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2017年 06月 05日 ( 6 )

205 豊橋駅 (JR東海/名鉄/ JR貨物 )

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とよはし

所在地:愛知県豊橋市花田町字西宿
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道本線/名古屋鉄道株式会社・名古屋本線/日本貨物鉄道株式会社
電報略号/事務管コード:トヨ/520135
駅番号:(名鉄)NH01
キロ程:(東京起点)293.6km
  名鉄(豊橋起点)0.0km
乗換:新豊橋駅(豊橋鉄道渥美線)、駅前停留場(豊橋鉄道東田本線)

概要:
愛知県東部、東三河地区の中心都市・豊橋市に位置し、その中心市街地に立地する駅である。隣接する駅も含めて多数の鉄道路線が伸び、加えて路面電車・路線バスなどの公共交通機関も集中しており、「東三河の交通拠点」として位置づけられている。
豊橋駅はJR東海・JR貨物・名鉄の3社が運営。乗り入れる路線は、JR線は東京駅(東京都)と新大阪駅(大阪市)を結ぶ東海道新幹線、東京駅と神戸駅(神戸市)を結ぶ東海道本線、豊橋駅を起点に辰野駅(長野県)までを結ぶ飯田線、名鉄は豊橋駅を起点に名鉄岐阜駅(岐阜県)に至る名古屋本線、計4路線である。また、隣接する新豊橋駅からは三河田原駅までを結ぶ豊橋鉄道渥美線、駅前停留場からは路面電車の豊橋鉄道東田本線の2路線がそれぞれ伸びている。
このうち愛知県の中心・名古屋市へは、JR東海道新幹線・東海道本線と名鉄名古屋本線の3路線が通じる。この区間ではJR東海・名鉄の両社から各種特別企画乗車券が発売されており、激しいシェア争いが展開されている。ただし豊橋駅は両社の「共同使用駅」であり、構内を共有している。なお、平成17(2005)年から誤乗を防ぐためか、名鉄線用の発車標は、通常省略される「名鉄岐阜」「名鉄一宮」「名鉄名古屋」の名鉄を省略せずに表示している。
貨物営業を担当するJR貨物は東海道本線と飯田線において第2種鉄道事業者として貨物列車を運転しているが、豊橋駅に停車する貨物列車は存在しない。ただし、コンテナ取扱駅としての機能は豊橋オフレールステーションとして残存する。
駅の開業は明治21(1888)年。当初からの東海道本線に加え明治30(1897)年に飯田線、昭和2(1927)年に名鉄線が乗り入れ、昭和39(1964)年に東海道新幹線が開通して現在の路線網ができあがった。JRと名鉄の2社が運営する現在の体制になったのは昭和62(1987)年の国鉄分割民営化によるものである。同年3月15日まで国鉄二俣線の一部列車が東海道本線経由で直通運転していたが、開始時期は不明。

沿革:開業までの経緯
豊橋は東海道沿いに江戸時代からある??田藩の城下町・宿場町(??田宿)で、豊川(とよがわ)の湊町としても栄えていた。
愛知県下では明治19(1886)年に知多半島で鉄道がすでに開通し、西へ向かって順次延伸されていた。東京と大阪を結ぶ幹線鉄道計画が東海道ルートで決定後、東への延伸も開始。明治21(1888)年9月1日、大府驛から靜岡縣の濱松驛まで新たに開通し、豐橋驛も同時に内閣鐵道院の路線の駅として開業した。なお、東京から神戸までの、東海道線にあたる鉄道の全通は翌1889年(明治22年)だった。
駅が開設された所在地は、豊橋町ではなく渥美郡花田村西宿だった。当時の町の中心から西南に約600メートル離れた場所とはいえ、駅の開業は豊橋が発展する契機になった。駅前から市街地の上伝馬町まで停車場通り(後の常盤通)が建設された。そのころ駅や通りの周囲には田畑が広がり、駅前には旅館3軒・貨物を扱う運送屋1軒という状態だった。その後徐々に様相が変化し、駅周辺は新たな町の中心地として発展していった。ちなみに、明治39(1906)年、豐橋町が花田村を合併して名実ともに豐橋驛になった(その後市制を施行し豊橋市になった)。
明治30(1897)年7月15日、豐川驛まで、豐川鐵道という私鉄の路線が開通。これは現在の飯田線の一部にあたる。同社は元々、宝飯郡下地町(現 豊橋市、豊川(とよがわ)北側の地域)と豐川驛を結ぶ鉄道を計画していたが、豊川に架橋して豐橋驛に接続した。こうして豐橋驛を共用していたが、明治32(1899)年に北側へ独立して「??田驛」を開設した。この??田驛は大正末期に改築、階上に食堂を併設する、三角形の側壁を特徴とする鉄筋コンクリート造の建物になった。
明治41(1908)年、市に隣接する髙師村(現 豊橋市)に陸軍の第15師団が設置された。これを契機に市の玄関口の豐橋驛にも影響を与え、「市制施行以来、豐橋市を最も大きく変容させた」と記録されている。乗客や貨物が増加し、戦時における師団の移動の観点からも駅の拡張が希求された。明治44(1911)年、駅拡張工事着工、大正5(1916)年、新駅舎完成。開業時からの旧駅舎は建坪約45坪(150m2)の瓦葺き平屋建てだったが、新駅舎は約145坪(480m2)の石磐葺平屋建てで、入り口には車寄せを設けた近代的な建物になった。
1920年代には、豐橋駅周辺に相次いで私鉄路線が加わった。大正14(1925)年、市内に豐橋電氣軌道(現 豊橋鉄道東田本線)の路面電車が開通、駅前に北側から乗り入れる駅前停留場を設置した。昭和2(1927)年、渥美半島の田原とを結ぶ渥美電鐡(現 豊橋鉄道渥美線)が豐橋驛の400mほど南に新豐橋驛(初代。現 花田信号所)を設置。同年、愛知電氣鐡道豐橋線(現 名鉄名古屋本線)が豐川鐡道の??田驛へ乗り入れて全通した。
同昭和2(1927)年、鐵道省豐橋驛も再度の駅舎改築。昭和4(1929)年、西口が新設された。

愛知電氣鐵道の乗り入れ:
名鉄の前身にあたる愛知電氣鐵道(以下愛電)は、昭和2(1927)年6月1日より??田驛に乗り入れたが、以下のような経緯による。
明治45(1912)年、愛電は知多半島西部で路線(現 常滑線)を開通させた。大正6(1917)年、起点の神宮前驛(名古屋市)より東へ路線を延ばし始めた。大正12(1923)年、東岡崎驛(岡崎市)へ到達。大正15(1926)年、豐川鐡道小坂井驛(豐川鐡道??田驛から当時2つ目の駅)に乗り入れた。
豐橋方面へは、愛電が小坂井驛南方に伊奈驛-??田驛までの単線を新設の上で既存の豐川鐡道線の単線と合わせて複線として両社共用する方式をとり、新線が昭和2(1927)年6月1日に開通し??田驛乗り入れを果たして、愛電豐橋線・神宮前-??田間の全通となった。
全通した豐橋線には高速運転をする特急列車や急行列車が新設され、その所要時間は特急63分・急行72分と同区間の鐡道省東海道線に比して40-50分早い高速運転を実施した。さらに昭和5(1930)年からは「超特急あさひ」が1往復新設され、神宮前-??田間を57分で結んだ。このような愛電の優位により、短期間で乗客が東海道線から愛電に流れた。
昭和10(1935)年、愛電は名岐鐡道と合併、名古屋鐡道になった。
太平洋戦争中の昭和18(1943)年、豐川鐡道の路線は国有化され、鐡道省飯田線の一部となった。これに伴い??田驛は豐橋驛に併合され、??田驛を共同使用していた名鉄も豐橋驛への乗り入れ、鐡道省との共同使用へと変更された。同様に線路の共用複線は、買収を経た鐡道省と直接的なライバル関係になったものの解消はされず、JRになった現在でも継続して行われている。

戦災と復興:
太平洋戦争末期の昭和20(1945)年6月19日夜、豊橋の街はアメリカ軍によって空襲された(豊橋空襲)。市街地の約90%が焼失する被害を受け、豐橋驛も機関区と配電室を除いて被災、駅舎は全焼した。飯田線は6月22日に、名鉄線は翌23日に再開したが、東海道本線が平常運転に復するのに1週間を要し、駅の一般乗降客の取り扱い再開は7月20日だった。 空襲後、駅舎は東海道本線側はバラックで営業を続け、飯田線・名鉄線側(旧 ??田驛)についてはコンクリート壁だけが焼け残った残骸のまま使用されていた。
空襲から5年後の昭和25(1950)年、新駅舎が再建された。この駅舎は、国鉄以外の企業・自治体などが駅舎の改築工事費を分担し、竣工後に一部を商業施設などに使用する「民衆駅」の第1号として有名である。木造2階建て・建坪560坪(1850㎡)で、1階に飲食店・理髪店・雑貨店など民間の商業施設が、2階には市民出資の「豊栄百貨店」が入居した。同時期に、駅前広場の拡張も実施された。従来の広場面積は4,000㎡を拡張して18,600㎡とした。広場には、防火用水と広場の美化を目的に噴水も設置された。

戦後の展開:
昭和28(1953)年、東海道本線の電化区間が豊橋駅を経て名古屋駅まで到達した。これにあわせて東京駅と大阪駅を結ぶ特急「はと」が豊橋駅への停車を開始した。
一方名鉄は昭和23(1948)年、名岐線と豐橋線を一体化して豐橋驛と新岐阜驛(岐阜県岐阜市、現 名鉄岐阜駅)を結ぶ「名古屋本線」と改称した。伴って豊橋と岐阜を結ぶ直通列車の運転開始。
昭和39(1964)年10月1日、東海道新幹線が東京駅から新大阪駅まで開通。このとき、豊橋駅にも新幹線の駅が新設された。新幹線駅が建設された豊橋駅西口は鉄筋コンクリート造2階建ての橋上駅舎に改築された。
その後新幹線の開通と東三河地域の工業開発により乗降客数のさらなる増加が見込まれ、駅舎の改築を開始。改築に先立ち、初代民衆駅2階にあった「豊栄百貨店」は昭和43(1968)年に駅東口に新ビルを建て地下1階・地上7階建ての「シャルマン豊栄」として移転した。しかし2年後に火災が発生、営業を休止している。
昭和45(1970)年、完成された新駅舎は、地下1階・地上3階建て、鉄筋コンクリート造の駅ビルとして開業した。駅ビル「豊橋ステーションビル」は100余りの店舗が入居する商業施設を兼ねており、運営会社として豊橋市も出資する豊橋ステーションビル株式会社が設立された。また、駅ビル建設と平行して市は駅前の整備にも着手。駅前の混雑解消と歩行者・車両の分離を図り、昭和51(1976)年までに東口コンコースと駅前街区などを結ぶ地下道と、西口と東口を結ぶ東西連絡地下道からなる総延長約700mの地下道を完成させた。

