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頸城鉄道自動車(現、頸城自動車)

a0057057_1039563.png頸城鉄道自動車株式会社(現、頸城自動車株式会社)はかつて新潟県直江津市の新黒井駅と東頸城郡浦川原村(いずれも現、上越市)の浦川原駅を結んでいた軽便鉄道路線頸城鉄道線を運営していた会社で、鉄道事業からの撤退後は社名を頸城自動車株式会社としている。
地元の利用者や鉄道ファンの間では「○」の中にアルファベットの「K」があしらわれた社紋にちなんで「まるけい」と呼ばれていた。頸城鉄道線は昭和46(1971)年に全面廃止された。
線内で使用されていた2号蒸気機関車は「コッペル」の愛称で親しまれ、昭和41(1966)年5月に引退後、昭和47(1972)年5月から5年間、西武鉄道山口線で余生を過ごし、現在は同市頸城区百間町に保存されている。また廃線後、線路敷の一部には北越急行ほくほく線の建設用地になった箇所もある(うらがわら駅)。
日本有数の豪雪地帯を走るため、雪対策が施された軽便鉄道でもあった。とはいえ軽便規格で豪雪に立ち向かうのは苦労を要し、開業後23年で終日運転不能の日だけで125日あり、全休日のない年はこの間のうち6年しかなかった。しかし同じく頸城鉄道が展開したバス事業はさらに深刻であり、昭和8(1933)年の記録では浦川原 - 高田間の全休日は116日に達したほどだった。結果的には、このバス事業の雪対策の遅れこそが、軽便鉄道が生き延びた最大の理由であった。

頸城鉄道線
歴史:
大正元(1912)年8月6日 上越軽便鐵道に対し直江津 - 下保倉間免許
大正2(1913)年(大正2年)4月6日 頸城鐵道株式会社設立
大正3(1914)年10月1日 新黒井 - 下保倉間 (13.8km) 開通、途中に北四ツ屋・百間町・上森本・飯室の各駅設置
大正5(1916)年5月5日 下保倉 - 浦川原間 (1.2km) 開通により全線開通
大正8(1919)年8月20日 上森本驛を明治村驛に改称
大正13(1924)年 鉄道営業のピーク。以後、バス事業、国有鉄道新線開通により下降線を辿る。
大正15(1926)年8月7日 ガソリン動力併用認可。同年から気動車導入
昭和2(1927)年 国鉄十日町線(現、飯山線)の開通により、松代方面からの乗客が減少
昭和4(1929)年7月 バス事業開始。浦川原-直江津間に1日4往復
昭和5(1930)年9月1日 大池驛設置
昭和6(1931)年 国有鉄道上越線の開通によって松代方面の乗客の減少にさらに拍車
 4月 合理化により北四ッ屋・下保倉の両駅無人化
 5月 本社を黒井から百間町に移転
昭和18(1943)年 貨物輸送量ピーク
昭和19(1944)年5月5日 交通統合により頸城鐵道株式会社から頸城鐵道自動車株式会社に改称(商号変更)
昭和21(1946)年 鉄道部門営業収支で初めて赤字計上。これ以後、黒字に転化することは廃止まで無かった。
昭和30(1955)年4月7日 鵜之木、花ヶ崎停留所新設
昭和43(1968)年10月1日 新黒井 - 百間町間 (5.4km)、飯室 - 浦川原間 (3.7km)廃止
昭和46(1971)年5月2日 百間町 - 飯室間 (5.9km)廃止により全線廃止
 6月1日 頸城自動車株式会社に商号変更、鉄道部門の完全事業廃止
なお、昭和43(1968)年10月1日の部分廃止によって国鉄線との連絡がなくなった後、『交通公社の時刻表』(現、『JTB時刻表』:JTB発行)や『ダイヤエース時刻表』(現、『JR時刻表』:交通新聞社発行)をはじめとする全国版時刻表から当路線の路線図・時刻・運賃が一切掲載されなくなった。それから廃止までの約2年半の間は、時刻表の上では「幻の鉄道」と化していた。
浦川原駅から先安塚村への延伸計画が存在したが、大正4(1915)年に免許失効.

