fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

カテゴリ:鉄道・バス( 371 )

1013 越知駅(バス停)(黒岩観光←JR四国バス)

a0057057_21412664.pngおち

所在地:高知県高岡郡越知町越知甲1736-7
所属:有限会社黒岩観光
乗入路線:
 桐見川線(坂折~龍王公園)
 高吾北落出線[佐川~狩山口](狩山口~佐川)
 高吾北落出線[佐川~落出](落出~佐川)
 黒岩線(役場前(佐川町)~越知)
 出来地線(坂折~宮ヶ奈路)

概要:
高知県高岡郡越知町は、安徳天皇が落ちのびたという伝説のあるところで、その中心部、国道33号線上にあるバス停留所。
乗入路線の「高吾北落出線(落出〜佐川)」は、旧JR四国バスの「松山高知急行線」の高知県側の名残であり、写真の場所は、以前バスターミナルだったところ。
その写真のバスターミナルの後に建てられたのが、越知町観光協会の「観光物産館 おち駅」で、平成22(2010)年4月4日にオープンした。
商店街で行われていた農産市を主体に、越知や周辺地域の特産品の販売も行っていて、越知町観光協会の事務局もここに移転し、越知の観光情報を発信する新たな発信地として機能している。


参考資料:越知町観光協会HP
 http://www.ochi-kankou.jp/tourist/station/index.html
現地取材:29.3.14
記事投稿:29.7.-2
  調整:29.7.-3/29.10.-4

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by fbox12 | 2017-10-04 23:03 | 鉄道・バス

086 新前橋駅 (JR東日本)

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a0057057_9591467.pnga0057057_9593296.png
a0057057_21203446.pngしんまえばし

所在地:群馬県前橋市古市町471
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・上越線
電報略号/事務管コード:シマ/411202
キロ程:7.3km(高崎起点)

概要:
上越線を所属線としており、両毛線を含めた2路線が乗り入れている。当駅は線路名称上の両毛線の終点であるが、両毛線の列車はすべて上越線を通じて高崎駅まで乗り入れている。加えて、上越線の渋川駅で分岐する吾妻線の列車もすべて高崎駅まで乗り入れているため、当駅にも停車する。そのため、実用上は3路線4方向の列車が利用できる。また、高崎方面への列車の中には一部高崎線へ直通するものもある。

歴史:
明治17(1884)年8月20日に日本鐵道が当駅付近に鉄道路線を開業(髙崎 - 前𣘺)させたが、この間に途中駅は設置されていなかった。前𣘺の市街地は利根川東岸であったが、利根川への架橋が困難だったため前𣘺驛は利根川西岸の内藤分村(現在の前橋市石倉町、当駅より 1km ほど東方)に置かれ、「内藤分ステーション」と通称されていた。明治22(1889)年12月に利根川架橋が完成し、兩毛鐵道が開業させていた現在の前橋駅に日本鐵道が乗り入れるとこの駅は廃止される。これらの路線は後に買収・国有化され両毛線となった。
大正5(1916)年には帝國議会へ上越線の敷設計画が提案されるが、これは既に開業していた東武髙崎線(昭和28(1953)年廃止)と同様に、髙崎からまっすぐ北上し、金古町(現在の高崎市北部、金古町付近)経由で澁川驛に向かうものであった。このルート案は、県庁を前𣘺市に取られた髙崎市の逆恨みによる報復であったとも言われている。これを受けた前𣘺市は議会に対して経路変更の運動を展開した。利根川を2回渡る必要があるため市の中心部を経由させることは断念したが、前𣘺市域を経由するルートへの変更を実現した。このとき両毛線との分岐駅として設置が決定したのが当駅であり、大正10(1921)年7月1日、上越南線(後の上越線)開通とともに両毛線の駅として開業した。
開業時は旅客駅であった。

年表:
明治17(1884)年8月20日 日本鐵道により当駅付近を経由し髙崎 - 前𣘺間開通。大正10(1921)年7月1日 鐵道省上越南線が澁川まで開業し、両毛線との分岐駅として新前𣘺驛設置。大正12(1923)年2月1日 小口扱い貨物を取扱い開始し、一般駅となる。
昭和6(1931)年9月1日 上越南線が上越北線と接続、統合され上越線となる。
昭和32(1957)年12月20日 両毛線の高崎 - 新前橋間が上越線に編入され、当駅も上越線所属駅となる。
昭和34(1959)年4月20日 構内に新前橋電車区を併設する。
昭和62(1987)年4月1日 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる。貨物扱を廃止し、旅客駅へ変更する。
平成13(2001)年11月18日 - ICカード「Suica」の、当駅における供用を開始する。
平成17(2005)年12月10日 新前橋電車区が(旧)高崎車両センターと統合され、高崎車両センターが開設される。
平成23(2011)年3月26日 駅改良工事が終了し、改札内のエスカレータ、エレベータ、多目的トイレの供用を開始する。
平成23(2011)年9月14日 多機能券売機を設置する。

駅構造:
島式ホーム2面4線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。ホームは南西から北東へと延び、東口と西口を持つ。改札口は東口寄りの設置で、西口へはホーム上の自由通路が連絡する。東口にバスターミナルが設置されているほか、西口にもバス乗り場とタクシー乗り場が整備されている。
社員配置駅(管理駅)で、群馬総社駅を管理下に置く。また当駅は上越線の運転取扱駅であり、高崎車両センターのも含め信号制御は信号扱所で行われる。
みどりの窓口(営業時間6:00-20:00)・自動改札機・自動券売機・指定席券売機・多機能券売機が設置されている。また、改札口と各ホームには発車標が設置されており、指定席券売機の上や改札内に設置されているモニター画面にも発車案内がなされている。自動改札機の一部はSuicaなどのICカード専用である。平成27(2015)年3月には、列車の運行情報を伝えるモニターが改札内・外に1台ずつ設置された。
バリアフリー設備について、エレベーターが東口および西口と改札口の間、改札口と各ホームの間に設置されている。また、各ホームと改札口の間に上下エスカレーターが、東口と改札口の間には上りエスカレーターが設置されている。トイレは改札内と東口にあり、それぞれ多機能トイレも設置されている。
改札外にコンビニエンスストアのNEWDAYSが、東口には駅レンタカーが立地しているほか、東口の1階には飲食店が入居している。なお、かつては下りホームに立ち食いそば屋が、改札内コンコースにキオスクがあったが現存しない。

のりば:
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のりばの番号は東側から順に付番されている。両ホームとも待合室が設置されている。なお、当駅で表示されているラインカラーは一部を除いて他の駅と異なり、LED電照式への交換時に本来のカラーのものに改められた箇所もある(上越線が紺色、吾妻線が水色、両毛線がマゼンタで表示されている箇所がある)。

1・2番線 上越線(吾妻線・両毛線含む)上り 高崎・熊谷・東京・新宿・横浜方面(湘南新宿ライン)(上野東京ライン)
3番線 両毛線下り 前橋・伊勢崎・桐生・小山方面
4番線(右写真)上越線下り 渋川・水上方面
    吾妻線中之条・長野原草津口方面

実際の上り(1・2番線))の案内標ではラインカラーの区別や路線別に分けた表記はせず、水色を用いて方向別に一括して表記している。上りホームについて、基本的に1番線は両毛線からの列車、2番線は上越線からの列車が発着する。当駅始発の列車は高崎車両センターより出庫し、1・2番線どちらからも発車する。ホーム事務室付近にSuica専用のグリーン券売機が設置されている。通常ダイヤでの渋川方面から(上越線水上発・吾妻線)の当駅止まりの列車は2番線に到着し、客を降ろした後に引き上げ線へ入る。なお、大幅にダイヤが乱れた場合、両毛線も含めた各線上り列車が当駅で運転を打ち切り、そのまま下り方面へ折り返すこともある。下りホームについて、表のとおり基本的に3番線は両毛線、4番線は上越線への列車が発着する。ダイヤが乱れた場合は3番線から上越線への列車が発車することもある。構内の配線的に3番線から上越線へは発着できるが、4番線から両毛線へは発着できない。高崎線系統の当駅止まりの列車は3・4番線に到着し、高崎車両センターへ入庫する。当駅で高崎方面へ折り返す運用は通常ダイヤでは存在しない。平成29(2017)年3月4日の改正で、渋川方面(上越線水上方面・吾妻線)の列車の一部は当駅始発となった。引き上げ線から4番線に進入する。