JR発足後:
昭和62(1987)年、国鉄の分割・民営化により国鉄豊橋駅の旅客営業はJR東海に、貨物営業はJR貨物に継承された。
JR東海は会社発足当時から、建築から20数年を経て陳腐化した駅ビルのリニューアルを計画していた。豊橋市側でも東西自由通路を整備し駅周辺の活性化を図る計画があり、平成2(1990)年にJR東海と市は駅ビルリニューアル・自由通路整備等の推進で合意、東西自由通路・橋上駅舎・東口駅前広場の整備と駅ビル増改築からなる「豊橋駅総合開発事業」が進められることになった。平成6(1994)年に本体工事に着手、市政90周年に合わせた平成8(1996)年、まず第一段階として自由通路と橋上駅舎が完成。第二段階として平成9(1997)年までに商業施設とホテルからなる駅ビルが開業した。駅ビルは既存ビルに2層増築して5階建てのビルとし、その線路側に13階建てのホテル棟を新築して延べ床面積を従来の4倍にあたる約40,000㎡とした。東口駅前広場の整備は平成10(1998)年に完成。約5,000㎡のペデストリアンデッキが整備され、デッキ下の1階部分にはバス・タクシー・路面電車といった公共交通機関のターミナル機能が集約された。このうち路面電車については軌道が約150m延伸され、駅に直結する形となった。
続いて平成16(2004)年から、東口南側の地域において再開発事業が開始された。駅近くにありながら東海道本線と豊橋鉄道渥美線に挟まれているため低未利用地だった(それまで駐車場として使用されていた)貨物駅・操車場跡地を再開発する事業である。平成20(2008)年3月に新豊橋駅との乗り換え距離を短縮する南口自由連絡通路が整備され、6月に渥美線新豊橋駅の移設が完成、低未利用地の活用と渥美線との乗り換え利便性向上が達成された。
ちなみに、現在、新幹線車内放送でも豊橋鉄道への乗り換え案内を行っている。

年表:
明治21(1888)年9月1日 - 官設鉄道(当時は、内閣鐵道局)の駅として、豐橋驛開業
明治30(1897)年7月15日 - 豐川鐵道が豐川驛まで開通、同鐵道豐橋驛開設
明治32(1899)年12月11日 - 豐川鐵道の豐橋驛を??田驛に改称
明治42(1909)年10月12日 - 線路名称制定。豐橋驛を通る官設鉄道線を東海道本線と命名
大正5(1916)年7月10日 - 駅舎改築、新駅舎使用開始
大正14(1925)年7月14日 - 駅前に、豐橋電氣軌道(現 豊橋鉄道東田本線)の駅前停留場開業
昭和2(19279年5月27日 - 駅舎改築
 6月1日 - ??田驛に、愛知電氣鐵道豐橋線が乗り入れ
 10月1日 - 駅南南東に、渥美電鐵(現 豊橋鉄道渥美線)の新豐橋驛開業
昭和4(1929)年4月21日 - 西口開設
昭和10(1935)年8月1日 - 愛知電氣鐵道が合併で名古屋鐡道(二代目:現 名鉄)になる。
昭和11(1936)年12月1日 - 二俣西線(現在の天竜浜名湖線の一部) 新所原-三ヶ日間 (12.1km) 開業。(豐橋驛乗り入れ開始時期は不明)
昭和18(1943)年8月1日 - 豐川鐡道が国有化され飯田線となる。あわせて??田驛を豐橋驛に統合、豐橋驛は国有鉄道と名鉄の共同使用駅となる。
昭和20(1945)年6月20日 - 空襲で駅全焼
昭和21(1946)年2月1日 - 西口の営業再開
昭和23(1948)年5月16日 - 名鐡豐橋線、名古屋本線に改称
昭和25(1950)年3月14日 - 「民衆駅」の新駅舎が竣工
 3月30日 - 国鉄総裁加賀山之雄臨席のもと新駅舎竣工式挙行
 4月1日 - 新駅舎開業
昭和28(1953)年7月21日 - 東海道本線の浜松駅から名古屋駅まで電化。この日から特急「はと」が豊橋駅に停車開始
昭和39(1964)年10月1日 - 東海道新幹線開通、新幹線停車駅となる。
昭和45(1970)年7月1日 - 新駅舎「豊橋ステーションビル」営業開始
昭和61(1986)年11月1日 - 荷物取り扱い廃止
昭和62(1987)年3月15日 - 国鉄二俣線の廃止に伴い9・10番線ホーム廃止
 4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄豊橋駅は東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)が継承。
平成8(1996)年9月16日 - 橋上駅舎・東西自由通路使用開始
平成9(1997)年3月9日 - 駅ビル商業施設「カルミア」開業
 6月11日 - 駅ビルのホテル「ホテルアソシア豊橋」開業
平成10(1998)年2月19日 - (豊橋鉄道)駅前停留場が東口駅前広場のペデストリアンデッキ下(現在地)に設置
 3月 - ペデストリアンデッキ、豊橋駅東口サークルプラザ新設など東口駅前広場の整備完成
 10月3日 - JR貨物、豊橋駅を「自動車代行駅」に指定。コンテナ貨物列車設定廃止
平成15(2003)年10月1日 - 新幹線ダイヤ改正で「ひかり」停車本数増加(1日上下6本ら16本へ)
平成17(2005)年6月25日 - 名鉄においてトランパスが利用可能に(平成24(2012)年2月29日をもってサービス終了)。
平成18(2006)年11月25日 - JR東海においてICカード「TOICA」の利用が可能となる。
平成20(2008)年3月11日 - 南口自由連絡通路新設
平成23(2011)年2月11日 - 名鉄においてICカード「manaca」の利用が可能となる。
平成24(2012)年4月21日 - TOICA・manaca相互利用が可能となる。飯田線・名鉄線ホーム(1・2・3番線)にはJR←→名鉄の乗り換え用簡易改札機が設置された。
平成27(2015)年8月7日 - 在来線改札内の「駅ナカ」化による第1号店として「ベルマート豊橋店」がオープン。10月には「成城石井」や「ミニプラ」など4店舗が、12月には「PRONTO」などが入る「フードテラス」がオープンした。

駅構造:
豊橋駅のホームは、大きく分けて東側にJRの在来線(東海道本線・飯田線)と名鉄線のホームが、西側に新幹線のホームが配置されている。新幹線の駅は高架駅である例が多いが、豊橋駅は地上駅で、在来線のみならず新幹線も線路やホームがほぼ地平レベルに存在する。

在来線・名鉄線:
a0057057_2271737.png在来線・名鉄線のホームは計5面8線。ホームの形状は、片側のみに線路が接する単式ホーム(1面1線)、両側に線路が接する島式ホーム(2面4線)、そしてホームの端が同一平面で繋がった頭端式ホーム(櫛形ホーム・2面3線)が混在する。ホーム番号は東側を起点に1番線から8番線まであり、頭端式ホームの3線が1・2・3番線(左写真右側が1番線、左側が2番線)、単式ホームの1線が4番線、島式ホームの4線が5・6・7・8番線である。頭端式ホームは4番線の単式ホームの北側を切り欠いた形で、同一平面上で移動が可能である。
a0057057_2265128.png1・2番線に飯田線の列車が、3番線に名鉄線の列車が発着し、4-8番線には東海道本線の列車が発着する。ただし、使用頻度はごくわずかだが4番線も飯田線の列車が使用する。

a0057057_2253118.png飯田線の列車が1・2番線に入線中に名鉄線の列車の出発は可能だが、名鉄線の列車の入線中に1・2番線の飯田線の列車の出発または飯田線の列車が出発中に名鉄線の列車の入線は不可となっている。東海道本線は上り、下り列車ともに4~8番線の各線から出発はできるが、入線は上り列車が4~6番線、下り列車が7・8番線に限られる。 このため、浜松方面から飯田線に乗り入れる列車が設定される場合は、豊橋駅停車後、西小坂井駅まで引き上げられ、西小坂井駅留置線で方向転換ののち4番線に再入線する。現在でも飯田線の特急「伊那路」に使用される373系電車は浜松駅から普通列車または回送列車として豊橋駅まで送り込まれるが、この際にも豊橋駅下り線に入線したのち、上述の経路で豊橋運輸区まで転線を余儀なくされている。かつて、静岡地区を拠点にジョイフルトレイン「ゆうゆう東海」や急行形電車を使用した飯田線直通運転の臨時観光列車が頻繁に運行された時期があるが、この際には多くの場合、乗客を乗せたまま豊橋-西小坂井間を往復していた。この転線措置は東海道本線浜松方面から飯田線に乗り入れる場合にのみ行われているものであり、飯田線から東海道本線上り方向に直通する場合、あるいは名古屋方面と飯田線との相互間の直通運転に際してはこのような転線措置は不要であるため行われない。

ホームの使用状況を表で示すと以下のとおりである。
豊橋駅在来線プラットホーム
1・2番線 飯田線 豊川・飯田方面
3番線 名鉄名古屋本線 東岡崎・名鉄名古屋方面
a0057057_2245434.png4番線 東海道本線 下り 岡崎・名古屋方面
    飯田線 豊川・飯田方面
5 - 8盤線 東海道本線 下り 岡崎・名古屋方面
       上り 浜松・静岡方面
8番線の西側にもう1面島式ホームがある。これはかつて豊橋駅まで直通運転していた二俣線(現・天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線、2つ東の新所原駅が起点)のホームで、直通運転をとりやめた現在では留置線に使用されるのみである。このため9・10番線は欠番となっている。
構内にはホームに隣接しない線路も複数存在する。そのうち東海道本線の浜松寄り東側に伸びる線路は、豊橋鉄道渥美線の花田信号所に繋がる。ここはかつて渥美線との間で貨車の受け渡しが行われた場所で、現在では新車搬入の際などに使用される。また構内の名古屋寄り(1・2番線ホーム北側)には豊橋運輸区がある。
建設時の経緯から飯田線の前身・豐川鐡道と名鉄の前身・愛知電氣鐵道は、豊橋駅から平井信号場までの約4kmの区間において線路を共用したが、これは両者がJR東海・名鉄となった現在でも残る。この共用区間では、名鉄の列車本数は1時間あたり最大6本と協定によって制限されている。

新幹線
新幹線のホームは計2面3線で、ホームの形状は単式ホーム(1面1線)および島式ホーム(1面2線)である。ホーム番号は東側(在来線側)から11番線・12番線・13番線の順で、島式ホーム東側が11番線、その反対側が12番線、単式ホームが13番線である。基本的に、12番線を上り列車が、13番線を下り列車が使用する。11番線はダイヤが乱れた際の予備のホームで通常列車は発着せず、工事用車両の留置に供される。12番線と13番線の間には上下の通過線が通る。
13番線は単式ホームであるが、反対側(西側)に14番線を増設するスペースが確保されている。

