fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

第參 頼朝宮(源頼朝の祠) 静岡県三島市鎮座

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a0057057_9214596.jpgよりともぐう

鎮座地:静岡県三島市松本
祭神:

由緒書き:
(祠の左側の碑原文のまま、ただし西暦年号などは算用数字で表記)。

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宗徳院参道脇にある祠は頼朝が足痛除の符を出し参詣者は草鞋を供えて祈願する
宗徳院(延喜年間901年創建)天正三(1575)年再興の本堂には正二位源頼朝公木像が安置されている

a0057057_9223987.jpg頼朝駒爪の橋

参道入口の小川にかけられたる石橋の中央に馬蹄形の径十五センチほどのくぼみあり
これ頼朝当山本尊に日参の折り乗馬ひざまずきて倒れたる跡なりと伝えしも昭和初年頃
石橋の修理の為下石となり更に平成八年境川改修事業によって今は見るを得ず

平成十二年秋季彼岸
宗徳院廿七世心戒季晟 代

a0057057_10215781.png由緒書きにあるように境川(古くは伊豆と駿河の國境の川、現在でも三島市と駿東郡清水町の境)の河川改修に際し、頼朝が祈願をした小さな祠を曹洞宗龍泰山宗徳院によって頼朝宮として整備されたもの。
(注、上写真宗徳院本堂は川の西側にあるが、上記河川改修前は本堂の裏手を川が流れていた)。

その境川には、鱒の様な魚が・・(上流に養鱒場がある)。

a0057057_927982.jpg寺入口の境内社

a0057057_20333338.png龍泰山宗徳院沿革概要:

所在地:静岡県三島市松本414
宗派:曹洞宗(古くは眞言宗)
本尊:延命地蔵菩薩

創立
延暦年間(801〜802年)僧空海(弘法大師)に依り創建
其後正二位源頼朝公永暦元(1160)年三月伊豆国に流島され治承四(1180)年八月伊豆に挙兵同年十月鎌倉に入るまで百日間三島大社と共に此の寺の本尊延命地蔵菩薩を旗揚げの祈願佛として日夜詣でたり
其後天正初期(1573〜1592)甲斐武田の家臣道景道吉二人当地○れ土地の開拓事業に専念しも○○の急を知り当寺境内に於て相自刃せるを同年三月韮山村南條昌渓院第六世麒庵東鱗大和尚禅師を請し両人の菩提を弔うため荒廃せる堂宇を再興し開山禅師となり寺を曹洞宗と改む
文化十一(1814)年八月十五日火災により寺宝古文書過去帳等全焼せるも不思議にも本尊の延命地蔵菩薩は難を逃れ今も現存す
文政六(1823)年四月本堂再建(以下略:一部、環境依存文字のため表示不可)

御詠歌:
 のちの世の深き恵みをいまここに
 まつもと寺ときくぞうれしき

a0057057_15513297.pngこの神社最寄の駅・バス停留所:
東海バスオレンジシャトル 三島駅-新城橋-大平車庫
 宗徳院戸田入口

現地参拝:60.8.15他
記事投稿:17.11.11
  調整:29.9.21

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# by fbox12 | 2017-10-22 01:22 | 神社

第壱 伊豆山神社 静岡県熱海市鎮座

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a0057057_1782159.pnga0057057_1872218.png
a0057057_16322868.pngいずさんじんじゃ

鎮座地:静岡県熱海市伊豆山上野地708番地1
祭神:
 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
 拷幡千千姫尊
 瓊瓊杵尊
社格等:旧国幣小社、神社本庁別表神社
社殿:


a0057057_16141420.png概要:
全国各地に点在する伊豆山神社や伊豆神社(いずじんじゃ)、走湯神社(そうとうじんじゃ、はしりゆじんじゃ)などの起源となった事実上の総本社格の社である。

当社は明治以前においては久しく神仏習合の社であって、富士開山の僧である末代上人や、修験道の始祖とされる役小角、空海(弘法大師)など多くの山嶽仏教徒や修験者が修行を積んだ霊場であった。後白河法皇勅撰の「梁塵秘抄」には「四方の霊験者は伊豆の走湯、信濃の戸穏、駿河の富士山、伯耆の大山」と記されている。
a0057057_1805755.pnga0057057_22005597.png明治維新の神仏分離令により寺を分離して伊豆山神社と称するまでは、天台宗や真言宗と関わりの深い神仏習合の神社であり、現在地へ遷座して以降は主に、高野山真言宗である般若院(はんにゃいん)の別当寺が伊豆大権現と等しく祀られていた。
しかし、
 勢力間の主導権争いなどによって度々祭神や由緒が改竄されたこと
 神仏分離の混乱や数度にわたる火災などで史料が逸失したこと
などから山の歴史には不明点が多く、調査・研究が待たれる。
なお、頼朝と政子の恋の舞台であったため、現在も縁結びや恋愛成就の神社として人気がある。
(下線部分の記述については、参考資料原文のまま)

歴史:
創建の年代は不詳だが、社伝によれば孝昭天皇の時代(紀元前5世紀~紀元前4世紀)とされる。古くは以下の名で呼ばれた。
 伊豆大権現(いずだいごんげん)
 伊豆御宮(いずおんみや)
 伊豆山(いずさん)
 走湯大権現(そうとうだいごんげん、麓の海岸に点在した温泉・間歇泉に由来し、推古天皇3(594)年に朝廷から贈られた名とされる)
 走湯山(そうとうさん)

