付番されている。山肌に沿った高い位置にホームがあり、列車通過の際に危険がないようにホーム可動柵が設置されている。可動柵は昭和49(1974)年に新幹線初のものとして設置されたが、老朽化のため、上りホームは平成23(2011)年12月、下りホームは同24(2012)年7月に取り替えられ、開口幅や扉の位置も変更された。
当駅はスペースの都合で待避線が設置されなかったため、ダイヤ作成上のネックとなっている。その上、当駅付近から新丹那トンネルまでの区間内には最小曲線半径1500mという新幹線有数の急カーブが控えており、この影響で「のぞみ」を初めとする通過列車は最高速度185km/hに制限されている。この速度は、東海道新幹線の駅通過速度としては最も遅い。
JR東日本の地下道とJR東海新幹線コンコースの間には、乗換改札が設置されている。乗換改札口はかつて2か所あり、東京方は入口・出口兼用、新大阪方は出口専用だったが、平成9(1997)年のリニューアル工事で改札口が1か所に集約された。新幹線乗換口の在来線側にはJR東海が営業するみどりの窓口がある。
地形の関係上、新幹線独自の改札口は設けられておらず、JR東海の新幹線改札内へはJR東日本の在来線駅構内を経由しなければならない構造となっているため、JR東海のみが扱う乗車券・サービスを受ける旅客はJR東日本の改札口で「熱海駅構内通過票」の交付を受けた上で、JR東海のみどりの窓口まで出向く必要がある。EX-ICカードやプラスEXカードを所持している場合は、Suicaなどの都市圏のICカードをJR東日本の自動改札機にタッチさせた上で、新幹線の自動改札機に都市圏のICカードとEX-ICカードまたはプラスEXカードを2枚重ねてタッチすることで、新幹線ホームへの入出場が可能となっている。

のりば:
a0057057_16452677.png6番線 東海道新幹線 下り 名古屋・新大阪方面
7番線 東海道新幹線 上り 新横浜・東京方面


駅舎の建替え:
a0057057_15113967.png駅舎は老朽化が著しいことから、建替え工事がされ、平成28(2016)年11月25日にラスカ熱海が営業を開始した(この時点で、熱海市の駅前整備計画は完了していない)。
旧駅ビルラスカ(注、「ラスカ」の名称は関係者のみが使用していたもので、地元では「熱海駅デパート」と呼んでいた)は平成22(2010)年3月31日をもって店舗を閉鎖し、同年7月から建物の取り壊し工事を行い、11月まで行われた。これに伴い、熱海市では駅前の整備事業を行い、バスターミナルは2層化され、1階がたタクシープール、2階がバスターミナルとなった。旧タクシーのりばは旅館・ホテルの送迎車及び一般車の駐車場となった。また、JR東日本の保養所「いでゆ荘」も取り壊され、「ラスカ熱海」の駐車場となったほか、入口にあった熱海駅前交番も春日町バス停側に移設されている。
桃山方面へ向かう桃山ガードの連絡道も伊東線沿いに付け替えられ、一旦、バスターミナル横を通る形になった。


参考資料:Wikipedia(記事に古いものと新しいものが混在するため、確定部分のみに修正)
記事:
 取材:
 投稿:29.1.15
 調整:29.1.16/29.6.-5

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by fbox12 | 2017-06-05 15:12 | 鉄道・バス

003 東京駅

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とうきょう

概要:
東京の表玄関とも言うべき大ターミナル駅で、特に東海道新幹線と東北新幹線の起点となっており、全国の新幹線網における最大の拠点となっている。また、東海道本線や東北本線など主要幹線の起点駅でもある。平成28(2016)年3月に北海道新幹線が東北新幹線を介して当駅まで乗り入れる様になり、寝台特急(ブルートレイン)の廃止により以前よりいくらかは減ったものの、当駅から乗り換えなしで行ける都道府県は実に33に上る。1日当たりの列車発着本数は約3000本、プラットホームの数は日本一多い日本を代表する駅である。
在来線が地上5面10線と地下4面8線の合計9面18線、新幹線が地上5面10線、地下鉄は地下1面2線を有しており、面積は東京ドーム約3.6個分に相当する。赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したもので、大正3(1914)年に竣工、平成15(2003)年に国の重要文化財に指定された。「関東の駅百選」認定駅。