豊橋駅新幹線プラットホーム
11・12番線 東海道新幹線 上り 新横浜・東京方面
13番線 下り 名古屋・京都・新大阪方面

駅舎:
駅舎は東西自由通路を併設する橋上駅舎であり、ホームの上空部分に設置されている。橋上の改札階とホームの移動用に階段のほか、エスカレーター・エレベーターが各ホームに設置されている。改札口はJR線・名鉄線改札口と新幹線改札口の2か所で、どちらも自由通路に面する。
みどりの窓口設置駅。JR東海の駅としては駅長配置駅(直営駅)であり、管理駅として二川駅を管理している。

駅ビル
駅ビルは東口側にあり、橋上駅舎とあわせて整備された。地下1階・地上5階建ての建造物と、飯田線・名鉄線上空部分を含めた地上13階建ての高層棟が一体となったビルである。名称は「豊橋ステーションビル」で、地下1階から地上4階までが商業施設、地上1・2階の一部と5階から13階までがホテルとして使用されている。商業施設の名称は「カルミア」で豊橋ステーションビル株式会社が運営、ホテルの名称は「ホテルアソシア豊橋」で株式会社ジェイアール東海ホテルズが運営する。ビルの2階部分に駅の改札口へ通じる自由通路が通り、その自由通路から豊橋鉄道新豊橋駅へ通じる南口自由連絡通路が分かれる。

貨物の取り扱い:
a0057057_22345643.png豊橋オフレールステーション
豊橋オフレールステーション(略称:豊橋ORS)は、豊橋市北島町中川原(船町駅北東側)にあるJR貨物のコンテナ取扱駅である。コンテナ取扱駅ながら貨物列車が発着せず、列車輸送にかえて最寄の列車発着駅までトラックによる代行輸送を行う「オフレールステーション」のひとつ。豊橋ORSの場合、トラック便は西浜松駅(浜松市)との間に1日3往復設定されている。大型コンテナおよび産業廃棄物の取り扱いは豊橋ORSでは行っていない。
豊橋駅はかつて貨物列車が発着していたが、平成10(1998)年10月3日より発着のない「自動車代行駅」に変更された。さらに平成18(2006)年4月1日、トラックで代行輸送を行うコンテナ基地の名称を統一した際、ORSとなった。列車の発着がないものの豊橋ORSには線路が残る。しかし、車止めが設置されており旅客駅側とは分断されている。

その他:
国鉄(のちJR貨物)が展開する「物資別適合輸送」の1つにかつては飼料輸送があり、国鉄は日本飼料ターミナル株式会社を昭和44(1969)年に設立、配合飼料の中継サイロ基地を養鶏が盛んな場所へと設置していた。この中継基地が同年12月、豊橋駅にも新設されている。しかし、1970年代後半以降の利用の低下で基地は閉鎖され、会社そのものも昭和61(1986)年に解散した。
また、豊橋駅は貨車操車場の機能を持っていた時期がある。飯田線沿線の佐久間ダム建設の際、ダム建設資材輸送のための飯田線輸送力増強の一環として、豊橋駅の操車場機能が強化され、昭和30(1955)年駅が拡張された。操車場としての分類は昭和53(1978)年10月ダイヤ改正の時点で「地区指定組成駅」であったが、昭和59(1984)年2月ダイヤ改正に伴うヤード集結系貨物輸送の廃止によって役目を終えた。


参考資料:Wikipedia(2017年4月1日)
現地取材:28.12.28他
記事投稿:29.4.-2
  調整:29.6.-5

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by fbox12 | 2017-06-05 17:54 | 鉄道・バス

076-90 岩淵駅 (国鉄)(→富士川(JR東海))

a0057057_11145175.pngいわぶち(→ふじかわ)

所在地:静岡県庵原郡富士川町
所属・路線:日本国有鉄道・東海道本線
(上記いずれも駅名改称時)
(現 所在地:静岡県富士市中之郷1228-4 /所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道本線)

歴史:
現在の東海道本線にあたる官設鉄道線の建設が決定した際、駅に関しては、当初宿場町単位で設置する予定であり、吉原宿の隣(次)は蒲原宿のあたりに設置する予定であった。その間にある岩淵村(現 富士市)は身延山久遠寺への身延道が東海道から分岐する間の宿ではあるが、正式な宿場町ではないことから駅設置の予定はなかった。しかし、岩淵村では地元の有力者が発起し、隣村であり官設鉄道線が通っていた中之郷村へ「岩淵驛」を設置するよう直接陳情を行い、最終的に土地提供を行うことを条件に蒲原宿に代わってこの地に駅が設けられることになった。これには、村内でも賛否両論があり、駅設置賛成派の暗殺も企てられたといわれる。結果として、蒲原宿のあたりは駅が設けられず、蒲原町ではその後に駅設置の請願を行い、明治23(1890)年5月16日に蒲原驛が設けられたが、由比宿と蒲原宿双方の利便を図りその間である堰沢村に設けられたため宿場町の中心からは離れていた。
かつての蒲原宿あたりに駅が設けられたのは、昭和43(1968)年10月1日の新蒲原駅設置まで約80年の年月を必要とした。
明治33(1900)年に制作された『鉄道唱歌』第1集東海道編では、この辺りを富士川における源平合戦と身延からの海運を題材にして、以下の様に歌った。

18.鳥の羽音におどろきし 平家のはなしは昔にて 今は汽車ゆく富士川を 下るは身延の帰り舟

明治22(1889)年2月1日 - 内閣鐵道局岩淵驛として、國府津驛 - 靜岡驛間の開通と同時に開業。一般駅
明治28(1895)年4月1日 - 線路名称制定。東海道線(明治42(1909)年に東海道本線に改称)の所属となる。
昭和45(1970)年6月1日 - 駅所在地の庵原郡富士川町(当時)に合わせ富士川駅に改称
(以下、富士川駅)

日本軽金属蒲原工場専用鉄道:
日本軽金属が蒲原工場(昭和15(1940)年操業)への製品の搬出及び工員の輸送を目的として昭和17(1942)年2月27日に岩淵驛-日本軽金属蒲原工場間(2.295m)の専用鉄道免許を得た。2月30日に工事に着手し、資材入手難のため完成が遅れたが、昭和18(1943)年4月に竣工監査を終えることができた。機関車は国鉄5形を昭和15(1940)年6月小島栄次郎工業所より購入し、翌16(1941)年3月より専用側線で使用。さらにもう一両、昭和16(1941)年12月本江製作所(立山重工業)製を入手し使用した。工員輸送用の車両は元白棚鉄道ガ1・2ガソリンカーを国鉄より払下げをうけ客車(ホハ103・104)に改造(定員40人を60人へ変更)し、さらに有蓋貨車3両(元成田鉄道ワ1-1・1-2・1-3)の払下げをうけ客車(ホハ105-107、定員40人、座席ナシ)として使用した。
その後次のディーゼル機関車に置き換えられた。
 DD102(昭和29(1954)年三菱製、昭和41(1966)年西濃鉄道に売却)
 DD103(昭和36(1961)年三菱製)
 DF105(昭和40(1965)年三菱製、昭和59(1984)年3年31日廃止)

参考資料:Wikipedia(2015年11月13日)
現地取材:45.5.31
記事投稿:28.4.14
  調整:29.6.-5

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041 熱海駅 (JR東日本/JR東海)

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あたみ

所在地:静岡県熱海市田原本町11-1
所属・路線:(在来線)東日本旅客鉄道株式会社・東海道本線/(新幹線)東海旅客鉄道株式会社・東海道新幹線
電報略号/事務管コード:アタ/460131

概要:
当駅は、静岡県東部に位置する温泉街熱海市の代表駅である。東海道新幹線と、在来線の東海道本線、伊東線の合計3線が乗り入れる。在来線における当駅の所属線は東海道本線である。
東京方面から見た場合、静岡県に入って最初の駅である(新幹線・在来線とも)。JR東日本とJR東海の共同使用駅であり、新幹線構内はJR東海新幹線鉄道事業本部が管理し、在来線構内はJR東日本横浜支社が管理・駅業務を行っている。
駅の開業は大正14(1925)年3月である。開業当初は國府津驛を起点とする熱海線の終着駅であったが、昭和9(1934)年12月に当駅西側の熱海 - 沼津間が開業し、東海道本線の中間駅となった。伊東線は翌年の昭和10(1935)年3月から乗り入れている。東海道新幹線の熱海駅は、新幹線が開業した昭和39(1964)年10月から存在する12駅のうちの一つである。
昭和62(1987)年3月まで、これらの路線はすべて日本国有鉄道(国鉄)の路線であったが、同年4月の国鉄分割民営化によって、在来線は当駅が旅客営業上のJR東日本とJR東海の会社境界駅となり、東海道本線の当駅以東(東京方面)と伊東線はJR東日本、東海道本線の当駅以西(静岡方面)はJR東海の管轄となった。ここで旅客営業上と断っているのは、鉄道資産の境界は当駅構内ではなく丹那トンネル東側坑口付近にある来宮駅上り場内信号機(来宮駅北西)のためであり、すなわち、東海道線上り列車を例としていえば、来宮駅-当駅間はJR東海の列車(車両は東日本の場合もある)がJR東日本の線に乗り入れているのである。依って、上記の共同使用駅の定義は、東海道新幹線と在来線の会社の違いによるもので、在来線熱海駅はあくまでもJR東日本の駅なのである。ちなみに、熱海止まり(来宮回送留置)の列車及び東海道本線熱海-函南間を運行する列車の乗務員時刻表には「来宮」の駅名(旧 信号所)が記載されている(こちらは、来宮駅に東海道線のホームがなく旅客扱いはできないため、あくまでも列車運転上の表示)。
在来線ではJR東日本の熱海運輸区が構内に存在するなど運行上の拠点でもあるため、当駅を経由するすべての旅客列車が客扱い停車していたが、平成21(2009)年3月14日のダイヤ改正で臨時列車とされた「ムーンライトながら」は運転停車扱いとなった。特急列車や一部普通列車(朝夕の沼津駅発着列車など)を除く大半の列車が当駅で系統が分離されている。
JR東海の管轄となっている新幹線は、各駅停車の「こだま」と、「ひかり」のうち、東京 - 岡山間の2往復と、上り広島発東京着の列車1本、下り東京発新大阪止まりの列車1本が停車している。
東海道本線は当駅を境に管轄会社が異なっているが、当駅では両方向とも「東海道線」(上り・下りの表記もあり)と案内されている。本稿でも必要に応じて、その案内方式に準じた表記も用いる。
IC乗車券「Suica」対応自動改札機も設置されているが、当駅で乗車・下車する場合は東海道本線の湯河原方か伊東線からのみ利用可能である。また、当駅から東海道本線の函南方に関しては、平成20(2008)3月1日よりSuicaとの相互利用が可能なIC乗車券「TOICA」が導入されたが、その利用エリアは当駅までではなく西隣の函南駅以西となっており、当駅と函南駅間(を含む経路の場合)は両方向ともIC乗車券のサービスエリア外となる。名古屋方面へ向かうには当駅で交通系ICカードの残高を使ってきっぷを購入する必要がある。
*また、Suicaグリーン券は、小田原方面及び伊東方面のみ対応で、グリーン券発券機(自動券売機)の表示も同方面のみ表示される。
*注、運賃計算の特例として、列車の運行上同じ区間を往復する場合、その区間分の距離数は運賃計算に反映されないが、函南駅方面と伊豆多賀駅方面へ相互に直通する列車がなく、かつ、来宮駅は東海道線の駅としては定義されないため、必ず当駅経由(発駅-当駅-着駅)の運賃計算となる(来宮-熱海間の片道1.2kmが必ず上乗せになる・・例として、函南駅以西から来宮駅から先の駅まで乗車運賃など)。

