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25 草薙神社(くさなぎじんじゃ) 静岡県静岡市清水区鎮座

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鎮座地:静岡県静岡市清水区草薙349
御祭神:日本武尊
社殿:本殿流造
社格:式内社(小-駿河國有度郡 草薙神社)、旧郷社、旧県社

a0057057_20442262.pnga0057057_20465675.pnga0057057_20494916.pnga0057057_20202611.png左:随身門

右:神木大樟(静岡市指定天然記念物)

社伝では、景行天皇53年に天皇が日本武尊ゆかりの地を巡幸した際、9月20日に天皇が当地に着き日本武尊の霊を奉斎したのが創建という。また、天皇は当社に神体として草薙剣を奉納したが、この草薙剣が朱鳥元年(686年)に天武天皇の勅命により熱田神宮に移されたとも伝えている。また社伝では、当社は古くは清水区草薙一丁目の「天皇原(てんのうばら)」と称される地に鎮座したという。現在地への遷座時期は明らかでないが、一説に天正18年(1590年)の造営時とする。
歴史考証の上では、当社の創建にはヤマトタケル伝説が大きく関係するとされる。静岡市一帯には、大規模古墳として葵区の谷津山古墳(全長110メートル)や清水区の三池平古墳(全長65メートル)が残るが、これらの古墳を築いた勢力の服属が伝説成立の背景にあると推測される。なお、当地の首長古墳は「清水区庵原や谷津山丘陵(前期:4世紀代)→瀬名丘陵(中期:5世紀代)→有度山北麓(後期:6世紀代)」と変遷したと推測されるが、これらのうち清水区庵原付近に久佐奈岐神社が、有度山北麓に当社が鎮座する。
また、「クサナギ」の名を焼畑系地名に由来するとする説もある。その中で、伝説の中でヤマトタケルが向火をつける様も野焼きの延焼防止としてよく知られる手法であることも併せて指摘され、先行する焼畑系地名に基いてヤマトタケルの火難伝説が成立したと推測される。ヤマトタケル伝説の成立以前の当社については、山の神として焼畑作物を与える神であったとも、谷部にあることから水の神であったとも考えられている。

延長5(927)年成立の『延喜式』神名帳では駿河国有度郡に「草薙神社」と記載され、式内社に列している。ヤマトタケル伝承との関連から武家から信仰され、天慶年間(877年-885年)には平将門の乱の平定に奉賽がなされたと伝える。
中世には、永享4(1432)年に将軍足利義教の駿河下向に従った尭孝が草薙社について記述している。天正8(1580)年には、願主森民部太夫により釣燈籠と鰐口(ともに静岡市指定文化財)が奉納された。天正10(1582)年には竹木の伐採が禁止され、天正18(1590)年には社領として草薙郷18石が社人の民部大輔に安堵された。この社領は、慶長4(1599)年にも横田村詮により安堵されている。
江戸時代の社領(朱印地)は50石。
明治維新後、明治3(1873)年に近代社格制度において郷社に列し、明治12(1879)年7月24日に県社に昇格した。

JR東海道線、静岡鉄道の草薙駅(壱鳥居は草薙駅近くに立つが、その付近の平地は「天皇原(てんのうばら)」と称される。かつて草薙神社はこの天皇原の地にあったといわれ、その地は現在も「古宮」として伝わっている)からバスで約10分くらいのところに鎮座する。

境内末社
a0057057_20364193.png北側末社:
住吉神社、春日神社、愛宕神社、白髭神社、厳島神社、稲荷社、荒神社、天神社

a0057057_2024998.png南側末社:
浅間神社、山神社、八幡神社、子安神社、天皇社、賀茂神社、内宮社

(以上、記事内容 Wikipedia:26.11.12更新から)

a0057057_20121277.pngこの神社最寄の駅・バス停
しずてつジャストライン・三保草薙線 草薙神社前
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by fbox12 | 2016-04-04 14:25 | 神社