列車運行形態:
主に高崎駅をターミナルとした上越線・吾妻線・両毛線の普通列車が運行されるほか、高崎方面からの直通列車および特急列車が乗り入れている。構内に高崎車両センター(旧・新前橋電車区)があるため、少数ながら当駅始発・終着の営業列車も設定されており、車両の増解結も実施される。日中はすべての定期列車が停車するが、上越線の夜行列車は停車しない。なお、日本国有鉄道(国鉄)時代には長らく一般駅であり、車扱貨物を取り扱っていたが、民営化以降は旅客駅となっている。
現在、上越線の普通列車は高崎 - 水上間の運転が中心で、これに吾妻線直通列車が加わる。両毛線は当駅を終点としているが、普通列車はすべて高崎駅発着または高崎線直通である。列車本数は概ね起点の小山へ向かうにつれ減少する形態となっている。一部の列車は小山から宇都宮線を経由し、宇都宮まで運行する列車もある。なお、上越線下り方への列車より両毛線へ直通する列車の方が運行頻度は高い。横浜・東京・上野方面からの高崎線(上野東京ライン)、横浜・渋谷・新宿方面からの湘南新宿ラインは一部列車が前橋まで乗り入れるほか、当駅始終着の列車も存在する。湘南新宿ラインの列車は最長で東海道本線小田原駅まで、上野東京ラインの列車は熱海駅まで運行している。
以前は上記の各線列車が高崎駅まで運行され、当駅から高崎駅までの本数は日中でも1時間に5往復前後運行されていた。しかし、平成29(2017)年3月4日のダイヤ改正で上越線(吾妻線直通列車も含む)の一部列車が当駅発着となった上、両毛線も減便したため、主に日中の同区間の本数が減少した。
特急列車は、上野・新宿 - 前橋の「あかぎ」「スワローあかぎ」、上野 - 万座・鹿沢口の「草津」、上野 - 水上の「水上」(臨時列車)が運行している。どの列車も全区間それぞれ7両編成で運転されている。以前は当駅始発の「あかぎ」が設定されていたが、平成29(2017)年3月4日のダイヤ改正で廃止された。

a0057057_1141996.pngかつての東海道線直通列車:
現在の上野・東京ラインと同じルートで、かつて、当駅または高崎と東海道線富士・熱海駅間を週末に運転する直通列車があった。
左写真は、新前橋電車区所属の115系電車で、熱海駅で撮影したもの(「富士行き」)で、115系の前は70系電車で運転されていた。

路線バス
一般路線バス:東口は、駅舎写真側
東口1番のりば
 日本中央バス
  川曲線 中央前橋駅 - 県庁前 - 新前橋駅 - 川曲町・群馬医療福祉大学前
 ※ 平日および土曜の川曲町・群馬医療福祉大学方面への一部の便は一部区間で急行運転となる。
 永井運輸
  循51・循52系統(マイバス西循環) 新前橋駅 - 大利根団地 - 済生会病院 - けやきウォーク前橋 - 前橋駅 - 新前橋駅

東口2番のりば
 群馬中央バス
  高20系統 高崎駅 - 芝塚 - 新前橋駅 - 県庁前 - 前橋駅
  定期観光バス(富岡製糸場とぐんまフラワーパークコース)
 関越交通
  北13系統(急行) 新前橋駅 - 前橋駅 - 中央前橋駅 - 赤城山ビジターセンター(季節運行)
 上信電鉄
   高41系統 中央前橋駅 - 前橋駅 - 新前橋駅 - 大利根団地 - 京目 - 高崎駅
このほか、競輪開催時に前橋競輪場(グリーンドーム前橋)までの無料シャトルバスが運行されている。

西口バスのりば
 群馬中央バス
  高22系統 新前橋駅西口 - 立川町 - 前橋駅

高速バス:全て東口2番のりばで発着する(全便が日本中央バスによる運行)。
 川越的場・練馬区役所・池袋駅東口・新宿・ヒルトン東京・東京ドームホテル・経由秋葉原駅東口行
「シルクライナー」
 名古屋駅太閤通口・奈良ロイヤルホテル経由大阪OCAT行
 京都駅八条口経由大阪OCAT行
 富山駅前・金沢駅東口行

出典・参考:Wikipedia「新前橋駅」(2017年9月10日最終更新)

現地取材:
記事投稿:27.2.22
  調整:29.9.12

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by fbox12 | 2017-09-13 15:36 | 鉄道・バス

200 高崎駅 (JR東日本)

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駅名かな:たかさき

概要:
当駅は古くから交通の要衝として栄え、現在も9路線が乗り入れる群馬県のみならず北関東最大のターミナル駅として機能している。新幹線開業前は東京方面から上越線方面と信越本線方面との分岐点として機能していた。長距離輸送の役目を新幹線に譲った現在でも上越新幹線と北陸新幹線の分岐点となっているほか、在来線においても群馬県内各地へ向かう各路線のターミナル駅としての役割を担っている。

乗り入れ路線:
当駅にはJR東日本の新幹線・在来線各線と、上信電鉄の上信線が乗り入れている。上信線は当駅を起点としている。
JR東日本の新幹線は上越新幹線と北陸新幹線の2路線が乗り入れている。北陸新幹線は当駅が起点であるが、当駅以南は上越新幹線に乗り入れて東京駅まで運転されている。
JR東日本の在来線は次の各線が乗り入れている。いずれも第二種鉄道事業としてJR貨物の貨物列車も運行されている。

高崎線 : 当駅の所属線であるとともに当駅を終点としている。埼玉県や東京都心方面への動脈であり、上野駅発着の列車と、新宿駅経由で東海道線へ直通運転を行う湘南新宿ラインの列車、上野駅・東京駅経由で東海道線へ直通運転を行う上野東京ラインの列車が発着している。また下記の上越線・信越本線と線路が接続されており、直通が可能となっているが、現在の定期列車は上越線・両毛線にのみ直通する。
(注、タイトルのモノクロ写真は、東北新幹線が出来る前、上野 - 東京間を通り週末に運行されていた高崎線・東海道線の直通列車。写真の頃は、高崎 - 富士間の運行で、後に新前橋 - 熱海間に変更。・・東海道線熱海駅)
上越線 : 当駅を起点とし、群馬県北部の水上・越後湯沢方面へ通じている。
信越本線 : 当駅が起点である。かつてはその名のとおり信越方面へ通じていたが、北陸新幹線開業と同時に横川-篠ノ井間が廃止(軽井沢-篠ノ井間は第三セクター「しなの鉄道」に経営移管)され、分断されてしまった。
正式な線路名称上は以上の3路線だが、上記路線の途中駅から分岐する以下の各線(これらについてはJR貨物は鉄道事業免許を持たない)の列車も当駅へ乗り入れており、前述の3路線を合わせると合計6方面の列車が発着している。
八高線 : 倉賀野駅から高崎線経由で乗り入れる。
両毛線 : 新前橋駅から上越線経由で乗り入れる。高崎線からも一部列車が「高崎・両毛線」として前橋駅まで直通運転する。
吾妻線 : 渋川駅から上越線経由で乗り入れる。

