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27 智方神社(ちかたじんじゃ) 静岡県駿東郡清水町鎮座

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鎮座地:静岡県駿東郡清水町長沢60番地
御祭神:予母都道守神、菊理比咩神

由緒書き:
a0057057_1357231.png建武二(1335)年七月二十三日護良親王弑せられし時、御側に侍し宮入南の方(藤原保藤の女)宮の御首を櫃に収め、御他界の情況を中央(南朝)に報ぜんがため、従者を伴い足柄街道を追手の目を避けて此の地(*駿東郡清水町長沢、当時は伊豆の国)黄瀬川の辺まで到着せり。時に八月一日(八朔)黄瀬川の水漲り渡渉すること困難なりしかは、暫時河岸に休息なされ御櫃を見るに、長の道中を運び奉る事の困難なる状を拝し、止むなく河岸近く古びたる小祠の辺に地を求め、宮の御首級を葬り、楠の一樹を植え以て墓印をなす。(写真:「後醍醐天皇皇子大塔宮護良親王御陵」)
時に北条時行は家令畠山国清の手兵を併せ五千の兵を挙げ南朝に属せし延元二(1337:南朝の元号、北朝では、建武4)年まで伊豆の藩主たりし間に御首級頃を石祠となし、更に神社となし現在に至る。
当時、足利氏の詮索を避けんがため、わざと御祭神の名を秘し神前下馬の礼を諷示するため、白馬の伝説を後世に伝へしものなり。
白馬の伝説を考察するに、白馬即ち白騎なり。白旗は源氏なり。足利氏は源氏なり。親王の霊廟を建立せる北条時行は平氏なり。御祭神大塔の宮と共に白旗を忌むは当然の事なり。
邑人、子々孫々世の率遷にも絶つことなく、密に此の口伝を固く守り続け、御祭神の文献存せざるも追求する事なく(追求しても足利・徳川と源氏の世続く)木彫御首級の御神体と白馬像、御首級墳を大切に保存し今日に至り、御祭神漸く明確となり承認を得たるは御神威の程愈々広大なりと言うべきなり。慈に六百二十五年の星霜を経貴重なる史実を得たるは真に喜ばしき限なり。

a0057057_18101979.pnga0057057_18173834.png智方さん:
智方神社は道祖神的な性格が強い。長沢智方神社の、祭神のうちに、予母都道守神菊理比咩神
(よもつみちもりのかみきくりひめのかみ:*くくりひめのかみ)がある。予母都道守の神は、その名が示すように道を守る神である。即ち旅人の安全を守る神である。
菊理比咩神は、有名な越前・加賀・美濃の国境にそびえる、白山神社の主祭神で、これも国境を守る神である。黄瀬川は昔伊豆と駿河の国境であり、こうした国境を守る神々が祀られたことは、もっともな事である。新宿(*しんしゅく:駿東郡清水町)の地方神社・竹原の越方神社も同じ祭神である。これはその後、国境が移動(*何回か駿河國が伊豆國に侵攻した)して、駿豆の境は、黄瀬川から境川(*現在も三島市と駿東郡清水町の境の川)に移っために境川が伊豆・駿河の国境になった。
このため新宿にも竹原にも、道祖神的性格の強い、地方(ちかた)神社が祀られるようになったのである。
道祖神は、サヘノカミ、又は道陸神(どうろくじん)ともよばれ、防障(ぼうしょう)・防塞(ぼうさい)の神で、外からおそってくる、疫病や、悪霊を、村境・国境・橋のたもとなどで防止してくれる。また、生者と死者、人間界と幽冥界(ゆうめいかい)の境をまもる神様でもある。
また行路の神・旅の神という道祖の神も習合されるようになった。更に仏教渡来後は、冥界思想はその影響をうけることが多くなり、サへの河原・ショウヅ河などの仏教的な解説が行なわれ、六道(りくどう)の辻の信仰とか、大観音・六地蔵なども盛んになり、村の辻・橋畔(きょうはん)などは、人馬の往来もしげく、子供の遊び場所ともなり、村人の運命を知り、縁を結び、子供とも特に親しい神となっている。そして道祖神即ちサへの神は、性の神ともなり盛んに祀られるようになった。
智方神社は祭神から考えても、神域が駿豆国境の黄瀬川河畔にあることと相まって、道祖神的信仰から、「性の神的」信仰につながり、沼津方面の水商売の人達が多数参拝するようになり、多額の賽銭を奉納する人もあるようである。
(この項、「清水町のむかしばなし」(清水町教育委員会発行)から転載)

境内社:

高尾山穂見神社
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御祭神:宇迦之御魂命

高尾山と馬頭観音
高尾山は智方神社の本殿の向かって右側にある。もとは長沢宮内原、国立病院(現、静岡医療センター)の南西側にあったものを、五十余年以前に現在地に移転鎮座されたもので、宇迦之御魂命(うがのみたま)を祀る。
この神は食物の神、五穀豊穣(ごこくほうじょう)の神で各地にある稲荷神社の祭神と同一神である。
この附近では沼津市金岡地区熊堂の、高尾山穂見神社は有名で、毎年十一月末に行なわれる祭典には参拝客が頗る(すこぶる)多く、夜半を通じて祭りが行われる。
長沢の高尾山穂見神社も、宮内原にあった頃は、毎年三月十五日が祭典で、近くにある競馬場では、近郷、近在の農馬が集まり、盛大な競馬が行われた。長沢の各農家ではご馳走を作り、むしろを用意して、親類・縁者を招待して、盛大な祭りが行われた。尚その後青年団のスポーツ大会等も行われた。
高尾山穂見神社の旧境内の近くには、競馬の農馬にちなんでか馬頭観音があった。馬頭観音は、もともと婆羅門教の毘紐奴(びしゅぬ)の化身から転化し、馬が牧草を食うように、諸種の悪を食いつくしてくれる明王だという。頭上に馬頭をつけているところから、馬の安全・息災を願う庶民の信仰と結びつき、広く祀られるようになった。
近世以前、農民たちは、農耕に馬を使用するなど思いもよらないことだった。まして交通・運輸に使うなどは支配者のためであった。それが近世になって、商品の流通、経済の発展は馬の需要を増し、農民も馬を持つようになった。江戸中期より、馬頭観音が各地に造立(ぞうりゅう)されたのは、農民も馬を持てるようになったことを示すものである。
そして各地に馬頭観音の造立が見られるようになった。馬頭観音は、愛馬が死んだ時の供養に建てたものだろうが、記念碑として、愛馬の無病息災を祈ったものでもある。
(この項、「清水町のむかしばなし」(清水町教育委員会発行)から転載)
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写真:境内入口西側の石仏群-左から、蛇塚、石仏像、観音像、正観世音菩薩塔、馬頭観音(3)、馬頭観音(2)、庚申塔、馬頭観音)

山之神神社
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a0057057_14171771.png<石祠>祠の間後ろには、富士山。

末社:
a0057057_14392564.png左から、
熊野社、北斗社、稲荷社、厳島社、神明社、天神社、金山社、辨天社、床浦社

a0057057_14512124.png清水町指定文化財「大楠」

この神社最寄の駅・バス停
伊豆箱根バス・東海バス「医療センター入口」または、東海バス「対面石入口」
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by fbox12 | 2016-04-27 17:21 | 神社