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65 潮田神社(うしおだじんじゃ)神奈川県横浜市鶴見区鎮座

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鎮座地:神奈川県横浜市鶴見区潮田町3ー131ー3
御祭神:国常立尊、五十猛命、素盞嗚命、豊受比売命、市寸島比売命、岐久理比売命、誉田別命、菅原道真
社格等:延喜式神名帳杉山社比定社、旧村社、

由緒:
口碑によれば、景行天皇四十年、日本武尊東夷征伐の航海の途中、旧西潮田村海岸近くの古杉老松の森に小祠を建て、国常立尊、豊雲野命、国狭槌命を奉斎し、征途の無事案内を祈願したと伝えられる。中世に至り、潮田村は小田原北条氏の領地に属し、正親町天皇の御世、永禄三年の頃、北条氏の寵臣で太田道灌の曽孫太田新六郎康資の知行の時、東潮田村の杉山社、西潮田村の御嶽社を領地神社として、社殿を改築し社頭を整備したといわれる。正保年間に至り地頭松下孫十郎が幕府の命により、社殿を改築、寛文十年幕府社領一段四畝二十歩を寄進したという。延享元年の鳥居、寛政元年の拝殿の棟札等により当時の当時の模様を知ることができる。
明治に入り、井田方鎮座須賀社(素戔嗚尊)、小野新田鎮座稲荷社(豊受比賣尊)、向原鎮座菅原社(菅原道真公)、田方鎮座神明社(天照大御神、弥都波能賣神)を御嶽社に合祀、上居村鎮座若宮八幡社(誉田別尊)浜端鎮座白山社(岐久理比賣)弁天下鎮座厳島社(市杵島比賣命)を杉山社に合祀された。大正初期、京浜工業地帯の一大発展に伴い、耕地整備・区画整理による街造りの為、大正九年東潮田村の杉山社と西潮田村の御嶽社を合併し、潮田地区の中心地点である現在地に鎮座、潮田神社と改称された。
大正十二(1923)年関東大震災により拝殿倒壊、昭和二十(1945)年戦災により社殿焼失と被害を被る。昭和五十九(1984)年現社殿造営平成元(1989)年社務所新築、同五(1993)年鳥居建立、同十八(2006)年宮神輿再興なる。
(神奈川県神社誌より)

当社は、大正初期、京浜工業地帯の一代発展に伴い、耕地整理・区画整理による街造りのため、西潮田村の御嶽社と東潮田村の杉山社を合併し、大正九年、潮田神社と改称して潮田地区の中心地点である現在地に鎮座されました。社伝に依れば、景行天皇四十年、日本武尊が東夷征伐の航海の途中、旧西潮田村の古杉老松の鬱蒼たる地に小祠を建て、国土の神「国常立尊」、「豊雲野命」、「国狭槌命」を奉斎し、征途の無事安全を祈願したことが始まりと伝えられています。
中世に至り、潮田村は小田原北条氏の領地に属し、北条氏の信仰崇敬に殊に厚いものがありました。正親天皇の御世、永禄の頃太田道灌の曾孫太田新六郎康資の領地神社として、たびたび修復されたことが、東潮田村の杉山社に残る御神鏡からうかがうことができます。
また、正保年間に至り、地頭松下孫十郎が幕府の命により社殿を改築し、寛文十年、幕府社領一段四畝二十歩を寄進したことが御嶽大権現と称された西潮田村の御嶽社の棟札、鳥居等にのこされています。
由来、東のお宮、西のお宮と親しまれ、特に土地が海浜であったため、房総漁民船が大漁祈願に立ち寄るなど、潮田村及び遠近の村里沿岸一帯の鎮護となりました。
(境内掲示より)

境内社:
神明社

a0057057_19114363.png潮田稲荷社

この神社最寄の駅・バス停:
 JR東日本・鶴見線 弁天橋・浅野・鶴見小野

 横浜市交通局・(市営バス)27系統(鶴見駅前(東口)-安善町)潮田神社前
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by fbox12 | 2015-06-27 18:59 | 神社