歴史:
明治17(1884)年5月1日 - 日本鐵道の駅として、新町 - 髙﨑間開通と同時に開業
 8月20日 - 日本鐵道線が前𣘺驛まで開通
明治18(1885)年10月15日 - 官設鉄道(当時は工部省鐵道局)(現在の信越本線)が横川驛まで開通
明治30(1897)年5月10日 - 上野鐵道線(現在の上信電鉄上信線)が福嶋驛(現在の上州福島駅)まで開通
明治33(1900)年- 二代目駅舎に改築
明治39(1906)年11月1日 - 日本鐵道国有化
大正6(1917)年7月6日 - 三代目駅舎改築竣工
昭和3(1928)年 - 遺失物取卸驛に指定
昭和5(1930)年5月23日 - 第3ホーム(現5・6番線)増設
昭和9(1935)年10月6日 - 北跨線橋増築
昭和21(1946)年11月18日 - 東口営業開始
昭和40(1965)年10月1日 - みどりの窓口設置
昭和41(1966)年2月3日 - 第3ホームを上野方面に30メートル延伸
 8月20日 - 旭町の中居里踏切が立体地下道になる。東口6番線に貨物コンテナ基地完成
 12月28日 - 上信電鉄新設ホーム使用開始
昭和43(1968)年10月1日 - 第4ホーム(現7・8番線)新設
昭和45(1970)年10月1日 - 旅行センターオープン
昭和46(1971)年4月1日 - 駅レンタカー新設
昭和48(1973)年3月25日 - コインロッカー設置
 11月21日 - 構内の専売局専用線廃止
昭和50(1975)年9月30日 - 構内の高崎製紙専用線廃止
昭和51(1976)年2月14日 - 1番線舗装、軌道敷設
 11月 - 上越新幹線工事着工
昭和53(1978)年7月17日 - 仮8番線使用開始
昭和55(1980)年3月1日 - 中央跨線橋新設工事着工
 8月1日 - 西口駅前広場改良工事着工
 9月16日 - 仮駅舎建設工事着工
 11月18日 - 駅ビル新築工事着工
 11月29日 - 業務を仮駅本屋へ移転
 12月1日 - 旧本屋(三代目駅舎)解体
昭和56(1981)年2月25日 - 8番線使用開始および9番線の新設
 5月1日 - 中央跨線橋使用開始
 10月21日 - 構内の日清・日本製粉の専用線廃止され、一般貨物取り扱い全廃
昭和57(1982)年3月1日 - 新駅舎完成
 4月14日 - 駅ビルモントレー(上写真)オープン
 11月15日 - 上越新幹線開業。南跨線橋が自由通路となる。
昭和58(1983)年10月5日 - 西口広場で陶板壁画「だるまの詩」の払拭会
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄の駅はJR東日本・JR貨物が承継
平成6(1994)年12月3日 - 貨物列車の設定廃止。これ以降の貨物列車発着はない。
平成9(1997)年10月1日 - 北陸新幹線(長野新幹線)開業
a0057057_2294381.png平成13(2001)年11月18日 - JR東日本でICカードSuica供用開始
 12月1日 - 湘南新宿ライン運行開始
平成16(2004)年10月16日 - 1番線の客扱い廃止(右写真)
平成17(2005)年7月3日 - 東西2箇所の改札口を1箇所に統合。それに伴いみどりの窓口が1箇所になり、上信電鉄との連絡運輸廃止
 9月25日 - 新幹線直通改札口新設
 秋 - 高崎駅東側にE’siteがオープン
 冬 - 高崎駅ステーションルネッサンス完成
平成20(2008)年3月15日 - モバイルSuica特急券のサービス開始
平成21(2009)年3月 - 東口と高崎タワー21を結ぶペデストリアンデッキ完成
平成22(2010)年10月12日 - Suica専用改札設置
 12月12日 - 東口駅舎の改築と駅舎前のペデストリアンデッキの工事が完了。E’siteの拡張も完了し名称を「E’site高崎」に変更
平成24(2012)年3月1日 - 上信電鉄専用の出入り口が西口ロータリーに新設された(下、上信電鉄左写真)。それに伴い、コンコースからの連絡階段・エスカレーターが廃止された。

駅構造:
200-1 JR東日本
a0057057_22125627.png所在地:群馬県高崎市八島町222
電報略号/事務官コード:タカ/411416

在来線:
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・高崎線
キロ程:(大宮起点)74.7km
a0057057_229799.png在来線は構内の西側、地上にある3面7線の島式ホーム(1線のみ切り欠きホーム)を使用する。ホームは2番線から8番線まであり、3番線は4番線の大宮方を切り欠いたホームである(下右写真E233系が停車しているのが4番線で、その先にDCが停車しているのが3番線)。定期列車は全列車が停車するが、3番線(八高線)以外は、基本的に発車番線が固定されていない。高崎線と上越線・両毛線の一部の列車が当駅を経由して直通運転を行う以外は当駅始発・終着で運行されている。かつては1番線(単式ホーム)があったが、平成16(2004)年に廃止され、通過線となっている。この1番線は平成9(1997)年9月30日に廃止されたL特急「あさま」の下り列車や団体列車などが使用していた。1番線ホーム跡の線路側には1番線の表示が現存しているものの柵でふさがれており、上信電鉄のホームである0番線への通路に利用されている(上写真)。
在来線各ホームには待合所があり、2・3・4番線設置の待合所は初電 - 終電まで利用可能である。
発車標はすべての改札・ホームでLED式が使用され、また各ホームには接続列車の案内表示機もある。

在来線のりば:
a0057057_2211168.pnga0057057_21523266.png

2・4・7・8番線 高崎線 熊谷・大宮・上野・東京・新宿・横浜・小田原・熱海方面
 (湘南新宿ライン・上野東京ライン含む)・・朝の一部を除く当駅始発の列車は主に2番線、上越線からの直通列車は7・8番線を使用
2・4・5・6番線 上越線 新前橋・渋川・水上方面(115系電車が停車中なのが5番線)
 吾妻線 長野原草津口・万座・鹿沢口・大前方面
 両毛線 前橋・伊勢崎・桐生・小山・宇都宮・黒磯方面・・高崎線からの直通列車は2・4番線を使用
 信越線 安中・横川方面
3番線 八高線 児玉・小川町・高麗川方面
実際の案内標では3・7・8番線を除いてラインカラーの区別や路線別に分けた表記はせず、コーポレートカラーの「緑」を用いて方向別に一括して表記している。
当駅から発車する八高線の列車は非電化区間の高麗川駅までの乗り入れのみで、高麗川駅から電化区間の拝島・八王子方面へは、高麗川駅で八王子行きの列車へ乗り換える必要がある。
発車メロディが全ホームで使用されているが、車掌扱いのため、3番線から発車する八高線のうち、ワンマン運転を行う列車は省略される。
当駅で折り返す列車は、到着後車内清掃および点検を行う。
臨時列車の「SLみなかみ」および「SL碓氷」は2番線から発車する。なお、両列車の同時発車などのイベントがある場合の発車番線は「SL碓氷」が4番線、「SLみなかみ」が5番線からそれぞれ発車する。SL列車の折り返しは8番線に到着する。
特急列車は、下りは2番線(あかぎ号・スワローあかぎ号は一部4番線)から、上りは7番線(一部8番線)から発車する。
臨時列車運転時やダイヤが乱れると発車ホームが変更される場合がある。
気動車のみ発車の3番線も電化されている。

新幹線:
新幹線は構内の東側、高架上にある2面4線の島式ホームを使用する。ホームは副本線上に設けられており、本線は通過線となっている。上越新幹線・北陸新幹線とも共通のホームを使用するが、基本的に北陸新幹線の下り列車は11番線から、上り列車は14番線から発車し、上越新幹線の下り列車は12番線から、上り列車は13番線から発車する。なお、北陸新幹線の通過列車の一部は本線ではなく14番線を通過する。14番線を通過する場合、可動式安全柵がないため列車は減速する。
北陸新幹線の施設上の分岐点は当駅から約4km北側で、下り線はこの分岐点まで上越新幹線の線路を走っている。一方、上り線は当駅構内まで北陸新幹線と上越新幹線の線路が別になっている。この下り線の分岐点には、純日本製で日本最大の「ノーズ可動式38番高速分岐器」が設置されており、分岐側(長野側)へは160km/hで、直線側(新潟側)へは240km/h以上での走行が可能である。なお、この分岐器の挿入工事には延べ3日を要し、その間は上越新幹線の部分運休が実施されその代替として上越線の当駅 - 越後湯沢間で「新幹線リレー号」が運転され上沼垂運転区(当時)所属の485系や長野総合車両所(当時)所属の489系、青森運転所(当時)所属の485系と583系などが使用された。
このように下り線だけ一部で線路を共用してその先に高速分岐器を配置しながら、上り線では高速分岐器を使用せずに線路を別にしているのは、線路の立体交差と関係している。北陸新幹線(長野経由)の上り線が上越新幹線の上り線に合流するためには最低でも上越新幹線の下り線をまたがなければならず、分岐点では実際に上越新幹線の上下線の上をまたぎこす立体交差になっている。立体交差をした後に、線路を接続できる同じ高さまで降りてくるためにはある程度の距離を必要とするため、この間が別線となり、そのまま駅構内へと接続することになる。また、双方からの列車がほぼ同時に進入してきた際にも分岐点の手前で待たせることなく、同時に駅構内へ入れることができるという利点もある。これに対して下り線側は上越新幹線と北陸新幹線が同時に駅を出発する必要性は薄い上に、他の線路をまたがずに分岐できることから、別線路を敷設する建設費を節約するために実際の分岐点まで線路を共用している。この間に加速した新幹線が分岐点通過に際して減速を強いられるのは不合理であることから、反位側でも160km/hの高速で通過可能なる38番ノーズ可動式分岐器を配置することになった。
ホームの屋根の一部にはソーラーパネルが設置されており、発電された電気は駅構内の照明、空調設備などに利用されている。
発車標はこちらも改札・ホームともLED式のものが使用され、コンコースにはLED式の先発列車の編成案内表示機もある。乗車案内表示機が11~14番線のすべての新幹線ホームに設置されている。14番線のものは先発列車のみ表示することができる。なお、下り11・12番線には、北陸新幹線金沢延伸開業に合わせて設置された。