中央駅としての位置付け:
明治22(1889)年に官設鉄道(当時は内閣鐵道局)東海道本線の新橋 - 神戸間が全通し、私鉄の日本鐵道が上野を始発駅として靑森に向けて線路を建設していた。そこで、新橋と上野を結ぶ高架鉄道の建設が東京市區改正計画によって立案され、明治22(1896)年の第九回帝國議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。実際の建設は日清戦争と日露戦争の影響で遅れ、建設工事は戦争終了後の明治41(1908)年から本格化し、大正3(1914)年12月18日に完成し、同時に「東京驛」と命名された。
JRとなった今でも当駅を「中央駅」と位置付けられており、前身である日本国有鉄道(国鉄)の時代から列車の進行方向を示す「上り・下り」の基点となっていた。現在、中央本線は当駅 - 神田間は戸籍上東北本線となっているが、起点であった当駅へ向かう列車が引き続き上りとされている。なお、「中央駅」である当駅は東京都区内および東京山手線内各駅を発着するJR線長距離乗車券の運賃を算出するためのキロ数基準駅ともなっている(前者:201km以上、後者:101〜200km)。

建設当時の東京駅:
当駅の位置は、江戸時代からの繁華街である京橋側ではなく、建設当時はまだ野原だった丸の内側に建設された。宮城(皇居)の正面に設定され、丸の内口の中央に皇室専用貴賓出入口が造られたことから分かるように、国家の象徴的な位置付けであった。なお、現在の行幸通りはまだ皇居前広場まで開通していなかった。
駅本屋は、辰野金吾と葛西萬司が設計した深谷市産の鉄筋レンガ造り三階建て総建坪9,545m²・長さ330mの豪壮華麗な洋式建築である。大正3(1914)年の開業年は第一次世界大戦の開戦の年でもあり、中国・青島周辺のドイツ租借地を占領した陸軍の司令官神尾光臣中将が凱旋して皇居に参内するイベントに合わせて開業式を行った。アムステルダム中央駅は当駅を建設する際のモデルになったという俗説があるが根拠は薄弱であり、昭和63(1988)年以降に藤森照信らを始めとする西洋建築研究者により設計者の系譜や建築様式の両面から、現在ではほぼ否定されている。南北にそれぞれドーム状の屋根があり、当時は丸の内南口が乗車口、丸の内北口が降車口と分けて使用されていた。中央の玄関は皇室専用とされ、規模は小さいものの、細かい装飾が各所に施されていた。中央玄関と東西の一般出入り口との間に、各一つ別の出入り口があるが、これは荷物の搬入搬出口として設けられた。

