8620形蒸気機関車
大正時代の標準型として大正3年(1914年)から昭和4年(1929年)の間に672両(車号:[8620] -[88651])が製造された。
当初は東海道本線、山陽本線などの幹線を中心に配置されたが、より高性能な形式が投入されるにつれて幹線からローカル線へと活躍の場を移していった。
昭和30年(1955年)3月末には637両が残っていたが、中型ディーゼル機関車の実用化により、昭和35年(1960年)3月末には491両、翌36年(1961年)3月末には380両、更に37年(1962年)3月末には333両とほぼ半減したが、主要幹線や亜幹線の電化もしくは無煙化が優先されたことや、地方ローカル線及び入換用ディーゼル機関車の量産導入が進まなかったこともあり、かなりの数が蒸気機関車の最末期まで残った。
さらに、昭和39年(1964年)3月末の在籍数は276両であったが、昭和43年(1968年)3月末では138両、昭和45年(1972年)3月末では41両と漸減し、昭和50年(1975年)3月末には人吉に[48679]号機が1両、湯前線用に残るのみとなっていた。
現在、2両が動態保存されている。
写真の[8630]号機は、大正3(1914)年度に製造されて平機関区や弘前運転区に所属した。
この機は、車籍がないため、営業線上を運行することは不可能であるが、館内の線路上を走行することがある。平成18年(2006年)、梅小路の蒸気機関車群と関連施設として、準鉄道記念物に指定された。
あと1両は、九州旅客鉄道(JR九州)の[58654]号機で、「SLあそBOY」として運用されていて、一旦、静態保存となったが、昭和63年(1988年)に車籍復活してJR九州肥薩線を運行する「SL人吉」に運用されていたが、2024年(令和6年)春に引退することが発表された。
参考:Wikipedia「国鉄8620形蒸気機関車」(最終更新 2022年10月24日)