路線データ:
路線距離(営業キロ):15.0km
軌間:762mm
駅数(起終点駅を含む):10駅
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:票券閉塞式
全駅:
新黒井(しんくろい)/ 接続路線:信越本線(黒井駅)- 北四ツ屋(きたよつや) - 百間町(ひゃくけんまち) - 鵜之木(うのき)
- 明治村(めいじむら) - 花ヶ崎(はながさき) - 大池(おおいけ) - 飯室(いいむろ) - 下保倉(しもほくら) - 浦川原(うらがわら)
運行:昭和43(1967)年9月10日当時
運行本数
 新黒井 - 浦川原間直通列車:7往復
 新黒井 - 百間町間区間列車:2往復
 新黒井 - 明治村間区間列車:1往復
 新黒井 - 飯室間区間列車:1往復
所要
 新黒井 - 浦川原間44分

所属車両:
蒸気機関車
・1号機 (6.6t) - 1914年ドイツ、コッペル社製。後にDC92に改造される。当初は同形機3両を導入の予定だった。
・2号機 (5.0t) - 製造年、製造所不詳。大正7(1918)年売却
・3号機 (5.0t) - 開業時購入、大正4(1915)年売却
・新2号機 (5.0t)(くびき野レールパーク保存車) - 1911年、コッペル社製。旧3号機と交換に大正4(1915)年に大丸組から購入。大正7(1918)年に2に改番、昭和41(1966)年廃車。6輪連結タンク機関車、アラン式弁装置を採用
・新3号機 (9.0t)- 昭和20(1945)年、協三工業製造のいわゆる「戦時形」。昭和24(1949)年、仙臺鐵道より転属。昭和27(1952)年、DB81に改造

内燃機関車
・DB81(8.0t) - 昭和27(1952)年、森製作所にて新3号蒸機を改造。出力130PS。2軸凸型。後に協三工業にて台枠、逆転機、後軸を改造
DC92(8.0t)(くびき野レールパーク保存車:平成18(2006)年外装復元、平成19(2007)年動態化) - 昭和29(1954)年、協三工業にて1号機を改造。出力130PS。3軸凸型。冬季には常時稼動し、信頼性は高かった。
DC123(12.0t)- 昭和29(1954)年、日立製作所製造。昭和45(1960)年、十勝鉄道より転属。出力143PS。3軸L型。主に冬季に使用されたが、エンジンの調子が良くなくたびたびエンジントラブルを起こした。

内燃動車
最多時4両が在籍。全車木造車で、当初すべてガソリン動車。後年、ホジ3のみディーゼル動車に改造された。

単端式気動車
最初に導入されたのは定員20名の単端式気動車で大正15(1926)年・昭和2(1927)年に各1両ずつが丸山車輛で製造。車体のみならず台枠も一部を木造とする。当初重量はいずれも2.07tを公称したが、丸山では類似車で寸法・定員の異なる他社向け車も一律2.07tを公称したため、実態とは異なる可能性が高い。エンジンは当初、丸山が多用したフォード・モデルT用2.9L4気筒(18HP/1,000rpm、20HP/1,500rpm)を専用2速変速機ともども搭載、プロペラシャフトとウォームギアを介して後軸を駆動した。
鐵道省監督局が昭和3(1928)年に実施したガソリン動車運行私鉄へのアンケートで、頸城鐵道は「現在使用する車両は輸送量の少ない路線には問題ないが、(鐵道)省線に接続し連絡客の多い路線には不適当ではないか」という趣旨の回答を行っており、小型車では輸送力不足であった様子がうかがわれる(後年のホジ3・4製作の動機とみられる)。昭和10(1935)年11月4日認可でエンジンを中古のシボレー1928年型用2.8L4気筒(18.4HP/1,000rpm、22HP/2,200rpm)に換装(フォードT専用の足踏み2段変速機はこの時点で手動3速式に変更必須となる)。その後、昭和17(1942)年7月30日認可で再度エンジンをフォードA型3.3L4気筒(30HP/1,300rpm)に換装、同時に浅川式ガス代燃炉付の木炭車となり(このため実出力はガソリン燃料の本来より低下)、車体左側出入口の拡幅を実施。実際の改造は同時期の多くの私鉄同様、認可に先行していたと推定される。戦後はガソリンカーに復元された。
丸山製単端車は構造脆弱で1930年代末期までに廃車された例が多かった中、頸城の2両は九十九里鉄道キハ102-104(大正15(1926)年製)と並んで改装を重ね長寿を保ち、戦後は予備車化したが昭和30年代まで運用された。