新幹線のりば:
11・12番線 上越新幹線 下り 長岡・新潟方面
 北陸新幹線 下り 長野・富山・金沢方面
 上越・北陸新幹線 上り 大宮・上野・東京方面当駅始発
13・14番線
 上越・北陸新幹線 上り 大宮・上野・東京方面
新幹線ホームは全ホーム発車ベルが使用されている。
当駅で編成(とき号とたにがわ号)の増結を行なう列車がある。(上りに数本)

駅舎:
駅東西を結ぶ中央コンコースに面して改札が設置されており、改札内にはNEWDAYSなどの施設が、改札外には商業施設や観光案内所が入っており賑わいをみせている。
中央コンコース(シンフォニック・アヴェニュー)とは別に、その南側にも線路をまたぐ東西自由通路がある。
みどりの窓口(改札外3窓、在来線改札内1窓)・びゅうプラザ(みどりの窓口とは別のエリア)・自動券売機・指定席券売機が設置されている。平成18(2006)年度に自動体外式除細動器 (AED) が設置された。

200-2 上信電鉄
a0057057_22102726.png[a0057057_225294.png

a0057057_2282333.pnga0057057_226918.pnga0057057_227119.png

所在地:群馬県高崎市八島町235
所属・路線:上信電鉄株式会社・上信線

JR旧1番線ホームの南側に頭端式ホーム(0番線)と駅舎がある(上写真右側)。ここからは吉井・上州富岡・下仁田方面の列車が発着する。時間帯にもよるが、常時1名 - 5名の駅員が配置されている。以前は上信線の発着番線は9番線と呼ばれていたが、JRの番線新設にともない9番線から0番線に名称変更された。この0番線ホームおよび通路はJRの所有物であり、上信電鉄がJRと賃貸契約を結んでいる。
平成17(2005)年7月まではJRと改札口を共有していたが、連絡運輸の廃止によりJRと改札口は分離された。分離後は1番線の大部分を通路と改札に使っている。
平成24(2012)年3月までは中央コンコースから直接上信線ホームに降りる通路があった。だが当該通路のエスカレーターの老朽化や施設管轄の関係により、高崎駅西口駅前ターミナルに面して、上信線専用の出入り口が新設された。これに伴って、今までの通路は閉鎖された。
平成26(2014)年の富岡製糸場の世界遺産登録と軌を一にして高見沢サービス製の自動券売機が導入された。自動券売機で発券されるのは軟券乗車券であるが、窓口では硬券乗車券も発売されている。a0057057_2273321.png窓口では各種グッズや記念乗車券、記念入場券類の他、使用済み硬券および軟券古きっぷ、富岡製糸場往復割引乗車券や、一日全線フリー乗車券なども発売されている。
発車ベルとして用いられているのは、テレサ・テンの『美酒加珈琲』をアレンジしたメロディである。

のりば:
0番線 上信線 下仁田方面

高崎駅構内の施設:
当駅は東口・西口の双方にペデストリアンデッキが整備されており、それぞれのデッキ中央から駅構内への中央コンコースと、南側に東西自由通路(かつて改札が東西に分かれていたころの名残)がある。

中央コンコース
東西を結ぶ中央コンコースは「シンフォニック・アヴェニュー」と名付けられており、キオスクや駅弁販売店、NEW DAYSの店舗がある。
JR在来線の改札口はコンコースの中央部に存在し、新幹線改札口はコンコース東寄りにある。上信電鉄乗り場(0番線・JR改札外)へはかつてはコンコース西寄りから階段で分かれていたが、平成24(2012)年3月1日に西口ロータリーに出入り口が新設され、コンコースからの連絡階段は廃止された。0番線への通路は、かつての1番線の大部分が転用されており、そば屋とトイレがある。
JR改札口の向かい側には、群馬県観光案内所・高崎市観光案内所と高崎駅インフォメーションセンター、JR東日本お客さま相談室がある。

西口側
上越新幹線開業と同時にオープンした駅ビル「モントレー」があり、コンコース階のラジオ高崎のサテライトスタジオや各階に商業施設のほか、6階 - 10階にホテルメトロポリタン高崎がある。

東口側
東口側にはE’site(イーサイト)高崎が平成22(2010)年12月12日にオープンし、多数の店舗が入居している。

貨物取扱:
JR貨物の駅は現在、臨時車扱貨物の取扱駅となっており、定期貨物列車の設定はない。
かつては駅の南側にある日本製粉高崎工場(現・ニップン冷食高崎工場)へ続く専用線があり、穀物輸送などが行われていたが、平成6(1994)年3月ごろに廃止された。また、駅北側にあった日清製粉高崎工場(昭和63(1988)年6月閉鎖)への専用線もあり、鶴見線大川駅から穀物輸送が行われていたが、工場の閉鎖に伴い廃止された。なおニップン冷食の専用線は現在も残っており、列車内から見ることができる。

参考資料:Wikipedia「高崎駅」(2017年7月16日最終更新
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B4%8E%E9%A7%85
記事:
 取材:28.8.27/29.1.-5
 投稿:29.2.12
 調整:29.2.13./29.2.14/29.9.12/29.9.13

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by fbox12 | 2017-09-13 15:20 | 鉄道・バス

231 越後中里駅 (JR東日本)

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a0057057_2147595.pnga0057057_21485554.pnga0057057_22241887.png
えちごなかざと

所在地:新潟県南魚沼郡湯沢町大字土樽5135
所属・路線:東日本旅客鉄道・上越線
電報略号/事務官コード:サト/301207
キロ程:87.4km(高崎起点)

概要:
駅裏手の湯沢中里スキー場に直結している。

年表:
a0057057_12575682.png昭和6(1931)年9月1日 - 鐵道省上越線水上 - 越後湯澤間開通時に開業。一般駅。
昭和40(1965)年12月21日 - 東口開設。
昭和45(1970)年12月15日 - 貨物取扱廃止(旅客駅となる)。
昭和55(1980)年12月1日 - 二代目駅舎に改築。
昭和59(1984)年2月1日 - 荷物取扱廃止。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる。

駅構造:
a0057057_22173235.pnga0057057_21555067.png
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する地上駅。単式ホーム(1番線)に接して駅舎がある。2つのホームは跨線橋で連絡しており、その跨線橋から駅舎とは別に東口への通路が延びている(上写真右)。東口は湯沢中里スキー場の中心的施設・中里スキーセンター内に設けられている。
昭和55(1980)年築の駅舎はコンクリート平屋建て。内部には出札口・改札口のほか、観光案内所もあり、スキーシーズンにはリフト券の売場も設けられる。駅舎内部には簡易自動券売機が1台設置されているが、このほかはいずれもスキー場営業期間に合わせた季節営業となっている。越後湯沢駅管理の無人駅で、平成19(2007)年のスキーシーズンまでは臨時駅員が配置されていた。以前はホーム上に、立ち食いそば屋も有ったが、後に撤去された。
駅からは、スキー場の休憩施設として利用されている旧形客車(スハ43系)を見ることができる(下右写真)。

のりば:
a0057057_22033865.pnga0057057_1258127.png
1・2番線 上越線 下り 長岡方面(上写真左:列車が発車したのが1番線。右隣りが2番線)
3番線 上越線 上り 水上方面(上写真右:左写真、跨線橋の先)
2番線は当駅始発の越後湯沢・長岡方面の列車が使用する。
土樽・水上方面へは、定期の旅客列車が、平日は1日5本、土曜・休日は午前中の1本が加わって6本のみで、平日休日とも最終は18時発。

バス路線:中里駅角バス停(南越後観光バス)
 スキー場とは反対側の出口。駅出口から徒歩1 - 2分。

出典・参考:Wikipedia「越後中里駅」(2017年8月30日最終更新)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E5%BE%8C%E4%B8%AD%E9%87%8C%E9%A7%85
参考:「停車場一覧 日本国有鉄道編(昭和41年3月1日現在)」停車場一覧刊行会

現地取材:28.8.27
記事投稿:29.9.-9

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by fbox12 | 2017-09-09 17:03 | 鉄道・バス

141 土樽駅 (JR東日本)

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a0057057_2302231.pnga0057057_21504495.png
つちたる

所在地:新潟県南魚沼郡湯沢町大字土樽
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・上越線
電報略号/事務管コード:タル/301206

