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fbox12 blog (博物館fbox12 館長の資料収蔵庫)

59 花園神社(はなぞのじんじゃ) 東京都新宿区鎮座

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59 花園神社(はなぞのじんじゃ) 東京都新宿区鎮座_a0057057_19153687.png59 花園神社(はなぞのじんじゃ) 東京都新宿区鎮座_a0057057_19155141.png
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59 花園神社(はなぞのじんじゃ) 東京都新宿区鎮座_a0057057_20291226.png鎮座地:東京都新宿区新宿五丁目17-3
御祭神:倉稲魂命
旧社格:郷社

由緒:
花園神社は、徳川家康の江戸開府(1603年)以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占めていた。徳川氏が武蔵國に入った1590年より前に、大和吉野山より勧請されたとされている。
花園神社は寛永年代(1624~1644年)までは現在の場所より約250メートル南、今の伊勢丹デパートの付近にあった。しかし、寛政年代に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を拝領し、社地は朝倉氏の下屋敷の中に囲い込まれてしまったため、幕府に訴えたところ、現在の場所を拝領することになった。その場所は、徳川御三家筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部で、たくさんの花が咲き乱れていた。この美しい花園の跡に移転したので花園稲荷神社と呼ばれたのが社名の由来とされている。
初めて史料に花園神社の名が登場するのは、享和3(1803)年のこと。大火に遭った社殿復興を願って内藤新宿町より奉納された額面に「花園社」と記されていた。「花園」という名称が正式なものになるのはずっと後代のことで、稲荷神社または三光院稲荷とも呼ばれ、さらに江戸時代には地名にちなんで四谷追分稲荷とも呼ばれていた。
三光院稲荷と呼ばれたのは、明治維新以前には神仏習合により神社と仏教寺院が同時に祀られることが多く、花園神社も真義真言宗豊山派愛染院の別院である三光院が合祀され、住職が別当(管理職)を兼ねる慣わしだったためであるといわれている。
しかし、その三光院は明治元(1868)年3月に維新政府が祭政一致の方針に基づき神仏分離令を発布し、廃仏毀釈が進む中で花園神社と分離され、本尊は愛染院に納めて廃絶となった。
明治に入ると、「村社稲荷神社」が正式名称とされた。これは神名帳を提出した際に、誤って花園の文字を書き漏らし、「稲荷神社」で届出をしてしまったから。
しかし、江戸時代から当神社は「花園社」と呼ばれており、単に「稲荷神社」といえば総本山である伏見稲荷神社を指すのが一般的で紛らわしいことから、大正5(1916)年1月25日、当時の社掌・鳥居成功と氏子総代・坂田寅三郎ら13人が東京府知事に対し社号の改名願を提出した。この社号改名願は同年2月26日に許可され、「花園稲荷神社」となった。
さらに昭和40(1965)年に、それまで末社だった大鳥神社を本社に合祀したことから、ようやく「花園神社」が正式名称となった。

新宿の街の中心にあり、新宿総鎮守として江戸時代に内藤新宿が開かれて以来の、街の守り神として祀られている。また敷地内では各種劇団による催し物などが定期的に開かれ、新宿の街の文化の一翼も担っている事でも知られている。朱塗りの鮮やかな社殿は、参拝客の他、休憩場所や待ち合わせ場所として使われ、当社に人影が途絶える事がない。

境内社:
59 花園神社(はなぞのじんじゃ) 東京都新宿区鎮座_a0057057_1949770.png59 花園神社(はなぞのじんじゃ) 東京都新宿区鎮座_a0057057_2001117.png

大鳥神社(合祀)
 御祭神:日本武尊

雷電神社(上右写真)
 御祭神:受持神

芸能浅間神社
 御祭神:木花之佐久夜毘売

威徳稲荷神社(上左写真)

末社:
三社稲荷神社(新宿二丁目16番2号)
 平成17(2005)年3月、雷電稲荷神社(下記)に合祀され現存せず。

雷電稲荷神社(新宿四丁目4番23号)
 御祭神:菅原道真公
 昭和3(1928)年に合祀された雷電稲荷神社の跡地にその後鳥居と祠が再建・維持され、「雷電稲荷神社」として存続。境内には富士塚も祀られている。



この神社最寄の駅・バス停:
東京都交通局(都営地下鉄)新宿線 / 東京地下鉄(メトロ)丸の内線・副都心線 新宿三丁目駅(E2出口)
by fbox12 | 2016-07-19 17:58 | 神社