ジ1 - 2.07t(後年3.0t)、定員20名、1926年製造。戦後はエンジンをいすゞ製ガソリンエンジンのDG32(4.4L6気筒 定格50PS 最大85PS)に換装、ボンネット前方突出し・チェーン2軸連動となり、車体全面に鋼板張り工事が行われた。昭和36(1961)年廃車。
ジ2 - 2.07t(後年2.1t)、定員20名、1927年製造。戦後は前面のみ鋼板張りとなったがジ1ほどの手は入れられず、丸山単端車の原型を多く残してボンネットを持たなかった。昭和31(1956)年廃車。

ボギー式気動車
単端式車の輸送力不足から、より輸送力のある大型気動車を製作することになり、既存の畳敷き特別客車ホトク1がほとんど稼働せずに余剰化していたため、これを自社百聞町工場で改造し両運転台ガソリンカーのホジ3とした。両端オープンデッキを残しロングシート客室化したが、車体大改造を避けるため、デッキ外妻ガラス窓に加え内妻にもガラス窓を設け、客室内に置いた運転室からガラス越しにデッキ窓と貫通路を通して前方を視認する、ほとんど他例のないレイアウトを採用した。客車時代そのままにトラス棒も存置された。
頸城鐵道はこの改造を昭和6(1931)年9月に鐵道省に設計申請したが、提出書類内容がずさんで大量の不備指摘を喰らい、昭和7(1932)年3月17日にもなって引換申請するという事態に至った。最後は鐵道省側が「(頸城鐵道に)繰り返し照会・督促したが、満足な書類が得られなかった。つまるところ会社にまともな技術者がいないようである」という趣旨のあきれ気味な文面を記し、後日監査の機会に指摘するという当座の目こぼし的処断で、昭和6年度内ぎりぎりの昭和7(1932)年3月28日に設計変更認可が下りた。
ホジ3の成績を受けて昭和11(1936)年にホハ3の改造でホジ4を増備。機構や特異なデッキ内側運転台はホジ3を踏襲している。これらボギーガソリンカー2両は輸送力の大きさで主力となった。
戦後、ホジ4は客車に復元されたが、ホジ3はディーゼル化・デッキ廃止などの大改造を受けつつ、昭和46(1971)年の鉄道廃止まで気動車として運用された。

ホジ3(くびき野レールパーク保存車:平成18(2006)年外装復元、平成19(2007)年動態化) - 8.0t(改造当初6.15t)、定員42名、昭和6(1931)年(書類上は認可後の昭和7(1932)年4月)に自社工場にてホトク1を改造。当初は中古のハドソン4.85L直列6気筒(40.5PS/1,500rpm)を搭載、客車時代からの日本車輛製野上式ボギー台車に逆転器取付改造・チェーン2軸連動改造を施して動力台車化。変速機は当初3段式。ジ1・2と同じ昭和10(1935)年11月4日認可でフォードA型4気筒にエンジン換装(名目上日付と見られる)。戦後の昭和26(1951)年10月、車体両端デッキを廃止して車端まで客室を延長、車体中央にステップ付乗降口を設置、非対称3枚ガラス張りの前面を持つ車端片隅運転台車となる。エンジンは「統制型ディーゼル」の系統である予燃焼室式ディーゼルエンジンのいすゞDA45・5.1L直列6気筒(90PS/2,600rpm)に換装され、床下に収まらないためヘッド周りを覆う「木箱」状のカバーが客室床に突出した。変速機は機械式のままだが4段式となっている。動台車の2軸連動はチェーンから蒸気機関車のようなロッド式になったが、後年外されて1軸駆動となった。昭和32(1957)年に空気ブレーキ装備改造。トラス棒付きの木造車体はそのまま、昭和46(1971)年の全線廃止まで一貫して主力車として運行された。
ホジ4 - 6.25t、定員46名、昭和11(1936)年6月11日改造認可、自社工場にてホハ3を改造。当初からフォードA型エンジンを搭載。その他多くの仕様はホジ3に準じる。ディーゼル化されることなく昭和27(1952)年に再び客車(ホハ5)に戻された。