歴史:
東海道本線は当初、小田原 - 熱海 - 三島の山岳地帯にトンネルを開削する技術がなかったこともあり、今の御殿場線ルートで建設された。そのルートから外れた小田原・熱海では、國府津驛より小田原電氣鐵道という路面電車で小田原市街へ、さらに豆相人車鐵道→熱海鐵道→大日本軌道→熱海軌道組合の人車軌道・軽便鉄道により熱海まで連絡を図った。
その後、御殿場経由は急勾配が存在し輸送力増強の障壁になることや、トンネル掘削の技術が進展したことなどから、当初見送られた熱海経由での路線整備が決定する。そして大正14(1925)年、熱海線として、熱海駅まで鉄道路線が開業して路面電車や軽便鉄道は全廃。昭和9(1934)年、丹那トンネルが開通すると熱海線は東海道本線となった。

年表:
a0057057_21574171.png明治27(1895)年 - 吉濱(現湯河原町内)まで豆相人車鐵道開通(翌年小田原延伸)
明治40(1907)年 - 豆相人車鐵道改め熱海鐵道により、小田原 - 熱海で蒸気機関車運転開始
大正12(1923)年9月1日 - 関東大震災のため、熱海鐵道より改めた熱海軌道組合線休止(後に廃止)
大正14(1925)年3月25日 - 鐵道省(日本国有鉄道の前身組織)により、熱海驛が開業(熱海線 湯河原 - 熱海間の開通と同時)。旅客・貨物営業開始
a0057057_227298.png昭和9(1934)年12月1日 - 熱海 - 沼津間の開通に伴い、熱海線は東海道本線に編入される。
昭和10(1935)年3月30日 - 伊東線 熱海 - 網代間開通
a0057057_16305120.png昭和39(1964)年10月1日 - 東海道新幹線開業、停車駅となる。
昭和41(1966)年9月1日 - 貨物取扱廃止
昭和49(1974)年 - 新幹線ホームに可動柵設置(新幹線で初)
昭和61(1986)年11月1日 - 荷物取扱廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、当駅を境に東海道本線(東京方面)・伊東線はJR東日本、東海道本線(静岡方面)・東海道新幹線はJR東海が継承。駅業務は在来線が東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海道新幹線は東海旅客鉄道(JR東海)が継承
平成13(2001)年11月18日 - JR東日本でICカード「Suica」の利用が可能となる。
平成18(2006)年 - 伊東線のCTC装置が当駅構内の進路制御も可能な装置に更新され、CTCセンターが来宮駅構内より当駅に移転
平成22(2010)年3月31日 - 熱海ラスカ(熱海駅デパート)閉鎖。12月下旬に解体工事完了
平成23(2011)年4月 - 9月 - 熱海駅バスターミナルにおいて、仮バス停の使用開始(4月1日から)。解体工事
 11月 - 仮駅舎完成、11月10日に一部使用開始。(NEWDAYSミニ熱海・BECK'S COFFEE SHOP熱海店)
 12月1日 - ドトールコーヒー熱海店閉店。熱海観光案内所移動開設
平成24(2012)年1月10日 - 旧ドトールコーヒー熱海店横にあった旅客トイレが1番線ホーム東京方へ移動。これに伴い静岡県警鉄道警察隊熱海分駐所も移動
 2月15日 - 駅前広場改良工事再開
 8月25日 - 足湯裏のコインロッカー使用停止。後日撤去された。
平成25(2013)年3月15日 - バス乗り場とタクシープール完成、使用開始
 12月12日 ‐ 熱海軽便鐵道7号機関車の移送作業が行われる。
平成26(2014)年10月26日 - 熱海駅新駅舎・駅ビル建て替え工事起工式が行われる。
平成27(2015)年3月25日 - 開業90周年。記念イベントが熱海駅仮駅舎前で行われた。
 11月29日 - 新駅舎(駅ビルを除く)使用開始
平成28(2016)年11月25日 - ラスカ熱海オープン

駅構造:
JR東日本が管轄する在来線駅(東海道本線・伊東線)は地上駅、JR東海が管轄する新幹線駅は高架駅である。

在来線
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乗降設備は単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、合計3面5線のホームが設けられている。
構内の南側にかつて貨物線だった単式ホームがあり、その北側に島式ホームが並ぶ。ホームの番号は、単式ホーム側から1番線・2番線…の順で、5番線まである。そのうち、2番線が下り本線、5番線が上り本線となっている(単式ホームがなかった頃は、現在の中線(現在の3・4番線)が本線だった)。5番線北側には上りの副本線及び有効長5両編成2本程度の留置線(副本線横に1線、東京方トンネル前に1線)がある。
現在の配線・信号の関係は、
 1番線 - 入線は東京方、伊東線方双方から可能。出発は、伊東線方へ可能(上左写真左側)。
 2番線 - 東京方から入線。東海道下り及び伊東線方へ出発(上左写真右側)。
 3番線(中1番) - 入線・出発共いずれの方向から(へ)も可能(上右写真右側)。
 4番線(中2番) - 同上(通常、伊東線へ出発となる列車はないが、ダイヤ混乱のおり、伊東行きを入線させたことがある)(上右写真左側)。
 5番線 - 東海道線上り列車のみ。
なお、JR東日本の管理駅である都合上、JR東海が利用できるのは(上記3番線または4番線のいずれか)1線のみである。そのため事故・トラブルや大雨・落雷などでダイヤが乱れた場合、沼津方面からの列車がホームに入線できないため沼津駅や東田子の浦駅で打ち切りになることも発生する。
*以前、来宮駅の手前まで東海道線・伊東線が線路を共用していたころは、伊東線の列車も東海道上り線を走行していたため、現在の5番線へ入線することができた。

駅舎は1番線に隣接する場所に設置されている。平成22(2010)年3月31日までは駅ビルの「熱海駅デパート」が併設されていた。改札口は駅舎内の1か所のみで、改札口から各ホームに直結する地下道が存在する。
改札外にはJR東日本が営業するみどりの窓口に加え、コインロッカーと静岡銀行のATMが設置されている。観光案内所とエフエム熱海湯河原(Ciao)のサテライトスタジオも併設されていたが、一旦、仮駅舎に移動した後、新たにオープンしたラスカ熱海1階に再設置された。
構内に熱海CTCセンター(熱海運輸区の管理下)がある。JR東日本東海道本線の東京駅 - 湯河原駅間では東京圏輸送管理システム (ATOS) が導入されているが、当駅・来宮駅ならびに伊東線の運行管理・進路制御は熱海CTCセンターで行っている。
また、1番線ホーム上には、JR東海の乗務員詰め所が設置されている。
長らく、駅自動放送は平成4(1992)年から使用されている古いタイプ(東海道型)が使用されていたが、平成27(2015)年2月17日に新しいタイプ(旭型)に更新された。

のりば:
a0057057_14574392.png1番線 JR東日本 伊東線 伊東・伊豆急下田方面普通(当駅始発は1本を除きこのホーム)
2・3番線 JR東海 東海道線 下り 三島・沼津・静岡・浜松方面(一部は4番線から発車)
 JR東日本 伊東線 伊東・伊豆急下田方面特急と一部の普通
4・5番線 東海道線 上り 小田原・横浜・品川・東京・上野方面
a0057057_22185551.png (上野東京ライン含む、一部は3番線から発車(湯河原・平塚・大船・川崎方面)
在来線は旅客営業上JR東日本とJR東海の境界駅である。会社相互間を直通する普通列車は平成16(2004)年10月16日のダイヤ改正で大幅に削減され、朝夕の通勤時間帯と夜間を除いて当駅で乗り換えが必要となっている。乗り換え時間が短い場合でも、階段連絡でホーム間の移動が必要なことが多い。当駅始発の列車の中には、上野東京ライン・宇都宮線(東北本線)に直通し、宇都宮経由黒磯行きの直通列車も数本設定されている。

新幹線
a0057057_16532062.png新幹線乗降設備は待避線のない相対式ホーム2面2線の構造。ホーム上の乗り場番号は南側(在来線ホーム側)から6番線・7番線の順で付番されている。山肌に沿った高い位置にホームがあり、列車通過の際に危険がないようにホーム可動柵が設置されている。可動柵は昭和49(1974)年に新幹線初のものとして設置されたが、老朽化のため、上りホームは平成23(2011)年12月、下りホームは同24(2012)年7月に取り替えられ、開口幅や扉の位置も変更された。
当駅はスペースの都合で待避線が設置されなかったため、ダイヤ作成上のネックとなっている。その上、当駅付近から新丹那トンネルまでの区間内には最小曲線半径1500mという新幹線有数の急カーブが控えており、この影響で「のぞみ」を初めとする通過列車は最高速度185km/hに制限されている。この速度は、東海道新幹線の駅通過速度としては最も遅い。
JR東日本の地下道とJR東海新幹線コンコースの間には、乗換改札が設置されている。乗換改札口はかつて2か所あり、東京方は入口・出口兼用、新大阪方は出口専用だったが、平成9(1997)年のリニューアル工事で改札口が1か所に集約された。新幹線乗換口の在来線側にはJR東海が営業するみどりの窓口がある。
地形の関係上、新幹線独自の改札口は設けられておらず、JR東海の新幹線改札内へはJR東日本の在来線駅構内を経由しなければならない構造となっているため、JR東海のみが扱う乗車券・サービスを受ける旅客はJR東日本の改札口で「熱海駅構内通過票」の交付を受けた上で、JR東海のみどりの窓口まで出向く必要がある。EX-ICカードやプラスEXカードを所持している場合は、Suicaなどの都市圏のICカードをJR東日本の自動改札機にタッチさせた上で、新幹線の自動改札機に都市圏のICカードとEX-ICカードまたはプラスEXカードを2枚重ねてタッチすることで、新幹線ホームへの入出場が可能となっている。