歴史:
帝國議会で建設が可決された中央停車場は施工を大林組が担当。前述のとおり大正3(1914)年12月18日に竣工、20日に開業した。
大正8(1919)年3月1日に中央本線が、大正14(1925)年11月1日に東北本線が乗り入れ、以後、徐々に発展していった。
戦前、鐵道省では品川 - 東京間に複線を増設し、京濱東北線の一部と横須賀線を走らせる「京濱急行線計画」が存在していた。その計画では、1・2番線が中央線、3番線が京濱東北線北行・山手線内回り、4番線が京濱急行線終着、5・6番線が横須賀線、7番線が京濱急行線始発、8番線が京濱東北線南行・山手線外回り、9〜12番線が東北本線、13〜15番線が東海道本線となる予定だった。この計画は対米戦により未成に終ったが、その一部は、京浜東北線と山手線の分離運転(「東京縦貫複々線工事」という)に活用された。
太平洋戦争末期の昭和20(1945)年5月25日、アメリカ軍による東京大空襲では丸の内本屋の降車口に焼夷弾が着弾、大火災を引き起こした。これによりレンガ造壁とコンクリート造床の構造体は残ったが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われた。
同年8月の終戦直後から修復体制を整えて計画を立案し、年末から昭和22(1947)年にかけて修復工事を行い、ほぼ現在の外観になった。3つのドーム部分の外壁は修復したが、安全性に配慮してその他の焼失の著しかった3階部分内外壁は取り除いて2階建てに変更、中央ドームは木造小屋組で元の形に復原、南北両ドームは丸型から台形に変更、軒蛇腹・パラペット・壁面・柱型・窓枠などは2階建てになっても忠実に復原、南北ドーム内のホール天井はローマのパンテオンを模したデザインに変更、といった内容だった。
できるだけ早期に本格的な建て直しをするつもりで「4、5年もてば良い」とされた修復工事だったが、占領軍の要求で突貫で進める中でも当時の鐵道省の建築家・伊藤滋や松本延太郎たち、あるいは工事を行った大林組の日夜の努力でできるだけ日本の中央駅として恥ずかしくないデザインによる修復をした逸話が伝えられている。
一方、昭和4(1929)年に開設された八重洲口は、昭和23(1948)年11月16日にモダンデザイン建築の八重洲駅舎が竣工したが、翌24(1949)年4月29日に失火で焼失してしまい、昭和29(1954)年10月14日に駅舎が建て替えられ、八重洲本屋が完成した。八重洲口はその後も順次改築されて百貨店が出店し、地下街が拡がるなど賑やかになってゆくが、丸の内側はレンガ造りのままであった。
昭和39(1964)年10月1日に東海道新幹線が開業し、昭和47(1972)年7月15日には総武地下ホーム、平成2(1990)年3月10日には京葉地下ホームがそれぞれ営業を開始、平成3(1991)年6月20日には東北新幹線が当駅に乗り入れるなど、東京駅は順次拡大してきた。
その後、長らく先延ばしされてきた建て替え計画は、平成11(1999)年から翌12(2000)年にかけて、創建当初の形態に復原する方針がまとめられ、500億円とされた復原工事の費用を丸の内地区の高層ビルへの容積率の移転という形で捻出することで、丸の内地区の高層ビル建て替え事業と並行して、東京駅の復原工事が行われることとなった。復原工事自体は、平成19(2007)年5月30日に起工され、平成24(2012)年10月1日に完成した。

赤レンガ駅舎の復原:
復原に至る経緯
かつての丸の内側の赤レンガ本駅舎は昭和20(1945)年5月25日のアメリカ軍による空襲(東京大空襲)によりその多くが破壊、焼失した。戦災復興工事によって、失われたドーム屋根にかわって木造8角形の屋根が載せられ、内部は3階の窓の開口部は保持されたが、残存したアーチなどのレリーフは新設されたローマのパンテオン風の意匠によるジュラルミン製のドームによって隠された。終戦後の昭和22(1947)年、開業当初の状態より一回り規模を縮小して修復された。GHQの体制下応急処置的に工事が行われ、屋根の小屋組については復員してきた海軍の技師が5年もてばよいということで、薄い木材のトラス造りで応急的に工事をしたという。一方実際に工事にあたった関係者は、あくまで国鉄内部の技術者が修理したのであって旧海軍の技術者が関わったという説は何の根拠もないと主張している。この復旧された駅舎は、応急復旧のままで60年余りが過ぎることになった。旧日本国有鉄道(国鉄)は戦後度々赤レンガ駅舎の建て替え構想を出しては延期しており、昭和62(1987)年4月1日の分割民営化の時には当駅全体の土地の3分割を伴った再開発構想が提案され、赤レンガ駅舎の建て替え高層化か保全をするかが本格的に課題となった。これに対して、「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」などによる赤レンガ駅舎保存の市民運動が起こった。
昭和63(1988)年、政府は学識者の委員会による東京駅周辺地区再開発構想を取りまとめ、赤レンガ駅舎の現在地での形態保全の方針を決定し、JR東日本などの検討により平成11(1999)年、本来の形態に復原することとなった。また、平成15(2003)年4月18日には国指定の重要文化財に指定された。