客車
ホハ1 - 5.97t、定員56名、大正3(1914)年に日本車輌の製造。4軸ボギー車。同型車ホハ2
ホハ3 - 5.99t、定員42名、大正(1914)年に日本車輌にてホロハ1として製造。4軸ボギー車。2等廃止に伴い改造される。同型車ホハ4(旧ホロハ2)
ホハ5 - 5.97t、定員56名、昭和27(1952)年に自社工場にてホジ4を改造(動力類撤去、客車復元)
ホトク1 - 自重、定員不明、大正3(1914)年に日本車輌にて日本初の畳敷き特別車両として製造(下駄箱と傘立ても備えた)。現役時は雑誌などに登場し、大人気だった。しかし使用頻度が低く昭和7(1932)年にホジ3に改造される。4軸ボギー車
ハ4 - 2.15t、定員20名、製造年不明。靑梅鐵道工場にて製造。魚沼鐵道よりの転属。2軸箱型。後にニフ1に改造される。
ハ5(新潟県立自然科学館保存車) - 3.2t、定員20名、製造年不明。靑梅鐵道工場にて製造。魚沼鐵道よりの転属。2軸箱型ダブルルーフ、オープンデッキ付。同型車ハ6(くびき野レールパーク保存車)
ニフ1(くびき野レールパーク保存車) - 2.15t、荷重4.0t、昭和33(1958)年に自社工場にてハ4を改造。荷物車として使用。2軸箱型

貨車
ワ1 - 2.28t、荷重5.0t、大正3(1914)年、日本車輌にて製造。木製2軸有蓋車。同型車ワ2-6、ワ8、ワ9、ワ11
ワ7(くびき野レールパーク保存車) - 2.50t、荷重5.0t、昭和35(1960)年にワ1の同型車を自社工場にて改造。鉄製2軸有蓋車。同型車ワ10
ワ12 - 2.0t、荷重4.0t、製造年、製造所不明。昭和24(1949)年に国鉄松浦線から転属。木製2軸有蓋車。同型車ワ13
ワ14(くびき野レールパーク保存車) - 1.2t、荷重4.0t、製造年、製造所不明。昭和24(1949)年に国鉄魚沼線から転属。木製2軸有蓋車。同型車ワ16
ワ15 - 1.5t、荷重4.0t、製造年、製造所不明。昭和24(1949)年に国鉄魚沼線から転属。木製2軸有蓋車
ト2 - 1.67t、荷重5.0t、大正3(1914)年に日本車輌にて製造。木製2軸無蓋車。同型車ト3、ト5(くびき野レールパーク保存車)、ト6(くびき野レールパーク保存車)
トフ1 - 1.67t、荷重5.0t、大正3(1914)年に日本車輌にて製造。木製2軸手ブレーキ付無蓋車。同型車トフ4

除雪車
ロキ1 - 5.5t、昭和12(1937)年に自社工場にてワ12を改造した自走可能なロータリー式除雪車。出力は48PS
ラキ1 (羅須地人鉄道協会まきば線保存車:610mm軌間に改造) - 4.5t、昭和26(1951)年に自社工場にて国鉄魚沼線から譲り受けた貨車を改造したラッセル式除雪車。自走不可


(参考資料:平成28(2016)年1月6日更新)
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by fbox12 | 2016-04-20 10:29 | 鉄道・バス