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C11形蒸気機関車

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a0057057_20582270.pngC11形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鐵道省が老朽化した種々雑多な支線・区間運転用機関車群の代替用として、昭和5(1930)年に設計されたC10形の改良増備車として昭和7(1932)年に設計したタンク式蒸気機関車である。
(写真:C11 30、御殿場線松田駅、昭和41(1966).11.6)

1920年代、第一次世界大戦終結後の日本経済の低迷と、とくに都市部での並行私鉄線や自動車の台頭などの事情から、旅客・貨物輸送ともに輸送単位の縮小や列車運行回数の高頻度化が求められるようになっていた。
そこで、その要請に応えるべく、大型制式蒸気機関車の新製投入で余剰となったタンク式蒸気機関車などを支線区運用や都市部の区間運転などに改造して充てることとした。だが、それらの車両は製造から既に20年前後が経過しており、改造後10年を経ずして老朽化のために休車扱いとなる車両が発生するなど、その状態は思わしくなかった。また種車の形式が種々雑多で構造や交換部品の仕様などが完全には統一されておらず、保守作業の規格化という観点からも望ましくなかった。

a0057057_20475648.jpg都市部での旅客列車の高頻度・高速運転については、当時地方私鉄を中心に実用化が進みつつあったガソリンカーなどの内燃機関を動力とする気動車も選択肢の一つであり、昭和4(1929)年には鐵道省初の制式ガソリン動車であるキハニ5000形が製造されている。だが、これは搭載機関出力の非力さや設計面での未熟などが重なって、これらの老朽タンク機関車による旅客列車を代替するには全く不十分なものであった。
そこで制式テンダー機関車ではもっとも小型であったC50形を基本としつつ、支線区の輸送需要を考慮して一回り小型化し、炭水を無補給で50kmから60km程度の距離を走行可能とする石炭庫と水タンクの搭載、それにそれらの重量の変化による動軸重の変化を抑制するために2軸従台車(動力が直接伝わらない車輪の台車:主に車輪軸にかかる重量を分散させるために用いられる台車)を付加する形で、新設計の制式タンク機関車が作られることとなった。
(写真:C11 64、静態保存機、梅小路蒸気機関車館、平成10(1998).3.12)

その先駈けとなったのは昭和5(1930)年に製造されたC10形(大井川鐵道の動態保存機:C10 8)である。これは主として都市部に配置され、短区間の折り返し運転による快速列車運用などで好評を博した。だが、このC10形は性能面ではおおむね満足な成績が得られたものの、従台車を2軸台車としたにもかかわらず動軸重が13tを超過し、軸重制限の厳しい丙線以下の支線区への投入には適さないという問題があった。そこでこの新型タンク機関車の本格量産にあたって、C10形に続き昭和6(1931)年に設計されたC54形で得られたノウハウを盛り込んで設計をさらに見直し、とくに薄鋼板部品の接合に折から実用化が急速に進みつつあった電気溶接を採用するなど、新技術を積極的に導入して軽量化を図ることで、動軸重を13t以下に抑えることになった。

この新型機関車はC10形の続番としてC11形という形式が与えられ、不況期の輸送需要減少を背景として開発された機種であるがコンパクトで使い勝手がよく、戦時中に貨物輸送能力の増強用として支線区を中心に投入されたこともあり、その昭和22(1947)年までの16年間の製造総数が381両に達するという、国鉄近代型制式蒸気機関車の中でも有数の成功作となり、後の各形式にも反映されることになった。

最初期の運用は主に西日本の都市近郊や主要支線で使用された。近畿地方の快速列車を牽引した際には特急と張り合う俊足ぶりを発揮した。やがて活躍の場を広げてほぼ全国各地に配属され、主にローカル線の列車牽引に使用された。気動車が普及するにつれて余剰となり始め、昭和35(1960)年ごろから少しずつ廃車が出たが、貨物列車用や入換用として蒸気機関車の末期まで数多く残った。

本形式による優等列車運用への充当例としては、現役時代も終わりに近づいた昭和40(1965)年10月から43(1968)年9月にかけて、肥前山口駅で長崎発着編成と佐世保発着編成を分割併合して運行されていた寝台特急「さくら」(2001・2002レ)の佐世保発着編成のうち、佐世保線早岐駅 - 佐世保駅間8.9kmの牽引に抜擢されたのが最も良く知られている。
これは早岐駅の立地と構内配線の制約から、肥前山口から早岐を経て佐世保に至るルートで直通列車を運転する場合には列車を早岐でスイッチバックさせる必要があったが、早岐以東の本務機であるDD51形を同駅で機回し(機関車を前後反対に付け替える)する所要時間に比して早岐と佐世保の間の運転所要時間が短く、かといって「さくら」の20系客車は機関車を最後尾とした推進運転に対応していなかったことから、機関車の付け替え時間の節減を図って当時早岐機関区に配置され佐世保・大村の両線で運用されていた本形式を早岐駅 - 佐世保駅間の牽引機に起用したものである。
なお、ヘッドマークは本務機(DD51)に装着されたままとなっていたため、本形式には基本的にヘッドマークは装着されないことになっていたが、実際には、鉄道雑誌の取材などに応じた際に予備のマークを背面に装着したり、機関車を方向転換して正面向けにして、マークを装着して運転するなどのサービスをすることが時折あった。

使い勝手の良い機関車であったことから、全国で5両(JR北海道2両、真岡鐡道1両、大井川鐡道2両)が動態保存され、40両以上が静態保存されている。

大井川鐵道 C11 190
a0057057_20185066.jpg昭和15(1940)9月11日竣工として川崎車輌兵庫工場で製造された(製番2361)3次形の1両。現役時代は仙台機関区への新製配置後、盛岡機関区を経て昭和18(1943))年に早岐機関区へ転属、昭和25(1950)年に熊本機関区へ転属、ここで除籍まで使用された。本機は熊本機関区時代にお召し列車を牽引した経歴がある。昭和49(1974)年6月12日付で廃車され、そのまま解体される予定であったが、熊本県八代市在住の個人に買い取られ、静態保存された。平成13(2001)年6月24日に大井川鐵道に譲渡され、大規模な修復を受け、平成15(2003)年7月19日に復活運転を開始した。
単機での牽引は客車5両までが可能である。
(写真:大井川鐵道駿河徳山駅、平成16(2004).10.31)

大井川鐵道 C11 227
a0057057_22131573.jpg昭和17(1942)年9月18日竣工として名古屋の日本車輌製造本店で製造された(製番1108)。C11 190と同じ3次形の1両。戦後は苗穂機関区に長く配置され、昭和39(1964)年に苫小牧機関区へ転属、さらに昭和49(1974)年には釧路機関区へ転属した。国鉄時代最終期には標津線で使用されていた。昭和50(1975)年6月25日に除籍された後、大井川鉄道(現在の大井川鐵道)に入線し、昭和51(1976)年7月9日のSL急行運転開始で動態保存としての営業運転を開始した。
現在、ボイラー保護のためC10 8と同じく単機での牽引は客車4両までが可能である(以前は客車5両までの牽引が可能であった)。
(写真:大井川鐵道駿河徳山駅、平成16(2004).10.31)


(以上、記事内容 Wikipedia から)(13車両5)
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by fbox12 | 2014-06-09 21:35 | 鉄道・バス