復原工事:
a0057057_10445392.png平成19(2007)年5月30日より、鹿島・清水・鉄建建設共同企業体が担当となって、駅舎を本来の姿に近い形態に復原する工事が開始された。この工事では、鉄骨鉄筋コンクリート壁で躯体を増築して建築当初の3階建てに戻した上で、外壁、尖塔、南北両ドームの内外の意匠も再現し、新たに地下1・2階を増築し免震装置を設置した。免震装置には地上部分と地下部分との間に免震ゴムとオイルダンパーを設置した。
3階の外壁は、創建当初と同じ仕様の厚さ 15mm の化粧煉瓦を貼った外壁に復原した。戦後の修復で2階に移されていたイオニア式柱頭も当初の3階に移設し、支柱の形状も創建時のものに戻した。失われていた花崗岩の柱頭飾り、銅の高欄はモックアップを用いてディテールや施行方法を検証し、創建当時の意匠に復原した。2階以下は既存の構造煉瓦と同じ厚さ 15mm と 45mm の化粧煉瓦を貼った(下駄っ歯積み)。線路側はコンコース側の壁を撤去し、トップライトから採り入れる自然光で復原された丸の内駅舎を見ることが出来るようにした。
ドーム内部の保存と復原の基本方針は部位によって異なり、3階以上の壁面と天井面は、干支や 2m を超える大きさのワシの彫刻やレリーフが存在した創建時の意匠を忠実に再現し、1階と2階は、3階以上の部分と調和を図りながらも機能性に優れた新しいデザインとした。3階張出部を支えていた装飾付きの鉄骨支柱は、RCで補強され円柱にかわったために、全体としては機能的な装飾のない意匠となった。ドームに施されたレリーフは南北のドームで全く同じである。
工事による一時解体に伴い、それまで使用していた雄勝石の屋根材65,000枚は産地でもある宮城県石巻市雄勝町の業者に送られて、選別・清掃・補修した上で倉庫に保管されていたが、東日本大震災で発生した津波で塩害を蒙った。このため、使用可能と判断された45,000枚のみが復原駅舎でも再利用され、不足した2万枚はスペイン産のスレートで補われた。なお、工事全体では約457,000枚のスレートが必要とされていたため、再利用分を除いた残りのうち15,000枚は石巻市の業者が製作したもののを使用し、残りはスペイン産で補う計画であったが、この業者の工場も津波によって壊滅し、出荷前の天然石スレートも津波に流された。震災後、流されたスレートは回収・洗浄・検品され、使用可能な7000枚が東京に送られた。
ドーム部分の屋根は、建設当時の銅板葺きに戻され、0.4mmの銅板が合計1トン使用された。時計下の外壁レリーフは2m四方の銅板3枚を使って叩き出されたものを使用した。線路側の中央部の屋根はガラス化して、屋根裏をホテルのゲストラウンジにした。
外壁の花崗岩は、中央部御車寄せ周りと1階腰石が北木産花崗岩北木石で、その他はすべて稲田産花崗岩である。 保存・復原工事には、広場側復元部には稲田産花崗岩、線路側は中国産花崗岩をそれぞれ使用した。また、1階腰石は北木産花崗岩北木石である。 日本国内では職人の数も減り、丸の内駅舎のすべての製作をすることは難しいことから、中国での製作とした。稲田産花崗岩は日本で切り出し、中国へ運び、中国で製作のうえ、日本へ戻し丸の内駅舎へ取り付けた。 タイルレンガの目地には、覆輪目地が施工されているが、すでに失われた施工方法となっており、職人が3か月間の試行錯誤で、技術と道具を復活させて再現している。
窓枠には全て三協立山製のサッシが採用された。新しい窓枠はアルミにフッ素樹脂塗装されたものであるが、大正時代には木製建具が主流であったことから、過去の文献の調査だけでなく辰野金吾が設計した岩手銀行中ノ橋支店を視察するなど試行錯誤の末、色合いを木の風合いにできる限り近づけた「東京駅専用ビル用サッシ」を新たに開発した。また窓の装飾に使われるアルミ製鋳物も三協立山が手掛けた。
a0057057_1195716.png復原工事中は、一部仮設の出入口が設置された(上写真の通路奥など)が、発券ができない個所では乗車駅証明書(右写真)を発行し対処した。
平成24(2012)年6月10日に、復原された駅舎の一部(1階部分)が再開業し、同年10月1日に全面再開業した。また、復原工事に伴って平成18(2006)年4月から営業を休止していた駅舎内の「東京ステーションギャラリー」(東日本鉄道文化財団運営)も全面再開業と同日に拡大再開業し、翌々日の3日には「東京ステーションホテル」も規模を拡大して再開業した。地下には新規にレストランが開業した。