のりば:
a0057057_16452677.png6番線 東海道新幹線 下り 名古屋・新大阪方面
7番線 東海道新幹線 上り 新横浜・東京方面


駅舎の建替え:
a0057057_15113967.png駅舎は老朽化が著しいことから、建替え工事がされ、平成28(2016)年11月25日にラスカ熱海が営業を開始した(この時点で、熱海市の駅前整備計画は完了していない)。
旧駅ビルラスカ(注、「ラスカ」の名称は関係者のみが使用していたもので、地元では「熱海駅デパート」と呼んでいた)は平成22(2010)年3月31日をもって店舗を閉鎖し、同年7月から建物の取り壊し工事を行い、11月まで行われた。これに伴い、熱海市では駅前の整備事業を行い、バスターミナルは2層化され、1階がたタクシープール、2階がバスターミナルとなった。旧タクシーのりばは旅館・ホテルの送迎車及び一般車の駐車場となった。また、JR東日本の保養所「いでゆ荘」も取り壊され、「ラスカ熱海」の駐車場となったほか、入口にあった熱海駅前交番も春日町バス停側に移設されている。
桃山方面へ向かう桃山ガードの連絡道も伊東線沿いに付け替えられ、一旦、バスターミナル横を通る形になった。


参考資料:Wikipedia(記事に古いものと新しいものが混在するため、確定部分のみに修正)
記事:
 取材:
 投稿:29.1.15
 調整:29.1.16/29.6.-5

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003 東京駅

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とうきょう

概要:
東京の表玄関とも言うべき大ターミナル駅で、特に東海道新幹線と東北新幹線の起点となっており、全国の新幹線網における最大の拠点となっている。また、東海道本線や東北本線など主要幹線の起点駅でもある。平成28(2016)年3月に北海道新幹線が東北新幹線を介して当駅まで乗り入れる様になり、寝台特急(ブルートレイン)の廃止により以前よりいくらかは減ったものの、当駅から乗り換えなしで行ける都道府県は実に33に上る。1日当たりの列車発着本数は約3000本、プラットホームの数は日本一多い日本を代表する駅である。
在来線が地上5面10線と地下4面8線の合計9面18線、新幹線が地上5面10線、地下鉄は地下1面2線を有しており、面積は東京ドーム約3.6個分に相当する。赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したもので、大正3(1914)年に竣工、平成15(2003)年に国の重要文化財に指定された。「関東の駅百選」認定駅。

中央駅としての位置付け:
明治22(1889)年に官設鉄道(当時は内閣鐵道局)東海道本線の新橋 - 神戸間が全通し、私鉄の日本鐵道が上野を始発駅として靑森に向けて線路を建設していた。そこで、新橋と上野を結ぶ高架鉄道の建設が東京市區改正計画によって立案され、明治22(1896)年の第九回帝國議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。実際の建設は日清戦争と日露戦争の影響で遅れ、建設工事は戦争終了後の明治41(1908)年から本格化し、大正3(1914)年12月18日に完成し、同時に「東京驛」と命名された。
JRとなった今でも当駅を「中央駅」と位置付けられており、前身である日本国有鉄道(国鉄)の時代から列車の進行方向を示す「上り・下り」の基点となっていた。現在、中央本線は当駅 - 神田間は戸籍上東北本線となっているが、起点であった当駅へ向かう列車が引き続き上りとされている。なお、「中央駅」である当駅は東京都区内および東京山手線内各駅を発着するJR線長距離乗車券の運賃を算出するためのキロ数基準駅ともなっている(前者:201km以上、後者:101〜200km)。

建設当時の東京駅:
当駅の位置は、江戸時代からの繁華街である京橋側ではなく、建設当時はまだ野原だった丸の内側に建設された。宮城(皇居)の正面に設定され、丸の内口の中央に皇室専用貴賓出入口が造られたことから分かるように、国家の象徴的な位置付けであった。なお、現在の行幸通りはまだ皇居前広場まで開通していなかった。
駅本屋は、辰野金吾と葛西萬司が設計した深谷市産の鉄筋レンガ造り三階建て総建坪9,545m²・長さ330mの豪壮華麗な洋式建築である。大正3(1914)年の開業年は第一次世界大戦の開戦の年でもあり、中国・青島周辺のドイツ租借地を占領した陸軍の司令官神尾光臣中将が凱旋して皇居に参内するイベントに合わせて開業式を行った。アムステルダム中央駅は当駅を建設する際のモデルになったという俗説があるが根拠は薄弱であり、昭和63(1988)年以降に藤森照信らを始めとする西洋建築研究者により設計者の系譜や建築様式の両面から、現在ではほぼ否定されている。南北にそれぞれドーム状の屋根があり、当時は丸の内南口が乗車口、丸の内北口が降車口と分けて使用されていた。中央の玄関は皇室専用とされ、規模は小さいものの、細かい装飾が各所に施されていた。中央玄関と東西の一般出入り口との間に、各一つ別の出入り口があるが、これは荷物の搬入搬出口として設けられた。

歴史:
帝國議会で建設が可決された中央停車場は施工を大林組が担当。前述のとおり大正3(1914)年12月18日に竣工、20日に開業した。
大正8(1919)年3月1日に中央本線が、大正14(1925)年11月1日に東北本線が乗り入れ、以後、徐々に発展していった。
戦前、鐵道省では品川 - 東京間に複線を増設し、京濱東北線の一部と横須賀線を走らせる「京濱急行線計画」が存在していた。その計画では、1・2番線が中央線、3番線が京濱東北線北行・山手線内回り、4番線が京濱急行線終着、5・6番線が横須賀線、7番線が京濱急行線始発、8番線が京濱東北線南行・山手線外回り、9〜12番線が東北本線、13〜15番線が東海道本線となる予定だった。この計画は対米戦により未成に終ったが、その一部は、京浜東北線と山手線の分離運転(「東京縦貫複々線工事」という)に活用された。
太平洋戦争末期の昭和20(1945)年5月25日、アメリカ軍による東京大空襲では丸の内本屋の降車口に焼夷弾が着弾、大火災を引き起こした。これによりレンガ造壁とコンクリート造床の構造体は残ったが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われた。
同年8月の終戦直後から修復体制を整えて計画を立案し、年末から昭和22(1947)年にかけて修復工事を行い、ほぼ現在の外観になった。3つのドーム部分の外壁は修復したが、安全性に配慮してその他の焼失の著しかった3階部分内外壁は取り除いて2階建てに変更、中央ドームは木造小屋組で元の形に復原、南北両ドームは丸型から台形に変更、軒蛇腹・パラペット・壁面・柱型・窓枠などは2階建てになっても忠実に復原、南北ドーム内のホール天井はローマのパンテオンを模したデザインに変更、といった内容だった。
できるだけ早期に本格的な建て直しをするつもりで「4、5年もてば良い」とされた修復工事だったが、占領軍の要求で突貫で進める中でも当時の鐵道省の建築家・伊藤滋や松本延太郎たち、あるいは工事を行った大林組の日夜の努力でできるだけ日本の中央駅として恥ずかしくないデザインによる修復をした逸話が伝えられている。
一方、昭和4(1929)年に開設された八重洲口は、昭和23(1948)年11月16日にモダンデザイン建築の八重洲駅舎が竣工したが、翌24(1949)年4月29日に失火で焼失してしまい、昭和29(1954)年10月14日に駅舎が建て替えられ、八重洲本屋が完成した。八重洲口はその後も順次改築されて百貨店が出店し、地下街が拡がるなど賑やかになってゆくが、丸の内側はレンガ造りのままであった。
昭和39(1964)年10月1日に東海道新幹線が開業し、昭和47(1972)年7月15日には総武地下ホーム、平成2(1990)年3月10日には京葉地下ホームがそれぞれ営業を開始、平成3(1991)年6月20日には東北新幹線が当駅に乗り入れるなど、東京駅は順次拡大してきた。
その後、長らく先延ばしされてきた建て替え計画は、平成11(1999)年から翌12(2000)年にかけて、創建当初の形態に復原する方針がまとめられ、500億円とされた復原工事の費用を丸の内地区の高層ビルへの容積率の移転という形で捻出することで、丸の内地区の高層ビル建て替え事業と並行して、東京駅の復原工事が行われることとなった。復原工事自体は、平成19(2007)年5月30日に起工され、平成24(2012)年10月1日に完成した。

赤レンガ駅舎の復原:
復原に至る経緯
かつての丸の内側の赤レンガ本駅舎は昭和20(1945)年5月25日のアメリカ軍による空襲(東京大空襲)によりその多くが破壊、焼失した。戦災復興工事によって、失われたドーム屋根にかわって木造8角形の屋根が載せられ、内部は3階の窓の開口部は保持されたが、残存したアーチなどのレリーフは新設されたローマのパンテオン風の意匠によるジュラルミン製のドームによって隠された。終戦後の昭和22(1947)年、開業当初の状態より一回り規模を縮小して修復された。GHQの体制下応急処置的に工事が行われ、屋根の小屋組については復員してきた海軍の技師が5年もてばよいということで、薄い木材のトラス造りで応急的に工事をしたという。一方実際に工事にあたった関係者は、あくまで国鉄内部の技術者が修理したのであって旧海軍の技術者が関わったという説は何の根拠もないと主張している。この復旧された駅舎は、応急復旧のままで60年余りが過ぎることになった。旧日本国有鉄道(国鉄)は戦後度々赤レンガ駅舎の建て替え構想を出しては延期しており、昭和62(1987)年4月1日の分割民営化の時には当駅全体の土地の3分割を伴った再開発構想が提案され、赤レンガ駅舎の建て替え高層化か保全をするかが本格的に課題となった。これに対して、「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」などによる赤レンガ駅舎保存の市民運動が起こった。
昭和63(1988)年、政府は学識者の委員会による東京駅周辺地区再開発構想を取りまとめ、赤レンガ駅舎の現在地での形態保全の方針を決定し、JR東日本などの検討により平成11(1999)年、本来の形態に復原することとなった。また、平成15(2003)年4月18日には国指定の重要文化財に指定された。

