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82 出雲大社 島根県出雲市鎮座

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鎮座地:島根県出雲市大社町杵築東195
主祭神:大国主大神
社名:いずもおおやしろ
社格等:天之御舎、天日隅宮(天日栖宮)、出雲宮、杵築宮、杵築大社、嚴神之宮、出雲大神宮、杵築大神宮、所造天下大神宮、杵築大社、出雲國大社、日本大社、出雲石(石同)之曾宮
式内社(名神大)、出雲國一宮、旧官幣大社、勅祭社、神社本庁別表神社、宗教法人出雲大社教宗祠
社殿:本殿大社造
札所等:出雲國神仏霊場1番

由緒・概要:
a0057057_1043768.png現在作法は、二拝四拍手一拝で拝礼する。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲國造家が祭祀を担ってきた。現在の宮司は84代国造千家尊祐で、平成14(2002)年宮司に就任した。宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり他に類を見ない。現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。約60年に一度行われている本殿の建て替えに際して、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開されることがある。
創建については、日本神話などにその伝承が語られている。以下はその主なものである。
大國主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。(『古事記』)
高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴神に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。(『日本書紀』)
所造天下大神(=大國主神)の宮を奉る為、皇神らが集って宮を築いた。(『出雲國風土記』出雲郡杵築郷)
神魂命が「「天日栖宮(あめのひすみのみや)」を高天原の宮の尺度をもって、所造天下大神の宮として造れ」と述べた。(『出雲國風土記』楯縫郡)
崇神天皇60年7月、天皇が「武日照命(日本書紀)(建比良鳥命(古事記))(天穂日命の子)が天から持って来た神宝が出雲大社に納められているから、それを見たい」と言って献上を命じ、武諸隅(たけもろすみ)を遣わしたところ、飯入根(いいいりね)が、当時の当主で兄の出雲振根に無断で出雲の神宝を献上。出雲振根は飯入根を謀殺するが、朝廷に誅殺されている。(『日本書紀』)
垂仁天皇の皇子本牟智和気(ほむちわけ)は生まれながらに唖であったが、占いによってそれは出雲の大神の祟りであることが分かり、曙立王と菟上王を連れて出雲に遣わして大神を拝ませると、本牟智和気はしゃべれるようになった。奏上をうけた天皇は大変喜び、菟上王を再び出雲に遣わして、「神宮」を造らせた。(『古事記』)
斉明天皇5(659)年、出雲國造に命じて「神之宮」を修造させた。(『日本書紀』)
伝承の内容や大社の呼び名は様々であるが、共通して言えることは、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。
また、出雲大社の社伝においては、垂仁天皇の時が第1回、斉明天皇の時が第2回の造営とされている。

祭神の変化
a0057057_11503729.png出雲國造新任時に朝廷で奏上する出雲國造神賀詞では「大穴持命(大國主大神)」「杵築宮(出雲大社)に靜まり坐しき」と記載があるので、この儀式を行っていた平安時代前期までの祭神は大國主大神であった。
やがて、神仏習合の影響下で鎌倉時代から天台宗の鰐淵寺と関係が深まり、鰐淵寺は杵築大社(出雲大社)の神宮寺も兼ねた。鰐淵寺を中心とした縁起(中世出雲神話)では、出雲の国引き・国作りの神を素戔嗚尊としていたことから、中世のある時期から17世紀まで祭神が素戔嗚尊であった。14世紀「当社大明神は天照大御神之弟、素戔嗚尊也。八又の大蛇を割き、凶徒を射ち國域の太平を築く。」と杵築大社(出雲大社)の由来が記され、寛文6(1666)年毛利綱広が寄進した銅鳥居(右写真)に刻まれた銘文には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と記された。
さらには、鰐淵寺の僧侶が経所で大般若経転読を行い、社殿では読経もした。また、江戸時代初期には社僧が寺社奉行と杵築大社(出雲大社)の運営管理に関する交渉を実施していた。
ところが、杵築大社(出雲大社)内は仏堂や仏塔が立ち並んで神事が衰微したため、17世紀の寛文年間の遷宮時に出雲國造家が神仏分離・廃仏毀釈を主張して寺社奉行に認められ、寛文4年から寛文5年にかけて仏堂や仏塔は移築・撤去され、経蔵は破却された。これに併せて祭神は素戔嗚尊から、古事記や日本書紀などの記述に沿って大國主大神に復した。

明治以降
明治4(1871)年にそれまでの杵築大社(きづきたいしゃ、きづのおおやしろ)と呼ばれていた社名を出雲大社(いずもおおやしろ:歴史的仮名遣いでは、いづもおほやしろ)と改称したが、一般には主に「いずもたいしゃ」と読まれる。同年官幣大社に列格の後、大正時代に勅祭社となった。

摂社・末社:
a0057057_11215424.png摂社 素鵞社
 社名:すがのやしろ
 祭神:素戔鳴尊(すさのおのみこと)

a0057057_16162044.png氏社(北氏社)
 社名:うじのやしろ
 祭神:天穂日命(あめのほひのみこと)
天照大御神の第二子、出雲国造の始祖であり、大國主大神の祭祀をつかさどり、その神裔は出雲大社宮司家として連綿と続き今日に至っている。出雲大社教の教祖

a0057057_16292174.png氏社(南氏社)(写真手前)
 社名:うじのやしろ
 祭神:宮向宿祢(みやむきのすくね)
天穂日命(あめのほひのみこと)より十七代目の神裔で允恭天皇の元年はじめて國造出雲臣の姓(かばね)を賜った。

十九社(写真奥)
 社名:じゅうくしゃ
 祭神:八百萬神(やおよろずのかみ)
神在祭の間(旧暦10/11~17)、集った全国各地の神々の宿所となる社。通常は全国各地の神々の遙拝所で、東西二宇あり写真は西側(東側は下釜社奥)

a0057057_1530435.png釜社(写真手前)
 社名:かまのやしろ
 祭神:宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)
保食神(うけもちのかみ)ともよばれる。食物全般にわたっての主宰神

a0057057_2242531.png境外摂社 祓社
 社名:はらえのやしろ:
 祭神:祓戸四柱神(はらえどよはしらのかみ)
 由緒:出雲大社に参拝する人々は、まずここで身心を祓い清める。
 祓戸四柱神とは、
  瀬津比咩咩t神(せおりつひめのかみ)
  速開都比咩神(はやあきつひめのかみ)
  気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
  速佐須良比text神(はやさすらひめのかみ)
大社では「荒垣」(本殿鎮座地の四囲にめぐらした石垣と塀)内を「境内」としていることから境外社。
勢溜(正門)を入ってすぐ、下り参道途中右手にある。

(以上出典:Wikipedia 平成28(2016)年10月29日)

この神社最寄の駅・バス停:
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JR山陰本線 出雲市(右写真上)一番のりばから
 一畑バス 正門前(停)(左写真)
一畑電車 電鉄出雲市(右写真下:JR出雲市駅そば)から(出雲大社前行き以外は川跡乗換)出雲大社前
 出雲大社前から徒歩あるいは一畑バス 正門前(停)



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by fbox12 | 2016-11-08 16:38 | 神社