概要:

a0057057_22185848.pnga0057057_22504326.png
土樽の名前を持つが、旧土樽村の中心部は現在の越後中里駅付近に当たり、駅周辺に人家はない。付近にある東京発電の水力発電所・土樽発電所(7,000キロワット)は昭和49(1974)年に無人化されている。上り線ホームの横を関越自動車道が通っており、当駅の東に土樽パーキングエリアが置かれているが、駅周辺の一般道は関越自動車道の東隣に、中央線(センターライン)も引かれていない農道のような道があるのみ(ただし路線バスが通っている)で、そこから駅に入る枝線にも「土樽駅入り口」などの掲示さえなされていない。
当駅は、東京側から望むと、清水トンネルを出てすぐの位置にあり、川端康成の『雪国』でもトンネルを出た後はじめに汽車が停車する「信号場」として登場する。実際に作品の書かれた当時は信号場であったが、冬季にはスキー客の利用を見込んで仮乗降場扱いで客扱いをしていた。
上越線は当駅(正確には上り線の清水トンネル高崎側出口付近)から宮内駅(信越本線と接続)までが新潟支社管轄である。
かつて、上越線の敷設工事が行われた際は、この付近の難所(清水トンネル、松川ループ線)に備え、現在の当駅の近くまで湯沢から延長約16kmの軽便鉄道線が敷設されていた。

歴史:
a0057057_16592612.png昭和6(1931)年9月1日 - 鐵道省上越線 水上 - 越後湯沢間開通時に、土樽信号場として開業。
昭和8(1933)年12月8日 - スキー季節中に限り、旅客営業を開始。
昭和16(1941)年1月10日 - 駅に昇格、土樽駅となる。旅客駅。
昭和20(1945)年12月15日 - 貨物の取扱を開始(一般駅となる)。
昭和36(1961)年10月1日 - 貨物の取扱を廃止(旅客駅に戻る)。
昭和59(1984)年2月1日 - 荷物の取扱を廃止。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
駅構造:

a0057057_22115604.pnga0057057_2310165.png
丘陵地の東斜面に位置する地上駅。相対式ホーム2面2線を持つ。駅舎は上り線側にあり、両ホームは跨線橋で連絡している。越後湯沢駅管理の無人駅。
かつては、相対式ホーム(副本線)および通過線(本線)を持つ2面4線の構造であったが、平成20(2008)年6月3日から26日までホームの改築が行われた際に副本線が廃止となり、本線上にホームが設置された現在の構造となった。工事期間中は全列車が通過し、越後中里駅と当駅の間でバスやタクシーによる代行輸送が行われた。

のりば:

a0057057_21575110.pnga0057057_21450600.png
 駅舎側ホーム(上写真右) 上越線 上り 水上・高崎方面
 反対側ホーム(上写真左) 上越線 下り 越後湯沢・小出・長岡方面
 ※案内上の番線番号は設定されていない。

バス路線:
徒歩数分で南越後観光バス「蓬橋」停留所があり、越後湯沢駅までのバスが1日数本出ている。
「土樽」バス停もあるが、駅からは1km近く離れている。
バスで群馬県方面へ行くことはできない。


出典・参考:Wikipedia「土樽駅」(2016年9月12日最終更新)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%A8%BD%E9%A7%85
参考:「停車場一覧 日本国有鉄道編(昭和41年3月1日現在)」停車場一覧刊行会

現地取材:19.8.14/28.8.27
記事投稿:29.9.-8
  調整:29.9.-9

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by fbox12 | 2017-09-09 13:59 | 鉄道・バス

230 土合駅 (JR東日本)

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どあい

a0057057_21313356.pnga0057057_20241976.png







所在地:群馬県利根郡みなかみ町湯檜曽218-2
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・上越線
キロ程:69.3km(高崎起点)
電報略号/事務管コード:トイ/301204

概要:
a0057057_11345311.png群馬県内の普通鉄道の駅としては最北端に位置する。当駅までが高崎支社管轄であり、上り線の清水トンネルの出口付近に新潟支社との境界が設置されている。ただし、定期の普通列車は全列車新潟支社の車両が乗り入れており、隣の湯檜曽駅とともに、高崎支社は施設管理のみの担当となっている。
下りホームは新清水トンネル内にあり、駅舎(地上)からは10分ほど階段を下りないと到達できない、「日本一のモグラ駅」として親しまれている。「関東の駅百選」認定駅の1つ。

年表:
昭和6(1931)年9月1日 - 上越線水上 - 越後湯澤間開通と共に信号場として開設。
昭和7(1932)年12月17日 - スキー季節中に限り、旅客営業を開始。
昭和11(1936)年12月19日 - 駅に昇格。
昭和42(1967)年9月28日 - 新清水トンネル開通により、湯檜曽 - 土樽間複線化。同トンネル内の下りホームを運用開始。
昭和60(1985)年3月14日 - 無人化。その後、特別改札で1990年代中頃まで駅業務を継続。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道が継承。
平成10(1998)年8月29日 - 集中豪雨による土砂崩れで、上り線構内が被災。復旧作業のため約1か月にわたり、水上 - 土樽間で下り線を使用した単線運行実施。
平成12(2000)年 - 関東の駅百選に認定される。

駅構造:
山間部にあり、上り線が地上駅、下り線が地下駅となっている。平常時は無人駅で常駐する駅員はいない。ただし後述する臨時列車の運転時には、管理駅の水上駅から駅員が派遣されて臨時窓口が設けられる。駅舎内には待合室、自動販売機、トイレなどがある。
当駅最大の特徴は、上下のホーム間が大きく離れていることである。これは、上越線の複線化の際に下りホームを地下70mの新清水トンネル内に設置したことによるもので、駅舎と上りホームのある地上と下りホームの高さは81mもの高低差がある。下りホームから駅舎に行くには、ほぼ一直線に伸びる462段の階段(長さ338m)を上り、143mの連絡通路、さらに24段の階段を上る必要がある。改札口から下りホームまでは徒歩10分程度を要するため、駅員が配置されていた時代には、下り列車については改札が発車10分前に打切られ、市販の時刻表にもその旨が記載されていた。階段の中間部付近にはベンチが設置されている。エスカレーターの設置スペースが確保されている(タイトル写真右側部分)が、エスカレーターが設置される予定はない。
a0057057_11524263.pnga0057057_11565632.png
下りホームは単式1面1線の構造である。かつては、通過線(本線)と副本線が設けられ、副本線にホームが設置されていた(上左写真、駅名標の後ろ側)が、平成20(2008)年5月から10月にかけてホーム改良工事が行われて、ホームが副本線から本線へ移された。上記の通り地下深いトンネル内にあるため、季節に関わらずほぼ気温は一定である。ホーム上には、待合室の他、トイレが設置されている。本線側の側壁には作業員退避用の空間が設置されている。プラットホームの照明は夜中でも点灯したまま(連絡通路と階段は消灯)になっており、深夜帯に通過する夜行列車の車内から駅通過の模様を確認できる。
上りホームは単式1面1線で、駅舎に面する地上部にある(上右写真)。かつては島式ホーム+上り方側線の3線だった(注、3線が同時に存在していたかは不明)が、複線化の際に旧下りホームは待避線となり、優等列車の通過待ちに使われた。後に、旧下り線の線路を剥がして1面1線にしている(写真の様に、ホームの無い通過線は現在でも残っているが、架線は張られてなく、分岐器の有無も不明)。平成10(1998)年の土砂崩れによってホームの一部が破壊され、以後は駅舎に近い部分のホームしか使われていない。
下りホームは嵩上げ工事が行われたが、上りホームに関しては嵩上げ工事が行われていなかったため、列車とホームの間に段差があったが、平成29(2017)年6月、上りホームについても嵩上げ工事が行われ、列車とホームの間の段差は解消された。

登山者による火気使用:
JR東日本は当駅待合室内で寝泊まり(STB)をする登山客らがガスバーナーなどを持ち込んで食事の調理を行うなど、禁止にもかかわらず火気が使用される事例が後を絶たず、火災発生の危険があるため平成28(2016)年4月、待合室を閉鎖した。使用再開の予定はないため、事実上の廃止と云える。無人駅となった後、火気厳禁の張り紙を行いJR職員や警察が見回りをして保安対策を行っていたが、状況が改善されなかったという。年間約二百人前後が当駅で寝泊まりしていると見られ、待合室以外の駅構内に宿泊する登山客らもいることから、なおも火災等保安上の問題が発生する懸念があるため、JR職員や警察が引き続き巡回し、状況が改善されない場合には新たな安全対策を検討する。

のりば:
1番線(地下ホーム) 上越線 下り 越後湯沢・長岡方面
2番線(地上ホーム) 上越線 上り 水上方面
※実際には、それぞれを「下りホーム、上りホーム」と呼び、案内上ののりば番号は設定されていない。

バス路線:
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土合駅前バス停(運行会社:関越交通) 
バスで新潟県方面へ行くことはできない。

谷川岳ロープウェイ駅行き
ゆびそ温泉・湯檜曽駅前・水上駅経由上毛高原駅

出典・参考:Wikipedia「土合駅」(2017年8月20日最終更新)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%90%88%E9%A7%85

現地取材:28.8.27
記事投稿:29.9.-6
  調整:29.9.-7

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by fbox12 | 2017-09-08 21:11 | 鉄道・バス

