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62(赤坂)氷川神社(ひかわじんじゃ) 東京都港区鎮座 

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鎮座地:東京都港区赤坂六丁目10-12
御祭神:素盞嗚尊、奇稲田姫命、大己貴命

由緒:
創立の起源は、古い書物によると、天暦5(村上天皇 951)年武州豊島郡人次ヶ原(俗称…古呂故ヶ岡・赤坂四丁目一ツ木台地)に祀られた。
これよりおよそ百年後の治暦2(後冷泉天皇1066)年、関東に大旱魃が発生、降雨を祈るとその霊験(しるし)があり、以来よく祭事が行われた。

江戸時代、幕府の尊信は篤く、八代将軍 徳川吉宗公が享保元(1716)年将軍職を継ぐに至り、同14(1729)年に老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(豊島郡赤坂今井台)に現社殿を造営、翌15(1730)年4月26日に、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われ、28日に将軍直々の御参拝があった。
以後十四代家茂公まで歴代の朱印状(※港区文化財)を下附され、一層の御神徳を高め、開運・厄除・良縁の鎮守神として尊崇を深められた。

『江戸名所記』によると―
「むかし人王62代村上天皇の御宇天暦年中に近江国甲賀の郡に蓮林僧正として天台四明の法灯をかかげて一念三千の観行をこらす上人あり、東国修行のついでこの所に一夜をあかしける、その夜の夢にいづくともしらず老翁一人来りていわく、我はこの土中にうづもれて久しく年をつもれるものなり、いそぎ掘出して安置せしめばこの所の守護神となるべし、その埋もれし所には奇瑞あるべしと見て夢はさめにけり。
上人奇異のおもひをなしそのあたりをめぐるに一所の壇上に金色の光りあり、いそぎほりてみれば十一面観音の形像おわします。やがてそのところに社をたてて安置せしめらる、一木村の観音と名づけて諸人まいりつどう。きわめて利やくおおし。

蓮林遷化の後治暦2年丙午にあたって関八州のうち夏より秋にいたり大にひでりす。万民うれえをいたしけるに、当所の土民このやしろに雨をいのるに、たちまちに洪雨ふりくだって五こくゆたかにみのり民よろこびのまゆをひらきけり、これ雨をくだして川をなし万民をたすけ賜る、故にすなわち神とあがめ、氷川の明神と名付けたてまつる。神事は6月15日や、今に及びなおこの神徳たかくおわしまして諸人の願望をかなえ賜うぞ有がたき。

 くみてしる 氷川の宮の 神こころ めぐみあらたに世をうるうとは(江戸鹿子)」


各地の氷川神社との関係
各地に「氷川神社」があるが、神社本庁のデータによると、「氷川」の名の付く神社は全国で261社あり、内訳は―埼玉県に162社、東京都に68社、福井県に12社、福島県に5社、茨城県・栃木県・神奈川県・山梨県・島根県にそれぞれ2社、北海道・千葉県・長崎県・鹿児島県にそれぞれ1社となっており、関東を中心に鎮座、荒川流域に多く分布している。

氷川神社の本社は埼玉県の大宮(さいたま市)に鎮座する旧官幣大社・武蔵国一ノ宮の氷川神社で、ここから御霊(みたま)を分け(ご分霊)、各地に氷川神社が祀られた。そのため原則どこの氷川神社もご祭神は同一である。

出雲の氏族であった武蔵氏が武蔵国造(くにのみやつこ)となって移住した時期、氷川の信仰が広く祀られたといわれている。「氷川」の名は、出雲の簸川(ひかわ・現在の斐伊川)の名に因むものといわれ、農業用水として大きな恩恵を受ける一方、水害にも悩まされた荒川を簸川に見立て、畏敬の念をもって信仰していたと考えられる。

河川に沿って分布している関東の神社としては、他に香取神社・久伊豆神社がある。それぞれ元荒川・利根川という大河川に沿って、お互いに境界を侵すことなく祀られている。氷川神社が祀られた村々はその成立が比較的古く、多くは関東ローム層の丘陵地帯に位置し、森林を開墾し谷の湿地を水田とした農村であり、久伊豆神社は元荒川、香取神社は利根川に沿って分布するが、この地域は十世紀以降開拓された米作地帯で、度々洪水にみまわれた低湿地であると推定されている。

境内社:
a0057057_19241418.png四合稲荷神社(しあわせいなりじんじゃ)

御祭神:宇迦之御魂神

以下の神社を明治31(1898)年遷座合祀した。幕末より赤坂在住の勝海舟により「四合稲荷神社」と称えられた。

 1.古呂故(ころこ)稲荷: 赤坂一ツ木二番地、古呂故天神社境内に鎮座
 2.地頭(じぬし)稲荷: 氷川神社遷座以前より拠の地に鎮座
 3.本氷川(もとひかわ)稲荷: 本氷川神社隣接、別当盛徳寺の地内に鎮座
 4.玉川(たまがわ)稲荷: 赤坂門外の御堀端、現弁慶橋のあたりに鎮座

また、大正14(1925)年に、鈴降(すずふり)稲荷神社(赤坂一ツ木町に鎮座)、及び縁起(えんぎ)稲荷神社(赤坂丹後坂下に鎮座)の二社を、 また昭和9(1934)年に明徳(めいとく)稲荷神社(赤坂新町に鎮座)を遷座合祀し、現在に至っている。勝海舟筆の「四合稲荷社」という扁額も現存する。

a0057057_19293788.png西行稲荷神社
享保の時代、田町五丁目(現在の赤坂三丁目付近)に西行五兵衛というものがおり、榎坂を通行中に狐の形をした三寸程の稲荷のご神体らしい像を拾い、勧請したため、「西行稲荷」とした。

町の発展に伴い、大正10(1921)年氷川神社境内に遷宮し、別名「火伏の稲荷」ともいわれ、火災除のご利益があるといわれている。

九神社:
天祖神社・春日神社・鹿嶋神社・八幡神社・諏訪神社・秋葉神社・厳島神社・金刀比羅神社・塞神社、以上の九社を合祀した社。九社それぞれへの遥拝所的な要素がある。


(以上、記事内容 赤坂氷川神社ホームページから)
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by fbox12 | 2015-06-14 18:45 | 神社