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fbox12 blog (博物館fbox12 館長の資料収蔵庫)

8620形蒸気機関車

8620形蒸気機関車_a0057057_15513817.png8620形蒸気機関車、通称「ハチロク」は、明治末期に急行列車用として各国から輸入された8700形・8800形・8850形などを参考に、日本の蒸気機関車国産化技術の確立を目的として設計、製造された。
当時としても、あえて最高の性能を狙わずに、汎用性を追求し、将来輸送量が増加した際には地方線区に転用することを考慮して設計された。
大正時代の標準型として大正3年(1914年)から昭和4年(1929年)の間に672両(車号:[8620] -[88651])が製造された。
この他に樺太廳鐵道向けに15両、台湾総督府鐵道向けに43両、地方鉄道(北海道拓殖鐵道)向けに2両の同形機が製造されている。
樺太廳鐵道の15両は、昭和18年(1943年)南樺太の内地編入にともない鐡道省籍となり、[88652] -[88666]号機となっている。
樺太向けの15両を鐵道省としての製造両数に含め、製造両数を687両と記載している文献もある。

当初は東海道本線、山陽本線などの幹線を中心に配置されたが、より高性能な形式が投入されるにつれて幹線からローカル線へと活躍の場を移していった。
平坦で距離の長い路線に向き、客貨両用に効率よく使えるという特徴をもって長く愛用され、「鉄路あるところ、ハチロクの機影見ざるはなし」とも形容された。特に、品川機関区の[28661]号機は、お召列車専用機に指定されたこともある。

昭和30年(1955年)3月末には637両が残っていたが、中型ディーゼル機関車の実用化により、昭和35年(1960年)3月末には491両、翌36年(1961年)3月末には380両、更に37年(1962年)3月末には333両とほぼ半減したが、主要幹線や亜幹線の電化もしくは無煙化が優先されたことや、地方ローカル線及び入換用ディーゼル機関車の量産導入が進まなかったこともあり、かなりの数が蒸気機関車の最末期まで残った。
特に7kmにわたって33.3‰(1000m行って、33.3m上る坂)の上り勾配が続く花輪線では三重連運用があり、多くのファンの注目を集めたが、これも昭和45年(1972年)に消滅した。
さらに、昭和39年(1964年)3月末の在籍数は276両であったが、昭和43年(1968年)3月末では138両、昭和45年(1972年)3月末では41両と漸減し、昭和50年(1975年)3月末には人吉に[48679]号機が1両、湯前線用に残るのみとなっていた。

現在、2両が動態保存されている。
写真の[8630]号機は、大正3(1914)年度に製造されて平機関区や弘前運転区に所属した。
現在、西日本旅客鉄道(JR西日本)梅小路蒸気機関車館(京都市:現 京都鉄道博物館)に保存されている。
この機は、車籍がないため、営業線上を運行することは不可能であるが、館内の線路上を走行することがある。平成18年(2006年)、梅小路の蒸気機関車群と関連施設として、準鉄道記念物に指定された。
あと1両は、九州旅客鉄道(JR九州)の[58654]号機で、「SLあそBOY」として運用されていて、一旦、静態保存となったが、昭和63年(1988年)に車籍復活してJR九州肥薩線を運行する「SL人吉」に運用されていたが、2024年(令和6年)春に引退することが発表された

参考:Wikipedia「国鉄8620形蒸気機関車」(最終更新 2022年10月24日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%848620%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A

記事:2014.6.-2
調整:2022.11.-5

by fbox12 | 2022-11-05 18:00 | 鉄道・バス