fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

定山渓鉄道株式会社

a0057057_2132464.png歴史:
大正2(1913)年に、国鉄苗穂駅から定山渓に至る軽便鉄道として、定山渓温泉への観光客の輸送、木材の輸送、鉱石と石材の輸送を主な目的として計画されたが、同年8月の豊平川洪水を受けた護岸工事で当初の敷設予定地が使えなくなっってしまった。資金繰りの難もあり、会社の設立は大正4(1915)年12月に遅れ、白石駅からの路線に変更して大正6(1917)年4月に着工し、81万2千円の費用をかけて7(1918)年に完成した。開業は同年10月17日で、白石と定山渓を1時間30分で結んだ。
定山渓温泉の発展とともに順調に業績を伸ばし、会社は昭和7(1932)年から札幌からのバス運行も始め、1930年代には木材・鉱石の貨物輸送も増えたが、戦時中は温泉客が減り、鉱石・石材輸送に重点がおかれるようになる。段々と資材不足が深刻になり、終戦時には稼働率4割に落ち、列車の窓の1/3がベニヤ板に変わっていた。
しかし、定山渓鉄道線の全盛期は戦後復興とともに訪れることになる。まず、定山渓温泉が繁栄を取り戻した昭和24(1949)年から39(1963)年まで、夜間発の往復と、ビール券、とうきび、枝豆、温泉利用をセットにした月見電車を走らせ、会社が整備した豊平川沿いのハイキングコースは、多くの市民に利用された。昭和19(1944)年に事故で閉山した豊羽鉱山が昭和25(1950)年に再開し、定山渓鉄道がその鉱石の輸送を担うことになる。
昭和32(1957)年に、東京急行電鉄が定山渓鉄道の株を買収し、傘下におさめたが、この頃から鉄道は貨物をトラック輸送に奪われ始め、特に昭和38(1963)年からは豊羽鉱山の鉱石輸送がトラックに切り替えられた。また、東急傘下入り後に打ち出されていた複線化が実現できず運転間隔が短縮できないまま道路事情が好転し、徐々に乗客がバスやマイカーに奪われたことに加え、昭和41(1966)年に北海道警察本部から豊平駅近くの国道36号線上の踏切が交通上の障害になっているとして高架化するか廃止して線路を撤去するなどの適切な処置を取るよう勧告された。こうした劣勢の中で、札幌市が地下鉄南北線を建設することに伴う用地買収を申し出た。会社はこれに応じて、昭和44(1969)年に鉄道部門を廃止した。廃止後は電車路線に沿う形で代行バスが運行されていたが、既存のバス系統と再編・統合され昭和45(1970)年、ついに廃止されれてしまった。

年表:
大正2(1913)年2月12日 松田学ら24名が鉄道敷設申請。7月16日免許
大正4(1915)年12月20日 定山計溪鐵道株式会社の設立。初代社長は松田学
大正6(1917)年4月6日 着工
大正7(1918)年10月17日 白石 - 定山を開業。豐平・石切山・藤の澤・簾舞・定山嵠の各駅を新設
大正9(1920)年4月1日 真駒内驛新設
大正13(1924)年1月1日 滝の澤驛新設
大正15(1926)年8月15日 壱の澤停留所新設
 8月21日 北海道鐡道→鐵道省千歳線(旧線)の開通に伴い、東札幌驛新設
昭和3(1928)年6月7日 錦橋驛新設
昭和4(1929)年10月25日 東札幌 - 定山溪(27.2km)電化
昭和6(1931)年7月25日 苗穂驛への電車乗り入れを開始(これに伴い北海道鐡道東札幌 - 苗穂間電化)
昭和8(1933)年1月7日 白糸の滝停留所新設
 11月18日 北茨木停留所新設
昭和11(1936)年10月20日 小金湯停留所新設
昭和20(1945)年3月1日 戦時資材供出のため、白石 - 東札幌 (2.7km) 不要不急線に指定され、廃止
昭和23(1948)年1月1日 下藤野停留所新設
 1月11日 豊滝停留所新設
昭和24(1949)年8月 北茨木停留所を北茨木驛に変更
昭和26(1951)年11月1日 東簾舞停留所新設
昭和27(1952)年6月12日 急行列車設定。当初二等車として運転されたが昭和29(1954)年6月12日に二等車の設定廃止
昭和32(1957)年8月12日 気動車による札幌駅への乗り入れを開始。これに先立ち、東札幌 - 苗穂間の電化設備を撤去し、同区間への電車乗り入れ中止
 10月 北茨木駅を澄川駅に改称
 12月7日 東京急行電鉄が定山渓鉄道の筆頭株主となり、東急傘下に入る。
昭和34(1959)年4月1日 慈恵学園停留所新設
 6月21日 十五島公園停留所新設
昭和36(1961)年4月15日 緑ヶ丘停留所新設
昭和44(1969)年10月31日 「さよなら電車」によるセレモニー
 11月1日 東札幌 - 定山渓全線廃止
昭和48(1973)年5月31日 定山渓鉄道株式会社、株式会社じょうてつへ社名変更

運行系統:
昭和9(1934)年10月1日当時
 列車本数:苗穂 - 定山渓間下り17本・上り15本、東札幌 - 定山渓間下り4本・上り5本、白石 - 豊平間2往復
 所要時間:苗穂 - 定山渓間58-61分、豊平 - 定山渓間48-51分、白石 - 豊平間12 - 14分
当時、運行系統は既に苗穂 - 定山渓間を主としており、白石 - 東札幌駅間は支線と同様で、極端に旅客列車の本数は少なかった。

昭和44(1969)年3月19日当時
 列車本数:札幌 - 定山渓間8往復、東札幌-定山渓間1往復、豊平-定山渓間9往復(休日は朝1往復減便)
 所要時間:札幌 - 定山渓間1時間6-22分、豊平 - 定山渓間45-53分
 総18往復のうち、半数の列車は千歳線(旧線)経由で札幌駅に乗り入れ(国鉄線内は非電化のため気動車で運転、豊平駅または東札幌駅で自社の電車に併結し、定山渓駅まで電車が牽引して運転)、残りの列車はほとんどが豊平駅 - 定山渓駅間の運転であった。千歳線内では国鉄の列車と併結されることもあった。
 当時、札幌駅-定山渓駅間では既に定鉄バスが7時から21時台まで30分間隔の運転を行っていた。
また、豊滝駅は通過する列車が多かった。


(参考資料:平成28(2016)年5月30日更新)
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by fbox12 | 2016-06-28 22:12 | 鉄道・バス