復原工事:
a0057057_10445392.png平成19(2007)年5月30日より、鹿島・清水・鉄建建設共同企業体が担当となって、駅舎を本来の姿に近い形態に復原する工事が開始された。この工事では、鉄骨鉄筋コンクリート壁で躯体を増築して建築当初の3階建てに戻した上で、外壁、尖塔、南北両ドームの内外の意匠も再現し、新たに地下1・2階を増築し免震装置を設置した。免震装置には地上部分と地下部分との間に免震ゴムとオイルダンパーを設置した。
3階の外壁は、創建当初と同じ仕様の厚さ 15mm の化粧煉瓦を貼った外壁に復原した。戦後の修復で2階に移されていたイオニア式柱頭も当初の3階に移設し、支柱の形状も創建時のものに戻した。失われていた花崗岩の柱頭飾り、銅の高欄はモックアップを用いてディテールや施行方法を検証し、創建当時の意匠に復原した。2階以下は既存の構造煉瓦と同じ厚さ 15mm と 45mm の化粧煉瓦を貼った(下駄っ歯積み)。線路側はコンコース側の壁を撤去し、トップライトから採り入れる自然光で復原された丸の内駅舎を見ることが出来るようにした。
ドーム内部の保存と復原の基本方針は部位によって異なり、3階以上の壁面と天井面は、干支や 2m を超える大きさのワシの彫刻やレリーフが存在した創建時の意匠を忠実に再現し、1階と2階は、3階以上の部分と調和を図りながらも機能性に優れた新しいデザインとした。3階張出部を支えていた装飾付きの鉄骨支柱は、RCで補強され円柱にかわったために、全体としては機能的な装飾のない意匠となった。ドームに施されたレリーフは南北のドームで全く同じである。
工事による一時解体に伴い、それまで使用していた雄勝石の屋根材65,000枚は産地でもある宮城県石巻市雄勝町の業者に送られて、選別・清掃・補修した上で倉庫に保管されていたが、東日本大震災で発生した津波で塩害を蒙った。このため、使用可能と判断された45,000枚のみが復原駅舎でも再利用され、不足した2万枚はスペイン産のスレートで補われた。なお、工事全体では約457,000枚のスレートが必要とされていたため、再利用分を除いた残りのうち15,000枚は石巻市の業者が製作したもののを使用し、残りはスペイン産で補う計画であったが、この業者の工場も津波によって壊滅し、出荷前の天然石スレートも津波に流された。震災後、流されたスレートは回収・洗浄・検品され、使用可能な7000枚が東京に送られた。
ドーム部分の屋根は、建設当時の銅板葺きに戻され、0.4mmの銅板が合計1トン使用された。時計下の外壁レリーフは2m四方の銅板3枚を使って叩き出されたものを使用した。線路側の中央部の屋根はガラス化して、屋根裏をホテルのゲストラウンジにした。
外壁の花崗岩は、中央部御車寄せ周りと1階腰石が北木産花崗岩北木石で、その他はすべて稲田産花崗岩である。 保存・復原工事には、広場側復元部には稲田産花崗岩、線路側は中国産花崗岩をそれぞれ使用した。また、1階腰石は北木産花崗岩北木石である。 日本国内では職人の数も減り、丸の内駅舎のすべての製作をすることは難しいことから、中国での製作とした。稲田産花崗岩は日本で切り出し、中国へ運び、中国で製作のうえ、日本へ戻し丸の内駅舎へ取り付けた。 タイルレンガの目地には、覆輪目地が施工されているが、すでに失われた施工方法となっており、職人が3か月間の試行錯誤で、技術と道具を復活させて再現している。
窓枠には全て三協立山製のサッシが採用された。新しい窓枠はアルミにフッ素樹脂塗装されたものであるが、大正時代には木製建具が主流であったことから、過去の文献の調査だけでなく辰野金吾が設計した岩手銀行中ノ橋支店を視察するなど試行錯誤の末、色合いを木の風合いにできる限り近づけた「東京駅専用ビル用サッシ」を新たに開発した。また窓の装飾に使われるアルミ製鋳物も三協立山が手掛けた。
a0057057_1195716.png復原工事中は、一部仮設の出入口が設置された(上写真の通路奥など)が、発券ができない個所では乗車駅証明書(右写真)を発行し対処した。
平成24(2012)年6月10日に、復原された駅舎の一部(1階部分)が再開業し、同年10月1日に全面再開業した。また、復原工事に伴って平成18(2006)年4月から営業を休止していた駅舎内の「東京ステーションギャラリー」(東日本鉄道文化財団運営)も全面再開業と同日に拡大再開業し、翌々日の3日には「東京ステーションホテル」も規模を拡大して再開業した。地下には新規にレストランが開業した。

駅構造:
かつて、現在のJR東日本とJR東海の駅は同じ国鉄の駅であったが、昭和62(1987)年の国鉄分割民営化を機に、東海道新幹線はJR東海、それ以外はJR東日本の管轄へと分離された。
中央線2番線(現、山手線内回り4番線)と京浜東北線北行3番線(現、山手線外回り5番線)の間には線路が1本あったが、中央線ホームの拡張により、この線路が2番線(現、4番線)となり、旧2番線は撤去された。この線路は同じく線路のみ存在していた東海道本線の11・16番線とは異なり、番線に数えられていなかった。
平成9(1997)年の北陸新幹線高崎 - 長野開業に伴い、ホームの移転が行われた。
まず平成7(1995)年7月に中央線ホームを高架ホームに移転し、その後10月 - 12月に山手線・京浜東北線ホームを、平成8(1996)年6月 - 翌9(1997)年7月に東海道線ホームをそれぞれ1面ずつ丸の内側に移設した。なお、東海道線ホームの移設の際は、1線を撤去して2面3線化したほか、一時期に9番線が仮設ホームだったことがある。
東海道線ホームが2面3線になってからは、大垣行き夜行普通列車(列車番号375M)が下りに限って品川駅始発に改められた。平成8(1996)年3月に運行開始した「ムーンライトながら」(JR東海373系による定期列車)については、当駅始発・終着とされた。
現在の中央線ホームは、丸の内口駅舎と旧中央線ホーム(現在の京浜東北線北行3番線および山手線内回り4番線)の間のやや狭い敷地内に設置されており、やや3・4番線ホーム上に高架部分がせり出している。このことが結果的には丸の内駅舎を取り壊さずに保存できる形となった。
山陽新幹線が博多駅まで延伸してホームを増設するまでは、7・8番線が東北本線・高崎線・常磐線用ホーム、9・10番線が近距離列車用ホーム、11番線が回送線、12・13番線が東海道本線・横須賀線用ホーム、14・15番線が遠距離列車用ホーム、16番線が回送線(後に東海道新幹線に転用)であった。新幹線の開業までは4線ともひっきりなしに列車が発着しており、13番線から15番線を見通すことができなかった。これが重要なトリックとして出てくるのが松本清張の「点と線」である。昭和45(1960)年後半 - 昭和48(1973)年3月31日までは東北本線・高崎線・常磐線の列車は7 - 15番線のうち、どのホームからも発車していた。
上記の通り、在来線は15番線まで存在していたが、昭和48(1973)年4月に第7ホーム(14・15番線)を、昭和55(1980)年に13番線を、昭和63(1988)年3月回送線だった11番線と第6ホームの12番線を、平成7(1995)年に第5ホーム(9・10番線)をそれぞれ使用停止し、後に新幹線のホーム増設や新設を行った。
北陸新幹線の開業に伴って、北陸新幹線用(W7系・白山総合車両所所属)と東海道・山陽新幹線用(700系・N700系・N700Advanced・博多総合車両所所属)の2つのJR西日本の新幹線車両が乗り入れることになった。

 - 各線の詳細 → 003b 東京(とうきょう)駅Ⅱ (JR東日本 / JR東海 / 東京メトロ)

a0057057_14495131.png当駅にはJR東日本とJR東海の窓口のほか、丸の内地下中央改札前にかつて北海道旅客鉄道(JR北海道)が運営する「JR北海道プラザ東京支店」があった。一般の乗車券や特急券のほか、各社のトクトクきっぷを購入することができたが、株主優待などJR各社の窓口のみで扱う切符類が発券できなかった。反面、JR北海道のみで購入可能な切符類を一部を除いて取り扱っていて、JR北海道のオレンジカードも販売されていた(左写真)。

電化方式(列車走行用):
当駅では直流600V(東京メトロ丸ノ内線)、直流1500V(在来線)、単相交流25000V/50Hz(東北・上越・北陸新幹線)、単相交流25000V/60Hz(東海道・山陽新幹線)と4種類の電化方式が存在する。

旅客収入額:
当駅の旅客収入額はJR東日本の駅中第1位である(1日平均およそ2億6千万円、2位は新宿駅で同1億6千万円)。また、平成20(2008)年現在旅客収入額のデータを公開しているJR駅中でも第1位である。どちらも新幹線などの長距離列車の発着が多く、乗車券の単価が高いためである。旧国鉄時代は日本一であった。平成20(2008)年現在は正確な順位がわからないが、各新幹線が集中し、長距離旅客利用が日本一多い駅であるため、日本一であると見られる。

当駅を中心とする以下の地下鉄各駅は概ね半径1km程度範囲内にあるので、状況によっては徒歩での移動の方が早く到達する場合もある。
 大手町駅(東京メトロ丸ノ内線・東西線・千代田線・半蔵門線、都営地下鉄三田線)
 八丁堀駅(JR京葉線・東京メトロ日比谷線)
 日本橋駅(東京メトロ銀座線・東西線、都営地下鉄浅草線)
 三越前駅(東京メトロ半蔵門線(銀座線のりばへは遠い))
 新日本橋駅(JR総武線(快速))
 二重橋前駅(東京メトロ千代田線(行幸地下通路で連絡))
 日比谷駅(東京メトロ日比谷線・千代田線、都営地下鉄三田線(行幸地下通路で連絡))
 有楽町駅(JR山手線・京浜東北線、有楽町線)
 銀座一丁目駅(東京メトロ有楽町線)
 京橋駅(東京メトロ銀座線)
 宝町駅(都営地下鉄浅草線)