a0057057_20264256.pnga0057057_2031392.png当初は日金山(ひがねさん:久地良山、万葉集にいう伊豆高嶺)の山上にあった。その後については諸説があるが、本宮山(ほんぐうさん)を経て、承和3(836)年に甲斐国の僧・賢安により現在地へ遷座したとの説が有力である。
十六代仁徳天皇が勅願所としたとされるため歴代皇族の崇敬が篤く、二十二代清寧、三十代敏達、三十三代推古、三十六代孝徳、百五代後奈良の六天皇の勅願所となったと社伝に謳われており、特に後奈良天皇は自筆の般若心経一巻(昭和2(1927)年国宝指定、現重要文化財)を奉納している。
源頼朝は平治の乱の後伊豆國に配流されたとき、当社に源氏再興を祈願した。この間有力豪族の伊東祐親に追われて当社に身を寄せたり、小豪族の娘であった北條政子との逢瀬の場にするなど関わりが深く、後に鎌倉幕府を開くと箱根とともに当社を「二所」として、幕府の最高の崇敬を示す「関八州鎮護」として多くの社領を寄進した。南北朝時代の「寺領知行地注文」によれば、遠くは越州に至るまで数多くの知行地を所有したとされるなど、この時期、当社が最盛期を迎えていたことがうかがわれる。
戦国時代、小田原北条氏(早雲、氏綱、氏康)の篤い崇敬を受けたが、豊臣秀吉の小田原征伐で焼失した(一説では、その張本人は徳川家康とされる)。
a0057057_21102697.png江戸時代に入ると山麓の阿多湊(または阿多美の郷)が湯治場として名高くなり、徳川家康はじめ多くの大名や文化人たちが訪れた。焼失していた当社は再建され、江戸幕府からは文禄3年伊豆國加増も葛見郡のうち二百石を、慶長14年には関ヶ原の戦いでの勝利の礼として百石を、それぞれ朱印領として寄進され、以後、代々の将軍からも同様に寄進を受けた。
神仏分離後の大正3(1914)年1月13日、当時皇太子であった昭和天皇が当社に参拝、本殿脇に黒松一株を手植した。
大正7(1918)年、宮内省から金参萬円を支給される。
昭和3(1928)年の昭和天皇御大典の際に国幣小社に列し、秩父、高松、久邇、伏見、山階、賀陽、東伏見の各宮家から金壱封を、梨本宮家からは日本刀一口及び槍一筋、祭祀料の寄進を受けた。
第二次世界大戦後に社格制度が廃止されて以降は別表神社とされ、宗教法人化された。
昭和55(1980)年9月12日、現東宮浩宮徳仁親王が参拝する。また、同年、童画家黒崎義介が拝殿の天井画390枚を奉納した。

赤白二龍
『走湯山縁起』に、「伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。その尾を箱根の芦ノ湖に付け、その頭は伊豆山の地底にあり、温泉の湧く所はこの龍の両眼二耳鼻穴口中なり」と記載があり、伊豆山神社の「伊豆山大神」が、赤龍と白龍の二龍の姿となって、温泉を生み出す様が描かれているとされる。赤龍は火の力、白龍は水の力を操るとされ、二龍は温泉の守護神ともされる。
この「赤白二龍」(せきびゃくにりゅう)は、伊豆山神社のシンボルとされ、社殿の手前にある手水舎にも、二龍をかたどった装飾がみられる。伊豆山神社が縁結びの神社ともされることから、赤龍を母親、白龍を父親とみなし、あわせて夫婦和合や縁結びの象徴ともしている。

境内社:
本宮社

a0057057_20475194.pnga0057057_20551619.png

ほんぐうしゃ
鎮座地:静岡県熱海市伊豆山七尾
祭神:正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、拷幡千千姫尊、瓊瓊杵尊

仁徳天皇の御代に松葉仙人が神鏡を崇め、社を造り日金山に祀り、後に社はこの地に移され祀られてきた。さらに承和3(836)年に今の伊豆山神社の社を建造し遷座したため、残った二番目の社が現在の本宮社となった。
江戸時代初期には広さ東西五間、南北三間半の拝殿、鳥居三ヶ所、付近に求聞持堂、東西三間南北二間の建物等を有したが、江戸時代後期の野火により全焼し、現在は石鳥居一基、拝殿が一棟建っているのみ。


結明神本社(むすびみょうじんほんしゃ)
御祭神:結明神(日精・月精)

走湯山縁起によれば景行天皇の三十一年、日金山の大杉の中より一男一女が出生した。初島の初木神社の祭神である初木姫が二子を引き取り育てたが、時を経ずしてたちまち成長し、一女を日精、一男を月精と号した。後に二人は夫婦となり、日金山に仕えて「伊豆権現氏人之祖」となったと云う。
日精・月精その終没を不知(富士山)から神上がったと記され、後の人たちより結明神として仰がれ祀られたと伝られる。
祭神は男女の縁結びを叶えてくれる神で古くは一名恋祭りという神事があり、各地から集まった若い男女の参列を得て行われていたことが伝えられている。


白山神社(はくさんじんじゃ)
御祭神:菊理媛命

伊豆山記、走湯山記によれば、天平元年夏、東国に疫病が流行した際、北条の祭主が伊豆権現に祈願したところ「悪行のなす所、救いの術なし、これ白山の神威を頼むべし」との神託があり、猛暑の頃であったにもかかわらず、一夜のうちに石蔵谷(白山神社鎮座地)に雪が降り積もり、幾日経っても消えず、病人がこの雪をなめたところ、病苦がたちどころに平癒したことから、この御社が創立された。
古来より、病気平癒、厄難消除の神として厚い信仰を集めている。


摂社 雷電社(らいでんしゃ)(若宮)
a0057057_16463770.png御祭神:伊豆大神荒魂、雷電童子(瓊瓊杵尊)

創立年代は不詳。吾妻鏡に「光の宮」と別名があり、鎌倉幕府三代将軍源實朝が再興し、その後暦応四年に足利氏が、慶長十七年に徳川二代将軍秀忠が改築、現社殿は昭和十(1935)年に内務省によって改築された。
政治を司り導く神として、源頼朝を始め歴代の将軍家の崇敬が厚く、室町時代には多数の社領を有していた。
事業、経営、商売繁盛、心願成就、良縁成就、家内安全、夫婦円満、子孫繁栄など、強い神威を持つ神である。

結明神社(むすびみょうじんしゃ)
a0057057_178739.png御祭神:結明神(日精・月精)