駅構造:
かつて、現在のJR東日本とJR東海の駅は同じ国鉄の駅であったが、昭和62(1987)年の国鉄分割民営化を機に、東海道新幹線はJR東海、それ以外はJR東日本の管轄へと分離された。
中央線2番線(現、山手線内回り4番線)と京浜東北線北行3番線(現、山手線外回り5番線)の間には線路が1本あったが、中央線ホームの拡張により、この線路が2番線(現、4番線)となり、旧2番線は撤去された。この線路は同じく線路のみ存在していた東海道本線の11・16番線とは異なり、番線に数えられていなかった。
平成9(1997)年の北陸新幹線高崎 - 長野開業に伴い、ホームの移転が行われた。
まず平成7(1995)年7月に中央線ホームを高架ホームに移転し、その後10月 - 12月に山手線・京浜東北線ホームを、平成8(1996)年6月 - 翌9(1997)年7月に東海道線ホームをそれぞれ1面ずつ丸の内側に移設した。なお、東海道線ホームの移設の際は、1線を撤去して2面3線化したほか、一時期に9番線が仮設ホームだったことがある。
東海道線ホームが2面3線になってからは、大垣行き夜行普通列車(列車番号375M)が下りに限って品川駅始発に改められた。平成8(1996)年3月に運行開始した「ムーンライトながら」(JR東海373系による定期列車)については、当駅始発・終着とされた。
現在の中央線ホームは、丸の内口駅舎と旧中央線ホーム(現在の京浜東北線北行3番線および山手線内回り4番線)の間のやや狭い敷地内に設置されており、やや3・4番線ホーム上に高架部分がせり出している。このことが結果的には丸の内駅舎を取り壊さずに保存できる形となった。
山陽新幹線が博多駅まで延伸してホームを増設するまでは、7・8番線が東北本線・高崎線・常磐線用ホーム、9・10番線が近距離列車用ホーム、11番線が回送線、12・13番線が東海道本線・横須賀線用ホーム、14・15番線が遠距離列車用ホーム、16番線が回送線(後に東海道新幹線に転用)であった。新幹線の開業までは4線ともひっきりなしに列車が発着しており、13番線から15番線を見通すことができなかった。これが重要なトリックとして出てくるのが松本清張の「点と線」である。昭和45(1960)年後半 - 昭和48(1973)年3月31日までは東北本線・高崎線・常磐線の列車は7 - 15番線のうち、どのホームからも発車していた。
上記の通り、在来線は15番線まで存在していたが、昭和48(1973)年4月に第7ホーム(14・15番線)を、昭和55(1980)年に13番線を、昭和63(1988)年3月回送線だった11番線と第6ホームの12番線を、平成7(1995)年に第5ホーム(9・10番線)をそれぞれ使用停止し、後に新幹線のホーム増設や新設を行った。
北陸新幹線の開業に伴って、北陸新幹線用(W7系・白山総合車両所所属)と東海道・山陽新幹線用(700系・N700系・N700Advanced・博多総合車両所所属)の2つのJR西日本の新幹線車両が乗り入れることになった。