再開発事業:
a0057057_17425436.pngJR東日本などが主体となって赤レンガ駅舎の復原などを内容とした当駅周辺の大規模な再開発事業が行われている。
この第1弾として平成19(2007)年3月に日本橋口に超高層ビル「サピアタワー」が竣工した。これと同時に一連の再開発地区が「Tokyo Station City(東京ステーションシティ)」と命名され、キャッチフレーズは「東京駅が、街になる。」に決まった。同年4月には丸の内口の行幸通り地下に「行幸地下通路」が整備され、10月25日には東京駅改札内地下1階に株式会社鉄道会館が運営する改札内商業施設「グランスタ」がオープンした。さらに、同年10月31日には、八重洲口にある大丸などが入居していた昭和29(1954)年竣工の鉄道会館ビルが閉鎖され、11月6日に超高層ツインタワービル「グラントウキョウ」が竣工した(右写真:ノースタワー)。グラントウキョウノースタワー(国際観光会館ビルの跡地に建設)に大丸が移転し、グラントウキョウサウスタワーの地下に飲食店街「グランアージュ」が整備された。また、八重洲地下街からグラントウキョウサウスタワーとパシフィック・センチュリー・プレイスの地下を経由して京葉線地下改札に至る連続した地下連絡通路が整備された。
a0057057_17533828.png平成22(2010)年3月28日には、駅改札内1階「South Court(サウスコート)」にあった改札内商業施設の「Dila東京メディアコート」の跡地に、JR東日本ステーションリテイリングが運営する「エキュート東京」がオープンし、4月12日には赤レンガ駅舎から皇居まで一直線に続く行幸通りが再整備された上で開通した。さらに同年12月4日には、駅改札内1階「North Court(ノースコート)」にあった改札内商業施設の「Dila東京ダイニングコート」の跡地に、鉄道会館が運営する「グランスタ ダイニング」がオープンした。
鉄道会館ビルが解体された後の平成24(2012)年8月にグラントウキョウノースタワー第2期工事が竣工、平成25(2013)年9月にグラントウキョウの2棟を結ぶペデストリアンデッキ「グランルーフ」が竣工(左写真)、同年12月11日に八重洲口駅前広場のバスターミナルが竣工、平成26(2014)年秋に八重洲口駅前広場の全体工事が竣工した。八重洲通りの突き当たりに、壁になる形で存在していた鉄道会館ビルが解体されたことにより、東京湾側から皇居側へ向かう海風が通り抜けやすくなり、ヒートアイランド現象の改善が期待されている。
丸の内口側においては、平成19(2007)年から24(2012)年まで赤レンガ駅舎の復原工事が行われた。この復原工事の完了に伴って、赤レンガ駅舎前の駅前広場にガードレールによる仮設の交通広場が設けられたが、平成27(2015)年冬までに丸の内南口前の交通広場の再整備を行い、29(2017)年春頃までに丸の内北口前の交通広場と丸の内中央口前の「都市の広場(仮称)」を含めた丸の内駅前広場全体の再整備を完了させる予定である。また、平成26(2014)年2月、駅前広場にある総武・横須賀線地下ホーム用の換気塔を、高さ13mから4mまで切り下げると同時にデザインを変更し、駅前景観を改善させた。
さらに、平成26(2014)年に丸の内地下エリアに地下南口待合広場を整備し、29(2017)年夏までに丸の内地下エリアの全体的な再開発を完了させる予定である。この再整備により、丸の内地下エリアの内装デザインが「格調高く賑わいのある」もの一新され、地下中央口から東京メトロ丸の内線に繋がるコンコースが拡幅され、トイレや改札、コインロッカーが再配置される予定である。
また、丸の内北口と八重洲北口を繋ぐ駅構内の東西自由通路を拡幅する予定があり、駅南側にも東西自由通路を新設する計画がある。

将来の計画:
1.首都圏新都市鉄道のつくばエクスプレスが大深度地下を利用して秋葉原駅から当駅に乗り入れる計画がある。駅は丸の内ビルディング直下に建設される予定である。同線は昭和60(1985)年に当時の運輸省運輸政策審議会答申第7号が当駅起点での整備を求めながらも、採算面の問題で秋葉原駅始発へ変更された経緯がある。
2.大深度地下利用による京葉線の新宿駅経由三鷹駅までの延伸を行い、中央線と直通運転させる延長線をともに平成27(2015)年までに整備着手するのが適当であるとした。(運輸政策審議会答申第18号による)
3.京成押上線と京急線をつなぐ浅草線短絡新線により、成田空港から30分台、羽田空港から20分台のアクセスを実現させる構想がある。この構想では京急と京成の通勤電車も乗り入れるとしている。東京駅の設置場所は、丸の内仲通りの直下が有力である。
4.現在、浜松町駅止まりとなっている東京モノレールを新橋駅か東京駅へ延伸する計画がある。完成すれば成田エクスプレスとの乗り換えが便利になり、羽田・成田両空港間の(JR線での)移動時間が短縮される。JR東日本が東京モノレールを子会社化した後、平成22(2010)年から本格的な検討を始めた。しかし、東京駅への延伸は新橋駅への延伸と比べると、資金面では1000億円超となる上、工期も長くなってしまう。

参考資料:Wikipedia(2015年10月31日)
記事:
 取材:
 投稿:
 調整:28.12.18/29.4.-8/29.6.-5

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by fbox12 | 2017-06-05 14:26 | 鉄道・バス

069 函南駅 (JR東海)

a0057057_22303526.png

a0057057_22402177.pnga0057057_22144399.pnga0057057_22593178.png

a0057057_2334240.pngかんなみ

所在地:静岡県田方郡函南町大竹190-6
所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道本線
駅名かな(電報略号/駅コード):かんなみ(カミ/520101)
キロ程:(東京起点)114.5km

概要:
静岡県田方郡函南町の北東のはずれに位置し、函南町の中心部から離れた場所にある。静岡県内にある東海道本線の駅としては唯一、町に所在する駅である。
丹那トンネルの西口にあり、このトンネルが貫通した昭和9(1934)年の12月に駅は開業した。
現在の停車列車は普通列車のみである。平成8(1996)年3月に特急列車に格上げされるまでは、急行「東海」1号・4号が停車していた。
平成20(2008)年3月からはTOICAエリアになったが、当駅から熱海方面はエリア外になり利用できない。平成24(2012)年12月からはICカード対応自動券売機が設置されている。東京方面へ向かうには当駅で交通系ICカードの残高を使ってきっぷを購入する必要がある。

歴史:
a0057057_20544637.png丹那トンネル建設計画が発表されたとき、この地への駅の設置予定はなかったが、運転上重要な場所であるため信号場が設置されることになった。しかし、函南村(函南町の前身)が請願を行った結果、信号場ではなく駅が開設された。
昭和9(1934)年12月1日 - 鐵道省東海道本線の丹那トンネル経由の熱海 - 沼津間新線開通時により開業、旅客・貨物営業を開始
昭和46(1971)年10月1日 - 貨物取扱廃止(貨物ホームは現在の町営駐輪場の場所)
昭和59(1984)年2月1日 - 荷物取扱廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)が継承
平成20(2008)年3月1日 - TOICAの利用範囲が当駅まで拡大。ただし静岡方面のみ利用可能で、熱海駅との間はエリアまたぎとなり使用できない。
平成26(2014)年3月24日 - バリアフリー整備が完了し、新たにエレベーターと多機能トイレ設備が使用可能になる。

駅構造:
ホーム
a0057057_21294564.png島式ホーム1面2線をもつ地上駅。ホームのない待避線(副本線)も上下1本ずつ敷設されている。また保線車両用の側線が上り線北側に設けられている。三島方・熱海方それぞれに渡り線も設置されており、工事臨時列車や軌道検測車の折り返しに使われている。
上1番線(右写真E231系の右横)は下り方にも出発信号機があり、下り方へ折り返すことも可能である。

a0057057_2143114.png



ホームの使用状況
1番線 東海道本線 下り 沼津・静岡方面(左写真:「踊り子号」が通過中)
2番線 東海道本線 上り 熱海・東京方面(右写真) 東北本線、宇都宮駅まで直通
JR東海管内においては東海道線から東北本線(宇都宮線)・高崎線に直通する列車について「上野東京ライン」の名称は用いられず(東海道線上り)「東京経由」と案内。
熱海より先に行く列車はすべてJR東日本の車両で、グリーン車の連結があるが、Suicaグリーン券は、発券機がないため利用できず、早朝の列車では窓口が閉鎖されているため、事前購入もできない場合もある。
また、逆に東日本管内の駅での発券機には行先として、函南・三島・沼津の各駅は表示されないため、熱海駅まで購入し、社内でグリーンアテンダントに申し出て、区間変更の手続きを取る必要がある。

駅舎・設備:
a0057057_22362333.png駅舎は構内南側にあり、木造平屋建てで開業当時からの由緒あるものだが、きれいにリニューアルされている。駅舎内には、みどりの窓口や自動券売機(ICカード対応・1台設置)、TOICAチャージ機(改札内)、待合室が設置され、改札には扉とセンサーが省略された簡易型自動改札機が導入されている。みどりの窓口はもちろん、自動券売機・TOICAチャージ機も駅員が不在になると稼動しない(無人駅の扱い)。そのため、切符の購入とTOICAのチャージができず、車内で切符を買う必要がある。
旅客列車・貨物列車を問わず列車本数が多いため、運転業務を取り扱う運転取扱駅となっている。また、駅員が終日配置される直営駅(駅員配置駅)であるが、三島駅の被管理下にあり、管理駅長は配置されず地区駅長が配置されている。
すべての発着列車に対して出発指示合図を送る立番業務をおこなっていたa0057057_22512749.png(上写真「踊り子号」の横に職員が立っているのが見える)が、車掌用のホーム安全確認モニターが増設された(右写真中左側)ことを受け、平成26(2014)年6月30日をもって廃止された。廃止日時点ではJR東海静岡地区の在来線の駅で電子電鈴装置と発車ブザーが使用されているのはこの函南駅のみであった。(御殿場駅でも特急あさぎり号に限って電子電鈴装置は扱われていたが、平成24(2012)年に運転区間が短縮されてからは扱われなくなった。) 現在は乗車促進音として、313系(211系混結編成含む)ではJR東海オリジナルメロディを、E233系では東京方面がGota del Vient、沼津方面がWarter Crownをそれぞれ車両の車外スピーカー扱いで流される。
発車標はホーム・改札ともに設置されていない。運転見合わせやダイヤの乱れが発生した場合はホワイトボードで案内される。ホワイトボードは改札前に置かれる。

バス路線:
a0057057_2385446.png駅前には函南駅バス停があり、以下のバスが運行されている。
伊豆箱根バス運行路線
 函南駅 - 八ツ溝 - 大場駅線(5019系統)
 函南駅 - 赤王口 - 大場駅線
 函南駅 - 大場分譲地 - 錦が丘分譲地線(平日夕方一本のみ運行)(5038系統)
 錦が丘分譲地 - 大場分譲地 - 函南駅線(平日朝の一本のみ運行)
 函南駅 - 大場駅前 - 畑毛温泉線
その他のバス
 NTT東日本伊豆病院への無料送迎バス
 伊豆平和病院・伊豆函南病院へのマイクロバス
 県立韮山高校のスクールバス
東海バスオレンジシャトル
 南箱根ダイアランド行き

参考資料:Wikipedia(2016年11月17日)
記事:
 取材:26.5.15他
 投稿:29.1.-7
 調整:29.1.-8/29.1.-9/29.1.10/29.6.-5

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by fbox12 | 2017-06-05 14:04 | 鉄道・バス

075 有楽町駅(JR東日本/東京メトロ)

ゆうらくちょう

駅名の由来:
駅名である有楽町の地名は、この辺りに織田信長の弟である織田長益(有楽斎)の邸宅跡地があったことに由来している…という俗説があるが、織田長益が江戸に住んだことはなく、「有楽」という文字列が同じなため、流布されたものである。実際の有楽町は明治時代初期に永楽町とセットで命名された地名である。

75-1 JR東日本
a0057057_18492976.png所在地:東京都千代田区有楽町二丁目9-17
所属・路線:東日本旅客鉄道株式会社・東海道本線
電報略号:ラク