子恋の森公園上(伊豆山七尾)にむすぶ平らに鎮座する本社の里宮。

役小角社(えんのおづぬしゃ:足立権現社(あしだてごんげんしゃ))
御祭神:役小角(神変大菩薩、役優婆塞(えんのうばそく))

舒明天皇六(634)年、大和の葛城上郡茅原に生まれ神仏両道に渉り行を積み深く学を究め孔省咒法修習、奇異の験術を証、また日本国中の名山高山を開き登り、修験道の祖、開山の祖とも仰がれる。
文武天皇三年、伊豆大島に流刑にされた折、昼は皇命を慎み、夜は飛行の術を駆使し伊豆大権現に飛び来て修行重ねたと伝えられる、大島に在ること三年、大宝元年勅名を以って許され大和に還ったが遂に仙人と化って唐に渡ったといわれる、役小角隠れ給ひてより千百余年後、光格天皇の寛政十一(1799)年その神徳を讃えられて神変大菩薩の神号を賜う。
当社は運命開拓の神なり、また古くから足の病に悩める者、足腰弱き者、祈願致さば神護を享けて強足となるという信仰がある。


祖霊社(それいしゃ)
a0057057_15534035.png御祭神:伊豆大権現氏人祖霊

先祖の御霊を祀る社で、伊豆山の人々の守護神として景仰されている。

境外社 走湯神社


参考資料:伊豆山神社ホームページ/神社由緒書き他

記事投稿:
  調整:29.7.14/29.10.-4

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# by fbox12 | 2017-10-22 01:09 | 神社

第佰九 橿森神社 岐阜県岐阜市鎮座

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a0057057_10164128.pngかしもりじんじゃ

鎮座地:岐阜県岐阜市若宮町1丁目8番地
主祭神:市隼雄命(いちはやおのみこと)

a0057057_10200616.pnga0057057_10173184.pnga0057057_11300030.pnga0057057_10211205.png

概要:
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昔より、夫婦和合、子供の守り神として厚く信仰されている。上加納山(水道山)の山麓にある。境内にある磐石“駒の爪岩”は、神人が駒に乗り、この地に降り立ったという伝説がある。

主祭神の市隼雄命は、垂仁天皇の第一皇子である五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)と景行天皇の第六皇女淳熨斗媛命(ぬのしひめのみこと)の間の子。同じ岐阜市の伊奈波神社に父・五十瓊敷入彦命、金神社に母・淳熨斗媛命を祭ることから、この三つの神社は関係が深い(毎年4月の岐阜まつりは、伊奈波神社、金神社、橿森神社の例祭である)。

織田信長は楽市楽座を開いた際、市神をこの橿森神社の神木、榎の元に祭ったという(現在「御園の榎」といわれている榎はその孫になる)。
a0057057_10282371.png江戸時代、金寶山瑞龍寺の神宮寺となっていたが、神仏分離でこの地の氏神となる。

a0057057_11441841.pnga0057057_11512965.pnga0057057_11522055.png


摂社:
a0057057_11455632.pnga0057057_11411580.png佰九之壹
建勲神社(岐阜信長神社)

たけいさおじんじゃ

祭神:贈太政大臣正一位織田信長公

末社:
a0057057_14340600.pnga0057057_14373923.png佰九之貮
末廣稲荷社


a0057057_14575778.png佰九之參
秋葉神社
a0057057_15011121.png琴佰九之四

琴比羅神社(琴平神社)

この神社最寄の駅・バス停留所:
JR岐阜駅(11・12・13番乗り場)または名鉄岐阜駅(4番乗り場)からN系統(長良橋方面)及び市内ループ左回りバス乗車、柳ケ瀬

a0057057_15294658.pnga0057057_15304179.png
周りは粕森公園として整備されている。


出典・参考:Wikipedia「橿森神社」(最終更新 2016年10月2日)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%BF%E6%A3%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE

現地参拝:29.9.17/29.9.30
記事投稿:29.10.-4
  調整:29.10.-5

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# by fbox12 | 2017-10-05 15:43 | 神社

1013 越知駅(バス停)(黒岩観光←JR四国バス)

a0057057_21412664.pngおち

所在地:高知県高岡郡越知町越知甲1736-7
所属:有限会社黒岩観光
乗入路線:
 桐見川線(坂折~龍王公園)
 高吾北落出線[佐川~狩山口](狩山口~佐川)
 高吾北落出線[佐川~落出](落出~佐川)
 黒岩線(役場前(佐川町)~越知)
 出来地線(坂折~宮ヶ奈路)

概要:
高知県高岡郡越知町は、安徳天皇が落ちのびたという伝説のあるところで、その中心部、国道33号線上にあるバス停留所。
乗入路線の「高吾北落出線(落出〜佐川)」は、旧JR四国バスの「松山高知急行線」の高知県側の名残であり、写真の場所は、以前バスターミナルだったところ。
その写真のバスターミナルの後に建てられたのが、越知町観光協会の「観光物産館 おち駅」で、平成22(2010)年4月4日にオープンした。
商店街で行われていた農産市を主体に、越知や周辺地域の特産品の販売も行っていて、越知町観光協会の事務局もここに移転し、越知の観光情報を発信する新たな発信地として機能している。


参考資料:越知町観光協会HP
 http://www.ochi-kankou.jp/tourist/station/index.html
現地取材:29.3.14
記事投稿:29.7.-2
  調整:29.7.-3/29.10.-4

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# by fbox12 | 2017-10-04 23:03 | 鉄道・バス

リポビタンD 2017 セントラル・リーグ優勝ボトル

a0057057_22455317.pngミニチュアボトルコレクション1921

品名:指定医薬部外品
原材料:タウリン・イノシトール・ニコチン酸アミド・チアミン硝化物(ビタミンB1)・リボフラビリン酸エステルナトリウム(ビタミンB2)・ピリドキシン塩酸塩(ビタミンB6)・無水カフェイン他添加物
容量:100ml
製造販売元:大正製薬株式会社(東京都豊島区高田3丁目24番1号)

