fbox12 blog (博物館fbox12 館長の雑記帳)

懐かしの熱海駅とその周辺

41-90 旧貨物線:現伊東線ホーム1番線
a0057057_17142625.png現在の熱海駅1番線は、貨物線を転用した(上りホームにあった5番線を廃止し、海側へ一番ずつずらした)。
写真の左奥に見えるのは貨物ホーム。日通(日本通運)の施設があり、荷扱いを行っていた。
写真は、元熱海鉄道同好会々長K氏(故人)のネガを昭和43(1968)年頃本人から直接借りたもの。写っている機関車は昭和33(1958)年頃まで沼津機関区に配置されていたEF56型。この頃は普通列車を主に牽引していたと思われるが、写真の前面扉が開いているのを見ると(夏の暑い時期)貨物の入換をしていたのかもしれない。

駅前にはビル屋上の星形電飾看板(ナショナル?・蛍光灯)があり、右側の垂れ幕は救世熱海美術館(現MOA美術館の前身)の案内。書かれている文字は「夏期休舘中 熱海美術館」。

撮影日:昭和32(1957)年もしくは33(1958)年の夏

41-91 旧5番線:現4番線の一部
a0057057_1734569.png41-90 にあるとおり、貨物線が新1番線となったとき、海側へホームの番線数が1番ずつずらされた。
それは、旧伊東線用5番線が上りホームの神戸方海側を欠き取った終端型ホーム(写真、80系電車が停車中)だったものを廃止(後に現4番線ホームを拡幅した形)として調整した。写真の撮影時は既に新幹線が出来ていた(一番手前が新幹線線路)。在来線の続き番号だった新幹線の番線番号は、番線数が従来と変わらないためそのまま現在まで変更はない(下り6番線、上り7番線)。
写真の80系電車は、急行「伊豆」号などに使用されていたいわゆる湘南電車。撮影当時、既に「伊豆」号は157系、その他は153系電車になっていて普通列車用だった。
伊東線には80系の通勤型70系電車が配備されていた(横須賀線と共用)が、写真の頃には既に撤退していたため80系が充てられていたものと思われる。

写真の左右には、駅前の「清酒 大関」及び「志ほみや」のネオンサインが見える。
「大関」のネオンサインは、平和通り入口の丸福名産店の上にあった。「志ほみや」は、現在の「懐かしの熱海 湯宿一番地」(静岡県熱海市春日町1番2号)である。

撮影日:昭和42(1967)年頃

41-92 東海道線・伊東線
a0057057_13431760.png写真は、41-91 よりさらに右側を写したもの。
157系電車急行「伊豆」号が走行しているのが東海道線・伊東線の下り線で、この頃は野中山トンネル(現伊東線)の先まで両線が線路を共用していた。
当時の下りホームは41-90 のEF56型の左横が1番線(現2番線)。その向かい(写真、157系が出発した線)が2番線(現中線の3番線)だった。
今と違うのは、当時の2番線が本線で、特急などの優等列車はこちらを使用。海側の1番線は待避線だった。

写真に見える屋上ネオン看板は「静岡銀行」。下のビルが静銀のビルで、「熱海駅支店」があった。
同支店は、後に規模縮小で出張所になり、最終的には銀座の熱海支店に統合されてしまったが、今回熱海駅の改築により「熱海駅[店舗外ATM(しずぎんクイックコーナー)]」として復活した。
看板の後ろは熱海城。熱海城の下、白く見えるのがこの頃既に開業していた、熱海後楽園(昭和40(1965)年8月1日開業)だが、遊園地の観覧車はまだない。

撮影日:41-91 と同日

41-93 東海道線・伊東線Ⅱ
a0057057_13313678.png写真は、41-92 のさらに右側。
まず、電車は、41-91 の80系。走ってきたのは、東海道・伊東線共用の上り線。80系はそのまま旧5番線に入線する(写真、41-91)。
当時、下り線の2番線(現3番線)が本線であったように、上り線は3番線(現4番線)が本線であった。ただ、下り線とは少し事情が異なっていて、この写真側からホームを見た場合、海側から3番線、5番線、4番線の順の配線で、3番線は5番線に5両分程度の有効長を取られているため、東京方が若干延長されているとはいえ、本線でありながら15両編成の列車などは有効長が足りずドアを締め切り扱いとしていた。
また、伊東線は東海道線の線路を共用としていたことから、一番山側の4番線(現5番線)へも入線が可能だった(現在では配線の都合上、伊東線からの列車は5番線へ入線することはできない)。

写真に見える看板は、「赤尾ホテル」。今の(錦ヶ浦)ホテルニューアカオの前身である。
また、一番右側の山には山肌に張り付くように旅館「常盤館」があった(現熱海咲見町ハイツ)。どの部屋からも海が見えるよう、山肌に沿う形で建てられた旅館だったが、昭和30年代頃に廃業となりしばらくはそのままにされていた。

撮影日:41-91 と同日

41-94 下り本線2番線(現、3番線)の「ひので」号
a0057057_14285436.png41-92・93 にあるように、伊東線新ホーム(現、1番線)が出来る前の東海道線は、いわゆる(現在の)中線(2・3番線・・現、3・4番線)が本線だった。
写真は、その下り本線、2番線に停車している修学旅行用(修学旅行のための団体専用列車・・列車としては、急行扱い)155系電車「ひので」号。
昭和34(1959)年から製造され、修学旅行用としては昭和46(1971)年10月まで使用された。

駅前には第一ビルが建っている(ビルは、昭和42(1967)年3月31日完成)。中棟屋上のネオン看板は駿河銀行(現、スルガ銀行)。当時、このビルに同行熱海駅支店があったが、ビル入居前は現在の共同浴場「田原湯」(通称、「駅前温泉」)のあたりにあった。

撮影日:昭和42年〜45年頃



41-94-2 下り本線2番線(現、3番線)の客車急行(?)
a0057057_14562363.png41-94「ひので」号写真と同じ2番線の写真。
位置は、「ひので」号よりホーム中ほどのところで、写っているのは「急行」のサボ(種別札)がないが、右側の客車が車掌室付きであることから、客車急行の「霧島・高千穂」号と思われる。
急行「霧島・高千穂」号だとすれば、東京駅を11時過ぎに出て、熱海には13時過ぎ到着。門司で分割され「霧島」は鹿児島本線経由、「高千穂」は日豊本線経由でどちらも西鹿児島(現、鹿児島中央)まで運行された列車である。
当初、「霧島」には寝台車が連結されていたが、昭和43(1968)年10月のダイヤ改正時廃止された。

撮影日:昭和42年〜45年頃

これからあと、駅舎改築まで・・

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 投稿:28.2.-6
 調整:随時
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by fbox12 | 2016-11-30 14:31 | 鉄道・バス