 - 各線の詳細 → 003b 東京(とうきょう)駅Ⅱ (JR東日本 / JR東海 / 東京メトロ)

a0057057_14495131.png当駅にはJR東日本とJR東海の窓口のほか、丸の内地下中央改札前にかつて北海道旅客鉄道(JR北海道)が運営する「JR北海道プラザ東京支店」があった。一般の乗車券や特急券のほか、各社のトクトクきっぷを購入することができたが、株主優待などJR各社の窓口のみで扱う切符類が発券できなかった。反面、JR北海道のみで購入可能な切符類を一部を除いて取り扱っていて、JR北海道のオレンジカードも販売されていた(左写真)。

電化方式(列車走行用):
当駅では直流600V(東京メトロ丸ノ内線)、直流1500V(在来線)、単相交流25000V/50Hz(東北・上越・北陸新幹線)、単相交流25000V/60Hz(東海道・山陽新幹線)と4種類の電化方式が存在する。

旅客収入額:
当駅の旅客収入額はJR東日本の駅中第1位である(1日平均およそ2億6千万円、2位は新宿駅で同1億6千万円)。また、平成20(2008)年現在旅客収入額のデータを公開しているJR駅中でも第1位である。どちらも新幹線などの長距離列車の発着が多く、乗車券の単価が高いためである。旧国鉄時代は日本一であった。平成20(2008)年現在は正確な順位がわからないが、各新幹線が集中し、長距離旅客利用が日本一多い駅であるため、日本一であると見られる。

当駅を中心とする以下の地下鉄各駅は概ね半径1km程度範囲内にあるので、状況によっては徒歩での移動の方が早く到達する場合もある。
 大手町駅(東京メトロ丸ノ内線・東西線・千代田線・半蔵門線、都営地下鉄三田線)
 八丁堀駅(JR京葉線・東京メトロ日比谷線)
 日本橋駅(東京メトロ銀座線・東西線、都営地下鉄浅草線)
 三越前駅(東京メトロ半蔵門線(銀座線のりばへは遠い))
 新日本橋駅(JR総武線(快速))
 二重橋前駅(東京メトロ千代田線(行幸地下通路で連絡))
 日比谷駅(東京メトロ日比谷線・千代田線、都営地下鉄三田線(行幸地下通路で連絡))
 有楽町駅(JR山手線・京浜東北線、有楽町線)
 銀座一丁目駅(東京メトロ有楽町線)
 京橋駅(東京メトロ銀座線)
 宝町駅(都営地下鉄浅草線)