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# by fbox12 | 2017-10-03 22:49 | コレクション

086 新前橋駅 (JR東日本)

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a0057057_9591467.pnga0057057_9593296.png
a0057057_21203446.pngしんまえばし

所在地:群馬県前橋市古市町471
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・上越線
電報略号/事務管コード:シマ/411202
キロ程:7.3km(高崎起点)

概要:
上越線を所属線としており、両毛線を含めた2路線が乗り入れている。当駅は線路名称上の両毛線の終点であるが、両毛線の列車はすべて上越線を通じて高崎駅まで乗り入れている。加えて、上越線の渋川駅で分岐する吾妻線の列車もすべて高崎駅まで乗り入れているため、当駅にも停車する。そのため、実用上は3路線4方向の列車が利用できる。また、高崎方面への列車の中には一部高崎線へ直通するものもある。

歴史:
明治17(1884)年8月20日に日本鐵道が当駅付近に鉄道路線を開業(髙崎 - 前𣘺)させたが、この間に途中駅は設置されていなかった。前𣘺の市街地は利根川東岸であったが、利根川への架橋が困難だったため前𣘺驛は利根川西岸の内藤分村(現在の前橋市石倉町、当駅より 1km ほど東方)に置かれ、「内藤分ステーション」と通称されていた。明治22(1889)年12月に利根川架橋が完成し、兩毛鐵道が開業させていた現在の前橋駅に日本鐵道が乗り入れるとこの駅は廃止される。これらの路線は後に買収・国有化され両毛線となった。
大正5(1916)年には帝國議会へ上越線の敷設計画が提案されるが、これは既に開業していた東武髙崎線(昭和28(1953)年廃止)と同様に、髙崎からまっすぐ北上し、金古町(現在の高崎市北部、金古町付近)経由で澁川驛に向かうものであった。このルート案は、県庁を前𣘺市に取られた髙崎市の逆恨みによる報復であったとも言われている。これを受けた前𣘺市は議会に対して経路変更の運動を展開した。利根川を2回渡る必要があるため市の中心部を経由させることは断念したが、前𣘺市域を経由するルートへの変更を実現した。このとき両毛線との分岐駅として設置が決定したのが当駅であり、大正10(1921)年7月1日、上越南線(後の上越線)開通とともに両毛線の駅として開業した。
開業時は旅客駅であった。

年表:
明治17(1884)年8月20日 日本鐵道により当駅付近を経由し髙崎 - 前𣘺間開通。大正10(1921)年7月1日 鐵道省上越南線が澁川まで開業し、両毛線との分岐駅として新前𣘺驛設置。大正12(1923)年2月1日 小口扱い貨物を取扱い開始し、一般駅となる。
昭和6(1931)年9月1日 上越南線が上越北線と接続、統合され上越線となる。
昭和32(1957)年12月20日 両毛線の高崎 - 新前橋間が上越線に編入され、当駅も上越線所属駅となる。
昭和34(1959)年4月20日 構内に新前橋電車区を併設する。
昭和62(1987)年4月1日 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる。貨物扱を廃止し、旅客駅へ変更する。
平成13(2001)年11月18日 - ICカード「Suica」の、当駅における供用を開始する。
平成17(2005)年12月10日 新前橋電車区が(旧)高崎車両センターと統合され、高崎車両センターが開設される。
平成23(2011)年3月26日 駅改良工事が終了し、改札内のエスカレータ、エレベータ、多目的トイレの供用を開始する。
平成23(2011)年9月14日 多機能券売機を設置する。

駅構造:
島式ホーム2面4線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。ホームは南西から北東へと延び、東口と西口を持つ。改札口は東口寄りの設置で、西口へはホーム上の自由通路が連絡する。東口にバスターミナルが設置されているほか、西口にもバス乗り場とタクシー乗り場が整備されている。
社員配置駅(管理駅)で、群馬総社駅を管理下に置く。また当駅は上越線の運転取扱駅であり、高崎車両センターのも含め信号制御は信号扱所で行われる。
みどりの窓口(営業時間6:00-20:00)・自動改札機・自動券売機・指定席券売機・多機能券売機が設置されている。また、改札口と各ホームには発車標が設置されており、指定席券売機の上や改札内に設置されているモニター画面にも発車案内がなされている。自動改札機の一部はSuicaなどのICカード専用である。平成27(2015)年3月には、列車の運行情報を伝えるモニターが改札内・外に1台ずつ設置された。
バリアフリー設備について、エレベーターが東口および西口と改札口の間、改札口と各ホームの間に設置されている。また、各ホームと改札口の間に上下エスカレーターが、東口と改札口の間には上りエスカレーターが設置されている。トイレは改札内と東口にあり、それぞれ多機能トイレも設置されている。
改札外にコンビニエンスストアのNEWDAYSが、東口には駅レンタカーが立地しているほか、東口の1階には飲食店が入居している。なお、かつては下りホームに立ち食いそば屋が、改札内コンコースにキオスクがあったが現存しない。

のりば:
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のりばの番号は東側から順に付番されている。両ホームとも待合室が設置されている。なお、当駅で表示されているラインカラーは一部を除いて他の駅と異なり、LED電照式への交換時に本来のカラーのものに改められた箇所もある(上越線が紺色、吾妻線が水色、両毛線がマゼンタで表示されている箇所がある)。

1・2番線 上越線(吾妻線・両毛線含む)上り 高崎・熊谷・東京・新宿・横浜方面(湘南新宿ライン)(上野東京ライン)
3番線 両毛線下り 前橋・伊勢崎・桐生・小山方面
4番線(右写真)上越線下り 渋川・水上方面
    吾妻線中之条・長野原草津口方面

