fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

第九拾貮 砥鹿神社 愛知県豊川市鎮座

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鎮座地:(里宮)愛知県豊川市一宮町西垣内2
    (奥宮)愛知県豊川市上長山町本宮下4
祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)
神体:本宮山(神体山)
社格等:式内社(小)、參河國一宮、旧國幣小社、神社本庁別表神社
社名かな:とがじんじゃ

歴史:
社記(天正2(1574)年)の「參河國一宮砥鹿大菩薩御縁起」)では、大宝年間(701-704年)に文武天皇の時に天皇の病を鎮めるための勅使として草鹿砥公宣(くさかどのきんのぶ)が派遣され、本茂山(本宮山)の神を迎えて里宮が創建されたとする。
a0057057_2185144.png現在も砥鹿神社奥宮が鎮座する本宮山は東三河地方では中心的な孤峰であり、山中には磐座、山麓には古墳群の分布が知られることから、古代から信仰対象であったと考えられている。また上記伝承に見える草鹿砥氏は砥鹿神社の旧社家で、同氏は穂別の後裔と伝えることから、かつて当地一帯を治めたとされる穂国造により奉斎されたと推測する説がある。

神階・概史:
六國史時代における神階奉叙の記録
嘉祥3(850)年7月1日、従五位下 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「砥鹿神」。
仁寿元(851)年10月7日、従五位上 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「砥鹿神」。
貞観6(864)年2月19日、従五位上から正五位下 (『日本參代実録』) - 表記は「砥鹿神」。
貞観12(870)年8月28日、正五位下から正五位上 (『日本參代実録』) - 表記は「砥鹿神」。
貞観18(876)年6月8日、従四位下から従四位上 (『日本參代実録』) - 表記は「砥鹿神」。

a0057057_21173226.png仁寿元年条から貞観18年条はいずれの記事でも知立神(愛知県知立市の知立神社:三河国二宮)と併記され、六國史終了時点の神階は參河國内では知立神とともに最高位になる。
延長5(927)年成立の『延喜式』神名帳では参河國宝飫郡に「砥鹿神社」と記載され、式内社に列している。また、『參河國内神名帳』では「正一位 砥鹿大明神」と記載されている。
中世以降は、參河國一宮として尊崇された(一宮としての文献上初見は文永元(1264)年の訴状)。
戦国時代の永禄年間には、付近に徳川家康の命を受けた本多信俊が一宮砦を構えて今川軍に包囲されたが、家康が寡勢で救援に駆けつけて多勢の今川軍を蹴散らし、砥鹿神社に宿陣したとも伝わる。
明治維新後、明治4(1871)年には近代社格制度において国幣小社に列した。戦後は神社本庁の別表神社に列している。

摂社:

a0057057_2042521.png三河えびす社
祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと)
   建御名方命(たけみなかたのみこと)
社名かな:みかわえびすしゃ


八幡宮
祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと)
   天児屋根命(あめのこやねのみこと)
社名かな:はちまんぐう

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守見殿神社・本宮山遙拝所
祭神:大己貴命和魂(おおなむちのみことにぎたま)
   迦久神(かくのかみ)
   倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
社名かな:もりみでんじんじゃ


a0057057_15374440.png西参道大鳥居

この石鳥居は、もともとは本宮山砥鹿神社奥宮を遙拝するものとして、天保13(1842)年、岡崎藩家老職の長尾応二郎興達により旧宝飯郡市田村に建立されたものだが、昭和20(1945)年豊川海軍工廠への空襲時に損傷を受け、昭和31(1956)年に当地に移転された経緯を持つ。石鳥居としては市内で2番目の大きさであり、至る所に空爆の被弾痕が見られる。 本鳥居は、近世期以降の本宮山信仰の遺産として、且つまた戦争の悲惨さを伝える平和の象徴として価値を有する。(この項、砥鹿神社ホームページから)

参考資料:砥鹿神社ホームページ/Wikipedia(2016年10月23日)
記事:
 取材:28.12.28
 投稿:29.2.25
 調整:29.2.26/29.2.28
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by fbox12 | 2017-02-25 21:23 | 神社