再開発事業:
a0057057_17425436.pngJR東日本などが主体となって赤レンガ駅舎の復原などを内容とした当駅周辺の大規模な再開発事業が行われている。
この第1弾として平成19(2007)年3月に日本橋口に超高層ビル「サピアタワー」が竣工した。これと同時に一連の再開発地区が「Tokyo Station City(東京ステーションシティ)」と命名され、キャッチフレーズは「東京駅が、街になる。」に決まった。同年4月には丸の内口の行幸通り地下に「行幸地下通路」が整備され、10月25日には東京駅改札内地下1階に株式会社鉄道会館が運営する改札内商業施設「グランスタ」がオープンした。さらに、同年10月31日には、八重洲口にある大丸などが入居していた昭和29(1954)年竣工の鉄道会館ビルが閉鎖され、11月6日に超高層ツインタワービル「グラントウキョウ」が竣工した(右写真:ノースタワー)。グラントウキョウノースタワー(国際観光会館ビルの跡地に建設)に大丸が移転し、グラントウキョウサウスタワーの地下に飲食店街「グランアージュ」が整備された。また、八重洲地下街からグラントウキョウサウスタワーとパシフィック・センチュリー・プレイスの地下を経由して京葉線地下改札に至る連続した地下連絡通路が整備された。
a0057057_17533828.png平成22(2010)年3月28日には、駅改札内1階「South Court(サウスコート)」にあった改札内商業施設の「Dila東京メディアコート」の跡地に、JR東日本ステーションリテイリングが運営する「エキュート東京」がオープンし、4月12日には赤レンガ駅舎から皇居まで一直線に続く行幸通りが再整備された上で開通した。さらに同年12月4日には、駅改札内1階「North Court(ノースコート)」にあった改札内商業施設の「Dila東京ダイニングコート」の跡地に、鉄道会館が運営する「グランスタ ダイニング」がオープンした。
鉄道会館ビルが解体された後の平成24(2012)年8月にグラントウキョウノースタワー第2期工事が竣工、平成25(2013)年9月にグラントウキョウの2棟を結ぶペデストリアンデッキ「グランルーフ」が竣工(左写真)、同年12月11日に八重洲口駅前広場のバスターミナルが竣工、平成26(2014)年秋に八重洲口駅前広場の全体工事が竣工した。八重洲通りの突き当たりに、壁になる形で存在していた鉄道会館ビルが解体されたことにより、東京湾側から皇居側へ向かう海風が通り抜けやすくなり、ヒートアイランド現象の改善が期待されている。
丸の内口側においては、平成19(2007)年から24(2012)年まで赤レンガ駅舎の復原工事が行われた。この復原工事の完了に伴って、赤レンガ駅舎前の駅前広場にガードレールによる仮設の交通広場が設けられたが、平成27(2015)年冬までに丸の内南口前の交通広場の再整備を行い、29(2017)年春頃までに丸の内北口前の交通広場と丸の内中央口前の「都市の広場(仮称)」を含めた丸の内駅前広場全体の再整備を完了させる予定である。また、平成26(2014)年2月、駅前広場にある総武・横須賀線地下ホーム用の換気塔を、高さ13mから4mまで切り下げると同時にデザインを変更し、駅前景観を改善させた。
さらに、平成26(2014)年に丸の内地下エリアに地下南口待合広場を整備し、29(2017)年夏までに丸の内地下エリアの全体的な再開発を完了させる予定である。この再整備により、丸の内地下エリアの内装デザインが「格調高く賑わいのある」もの一新され、地下中央口から東京メトロ丸の内線に繋がるコンコースが拡幅され、トイレや改札、コインロッカーが再配置される予定である。
また、丸の内北口と八重洲北口を繋ぐ駅構内の東西自由通路を拡幅する予定があり、駅南側にも東西自由通路を新設する計画がある。

将来の計画:
1.首都圏新都市鉄道のつくばエクスプレスが大深度地下を利用して秋葉原駅から当駅に乗り入れる計画がある。駅は丸の内ビルディング直下に建設される予定である。同線は昭和60(1985)年に当時の運輸省運輸政策審議会答申第7号が当駅起点での整備を求めながらも、採算面の問題で秋葉原駅始発へ変更された経緯がある。
2.大深度地下利用による京葉線の新宿駅経由三鷹駅までの延伸を行い、中央線と直通運転させる延長線をともに平成27(2015)年までに整備着手するのが適当であるとした。(運輸政策審議会答申第18号による)
3.京成押上線と京急線をつなぐ浅草線短絡新線により、成田空港から30分台、羽田空港から20分台のアクセスを実現させる構想がある。この構想では京急と京成の通勤電車も乗り入れるとしている。東京駅の設置場所は、丸の内仲通りの直下が有力である。
4.現在、浜松町駅止まりとなっている東京モノレールを新橋駅か東京駅へ延伸する計画がある。完成すれば成田エクスプレスとの乗り換えが便利になり、羽田・成田両空港間の(JR線での)移動時間が短縮される。JR東日本が東京モノレールを子会社化した後、平成22(2010)年から本格的な検討を始めた。しかし、東京駅への延伸は新橋駅への延伸と比べると、資金面では1000億円超となる上、工期も長くなってしまう。

参考資料:Wikipedia(2015年10月31日)
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 調整:28.12.18/29.4.-8/29.6.-5

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by fbox12 | 2017-06-05 14:26 | 鉄道・バス