実際の上り(1・2番線))の案内標ではラインカラーの区別や路線別に分けた表記はせず、水色を用いて方向別に一括して表記している。上りホームについて、基本的に1番線は両毛線からの列車、2番線は上越線からの列車が発着する。当駅始発の列車は高崎車両センターより出庫し、1・2番線どちらからも発車する。ホーム事務室付近にSuica専用のグリーン券売機が設置されている。通常ダイヤでの渋川方面から(上越線水上発・吾妻線)の当駅止まりの列車は2番線に到着し、客を降ろした後に引き上げ線へ入る。なお、大幅にダイヤが乱れた場合、両毛線も含めた各線上り列車が当駅で運転を打ち切り、そのまま下り方面へ折り返すこともある。下りホームについて、表のとおり基本的に3番線は両毛線、4番線は上越線への列車が発着する。ダイヤが乱れた場合は3番線から上越線への列車が発車することもある。構内の配線的に3番線から上越線へは発着できるが、4番線から両毛線へは発着できない。高崎線系統の当駅止まりの列車は3・4番線に到着し、高崎車両センターへ入庫する。当駅で高崎方面へ折り返す運用は通常ダイヤでは存在しない。平成29(2017)年3月4日の改正で、渋川方面(上越線水上方面・吾妻線)の列車の一部は当駅始発となった。引き上げ線から4番線に進入する。

列車運行形態:
主に高崎駅をターミナルとした上越線・吾妻線・両毛線の普通列車が運行されるほか、高崎方面からの直通列車および特急列車が乗り入れている。構内に高崎車両センター(旧・新前橋電車区)があるため、少数ながら当駅始発・終着の営業列車も設定されており、車両の増解結も実施される。日中はすべての定期列車が停車するが、上越線の夜行列車は停車しない。なお、日本国有鉄道(国鉄)時代には長らく一般駅であり、車扱貨物を取り扱っていたが、民営化以降は旅客駅となっている。
現在、上越線の普通列車は高崎 - 水上間の運転が中心で、これに吾妻線直通列車が加わる。両毛線は当駅を終点としているが、普通列車はすべて高崎駅発着または高崎線直通である。列車本数は概ね起点の小山へ向かうにつれ減少する形態となっている。一部の列車は小山から宇都宮線を経由し、宇都宮まで運行する列車もある。なお、上越線下り方への列車より両毛線へ直通する列車の方が運行頻度は高い。横浜・東京・上野方面からの高崎線(上野東京ライン)、横浜・渋谷・新宿方面からの湘南新宿ラインは一部列車が前橋まで乗り入れるほか、当駅始終着の列車も存在する。湘南新宿ラインの列車は最長で東海道本線小田原駅まで、上野東京ラインの列車は熱海駅まで運行している。
以前は上記の各線列車が高崎駅まで運行され、当駅から高崎駅までの本数は日中でも1時間に5往復前後運行されていた。しかし、平成29(2017)年3月4日のダイヤ改正で上越線(吾妻線直通列車も含む)の一部列車が当駅発着となった上、両毛線も減便したため、主に日中の同区間の本数が減少した。
特急列車は、上野・新宿 - 前橋の「あかぎ」「スワローあかぎ」、上野 - 万座・鹿沢口の「草津」、上野 - 水上の「水上」(臨時列車)が運行している。どの列車も全区間それぞれ7両編成で運転されている。以前は当駅始発の「あかぎ」が設定されていたが、平成29(2017)年3月4日のダイヤ改正で廃止された。

a0057057_1141996.pngかつての東海道線直通列車:
現在の上野・東京ラインと同じルートで、かつて、当駅または高崎と東海道線富士・熱海駅間を週末に運転する直通列車があった。
左写真は、新前橋電車区所属の115系電車で、熱海駅で撮影したもの(「富士行き」)で、115系の前は70系電車で運転されていた。

路線バス
一般路線バス:東口は、駅舎写真側
東口1番のりば
 日本中央バス
  川曲線 中央前橋駅 - 県庁前 - 新前橋駅 - 川曲町・群馬医療福祉大学前
 ※ 平日および土曜の川曲町・群馬医療福祉大学方面への一部の便は一部区間で急行運転となる。
 永井運輸
  循51・循52系統(マイバス西循環) 新前橋駅 - 大利根団地 - 済生会病院 - けやきウォーク前橋 - 前橋駅 - 新前橋駅

東口2番のりば
 群馬中央バス
  高20系統 高崎駅 - 芝塚 - 新前橋駅 - 県庁前 - 前橋駅
  定期観光バス(富岡製糸場とぐんまフラワーパークコース)
 関越交通
  北13系統(急行) 新前橋駅 - 前橋駅 - 中央前橋駅 - 赤城山ビジターセンター(季節運行)
 上信電鉄
   高41系統 中央前橋駅 - 前橋駅 - 新前橋駅 - 大利根団地 - 京目 - 高崎駅
このほか、競輪開催時に前橋競輪場(グリーンドーム前橋)までの無料シャトルバスが運行されている。

西口バスのりば
 群馬中央バス
  高22系統 新前橋駅西口 - 立川町 - 前橋駅

高速バス:全て東口2番のりばで発着する(全便が日本中央バスによる運行)。
 川越的場・練馬区役所・池袋駅東口・新宿・ヒルトン東京・東京ドームホテル・経由秋葉原駅東口行
「シルクライナー」
 名古屋駅太閤通口・奈良ロイヤルホテル経由大阪OCAT行
 京都駅八条口経由大阪OCAT行
 富山駅前・金沢駅東口行

出典・参考:Wikipedia「新前橋駅」(2017年9月10日最終更新)

現地取材:
記事投稿:27.2.22
  調整:29.9.12

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# by fbox12 | 2017-09-13 15:36 | 鉄道・バス

200 高崎駅 (JR東日本)

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a0057057_2210140.pnga0057057_2292235.png

駅名かな:たかさき

概要:
当駅は古くから交通の要衝として栄え、現在も9路線が乗り入れる群馬県のみならず北関東最大のターミナル駅として機能している。新幹線開業前は東京方面から上越線方面と信越本線方面との分岐点として機能していた。長距離輸送の役目を新幹線に譲った現在でも上越新幹線と北陸新幹線の分岐点となっているほか、在来線においても群馬県内各地へ向かう各路線のターミナル駅としての役割を担っている。