概要:
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は東海道本線1路線のみであるが、当駅には電車線を走る京浜東北線電車および山手線電車のみが停車し、旅客案内では「東海道(本)線」は使用されていない。かつ、昼間時は京浜東北線の電車がすべて快速運転するため、山手線の電車のみ停車する形になる。また、当駅はJRの特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属する。日本国有鉄道(国鉄)のころの昭和29(1954)年から昭和31(1956)年までは常磐線からの電車が朝夕の通勤時間に当駅まで乗り入れたことがあるが、現在の上野東京ラインの列車は、東海道(本)線の線路を走行しており、乗降用ホームがないためすべて停車しない。
当駅は北隣の駅である東京駅の京葉線ホームに近い。同駅において山手線・京浜東北線から京葉線に乗り換えるには、同一駅構内とはいえ、かなりの距離を要する。このため、当駅 - 東京間を含む乗車券(東京山手線内・東京都区内発着を含む。ただし、山手線は内回り、京浜東北線は北行に限る)を所持した上で改札口で京葉線に乗り継ぐ旨を申し出れば、徒歩により当駅 - 東京間を乗り継ぐことができる。この場合、乗車券の表面に途中下車印を押印した上で、案内書を交付される(SuicaなどIC乗車カードの場合は押印はなく案内書のみ)。ただし、当駅は京橋口改札、東京駅は京葉地下八重洲口および京葉地下丸の内口のみでの取り扱いとなる。なお、当駅での京葉線への乗り換え案内は行っていない。

歴史:
明治43(1910)年6月25日 - 内閣鐡道院東海道本線の駅として開業。旅客駅で、当時から京濱電車(後の京浜東北線)のみ停車した。
昭和20(1945)年1月27日 - 太平洋戦争中の空襲で中央改札口が大破し、駅員9名と旅客87名の計96名が死亡
昭和47(1972)年3月15日 - 荷物取り扱いを廃止
昭和62(1987)年4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄の駅はJR東日本が継承
昭和63(1988)年3月13日 - 京浜東北線の快速運転開始に伴い、日中は同線が通過するようになる。
平成13(2001)年11月18日 - ICカードSuica供用開始
平成26(2014)年8月30日 - 山手線ホーム(2番線と3番線)においてホームドア稼働開始

駅構造:
島式ホーム2面4線を有する高架駅。外側2線を京浜東北線が使用し、内側2線を山手線が使用する。
ホームと中央口・中央西口をそれぞれ連絡するエスカレーター・エレベーターが設置されている。ホーム上の出口・乗り換え案内看板では、連絡運輸を実施していない東京メトロ銀座線・丸ノ内線(銀座駅)も、連絡運輸を実施している有楽町線と同じように案内されている。

のりば:
1番線 京浜東北線 北行 東京・上野・大宮方面
2番線 山手線 内回り 東京・上野・池袋方面
3番線 山手線 外回り 品川・渋谷・新宿方面
4番線 京浜東北線 南行 品川・横浜・大船方面
京浜東北線は、10時30分頃から15時30分頃にすべての列車が快速運転となり当駅を通過する。この時間帯に京浜東北線を利用する旅客は、大宮方面は東京駅で、大船方面は浜松町駅での乗り換えを要する。
平成27(2015)年10月下旬に、1・3番線の放送が更新された。

75-2 東京メトロ
a0057057_16284333.pnga0057057_2038868.png所在地:東京都千代田区有楽町一丁目11-1
所属・路線:東京地下鉄株式会社・有楽町線
電報略号:ユウ
駅番号:Y18

概要:
日比谷駅とは地下通路で連絡しており(改札内では連絡していない)、同一駅として扱われる。東京メトロの日比谷線・千代田線、東京都交通局の都営地下鉄三田線との乗り換え駅になっているが、乗り換える場合は一旦改札を出る必要がある。
線名の由来となった駅であるが、平成20(2008)年3月から23(2011)年9月まで特定日に運行されていた特急「ベイリゾート」は通過していた。

a0057057_19165148.png歴史:
昭和39(1964)年8月29日 - 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)日比谷線の日比谷駅開業
昭和46(1971)年3月20日 - 営団地下鉄千代田線の日比谷駅開業
昭和47(1972)年6月30日 - 都営地下鉄三田線の日比谷駅開業
昭和49(1974)年10月30日 - 営団地下鉄有楽町線の駅が開業し、日比谷駅と乗り換え業務を開始
平成16(2004)年4月1日 - 営団地下鉄民営化により、営団地下鉄の駅は東京メトロが継承
平成19(2007)年3月18日 - ICカードPASMO供用開始

駅構造:
島式ホーム1面2線を有する地下駅。出口番号は開業以来数字の頭に A を付していたが、乗り換え駅である日比谷駅も数字の頭に A を用いているため、誤乗防止の観点から、2007年2月1日より数字の頭が D に改められた。
コンコースとホームとの間はエスカレーターのある階段に加えて中央部のエレベーターでも連絡しているが、エレベーターについてはコンコース部は単独の改札口となっており、最低限の機器しか設置されていない。また、1番線ホームには6両編成停止位置最前部の表記がある(通常、有楽町線の列車は、10両編成であるが、南北線からの臨時列車に6両編成で運行されるものがあるため)。
エスカレーターが併設されている階段の中間部に、銀座一丁目寄りには駅事務室、桜田門寄りにはトイレがそれぞれ設置されている。また、東京国際フォーラムへの D5 出入口には、エレベーターではなく、車椅子専用の段差解消機が設置されている。

のりば:
1番線 有楽町線 月島・豊洲・新木場方面
2番線 有楽町線 池袋・和光市・森林公園・飯能方面


バス路線:
国際フォーラム口
有楽町駅前
 都営バス
  南方向
  <都04> 豊海水産埠頭行(勝どき駅前経由)
  <都05> 晴海埠頭行・東京ビッグサイト行(勝どき駅前経由)
  <都05出入> 深川車庫前行 (勝どき駅前・豊洲駅前経由) ※夜間のみ
  北方向
  <都04・都05> 東京駅丸の内南口行
 日立自動車交通
  読売会館前
  <晴海ライナー> 東京駅八重洲北口経由晴海トリトンスクエア行、(直行)晴海トリトンスクエア行

新国際ビル
 日の丸自動車興業
  <丸の内シャトル> 三菱ビル・東京サンケイビル方面

京橋口
有楽町駅京橋口
 はとバス
  定期観光バス

銀座口
有楽町マリオン横
有楽町マリオン前(東武) / 有楽町駅(ちばグリーン)
 東武バスイースト・ちばグリーンバス
  <深夜急行> 我孫子駅行(三郷駅・流山駅・豊四季駅・柏駅経由) (東武)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 京成佐倉駅行(船橋駅・津田沼駅・八千代台駅・勝田台駅経由)(ちばグリーン)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 成田空港(第2・第3旅客ターミナル)行(津田沼駅・八千代台駅・勝田台駅・JR成田駅経由)(ちばグリーン)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休

晴海通り 有楽町マリオン前
数寄屋橋(都営・平和・あすか・リムジン) / 有楽町駅(京成)
 都営バス・京成バス・東京ベイシティ交通・平和交通・あすか交通
 地下鉄銀座駅A0出入口付近
  <都04> 豊海水産埠頭行(勝どき駅前経由)(都営)
  <都03・05> 晴海埠頭行(勝どき駅前経由)(都営)
  <都05> 東京ビッグサイト行(勝どき駅前・新豊洲駅・有明テニスの森・有明一丁目経由)(都営)
  <都05出入> 深川車庫前行(勝どき駅前・豊洲駅前経由)(都営) ※夜間のみ
  <深夜急行> 日の出七丁目行(新浦安駅・明海四丁目経由)(京成・東京ベイシティ交通)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> サンコーポ西口行 (新浦安駅経由)(京成)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 千葉駅行(新浦安駅・海浜幕張駅・検見川浜駅・稲毛海岸駅・稲毛駅経由)(京成)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 桐畑行 (新浦安駅・行徳駅・下総中山駅入口・西船橋駅・行徳団地経由)(京成)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 成田空港行(西船橋駅・鎌ヶ谷大仏駅・千葉ニュータウン中央駅・印旛日本医大駅・JR成田駅・京成成田駅経由)(成田空港交通)※毎日運行
  <深夜急行> 成田空港行(金町駅・松戸駅・新松戸駅、常盤平駅・五香駅・六実駅・新鎌ヶ谷駅・西白井駅・白井駅・千葉ニュータウン中央駅・京成成田駅経由)(成田空港交通)※毎日運行
  <深夜急行> 鎌ヶ谷大仏行 (新船橋駅入口・船橋駅北口・東船橋駅入口・高根木戸駅・北習志野駅・船橋日大前駅・八千代緑が丘駅・二和向台駅入口経由)(船橋新京成バス)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休

 地下鉄銀座駅C1出入口付近
  <都03> 四谷駅前行(三宅坂経由) (都営)

 地下鉄銀座駅C6出入口付近
  <東京シャトル> 成田空港行(京成バス、京成バスシステム、成田空港交通、リムジン・パッセンジャーサービス)
  <リムジンバス> 成田空港発便の降車場(東京空港交通)

 地下鉄銀座駅C7出入口付近
  <マイタウンライナー> ちはら台駅行(学園前駅・おゆみ野駅経由)(平和)
  <マイタウンライナー> 大網駅行(土気駅経由)(平和)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <マイタウンライナー> 幕張ベイタウン・検見川浜駅・平和交通本社(宮野木)行(平和)
  <マイタウンライナー> 幕張ベイタウン・検見川浜駅・あすか交通本社(美浜区幸町2丁目)行(あすか)
   成田空港行(平和・あすか・JRバス関東)
   成田空港近隣ホテル行(平和)
  <深夜急行> 千代田団地入口行(新検見川駅・稲毛駅・都賀駅・四街道駅経由)(平和)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 山田インター入口行(鎌取駅・誉田駅・土気駅・大網駅経由)(平和)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 五井駅行(学園前駅・おゆみ野駅・ちはら台駅経由)(平和)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> JR成田駅行(四街道駅・JR佐倉駅・JR酒々井駅経由)(平和)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 印旛日本医大駅行(西船橋駅・新鎌ヶ谷駅・千葉ニュータウン中央駅・印西牧の原駅経由)(平和)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 勝田台駅行(谷津駅・津田沼駅・高根木戸駅・北習志野駅・船橋日大前駅・八千代緑が丘駅・八千代中央駅経由)(平和)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休

晴海通り天賞堂向い
 銀座
 関東バス・西東京バス
  <深夜中距離> 三鷹駅行(四谷三丁目・新宿駅・中野坂上駅・新中野駅・東高円寺駅・新高円寺駅・南阿佐ケ谷駅・荻窪駅経由)(関東)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 河辺駅北口行(拝島駅・牛浜駅・福生駅西口・羽村駅東口・小作駅東口経由)(西東京)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休
  <深夜急行> 恩方車庫行(西八王子駅・高尾駅北口経由)(西東京)※土休日および年末・年始・旧盆期間は運休

参考資料:Wikipedia(2016年6月5日)
現地取材:17.4.-4
記事投稿:
  調整:28.7.15/29.6.-5

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by fbox12 | 2017-06-05 11:32 | 鉄道・バス