229 湯檜曽駅 (JR東日本)

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a0057057_22132654.pnga0057057_22202251.png

ゆびそ




所在地:群馬県利根郡みなかみ町湯檜曽18-2
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・上越線
キロ程:62.7km(高崎起点)
電報略号/事務管コード:ユヒ/301203
営業形態:無人駅



年表:
昭和6(1931)年9月1日 - 上越線水上 - 越後湯沢間開通と共に開業。当時の駅は現在より北の高台、ループ線の入口手前にあった。
昭和24(1949)年12月20日 - 現駅舎付近に大穴仮乗降場新設。冬季スキー客向けに12月20日 - 3月10日の営業。
昭和38(1963)年3月10日 - 上越線複線化工事に伴う当駅の移転のため、大穴仮乗降場の営業を本シーズンをもって終了。
 12月5日 - 現駅舎付近に新湯檜曽信号場新設。
昭和42(1967)年7月 - 旧駅舎竣工。
 9月28日 - 新清水トンネル開通により、当駅 - 土樽間複線化。これに伴い現在地に駅を移転新築、同トンネル内の下りホームを湯檜曽駅として供用開始(下写真)。旧駅は北湯檜曽信号場となる。
昭和59(1984)年11月8日 - 北湯檜曽信号場廃止。
昭和60(1985)年3月14日 - 無人化。その後、特別改札で駅業務を継続。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、JR東日本に継承。
平成10(1998)年8月29日 - 集中豪雨による土砂崩れで上り線構内が被災。復旧作業のため約1ヶ月に渡り、水上 - 土樽間で下り線を使用した単線運行実施。
平成15(2003)年12月1日 - 管理駅である水上駅からの駅員派遣廃止、完全無人化。
平成21(2009)年10月 - 旧駅舎解体。
平成22(2010)年1月 - 新駅舎供用開始。

駅構造:

a0057057_22291551.pnga0057057_22280698.png







上:下り側ホーム
下:上り側ホーム
a0057057_22313473.pnga0057057_22322417.png
地上駅であるが、ホームは上下線で別であり、下りホームは新清水トンネルの中(入口)に設けられている。上りホームは駅舎より一段高い築堤上にある単式ホーム1面1線で、駅舎とは階段で連絡している。上りホームからは北側にはループ線の一部が望めるほか、高崎方先端付近が新清水トンネルの入口と並んでいる。下りホームは、トンネルに入ってすぐの場所にある単式1面1線で、高崎方先端付近ではトンネルの入口から外光が入る。駅舎とは上り線の築堤をくぐる地下通路で連絡しており、階段はない。

a0057057_22351678.pnga0057057_22360551.png
水上駅管理の無人駅。旧駅舎は平成21(2009)年10月に解体撤去され、現在の駅舎は上写真の様な打放しコンクリートで男女別洋式トイレつきのシンプルな駅舎となっている。旧駅舎はスキー場のロッジのようなデザインの規模の大きなもので、かつての賑わいぶりがしのばれるものだった。旧駅舎内には、高い天井にシャンデリア風の蛍光灯照明がある広いコンコースやコインロッカー・出札窓口・手小荷物窓口・待合室・トイレ(金隠しなしの和式)などがあった。無人化されて久しく、末期には待合室は閉鎖されたままになっているなど廃屋のような様相を呈していた。温泉地の最寄り駅らしく、改札口の上部には周辺の旅館の案内書きが掲出されていた。
なお、旧駅は上記の通りループ線の入口手前の、高さ50mほどの急斜面に張りつくような形で設けられており、駅前広場と急斜面の中腹にある駅舎は上屋つきの狭く長い階段で連絡していた。駅舎からは地中の階段を通って列車交換施設を持つ1面2線のホームに上がる構造になっており、またこの階段は現在も保線作業用の通路として利用されている。なおごく短期間だが、ホームと駅舎の連絡に跨線橋とエレベーターを用いていた時期もあった。

のりば:
地上ホーム 上越線 上り 水上行
地下(トンネル内)ホーム 上越線 下り 越後湯沢・長岡方面
※案内上ののりば番号は設定されていない。


バス路線:
a0057057_22343392.png運行会社:関越交通
ゆびそ温泉・土合駅前経由 谷川岳ロープウェイ駅行き
水上駅・上牧駅前経由 上毛高原駅行き
粟沢行き(1日1本)

出典・参考:Wikipedia「湯檜曽駅」(2017年5月2日最終更新)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E6%AA%9C%E6%9B%BD%E9%A7%85

現地取材:28.8.27
記事投稿:29.9.-2
  調整:29.9.-3/29.9.-6

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by fbox12 | 2017-09-06 09:49 | 鉄道・バス

228 三河塩津駅 (JR東海)

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a0057057_23084424.pnga0057057_23453036.pnga0057057_23510988.pngみかわしおつ







所在地:愛知県蒲郡市竹谷町油井40-5
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道本線
電報略号:ミツ
キロ程:312.9km(東京起点)
乗換:蒲郡競艇場前駅(名鉄蒲郡線)
営業形態:業務委託駅(夜間無人駅)

概要:
当駅は蒲郡競艇場の利用客を見込んでJR化後に開業した駅である。名古屋鉄道(名鉄)蒲郡線の蒲郡競艇場前駅が隣接しており、乗り換えが可能である。これまで、当駅が開業する前まで、豊橋方面から蒲郡競艇場へ向かう場合は蒲郡駅で名鉄蒲郡線に乗り換えなければならなかったが、開業によって乗り換えなしで向かえるようになった。しかし、当駅の開業のあおりなどもあり、名鉄蒲郡線の蒲郡競艇場前駅の利用客は減少している。なお、同線には昭和43(1968)年9月30日まで「塩津駅」があった(後に蒲郡競艇場前駅として統合)。停車列車は、普通列車と区間快速である。日中は上下線とも毎時2本の停車本数となる。平成20(2008)年3月の横断歩道橋設置に伴い駅の東側にあった油井踏切は廃止され、三河三谷 - 当駅間の踏切はすべて廃止された。

歴史:
昭和63(1988)年11月16日 - 東海旅客鉄道(JR東海)により、東海道本線蒲郡 - 三ヶ根間に新設開業。
平成18(2006)年1月25日 - TOICA導入。

駅構造:
相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を備える。蒲郡競艇場前駅への階段が橋上駅舎からつながっている。東海交通事業が業務を受託する業務委託駅で、蒲郡駅が当駅を管理している。早朝と深夜は無人となる。蒲郡競艇場の開催日は窓口業務が延長される。駅舎内にはみどりの窓口や自動券売機(TOICA等ICカード対応)1台、簡易型自動改札機(TOICA対応)が設置されている。

のりば:
1番線東海道本線 下り 岡崎・名古屋方面
2番線東海道本線 上り 豊橋・浜松方面
蒲郡駅方の高架化の際に線路が若干移動した関係で、1番線の階段付近はホームが少し狭くなっている。

出典:Wikioedia「三河塩津駅」(2017年7月14日 最終更新)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E5%A1%A9%E6%B4%A5%E9%A7%85

現地取材:29.8.27
記事投稿:29.8.30

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by fbox12 | 2017-08-30 23:29 | 鉄道・バス

227 波子駅(JR西日本)

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a0057057_22424769.pnga0057057_22364716.pngはし

所在地:島根県江津市波子町850
所属・路線:西日本旅客鉄道株式会社・山陰本線
電報略号/事務管コード:ハシ/640761
キロ程:463.3km(京都起点)
営業形態:簡易委託駅

歴史:
大正10(1921)年9月1日 -鐵道省山陰本線の都野津驛 - 浜田驛間延伸時に開業。客貨取扱を開始。
昭和48(1973)年6月15日 - 貨物取扱廃止。
昭和60(1985)年3月14日 - 無人駅となる。
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。平成2(1990)年3月10日 - 無人駅になる。
平成12(2000)年 - しまね海洋館アクアス開業により、簡易委託駅員を配置および特急停車駅となる。

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駅構造:
島式1面2線のホームを持ち、行き違い設備を有する地上駅。海側の益田寄りに駅舎があり、ホームへは構内踏切で結ばれていて跨線橋はない。浜田鉄道部が管理する駅。かつては近隣の多くの駅と同様に完全な無人ローカル駅となっていたが、平成12(2000)年のしまね海洋館アクアスの開業に伴って改装し、週代わり交代制の簡易委託駅として有人駅化され、特急や快速も止まる需要のある駅となった。窓口は駅舎を抜けて構内踏切へ通じる通路に入る手前にあり、車掌が常備しているタイプの携帯型車内券発行機にて乗車券類(上のとおり、入場券も発行可)を発売、またアクアスの入場券を購入することもできる。