乗り入れ路線:
当駅にはJR東日本の新幹線・在来線各線と、上信電鉄の上信線が乗り入れている。上信線は当駅を起点としている。
JR東日本の新幹線は上越新幹線と北陸新幹線の2路線が乗り入れている。北陸新幹線は当駅が起点であるが、当駅以南は上越新幹線に乗り入れて東京駅まで運転されている。
JR東日本の在来線は次の各線が乗り入れている。いずれも第二種鉄道事業としてJR貨物の貨物列車も運行されている。

高崎線 : 当駅の所属線であるとともに当駅を終点としている。埼玉県や東京都心方面への動脈であり、上野駅発着の列車と、新宿駅経由で東海道線へ直通運転を行う湘南新宿ラインの列車、上野駅・東京駅経由で東海道線へ直通運転を行う上野東京ラインの列車が発着している。また下記の上越線・信越本線と線路が接続されており、直通が可能となっているが、現在の定期列車は上越線・両毛線にのみ直通する。
(注、タイトルのモノクロ写真は、東北新幹線が出来る前、上野 - 東京間を通り週末に運行されていた高崎線・東海道線の直通列車。写真の頃は、高崎 - 富士間の運行で、後に新前橋 - 熱海間に変更。・・東海道線熱海駅)
上越線 : 当駅を起点とし、群馬県北部の水上・越後湯沢方面へ通じている。
信越本線 : 当駅が起点である。かつてはその名のとおり信越方面へ通じていたが、北陸新幹線開業と同時に横川-篠ノ井間が廃止(軽井沢-篠ノ井間は第三セクター「しなの鉄道」に経営移管)され、分断されてしまった。
正式な線路名称上は以上の3路線だが、上記路線の途中駅から分岐する以下の各線(これらについてはJR貨物は鉄道事業免許を持たない)の列車も当駅へ乗り入れており、前述の3路線を合わせると合計6方面の列車が発着している。
八高線 : 倉賀野駅から高崎線経由で乗り入れる。
両毛線 : 新前橋駅から上越線経由で乗り入れる。高崎線からも一部列車が「高崎・両毛線」として前橋駅まで直通運転する。
吾妻線 : 渋川駅から上越線経由で乗り入れる。

歴史:
明治17(1884)年5月1日 - 日本鐵道の駅として、新町 - 髙﨑間開通と同時に開業
 8月20日 - 日本鐵道線が前𣘺驛まで開通
明治18(1885)年10月15日 - 官設鉄道(当時は工部省鐵道局)(現在の信越本線)が横川驛まで開通
明治30(1897)年5月10日 - 上野鐵道線(現在の上信電鉄上信線)が福嶋驛(現在の上州福島駅)まで開通
明治33(1900)年- 二代目駅舎に改築
明治39(1906)年11月1日 - 日本鐵道国有化
大正6(1917)年7月6日 - 三代目駅舎改築竣工
昭和3(1928)年 - 遺失物取卸驛に指定
昭和5(1930)年5月23日 - 第3ホーム(現5・6番線)増設
昭和9(1935)年10月6日 - 北跨線橋増築
昭和21(1946)年11月18日 - 東口営業開始
昭和40(1965)年10月1日 - みどりの窓口設置
昭和41(1966)年2月3日 - 第3ホームを上野方面に30メートル延伸
 8月20日 - 旭町の中居里踏切が立体地下道になる。東口6番線に貨物コンテナ基地完成
 12月28日 - 上信電鉄新設ホーム使用開始
昭和43(1968)年10月1日 - 第4ホーム(現7・8番線)新設
昭和45(1970)年10月1日 - 旅行センターオープン
昭和46(1971)年4月1日 - 駅レンタカー新設
昭和48(1973)年3月25日 - コインロッカー設置
 11月21日 - 構内の専売局専用線廃止
昭和50(1975)年9月30日 - 構内の高崎製紙専用線廃止
昭和51(1976)年2月14日 - 1番線舗装、軌道敷設
 11月 - 上越新幹線工事着工
昭和53(1978)年7月17日 - 仮8番線使用開始
昭和55(1980)年3月1日 - 中央跨線橋新設工事着工
 8月1日 - 西口駅前広場改良工事着工
 9月16日 - 仮駅舎建設工事着工
 11月18日 - 駅ビル新築工事着工
 11月29日 - 業務を仮駅本屋へ移転
 12月1日 - 旧本屋(三代目駅舎)解体
昭和56(1981)年2月25日 - 8番線使用開始および9番線の新設
 5月1日 - 中央跨線橋使用開始
 10月21日 - 構内の日清・日本製粉の専用線廃止され、一般貨物取り扱い全廃
昭和57(1982)年3月1日 - 新駅舎完成
 4月14日 - 駅ビルモントレー(上写真)オープン
 11月15日 - 上越新幹線開業。南跨線橋が自由通路となる。
昭和58(1983)年10月5日 - 西口広場で陶板壁画「だるまの詩」の払拭会
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄の駅はJR東日本・JR貨物が承継
平成6(1994)年12月3日 - 貨物列車の設定廃止。これ以降の貨物列車発着はない。
平成9(1997)年10月1日 - 北陸新幹線(長野新幹線)開業
a0057057_2294381.png平成13(2001)年11月18日 - JR東日本でICカードSuica供用開始
 12月1日 - 湘南新宿ライン運行開始
平成16(2004)年10月16日 - 1番線の客扱い廃止(右写真)
平成17(2005)年7月3日 - 東西2箇所の改札口を1箇所に統合。それに伴いみどりの窓口が1箇所になり、上信電鉄との連絡運輸廃止
 9月25日 - 新幹線直通改札口新設
 秋 - 高崎駅東側にE’siteがオープン
 冬 - 高崎駅ステーションルネッサンス完成
平成20(2008)年3月15日 - モバイルSuica特急券のサービス開始
平成21(2009)年3月 - 東口と高崎タワー21を結ぶペデストリアンデッキ完成
平成22(2010)年10月12日 - Suica専用改札設置
 12月12日 - 東口駅舎の改築と駅舎前のペデストリアンデッキの工事が完了。E’siteの拡張も完了し名称を「E’site高崎」に変更
平成24(2012)年3月1日 - 上信電鉄専用の出入り口が西口ロータリーに新設された(下、上信電鉄左写真)。それに伴い、コンコースからの連絡階段・エスカレーターが廃止された。

