fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

76-90 岩淵(いわぶち)駅 (国鉄) -駅名改称(→富士川)-

a0057057_11145175.png所在地:静岡県庵原郡富士川町
所属・路線:日本国有鉄道・東海道本線
(上記いずれも駅名改称時)
駅名改称:→富士川(ふじかわ)
(現、所在地:静岡県富士市中之郷1228-4 / 所属・路線:東海旅客鉄道株式会社・東海道本線)

歴史:
現在の東海道本線にあたる官設鉄道線の建設が決定した際、駅に関しては、当初宿場町単位で設置する予定であり、吉原宿の隣(次)は蒲原宿のあたりに設置する予定であった。その間にある岩淵村(現、富士市)は身延山久遠寺への身延道が東海道から分岐する間の宿ではあるが、正式な宿場町ではないことから駅設置の予定はなかった。しかし、岩淵村では地元の有力者が発起し、隣村であり官設鉄道線が通っていた中之郷村へ「岩淵驛」を設置するよう直接陳情を行い、最終的に土地提供を行うことを条件に蒲原宿に代わってこの地に駅が設けられることになった。これには、村内でも賛否両論があり、駅設置賛成派の暗殺も企てられたといわれる。結果として、蒲原宿のあたりは駅が設けられず、蒲原町ではその後に駅設置の請願を行い、明治23(1890)年5月16日に蒲原駅が設けられたが、由比宿と蒲原宿双方の利便を図りその間である堰沢村に設けられたため宿場町の中心からは離れていた。
かつての蒲原宿あたりに駅が設けられたのは、昭和43(1968)年10月1日の新蒲原駅設置まで約80年の年月を必要とした。
明治33(1900)年に制作された『鉄道唱歌』第1集東海道編では、この辺りを富士川における源平合戦と身延からの海運を題材にして、以下の様に歌った。

18.鳥の羽音におどろきし 平家のはなしは昔にて 今は汽車ゆく富士川を 下るは身延の帰り舟

明治22(1889)年2月1日 - 内閣鐵道局岩淵驛として、國府津驛 - 靜岡驛間の開通と同時に開業。一般駅
明治28(1895)年4月1日 - 線路名称制定。東海道線(明治42(1909)年に東海道本線に改称)の所属となる。
昭和45(1970)年6月1日 - 駅所在地の庵原郡富士川町(当時)に合わせ富士川駅に改称
(以下、富士川駅)

日本軽金属蒲原工場専用鉄道:
日本軽金属が蒲原工場(昭和15(1940)年操業)への製品の搬出及び工員の輸送を目的として昭和17(1942)年2月27日に岩淵驛-日本軽金属蒲原工場間(2.295m)の専用鉄道免許を得た。2月30日に工事に着手し、資材入手難のため完成が遅れたが、昭和18(1943)年4月に竣工監査を終えることができた。機関車は国鉄5形を昭和15(1940)年6月小島栄次郎工業所より購入し翌16(1941)年3月より専用側線で使用。さらにもう一両、昭和16(1941)年12月本江製作所(立山重工業)製を入手し使用した。工員輸送用の車両は元白棚鉄道ガ1・2ガソリンカーを国鉄より払下げをうけ客車(ホハ103・104)に改造(定員40人を60人へ変更)し、さらに有蓋貨車3両(元成田鉄道ワ1-1・1-2・1-3)の払下げをうけ客車(ホハ105-107、定員40人、座席ナシ)として使用した。
その後次のディーゼル機関車に置き換えられた。
 DD102(昭和29(1954)年三菱製、昭和41(1966)年西濃鉄道に売却)
 DD103(昭和36(1961)年三菱製)
 DF105(昭和40(1965)年三菱製、昭和59(1984)年3年31日廃止)


(参考資料:Wikipedia平成27(2015)年11月13日更新)
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by fbox12 | 2016-04-14 11:15 | 鉄道・バス