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のりば:
1番のりば 山陰本線 上り 出雲市・松江方面(写真左)
2番のりば 山陰本線 下り 浜田・益田方面(写真右)
※平成29(2017)年3月時点で駅掲示時刻表にのりば番号が表記されており、列車運転指令上の番線番号同様に駅舎側(上り)を1番のりばとしている。

その他:
昭和50年代後半に2、3回広島駅 - 波子駅間(車両回送を含めると浜田駅まで)に芸備線・三江線・山陰本線経由で「波子ビーチ」号という臨時快速列車が運転された。広島運転区のキハ58系2両を使用していた。

参考資料:Wikipedia「波子駅」(2017年3月10日最終更新)
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E5%AD%90%E9%A7%85
停車場一覧(日本国有鉄道編 昭和41年3月1日現在)(停車場一覧刊行会)

現地取材:28.9.-7
記事投稿:29.8.23

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by fbox12 | 2017-08-23 23:05 | 鉄道・バス

B001 しずてつジャストライン ← 静岡鉄道(静鉄バス)

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a0057057_21445864.pngしずてつジャストライン株式会社(←静岡鉄道株式会社← )

本社所在地:静岡県静岡市葵区宮前町28番地
沿革:
平成14(2002)年10月1日 - 静岡鉄道のバス事業すべてを譲り受け発足(当時の本社事務所所在地:静岡市葵区鷹匠一丁目14番10号 静鉄5号館)。

歴史:
創業期
平成20(2008)年現在の静鉄バスの営業エリアにおけるバス事業は、明治39(1906)年に靜岡と江尻(清水)を結ぶ東海自動車(伊東市の東海自動車とは別会社)によるものが端緒である。しかし、この路線は明治41(1908)年に大日本軌道による鷹匠町と江尻新道を結ぶ軌道線が開通すると廃業となった(現在の静岡市に於ける市内交通は現在の静岡鉄道静岡清水線に引き継いでいる)。このほか、大正4(1915)年から同9((1920)年にかけて、靜岡・清水・藤枝・菊川などで小規模なバス事業が開始されている。靜岡市内で宮寺商会が開業した大正11(1922)年頃からは利用者も増加、大正15/昭和元(1926)年までに数社が靜岡市内で設立されたほか、藤枝・焼津・榛原地区でもバス事業が開始されている。しかし、これらの路線バスは鉄道との競合となった。大正8(1919)年に大日本軌道から軌道事業を引き継いだ駿遠電氣大正12(1923)年に社名を靜岡電氣鐵道と改め、靜岡市内・清水市内線や袋井と森を結ぶ秋葉線を開業するなど、鉄道事業を拡大していたが、それらの路線に並行する形で路線バスが運行されたため、鉄道からバスへの乗客の転移もみられた。自社鉄道防衛の見地からバス事業に進出しようとしたが、既に既存路線がある場合は運行の許可を得ることは出来なかった。このため、靜岡電氣鐵道では秋葉線の培養としてタクシーの営業を開始した後、昭和3(1928)年に袋井と可睡を結ぶ季節運行のバス路線を開設した。これが静鉄バスの直接のルーツとなる路線である。その後、昭和4(1929)年に宮寺自動車商会と森久自動車商会を買収し、靜岡・清水近辺のバス路線を自社路線としたことで、本格的にバス事業に参入した。一方、当時藤枝と相良を結んでいた藤相鐵道も、自社鉄道線擁護のためバス事業を開始することになり、大正13(1924)年に藤枝自動車商会を買収したほか、袋井と横須賀を結んだ中遠鐵道も同様の理由でバス事業に参入し、袋井と池新田を結ぶ路線バスの運行を開始した。