駅構造:
200-1 JR東日本
a0057057_22125627.png所在地:群馬県高崎市八島町222
電報略号/事務官コード:タカ/411416

在来線:
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・高崎線
キロ程:(大宮起点)74.7km
a0057057_229799.png在来線は構内の西側、地上にある3面7線の島式ホーム(1線のみ切り欠きホーム)を使用する。ホームは2番線から8番線まであり、3番線は4番線の大宮方を切り欠いたホームである(下右写真E233系が停車しているのが4番線で、その先にDCが停車しているのが3番線)。定期列車は全列車が停車するが、3番線(八高線)以外は、基本的に発車番線が固定されていない。高崎線と上越線・両毛線の一部の列車が当駅を経由して直通運転を行う以外は当駅始発・終着で運行されている。かつては1番線(単式ホーム)があったが、平成16(2004)年に廃止され、通過線となっている。この1番線は平成9(1997)年9月30日に廃止されたL特急「あさま」の下り列車や団体列車などが使用していた。1番線ホーム跡の線路側には1番線の表示が現存しているものの柵でふさがれており、上信電鉄のホームである0番線への通路に利用されている(上写真)。
在来線各ホームには待合所があり、2・3・4番線設置の待合所は初電 - 終電まで利用可能である。
発車標はすべての改札・ホームでLED式が使用され、また各ホームには接続列車の案内表示機もある。

在来線のりば:
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2・4・7・8番線 高崎線 熊谷・大宮・上野・東京・新宿・横浜・小田原・熱海方面
 (湘南新宿ライン・上野東京ライン含む)・・朝の一部を除く当駅始発の列車は主に2番線、上越線からの直通列車は7・8番線を使用
2・4・5・6番線 上越線 新前橋・渋川・水上方面(115系電車が停車中なのが5番線)
 吾妻線 長野原草津口・万座・鹿沢口・大前方面
 両毛線 前橋・伊勢崎・桐生・小山・宇都宮・黒磯方面・・高崎線からの直通列車は2・4番線を使用
 信越線 安中・横川方面
3番線 八高線 児玉・小川町・高麗川方面
実際の案内標では3・7・8番線を除いてラインカラーの区別や路線別に分けた表記はせず、コーポレートカラーの「緑」を用いて方向別に一括して表記している。
当駅から発車する八高線の列車は非電化区間の高麗川駅までの乗り入れのみで、高麗川駅から電化区間の拝島・八王子方面へは、高麗川駅で八王子行きの列車へ乗り換える必要がある。
発車メロディが全ホームで使用されているが、車掌扱いのため、3番線から発車する八高線のうち、ワンマン運転を行う列車は省略される。
当駅で折り返す列車は、到着後車内清掃および点検を行う。
臨時列車の「SLみなかみ」および「SL碓氷」は2番線から発車する。なお、両列車の同時発車などのイベントがある場合の発車番線は「SL碓氷」が4番線、「SLみなかみ」が5番線からそれぞれ発車する。SL列車の折り返しは8番線に到着する。
特急列車は、下りは2番線(あかぎ号・スワローあかぎ号は一部4番線)から、上りは7番線(一部8番線)から発車する。
臨時列車運転時やダイヤが乱れると発車ホームが変更される場合がある。
気動車のみ発車の3番線も電化されている。

新幹線:
新幹線は構内の東側、高架上にある2面4線の島式ホームを使用する。ホームは副本線上に設けられており、本線は通過線となっている。上越新幹線・北陸新幹線とも共通のホームを使用するが、基本的に北陸新幹線の下り列車は11番線から、上り列車は14番線から発車し、上越新幹線の下り列車は12番線から、上り列車は13番線から発車する。なお、北陸新幹線の通過列車の一部は本線ではなく14番線を通過する。14番線を通過する場合、可動式安全柵がないため列車は減速する。
北陸新幹線の施設上の分岐点は当駅から約4km北側で、下り線はこの分岐点まで上越新幹線の線路を走っている。一方、上り線は当駅構内まで北陸新幹線と上越新幹線の線路が別になっている。この下り線の分岐点には、純日本製で日本最大の「ノーズ可動式38番高速分岐器」が設置されており、分岐側(長野側)へは160km/hで、直線側(新潟側)へは240km/h以上での走行が可能である。なお、この分岐器の挿入工事には延べ3日を要し、その間は上越新幹線の部分運休が実施されその代替として上越線の当駅 - 越後湯沢間で「新幹線リレー号」が運転され上沼垂運転区(当時)所属の485系や長野総合車両所(当時)所属の489系、青森運転所(当時)所属の485系と583系などが使用された。
このように下り線だけ一部で線路を共用してその先に高速分岐器を配置しながら、上り線では高速分岐器を使用せずに線路を別にしているのは、線路の立体交差と関係している。北陸新幹線(長野経由)の上り線が上越新幹線の上り線に合流するためには最低でも上越新幹線の下り線をまたがなければならず、分岐点では実際に上越新幹線の上下線の上をまたぎこす立体交差になっている。立体交差をした後に、線路を接続できる同じ高さまで降りてくるためにはある程度の距離を必要とするため、この間が別線となり、そのまま駅構内へと接続することになる。また、双方からの列車がほぼ同時に進入してきた際にも分岐点の手前で待たせることなく、同時に駅構内へ入れることができるという利点もある。これに対して下り線側は上越新幹線と北陸新幹線が同時に駅を出発する必要性は薄い上に、他の線路をまたがずに分岐できることから、別線路を敷設する建設費を節約するために実際の分岐点まで線路を共用している。この間に加速した新幹線が分岐点通過に際して減速を強いられるのは不合理であることから、反位側でも160km/hの高速で通過可能なる38番ノーズ可動式分岐器を配置することになった。
ホームの屋根の一部にはソーラーパネルが設置されており、発電された電気は駅構内の照明、空調設備などに利用されている。
発車標はこちらも改札・ホームともLED式のものが使用され、コンコースにはLED式の先発列車の編成案内表示機もある。乗車案内表示機が11~14番線のすべての新幹線ホームに設置されている。14番線のものは先発列車のみ表示することができる。なお、下り11・12番線には、北陸新幹線金沢延伸開業に合わせて設置された。

新幹線のりば:
11・12番線 上越新幹線 下り 長岡・新潟方面
 北陸新幹線 下り 長野・富山・金沢方面
 上越・北陸新幹線 上り 大宮・上野・東京方面当駅始発
13・14番線
 上越・北陸新幹線 上り 大宮・上野・東京方面
新幹線ホームは全ホーム発車ベルが使用されている。
当駅で編成(とき号とたにがわ号)の増結を行なう列車がある。(上りに数本)

駅舎:
駅東西を結ぶ中央コンコースに面して改札が設置されており、改札内にはNEWDAYSなどの施設が、改札外には商業施設や観光案内所が入っており賑わいをみせている。
中央コンコース(シンフォニック・アヴェニュー)とは別に、その南側にも線路をまたぐ東西自由通路がある。
みどりの窓口(改札外3窓、在来線改札内1窓)・びゅうプラザ(みどりの窓口とは別のエリア)・自動券売機・指定席券売機が設置されている。平成18(2006)年度に自動体外式除細動器 (AED) が設置された。

200-2 上信電鉄
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a0057057_2282333.pnga0057057_226918.pnga0057057_227119.png

所在地:群馬県高崎市八島町235
所属・路線:上信電鉄株式会社・上信線

JR旧1番線ホームの南側に頭端式ホーム(0番線)と駅舎がある(上写真右側)。ここからは吉井・上州富岡・下仁田方面の列車が発着する。時間帯にもよるが、常時1名 - 5名の駅員が配置されている。以前は上信線の発着番線は9番線と呼ばれていたが、JRの番線新設にともない9番線から0番線に名称変更された。この0番線ホームおよび通路はJRの所有物であり、上信電鉄がJRと賃貸契約を結んでいる。
平成17(2005)年7月まではJRと改札口を共有していたが、連絡運輸の廃止によりJRと改札口は分離された。分離後は1番線の大部分を通路と改札に使っている。
平成24(2012)年3月までは中央コンコースから直接上信線ホームに降りる通路があった。だが当該通路のエスカレーターの老朽化や施設管轄の関係により、高崎駅西口駅前ターミナルに面して、上信線専用の出入り口が新設された。これに伴って、今までの通路は閉鎖された。
平成26(2014)年の富岡製糸場の世界遺産登録と軌を一にして高見沢サービス製の自動券売機が導入された。自動券売機で発券されるのは軟券乗車券であるが、窓口では硬券乗車券も発売されている。a0057057_2273321.png窓口では各種グッズや記念乗車券、記念入場券類の他、使用済み硬券および軟券古きっぷ、富岡製糸場往復割引乗車券や、一日全線フリー乗車券なども発売されている。
発車ベルとして用いられているのは、テレサ・テンの『美酒加珈琲』をアレンジしたメロディである。

のりば:
0番線 上信線 下仁田方面

高崎駅構内の施設:
当駅は東口・西口の双方にペデストリアンデッキが整備されており、それぞれのデッキ中央から駅構内への中央コンコースと、南側に東西自由通路(かつて改札が東西に分かれていたころの名残)がある。

中央コンコース
東西を結ぶ中央コンコースは「シンフォニック・アヴェニュー」と名付けられており、キオスクや駅弁販売店、NEW DAYSの店舗がある。
JR在来線の改札口はコンコースの中央部に存在し、新幹線改札口はコンコース東寄りにある。上信電鉄乗り場(0番線・JR改札外)へはかつてはコンコース西寄りから階段で分かれていたが、平成24(2012)年3月1日に西口ロータリーに出入り口が新設され、コンコースからの連絡階段は廃止された。0番線への通路は、かつての1番線の大部分が転用されており、そば屋とトイレがある。
JR改札口の向かい側には、群馬県観光案内所・高崎市観光案内所と高崎駅インフォメーションセンター、JR東日本お客さま相談室がある。

西口側
上越新幹線開業と同時にオープンした駅ビル「モントレー」があり、コンコース階のラジオ高崎のサテライトスタジオや各階に商業施設のほか、6階 - 10階にホテルメトロポリタン高崎がある。

東口側
東口側にはE’site(イーサイト)高崎が平成22(2010)年12月12日にオープンし、多数の店舗が入居している。

貨物取扱:
JR貨物の駅は現在、臨時車扱貨物の取扱駅となっており、定期貨物列車の設定はない。
かつては駅の南側にある日本製粉高崎工場(現・ニップン冷食高崎工場)へ続く専用線があり、穀物輸送などが行われていたが、平成6(1994)年3月ごろに廃止された。また、駅北側にあった日清製粉高崎工場(昭和63(1988)年6月閉鎖)への専用線もあり、鶴見線大川駅から穀物輸送が行われていたが、工場の閉鎖に伴い廃止された。なおニップン冷食の専用線は現在も残っており、列車内から見ることができる。

参考資料:Wikipedia「高崎駅」(2017年7月16日最終更新
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B4%8E%E9%A7%85
記事:
 取材:28.8.27/29.1.-5
 投稿:29.2.12
 調整:29.2.13./29.2.14/29.9.12/29.9.13

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