自主統合から戦時統合へ:
この時期、小規模なバス事業者同士の競合による疲弊が顕在化し、事業者の経営を圧迫したため、次第に有力事業者への統合が進むことになる。靜岡電氣鐵道は昭和7(1932)年に西駿自動車商会を買収したのを皮切りに、沿線の各事業者の買収を進めた。秋葉線と競合していた秋葉自動車商会も昭和10(1935)年に買収されている。藤相鐵道も昭和3(1928)年に川崎町の栄輪社を買収したのを初めとして、昭和10(1935)年までに沿線のバス事業者を買収し、自社のバス事業の拡張を行った。一方で、路線の新設も行われた。静岡電氣鐵道は昭和5(1930)年には靜清國道の開通を受けて路線を開設、その後山間部への路線も新設したほか、観光路線として日本平線の運行も開始した。藤相鐵道も同様に事業を拡大していったが、岡部と藤枝を結ぶ路線の新設時には両社競願となったため、最終的には銀行の仲介で、昭和10(1935)年に共同出資の駿遠自動車を設立して運行を行っている。静岡市内では昭和10(1935)年に靜岡自動車が営業を開始し、靜岡市内線を中心に運行を行ったが、昭和11(1936)年に靜岡市会でバス事業の市営化が提言されたのを受け、靜岡市は靜岡自動車の買収を図った。これに対して、靜岡自動車では将来性のある藁科線を靜岡交通自動車(設立当初は靜岡遊覧運輸)として分社化した。しかし、折りしも戦時体制に突入したことから市営バス化の論議は低調となり、昭和12(1937)年に駿遠自動車が靜岡自動車を買収することになり、同社は靜岡乗合自動車と改称した。戦時体制に入ると、各社とも不要不急路線の休止が行われるようになり、昭和16(1941)年には鉄道並行路線も休止されるようになった。同年、靜岡電氣鐵道の社長に五島慶太が着任したが、五島は陸上交通事業調整法の主旨に基づき静岡県中央部の交通を統制すべく、バス事業者の統合に向けて合併交渉に回るようになった。統合そのものは戦時下の国策でもあることから合併交渉は進み、昭和18(1943)年5月に靜岡電気氣鐵道を主体として、藤相鐵道・中遠鐵道・靜岡乗合自動車・靜岡交通自動車が合併、社名も靜岡鐵道に変更した。その後、バス専業事業者6社を昭和19(1944)年1月までに合併、静岡県中央部のバス事業は大井川鐵道の営業エリアが一部に残る以外は靜岡鐵道に統一されたのである。しかし、合併後の社内組織の整理の前に靜岡市内に空襲などが続き、靜岡鐵道は大きな被害を受けた。終戦の時点で稼動可能なのは電車7台とバス20台強という有様で終戦を迎えることになる。
戦後から高度成長期まで終戦後まもなく社長に就任した川井健太郎は、まず社内組織をまとめることから着手し、復興の基礎作りを優先した。郊外の営業所の車両を靜岡市内に集めて靜岡市内路線の運行を再開、昭和21(1946)年からは新車のみならず米軍払い下げの車両などを導入することで、輸送力の復旧に尽力した。昭和23(1948)年以降は増資のうえ新車の導入を拡大し、昭和24(1949)年までには路線・車両ともほぼ合併当時の状況へ復旧を果たした。昭和25(1950)年には静岡と相良を結ぶ直行便の運行を開始、既存路線の増強を行った。同年からは行楽客の増加傾向がみられたため、久能山と三保をめぐる定期観光バスの運行を開始した。この頃から、静岡市の都市圏の拡大とともに周辺部の人口が急増したため、静岡市の郊外へ向かう路線の増強に着手した。また、長距離路線の展開もこの頃から始まり、昭和29(1954)年には山梨交通との相互乗り入れにより静岡と甲府を結ぶ急行バスの運行を開始した。さらに昭和31(1956)年には富士山麓電気鉄道との相互乗り入れで静岡と沼津を結ぶ路線を開設、さらに昭和38(1963)年には遠州鉄道・大井川鉄道との相互乗り入れにより静岡浜松線の運行を開始した。この時期まで、静岡市内でのバス運行拠点は静岡駅であったが、昭和29(1954)年から駅前広場改修工事が開始されると手狭になった上、鷹匠町の鉄道駅を新静岡駅として大改良することになったため、新たに新静岡をバス運行拠点とすることになり、昭和31(1956)年に新静岡バスセンター(当時)の営業を開始し、静岡駅前は路上バス停となった。昭和32(1957)年には静岡国体が開催されたが、静鉄バスでは136台という当時としては大規模な車両増備を行い、国体輸送を完遂した。この頃、静岡市では再び市営バス事業を画策、昭和31(1956)年に4路線の免許申請を行った。これは静鉄バスの空白地帯への路線ではあったが、静鉄バスでも同様の申請を行っていたことから競願となった。戦前に引き続き市営バスの運行が計画されたのは、この時の市長が戦時中に合併した5社のうちの1社で経営者を務めており、バス事業への意欲が強かったためとされている。昭和34(1957)年までに公聴会も行われたが、静岡市の計画にやや無理があったこと、静岡国体の輸送を完遂した実績から、昭和33(1958)年に静岡市の申請は全て却下された。モータリゼーションと高速道路時代一方、鉄軌道部門では市内線やローカル路線はモータリゼーションの進展と共にその存在意義が薄れてゆくことになった。昭和37(1962)年9月には静岡市内線と秋葉線が、昭和39(1964)年から昭和45(1970)年にかけては駿遠線が段階的に廃止された。いずれの路線も廃止後は静鉄バスが代替輸送を行うことになった。静鉄バス自身もモータリゼーションの影響で利用者の増加が鈍化しつつあり、一方で経費の上昇が続いたことから、合理化が必要となった。このため、まずワンマン化を開始することになり、昭和37(1962)年11月から静岡市内の路線でワンマンバスの運行が開始された。昭和42(1967)年からは前年に開発された整理券方式の採用により、郊外線でもワンマン化が進められることになり、さらに昭和50(1975)年には後方監視用カメラの採用に伴い誘導員なしでもバスを後退させることが可能になったため、昭和61(1986)年までにワンマン化はほぼ終了となった。昭和41(1966)年には新静岡バスセンターがターミナルビルの建設と同時に全面改良されることになり、昭和45(1970)年に完成、路線バスは全て新静岡を起終点とすることになった。一方、昭和39(1964)年に東海道新幹線が開業すると、観光客の増加が見られるようになったため、日本平パークウェイを経由して静岡駅と日本平を直行する路線を開設、また御前崎への定期観光バスの運行もしょう昭和43(1968)年に開始した。さらに昭和44(1969)年に東名高速道路が開通すると、高速道路を経由する路線バスも運行されるようになった。静鉄バスでは沿線事業者として東名急行バスに出資したほか、昭和44(1969)年には静岡浜松線を東名高速道路経由に変更、昭和45(1970)年には静岡沼津線と静岡御前崎線も東名高速道路経由に変更した。また、観光客の増加と高速道路の開通によって貸切バス需要が大幅に増加した上、昭和45(1970)年には大阪で万国博覧会が開催されたため、貸切バス部門は大きく収益を伸ばした。営業力の強化のため、昭和44(1969)年には静岡観光バスを設立している。利用者減とバス事業再編、高速バスの再開と拡大昭和45(1970)年以降は、バス利用者は日本全国的に減少傾向となり、バス事業者の経営を圧迫していった。静鉄バスも例外ではなかったが、静岡・清水の都市機能が拡大していたことから、大幅な利用者減はみられず、むしろ路線の増強も行われていた。この頃から、サービス面についても充実を図る傾向となった。昭和50(1975)年には清水市内線(路面電車)が廃止になったが、代替路線ではバス優先レーンの整備が行われた。また、静岡市内のバス停で電照式のバス停ポールと上屋の設置を進めたほか、昭和52(1977)年からはバス車両の冷房化が開始された。冷房化については車両改造も含めて順次進められたが、静鉄バスの当時の車両使用年数が長い(約18年)ことから、完全冷房化は平成5(1993)年までずれ込むことになる。また、イメージチェンジを図り、昭和55(1980)年より路線バス車両をアイボリー地に赤帯の塗装デザインに変更した。昭和58(1983)年には静岡駅前広場が整備され、駅前バスターミナルも整備されたことから、再び静岡市内での経路変更が行われ、全路線が静岡駅と新静岡を経由するようになったほか、市内線は静岡駅・新静岡を途中停留所とする路線体系に変更された。昭和62(1987)年にはバスロケーションシステムを導入、さらに、一部路線で都市新バスシステムが導入された。平成2(1990)年にはバス停留所近くに駐輪場を設置する「サイクル&バスライド」を導入した他、平成6(1994)年には鉄道との共通プリペイド式磁気乗車カードとしてパサールカードを導入した。貸切バスについては、平成2(1990)年に営業形態の異なる中小型バスについては静鉄小型バスとして分離したほか、昭和56(1981)年より傘下に入っていた清水交通と静岡観光バスを平成12(2000)年に合併し、しずてつジョイステップバスを設立し、静鉄小型バスが、しずてつジョイステップバスを吸収合併し、静鉄ジョイステップバスになった。一方、長距離路線は順次縮小された。静岡甲府線は山梨交通が撤退したあとも運行が続けられ、昭和63(1988)年にはNHK大河ドラマ「武田信玄」放送にあわせて増発もされたが、平成2(1990)年に休止となった。高速道路経由の東名静岡浜松線も平成6(1994)年に廃止され、このあとしばらくは御前崎方面以外の高速バス展開は途絶えることになる。また、ローカル路線対策として、末端区間を貸切代替バスへ切り替える方策を採ったほか、昭和63(1988)年に掛川地区での大井川鉄道バスの撤退の受け皿として掛川バスサービスを設立した。平成8(1996)年には秋葉地区の静鉄バス路線を秋葉バスサービスとして分社化している。さらに、平成14(2002)年からはバス事業全てを分離し、しずてつジャストラインとして独立させ、観光バスについては、順次、静鉄ジョイステップバスにほぼ全て移行してゆくことになったが、定期観光線として、一部残っている。平成17(2005)年からは中部国際空港へのリムジンバス運行によって長距離高速バス運行を再開(同路線は平成24(2012)年3月末日で休止)、さらに平成19(2007)年からは東京へ直行する高速バス路線の運行を開始した。同年に新宿への路線も開設されているほか、平成20(2008)年からは成田国際空港へのリムジンバス運行も開始している。平成23(2011)年には、京都・大阪への夜行高速バス路線を開設した。また10月11日には、平成21(2009)年4月1日から行われていた新静岡再開発事業の竣工による「新静岡セノバ」のオープンに伴い、新静岡バスターミナルの供用を2年半ぶりに再開した。

営業所:
路線バスおよび受託自主運行バスは、静岡市(清水区のうち、旧由比町・旧蒲原町の町域を除く)、焼津市、藤枝市、島田市、牧之原市、御前崎市、菊川市、掛川市、榛原郡吉田町の8市1町で運行している。

現行営業所
中扉の横(トップドア車は前扉の後ろ)・車両後部に、その車両の所属営業所を示す動物などのステッカーがペットマークとして貼られている(主に遺失物対策。同様の取り組みは仙台市営バスなどに見られる)。浜岡営業所の所属車両は浜松ナンバー、それ以外の所属車両は静岡ナンバーとなっている。

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西久保営業所(静岡市清水区高橋町2187-6)パルちゃん
鳥坂営業所(静岡市清水区鳥坂1292)ウサギ(タイトル写真)
小鹿営業所(静岡市駿河区小鹿二丁目25-27)シカ(右写真)
唐瀬営業所(静岡市葵区岳美12-57)コアラ
丸子営業所(静岡市駿河区丸子四丁目2-60)キリン(タイトル下右写真)
岡部営業所(藤枝市岡部町内谷700-1)サル
相良営業所(牧之原市波津二丁目1)カモメ
浜岡営業所(御前崎市池新田3961-6)アカウミガメ


廃止された営業所:
折戸営業所 - 西久保営業所に整理統合。現在は折戸車庫となっており、しみずライナーの始発・終着地となっている。
国吉田営業所 - 静岡鉄道時代に廃止。現在は富士ロジテック(倉庫業)が土地・建物を管理し、日本年金機構静岡事務センターなどが入居している。
藤枝営業所 - 静岡鉄道駿遠線の大手駅を営業所に転用したもの。平成18(2006)年に岡部営業所として移転、後述の焼津営業所と統合された。跡地には静岡銀行藤枝支店・戸田書店藤枝東店が建つ。ペットマークは象だった。
焼津営業所 - 平成18(2006)年に岡部営業所に統合。現在は岡部営業所の車庫として使用中。ペットマークは地元名産の鰹だった。
榛原営業所 - 現在は相良営業所の車庫となっており、案内所としても使用されている(静波海岸入口・榛原バスターミナル)。
島田営業所 - 静岡鉄道時代に廃止。現在はしずてつストア島田店ほかが建つ。
菊川営業所 - 静岡鉄道時代に廃止。
掛川営業所 - 観光部門を残し(掛川観光営業所→静鉄ジョイステップバス掛川営業所)、路線バスは掛川バスサービスに移管。
袋井営業所 - 浜岡営業所に統合。現在は秋葉バスサービスの車庫になっている。

出典・参考:Wikipedia「しずてつジャストライン」(2017年7月2日最終更新)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%9A%E3%81%A6%E3%81%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3

写真:いずれも 15.8.31(静岡鉄道の頃)撮影(順次追加予定)

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by fbox12 | 2017-08-22 16:41 | 鉄道・バス